2018年11月29日木曜日

スラウェシ中部地震とロンボク地震の被災地を訪問して

今回のインドネシア滞在中に、11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地のパル市、シギ県、ドンガラ県を訪問し、その後、11月27~28日にロンボク地震被災地の東ロンボク県、北ロンボク県を訪問しました。

日本でもインドネシアでも、これらの地震に関するメディア報道はずいぶん少なくなりました。そうなると、復興が順調に進んでいるかのような雰囲気が出てきますが、やはり、実態はそんな単純なものではない、というのが今回訪問しての印象でした。

現場を歩きながら、「世の中から忘れられていく」という現場の人々の気持ちを強く感じていました。

スラウェシ中部地震被災地への訪問記は、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の第34号と第35号の2回に分けて書いていきます。第1回は、以下のサイトをご参照ください。


小見出しは以下のようになっています。

 ●被災地を訪問した意味
 ●津波に襲われたタリセ海岸を歩く
 ●液状化で街が沈んだペトボ地区にて
 ●政府と住民の微妙な関係
 ●外部者の被災地利用

詳細については、内容をぜひお読みいただきたいのですが、かなり強く政治ファクターが入り込んでいることもあり、復興へ向けてのプロセスは予想以上に難しいものになるのではないか、と感じました。

次号(第35号)では、今後の復興プロセスにおいて起こってきそうな諸問題、我々が外部者としてどんな取り組みに対して支援するのが良いのか、ロンボク地震との比較を踏まえたうえでの考察、などについて、書いてみたいと思っています。

ロンボクも含めた今回の訪問では、被災した友人・知人たちの消息や活動状況を知ることも個人的な目的でした。幸い、今回お会いした仲間は皆、元気でいてくれて、再会を喜び合いました。

ロンボク島の被災地も、その後に起きたスラウェシ中部地震との関連で、様々な影響を受けていました。多くのロンボクの被災者は、スラウェシ中部地震の被災地のほうがずっと大変な目に遭っていると思っている様子でした。

それは、東日本大震災の時、福島の被災者が「岩手や宮城の被災者は津波で実際にたくさんの方が亡くなって自分たちよりも大変なんだ」とか、逆に岩手や宮城の被災者が「福島の被災者は原発事故の影響も加わって自分たちよりも大変なんだ」と思ったことを想起させました。

今回ロンボク島も訪れてみて、表面上の明るさの陰で、被災者の地震への恐怖や将来への不安が強くある様子がうかがえました。仮設住宅の建設など生活を取り戻す過程は始まっていますが、急ピッチで復興が進んでいる、というようなものではないという印象でした。

それでもなお、ロンボクでは「自分で何とかしていく」という態度を見ることができました。自分たちの村を自分たちでなんとかするっきゃない!という、いい意味での開き直りというか、援助を待ち続けるという態度はほとんど見られなかったのが印象的でした。

よりどりインドネシアに「ロンボクだより」を連載してくださっている岡本みどりさんのお宅も訪ねました。可愛いお嬢さんにも遊んでもらえました。

岡本さんの周りのおじさんやおばさんたちは、皆さん、互いに笑い、話をすることで、気を紛らせ、やるべきことをやれる範囲でやるという、当たり前の態度で日々の生活を少しずつでも取り戻していこうとしていました。そんな人たちに温かく囲まれながら、岡本さんも、周りの皆さんの生きる力を感じていらっしゃるのだろうなと思いました。

マカッサルで仲間と話し合ったときに出てきた大事な言葉が、「生きる力」でした。

「生きる力」を持っている人々や社会は、再生への強さを内に秘めているのだと思います。それを肯定するような、「生きる力」を強くしていけるような、被災地や被災者へのリスペクトやポジティブな働きかけを、外部者としての私たちは適切に行なって行けるとよいな、と思いました。

そして「生きる力」とそれを強くしていけるようなプラスの働きかけは、今の日本にとっても必要なことでもあるのだ、と感じるのです。

2018年11月21日水曜日

マカッサルでさっそく活動

11月20日、マランからスラバヤ経由で昼過ぎにマカッサルに到着しました。

まずは、一年以上の音沙汰のなかった、昔マカッサルに住んでいたときのお手伝いさん夫婦にいきなり会いに行きました。彼らの携帯番号がたくさん記憶されていて、どの番号なのか分からなかったからです。携帯の支払いが途切れると、自動的に、番号が使えなくなるため、放置しておくと、そうなってしまうのです。


元気そうでよかったです。このお手伝いさん、料理名人で、彼女の料理に何度助けられたことか、数え切れません。

インドネシア料理はもとより、中華料理、西洋料理、そして日本料理と何でもござれ。そばつゆは醤油とみりんでしっかり作るし、おせち料理も作ってしまいます。アメリカ風の豆のスープも絶品です。

彼女を使ってみたい方がいれば、是非、ご紹介します!!

続いて、インドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)南スラウェシ支部の皆さんと懇談しました。彼らは、日本への技能実習生OBで、今、KENJI日本語学校というものをつくり、日本語を勉強する場をつくっています。そこのカフェで色々と話をしました。


彼らの日本語はまだまだですが、もっともっと日本の皆さんとコミュニケーションをとっていきたいそうです。そして将来、日本への技能実習制度を通じて、南スラウェシにとって有用な人材育成に貢献したいという夢も持っています。

夜8時からは、カンポン・ブクという、友人のジンペ・ラフマン氏夫妻が運営する図書館で、今回、スラウェシ中部地震被災地支援で募金を送付したインドネシア海洋学士会(ISKINDO)のカマルディン氏、INSISTネットワークの実働部隊だったイニンナワ・コミュニティのアスフリヤント氏とイサック氏と会い、11時過ぎまで懇談しました。


彼らから主な活動状況を報告してもらい、現地での様々な裏話を聞くことができました。とくに、データをきちっととって支援を行うことの必要性とともに、データをとることの困難性(液状化で移動させられた住居とそこの元々の所有者との関係はどうなるのか、など)も指摘されました。

また、災害が起こったのは神の怒りだというような非科学的な言説の流布や、現パル市長の追い落としを企てる者たちによる政府批判、カイリ語の様々な地名の本当の歴史的な意味のほか、自社・自団体の宣伝のための援助物資供与競争、といった側面も指摘されました。

こうした懇談の中から現れてきた重要な言葉が「生きる力」(daya hidup)でした。メディアはどうしても災害のマイナス部分を伝えたがるが、本当に、そこでのプラス部分をもっと伝えることで、被災者の「生きる力」を助けることになるのではないか、と。

たとえば、パルなどからマムジュやピンランを通ってマカッサルへ避難する人々に対して、その街道沿いの多くの家がオープンハウスをしていたことは、ほとんど報じられていません。すなわち、多くの家が、避難者に対して気軽に立ち寄ってもらえる用意をしていたのです。食事の用意はもちろん、休息をとったり、沐浴をしたり、それを無償で提供していたのでした。

また、南スラウェシ州からはたくさんの米が被災地へ送られました。その影響で、パプアや北マルクでは米の流通量が減り、米の価格が急騰したそうです。

「生きる力」という言葉を聞いて、日本での震災後の孤独死や社会の分断のことを思いました。INSISTネットワークの仲間たちは、単に被災者を支援していただけでなく、彼らの「生きる力」をどうやって育んでいくかも意識していたのだと改めて思いました。

そしてこの「生きる力」は、震災が起こっても起こらなくても、インドネシアだけでなく、日本でも本当に必要とされていることなのだ、果たして日本はそれを応援する社会になっているのだろうか、などとつくづく考えてしまいました。

11月21日は、今から3時間後の午前4時45分に起きて、5時45分発の便で、いよいよパルへ飛びます。しばしの就寝です。

2018年11月20日火曜日

バトゥで思いがけない出会い

11月13日、友人である、日本の某大学の先生の紹介で、バトゥである農民夫妻と会うことになりました。

面会の指定場所は、カフェでもレストランでもなく、あるお店。友人の家なのでゆっくり話ができる、ということだったのですが、ちょっと不安になりました。

そのお店の場所を突きとめて、行ってみると、コピー屋でもあり、電気屋でもあり、という不思議なところでした。ますます不安になりました。

本当に、ここなのか?

店番をしている女性は私の来訪をすでに知っていて、2階へ上がるように促してくれました。

2階へ上がると、面会予定の農民夫妻がにこやかに座っていました。そして、しばらくすると、その店の主人らしいご夫婦がやってきました。

実はね、と奥さまが話し始めました。

え、と驚く自分。

なんと、奥さまは、戦後、インドネシアに残って独立戦争を戦った残留日本兵として最後に亡くなった、故アフマド小野さんの長女アツコさんでした。

アフマド小野さんは3年前に亡くなられましたが、生前にお会いしたいと思っていて、かなわずに終わっていました。まさか、こんな形でご遺族にお会いするとは。

農民夫妻とアツコさんの旦那さんは、イスラム教の先生が同じ方で、それで、日本人だということで、気を利かせてくれたようです。

その後、皆んなで色々な話に花が咲きました。




2018年11月18日日曜日

滞在許可手続が終了、いろいろ簡略化

11月12日からインドネシアに来ています。まずは、マランに滞在し、外国人暫定滞在許可(ITAS)の手続を終わらせました。イミグレに出向いて写真撮影、指紋採取をし、翌日にはパスポートが返却されました。

現在のITASは、オンラインで管理されていて、ITASオリジナルとITAS簡易版がメール添付で送られてきます。ITAS簡易版をプリントアウトし持ち歩く、または、スマホにITAS簡易版を入れてもいいのかもしれません。提示の必要があれば、そのいずれかを見せればいいのでしょう。

昔のようなカードはなくなりました。大昔、外国人暫定滞在許可証はカード式で、それを紛失したことがありました。このカードの再発行のために、イミグレや州法務局を何度も往復し、1ヵ月以上の時間を費やしました。

オンライン化された現在、ITASが紛失することはありません。万が一、プリントアウトしたITAS簡易版がなくなっても、またプリントアウトすればいいのです。そうそう、以前「ブク・ビル」(Buku Biru)と呼ばれた外国人出入国管理記録帳も必要なくなりました。

また、複数回再入国許可もITASと併せて取得できるのもよいです。以前は、複数回再入国許可は別途取らなければならなかったので、滞在許可期間と適合せずに頭を悩ませたものでした。

さらに、警察での手続も、エージェント経由で本人出頭が不要とのことでした。以前は、写真撮影と指紋採取があるため、本人が出頭する必要がありました。写真と指紋の情報は、イミグレと共有するようになったと思われます。もう、指紋採取後、トイレの前の固形石鹸で手を洗わなくてよくなったのだなあと感慨深いものがあります。

昔はいつも、暫定滞在許可カード、ブク・ビル、警察証明カード等を持ち歩いていたものですが、今は、ほとんど何も持ち歩く必要がなくなったのは、とても気楽な気分です。

まあ、しっかりとすべての省庁にオンラインで管理されていて逃げられない、という意味もあるでしょう。日本のシステムも進んでいるのでしょうが、再発行手続などで面倒極まりなかった過去のインドネシアのシステムが、地方都市のマランでも、ここまで改善されているとは、正直、驚きました。

2018年11月8日木曜日

INSISTネットワークへの第2回目送金報告と緊急向け募金終了のお知らせ

スラウェシ中部地震被災地支援のための募金にこれまで多大なご協力をいただき、誠にありがとうございました。本日(11/8)、INSISTネットワークへの第2回目の送金を行いましたので、お知らせいたします。

募金寄付者リストおよび送金証明書は、以下のとおりです。


募金は、インターネット経由のPolcaと銀行振込の二つの方法で行いました。

Polcaについては、10%が利用料として天引きされ、私の銀行へのPolcaからの振込手数料も引かれますので、実際に送金に含めた額は81,729円となりますことをご了承ください。

また、銀行振込による募金は、総額224,000円でした。

以上を合算し、305,729円をINSISTネットワークの実働部隊であるyayasan Pao Paoの口座へ送金しました。なお、送金手数料1980円は私が負担しました。

なお、INSISTネットワークから、「緊急向けの募金の受付を終了した」との連絡がありました。このような活動を行っていて、「募金の受付を終了する」と言ってくる団体は今まで他に聞いたことがありませんが、誠意をもって透明性の高い活動を行いたいという、彼らの真摯な態度の表れであると受け止めています。

彼らの現時点での活動報告がインドネシア語でFacebookページに発表されていますが、その概略を以下の通りお知らせいたします。

現状:
・現地3ヵ所に設置した詰所とイニンナワ・コミュニティ本部との調整は継続中。
・募金や寄付物品はまだ本部(の口座)へ届けられている。
・第3回目の物資送付以降は、寄付物資の送付は止まっている。
・現地3ヵ所の詰所の物資はこの1週間でまだ十分にある。
・現地3ヵ所の詰所はINSISTネットワーク以外の団体からの支援も得ている。
・避難者への支援方向は、仮設住宅建設や基本サービス改善へ移っている。
・データ分析は、シギ県の詰所からのデータ分析の遅れから、まだ終了していない。

募金・寄付(11月1日時点):
・募金受入総額:2億4810万5003ルピア
・支出総額:1億953万6377ルピア
・残高:1億3856万8626ルピア
・物資による寄付の総額は、概算で5213万5000ルピア相当。
・これら資金から、INSISTネットワークの予備資金として4300万ルピアを取る。

今後の活動について:
・第4回目の寄付物資の配送計画について話し合う。
・アセスメントを継続することが重要。
・復興段階において協力を申し出ている外部団体への回答。
・INSISTネットワークの活動・会計報告を終わらせる。
・寄付や募金の受入れを終了する。
・INSISTネットワークチームの実績評価を行う。
・INSISTネットワークによる緊急対応以外の活動を継続するか否かを議論する。

これまで、INSISTネットワーク向けの支援を続けてきましたが、彼らは今、一度立ち止まって、自らの活動の評価を行ったうえで、次のステップへどう進めるかを考え始めています。このため、彼らへの募金の呼びかけもいったん終了し、次の段階でどのような協力が可能になるか、私としてもしっかり考えていきたいと思います。

いずれまた、次の段階に即した協力への呼びかけをすることになるかと思いますが、当面は、インドネシア側の状況を見守っていきたいと思います。

とはいうものの、スラウェシ島では、10月以降も、各地でマグニチュード5級の地震が発生しており、状況を注視していく必要があると考えます。

また、8月に地震に見舞われたロンボク島でも、住民の多くはまだテント生活を送っており、決して、地震による被害を克服して正常な生活へ戻れているわけではありません。

皆様のご理解とご協力を引き続きよろしくお願いいたします。

2018年11月5日月曜日

しみずの里ブログも書いています

私の福島のオフィスは、明治6年に建てられた国重要有形文化財の古民家「佐藤家住宅」の敷地内にあります。この古民家は、庭も広くて、敷地面積は三千坪にもなります。


福島駅から車で10分足らず、飯坂電車の泉駅から徒歩3分、という街中に近いところに、こんな空間があるのは、奇跡と言えるかもしれません。

ここを何とかして守っていけないだろうか。そんな気持ちを持っています。

オーナーの佐藤さんは、この古民家の北側に今、サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」を建設中です。古民家と広い庭のある空間で、幸せを感じる暮らしをしてほしい。そんな願いからだと言います。


たしかに、この環境と空間でゆったりと老後の生活を送れるのは、すてきなことのような気がします。

そして、「しみずの里」の入居者だけでなく、近隣の地域の人々や古民家に興味を持つ人々、子どもたちや外国からのお客さんなど、様々な方々がここで交わり、幸せで楽しい気分ですごせるような、そんな場所になったらいいなあと思います。

そのような気持ちから、素人仕事ではありますが、しみずの里のホームページを立ち上げ、ブログを書き始めました。よろしければ、以下のサイトを覗いてみてください。

 しみずの里ホームページ(http://shimizunosato.com

また、ツイッターとインスタグラムも始めました。

 しみずの里(福島市)ツイッター(https://twitter.com/shimizunosato

 しみずの里インスタグラム(https://www.instagram.com/shimizunosato/

昨日は、地域の有志の方の「蕎麦と酒を楽しむ会」という催しが古民家「佐藤家住宅」であり、昼間から、美味しいお酒と打ち立ての蕎麦を楽しみました。



こんな雰囲気の味わえる、サービス付き高齢者向け住宅は、日本全国でも、あまりないのではないかと思います。

サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」は平成31年(2019年)4月のオープンを予定しており、現在、入居者を募集中です。

ご興味や関心のある方は、以下へご連絡ください。現地見学も承っています。

これからどんな空間になっていくか、していくか。とても楽しみです。

サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」開設準備室
福島市泉字清水内3
Tel. 024-563-1695