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2019年5月15日水曜日

インドネシア・国立ブラウィジャヤ大学で連続講義

日本が10連休の間、4月29日、4月30日、5月2日の3回、インドネシア・東ジャワ州マラン市にある国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部で、連続講義を行いました(ちなみに、5月1日はメーデーでインドネシアの祝日)。

同大学では、1セメスターの間に、自学教員、民間人、外国人の三者を組み合わせた三位一体型講座(3 in 1 Programと称している)を積極的に進めています。このような形式の口座構成を採ることが、大学評価に大いにプラスになるということです。

会場の壇上には、以下のような横断幕が掲げられていました。


講義のテーマはこちらで設定してよいということでしたので、4月29日は「財政分権化と地方財政」、4月30日は「インドネシアとの比較でみる日本の現代経済開発史」、5月2日は「地域振興戦略:日本の一村一品運動をインドネシアの地域開発政策の文脈で考える」とし、授業用のパワーポイントを作成して臨みました。

会場の前の席には、大学院修士・博士課程に在籍する学生らが陣取り、その後ろに、学部学生が座っていました。大学院生の多くは、地方政府職員や地方大学教員で、リビアからの留学生もいました。彼らは学位を取るためのプログラムに所属している者たちでした。講義のテーマがテーマだったので、とくに大学院学生の関心のとても高い様子がうかがえました。


1回あたりの講義は約2時間で、もちろん、すべてインドネシア語で行いました。この大学では、英語での授業も普通にあるようで、最初にインドネシア語で講義を始めたときには、学生たちにちょっと驚きの顔が見えたのが印象的でした。

そもそも国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部で講義を行うことになったのは、同学部長との出会いがあったためです。

3月6日、依頼があって、東京・六本木の政策研究大学院大学(GRIPS)で、インドネシア工業省高官に対して、インドネシアの工業団地への日本からの農業関連投資の誘致について、講義をする機会がありました。このときは、友人であるGRIPSの教授が同席するということで、講義はインドネシア人に対して英語で行うという、変則的な形になりました。

このとき、たまたま、ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部の学部長がGRIPSを訪れ、そのGRIPSの教授に面会しました。筆者もその席に呼ばれて、学部長らと歓談しましたが、その席で、ゲスト講義への打診がありました。できれば、断食月の前に、という話でした。

もちろん、その場で承諾したのですが、4月に入っても、しばらく、先方から何の連絡がありませんでした。これまでの経験からすると、きっと話はなくなったのではないか、という気になり、半ばあきらめていました。

しかし、4月半ばになって、突然、「講義をお願いします」との連絡があり、4月18日からのインドネシア出張を前に、急遽、準備を進めることになりました。インドネシアに着いてからも諸々あって、結局、講義用のパワポは、講義の直前に仕上げるという状況になってしまいました。

それでも、大学側は、滞在中のホテルを用意・費用負担したのはもちろん、ジャカルタ=マランの往復航空賃も負担し、毎回、車で送り迎えし、講義が午前中だったので昼食も用意してもらい、「薄謝ですが」と言いながらも、日本と比べてもそん色ない講師料を支払ってくれました。

国立ブラウィジャヤ大学経済ビジネス学部は、GRIPS以外にも、立教大学などとも提携し、教員や学生の交流を行っています。また、同大学の日本語学科は近年、学生が日本への公的留学に係る日本語試験で上位を占めるなど、レベルの高い日本語教育を行っている機関として注目されています。

筆者にとって、インドネシアの大学で授業や講義を行うことはとても刺激的であり、彼らからの質問やコメントから様々な見解を得られることは大きな喜びでもあります。可能であれば、少人数でのゼミやフィールドでの活動を彼らと一緒に行ってみたいという気持ちもあります。

インドネシアでは、この国立ブラウィジャヤ大学以外にも、大学院修士を卒業した国立インドネシア大学をはじめ、マカッサル時代に相当に深く付き合った国立ハサヌディン大学、愛知県立大学の仕事などで講義以外に大学生のカウンセリングも行った国立ガジャマダ大学など、様々な大学と関係を持ってきました。現在、ブラウィジャヤ大学と同じマラン市にある有名私立大学でも客員教員として授業や講義を行う計画があります。

残念ながら、日本では、これまで大学などで授業や講義を行う機会があまりありませんでした。実際、大学教員公募に応募したこともありますが、恥ずかしながら、採用には至りませんでした。そうこうしているうちに、自分で法人設立し、自由に動くことを選択してからは、組織に縛られる生き方ができない体になってしまいました。

現場をより優先させたことで博士号を取らなかったことや、年齢的なこともあり、これから日本のどこかの大学で教員となることはほぼ無理だと思っています。ただ、特任教員や集中講義であれば、可能かもしれないとは思っています。

インドネシアの大学と提携・連携したい日本の大学関係者がいらしたら、協力させていただくことは可能です。とくに、まだ日本への留学生を送り出していない、インドネシアの地方大学で日本の大学との提携・連携したいとの希望が多数出ています。必要に応じて、両者をつなげるお手伝いができればと思っています。

2019年4月30日火曜日

特定技能への関心のものすごさに驚き

今回、インドネシアに来て、本当にびっくりしているのは、日本の新たな在留資格「特定技能」への元研修生からの関心のものすごさです。

弊社のフェイスブック・ページで、特定技能に関する記事を書き、私がアドバイザーを務めている、元研修生らの親睦団体「インドネシア研修生実業家協会」(IKAPEKSI)のエディ会長らと会った後、ものすごい数のメールやメッセージやWAが来るようになりました。

フェイスブック・ページのアクセス数は、通常だとせいぜい多くても500件程度なのですが、今回のアクセス数は、西インドネシア時間の4月29日午後10時現在、4万件近くになっています。

ほとんどのメッセージが「また日本へ行って働きたい」というもので、どうやったらそれが可能になるかを尋ねるものでした。

特定技能ビザを取るには、日本語能力試験(N4相当)と各対象職種の特定技能評価試験に合格することが条件ですが、日本で3年間技能実習生として活動した者はそれらの試験免除でビザを取ることができる、とされています。

このため、インドネシアでは今、元研修生がもう一度日本へ行ける、と盛り上がっているのです。それを煽っているのが、これまで技能実習生を日本へ送り出してきた全国各地の送り出し機関(LPK)で、「特定技能ビザでもう一度日本へ行ける」と喧伝しています。

その結果、送り出し機関のなかには、自分たちがすぐに日本へ送り出してあげると言って、元研修生から5000万ルピア(約41万円)を徴収するようなところもあらわれています。先走る日本側もそうした動きの裏にいる様子です。

これまで、帰国した元研修生はもう一度日本へ研修生としていくことはできないため、海外出稼ぎを望む彼らの多くは、韓国などへ労働者として出かけていくことが多かったといいます。それが、再び、日本へ行けるという話を聞いて、飛びついているようなのです。

スマランで元研修生に特定技能について説明する機会がありましたが、以前世話になった受入企業から「特定技能ビザで戻ってこないか」と声をかけられている元研修生がけっこう多くいたのにもびっくりしました。


しかし、特定技能を実施する前提として、日本政府とインドネシア政府との間で、悪質な仲介事業者の排除等を目的とする協力覚書(Memorandum of Cooperation, MOC)が締結されている必要があります。残念ながら、協力覚書はまだ締結されておらず、いつ締結されるかも見通しは立っていません。

大統領選挙をはじめ5つの選挙を同時に実施したインドネシア側も、天皇退位・新天皇即位を迎える日本側も、大変難しい時期だったということも考えられます。

一部の悪質な送出し機関は「協力覚書は既に締結済」と言ったり、すでに登録支援機関を自称して人集めを行ったりしているところもあると聞きました。

弊社・松井グローカル合同会社も現在、登録支援機関として認めてもらえるように入管へ申請中ですが、結果が出るのは6月か7月の予定で、今はまだ登録支援機関としての活動はできない状態です。

インドネシアで私は、「特定技能は政府間の協力覚書の締結があって初めて実施される」と様々な元研修生へ説明と説得をすることとなり、そのせいか、徐々に騒ぎが静かになってきた感があります。

西スマトラなどいくつかの地方からは、「日程を決めて特定技能の説明に来てほしい」との依頼も受けました。本来であれば、インドネシア政府や日本政府が説明すべきものと思うのですが、あやふやな情報で詐欺まがいの状況もあるなか、できる限りの協力はしていきたいと思います。

そうしたなかで、私のところでも、日本へ行きたい元研修生や彼らのデータを収集している送り出し機関とのコネクションがいろいろできてきました。どこにどんな職種に従事していた元研修生がいるか、という情報が入ってきています。

日本の企業様で、以前、インドネシア人研修生を受け入れていて、今度また特定技能ビザで受け入れたいという希望をお持ちの企業様や、新たに受け入れてみたいと思う企業様がありましたら、お手伝いをさせていただきたいと思います。

二国間の協力覚書が締結しておらず、弊社もまだ登録支援機関として認定されたわけではないので、すぐに実際に動くことはできませんが、協力覚書と登録支援機関認定が完了してすぐに動けるよう、情報は収集しておきたいと思います。

インドネシア人元研修生を特定技能ビザで受け入れてみたいという企業様がありましたら、元研修生の名前と受け入れた時期、業種・職種などを、メールにて松井グローカル合同会社・松井(matsui@matsui-glocal.com)までお知らせいただければ幸いです。

2019年4月20日土曜日

Kucumbu Tubuh Indahku (Memories of My Body) を観て

4月19日、エアアジアの夜行便乗り継ぎで、午後1時半頃、ジャカルタに到着。

アジトでしばし昼寝をして、いつものように、携帯電話のインターネット用SIM利用分の追加をしました。

その後、モールのフードコートでハズレのTongseng Kambingを食べながら、今日からガリン・ヌグロホ監督の作品"Kucumbu Tubuh Indahku"、英語名"Memories of My Body"が上映されることを思い出しました。


上映館を調べると、ちょうど19時15分から、チキニのタマン・イスマイル・マルズキ(TIM)で上映されることが分かりました。急いでフードコートのある5階から1階へ降り、停まっていたよく知らないタクシーに乗り込んで、一路、TIMへ。上映まで30分しかなく、大雨の後で、果たして間に合うのか・・・。

タクシーの運ちゃんが頑張ってくれて、TIMに着いたのが19時15分。チケット売り場の受付嬢は「まだ大丈夫」という返事。最後に残っていた最前列の1席をゲットし、満席の会場で観ることができました。

前評判は聞いていたものの、どんな内容なのかは全く知らずに、とにかくガリンの新作を観る、ということで観たのですが・・・。

**********

すごい作品でした。映像はガリンらしくとても美しく、音楽も明るく軽妙。でも、それが故に、人間の暗さや絶望や行き場のない怒りなどが際立ってしまうのでした。

踊り手となるジュノという男性の子供時代から青年になっていくまでの多難な人生を、彼や彼に関わる人々の身体を通じて描いていく内容で、物語としての一貫性といった分かりやすさを目指したものではありませんでした。

ジャワの狭い社会のなかで、ジュノの家族が置かれた状況とそれがジュノに強いる様々な苦悩が描かれ、ときにはそれが身体から現れる血を象徴として、ジャワの伝統社会のもつ陰の部分が色濃く表されていました。

ジュノの人生は、救われることのない厳しい試練の連続ではあるけれども、今は踊り手として生きている、様々なトラウマを抱えながらも、身体は生き続けている、というメッセージを受け取ったような気がしました。


この手の作品は、最初は人気を博しても、すぐに上映が終わってしまう傾向があります。明日から火曜までは映画館へ行ける時間が取れなさそうだったので、まだまだ眠い目をこすりながらも、観に行ったのでした。

感動作、というのではありません。問題作、というのでもありません。でも、このような作品は、おそらくガリンしか作れないのではないか。彼はもうそんな域に達したのかもしれない、と思える作品でした。

2019年4月15日月曜日

「東北家族」の皆さんと仙台でお花見

2019年4月14日、東北6県のインドネシア人技能実習生のネットワーク「東北家族」(Keluarga Tohoku)が仙台市の榴岡公園で花見をするというので、行ってみました。

榴岡公園の桜は、ソメイヨシノが満開、シダレザクラもだいぶ花が開いていて、絶好のお花見日和となりました。さすが仙台、おだやかな晴れた日曜日ということもあり、人、人、人、の賑わいでした。


公園に入ったら、いきなり、調子のよい笛や太鼓とともに、扇子を持って踊る集団に出くわしました。雀の会というこの集団以外にも、踊りながら公園内を練り歩くグループがいくつもあって、とにかく賑やかでした。


でも、「東北家族」の花見の場所が分からず、四苦八苦。ようやく、見つけて辿り着いたら、皆さん、紙に何か書き込んでいる様子。仙台市国際交流協会の方から依頼されたアンケートへの回答中でした。


花見と言えど、式次第があったようで、「東北家族」の主宰者の挨拶の後、皆がそれぞれの宗教に則ってしばし祈りを捧げ、今日ここで集まって花見ができることを神に感謝していました。

今回の花見は、「東北家族」設立10周年記念ということもあり、山型に盛られたイエローライス(Nasi Tumpeng)の先の部分をカットする、というのも行われました。


その後は、アトラクション。女性が3人出てきて、踊り始めました。途中で音楽が途切れるハプニングがあり、もう一度最初から踊らされた3人でした。


一度ギアが入れば、ノッてくる皆さん。しばらくすると、みんなで踊り始めました。


男女が背中合わせになって、間に風船を入れて、どのカップルが最期まで風船を割らないか競う、おなじみのゲームも。


一応、周りの花見中の方々にも、どんな集団か、何をしているのか、説明したのですが、皆さん、興味津々でした。インドネシア人技能実習生がこんなにいるのか、と驚かれる方もいれば、宮城で働いてくれてる方々だよね、とか、「東北家族」っていう名前が何かわかんなかったけどそうなのー、とか、意外なほど、自然に受け入れてくれて、彼らの様子を楽しんでみてくれていました。

地元紙などで「東北家族」を好意的に書いていただいたりしたこともあるのかな、と一人思ったりしました。

最後、全員写真を撮るときに、近くで花見していた青年がカメラマンを買って出てくれたり、「東北家族」で来ていた子どもが、周りにいた花見客の子どもといつの間にか仲よく遊んでいたりと、ほのぼのした空気がいっぱいでした。

全員で片づけ、ゴミ拾いなどをして、サクッと解散しました。

2019年4月13日土曜日

伊藤若冲展を観に行く

今回の福島滞在中に行きたいと思っていたのが、福島県立美術館で開催中の「伊藤若冲展」。ようやく時間の取れた4月13日(土)、気合を入れて、開場時間の午前9時半に合わせて実家を出ました。

実家から会場までは自転車でわずか5分。今回はすごく混んでいるし、土曜日だし。でも、朝早くだったら、入れるかも。

でも甘かったです。


開場前、すでに長い列。ともかく、列に並びました。


雲一つない青空、快晴。天気がよくて良かったです。

行列に並んでから約30分経って、ようやく、美術館の中に入れました。

展示会場は5つに分かれ、若冲の作風の変化を順に追って観られるように配置されていました。でも、入館者がとても多くて、作品をじっくりと観ることができないほどでした。

屏風絵や襖絵などは、少し遠くから全体をゆったり眺めたいのですが、とにかく人が多くて、無理でした。

サクッと1時間程度で観るのを切り上げましたが、入館者はその後も次々にやって来ていました。バスを仕立てたツアーで来たお客さんもたくさん。すごいなー、若冲の人気。

個人的には、サクッと観るのを切り上げたせいかもしれませんが、前回の「若冲が来ました」のときよりはややインパクトが薄く感じました。

それでも、若冲の描く直線・曲線、線を組み合わせた構図の的確さ、迷いのなさがとても印象的でした。それ故に、作品の一つ一つが驚くほどシンプルに、観る人の心に迫ってくるのだと感じました。


穴のあいた蓮の葉。立ち上がっていくその姿を、福島の復興になぞらえて、力を与えてもらっている、という風に感じている、ようです。


若冲展の前半は今週いっぱいで終了し、一部の展示を入れ替えた後半が来週以降となるようです。

常設展を観て美術館らしさを少し味わった後、ふたつやま公園へ行って、雪を被った吾妻連峰と安達太良連峰に会いに行きました。


福島にいた子どもの頃、毎日見ていた吾妻と安達太良。今も福島に帰ると再会できて、ほっとした気分になります。私自身の脳裏に焼き付いた原風景がなのです。

隣の森合運動公園の桜が見事でした。



先週までの東京での桜に続いて、福島でも桜を楽しめました。

そして、毎月1回は行きたいと思っている常連の椏久里珈琲で、今月のケーキとコーヒーを味わいました。


焼きたてクロワッサンも追加!


おだやかな、春の福島の一日でした。

2019年4月12日金曜日

Bijiという名のお店を訪ねてみた

福島市内には、どのぐらいインドネシアと関わりを持つ人々がいるのだろうか、と思って、気になる店や場所や人を探し始めました。

昨年10月、福島市で初めてのインドネシア・フェスティバルが開催されたときに、何人かのインドネシアの方と結婚して市内に住んでいる方にお会いしました。そんな、インドネシアと関わりを持つ方々とも知り合いになれたら、と思った次第です。

今日は、Bijiという名前のお店を訪ねました。



Bijiというインドネシア語の意味は、種、粒、といった感じでしょうか。

お店の方に、どうしてBijiという名前を付けたのか、訊いてみました。

すると、このお店にあるモノを買っていただき、種から草花が育っていくように、大事に大切にそのモノを使っていいものへ育てていってほしい、という願いを込めて、Bijiという名前を付けたのだそうです。

店内には、ちょっと個性的でしゃれた小物や家具が置かれていて、しかもその各々が作者によってきちんとつくられたモノたちでした。モノに込められた作者の思いやモノが造られるまでのストーリーが聞こえてくるような、そんなモノたちでした。

インドネシアのモノは家具で、旦那さんが定期的に買い付けに行かれるそうです。

創業は2005年。こんなお店がもう15年も福島市内にあったなんて、恥ずかしながら、気がつきませんでした。

ただ、お店の方は、昨年10月のインドネシア・フェスティバルのことはご存じなかったのでした。また、福島市内に居住するインドネシア人の方々ともお付き合いはまだないとのことでした。

福島市だけではないのでしょうが、インドネシアと関わった日本人の方と、技能実習生などで来ているインドネシア人の方とが、同じ福島市という比較的こじんまりした空間に居ながら、それぞれが違う世界にいる、という状況なのだと改めて認識しました。

それなら、両者をつなげてみようかな、と思いました。何が起こるかは分からないけれども。つなげることで、もう少し楽しい空間や時間が生まれるような気がします。

BIJI
960-8051 福島市曾根田町3-14
Phone/Fax: 024-535-7716

2019年4月9日火曜日

マイノリティになる経験をすることが大事

日本の昨今のヘイトスピーチの横行や、インドネシアでの多数派イスラムの名の下での強制、といった現象を見ていると、それを行なっている人間が常にマジョリティのなかにいる、という当たり前の事実がある。

しかし、それを行っている人間は、マジョリティのなかでのごく一部の人間に過ぎない。マジョリティのなかのごく一部の人間が、結果的にマジョリティの枠に守られながら、ヘイトスピーチを行っている。

マジョリティのなかの多数派は、マジョリティの同じアイデンティティを持つがゆえに、その方法に賛意は示さずとも、ヘイトスピーチを行う人間をマジョリティのなかから追放することができない。

結局は、マジョリティという繭に守られているから、ヘイトスピーチが可能になるのである。殺人やテロなどのように一線を超えない限り、マジョリティのなかから彼らは排除されない。

だから、彼らは、マジョリティのなかで本当は賛同者が少ないマイノリティだけれども、マジョリティのような顔をしてヘイトスピーチを行える。

たとえ、ヘイトスピーチが深い洞察に基づいたものではなく、もしかすると単なるうっぷん晴らしやストレス解消のネタに過ぎないとしても、それをやれると思っている。

では、彼らがひとりぼっちになったら、ヘイトスピーチをするだろうか。韓国や中国で、彼らはヘイトスピーチをするだろうか。

そんな人をまだみたことはない。

海を隔てた外国から見れば、日本国内でのヘイトスピーチは、犬の遠吠えにすぎない。ただのうっぷん晴らしにしかみえない。しかし、それがマジョリティを動かしてマスで動き始めたとき、外国の反応は急転する。

マジョリティのなかでしか生きてこなかった人たちよ、一人になってごらん。一人になって、誰も知り合いのいない、全く知らない土地へ行ってごらん。

こわい?不安?

自分がマイノリティになって、初めて分かることがたくさんある。騙される。いじめられる。言葉が通じない。ときには、「ここは俺の国だ。日本へ帰れ」と言われるかもしれない。

この日本で、そう言われている外国から来ている人々に思いを馳せられるだろうか。

他者への想像力を高めよ。そのためには、自分がマイノリティになる経験をすることが大事なのだ。

そこで初めて、もし、誰かが自分に憎しみの言葉をぶつけてきたら、自分はどんな気持ちになるのか、が理解できるはずだ。

きっと、そんな目に遭ったら、その人はその国や場所を嫌いになってしまうだろう。二度と来るものか、と思うだろう。

そう、そうなのだよ。

自分がされて嫌なことを相手にすることはどうして正しいのか。相手よりも強ければ、頭が良ければ、それを正当化できるというのだろうか。

それは、ただの傲慢。でも、現実の世界ではよく見られることだ。

一度、マイノリティになってみよ。一人だけになってみよ。マイノリティになる経験をした人間が多くなれば、他者への想像力がもう少し高まったマジョリティの社会をつくることができるはずだ、と思う。

桜の背景にはやはり青空が似合う。