2018年10月26日金曜日

予想より早く、インドネシアの滞在ビザを受領

今日(10/26)午後、東京のインドネシア大使館領事部へ出向いて、一時滞在ビザの発給を受けてきました。

このビザの申請をしたのが一昨日の10/24、わずか2日でビザが発給されました。

インドネシア大使館のホームページ( https://kbritokyo.jp/visa/ )の説明では、一時滞在ビザの取得に関しての記述は、次のようになっています。

・取得日数:4日(土日、両国の祝日は除く)
・申請時間:09:30-11:30(予約不要)
・支払い:15:30-16:30 (申請日の翌日)
・受領:15:00-16:30

ということは、ビザの申請、支払い、取得と、3回、出向かなければならないことになります。

今回の経験からすると、上の記述は、以下のように改訂される必要があります。

・取得日数:2日(土日、両国の祝日は除く)
・申請時間:09:30-11:30(予約不要)
・支払い:申請時に券売機で購入し、申請書と一緒に提出
・受領:14:00-16:00

出向くのは、ビザの申請と受取の2回のみ、取得は申請の翌々日、です。

受領は、個人の場合、できるだけ14時ぐらいに行ったほうが良いようです。受領の際には、受付番号をとって待つ必要はなく、直接、受付窓口へ行くほうがよいようです。というか、受付職員自身が「窓口へ直接来てください」と言うのです。

個人の場合、できるだけ14時に来たほうがいいのは、後半になると、エージェントがやってきて、個人だと受け取れなくなるからだそうです。

ビザの申請でも受領でも、書類が全て整っていたためか、何もクレームも嫌がらせもなく、とてもスムーズに進みました。職員もとても感じのいい方で、冗談もいくつか出るぐらい、和やかな雰囲気で、よかったです。

代理でビザ取得に来ていたエージェントのおじさんたちも皆、職員とは顔なじみの様子で、実に和やかな雰囲気でした。

おそらく、個人でビザの申請・取得のためにインドネシア大使館領事部へ自ら足を運ぶ方はほとんどいないかもしれませんが、機会があれば、一度、覗きに来てもいいかもしれません。

昔は、なんとなくちょっと厳かで怖そうな雰囲気だったような記憶ですが、今は、事務は事務で迅速に行われ、雰囲気はとても和やかになってきたような気がします。

ところで、今回、一時滞在ビザを取ったのは、インドネシアでも正々堂々と仕事ができるようにするためです。報酬を受けられるようにするためです。

今後は、日本のクライアントだけでなく、インドネシアのクライアントとも仕事をしていきたいと思っています。

11月12〜30日、インドネシアへ行き、まずは、今回のビザ取得のためのスポンサーと今後の活動について話し合いをし、イミグレでKITAS取得の手続きを行う予定です。どんな展開になっていくか、自分でもまだよくわかりませんが、楽しみです。

2018年10月24日水曜日

福島市で初めてのインドネシア・フェスティバル

10月21日は、福島市で初めて開かれたインドネシア・フェスティバルを見に行きました。


福島には、在留インドネシア人のネットワークである「コミュニタス福島」という任意団体があり、福島市、伊達市、二本松市、本宮市、郡山市などに居住する留学生や技能実習生がつながっています。


同じように、東北レベルでは、東北6県に住む在留インドネシア人のネットワークとして「東北家族」、インドネシア語では「クルアルガ東北」という団体があり、彼らの間での様々な連絡調整を行っています。「コミュニタス福島」はこの「東北家族」の一躍を担っています。

今回の初めての福島インドネシア・フェスティバルですが、「東北家族」のメンバーが、宮城県や岩手県からも駆けつけて、大いに盛り上げてくれました。とりわけ、塩釜市在住の皆さんによる踊りの数々には圧倒されました。


だって、午前11時から午後2時までの間に、踊りの出し物が8つもあったのです!

インドネシア・フェスティバルでこれだけたくさんの数の踊りの出し物があるのは、珍しいのではないでしょうか。


開始早々、皆が踊りだす、というノリ。壇上で、女性陣が踊りだすと、それに合わせて手を振り、踊りまくる男性たち。これって、スラウェシの田舎でよく見た、結婚パーティーの後、ダンドゥッドで踊りまくるあのノリではないですか・・・。


食べ物コーナーも長い列です。食券制なのですが、筆者は、食券を買いそびれて、結局、何も食べられませんでした。残念。


参加者の多くはインドネシア人たちで、久々に色んな友人たちに会えて、楽しかったようです。でも、日本人のお客さんもけっこう来ていました。福島市内にも、「片方の親がインドネシア人」という方が、実は何人もいらっしゃるような印象を持てました。

友人の話ですが、フェスティバルの会場の脇を通った通行人の方が、「いやー、ここだけなんか空気が違うのよねー」とおっしゃっていたそうです。たしかに、この会場には、開放的であっけらかんとした、楽しい!という素直な雰囲気に満ち満ちていました。

インドネシア・フェスティバルで感じたこのパワー。これがこの福島をもっと面白くすることにつながっていきそうな、何の根拠もないですが、そんな気にさせる力を持っていたように思います。

来年もやるよー!、と皆が口々に叫んでいました。

はい、来年も、コミュニタス福島、東北家族の皆さんと一緒に、無心で楽しめる、インドネシア・フェスティバルを福島市でやりましょう、ね。

2018年10月20日土曜日

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と言われて・・・

ひとりごとの雑文です。もしかしたら、どうでもいいことなのかもしれません。

ちょっと前に、ある日本人の方から「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と、突き放すように言われました。振り返ってみると、それ以前にも、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」などと言われたことがありました。

日本とインドネシア。そのどちらかに身を置いていないといけないかのような・・・。

もちろん、自分は日本人の両親から生まれた生粋の日本人であり、日本国籍を持っています。それは、自分の意志で選んだものではなく、たまたまそうなったのです。

これまでには、日本国の税金を使わせていただいて、国際協力の仕事も行ってきました。日本国の税金を使う以上、日本のためになる成果を上げる必要があることは十分に自覚しています。

自分としては、それは、相手(私の場合は主にインドネシア)が日本の味方になってくれること、日本を深く信頼してくれること、いざとなったら、日本を助けてくれるような関係をつくること、だと思ってきました。相手のためになる仕事をすることが、日本のためにもなる、と信じて、自分なりに仕事をしてきました。

だから、日本だけが利益を得ればよい、あるいは、相手だけが利益を得ればよい、というふうには考えられませんでした。

これは、商売やビジネスでも同じことだと思うのです。相手をだましたり、出し抜いたりしてでも、自分だけが利益を得ればよいという考えでは、商売やビジネスは成り立たない。双方に信頼関係ができて、はじめてうまく行くものではないかと思います。

そう考えてきたので、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか、「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」というふうになぜ言われなければならないのか、よくわからないのです。

そういう人からすると、私の行動は、相手の利益しか考えていないように見えるのでしょうか。敵・味方みたいな話になってしまうのでしょうか。

いつの頃からか、私自身、日本とかインドネシアとか、国単位で物事を考えることが減っていきました。より生活空間に近い地域やコミュニティ、あるいは実際に接している個人や団体を個々にみるように変わっていきました。

日本にも様々な人がいるし、インドネシアにも様々な人がいます。いい人も悪い人も。誠実な人も不誠実な人も。○○国人はどうだ、と簡単に言えなくなっていきました。

同じように、○○教徒はこういう人間だ、とか、○○種族はどうだ、とかも簡単に言えなくなってきました。

世の中には、国や宗教や種族に応じて、勝手にイメージを作り上げ、レッテルを貼る人々がまだまだたくさんいるのでしょう。もしかしたら、それが多数派なのかもしれません。たとえば、実際、インドネシアにおける外国人イメージにも、辟易することがよくあります。

なんだか、最近は、二つのうちから一つを選ぶ、踏み絵のような話ばかりが横行して、第三の道やそれらとは次元の違う考え方がもわもわっと現れてくる余地を狭めているような気がします。

信頼関係をつくるのに必要なのは、ディベートではなく、対話です。ディベートと違って、対話に勝ち負けはありません。敵・味方を区別して、勝ち負けを競うような言論空間がずいぶん広がってしまったような気がします。そして、勝ち続けなければならない、というような脅迫観念が蔓延しているかのようです。

果たして、「日本かインドネシアかどっちなのだ?」と私に問う人は、相手と対話を行うつもりがあるのでしょうか。対話をして相手の言うことを聞いてしまったら、それは負けなのですか。

対話に勝ち負けはありません。対話は相手を変えるためだけを目的に行うのではなく、対話のプロセスを通じて、互いに「何を話しても大丈夫!」という安心感・信頼感を醸成しながら、相手も自分もともに変わるものです。

きっと、自分が変わることを恐れる自分がいるのです。自分は変わらず、相手だけを変えることが勝ちだと意識しているのかもしれません。

日本とかインドネシアとか、そういった国を自分が意識しなくなってきたことで、国家を背負って仕事をされている方々は、そんな私に負のレッテルを貼っているかもしれません。

インドネシアのために何かをすることが日本のためになる。私が国際協力の仕事を始めた頃はそういう空気がまだあった気がします。でも、今や、そう考えてはいけないのでしょうか。

誰が何と言おうとも、私は相手と対話を続けていきます。相手に負のレッテルも貼りません。信頼関係の醸成なくして、相手とのよい関係を築くことは不可能です。

日本かインドネシアか、と聞かれたら、やっぱり、両方、と答えるしかないです。

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」とか、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか言われても、もう気にしないことにします。その結果として、そういう人たちと仕事ができなくなっても、それはしかたないことです。

自分に賛同してくれる仲間を、地道に増やしていくことにします。そういうスタンスで、対話の力を信じ、レッテルを貼らず、自分なりに、信頼できるつながりの輪を広げていきたいと思います。

2018年10月19日金曜日

毎月食べたくなる、椏久里のケーキ

10月も、いつもの間にか、もう終盤へ入ってきました。スラウェシ中部地震関連の情報収集を続けているうちに、悶々とした気分の日々になり、正直言って、ちょっと気持ちが鬱屈してしまいました。

そんななか、無性に、あのケーキが食べたくてしょうがなくて・・・。

福島で時間があれば、必ず食べに行く、それが椏久里のコーヒーとケーキです。毎月、ラインナップが変わるケーキは、食べに行かないと本当に損した気分になってしまうほどです。今回は、10月11日に行きました。

 椏久里のホームページ

10月のケーキは4種類ありましたが、11月になったら食べられないかもしれない2種類を味わってきました。


これは、モーゼルヴァイン・クレームトルテ。ドイツ・モーゼル産のシャープでフルーティーな白ワインのクリームと、みずみずしい福島産シャインマスカットを使用したドイツ菓子、というのが、椏久里のホームページでの説明です。

ドイツ菓子、というのは、そこの部分が硬くて薄い焼き菓子になっていて、サクッとしているのが特徴です。それがなんとも言えず、好きです。


続いては、秋のおなじみ、モンブラン。キャラメル化させたメレンゲに生クリームと和栗特有のやわらかい香りと甘さを引き出した自家製和栗甘煮をのせ、ラム酒のきいたマロンクリームで仕上げた、ということです。

口のなかでふわっととろけるメレンゲと生クリームの組み合わせが、なんとも言えず良いです。カウンター越しに、「和栗を剥くのは大変なのよー」「栗はね、こうやって剥くのよー」といった、ミユキさんとの掛け合いが、またいつものごとくとても楽しいひとときです。

今回のコーヒーは、マラウィ・ミスク。満ち足りたひとときを過ごすことができました。

閉店間近となり、お客さんも少なくなって、いつも今月のケーキ情報を送ってくださるSKさんと一緒に、マスターとその奥様のミユキさんと話が弾むうちに、スラウェシ中部地震の話になりました。

突然、マスターが走り出して、どこかへ行ってしまったかと思ったら、封筒を片手に戻ってきました。「ウチからも少しだけどよろしく」と。

今回の募金の呼びかけでは、全く見ず知らずの方々も含めて、たくさんの方にご信用いただけて、本当にありがたいものだと思っています。

募金とともに、皆さんのスラウェシを思う気持ちが、私の信頼できるマカッサルの友人たちと被災地の方々に届くようにと、願っています。

さて、11月も、また椏久里のケーキも食べに行けるといいのですけれど・・・。

本当に、オススメのケーキですよ。皆さんもぜひぜひ。

2018年10月12日金曜日

INSISTネットワークへの1回目募金送金報告など

本日(10/12)、募金第2弾で対象としているINSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)へ、1回目の募金として、22万4280円を送金しました。

なお、送金手数料1480円は、当方で負担させていただきました。

この額は、本日のレート、1円=134.6ルピアで換算され、3018万8088ルピアとなりました。なお、INSISTネットワークからは、すでに「入金を確認した」との連絡があり、協力してくださった日本の方々へ感謝申し上げます、との言葉が述べられておりました。

今回は、銀行振込と現金手渡しで募金をいただいた方15名の分のみを送金しました。なお、Polcaでの分は今回は含めず、10月末に送付したいと考えております。

今回の送金でご協力いただいた方々は次の通りです。お名前は省略し、イニシャル1文字のみ表記しております。


また、送金明細は以下のとおりです。


●INSISTネットワークの主な活動

INSISTネットワークの活動の様子は、逐次、フェイスブックにて紹介しておりますが、ここで、いくつか要点をかいつまんでご紹介します。


・救援物資を積んだトラックをマカッサルからすでに2台出発させました。

・まずは被災状況と支援対象とすべき地域を調査し、パル市、ドンガラ県、シギ県の支援対象とすべき地域に複数の詰所を設置しました。救援物資はこの詰所に集められたのち、配給されています。

・救援物資の配給に当たっては、乳幼児や妊婦、高齢者など、避難住民の状況に応じて物資を配給するほか、配給を受ける個々人の名前を特定させて、受取人には受取票へ署名をしてもらっています。これは物資配給の際に取り合いになることを防ぐとともに、ここの避難住民の状況に関するデータ収集の意味も持たせています。

・救援物資を配るだけでなく、地域の人々どうしの助け合いを促す活動もしています。たとえば、被害が比較的少なかった山間部の農村などで生産された農産物を購入して都市へ運び、都市の避難住民へ配給する、といった仲介をしています。現在、このプログラムに参加する近隣の農民を募っているようです。

・また、詰所で避難住民が衣服を選んだ後、あるおばさんが、残った衣服を枕に仕立て直して皆に使ってほしい、といった申し出をしたそうです。こうした、避難住民どうしが助け合うことで、今後の中長期的なコミュニティ再生への端緒をも築こうとしています。

決して大規模ではないにしても、また災害救助のプロフェッショナル集団ではないにしても、こうして、一つ一つ丁寧に避難住民と向き合い、彼らの主体性を尊重しながら、中長期のお付き合いを意識しつつ、実のある支援を試みているINSISTネットワークを、私たちも温かく見守っていければなと思っています。

●募金第2弾はまだまだ継続中です!

募金第2弾は、1回目の送金が終わりました。しかし、INSISTネットワークへの募金自体は、まだ継続しております。引き続き、ご協力をお願いいたします。

インドネシア在住の方などは、直接、彼らの銀行口座へ振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

日本からの募金は、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います(現金手渡しもも可能です)。

銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは10月末までの1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

なお、Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を引き続き行なっていきたいと思います。改めまして、引き続き、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

2018年10月7日日曜日

かなしさ、さびしさ、むなしさの2週間、求めていたのは「光」

今回は、ちょっと一息入れて、個人的なことを書いてみます。

このところ、本ブログでは、スラウェシ中部地震被災地支援への協力を呼び掛けていますが、これまでの2週間、実は、ずっと暗い気持ちのままでした。

先週初め、出張先のインドネシア・東ジャワ州バトゥで、空に浮かぶ中秋の名月の光があまりにもきれいで、だからこそ、悲しさの深みに嵌っていきました。


その日の朝、私の大学時代の恩師が亡くなったとの知らせが入ったのです。その恩師なくして、自分がアジアと関わる人生を送ることはなかったといっても過言でない、大きな存在でした。

その悲しみを抑えながら、出張を終えて28日朝に帰国し、一休みしようと思ったときに入ってきたのが、スラウェシ中部地震・津波の報道でした。

当初は、日本ではあまり報道されていませんでしたし、インドネシアでも津波警報がすぐに解除になったので大したことはない、嘘報道ではないか、という程度の扱いだったのです。

でも、これは大変な事態になる、という直感が私にはありました。パル湾は陸地へ深く入り込んでおり、湾の最も奥にあるパルは津波が来たら相当な被害が出ることが予想できたからです。

嘘かもしれないという津波の映像がSNSで流れ、その数時間後に、事実であることが判明し、BBCやNHKが盛んにその映像を流し始めました。

パルやドンガラは、私にとって大事な場所です。1996~2001年及び2008~2010年の在マカッサルJICA専門家(地域開発政策アドバイザー)時代、1~2ヵ月に1回はパルを訪問し、中スラウェシ州開発企画局(BAPPEDA)と定期会合を行い、地域開発政策について議論していました。国立タドゥラコ大学の先生方やパル・ドンガラのNGOにも知り合いが増えました。彼らの安否がすぐに心配になりました。

ドンガラ県のナビ・ビジャ県知事と一緒に村を訪問(2000年4月25日)

現在までも、まだまだ消息の分からない知り合いが大勢います。そして、ほかのスラウェシの私の友人たちが、パルやドンガラへ緊急支援に動き出しました。私がつなぐ形でパルやドンガラの友人・知人と知り合いになった者もいます。現段階でできる私たちの支援は、信頼できる彼らに託すことだけかもしれない。そんな気持ちで、募金を皆さんにお願いしているところです。


自分の出身地である福島も被った東日本大震災と、私にとってとても大事な「故郷」と言ってもいい場所であるスラウェシで起こった地震・津波がオーバーラップしてしまいます。そして、東日本大震災の前年に亡くなった父と恩師の姿とがオーバーラップしてしまいます。

よりによって、自分の人生の中でとても大事な場所のいずれにおいても、大災害が起こってしまうなんて・・・。そんな人生になるなんて・・・。

かなしさ、さびしさ、むなしさ。

もう、とっくの昔に、インドネシアやスラウェシを単なる研究対象としてみられなくなってしまった自分。固有名詞で呼べるたくさんの友人や知人が存在してしまうことになった場所。

東日本大震災のときと同じように、現場に駆け付けられない自分を責める自分。駆けつける時期ではないと自分を諭す自分。

そんな落ち着けない自分にとって、今、なにが必要なのか。

悶々とするなか、ふと、志村真介さんの写真展「感ずる光」のことを思い出し、会場の表参道ヒルズ・ギャラリー同潤会へ行ってみることにしました。


いったんは生死をさまよいながら、奇跡的に生還し、リハビリの日々を過ごしてきた志村真介さんの写真は、物体ではなく、そこの光を撮る作品でした。リハビリをしながら撮ったというその作品には、一瞬一瞬にみせる光、その光の温かさや柔らかさに加え、様々な生を感じさせる作品でした。志村真介さんにしか撮れない作品、だと思いました。

幸運にも、志村真介さんと志村季世恵さんに久々にお会いし、少しお話しすることもできました。なんだか、とてもホッとしました。

やはり、今の自分に必要だったのは、光なのでした。生の光、希望の光なのでした。それは、深い悲しみや寂しさやむなしさからこそ、生まれてくる深い光なのでしょうか。

日曜日の表参道は、たくさんの人でごった返していました。ふと見上げると、並木の上の青空から、今の自分には、やや強すぎる光が差し込んできました。でも、なんだか、そのやや強すぎる光に元気づけられたような気がしました。

その後、新宿で、ロンボク島から一時帰国中の岡本みどりさんのトークライブに顔を出しました。岡本さんには、私が月2回発行する情報マガジン「よりどりインドネシア」に毎月「ロンボクだより」を連載していただいています。


その岡本さんの話の芯は、ロンボクで起こった連続地震に対する地元の人々の強さと明るさでした。いやなことがあっても、落ち込むだけで終わることなく、人と人とのつながりを大事にして、少しずつ自分たちで解決していく能力のすごさ。前向きに明るく生きたほうがいい、という、いい意味での楽観主義が生きることに希望を作り出していく。

岡本さんの話も、今の私のとっての「光」になりました。

かなしさ、さびしさ、むなしさ。

でも、父や恩師、犠牲になった友人たちや知人たちは、自分たちのことを思ってくれるのはありがたいだろうけれども、ずっとそれに浸り続けてほしいとは、絶対に思わないだろう、ということにようやく気づけました。

東京の秋の空に輝く光を見上げながら、自分がやれること、やるべきことを自分なりにやるだけだ、と静かに思えました。

2018年10月5日金曜日

スラウェシ中部地震被災地支援募金、第2弾開始

スラウェシ中部地震被災地支援の第1弾は、インドネシア海洋学士会(ISKINDO)宛の募金でした。この募金は10月3日(水)午後0時で終了し、早速送金いたしました。ご協力ありがとうございました。

第1弾の活動状況は、随時、本ブログやフェイスブックでお伝えしていきます。

第1弾募金受付終了後も、送金していただいたり、協力の意思を示していただいたりする方がいらっしゃり、すぐに第2弾を始めることにいたしました。

本日(10/5)より、募金受付の第2弾を開始いたします。第2弾の支援対象は、INSISTネットワーク(Disaster Response Team INSIST Networks)です。


ジョグジャカルタのNGOであるINSISTが中心になり、マカッサルのNGO連合体であるイニンナワ・コミュニティを実働部隊として、中スラウェシ州パル市やドンガラ県で活動するNGOであるBantayaやKarsaと協力し、被災者支援に取り組んでいきます。

イニンナワ・コミュニティについては、以下のサイトをご覧ください。

 イニンナワ・コミュニティ(Komunitas Ininnawa)(インドネシア語)

イニンナワ・コミュニティは、実は私とは15年近くの付き合いがあります。私が2006〜2010年にマカッサルに駐在した際には、自宅の4分の3を開放して彼らに使ってもらい、民間図書館事業、出版事業、アドボカシー活動を行う彼らの事務所が置かれたほか、映画上映会、セミナー、討論会、アート展覧会など様々なイベントが私の自宅で行われました。私も彼らの活動を側面支援してきました。

イニンナワ・コミュニティと私との関係については、過去の私のブログをご笑覧ください。

 イニンナワ・コミュニティと私との関係

私の離任とともに、彼らは自立し、マカッサルの郊外、マロス県バンティムルン近くに本拠を移し、そこに農民・若者向けの教育訓練センターを開設しました。傘下のNGOの一つパヨパヨ農民庶民学校(SRP Payo Payo)は、農民の自立や有機農業化を促し、農民と消費者との関係構築を図る地に足のついた活動をしています。

その彼らが10月1日、彼らの指導的役割を果たしてきたINSISTと組んで、INSISTネットワークを結成し、救援物資を募ってすでにパル市へ向けてトラック1台を出発させました。

彼らの活動の様子は、フェイスブックの以下のサイトに随時掲載されています。

 Tim Relawan Kemanusiaan - Jaringan Insist

パル市・ドンガラ県・シギ県などで、彼らは現地で根を張って活動するNGOであるBantayaやKarsaとともに、まずは救援物資の配給に関わると同時に、被災状況を把握するためのデータ・情報収集を行い、今後、中長期的に支援すべき対象地域を定めていきます。その後は、コミュニティの再構築や再生へと活動を継続していくものと思います。


まだまだ若者が中心のNGO主体ではありますが、私が信頼できる彼らを支援の第2弾としていきます。

彼らのインドネシアの銀行口座は以下のとおりです。インドネシア在住の方などは、直接振り込んでいただいて結構です。入金は現地通貨(ルピア)となります。

 口座番号:3419-01-017682-53-2
 銀行名・支店名:BRI Unit BTP Tamalanrea
 銀行支店所在地:Ruko BTP, Jl. Tamalanrea Raya No. 16D,
         Tamalanrea, Makassar 90245, Indonesia.
 口座名義:Yayasan Payo Payo
 銀行SWIFTコード:BRINIDJA

なお、日本からの募金などは、第1弾と同様、銀行口座振込とPolcaの二本立てにしたいと思います。銀行口座振込は、ご信用いただけるならば、以下の私の口座宛にお振込いただき、お手数ですが、振り込んだ旨をメールにて matsui@matsui-glocal.com へお知らせください。

 銀行名:みずほ銀行大塚支店(支店番号193)
 口座番号:2268635
 口座名義:マツイカズヒサ

また、クレジットカード決済をご希望の方向けに、Polcaでも募金を募ります。以下のサイトにアクセスされてください。募金は一口1000円から受け付けております。なお、下記サイトは1ヶ月間のみ有効となっております。

 スラウェシ中部地震被災地支援第二弾、INSISTネットワークへの支援

(注)Polcaでは募金総額の10%を手数料としてPolcaへ支払う必要が出てきます。第1弾では私がそれを全額自己負担いたしましたが、負担額が2万円以上と相当に大きくなってしまいました。今後は、募金総額の90%を支援先への実際の送金額とさせていただきたく思います。誠に恐縮ですが、皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

以上、皆様のご理解をいただき、支援活動の第2弾を始めていきたいと思います。引き続き、ご協力のほど、よろしくお願い致します。

なお、この第2弾のほかにも、私からお勧めできる支援先がございます。それらについては、別途、皆さんにお知らせしていきたいと思っています。

2018年10月4日木曜日

海洋学士会への募金に対する出帆前のお礼の写真

昨日(10/3)スラウェシ中部地震被災地への支援第1弾として、インドネシア海洋学士会宛に募金を送金しましたが、さっそく、明日の出帆を前に、彼らからこのようなお礼を込めた写真が送られてきました。

救援物資を(船ではなく)トラックに積んでいるところのようです。



「スラウェシを想う日本の人々より」としてあります。今後、彼らの活動の様子を写真で送ってもらうことになっています。

2018年10月3日水曜日

海洋学士会への募金受付終了・送金報告

9月30日から受け付けたインドネシア海洋学士会(ISKINDO)への募金の受付は、10月3日午後0時にて終了させていただきました。

これは、海洋学士会の船が10月5日にマカッサルを出帆し、被災地のパル市、ドンガラ県へ向かうためです。現在、関係者は、救援物資の確保・買付など様々な準備に追われているようです。

インドネシアで海洋学を学んだ大学卒業生からなる海洋学士会は、海洋水産省捕獲漁業総局長(国立ハサヌディン大学海洋学部1990年卒)を会長とし、今回の活動では、(1) ドローンなどを活用した被災状況の地理的情報把握、(2) 医療チーム及び食料、医薬品、飲料水、テント、毛布、生理用品、発電機など緊急に必要とされる物資の提供、(3) 食べ物や食料品を提供する炊き出し、(4) 今後の支援活動に資する的確なデータや情報収集、を目的としています。

さらには、船にバイクを積み、パル市内などをバイクで回り、マカッサルから預かってきた親族への物資や郵便などの提供、親族の消息情報の把握など、クーリエの役割も果たそうとしています。

今回の活動はあくまでも緊急対応であり、この後、どのような活動が展開されるかは未定のようですが、マカッサルの信頼できる友人たちが動く活動としては最初のものであるため、今回はこのような募金を募った次第です。

9月30日午後から10月3日午後0時までのわずか2日半の募金でしたが、50名の方々からご協力をいただき、銀行振込+現金+Polcaで合計37万9020円を集めることができました。ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

ご協力いただいた方々のリストと金額を作成しました。氏名はイニシャル1文字とさせていただいております。JPEGなのでちょっと見づらいかもしれませんが、掲載します。ご容赦ください。


本日(10/3)、さっそく海洋学士会宛に送金しました。以下が送金証明書です。


募金総額37万9020円を、本日の円=ルピアレート(1円=130.7円)で換算し、4953万7913ルピアを海洋学士会の銀行口座へ振り込みました。

なお、送金手数料、及びPolca関係の手数料等は、当方で負担いたしました。

皆様からいただいた募金が有効に使われることを願ってやみません。海洋学士会に対しては、活動状況を随時、写真等で知らせてくれるようにお願いしてあります。

改めて、今回の募金へのご協力に対して、心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

今回の募金は「とにかく早く」という気持ちを込めて動いたものですが、スラウェシ中部地震被災者・地域への対応は、まだまだ中長期的に続いていくものと思います。私の信頼できる複数の仲間たちグループも、支援活動を開始しました。

まだまだ支援を考えていらっしゃる方々もいらっしゃると思います。しかし、どこへ募金や寄付をしたらいいのか分からない、という方も少なくないと思います。

そうした方々のために、今後、本ブログ等を通じて、私の信頼できる仲間たちのグループ及びその活動を紹介していきたいと思っています。彼らの活動にご賛同いただければ、彼らの指定する口座へ直接振り込んでいただいてもかまわないですし、それが難しければ、私の指定口座へお振込みいただき、私から責任をもって彼らへ送金させていただきます。

今後も、フェイスブック、ツイッター(@daengkm)等で、スラウェシ中部地震関連の情報を発信していきたいと思います。引き続き、ご協力のほどをよろしくお願いいたします。