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2017年5月31日水曜日

機種変更の顛末、日野まで行って3万円引き

日本でもう2年半以上使っているauの携帯電話(アンドロイド)。1年ぐらい前から電池の持ちが著しく悪くなり、日中使うと画面が明るくならないなど、使いづらくなってきたので、機種変更をすることにしました。

6月はおそらく福島にいる時間が長くなるので、5月中に機種変更しようと思っていたのですが、ずるずると末日までずれ込んでしまいました。

まず、東京の自宅近くのauの店へ行ったら、待ち時間が60分。午後2時頃から、都内で用事があったので、時間がかかるので止めて、某量販店へ向かいました。

某量販店で機種変更の代金を出してもらったら、私がインターネットのauサイトのシミュレーションの価格よりも1カ月あたり145円高い! そこで、量販店の係員にその理由を質しました。しかし、しどろもどろで説明ができず、彼らの持っているタブレットに組み込まれたシステム上、そのような額になる、とのわけのわからない説明をされました。


結局、その理由は解明されませんでしたが、私のような客は稀で、ほとんどはタブレットで説明するとそのまま購入してくれるのだそうです。それでいいのでしょうか。

2017年5月30日火曜日

高僧を敬えという声の陰で

昨今のインドネシアの状況を憂う人々がかなりいる様子です。

政治目的のために、社会の分断を煽り、敵を作り出して攻撃する。もっとも、そうした状況を理解し、そうした手法の浅はかさを見抜いている人々も少なくはありません。

しかし、見抜いていたとしても、それを声高に言いにくい雰囲気が生まれている気配があります。

その一例は、イスラム教の神学者(ウラマー)や高僧(イマーム)を冒涜してはならない、という主張の流布です。イスラム教の世界で、彼らは敬われる存在で、彼らの言うことはありがたく受け止めるものである、という一般常識があります。

しかし、彼らの一部には、政府や国家イデオロギーを批判するような説教をモスクで行なう者がいるようです。これまでも、そうした説教の中身が過激で、説教を聞く者たちを煽る内容として問題視され、過激な考え方へ促すとみなされる面もありました。

2017年5月29日月曜日

インドネシア語や英語でも発信したい

今年は、このぐろーかる日記をここまでなんとかほぼ毎日更新してきています。今日のように、何もなかったわけではなくても、あえて書く材料がない日もあります。

毎日更新し始めて、もうすぐ半年になりますが、こうなると、これを書かずに1日を終えてしまうと、物足りなさというか、罪悪感というか、そんなことを感じてしまうほどです。毎日の生活の一部になっているかのような気分です。

これまでの傾向を見ると、インドネシアの政治に関する話を書くと、アクセスがぐーんと増える傾向にあります。その他の話でも、まあそこそこアクセスがあり、毎日読んでくださる殊勝な読者の皆さんがある程度はいらっしゃる様子がうかがえます。

本当は、もっとゆるーく書いていきたいのですが、やっぱり、日によっては力が入ってたくさん書いてしまうことも少なくありません。写真一枚でおしまい、という日もあっていいし、これからそんな日もあると思います。そんな日は、まあ、お許しください。

日本語でこのブログを書いているわけですが、やっぱり、インドネシア語や英語でもブログを書いたほうがいいのだろうな、と思っています。欲張りかもしれませんね。

2017年5月28日日曜日

福島=岐阜=東京の移動は疲れたが有意義だった

今日は、福島→岐阜→東京と移動の日でした。


福島から岐阜までは669キロあり、片道601キロ以上だと往復運賃割引(1割引)となるので、福島=岐阜間の往復乗車券を購入しました。有効期間は5日間の2倍なので、10日間、5月28日から6月6日まで有効です。6月1日からまた福島の予定なので、岐阜から戻る今日は、東京都区内で途中下車、という形にしてあります。

昨日は、福島で「風評被害」に関する勉強会に出ましたが、今日は、岐阜で、正会員になっている認定NPO法人ムラのミライの年次総会に出席してきました。

2017年5月27日土曜日

福島で「風評被害」の勉強会に出席

今日5月27日、福島市曽根田のアオウゼで、NPO法人ふくしま30年プロジェクトの主催する「風評被害」の勉強会に出席しました。講師は福島大学の小山良太氏で、とても納得できる話を聞くことができました。

風評被害については、つい最近、NHKのクローズアップ現代で取り上げられ、少し前の私のブログで、米の全量全袋検査のことを書きました。また同じ内容の番組をNHK東北版で放映したそうで、小山氏は東北版のコメンテーターを務めたとのことです。

小山氏によれば、風評被害の原因は消費者の買い控えではなく、流通における取引順位の低下(最下位になったこと)にある、という点です。

果樹のように、希少性や時限性の高い旬のある産品はあまり影響がない一方、米や肉のように、年間を通じて安定供給される産品において、福島産の取引順位、すなわち市場で取引される順番が最も後になってしまった点が原因である、という見解です。

米について言うと、福島の米はもともと品質が高いため、家庭用として売られてきましたが、震災後、市場での取引順位が最下位となってしまい、業務用として扱われるようになっていきました。現在、JAと民間とを合わせて、福島米の6割程度が業務用になっているようです。

福島米が最も流通しているのは首都圏ですが、その次に多いのが沖縄県です。その沖縄でも、福島米の取引順位は大きく下がり、価格が下がりました。それを受けて、ある沖縄のお弁当屋さんが米を福島産へ変えたところ、「弁当が急に美味しくなった」と評判になり、作る先から売れてしまうのだそうです。

2017年5月26日金曜日

発行予定ウェブマガジンへの投稿者募集

様々ないくつものインドネシアを日本語で伝えたい、という思いから、2017年7月に、有料会員制のウェブマガジン(月3回程度)の発行を考えています。

また、このウェブマガジンの購読者(会員)向けに、会員どうしで情報交換のできる掲示板(フォーラム)を敷設することも検討中です。

日本で流れているインドネシア情報は、ビジネスを行う上での指南本や観光ガイドが多く、また、バリやジャカルタの情報がほとんどです。

日本人が住むところで売れるもの、日本人に身近なもの、と考えるとそのようになってしまうのでしょうが、9割以上のインドネシアが知られていない、という状況にあります。またメディアの情報も、インドネシアの過去の出来事や歴史や文化を踏まえられておらず、表面的な情報となってしまっている印象があります。

そこで、このウェブマガジンでは、インドネシアにディープに関わっている皆さんのご協力をいただき、インドネシアをより広く深く知り、いくつものインドネシアを伝えたいと考えます。

このような趣旨に賛同していただける方で、ウェブマガジンに原稿を投稿してくださる方を大募集したいと思います。

条件は以下のとおりです。

2017年5月25日木曜日

高校時代の友人と38年ぶりに再会

今夜は、高校時代の部活の仲間3人と一緒に飲みました。彼らと会うのは高校を卒業して以来、実に38年ぶり。3人のうちの1人は、小学校、中学校、高校と一緒の友人です。


我々は高校時代、福島県立福島高校の男声合唱団に属していました。高校時代の話はもちろん、当時の友人たちや恩師の消息についても色々と情報交換しました。けっこう、たくさんの友人たちが東京周辺にいるようでした。

彼ら自身は、時々、年に数回、高校時代の友人たちと会っているようでしたが、海外へ行っていることの多い私とはほとんど接点がありませんでした。あるとき、友人のアカウントをフェイスブックで見つけ、連絡を取るようになって、今回のような、38年ぶりの再会となったのでした。

不思議な気分です。いったん会うと、38年の年月があっという間に消え、昔の自分に戻っていました。お互いに名前を呼び捨てにできる、高校時代の仲間との出会いというのは、やはり何ものにも代えがたいように感じました。

2017年5月24日水曜日

1000万袋以上の福島県産米を全量全袋検査、基準値越えは無し

マカッサルからいきなり福島の話へ移ります。

夜のテレビで、福島米の風評被害の話を取り上げていました。安全安心なのに、なぜ売れないのか、という話でした。

福島県では、出荷販売用だけでなく、自家用も含めて、県産米の全量全袋検査を2012年8月から実施しています。ここで採られている方法は、「ベルトコンベア式放射性セシウム濃度検査器」によるスクリーニング検査で、30キログラムの玄米袋を毎年1000万袋以上、検査しています。

スクリーニング検査について、福島県は以下のページで説明しています。

 全量全袋検査のスクリーニング検査

そして、2014年以降、すべての袋が基準値(100 Bq/kg)以下となっています。1000万袋以上のすべてが基準値以下、ということになります。そして、基準値の半分を超えるものについては、さらに、ゲルマニウム半導体検出器による詳細検査を行っていますが、その対象となったのは、2014年で、1000万袋以上のうちのわずか2袋でした。

日本で、福島県以外でこれと同じレベル以上の検査を行っている都道府県は、ほかにあるでしょうか。いや、世界であるでしょうか。

2017年5月23日火曜日

マカッサルをバイクタクシーで歩く

今回のマカッサル滞在中、愛用したのがバイクタクシーでした。バイクタクシーはインドネシア語でオジェック(Ojek)と呼ばれ、バイクの後ろにまたがって移動するものです。

ジャカルタなどと比べると、マカッサルはこれまでオジェックが相対的に少ない町でした。1980年代ぐらいまで交通手段はベチャ(輪タク)と乗合(ペテペテ)が主で、あとは白タクをチャーターするという形でした。マカッサルにメータータクシーが現れるのは1990年代初めで、その後、タクシー会社の数は2000年代に入って急速に増えました。

インドネシアでバイクタクシーを初めてスマホで呼べる仕組みを入れたのは、ゴージェック(Gojek)という会社で、ジャカルタで開始したのは2011年頃でした。スマホのアプリで行く先を定めてバイクタクシーを呼ぶと、読んだ場所の近くのバイクタクシーが示され、あと何分で呼び出し場所へ着くか、行く先までの料金がいくらかがスマホ上に示されます。

マカッサルでゴージェックがサービスを開始したのは、この1〜2年ぐらいのことです。今回も、まずはゴージェックをスマホで呼んでみました。しかし、リクエストを出してからバイクタクシーを見つけるまでの時間が長すぎて、5分経っても見つからないような状況が何度もありました。

そこで、試しにグラブ(Grab)を使ってみました。

2017年5月22日月曜日

インドネシアのローカルとしての拠点はやはりマカッサル

今、クアラルンプール国際空港でトランジット中です。これから、成田行きのマレーシア航空機で帰国します。

久々にマカッサルで長い時間を過ごし、久々にマカッサル国際作家フェスティバルにしっかりと参加しました。これまで、時間の都合がつかず、参加できなかったり、2日程度しかいられなかった年もありました。今年は、3つのパネルでパネリストになるなど、よりコミットしたという満足感があります。

来年のマカッサル国際作家フェスティバルに関しては、自分もセッションを2つぐらい持ってみたいと思い始めました。1つは、東日本大震災後の東北の文学及び地域文化に関するセッション、もうひとつは、マカッサルにおける華人文学者と若手作家との対話を実現するセッションです。

具体的な内容はまだこれから考えていきますが、何らかの形で、このフェスティバルを通じてマカッサルと東北をつなぎ、マカッサルのなかの非華人と華人とをつないでみたいと今の段階では思います。

会社として、このフェスティバルをビジネスとしては考えることは難しいです。しかし、インドネシアにおける自分のローカルの拠点がやはりマカッサルだと改めて確認できた以上、マカッサルで今起こっているポジティブな動きを少しでも支え、他のローカルとそれを繋いでいくことが、私の役目ではないかと強く感じた次第です。少なくとも、有望若手作家セッションへのスポンサー役を続けていきたいと考えています。

そんなことを、数日前、マカッサルの夕陽を見ながら、思いました。今年は、別の用務で、マカッサルにはまだ何度か来ることになりそうです。


2017年5月21日日曜日

友人が主宰する「緑の館」を訪問

今日は日中、友人のDarmawan Daeng Nessa氏が主宰する「緑の館」(Rumah Hijau Danessa)を訪問しました。



場所はゴワ県ボントノンポ郡にあり、タカラールへ向かう街道から西へちょっと入ったところです。2007年に大学教師を辞めて、父親を説得して土地を譲り受け、緑の館を建設し始めました。現在では、図書館、集会所などの建物に加えて、森や緑地などを整備しています。

特筆すべきは、この地域でなくなった、あるいはなくなりつつある植物の種苗を保存し、実際に植えていることです。さらには、敷地内にある植物の一つ一つの名前や学名はもちろんのこと、その植物を地元社会がどのように活用してきたかを物語として伝えている点です。

2017年5月20日土曜日

国際作家フェスティバルのフィナーレ

マカッサル国際作家フェスティバルは、5月20日が最終日。私自身のパネリストとしての役割を終えたので、フェスティバルとは関係のない友人と面会し、その友人の関係する用事に付き合った後、友人も連れて、フェスティバルのフィナーレに参加しました。


たくさんの若者たちが静かに、騒ぎも起こさずに、芝生に座って、フィナーレの演目を見聞している姿が印象的でした。もちろん、途中で飽きて、退席する者もいました。せも、大多数は最後まで残って、しかも一部は、終了後にごみ拾いをしていました。

一緒に行った友人は、「マカッサルでないみたいな光景だった」と言いました。たしかに、学生デモなどでマカッサルの若者は騒ぐ、という一般的なイメージとはほど遠い光景だったかもしれません。

2017年5月19日金曜日

動く動く移動図書館ほか

マカッサル国際作家フェスティバル3日目。私は午前中の"Book and Activism: Indonesia's Moving Library"と題するセッション、すなわち、インドネシアの移動図書館について討論するセッションに、3つ目のパネラーとして参加しました。

一緒にパネラーとなったのは、馬に本を積むなどして辺境地へ本を届ける活動をしているNirwan Ahmad Arsuka氏、主に西スラウェシ州などで船やトラックやベチャ(輪タク)に本を積んで離島や農村を回る活動を続けているRidwan Alimuddin氏、西パプア州で辺境地へ本を届ける活動をしているグループNoken PustakaのSafei氏で、なぜか私もパネリストになっていました。

併せて、夕方には、パネラーの一人であるRidwan氏による3隻目の図書館船が披露されました(下写真)。


2017年5月18日木曜日

2つのセッションでパネリスト

マカッサル国際作家フェスティバルの2日目、私は2つのセッションでパネリストを務めました。

一つ目は、"Asia in our Hands: Japan, Malaysia & Philippines"というセッションで、マレーシアとフィリピンから招待された若手作家に、今回、人形劇のワークショップを主宰したジョグジャカルタの女性アーティストを加えたセッションでした。

このセッションでは、実行委員長のリリ・ユリアンティからリクエストがあったため、福島の話をしました。様々な風評が世界中に流布しているが、帰還困難区域は福島県の一部であり、大半の地域では日常生活が営まれていること、除染や産品検査が行われて監視し続けていることなどを紹介したうえで、和合亮一氏の「詩の礫」の初期の作品で英訳されている「悲しみ」という詩の一節を、試みに日本語と英語で朗読しました。参加者はしっかりと聞いてくれました。

他のパネリストからは、どのように他国の文学への関心を引き起こすか、そのためのネットワークをどう作っていくか、といった話が展開しました。インドネシアの参加者はマレーシアやフィリピンの文学作品についてほとんど知らず、また、マレーシアでもフィリピンの文学作品はほとんど知られていない。その一方で、韓国ドラマはけっこう皆知っている、という状況であることを確認しながら、文学者どうしがこうしたフェスティバルのような場を通じて、もっとコミュニケーションを取り合うことが必要だという話になりました。

私からは、文学者どうしのコミュニケーションも必要だが、キュレーター間の交流をもっと進めていくことも合わせて重要ではないかという意見を述べました。

2つ目は、"How to Rise Readers in Your Family"というセッション、すなわち、本好きの子どもを育てるにはどうしたら良いのか、というテーマでのパネルディスカッションでした。

2017年5月17日水曜日

国際作家フェスティバル、テーマは多様性

本日5月17日から、マカッサル国際作家フェスティバル2017が始まりました。20日まで開催されますが、私自身は、期間中、3つのセッションでパネラーを務めます。日本からの出席者は私ひとりとなりました。

今回の国際作家フェスティバルのテーマは「多様性」です。昨今のジャカルタ首都特別州知事選挙などを見てお分かりのとおり、インドネシアでも多数勢力が政治的な力を誇示する傾向が危惧されており、そうした状況を踏まえたテーマ設定となりました。


フェスティバル実行委員長である作家のリリ・ユリアンティは、開会イベントで、次のように演説しました。

2017年5月16日火曜日

マカッサルに着きました

5月16日の夕方4時半過ぎに、マカッサルに到着しました。やっぱり、マカッサルに来ると、気分が高揚していきます。

ホテルに荷物を置いて、我々の仲間が運営しているRuma'ta Art Spaceへ向かいました。

すでに紹介したかもしれませんが、このRuma'ta Art Spaceは、マカッサル出身の作家Lily Yulianti(福島の当社オフィスへの来客第1号)と同じくマカッサル出身でインドネシアを代表する映画監督のRiri Rezaが主宰し、地域の若手文化人・芸術家たちの活動空間となるような場を設け、その場を通じて新しい地域主体の文化創造活動を促す運動を行っています。

Ruma'ta Art Spaceに関しては、私も初期段階から少なからず関わっており、今も大事な仲間としての関係を続けています。

今回のマカッサル訪問は、このRuma'ta Art Spaceが主催するマカッサル国際作家フェスティバル(MIWF)に出席することが目的です。今年で7回目、政府から一切の補助金を受けず、独自に民間からのスポンサー収入で運営しています。

MIWFの話はこれからブログで紹介していくとして、マカッサルについて早々、インドネシアの詩人Supardi Djoko Damonoの若い頃に書いた自筆の詩の書簡が発見されたということで、彼の1958〜1968年の詩作を回顧する展覧会のオープニングセレモニーがRuma'ta Art Spaceで夕方開催されているというので、Ruma'ta Art Spaceへ向かったわけです。



2017年5月15日月曜日

美人鍋で雑談会

今日の夜は、美人鍋を食べながら雑談会でした。


集まったのは私を入れて4人。当初、中華しゃぶしゃぶを考えていたのですが、参加者のうちの2人の友人がマネージャーをしているという、この店に変更しました。

美人鍋は、日本の塚田農場が出店した店です。何が美人鍋なのか、鍋を食べている間に美人が現れて鍋の具を取り分けてくれるのか、はたまた鍋の中から美人が現れるのか。想像力豊かな4人があれこれ勝手に思いつきで楽しんでいましたが・・・。

2017年5月14日日曜日

ジャカルタでアポ4本

今日は、日曜日にもかかわらず、朝から夜まで4本もアポが入ってしまいました。いまも、最後の1本の最中なのですが、まもなく日本時間の日付が変わってしまうので、ビールを飲んで半分酔っ払いながら、書き付けているところです。

4本のアポでも、、話題はアホックと今後の政治がどうなるか、という話題が中心でした。これについては、別の機会にきちんと書こうと思っていますが、今後、2019年の大統領選挙へ向けて、必ずしも楽観できない事態が起こる可能性がある、とだけ、ここでは申し上げたいと思います。

今日は酔っ払ってしまっているので、とりあえず、ここまでということでご勘弁ください。

2017年5月13日土曜日

ジャカルタの宿舎に無事到着(「雑談会」の予告付き)

先ほど、現地時間の夜7時過ぎにジャカルタに着きました。

JAL Global Club (JGC) のメンバーになったので、成田空港で、搭乗10分前なのに、サクララウンジで「朝カレー」を食べました。これはJGCになったら是非やりたいと思っていたこと。

今回はマレーシア航空でしたが、いつからなのか不明ですが、ワンワールド加盟会社なので、JGCサファイヤのステータスが適用されます。そのせいか知りませんが、ジャカルタに着いたら、荷物が2番目に出てきてびっくりしました。

タクシーでジャカルタの宿舎(昔のインドネシア大学留学時代の私の下宿)に到着。このところ、ずっとジャカルタに泊まる用事がなかったので、この宿舎に来るのも久しぶりです。

下宿のおばさんは、また少し足が弱ったようでした。私が来なくなったせいもあるかな、と少し心配になりました。

今日はゆっくり休んで、明日、明後日とジャカルタで動きます。

<予告>
5月15日(月)夜、ジャカルタの某所で、何か美味しいものを食べながら「雑談会」をしたいと思います。先着8名としたいと思います。ご希望の方は、早めに松井(matsui@matsui-glocal.com)までご連絡ください。

2017年5月12日金曜日

草間彌生展へようやく行けました

今日は、午前中にアポイントメントが1本あった後、夕方から、妻と一緒に、国立新美術館で草間彌生展を観てきました。


明日からインドネシアで、帰国したときにはもう終わってしまっているので、どうしても今日を外したら観に行けないという状況でした。でも、年齢のせいか、昨日の福島日帰りの後遺症なのか、今日は疲れからか、ちょっと体がきつく感じたので、草間彌生展へ出掛ける前に、駅で栄養ドリンクを1本飲みました。

それが聞いたかどうかはわかりませんが、草間彌生展を観ている間、なぜか軽い興奮状態になり、眠気も吹き飛び、しっかり観ることができました。彼女自身の声が入っている音声解説は、彼女の詩の朗読や歌も入っており、一聴の価値があります。

金曜の夜ということでしたが、混雑ぶりは予想の範囲内。それでも、夜遅くなるにつれて、人の数がむしろ増えたように感じました。

2017年5月11日木曜日

急遽日帰りで福島へ、その理由は

今日5月11日は、急遽、東京から福島へ日帰りしました。昨晩、事務所の件でお世話になっているオーナーから電話があり、福島地方法務局に出向いて確かめなければならない用事が出来たためです。

オーナーによると、その電話は「定款が提出されていない」という内容でした。まさか、登記手続を終えて、国税庁から法人番号も通知されて、銀行法人口座の開設を進めるなど、事業開始の準備を進めているのに、その根本たる定款が未提出とは、一体どうなっているのか、最初は見当がつきませんでした。

3つの可能性が考えられました。第1に、電子定款で申請したのに、法務局が「紙の定款がない」と勘違いした可能性。第2に、電子定款で申請した際のCD-Rに私がファイルをきちんと焼き付けていなかったのでファイルが見当たらないという可能性。第3に、これは大変失礼なのですが、オーナーが何か聞き間違えた可能性。

そこで、昨晩は、もう一度きちんとCD-Rに焼き付けるとともに、それをプリントアウトした「紙の定款」を用意しました。CD-Rに焼き付けたファイルをMacでもWindowsでも読めることを確認しました。

2017年5月10日水曜日

アホック有罪判決で思ったこと

昨日、ジャカルタ首都特別州のアホック州知事がイスラム教を冒涜したとされることに関する裁判(一審)が結審し、禁固2年の判決が下されました。アホック州知事はすぐにそのままチピナン拘置所に収監されました。アホック側は控訴する意向を示しました。

実は、この裁判で、検察は禁固1年、執行猶予2年を求刑していました。判決はこの求刑よりも重いものです。日本では、一般に求刑よりも厳しい判決が出ることはまずあり得ませんが、インドネシアでは、なぜかわかりませんが、求刑よりも厳しい判決が下されることが割とよくあります。

現職のアホック=ジャロット組は、先のジャカルタ首都特別州知事選の決選投票でアニス=サンディ組に敗れたばかり。それに今回の禁固刑の判決が追い打ちをかけ、アホックの政治生命もこれで終わりか、という気配もうかがえます。

アホックを毛嫌いしてきた勢力にとって、今回の有罪判決はまさに希望したものでした。彼らにとって、アホックは邪魔者なのです。彼らの権益を侵すような行動をとり、汚職にも厳しい、万が一、アホックが大統領になったら、なんて考えるだけでもおぞましい。とにかく、何でもいいから、アホックをディスる材料を血眼になって探したのでした。

イデオロギーや政策上の意見対立ではなく、アホックが嫌い、という一点集中。嫌いな理由は、態度が直情的で粗野、華人でキリスト教徒のくせに偉そうにしている、といったものでした。アホックの欠点を血眼になって探してはみたものの、汚職疑惑も女性問題も見つけることができず、困っていたわけです。

そこに例のビデオが出てきました。

2017年5月9日火曜日

法人口座開設の顛末

事業の準備として、これまで3つの銀行(T銀行、M銀行、R銀行)で法人口座の開設を進めてきました。今回は、その顛末について、少しお知らせしたいと思います。これから会社設立を考えている方の参考になれば幸いです。

まず、会社を登記した福島市に1つ開設しました。事務所から歩いて2分のところにあるT銀行の支店です。福島県ではナンバーワンの地方銀行です。

この支店は、私がお世話になっている古民家のオーナーが懇意にしており、オーナーには今回ずいぶんと助けていただきました。

口座開設の開設を申し込んだのが4月21日でした。翌週、本社住所の状況をみて、口座開設の可否を判断する、ということで、実際に事務所へ来られたのは4月26日朝でした。なんと、支店長と次長が二人でお出ましになり、びっくりしました。

事務所の様子を確認し、古民家のオーナーを交えて色々話をした後、再度、支店へ出向いて書類を整え、翌4月27日に無事法人口座を開設できました。

古民家のオーナーのおかげに加えて、次長が高校の後輩というつながり、支店長も交えて自分たちの中学・高校時代の話題で盛り上がれる、あの親近感は他ではなかなか味わえないものでしょう。

2017年5月8日月曜日

2020年について改めて思う

今から4年近く前の2013年9月5日、私は以前のブログで、東京オリンピックへの立候補プレゼンテーションに関連して、少し書きました。よろしければ、以下のリンクをご覧になってください。

 「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」発言

私の東京オリンピックへの感じ方は、あのときからあまり変わっていません。心から歓迎する気持ちには今でもどうしてもなれません。

その後、ロゴの剽窃疑惑やら、国立競技場の建て替え問題やら、テニス会場を巡る都市間での諍いやら、オリンピックというビッグ利権に群がるハイエナたちの様子が感じられます。

オリンピックとは直接関係なくとも、オリンピックを理由にした様々な思惑もどんどん出てきています。築地市場の移転問題も、オリンピックに間に合うように環状2号線の建設を進めたいということも事の一端だったと思います。

オリンピックが開催される2020年を新しい日本の門出の年にしたい、と勝手に思う野心的な政治家たちが正々堂々と現れ出しました。

最も驚いたのは、5月3日、日本のメディアがこぞって、安倍首相の「2020年の憲法改正を目指す」という発言を一大事としてトップで取り上げたことです。

2017年5月7日日曜日

成長しなかった子供のように常に原点へ戻る

大学を卒業して初めて就職した研究所にインドネシア研究者として23年間奉職し、退職してからすでに9年が経ちました。大学を卒業して社会人になったとき、これからの人生でこんなことをしたい、と思ったことがありました。

それは、地球のどこかで、そこの人たちと一緒に何か新しいモノやコトを創りたい、そこの人たちと幸せになるようなモノやコトを一緒に。援助とかではなく。ものすごく抽象的ですが、そんなことを思いました。

ではどうして研究所に入所したのかというと、まずは、世界中のどこか、自分が最も深く付き合っていけるところのことを知らなければならない、できればそこのところに関するプロフェッショナルになりたい、と思ったからでした。

研究所に初めて出勤したときに、上司から「君はインドネシア」と担当国を告げられ、私のインドネシアとのお付き合いが始まりました。インドネシアのことを全く知らないゼロからの出発でした。インドネシア語を学び始め、インドネシアで発行された英字紙を毎日読んでメモを取り、上司から指示された課題図書を読み、「何も知らないからすべて勉強」と納得して、自分の能力のなさを痛感しながら日々を過ごしていきました。

2017年5月6日土曜日

ダイアローグ・イン・ザ・ダークを初体験

前々から絶対に参加したいと思っていたダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)。視覚障害者のアテンダントの声を頼りに、何人かのグループで、視覚以外の全感覚を使いながら、真っ暗な暗闇空間で一緒に過ごすイベントです。

 ダイアローグ・イン・ザ・ダークのホームページ

これまで、タイミングがなかなか合わず、参加できていなかったのですが、比較的時間のあるゴールデンウィーク中の今日、お一人さまで参加できるプログラム「一期一会」に参加してきました。下の写真は、DIDの会場への入口です。



定員8名に対して、参加者は7名。全くの見ず知らずの参加者どうし、本名も名乗らず、ニックネームで呼び合い、そのニックネームもなかなか覚えられない、という状態でスタートしました。

まず、薄暗い部屋に入って、参加者は自分の使う白杖を選び、アテンダントから白杖の使い方を学びます。そして、すぐに真っ暗な空間へ入っていきます。

2017年5月5日金曜日

飲めないのに飲んでしまった福島の日本酒の美味しさ

5月1日の夜、福島のオフィスを訪れた2人目の来客であるジャーナリストの友人と夜、義妹が勧めてくれた福島市内の店「はりまや」にて、美味しい料理とともに、日本酒をゆったりと飲みました。


私はアルコールが苦手で、ビールをコップ1杯飲むだけで、顔がすっかり真っ赤になってしまいます。家でも晩酌をしたことはおろか、クリスマスの時のワインなどを除いて、アルコール類を飲むこともありません。

これまでは、アルコールを飲むと、持病の気管支炎のせいか呼吸が苦しくなることが多く、友人たちと飲むときも、ビール1杯程度で抑えるようにしていました。

2017年5月4日木曜日

みどりの日に緑を満喫

今日は、妻と一緒に、東京西部の武蔵国分寺公園へ行き、澄み切った青空に映える緑を満喫しました。







2017年5月3日水曜日

ふと思い出した農林21号のこと

福島から戻って、東京の自宅で家族とのんびり過ごしていた憲法記念日。

何気なくテレビを観ていたら、「ラブ米」というアニメをやっていました。米を題材とした作品で、農林水産省ともタイアップしているアニメらしいのですが、それを見ながら、ふと、農林21号のことを思い出しました。

昔、子どもの頃、「一番うまい米だぞ。寿司米には最高なんだ」と父に言われて、たまに食べさせてもらったのが農林21号でした。福島では当時、最上級の品質の米で、私はずっと、一番美味しい米は農林21号だと信じてきました。その後、コシヒカリやらササニシキやらがメジャーになり、いつしか、農林21号という名前を聞かなくなっていきました。

もう今やないのかと思って、グーグルで検索すると、石川県加賀市で今、農林21号の復活を試みていることを知りました。詳細は以下のページを参照してください。

 農林21号について

農林21号は手植え時代の品種で、田植え機の普及などにより機械化農業では扱いにくい品種となり、機械化に適した品種へと変わっていくなかで、農林21号の出番はなくなっていったようです。(コシヒカリに関する記述は誤っていましたので削除しました)

2017年5月2日火曜日

美しく寂しい長泥の桜

昨日、2人目の来客として私の福島のオフィスを訪問してくれたのは、ジャーナリストの友人でした。この友人が飯舘村へ行くというので、今日は、それに便乗して私も付いて行きました。

行先は、飯舘村長泥。飯舘村の中で唯一、まだ帰還困難区域に指定されたままの地区です。2013年11月27日と2014年3月10日の2回、「NHKニュースウォッチ9」で長泥地区の現状を伝える特集が組まれており、それをご覧になった方もいるかと思います。

ジャーナリストの友人の知人である長泥地区から福島市へ避難されている方と一緒に、長泥地区へ入りました。入ってすぐに、信じられない光景が目の前に広がりました。




誰もいない、静かな空間に、今を盛りと咲き誇る満開の桜でした。それはそれは、本当に見事な桜でした。

2017年5月1日月曜日

<急募>主任日本語教師求む

私の友人がインドネシア人向けの主任日本語教師を探しています。

条件は日本国内の日本語学校で3年以上勤務経験あり。国籍問わず。勤務地は大分県佐伯市。待遇はかなり良いようです。勤務開始は2017年5月中。

興味のある方、心当たりのある方は、私までFBメッセージまたはメール( matsui@matsui-glocal.com )にて早めにご連絡ください。