2023年10月16日月曜日

近所で見つけたモリンガの茎

我が家のすぐ近所には、ハラル食材屋、ベトナム食材屋、ミャンマー食材屋、中国八百屋兼魚屋、この辺では一番値段の安いスーパーがある。

そのうちのハラル食材屋は、品ぞろえがけっこういいので、我が家では時々買いに行く。ロヒンギャ出身のムスリムの方がオーナーである。

そんなお店のなかで、本当に珍しいものが売られているのを目撃した。

冷凍食品コーナーにあったこれは、「ドラムスティック」と書いてある。これをみて、私と妻は叫んでしまった。「ええー、ケロルがある!」

ケロル(Kelor)というのはインドネシア語である。その正体は、最近、日本でもスーパーフードとしてもてはやされているモリンガである。通常、モリンガはその丸い小さな葉っぱを食べるのだが、インドネシアのスラウェシ島の山中や離島で食べたのは、その茎だった。

ココナッツミルク入りのスープにケロルの茎は入っている。ケロルの茎の中心は芯になっていて、そのまわりを剥いだ柔らかい部分を食べるのだ。最初は「???」だったが、慣れればけっこういけるのだ。

あのインドネシアの街中では見ない、山中や離島でしか見なかったケロルの茎が、なんと東京の我が家のすぐそばのハラル食材店の冷凍庫に冷凍食品として売られているとは・・・。

ロヒンギャの店主に訊くと、彼らも「ケロルの茎」をよく食べるのだという。もちろん、彼らの言葉では「ケロル」ではないのだが。

ケロルの茎の奇跡。東京の家のすぐ近くで出会うとは思わなかった。

2023年10月15日日曜日

インドネシア関連の原稿執筆スケジュール

私の仕事風景の舞台裏をちょっとご紹介する。

インドネシア関係の執筆活動では、現在、月に2回のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』の発行のほかに、やはり月2回、アジア各国向けに発行されている日本語情報誌 NNA Asia のインドネシア版に『続・インドネシア政経ウォッチ』を連載している。おおよそ、毎週、どちらかのインドネシアに関する原稿を書いているという日常だ。

『続・インドネシア政経ウォッチ』は政治経済の現状という「生もの」を扱うので、最終校正までにネタの事態が動いてしまい、修正せざるを得ないことが少なくない。連載は毎月第1・3火曜日に掲載されるのだが、その原稿の締め切りは前週の水曜午前中、掲載日の6日前なのである。

8月末に執筆した大統領有力候補への政党支持の記事もそうだった。2024年正副大統領選挙での立候補が有力視される大統領候補は3人いる。当初、この3人各々への政党の支持がほぼ固まった、という旨の記事を書いて編集部へ送った。ところがその後、有力大統領候補AB氏が副大統領候補にMM氏を決定したことで、AB氏を推してきた政党PDが支持を撤回、そしてMM氏を党首とする政党PKBが別の有力大統領候補PS氏への支持からAB氏への支持へ転向する、といった政党支持構造の激変が起こった。

この激変の内幕はけっこう入り組んでいて、これによる大統領選挙自体の意味づけも根本的に変わってしまったのだが、その辺の事情についてここでは触れない。当然、当初の原稿は大きく修正され、掲載日前ギリギリまでの動きを入れながら、なんとか最終稿にこぎつけた。

先週も、10月17日掲載用の原稿を10月11日に書いて送ったのだが、その後、事態が変化し、なかなか逮捕されなかった容疑者が12日に突如逮捕されたため、14日に書き直して、原稿をもう一度送った。内容については、10月17日の NNA Asia インドネシア版をご覧いただきたい。

アジア経済研究所に勤務していた頃から、インドネシア政治経済の現状分析にかかる原稿は、いつも締め切りの最終ギリギリまでの動きを入れる形で書いてきたので、上記のような執筆スケジュールはとくに大変とは思わない。

かつてインターネットがなかった頃は、1週間程度遅れて到着するインドネシアの現地新聞を読んで原稿にしたので、直近の情報は、日本にいると、テレビ・ラジオなどと同じ程度の内容しか取り込めなかった。それが今では、インターネットで最新のインドネシア語情報が記事でもニュース動画でも得ることができ、世界中どこに居ても同じようにインドネシアの最新情報を得ることができる世の中になった。だから逆に、インドネシアに滞在しているならば、メディアでの報道以外の現地でしか入手できない情報をとれなければ意味がないのだ。

『よりどりインドネシア』や『続・インドネシア政経ウォッチ』のような記事を頻繁に書いていると、記事1本書くのにどれぐらいの時間が必要かが大体わかってくる。記事のトピックスを決めるまでの時間、決めてから記事を読み込む時間、実際の執筆時間、これらの目安が建てられるようになる。今のところ、だいたい、『よりどりインドネシア』は1~2日、『続・インドネシア政経ウォッチ』は材料が揃えば執筆自体は1~2時間程度、といったところである。

記事を書くのに要する時間の見当がおおよそつくようになって、原稿を書くことがストレスではなくなった。そして、インドネシア関連の用務の時間とそれ以外の用務の時間とのバランスと切り分けがうまくできるようになった気がする。自分なりのペースがつかめてきた、といったところだろうか。

仕事場(通称:アジト)から歩いて5分程度の所にある「ラモス食堂」という小さなカレー屋にようやく行けた。ここのタイ料理由来のココナッツカレーは、初めて食べたのだが、相当に美味しい。新しい美味しいものに出会えると幸せがまた一つ増える。

2023年10月10日火曜日

千葉大学から新小岩へ

昨日(10/8)、午前中は、1ヵ月に2回発行しているウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』を何とか発行できた。今回で第151号。いつものことだが、レギュラー執筆者の執筆状況を勘案しながら、自分の原稿を最後に入れていく。今回は、数々の失敗を重ねてきたインドネシアの大規模食糧基地プロジェクトについて書いた。『よりどりインドネシア』については、以下のページでバックナンバーも含めてご覧いただければありがたい。

よりどりインドネシア

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『よりどりインドネシア』第151号を発行して、すぐに千葉大学へ向かう。千葉大学で開催される「日本語を母語としない親と子どものための進路ガイダンス」を見学するためである。見学して驚いた。設けられた2部屋はどちらも今度高校を受験する予定の当該生徒とその保護者、13校からの高校職員、ガイダンスを運営するボランティアや学生でいっぱいだった。この「進路ガイダンス」は2002年に始まり、これまでにのべ8,000人の対象生徒・保護者が受講してきた。

最初の千葉県の入試制度についての説明は、各自がYouTubeで各言語に訳された動画をスマホで観て理解する斬新な形式だった。この説明はスマホでいつでも繰り返し観ることができる。この後、13高校の担当教員による学校紹介が1校ずつ続けて行われ、さらに、高校生活を送る外国つながりの先輩たちへのインタビューがあった(インタビューの最後には各々の母国語で対象生徒・保護者へ向けてメッセージが発せられた)。その後、言語別分科会となり、各言語ごとに生徒・保護者がテーブルを囲み、そこへ高校教員が出向いて説明と相談を行なった。最後は、各高校ごとにブースが設けられ、担当教員と個別相談が行われた。

今回対応した言語は、中国語、ネパール語、スペイン語、ポルトガル語、フィリピノ語、ベトナム語、ダリ語(アフガニスタン出身者向けで男女別に対応)、タイ語で、それぞれの言語に対応した通訳を用意していた。

千葉県は、28の高校で面接と作文(日本語または英語)で受験できる外国人特別選抜入試を実施している。その内訳は、全日制普通科が7校、全日制総合学科・国際科が4校、全日制工業科が1校、三部定時制(夜間部)が3校、定時制普通科が8校、定時制総合学科が1校、定時制工業科が2校、定時制商業科が2校である。それでも、高校での授業は日本語となるので、高校紹介では、どの高校も日本語をしっかり勉強してほしいと強調していた。

それにしても、毎年開催しているとはいえ、これだけたくさんの方々が様々な形で関わって、「進路ガイダンス」を熱意を持って運営していることはすごいことだと感じた。しかも、同様の「進路ガイダンス」を松戸市や市川市でも開催するのだ。その母体となってきた、千葉県内の日本語教育関係者をつなぐ房総多文化ネットワークの役割は強調してもし過ぎることはないと思う。

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夕方、千葉大学を後にし、新小岩へ向かう。葛飾区の関係者と今、新小岩で多文化まち歩きを実施できないかと相談中なのだ。先週、葛飾区地域振興部と話し合いを持ち、新小岩の商店街の関係者と話し合いをしたいと考えている。でもその前に、自分自身の目で新小岩の商店街を少し歩いておきたいと思ったのだ。

あいにく雨が降り始めたので、新小岩駅を降りると、まっすぐ、アーケードの付いたルミエール商店街へ向かう。まずは、全長400メートル以上のルミエール商店街の端から端まで歩いてみる。周りが暗くなっていたせいもあるが、ルミエール商店街はそれなりの人の流れがあり、お店もずいぶん開いていた。意外に地元の店が多い印象で、そのなかに、最近できたと思しき外国人経営の飲食店や食材店が散見できた。

多文化まち歩きでは、できれば、日本人の商店街の皆さんと外国人経営者とが関わるきっかけ作りにもしたいと考えているが、その前に、実際にどの外国人経営の店を訪問するか、ある程度の当たりを付けておいたほうがよいかもしれない。そう思って、あまり人で混んでいない、店主と色々話のできそうな店を選んで、思い切って店のなかへ入ってみた。

まず入ったのは、ルミエール商店街から少し入ったところにある「中華面食」という店。日本唯一の手作り中国パン屋と銘打ち、店内には様々な日本では見かけないパン、パイ、お焼き、月餅などが売られていた。常時、40種類以上を用意しているそうで、先の中秋の名月のときには20種類以上の月餅を作って売ったそうだ。一番のおすすめはお焼きだが、長野のお焼きとは違うもの。テレビ取材も20件以上受けて、メディアでも結構知られる存在らしい。

ご主人の王さんは北京出身、今は横浜在住で、新小岩の店まで毎日通う。もともと中華料理店の調理人として30年以上前に来日し、様々な調理場を経験、最後には大手のマーケッターとして世界をまわったそうだが、退職し、1年半前にここ新小岩に店を出した。まだ店を出したばっかりということで、地元の商店街組合などとは関わっていないが、もう少ししたら組合加入したい意向のようだ。新小岩を選んだのは、中国人コミュニティがあったためだが、実際の客では8割が日本人とのこと。遠くからもわざわざ買いに来てくるそうだ。

中華面食でしばし歓談した後、そういえば昼食がまだだったため、何か空腹を満たしたいと思い、どこかのエスニック料理店に入ろうと歩き、入ったのがバングラデシュ料理店の「アディバ」。あまり期待していなかったが、注文したチキンビリヤニはスパイシーでそれなりの美味しさだった。

たまたま客が自分一人だったので、給仕してくれる方に話しかけたら、この店のオーナーのミアさんだった。彼は新小岩に店を出して7年になるといい、今は小岩に住んでいる。かつて日暮里に住んでいたときには、我が家から遠くないマスジド大塚で礼拝していたようだ。今は新小岩モスクで礼拝をし、新小岩周辺の20人以上のバングラデシュ人とも頻繁にモスクで会うそうだ。新小岩・小岩のバングラデシュ人のリーダー的存在の方が新小岩モスクの理事でもあるとのことである。新小岩駅近くには、日本語学校がいくつかあって、新しいバングラデシュ人はそこの生徒が多いということだ。ミアさんの子ども3人は地元の公立学校に通っており、ベンガル語と日本語のバイリンガルだそうだ。かつて子どもたちにはいじめなどもあったようだが、今は楽しく学校へ行っているという。

またこの店、ハラールと銘打っているのに夜はバングラ呑み屋になり、日本の飲み屋メニューにバングラ式の料理を加えた面白いつまみが色々ある。訊くと、調理人はもともと日本の呑み屋で働いていたという。期待しないで入った店だったが、意外にも、なかなか面白そうな店だった。

新小岩の外国人経営の店めぐりは、まだ何回かする必要がありそうだ。近いうちに、また別の店を訪問しながら、ルミエール商店街から少し離れた他の商店街も歩いてみたい。

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ハマスによるイスラエルへのテロ攻撃、それに続くイスラエルの報復と戦争宣言、という急展開について、歴史的な背景を含め、いろいろなことを考え、思う。どちらが白か、黒かを単純化する話はできない。今回の事態で今後の世界は相当にまずい方向へ向かってしまうのではないか。それを少しでも抑制・反転させるために、我々は何をしなければならないのか。世界が、我々が良心を失う前になすべきことは何か。

2023年10月6日金曜日

旅行代理店で国内航空券を購入してみた

今日(10/5)は、10月中旬の業務出張用の国内航空券を購入した。まだ行ったことのない帯広への出張が入ったのである。道東で一番行きたいのは釧路湿原だが、帯広も楽しみである。

今回の業務出張用の国内航空券購入では、いろいろクリアすべき条件があった。まず、現金で決済しなければならない。これは現在の業務ではクレジットカードでの支払いが(なぜか)認められていないためだ。これは業務費をATMで引き出したから難なくクリア。次に、領収証の宛名は個人宛ではなく職場宛にしなければならない。そして、搭乗券の半券を職場へ提出しなければならない。

通常、自分で自分用の航空券を購入するときは、航空会社のサイトで直接予約し、クレジットカードで決済する。スムーズに行けば、10分もかからずに済ませることができる。スマホに読み込んで、搭乗もペーパーレス。だが領収証は通常、個人名で発行される(そうではないサイトがあれば、ご教示ください!)。

今回は、現金払い、職場宛の領収証、搭乗券の半券提出・・・。よって、しかたなく、旅行代理店で購入することになった。

(実は以前、もっと面倒なケースがあった。そのときは某大学関連の海外出張だったのだが、見積書・請求書・領収証の全てを用意しなければならなかった。今回のはまだそれよりは面倒ではなかった)

でも、インターネット情報を眺めると、国内航空券のみを購入できる旅行代理店が意外に多くないようなのだ。大手旅行代理店では、来店予約が必要なのはいいとして、ツアーなどの商品販売は行なっても、航空券のみの販売は取り扱わないところが多いのだ。

そりゃそうだよな、と思う。多くがインターネットで航空券を購入し、わざわざ窓口に出向いて購入する人の数は大きく減っているはずだ。では、どこで国内航空券を購入すればよいのか。もう、こうなったら、イチかバチかで駅チカのあまり大手ではない旅行代理店が狙い目か。

インターネット情報では来店予約を求めている、大きな駅の地下道沿いにある某私鉄系の小さな旅行代理店へ行ってみた。そこで来店予約を求められれば、その場で予約して出直せばいいし。とにかく、駅の改札を出てすぐにあるのがよい。そう思い、行ってみると・・・。

店の入口に張り紙があった。曰く、ツアーやパック旅行の相談には来店予約が必要だが、JRの切符や航空券だけならば来店予約は不要・・・。やはり現場には来て見るもんだ。新たな発見がある。とりあえず、この店に頼んでみよう、と店の中へ入る。

予約購入する往復の便は決まっているので、すぐに購入を依頼。前の客の対応に時間がかかっているので、私の分は30分ほどかかるという。もちろん了解して、周辺を散歩して時間をつぶす。30分以上経って店に戻ると、やっと私の分の対応ができるようになったという。航空券の予約端末が1台しかないのだ。15分以上かかるという。そこで再び店を出て、周辺を散歩して時間をつぶす。20分ぐらい経って戻ると、ようやく終了。職場宛の領収証も用意され、航空券代金を支払った。

ちょっと気になることがあった。航空券代金の額がインターネットで表示されていた額よりもかなり安いのだ。一般に、旅行代理店で購入するほうが手数料がつくのでインターネットで購入するより高くなるはず。でも、もしかすると、量販店などの店頭限りの掘り出し物のように、旅行代理店で購入すると特別に安い料金の航空券が手に入ったりするのか・・・?

ラッキーな気分に浸れたのはしばしの間だった。店を出て仕事場に着き、改めてeチケット控に記載された金額と領収証に記載された金額とを比べると、額が合わないのである。あれ?安い料金の航空券だと思ったけれど、eチケット控の金額は安くなく、インターネットで表示されていた額とほぼ同じだ。変だな?

そこで件の旅行代理店に電話して、先ほどの担当者に確認してもらう。5分ぐらい待たされた後、担当者曰く、税抜料金で領収証を作ってしまった、とのこと。まあ、そんなところだよね。それで、領収証の作り直しをお願いした。担当者は今日は時短勤務とのことで、その方が時短勤務を終了する前に不足分を支払うため、仕事場から再び店へ向かうことにする。

そして店へ出向いて、無事にすべてが終了。インターネット購入ならわずか10分以内で済むものを、諸条件を満たすための旅行代理店経由の購入は、担当者の計算間違いもあり、半日近くかかることとなった。

この程度のミスなら怒る必要もないと思うのだが、世の中には、店側のミスを糾弾して「不足分は払わない」などと言い張る客もいるのではないか。客はそれで幾ばくかの額を節約できるだけだが、店のほうはミスをしてしくじった分を担当者に弁済させたり、ミスしたことで人事評価に影響が出たりなどするのだろうか。実際にそうなるかどうかよりも、担当者がそう思ってミスをした自分を責め続けたりしてしまわないか。

店にとって大事なことは、ミスした店員を非難したり処罰したりすることではなく、ミスを繰り返さない仕組みをつくることではないか。少なくとも、今回のケースについては、事前に複数でチェックする仕組みがあればいいだけだと思う。

ともあれ、現金払い、職場宛の領収証といった、条件が面倒くさい、今回のような業務用の国内航空券が購入できる旅行代理店を見つけられたことはラッキーだった。端末たった1台で時間はかかるけれども。ネット購入全盛時代でも、生き延びてほしいなあ。

昔、インドネシアでよく乗った安定性抜群のプロペラ機のATR72-500。写真はおそらく、
インドネシア・東南スラウェシ州のワカトビから着いたクンダリ空港と思われる。2010年2月12日撮影。

2023年10月3日火曜日

某市職員有志との勉強会の打ち合わせ

先週末から体調が思わしくない。

昨日(10/2)、朝起きると声が出ない。ようやく少し出るようになったらガラガラ声だ。朝からオンライン会議だったので、発言するのが難しく、耳だけ参加になった。

薬局で龍角散(粉)を購入し、口の中に入れる。説明には、舌の上に載せてゆっくり溶かす、と書いてあるのでそう試す。たしかに少しずつじわーっと効いてくるような気がする。合唱をやっている人々の間では、咳を止めるには絶対に粉だ、トローチではダメ、という話があるようだが、なるほど、とそのときは思った。

でも、だんだんに龍角散(粉)は効き目が悪くなってきた。痰に絡まってしまうのである。気管支炎用にいつも持参している薬剤入りの吸入器を試したり、風邪薬を飲んだりして、早めに寝た。

今日(10/3)は朝、体がだるく、とりあえずしばらく寝たら、だいぶ体調がよくなったので仕事へ。昨日より声はだいぶ出るようになったが、まだハスキー低音のまま。合唱していたときはトップテナーだったのに。「バスの声もいいね」と言われたり・・・。咳はだいぶ止まってきたが、今度は鼻水(青っ洟)が出る。急な気温低下で寒さも感じる。集中力低下。

そんな体調不良のまま、夕方6時からオンライン会議。10月に行われる北関東の某市の職員有志の勉強会の打ち合わせである。なぜか知らぬが、彼らから講師にご指名されてしまった。テーマは一応、多文化共生の地域づくり。私から提案し、通った。

まだ外国人住民比率の低い某市では、まだまだ外国人住民との共生という意識はあまり高くない様子だ。それでも、生産年齢人口の減少から外国人材の受入が世間で取り上げられているなか、某市でも認識を新たにしたいという感覚を持っている様子だった。

対話しながら話はしょっちゅう脱線するが、人口減少中の日本の地域社会は身の丈にあった経済規模や無理せず続けられるシステムへ自らを調整していくときに来ているのではないかと話した。そう、2011年3月11日の東日本大震災が起こったとき、日本は、日本の地域社会は、生き方や在り方を変えるときなのだ、と実感していたはず。もう忘れてしまったのかもしれないが・・・。高度成長時代の、ジャパン・アズ・ナンバーワンの日本はもう復活しない。鏡に映った自分の姿をもう一度しっかり見たいものだ。

人口減少を外国人材の受入で補うことはできない。日本にとって一番必要な外国人材とは、日本人がやりたくない仕事(でもその仕事をする人がいないと経済がまわらなくなる仕事)を代わりにやってくれる人材である。いわゆる3Kと呼ばれる仕事だが、これは技能実習や特定技能だけでは充当できない。しかも低賃金、日雇いの世界。そこで働く外国人材とは、いったい誰を想定しているのか。

外国人材が流入する以前、そうした仕事を受け持っていたのはどのような人々だったのか。都会のきれいな生活を楽しむ人々からは見えない世界で、黙々と日本経済の底辺を支えてくれていた人々とは誰だったのか。我々はそうした人々の存在を認知していたのか。尊敬していたのか。尊敬したというなら、なぜ彼らは低賃金なのか。我々が享受するサービスが低価格で収まっているのはそのおかげではないのか。

そんなしょうもない話を某市の職員有志の代表とうだうだとしてしまった。本題からそれたなあと思いながら、終わりのほうで、外国人住民が地域包括ケアなど市役所のサービスを受けるためにどのような方策が必要か、という話になった。色々な方と話をしていて、地域包括ケアの対象のなかに外国人住民を意識していないことがたびたびあった。でも、一般に、社会福祉協議会(いわゆる社協)はすでに外国人住民を視野に入れた活動へ変わってきた。そのきっかけを作ったのは、コロナだった。外国人住民がコロナ給付金を受け取りに来たり、コロナ接種を受けたりしたことで、地域での彼らの存在があぶり出されたのである。

そうそう、多文化共生は外国人の話だけじゃないということも強調しておいた。多文化には地域に住む様々な住民、子供、大人、高齢者、すべてが含まれる。日本人だって皆んな同じではない。多文化共生のキーは個人である。個人をその人として尊重できること。地域包括ケアで歩けない方には車椅子を用意する。視覚障害の方には点字の説明書や補助者を用意する。では、その外国人住民個人には・・・?どうする? そう考えることで、既存の行政サービスで外国人住民も対応できるはずである。

1時間ほど、うだうだと話をしながら、打ち合わせは無事に終わった。私にとっても、現場の市役所職員とサシで対話ができる機会になるのがうれしい。対面で皆さんにお会いするのが楽しみ、楽しみ。

ちょっと寒気を感じながら、帰り支度をしていたら、明日までに用意しなければならない作業を一つ忘れていたことに気がついた。再びパソコンを開き、1時間ちょっと作業して、ようやく家路へ。体調はまだ不良のまま・・・。

某市はどこかって?この美味しいパスタが食べられる街です!

2023年10月2日月曜日

散歩(1) 親王幡弐不動尊

東京の街中を散歩する。時間があれば、どこへ行っても必ず街を歩く。街を歩くと、必ず、新しい発見がある。東京で住み始める前、東京はまっ平らなところだと思っていた。それがこんなに上り下りが多く、崖が多く、起伏にとんだ地形だと気がついて、歩くようになった。

つい先日(9/29)も、仕事場に近い幡ヶ谷を歩いた。幡ヶ谷の甲州街道よりも北側は細い路地が幾重にも通り、それが起伏に富んでいる。ああ、ここが低いのか、ここから向こうは高台なのか、といちいち確認する。そして、低地と高台では明らかに家の形や大きさや並びが違う。そんな路地を歩き回るのがとても楽しい。

そんな路地からちょっと広い道路に出て、しばらく行くと、幡ヶ谷2丁目の親王幡弐不動尊(しんとうはたにふどうそん)という場所に出た。アロハニューヨークという店の隣に、すでに閉業してしまったらしい珈琲カンタータの看板があり、その奥の民家の間に不動尊がある。本当に民家の傍らの小さな祠に不動尊が鎮座していた。


なんでも、高野山親王院に長い間安置されていた鎌倉時代の作とされ、縁あって、この地にやってきたとのこと。歴史的な由来など期待していたが、真相は全く別の話だった。こちらのサイトに詳しいいきさつが書かれていた。

個人的には、不動尊そのものよりも、この不動産へ至る緑のうっそうとした、ワイルドな感じの小道が気に入った。在りし日の珈琲カンタータを訪れてみたかったな。

それにしても、幡ヶ谷はまだまだ面白い路地がたくさんあり、散歩のし甲斐のある街だ。幡ヶ谷の路地裏散歩は続く。

2023年10月1日日曜日

2023年10月1日、またブログを再開してみる

1年半にわたって休止していた個人ブログを再開してみようと思う。どうしても起こってしまう日々のバタバタのなかで、自分の気持ちや考えを、何気ない毎日を、書き残しておこうと思い始めた。アクセス数を稼いだり、自分の名前を売るためではなく、自分の記録として、自由気ままに書いていく。できるだけ毎日、その日に起こったこと、思ったことを書いていく。

インドネシアへ行く機会はめっきり減った。自前で行くだけの経済的余裕もない。それでもまだ、年の半分を日本、半分をインドネシアで過ごすという夢は捨てていない。相変わらず、インドネシアのメディアを追い、インドネシアの政治や経済について自分なりの見方を自ら主宰する1ヵ月2回発行の情報ウェブマガジン『よりどりインドネシア』、NNA Indonesiaに連載中の『続・インドネシア政経ウォッチ』、その他のオンライン講演会やウェビナーで発信している。そこでの見方が正しいかどうか、インドネシア人の友人たちと議論してみたいと思っている。

2021年6月からJICA東京で多文化共生関連の仕事を請け負うようになって、日本にいる外国人をどのように支援するかはもちろんだが、地域社会がどのようによそ者を受け入れるのかという観点から、地域社会における外国人の包摂を地域づくりの観点から捉えるようになった。地域づくりでは、よそ者(あるいは出戻り)が地域に新たな視点や情報をもたらし、地域で何か新しい動きを促すことがよくあるし、かつて成功例ともてはやされた地域づくりの事例にはよそ者が関わっていることが多かった。

自分自身がインドネシアでよそ者として地域と関わった経験からすると、よそ者自身の相手社会への入り方が極めて重要で、相手社会からどのように信用を得るか、信用を信頼へ昇華させていくか、といった点が鍵になる。逆に、地域社会からすると、よそ者が信用できる人物かどうかを見極めるには、実際に会って顔の見える関係を作って確認することが望ましい。これまでの様々な経験では、よそ者と地域社会とを取り持つ人物の存在が重要である。

そんなことを考えながら、私自身は、多文化共生関連の仕事とはいいながら、「多文化共生」の業界(すでに業界化していること自体が驚きなのだが)から一定の距離を置き、地域から始めたいと思っている。よそ者と地域づくりというアプローチを採り、双方がどのような態度をとってどのように信用し合い、信頼できる関係を作っていくか、ということを試みていきたい。外国人はそうしたよそ者のなかに含まれる。

今後の日本社会のなかで、どういう人なのか分からないよそ者の存在が大きくなってくると、地域社会はとくに治安面での不安を感じるようになる。行政の観点からは、災害時の避難や(コロナであからさまになった)予防接種などでよそ者が取り残される危険がある。よそ者の存在を地域社会が最低でも認め、誰か数人でもよいので地域社会によそ者とのコンタクトパーソンがいる状態で、顔の見える関係を少しずつ作っていくことで、そうした不安を解消していくのだろう。

目指したいのは、多文化共生などという言葉が不要になる未来である。多文化は外国人だけではない、様々な違いを持った人々の存在も含まれる。我々が見ている「多文化」はまだまだ限定的なのではないか。消えていく文化、眼前から隠れてしまった文化、そうした個性といってもよい個々人の持つ文化が、他者の文化を否定しない限りにおいて、あたりまえに認められる未来を想いながら過ごす日々のなかで、考えたことや思ったことを徒然に書いていってみることにする。

再開発で取り壊される京成立石駅北口を惜しんで散策する人々(2023年8月5日撮影)

2022年4月2日土曜日

今年の桜は格別に悲しかった


戦後すぐ、この地に植えられたという、我が家の庭の1本の桜の木。もう70年以上も経つ老木で、咲く花の数が少なくなってきた気がして、今年も咲くだろうか、と毎年気になってしまう。

幸い、今年も咲いてくれた。例年と違って、巷の桜よりも少し早く満開になっていた。

桜の木は、寿命が来ると驚くほど花を咲かせ、翌年からは咲かなくなってしまう、と聞いたことがある。だから、ああ、今年も咲いてくれた、と桜の木に感謝の気持ちが湧いてくるのだ。

きょうでもう1週間以上、咲き続けてきたが、数日前から散り始めた。枝の下のほうから咲き、上のほうはちょうど満開。下のほうはもう葉っぱが出てきている。

今年は青空に恵まれた日々が少なく、例年ほど、鮮やかな桜の写真が撮れなかった。妻が足にけがをしたこともあり、例年のような、庭にテーブルと椅子を出して、桜を眺めながらブランチ、もできなかった。ようやく、今日になって、青空に映える桜の花を撮ることができた。

この1・2年、インドネシアでの「親」、恩人、友人・知人、大切な方々とお別れした。その中の何人かは、日本で一緒に桜の花を愛でた。

散りゆく桜を見ながら、今は亡き、私の大切な方々のことを思う。今年の桜は、格別に悲しく感じる桜だった。


2022年1月3日月曜日

2022年の始まりにあたってー地域づくりとインドネシア

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。皆さまにとって、2022年が明るく、楽しく、面白い一年となりますよう、祈念いたします。

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新型コロナ禍で東京からどこへも行けない日々に加え、「家族」、恩人、親友など、これまでインドネシアでお世話になってきた大切な方々が次々と旅立っていくなか、昨年は、悲しみから逃れることのできない一年となってしまいました。もうインドネシアから離れてしまう運命なのではないか、という気持ちさえ起こりました。

新年を迎え、ようやく少し気持ちが前向きになってきた気がします。今後は、「地域づくり+多文化共生」と「インドネシア」の2本立てをより強化していきたいと考えています。

バンドゥンの私立シリワンギ教員養成大学のトラ

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●地域づくり+多文化共生

昨年6月からは、JICA東京から外国人材受入・多文化共生に関する用務を請け負っています。技能実習や外国人集住を白黒・善悪で単純化するのではなく、現場を踏まえ、多角的に検証することで、問題の本質を捉え、解決策を提示することに務めたいと思っています。

同時に、これらの課題を地域再生・地域づくりの文脈で捉え、世界各地での地域づくりの動きを俯瞰しながら、今後の日本における新しい地域づくりの方策を追求していきたいと考えています。

●インドネシア

インドネシアに関するコンサルティングや情報発信、調査研究分析、講演などの活動も続けていきます。

【よりどりインドネシア】

月2回発行の情報ウェブマガジン『よりどりインドネシア』は、おかげさまで欠号なく、昨年末までで第108号を発行しました。今後も欠号なく発行を継続します。ご購読をよろしくお願いいたします(購読はこちらから)。

マガジンの発行のほか、2ヵ月に1回程度の頻度で、購読者向けのオンライン・オフ会を開催します。ZOOMのミーティングを使い、参加者をあえて購読者に限定し、内容を録画しないことで、オフレコでの発言も飛び出します。こちらもぜひお楽しみに。

【オンライン講演会】

また、インドネシア大学上級講師のバクティアル・アラム(Bachtiar Alam)氏と一緒に、アジアコンサルト・アソシエーツ=松井グローカル共同のオンライン講演会シリーズを開始しました。バクティアル氏が講演した第1回(2021年11月25日)開催の動画をこちらからご覧いただけます。なお、第2回(2022年2月初めを予定)は私が講演する予定です。内容が固まり次第、お知らせいたしますので、しばしお待ちください。

なお、上記オンライン講演会では、日本語による日本人向けのほか、インドネシア語によるインドネシア人向けも予定しています。こちらも後日、お知らせいたします。

【その他】

上記のほか、オンラインによる講演、ゲスト講義、論文指導なども行います。

また、インドネシアでの事業に関する相談、インドネシア人の日本での起業相談、日本でのインドネシア人技能実習生・特定技能者の活用相談など、インドネシアに関するコンサルティングをオンライン・対面で対応いたします。

さらに、インドネシア語での日本からインドネシアへの発信も構想中です。

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2022年は年男、世間的には定年退職の年齢となりました。でも、私自身は人生の折り返し地点であり、次世代・次々世代にとって明るく楽しく面白くよりよい世界・地域を遺していくために、まだまだやるべきことはたくさんある、という気持ちです。

そのためには、自分自身が明るく楽しく面白くよりよい日々を積み重ねていくこと。先に旅立っていった「家族」、恩人、親友など、これまでインドネシアでお世話になってきた大切な方々のことを思いつつ、前を向きます。

ご指導・ご支援・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年9月20日月曜日

天祖神社の例大祭に秋を感じた

台風一過の昨日(9月19日)の東京は、久々の秋晴れ。日中はまだちょっと暑いが、久々に2人で散歩してみた。

そういえば、我が家も氏子になっている天祖神社の例大祭ではないか。新型コロナの影響で、昨年も今年も、町内会ごとのお神輿が街中を練り歩くのは中止。

新型コロナ前は、子ども神輿と大人神輿があった。学校に上がる前の娘もかつて「その他大勢」として子ども神輿を引いてお菓子をもらったものだ。我が町内会では神輿に加えて小さな山車もあり、代々引き継がれてきた笛太鼓のお囃子が聞こえてくると、あっお祭りだ、と思ったものだった。

昨年と今年は、天祖神社の氏子代表である各町内会代表が一緒に、神社の領域内をくまなく回る形で行われている。その範囲は、池袋サンシャインの東隣のイケサンパークから西巣鴨駅に至る、かなり広い範囲である。

天祖神社へ行くと、ちょうどお神楽が演じられていて、人々がパラパラとそれを眺めていた。



恵比寿さんや獅子舞が現れ、最後には、獅子舞が子どもたち(+昔の子どもたち)の頭をパクリ、パクリ。和やかで微笑ましい雰囲気が境内にみなぎった。

天祖神社にお参りして、お神楽を眺めて、そろそろ秋なのだなあ、と思った。

そういえば、日が陰るのがずいぶんと早くなった。

雲ひとつない真っ青な空。

巣鴨付近で見た北の空、まっすぐ水平な幾層もの薄雲に映える夕暮れの赤。

そして、東のビルの間から昇ってくる十三夜の月。

なにげない、ごくごく普通の光景がやけに美しい。

この地に暮らして、もう30年余になる。