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2018年8月16日木曜日

今年もカカオツアーのお手伝いをします

筆者の毎年の恒例行事の一つが、8月のカカオツアーです。京都の(チョコレート屋というよりも)カカオ屋のダリケー株式会社が企画する、カカオ農園訪問ツアーのお手伝いをしているのです。

2014年から始まり、今年で5回目になりますが、筆者は、ダリケー株式会社のアドバイザーとして、毎年、日本からのチョコレート愛好者や学生さんなどを、西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県へお連れしています。


このツアーの最大の売りは、カカオ農家とチョコレート消費者との出会い、です。

私たちはチョコレートを食べますが、その原材料のカカオがどういうもので、どのような工程を経てチョコレートになるかをよく知っているわけではありません。いわんや、カカオを作っている農家さんの様子を具体的に想像できる人は、決して多くないと思います。

一方、カカオ農家さんは、カカオを栽培して収穫し、商人に売るところまではわかりますが、それがどのような商品になり、どのように消費しているか、想像できない方がほとんどです。自分のカカオがチョコレートになると言っても、ピンとこないのが現状です。

そこで、両者をつなげて、カカオからチョコレートになるまで、どんな風になっているのかを、オープンにわかってもらうのがいいだろう、と考えたわけです。

日本のチョコレート愛好者や学生が、ポレワリのカカオ農家の農園を直接訪れ、カカオの木はどんなものなのか、どのように実がなるのか、実の中はどうなっているか、カカオの木の生えている土はどんな状態か、などなど、現場で実際に観察します。

自分が大好きなチョコレートが、こうしたカカオから始まっていることが実感できます。

そして、ツアー参加者には、カカオを作ってくださっている農家の方々への尊敬と感謝の念が湧いてきます。

一方、カカオ農家の側はどうでしょうか。

カカオ農家にとって、自分の作ったカカオがチョコレートというものになって、それが大好きな人々が日本から来てくれている、しかも「ありがとう」と言ってくれる。それが、とても嬉しいのだそうです。

そして、カカオ農家は、土づくりや発酵プロセスに十分配慮した、より良いカカオを作ろうとするモティベーションが上がる、ということです。

昨年からは、ツアー参加者が地元の小学生と一緒に、素朴な方法で、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップも始めました。グループに分かれて競争することもあり、このワークショップがとにかく盛り上がります。

地元の小学生の親の多くは、カカオ農家です。でも、カカオがどうやってチョコレートになるかを知ることはありませんでした。

多くのカカオ買い付け業者やチョコレート製造者は、カカオ農家にはカカオさえ供給して貰えばよく、チョコレートになるまでの過程を知ってもらおうとする理由はありませんでした。

このツアー参加者が地元の小学生とチョコレート作りを体験することで、カカオ生産地の子どもたちが最終製品を知るという、とても大事な変化を起こし始めることができたと思います。

こうした体験をする小学生が増えていった暁には、カカオ農家の子どもから世界的なショコラティエが生まれる、そんなことを実現させてみたい、と本気で思っています。

今年は、どんな相互化学反応を起こすカカオツアーになるでしょうか。

今年のツアーに参加できなかったあなた、ぜひ、来年の8月にはこのツアーに参加してみてください。

なお、毎年連続で参加されても、必ず新しい何かがありますので、マンネリにはなりませんよ。

そして、このツアーを通じて、カカオ農家の家ごはんがこんなに美味しいのか、という驚きも必ず生まれます。

今年のツアーの様子、できるだけお知らせするようにしたいと思っています。乞うご期待。

ツアーではこんな状況にもなります。
何が起こっているのやら。お楽しみに。


2018年8月11日土曜日

インドネシアの正副大統領候補ペア決定、その人物像は?

2018年8月10日、来年のインドネシア大統領選挙に立候補する正副大統領候補ペア2組は、正式に選挙委員会(KPU)へ届出をしました。今回は、とくに、副大統領候補の人物像について書いてみたいと思います。

インドネシアでは、2014年から有権者による直接投票で大統領を選ぶ直接選挙が5年ごとに行われています。また、立候補は、大統領候補と副大統領候補のペアとしての立候補になります。

さらに、実際の次の大統領選挙は来年、2019年4月17日に投票が行われます。今回からは、国会(DPR)、地方代議会(DPD)、州議会(DPRD Provinsi)、県議会(DPRD Kabupaten)/市議会(DPRD Kota)の議会議員選挙も同じ投票日の統一選挙になりました。

前回(2014年)までは、議会議員選挙が終わってから大統領選挙となるため、議会議員選挙の結果を見ながら立候補者を選べたのですが、今回からは、一年近く前に決めることになりました。

今回、立候補を届け出たのは、ジョコ・ウィドド大統領候補(現職)=マルフ・アミン副大統領候補のペアと、プラボウォ・スビアント大統領候補=サンディアガ・ウノ副大統領候補のペア、の2ペアです。この両者の一騎打ちとなる見込みです。

大統領候補は、ジョコウィとプラボウォという、前回2014年選挙と同じ対決となりましたが、副大統領候補は新顔です。どんな人物なのでしょうか。

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現職のジョコウィと組むマルフ・アミンは、いわば、最高位のイスラム指導者という立場の人物です。イスラム知識人の集合体であり、イスラムの教義に基づいたファトワ(布告)を出し、ハラルか否かを決定する機関である、インドネシア・ウラマー評議会(MUI)の最高指導者であるとともに、イスラム社会団体として国内最多の会員数を持つナフダトゥール・ウラマ(NU)評議会議長(Rais Aam)を務めています。

一方、グリンドラ党のプラボウォ党首と組むサンディアガ・ウノは、現在、ジャカルタ首都特別州副知事を務めていますが、かねてから有望視されてきた若手実業家で、サラトガ・グループなどの総帥でした。ジャカルタの州副知事に就任してから、わずか7カ月で辞職し、副大統領候補となりました。プラボウォと同じグリンドラ党の幹部でもあります。

すでに報じられているように、近年、インドネシアではイスラムの政治利用と過激なイスラム思想の浸透が大きな問題となってきました。

これまで、ジョコウィ政権は、多数派であるイスラムの利益を軽視しているとして、たびたび非難されてきました。先のジャカルタ首都特別州知事選挙では、キリスト教徒のアホック前知事がイスラム教を冒涜したとの容疑をかけられ、数万人のイスラム教徒を動員したデモ等で圧力をかけられ、アホックは落選し、しかも有罪判決を受けて刑務所に収監されました。

アホックは、ジョコウィが大統領就任前にジャカルタ首都特別州知事だった時の副知事であり、アホックへの批判はジョコウィへの批判でもありました。

ジョコウィにとって、こうしたイスラムの政治利用を軽く見ることはできないという判断になり、次期副大統領候補は、イスラム教徒票をまとめられる人物でなければならないという判断になったようです。そして、おそらくそのためには、今、最も安心できる候補として、マルフ・アミンを選んだのでした。

他方、プラボウォは、そうしたイスラムの政治利用を通じて、ジョコウィと対決しようと動いてきました。実際、アホックを蹴落とす大勢のデモは、プラボウォを支持する者たちによって主導されました。今回も、副大統領候補を決める前に、イスラム指導者たちを集めて、副大統領候補に誰がふさわしいか、推薦させるという手法を使いました。そして、2名のイスラム指導者が候補として上がりました。

ところが、プラボウォはその2名のイスラム指導者ではなく、同じグリンドラ党の幹部であるサンディアガ・ウノを副大統領候補に決めました。巷では、サンディアガ・ウノが選挙資金提供を申し出たという噂が流れており、前回同様、選挙資金確保に苦しむプラボウォにとっては、資金のないイスラム指導者よりもサンディアガ・ウノを選好した、というふうに見られています。

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ここに、非常に面白い対照、反転が見られます。

すなわち、イスラムからの批判を受けそうなジョコウィ側がマルフ・アミンを副大統領候補とし、むしろイスラムを政治利用して得票を確保しようとする一方、これまでイスラムを政治利用してジョコウィを貶めようとしてきたプラボウォ側が、推薦されたイスラム指導者ではなく自党の元実業家サンディアガ・ウノを副大統領候補にする、という展開だからです。

イスラムをシンボルとして使うのは、当初からそうしてきたプラボウォ側ではなく、ジョコウィ側、という反転です。

ここで、さらに興味深い疑問があります。二つ挙げておきます。

第1に、マルフ・アミンは、実は、アホックを貶めたイスラム教徒動員デモの首謀者の一人なのです。彼がトップのMUIは、「アホックがイスラム教を冒涜した」と見なしました。あのデモは、アホックの先にジョコウィを見据えていました。すなわち、本丸はジョコウィだったのです。その彼が、なぜ今、ジョコウィと組むのでしょうか。

第2に、サンディアガ・ウノはもともと、政治にはほとんど興味を示さない実業家でした。ところが、2015年に突如、グリンドラ党へ入党し、政治の世界へ入ります。そして、すぐにジャカルタ首都特別州知事選挙へ副知事候補(当初は知事候補でした)として立候補して当選します。なぜ彼は政治の世界へ入り、プラボウォとタグを組んだのでしょうか。

これらについては、今、色々と調べていて、いくつかの面白い事実がわかってきました。ここではまだまとめきれませんが、それも含めて、次の、8月22日以降に発行予定の情報マガジン「よりどりインドネシア」第28号(有料)のなかで、今回の正副大統領候補決定の背景について、詳しく述べてみたいと思います。

2018年8月4日土曜日

「さん」づけで呼び合った時代を懐かしむ

大学を卒業して就職したのは、政府系の研究機関でした。この職場で、筆者はインドネシア地域研究のいろはのいから手ほどきを受け、20年以上奉職しました。

この職場は、とても素晴らしい職場でした。何より、新人だった筆者を、20年選手、30年選手が「さん」づけで呼んでくださるのです。そして、新人の筆者にも、研究者として実績を積んだ著名な大ベテラン研究者を「さん」づけで呼ぶように促されたのでした。

また、そこでは、誰がどの大学の出身かは問われることはなく、学閥のようなものは見えませんでした。

さらに、男性でも女性でも、職場での役割の違いはほとんど見当たりませんでした。お茶くみなんて言うものは当然ないし、「男だから」「女だから」といったことを耳にすることはありませんでした。筆者自身も、仕事上の男女の違いを感じることはありませんでした。できる人はできる、という当たり前の感覚しかなかったのです。

年齢や性別の違いや出身大学などを意識することなく、誰もが「さん」づけで呼び合う職場でした。

「さん」づけで呼び合うということは、年齢や性別の違いを意識せず、互いを一人の人間として尊重し合うことの現れだと思います。若造だけど存在が認められている、という安心感がそこにはありました。

本当に、それだけで、素晴らしい職場だと思いました。

そして、2000年代に入って、職場の何かが大きく変わり始めました。

それは、人事評価・業績評価が導入されてからでした。上司と部下、という明示的な関係が職場に持ち込まれたのです。上司と部下なくして、人事評価・業績評価は成立しないのです。

人事評価・業績評価が導入されてから、誰もが「さん」づけで呼び合う、ということはなくなっていきました。「部長」「課長」「グループリーダー」といった役職名で呼ぶようになりました。皆が上と下を意識するようになりました。

筆者は、決して人事評価・業績評価を否定するわけではありません。何のために人事評価・業績評価を行うのかさえ忘れなければ、です。

筆者を「さん」づけで呼んでくださった数々の先輩方のことを一人一人思い出します。今でもお会いすると、同じように「さん」づけで呼んでくださいます。そのことを、とてもありがたいことだとつくづく思うのです。

今も、そしてこれからも、あの「さん」づけで呼び合ったかつての職場のことを懐かしみつつ、大切な人生の美しい思い出として大切にしていきます。

2018年7月31日火曜日

無駄の有駄

昨今の耳を疑うような「生産性」云々の話にうんざりしながら、中学校のときに大好きだった教頭先生が卒業文集に寄せてくれた言葉を思い出しています。

それは、無駄の有駄。

一見、無駄に見えることのなかに、意味がある。無駄であることに意味がある、ということを、教頭先生ははなむけの言葉にしてくださったのでした。

無駄をなくすことが生産性を高め、効率の良い社会を作る。それが世の中の進歩である。当時は、まだ高度経済成長の影が残り、世の中はどんどん進歩していける、と信じていたかもしれない70年代の後半でした。

ジャスト・イン・タイムが良しとされ、進歩の速さに乗り遅れた人々は「落ちこぼれ」とされ、その速さに乗っていくことがよい生活を実現させるために必要だ・・・。

日本社会が右肩上がりでなくなってからも、いやだからこそ、以前よりももっと無駄をなくして、効率を上げて、生産性を高めるために、一段とギアを高くしなければならない・・・。

そんな風に信じている人々が、実は少なくないのかもしれません。

無駄をなくすために取り入れられた様々な技術。パソコン然り、ケータイ然り、ジャスト・イン・タイム然り。それによって、仕事が効率化し、生活にゆとりが生まれ、人間らしい生活を送ることができる、って、技術が導入された最初の頃は信じていたように記憶しています。

でも、その結果は・・・

原稿を書いて締切日必着にするには、5日前には書き上げ、郵送しなければならないから、逆算すると、1ヵ月前ぐらいから取り組まなければならないかな、という時代がかつてありました。

今や、締切日の夕方までにメール添付で送ればいいからと、ギリギリまで粘れます。

そして、すぐにインターネットで処理できるからと、仕事の量はどんどん増えていくのでした。しかも、人事評価やら業績評価やら、書類の種類がどんどん増え、会議の回数がどんどん増え・・・。その一つ一つは、無駄をなくし、効率的に事務処理されたもの。

でも、それを鳥瞰的に見ると、無駄を省いた効率的な事務処理の全体量がものすごく増えたのではないでしょうか。なぜなら、人間を忙しさから解放するはずの技術がそれだけの量の事務処理を可能にしてしまったからです。

そういう方々が、ストレスからか、それだけの仕事をこなせない(とみなされた)人々を見下し、生産性が低いなどと思うのかもしれません。でも、そのこなしている仕事は、世の中のためだと誰にでも胸を張って言える仕事なのですか。

無駄とは、広い意味での遊びのことかもしれません。

伸びきったゴムは、いずれパチンと切れてしまいます。ゴムがゴムたり得るのは、遊びがあるから・・・。

人間は生産性や効率のみで評価されるものではないでしょう。無駄があるから、深さが出る。遊びがあるから、本気で集中できる。

無駄はたしかに有駄である、と感じます。ゆるい社会が(鋼の強さではなく柳の強さという意味で)強い社会である、と思います。

そういえば、うだうだするは有駄有駄する、という当て字がありましたね。これも、無駄の有駄のお仲間でしょうか。うだうだするのはとても好きです。

無駄の有駄を教えてくれた教頭先生の英語の授業、とても大好きでした。

2018年7月26日木曜日

よりどりインドネシア第26号でなぜ州知事選挙に注目するのか

先週後半から今週前半にかけて、勉強会用資料作成や原稿執筆など3本の用務に追われ、ブログ更新を怠っておりましたが、よろよろと再開します。

その3本の用務の一つが、「よりどりインドネシア」第26号の発行(7/23)でした。

第25号と第26号では、17州の州知事選挙の結果について、各州ごとに分析を試みました。細かく見てみると、なかなか興味深い現象が垣間見られました。

現在のインドネシアのジョコウィ大統領が、ソロ市長→ジャカルタ首都特別州知事→大統領という足跡を示したのですが、これが政治家の一つの上昇モデルになっているように見えるのです。

県知事・市長→州知事という流れは昔からありましたが、ジョコウィ以前は、州知事→内務省高官または国会議員、というのがほとんどでした。基本的に、地方政府は内務省の下にあり、州知事といえども内務省高官の下という認識だったからです。

なぜ変化が起きたのかというと・・・。

それは地方首長直接選挙と地方分権化によるものです。地方首長は、かつては地方議会で選出し、大統領や内務省の眼鏡にかなった人物でないと就任できませんでした。今では、もちろん、住民による直接選挙で当選した地方首長は、大統領や内務省の審査を受ける必要はありません。

民主化した(とされる)インドネシアでは、大統領と言えども、住民が直接選挙で選んだという正統性を覆すことはできません。

ここで重要なことは、地方首長選挙が公明正大に公正に行われる、ということです。SNSなどの発達で、かつてのような密室での操作ができにくい状況になっていることは注目されます。不正は行われているかもしれませんが、どこでそれが起こりうるかは大体分かっており、集計段階でおかしな票の動きがあれば、メディアなどが騒いで、公にされます。

インドネシアではこれまで、選挙結果に関して、政界を揺るがすような大混乱は起こっていません。収拾がつかないような混乱がまれに起こっても、必ず白黒がついています。選挙は、見る限り、正しく行われているとみなしてよいかもしれません。

今回の州知事選挙では、現職で落選したケースが目立ちました。現職は自分の再選に向けて公的予算を内々に活用することもでき、立場上、相当に有利なはずですが、落選するのはなぜか。カネや利権のばら撒きが効果を果たしていないのではないか。

やはり、住民は現職の実績を見ているのだと思いました。とくに、中央政府や他の地方政府から評価され、たくさんの視察を受け入れ、善政事例としてメディアで頻繁に取り上げられるような地方首長は、本当のところは分かりませんが、住民から見て、実績のある地方首長と見なされることでしょう。

だから、県知事や市長でも、そのような名声を得た者が州知事選挙に立つと、有能な人物として注目されるのです。そして、州知事で注目されると、その次へ、という道筋が立ってきますそれは、現職のジョコウィ大統領がたどった道でもあります。

また、大臣経験者や国会議員があえて地方首長選挙に立候補する、という現象も起こっています。昔は考えられなかったことです。彼らもまた、地方首長としての経験と実績を引っ提げて、その他大勢の内閣や国会を経由せず、一気に上を目指そうとしているのかもしれません。

2019年大統領選挙はまだ早いとしても、次の2024年までに、どんな新しい指導者が現れてくるか。行政府の長として、一国一城の主の経験、換言すれば、経営者としての経験をもった実績を積み上げた(とされる)地方首長が、台頭してくるのではないでしょうか。

そう、これは、15年ぐらい前まで、あれだけ寄ってたかって批判し、無理だと言われた地方分権化や地方首長直接選挙のプラスの成果なのです。

そうした意味で、筆者は、地方首長のこれからのパフォーマンスに大いに注目していきます。

2018年7月17日火曜日

よりどりインドネシア1周年、無料公開中

2017年7月、いくつものインドネシアを知るためのウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」を発汗して、1年が経ちました。

このマガジンは、毎月2回、毎月7日頃と22日頃に発行してきましたので、2018年7月9日発行分で第25号となりました。

「よりどりインドネシア」は、以下のサイトから読者登録のうえ、購読することが可能です。購読料金は、1カ月あたり810円(税込)で、当該サイトから登録すると、クレジットカードから毎月引き落としとなります。申し込み後1カ月は無料購読期間となります。

また、銀行振込による支払いをご希望の場合には、振込先口座をお知らせします。この場合、6カ月分または12カ月分をまとめてお支払いただきます。お支払確認後、毎回、PDF版を指定のメールアドレス宛に送らせていただきます。申し込み後1カ月は無料購読期間となります。

今回、発行開始1周年を記念して、最新の第25号は、7月22日までの期間限定で、無料にて全文公開していますので、ご覧ください。

PDF版の第25号は、7月22日まで、以下から閲覧・ダウンロード可能です。この機会に、ぜひ、ご一読いただき、購読をご検討いただければ幸いです。

  よりどりインドネシア第25号(PDF版)(7/22で無料公開を終了しました)

なお、インドネシアの基本情報をわかりやすく解説した無料ブログ「インドネシアまちゃむまちゃむ」も始めました。合わせて、ご一読ください。

  インドネシアまちゃむまちゃむ

以上、よろしくお願いいたします。

2018年7月13日金曜日

「ふるさと」をいくつも持つ人生

「ふるさと」を狭義で「生まれた場所」とするなら、どんな人にも、それは一つ鹿ありません。しかし、自分の関わった場所、好きな場所を「ふるさと」と広義に捉えるならば、「ふるさと」が一つだけとは限らなくなります。

人は、様々な場所を動きながら生きていきます。たとえ、その場所に長く居住していなくとも、好きになってしまう、ということがあります。それは景色が美しかったり、出会った人々が温かかったり、美味しい食べ物と出会えたり、自分の人生を大きく変えるような出来事の起こった場所であったり・・・。

どんな人でも、自分の生まれた場所以外のお気に入りの場所や地域を持っているはずです。転校や転勤の多かった方は、特にそんな思いがあるはずです。そんな場所や地域の中には、広義の「ふるさと」と思えるような場所や地域があるはずです。

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筆者自身、「ふるさと」と思える場所はいくつもあります。

筆者の生まれた場所であり、昨年法人登記した福島市。家族ともう30年近く暮らす東京都豊島区。地域振興の調査研究で長年お世話になっている大分県。音楽を通じた町おこしの仲間に入れてもらった佐伯市。留学中に馴染んだジャカルタ。かつて家族と5年以上住み、地元の仲間たちと新しい地域文化運動を試みたマカッサル。2年以上住んで馴染んだスラバヤ。

まだまだ色々あります。

今までに訪れた場所で、いやだった場所は記憶にありません。どこへ行っても、その場所や地域が思い出となって残り、好きという感情が湧いてきます。

単なる旅行者として気に入ったところも多々ありますが、そこの人々と実際に交わり、一緒に何かをした経験や記憶が、その場所や地域を特別のものとして認識させるのだと思います。

そんな「ふるさと」と思える場所が日本や世界にいくつもある、ということが、どんなに自分の励ましとなっていることか。

あー、マカッサルのワンタン麺が食べたい。家のことで困っている時に助けてくれたスラバヤのあの人はどうしているだろうか。佐伯へ行けば、いつまでも明るく笑っていられるような気がする。由布院の私の「師匠」たちは、まだ元気にまちづくりに関わっているだろうか。ウガンダのあの村のおじさんとおばさんは、今日作ったシアバターをいくら売ったのだろうか。

そんな気になる場所がいくつもある人生を、誰もが生きているような気がします。

昔見たマカッサルの夕陽(2003年8月10日、筆者撮影)
マカッサルといえば思い出す「ふるさと」の光景の一つ

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地域よ、そんな人々の「ふるさと」になることを始めませんか。自分たちの地域を愛し、好きになってくれるよそ者を増やし、彼らを地域の応援団にしていきませんか。

筆者がそれを学んだのは、高知県馬路村です。人口1000人足らずの過疎に悩む村は、ゆず加工品の顧客すべての「ふるさと」になることを目指し、商品だけでなく、村のイメージを売りました。何となく落ち着く、ホッとするみんなの村になることで、村が村民1000人だけで生きているわけではない、村外の馬路村ファンによって励まされて生きている、という意識に基づいて、合併を拒否し、自信を持った村づくりを進めています。

もしも、地域の人口は1000人、でも地域を想う人々は世界中に10万人だと考えたとき、そこにおける地域づくりは、どのようなものになるでしょうか。

その地域が存在し、生き生きとしていくことが、世界中の10万人の「ふるさと」を守り続け、輝くものとしていくことになるのではないでしょうか。

私たちは、そんな広義の「ふるさと」をいくつも持って、それらの「ふるさと」一つ一つの応援団になっていけたら、と思います。

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それは、モノを介した「ふるさと納税」を出発点にしても構わないのですが、カネやモノの切れ目が縁の切れ目にならないようにすることが求められるでしょう。

正式の住民票は一つしかありません。でも、「ふるさと」と思える場所はいくつあってもいいはずです。

いくつかの市町村は、正式の住民票のほかに、自らのファンに対してもう一つの「住民票」を発行し始めています。飯舘村の「ふるさと住民票」は、そのような例です。以下のリンクをご参照ください。

 飯舘村ふるさと住民票について

「ふるさと住民票」を10枚持っている、50枚持っている、100枚持っている・・・そんな人がたくさん増えたら、地域づくりはもっともっと面白いものへ変化していくことでしょう。地域はそうした「住民」から様々な新しいアイディアや具体的な関わりを得ることができ、さらに、その「住民」を通じて他の地域とつながっていくこともあり得ます。

こうした「住民」が、今、よく言われる関係人口の一端を担うことになります。それは緩いものでかまわないと思います。

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世界中から日本へ来る旅行者についても、インバウンドで何人来たかを追求するよりも、彼らの何人が訪れたその場所を「ふるさと」と思ってくれたか、を重視した方が良いのではないか、と思います。

それがどこの誰で、いつでもコンタクトを取れる、そんな固有名詞の目に見えるファンを増やし、それを地域づくりの励みとし、生かしていくことが、新しい時代の地域づくりになっていくのではないか。

奥会津を訪れる台湾人観光客を見ながら、その台湾人の中に、もしかすると、台湾で地域づくりに関わっている人がいるかもしれない、と思うのです。そんな人と出会えたならば、その台湾人と一緒に奥会津の地域づくりを語り合い、その方の関わる台湾の地域づくりと双方向的につながって何かを起こす、ということを考えられるのではないか、と思うのです。

飯舘村の「ふるさと住民票」を登録申請しました。そして、私が関わっていく、日本中の、世界中の、すべての地域やローカルの味方になりたいと思っています。

「ふるさと」をいくつも持つ人生を楽しむ人が増え、地域のことを思う人々が増えていけば、前回のブログで触れた「日本に地域は必要なのですか」という愚問はおのずと消えていくはずだと信じています。