本ブログへのご質問、お問い合わせ、コメント等があれば、電子メールにて matsui@matsui-glocal.com へお送りください。

2018年4月18日水曜日

ふくしま百年基金設立発起人になりました

少し前の話ですが、4月7日、郡山市民文化センターの会議室で開催された、ふくしま百年基金設立発起人会に出席しました。


ふくしま百年基金の話は、3月7日にふくしま連携復興センターの山崎氏と斎藤さんに出会い、設立発起人となることを強く勧められました。そして、趣旨に賛同し、その場で登録用紙に必要事項を記入し、ささやかな額の出資金を払って、簡単に設立発起人になったのでした。

ふくしま百年基金とは何か。ホームページはこちらです。

 ふくしま百年基金

簡単に言えば、コミュニティ財団というか市民ファンドというか、市民の寄付によって集めた資金を市民のために使うための基金、ということになります。

ふつう、財団とかファンドとかいうと、企業のフィランソロピーやCSRの一環として、企業が収益の一部を基金とし、それを市民活動などへ使ってもらう、という形が一般的ですよね。

このふくしま百年基金は、企業の収益金を基にするのではなく、これからの福島の未来に役立ててほしいという志を持った市民の浄財を広く集め、それを福島のために貢献したい市民や団体などが活用できるしくみづくりなのです。

自分のお金を福島のために使ってもらいたいけれど、どこに託していいか分からない。他方、今後の福島のためになる活動をしたいけれども、どこから資金を調達できるか分からない。そんな両者をつなぐ仕組み、といってもいいかもしれません。

この仕組みだと、誰かが上に立って自分の思うとおりに仕切る、ということは起こらず、設立発起人の誰もが平等な同じ立場で、この基金をどのように運営していくか、率直に知恵を出し合えます。特定の誰かが牛耳ることもできない、ということも、筆者が心惹かれた要因でもあります。

なぜ百年なのか。これは、この基金が目の前のことだけではなく、自分の子どもや孫の世代にとってよりよい福島になっていくための役目を果たし続けてほしい、という願いから出たものです。

と同時に、浪江町出身の発起人の方がおっしゃっていましたが、原発事故で避難を強いられた地域が本当に復興するには残念ながら百年はかかるのではないか、という思いもそこに含まれていることを改めて思いました。

私自身は、この基金が「福島のためだけ」「福島さえよければいい」というようなものになってほしくはありません。この基金を活用した様々な市民活動が、日本の、そして世界のためにもユニークかつ有益な活動事例となり、福島発の様々な貢献につながるものになることを期待します。そして、新しいコミュニティ財団の在り方を世界に向けて提案できるような役目も果たしていければとも思います。

この基金への賛同者を増やし、規模を大きくして、様々な市民活動を促していけるように、ふくしま百年基金をじっくりと育てていかなければならないと思っています。

福島で百年の単位で有益な新たな何かを生み出したい、創っていきたい、そんなモノやコトが起こることを期待して自分もその仲間に加わりたい、と思われる方は、是非、ご賛同いただき、仲間に加わってほしいです。

4月7日現在、設立発起人は174名、寄付総額はまだ720万円にすぎません。そして、4月11日、一般財団法人ふくしま百年基金として正式に登記されました。くしくも、弊社松井グローカル合同会社と同じ設立日となり、何かの縁を感じます。

まだ設立したばかりで、どこへどのように寄付をするのがよいのか、まだインターネット上でははっきりしていないようですので、分かり次第、お知らせするようにいたします。引き続き、ふくしま百年基金にご注目ください。

2018年4月16日月曜日

著名なジャズサックス奏者MALTA氏をインドネシア大使に紹介(動画付)

ひょんなことで、4月12日、日本の著名なジャズ・サックス奏者であるMALTA氏を在日インドネシア大使に紹介する機会を得ました。


MALTA氏と言えば、1970年代から活躍してきたサックス奏者であり、間もなく70歳になる今も、もちろん第一線のプレイヤーとして、各地を飛び回って意欲的な演奏活動を行っています。同時に、東京芸術大学や大阪芸術大学で教鞭をとる一方、全国各地で若手演奏家や子供たち向けにジャズ・サックスを指導して回ってもいます。

 MALTA Official Website

その意欲的な活動を見ていると、頭が下がる思いです。生涯現役を地でいくかっこいい先輩の一人と位置づけました。

筆者はMALTA氏自身を以前から存じておりましたが、実際にお近づきになったのは、昨年11月11日、大分県佐伯市での彼のコンサートでした。そのときの模様は、過去に本ブログの以下の記事で書きました(よろしければご一読ください)。

 音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

佐伯では昨年、さいきミュージックアートクラブという市民団体ができ、音楽を通じてまちおこしを進めているのですが、その第1回コンサートの演者として、MALTA氏が登場したのでした。

大分県の一番南端、宮崎県との県境にある佐伯で、MALTA氏の知名度もさほど高くない場所にもかかわらず、コンサートは大いに盛り上がり、成功裏に終えることができました。

MALTA氏のサックスを聴いて体が元気になった、という方がいるという噂も聞きましたが、本当に、体中がスイングしながらどんどん元気になっていくような、そんなMALTA氏の演奏でした。

ちなみに、MALTA氏も佐伯が気に入った様子で、今年9月22日、再び、さいきミュージックアートクラブ主催でMALTA氏のコンサートが実現するそうです。

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そんなMALTA氏が今、インドネシアに興味を持ち始めています。とくに、新しい若手ジャズ・ミュージシャンが続々と頭角を現し、アジア有数のジャズの盛んな場所として、注目されています。

MALTA氏は佐伯でのコンサートをきっかけに、さいきミュージックアートクラブの中心メンバーの一人である山中浩氏と親交を重ね、インドネシアに日系工場を持つ山中氏からインドネシアの魅力を教えられ、さらに興味を深めたようです。

そこで、MALTA氏側から「インドネシア大使館へご挨拶にうかがいたい」という相談を筆者が受け、今回の訪問につながったのでした。

在日インドネシア大使館のアリフィン大使は我々を大歓迎してくださいました。

大使ご自身もジャズがお好きとのことで、ご自分のスマホを取り出し、昔の級友らが結成して活動しているセミプロのジャズバンドや、史上最年少でグラミー賞を獲得したインドネシア人ジャズ・ピアニストのジョイ・アレクサンダー氏(15歳)などの映像をMALTA氏にお見せしては、楽しそうに英語で会話が弾んでいました。

そうしているうちに、大使から「今、ここでサックスを吹かれないんですか」という呼びかけがあり、なんと、MALTA氏は、大使の前で生のサックス演奏までしてしまうのでした。これには、大使も本当に大喜びの様子で、書記官にサックス演奏の様子をスマホで動画に撮らせ、すぐに友人たちへ動画を送るのでした。


わずか30分の面会ではありましたが、初対面にもかかわらず、アリフィン大使に大変歓迎していただき、ここに改めて感謝の意を表する次第です。

MALTA氏は、これまでの経験に基づいた自分の演奏を通じて、日本とインドネシアのさらなる友好関係深化に寄与したいと考えており、インドネシアで演奏の機会があることを願っています。

そして、演奏の機会があれば、併せて、インドネシアの子どもたちや若者たちにサックス演奏のレッスンなどもしてみたいそうです。

MALTA氏は縁やつながりをとても大切にされる方で、一度、インドネシアで演奏できたら、次からは毎年、インドネシアで演奏を続けていきたいとのことです。実際、佐伯には、昨年に続き、今年もコンサートを開催し、「毎年佐伯へ来る」とおっしゃっています。

たとえば、9月8~9日に予定されているジャカルタ・ジャパンまつり(JJM)などに出演できたらいいのではないか、と、元JJM関係者の一人だった筆者としては、個人的に思うのですが、いかがなものでしょうか。

このような機会を通じて、日本とインドネシアをつなげようとする方々のお手伝いができることをとても嬉しく思っています。まだまだ、つなげていきますよ!

(本ブログの内容は近日中にインドネシア語ブログでも発信する予定です)

2018年4月12日木曜日

会社設立1周年を迎えました

2018年4月11日、福島市に松井グローカル合同会社という名の一人会社を設立して1年が経ちました。個人事業主は廃業し、今はこの法人1本です。会社を設立したものの、活動自体は、個人事業主時代とあまり変わらないまま、1年が経ったというのが実状です。

福島市の弊社オフィス前で咲く満開の八重桜

法人を設立して、法務局、税務署、県庁、市役所のほか、健康保険や厚生年金の手続も行い、一人会社とはいえ、法人として必要な手続を曲がりなりにも進めてきました。

まだまだ収入基盤が固まらず、企業としての安定性を作っていくのはこれからです。しかも、自分がやりたいと思っている活動は、どれもが利益第一ではないものばかりで、どのように収入基盤を固めていくのか、まだしばらくは試行錯誤を続けていくことになりそうです。

営業活動をほとんどしてこなかったことも反省材料です。でも、これは、意義のある仕事を求めながら、少しずつ増やしていきたいと考えています。

そうは言うものの、4月になって、今まで仕込んできたものが動き始めたように思えます。

まず、念願の、福島とインドネシアとをつなげる事業が、今年、少なくとも3本、動かせそうです。分野としては、それぞれ農業、教育、文化に関係します。40年ぶりの福島出戻り組として、福島の外の世界への窓としての役割を自覚し、福島に新しい価値を付加できるように活動していきたいと思います。

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングも開始します。幸運にも、福島や東北に所在するインドネシア人技能実習生ネットワークやインドネシア人の方々と知り合い始めており、より有意義な活動を展開していく基礎ができ始めました。

インドネシア人技能実習生の関連では、ほかにも、ある日系企業と組んで、活動する計画があります。詳細が固まっていくなかで、またお知らせできると思います。

地域づくりや地域おこしに関する活動にも、関わっていきます。地域の方々自身が自分たちの足元を見つめ、主体的に地域に関わっていけるような気づきを促す、教えないコンサルティングに磨きをかけていきます。

そのほか、福島以外の日本の地方とインドネシアの地方とをつなげる事業にも関わります。ただ単につなげるだけではなく、そのつながりから創り出されるモノやコトの価値を意識しながら、つなげた後も、しっかりとサポートしていきたいと思っています。

当面は一人で活動していきますが、状況次第では、社員を雇用することも考えていく必要が出てくるかもしれません。また、日本、インドネシア、その他世界の他社と組んで、事業を行っていくことも、考えていきたいです。

なお、福島の弊社と同じ敷地内にある古民家の活用について、様々な人々が安心して活用できる、福島市のパブリック・スペースとして、整えていく考えです。私自身も、いくつかイベントを考えていますが、皆さんのなかで、古民家を使ったイベントや活動をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。

そんなわけで、1年前よりも、色々わくわくするような展開になりそうな予感があります。まだまだヨチヨチ歩きではありますが、皆様からのご指導・ご鞭撻、そして協働のほどをよろしくお願い申し上げます。

面白いこと、楽しいことをしていきたい、です!



2018年4月8日日曜日

よりどりインドネシア第19号を発行

4月8日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第19号を発行しました。以下のサイトにて、読者登録のうえ、ご覧いただけます。

 よりどりインドネシア第19号

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを日本社会にもっと知ってもらうことを目的に、毎月2回、私が発行しているウェブマガジンです。

今回の「よりどり」は、以下の4本です。

大統領選挙とスクマワティの詩の波紋(松井和久)
スカルノ初代大統領の娘であるスクマワティの読んだ詩が政治的な波紋を呼んでいます。その顛末を説明しました。

スラバヤの新バスは運賃をゴミでも支払える(松井和久)
公共交通機関が退化した町スラバヤ。4月に運行を開始する新バスは運賃をゴミでも支払える!?どういうことなのでしょうか。



ロンボクだより(6):「恋人と一緒に登っていいですか?」(岡本みどり)
今回の岡本みどりさんのロンボクだよりは、恋人とリンジャニ山へ登れるかという問題です。



ソロのナシ・リウェットの思い出(松井和久)
ソロの名物ナシ・リウェット。スラバヤ行きの列車に乗る前に、何とか味わえた経験談を書きました。



「よりどりインドネシア」は、ウェブサイトからクレジットカードにて読者登録いただく方法以外に、銀行振込も可能です(6か月分または1年分まとめてのお支払いとなります)。銀行振込の場合は、毎回、PDF版を指定メールアドレスへ送らせていただきます。請求書、領収証も発行いたします。

また、皆さんからの「いくつものインドネシア」に関する原稿の投稿も募集しております(薄謝ですが原稿料もお支払いします)。

なお、第0号から第18号までのバックナンバーは、こちらからご覧いただけます。

 バックナンバー


引き続き、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。

2018年4月1日日曜日

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います

以下のとおり、技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います。

<想定される対象>

すでに技能実習生を活用している事業者、これから活用を考えてみたいと思っている事業者、あるいは、技能実習生を海外から受け入れて事業者へ彼らを派遣している監理団体、などを対象とします。製造業だけでなく、農林水産業なども対象とします。

なお、筆者の専門性を鑑み、対象はインドネシア人技能実習生とします。

福島在住のインドネシア人技能実習生との懇談(2017年11月18日)

<どのようなコンサルティングを行うか>

主に、次の4点を中心としたコンサルティングを行います。長年にわたって、地方を含むインドネシアと関わり、かつ日本や開発途上国の地域づくりや地域産業振興を見てきた筆者ならではの、他とは違うコンサルティングをご提案します。

2018年3月29日木曜日

奥会津をまわりながら考えたこと

先週、奥会津の只見、金山、三島、柳津とまわりましたが、それぞれに個性が違っていて、とても興味深いものがありました。

東京23区よりも広い面積の只見町は、「自然首都」と宣言し、ユネスコエコパークの認証を得て、全国有数規模のブナの原生林をも生かしたまちづくりを進めています。

只見ブナセンターが運営する「ただみ・ブナと水のミュージアム」(下写真)は、只見の自然を理解するのにとても有用な場所で、展示もなかなか見ごたえのあるものでした。なかでも、熊などの狩猟具や昆虫標本、生活民具などの展示は本当に充実していました。


金山町は、天然炭酸水が湧き出す町で、全国有数の炭酸泉の温泉がいくつもあります。この炭酸水は瓶詰めにして売られていて、飲むと微炭酸のとても美味しいものでした。今回は行けませんでしたが、大塩地区には炭酸水が湧き出す井戸があり、そこで汲んだ炭酸水の美味しさは言葉にできないほどだそうです。


三島町の中心にある会津宮下駅を降りると、下のようなボードがありました。


2017年12月以来の外国人観光客がつけたシールですが、台湾からの観光客が圧倒的に多く、その次が香港、そしてタイが続きます。こんなに来ているんですよ!びっくりです。

2018年3月23日金曜日

よりどりインドネシア第18号を発行

3月23日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第18号を発行しました。以下のサイトにて、読者登録のうえ、ご覧いただけます。

 よりどりインドネシア第18号

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを日本社会にもっと知ってもらうことを目的に、毎月2回、私が発行しているウェブマガジンです。

今回の「よりどり」は、以下の4本です。

議会法改正と刑法改正案をめぐって ~インドネシアの民主主義も後退するのか~(松井和久)
改正議会法と刑法改正案がインドネシアの民主主義を後退させるのではとの懸念が出ています。その背景を解説しました。


ウォノソボ・ライフ(3) キャッサバ七変化(神道道子)
神道さんの連載「ウォノソボ・ライフ」、今回はウォノソボでフツーに食べられているキャッサバを使った食品のあれこれを紹介しています。


ムルヨアグン村のゴミ処理場(松井和久)
東ジャワ州のある村への視察団が絶えません。村を変えたごみ処理施設を見学するためです。それはどんなものでしょうか。


ゴロンタロ=マナド10時間の旅(松井和久)
以前、スラウェシ島北部、ゴロンタロからマナドまで陸路10時間の旅をしました。忍耐を求められる旅でした。


「よりどりインドネシア」は、ウェブサイトからクレジットカードにて読者登録いただく方法以外に、銀行振込も可能です(6か月分または1年分まとめてのお支払いとなります)。銀行振込の場合は、毎回、PDF版を指定メールアドレスへ送らせていただきます。請求書、領収証も発行いたします。

また、皆さんからの「いくつものインドネシア」に関する原稿の投稿も募集しております(薄謝ですが原稿料もお支払いします)。

なお、第0号から第18号までのバックナンバーは、こちらからご覧いただけます。

 バックナンバー

引き続き、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。

2018年3月19日月曜日

奥会津にはまり始めたかも

3月20日に会津柳津の花ホテルで講演する前に、同じ奥会津の只見町、金山町をまわっています。主催者から、講演のテーマに只見線のことを入れてほしいと言われており、まずは、只見線に乗らなければ、と思った次第です。

そこで、3月18日、まず、小出から只見まで、只見線に乗りました。今回の車両は2両編成、1両は「縁結び」をテーマとしたラッピング車両でした。



この日は東京から新幹線を使わず、在来線乗継で小出まで来たのですが、水上あたりから雪が見え始め、清水トンネルを過ぎたら、本当に雪国でした。小出駅でも、除雪した雪が高く残っていました。



2018年3月18日日曜日

福島~浜通り~宮城県南部をまわる(3)

3月9日は、相馬市を朝出発し、宮城県に入って山元町、亘理町、名取市閖上、仙台市荒浜、仙台市中心部、とまわりました。

山元町では、みんなのとしょかん山元を訪問しました。雨風が強い中、みんなのとしょかんの隣にある大きなビニールハウスの中では、大勢の方々が3月11日に灯す竹灯籠の準備をされていました。この竹灯籠は、今回のツアーを企画したまち・コミュニケーションが神戸での経験をもとに山元町へ伝えたものだそうです。




2018年3月17日土曜日

福島~浜通り~宮城県南部をまわる(2)

3月8日。朝、福島市を出発し、飯館村に新たにオープンした道の駅いいたてに立ち寄りました。ここで、岩手県、宮城県から南下してきたもう1台のグループと合流しました。

道の駅いいたては、木材をふんだんに使った新しい建物で、入口に掲げられた村の人々一人一人の大きな笑顔の写真が印象的でした。



道の駅いいたてを出発し、南相馬から常磐自動車道を経由して、浪江町へ。メディアからすれば、浪江町で避難指示解除があった今年は「浪江の年」になりそうです。

2018年3月15日木曜日

福島~浜通り~宮城県南部をまわる(1)

先週、3月7~9日は、友人である神戸・まちコミュニケーション専務理事の宮定章さんとその仲間たちと一緒に、福島市、飯舘村、浪江町、南相馬市小高区、相馬市、山元町、名取市閖上、仙台市荒浜と、駆け足でまわりました。

福島県福島市出身で1年前にあえて福島市に一人会社を登記し、自分では、遅ればせながらの出戻りと思っていますが、福島市のある中通りの人間にとっては、同じ福島県でありながら、浜通りや会津は違う世界、という感覚があります。

福島県は、山々に隔てられる形で、会津地方、中通り、浜通りの大きく3地方に分かれていますが、それもあってか、福島県として一体感を感じることは、正直、あまりなかったように思います。

7年前の震災・原発事故と、それに伴う大規模な強制・自主避難のなかで、浜通りの方々を中通りや会津地方の方々が受け入れる、という事態が起こりました。もちろん、全国すべての都道府県が避難された方々を受け入れてくださっているのですが、福島県内でそのような事態が起こったのはもちろん初めてでした。

それに加えて、福島という言葉にまつわる様々な誹謗中傷、偏見や差別が起こるなかで、福島という同じ名前を背負った会津地方、中通り、浜通りは、「自分は違う」として他の二つの地方を見捨てるようなことはできなくなりました。そうした境遇が、おそらく初めて、三地方が福島県としてまとまりを意識する契機を作り出したのではないか、という気がします。

そんなことを思いながら、宮定さんの「ツアー」に同行しました。

3月7日は、まず、三春町にある福島県環境創造センター交流棟(コミュタン福島)を見学しました。



2018年3月13日火曜日

岩手日報の「大切な人を想う日」

岩手日報が、3月11日を「大切な人を想う日」に、という取り組みを始めています。賛同する人に署名をしてもらう、というささやかな運動です。以下のページを覗いてみてください。そして、賛同されるなら、署名をしてみてください。

 岩手日報:3月11日を「大切な人を想う日」に

このページには、「最後だとわかっていたなら」という動画が3本掲載されています。大槌町の「風の電話」の話も含まれています。心に響きます。

突然何かが起きて、明日が来なくなるかもしれない。

同じ明日が来ることを当たり前に思っていた私たち。

震災という現実を前に、それまでの人生と大切な人たちとの関係を考えると、たとえ自分だけが生き延びたとしても、強い後悔と深い自省に苛まれ続けることになります。

それが自分にはどうすることもできない不可抗力だったとしても。自分はただ真面目に生きてきて、何の罪もないとしても。

明日は来ないかもしれない。だから、今の一瞬一瞬を大事に生きていく。いつこの世が終わろうとも、悔いのない人生を歩んでいく。あのとき、多くの人がそう思い、生き方を変えようとしたのだと思います。

そして、大切な人のことをもっともっと愛そう、いとおしく思おう、やさしく接しよう、そう誓ったのだと思います。

でも、実際には、私も含めて、その誓いを意識し続けられたのか、と振り返って思います。私自身、ともするとそれを忘れ、世の中の忘却の流れのなかの一部になっていたような気がします。

この世に生まれたこと、今生きていること、大切な人のことを想えること。それらが当たり前に見える奇跡なのだ、ということを忘れてしまうのです。

岩手日報のささやかな運動は、そんな自分を戒めてくれたような気がします。

でも、3月11日だけ大切な人を想うのではなく、この3月11日から「大切な人を想う日」を毎日にしていくことを自分に決めました。

昨日、寺田尚子さんの「カッチーニのアヴェ・マリア」の生演奏を聴きながら、そう決めました。

もし、私が不機嫌な顔をしていたらごめんなさい。不躾な態度だったらごめんなさい。もし私がそうだったら、遠慮なく指摘してください。

今日出会った人、明日出会う人、来週出会う人、そして毎日のように会う家族。

真剣に生きているのか、と自分に問いながら、当たり前の奇跡を意識した毎日をすごしていく。

そんな決意を自分なりにした今年の3・11。



2018年3月12日月曜日

7年目の3月11日、佐伯で寺井尚子コンサート

3月7~9日は、神戸の震災復興を支援してきたNPO法人の友人らとともに、福島から浪江、小高、相馬、山元、閖上、荒浜、仙台とまわりました。3月10日に福島でのシンポジウムに出席した後、11日は大分県佐伯市へ飛びました。

友人らとまわった話は、別途、このブログに書きたいと思います。

そう、今年の3月11日は、東北で過ごしませんでした。大分県佐伯市へ行った目的は、さいきミュージック・アートクラブが主催する「寺井尚子コンサート」に出席するためでした。

高速バスで佐伯に着いたのが午後2時。ホテルへチェックインし、午後2時46分、ホテルの部屋で黙とうしました。これまで毎年、インドネシアにいるときは時差を考慮しながら、この時間に必ず黙とうしてきました。

部屋で黙とうしようとすると、突然、サイレンが鳴り始め、それは1分間続きました。東北から遠く離れた佐伯市でも、サイレンが1分間の黙とうを市民へ促しているのでした。

街中を歩くと、地元の高校に掲げられた国旗は半旗でした。

東日本大震災を忘れまい、という気持ちは、まだそれなりに強くあるのかもしれない、と信じたくなりました。

寺井尚子コンサートですが、さいきミュージック・アートクラブが昨年、招聘を計画してから、このジャズ・バイオリニストの名前を知りました。そして、何曲か聴いて、はまってしまいました。

とくに、「トワイライト」というアルバムの1曲目の「ブエノスアイレスの冬」を聴いて衝撃を覚え、そのメロディーが頭の中から離れなくなってしまいました。

その後、しんしんと雪の降るとある日に、さいきミュージック・アートクラブの友人が薦める「カッチーニのアヴェ・マリア」を聴いて、鳥肌が立ってしまいました。

そんな寺井尚子を生で聴く機会なのでした。自分では、彼女の音楽のなかに、震災で亡くなられた方々への鎮魂や残された方々への励ましを勝手に感じていたのです。


実際のコンサートは、すごくパワフルなものでした。佐伯という地方都市だから手加減するということはなく、彼女の超絶技巧のバイオリンが、ピアノやベースやドラムと掛け合いながら、アドリブが際限なく続く、まさに真剣勝負のセッションでした。

録音された同じ曲でも、実際に生で聴くと、そのセッションの激しさがガンガンに響いてくるのでした。

後半になって、それまでのアップテンポな激しいセッションが続いた後、突然、静かに、そしてしんみりと、「カッチーニのアヴェ・マリア」が始まりました。

最初のバイオリンの入りの絶妙さ。単なる悲しさや寂しさや苦しさとは違う、いや、むしろそれらが複雑に被さり合い、混ざり合い、折り込み合っているような、何とも言葉に表せないような音色。

聴きながら、頬を涙が伝って落ちていきました。びっくりしました。初めての経験でした。

いろんなものやことを思い出していました。それは映像で観たものもあれば、かつて2012年に自分の目で見たもの、つい数日前に現場でお会いした方々と彼らが話してくれたお話、そして震災の前年に亡くなった父のことも。そしてそれらが混じっていきました。

コンサートでこんな気分になるなんて・・・。自分でも信じられない経験でした。

コンサートが終わった後、寺井尚子さんを囲んでの懇親会・ご苦労さん会が小さな洋食店でありました。ちょうど、今日11日が誕生日の出席者がいたのですが、寺井尚子さんはいきなりバイオリンを取り出し、ハッピーバースデーを弾き始め、弾きながら席の合間を歩き始めました。本人にとっては、超感激な誕生祝となりました。

私はどうしても寺井尚子さんに訊ねたいことがありました。3月11日に行うコンサートのどこかに、3・11への思いが込められていたのか、と。

幸運にも、彼女から直接答えがありました。3・11とあえて口には出さなかったけれども、震災の日だということに思いを込めて演奏していた、と。

彼女の音楽のなかに、震災で亡くなられた方々への鎮魂や残された方々への励ましを勝手に感じていた自分でしたが、それは寺井尚子さんに通じていたのでした。

魂を揺さぶる音楽。自分が最も大事にしている奥底に触れてくるのでした。それは、彼女の超絶技巧のバイオリンだからなのでしょうか。

生で聴いた彼女の「カッチーニのアヴェ・マリア」の衝撃を、当分、忘れることはないでしょう。5月の新アルバムのリリースが待ち遠しくなりました。

2018年3月5日月曜日

東北家族会でインドネシア人技能実習生と交わる

3月4日、宮城県塩釜市で行われた「東北家族会」に参加してきました。


「東北家族会」というのは、東北地方に居住するインドネシア人技能実習生の親睦団体。インドネシア語ではKeluarga Tohokuと呼ばれています。

「東北家族会」は当初、わずか8人でスタートしたのが、現在の会員数は約500人。4日のイベントに参加したのは170人ほどでした。女性の姿も目立ちましたが、彼女らは、気仙沼や塩釜などの水産加工場の研修生でした。

イベントの中身ですが、まず、神への祈りから始まり、塩釜にいる女性会員たちの踊りのアトラクションが続きます。



その後は、3年間の研修期間を終えて帰国する研修生への記念品の贈呈など。


記念品の贈呈が一通り終わると、昼食。インドネシア人技能実習生OGが日本人の旦那さんと経営するケータリング屋さんの弁当でした。


昼食と礼拝の休憩の後は、新しい「東北家族会」の代表を選ぶ選挙が行われました。候補者は2人で、顔写真と公約の書かれた投票用紙が配られ、インドネシアの選挙と同じように、そのどちらかを添付された爪楊枝で刺す、という形で投票が行われます。

そして、開票。インドネシアの選挙と同じように、2陣営と選挙委員会からの計3人の証人が爪楊枝で刺された穴の位置を確認し、それを他の人にも見えるようにします。


新代表が選ばれ、新代表による決意表明が行われた後は、閉会あいさつの後、お楽しみタイム。壇上でダンドゥットが始まり、会場内の至る所で出席者が勝手に踊り始めます。


ひとしきり楽しんだら、全員で会場内の清掃を始めました。


会場をきれいにして、散会。皆さん、とても楽しそうでした。

* * * * *

今回、このイベントが行われたのは、塩釜市杉村惇美術館という場所です。イベントの合間に、館内を少し探検してみました。

静物画を得意とする塩釜ゆかりの画家・杉村惇氏の作品が展示されているほか、彼のアトリエが再現されたコーナーもありました。



杉村惇美術館の建物は、もともとは塩釜市公民館で、丘の上に立つ、ユニークな形の古い建築物です。




2011年3月11日、この丘のすぐ下まで津波が押し寄せた、ということでした。

こんな素敵な建物で、「東北家族会」のイベントが開かれていたのが、何とも言えず、印象的でした。

* * * * *

東北地方に居住するインドネシア人技能実習生が、「東北家族会」のような形でまとまっていることに感激すると同時に、彼らにとってその存在がいかに心強いかを感じました。

そして、彼らを支える日本人や地元の方々の存在も知りました。宮城県国際交流協会の方ともお会いしましたが、同協会は、彼らと地元の方々との交流と共生、地域づくりへの協働を本気で促進しようとしている様子で、個人的にとても嬉しく思いました。

イベント終了後、参加者と一緒に、塩釜から仙台へ移動し、仙台駅で、「東北家族会」の中心メンバーであるW氏やY氏らと2時間ほど色々な話をしました。

筆者も、東北地方に居住するインドネシア人技能実習生に寄り添う活動を、彼らと一緒に行なっていける確信を持てました。筆者が考えていたことは、まさに彼らが必要と感じていたことでした。

今後、「東北家族会」と関係を密にしながら、技能実習制度を本物にしていくための取り組みを、一歩一歩進めていきたいと思います。その具体的な内容については、別途、説明していきたいと思います。

2018年2月27日火曜日

福島市のホッとするブックカフェ・コトー

先週、インドネシア人作家のリリ・ユリアンティさんを連れて福島を案内したのですが、前々から気になっていたブックカフェ・コトーへ行ってきました。

コトーの場所は、新浜公園のすぐ近く。筆者が小4~高1まで住んでいた場所(今や当時の家の面影も何も全くない)から歩いて5分もかからないところにありました。そう、子どもの頃の私にとっては庭みたいな場所です。

ちょっと古ぼけた二階建ての建物の2階に、コトーはひっそりとありました。

階段を上がって中へ入ると、子ども向けの本から美術書まで、面白そうな本が並んでいます。選者のセンスの良さを感じさせるラインアップでした。


寒い外からストーブで温かな空間、とても居心地のよい空間でした。リリさんとコーヒーを飲みながら、しばし読書談義をしているうちに、いつしか、店主の小島さんも話に加わり、誰も他にお客さんがいないのをいいことに、色々な話をしました。


ここの本はみんな買取で、すべて販売している本です。言ってみれば、古本屋さん。小島さんに言われて気づいたのですが、福島市内には古本屋が見当たりません。人口30万人の街にある唯一の古本屋なのかもしれません。

もっとも、今や、古本はブックオフやアマゾンで売買すればよいから、古本屋は必要ないと割り切る向きが多いのかもしれません。それもまた、全国の地方都市で地元の本屋がどんどんなくなっている現象と軌を一にするものでしょう。

本屋はただ単に本が置いてあるのではなく、そこに様々な本がある偶然、自分には思いもしなかった本と出会う偶然、そんな偶然が起こる場所であり、そんな偶然が自分では思いもしなかった新しい自分や何かを生み出していたのかもしれません。

地方都市にとっての文化って、いったい何なのだろうか?

効率や損得が第一のような風潮のなかで、敢えて、古本屋という媒体を通じて急く時間を止め、様々な偶然が生まれて浸み込んでいく時間と空間を提供している場所。そんな場所を求めている人々がこの福島にもいるということに、自分勝手ではありますが、ものすごく救われた気分になりました。

そして、こんな場所が福島市内のあちこちに生まれたら、もっと素敵な町になっていくなあ、と思いました。

小島さん、またお邪魔します。自分も、そんな場所を作ってみようかな?

文化をつくるって、きっと、こういうことから、じわじわ、ゆるゆると始まっていくのかもしれません。