9年前、以前の勤務先を辞めたのをきっかけに、ウィンドウズからマックへ乗り換えたのですが、今日、久々にウィンドウズのノートパソコンを購入しました。
というのも、銀行のインターネットバンキング、インターネットを通じた税金支払いなど、今後の仕事のうえで、ウィンドウズにしか対応していない場面が出てきそうだと感じたからです。
2017年1月31日火曜日
2017年1月30日月曜日
我々の結婚生活の原点
今日は、妻の用事に付き合って、東京都内の某市へ出かけました。
この某市は、我々が結婚して初めて生活した街でもあります。駅周辺はすっかり変わり、新しいショッピングセンターができていました。古ぼけた公会堂は、新しいコミュニティセンターに変わっていました。
反面、我々が毎日のように利用していたスーパーマーケットはなくなり、家電量販店に変わっていました。路地裏にあったはずの八百屋も総菜屋もなくなっていました。
さて、我々が結婚して最初に暮らしたアパートはどうなっているのか、気になって行ってみました。当時は新築、今や築27年の中古アパートです。
この某市は、我々が結婚して初めて生活した街でもあります。駅周辺はすっかり変わり、新しいショッピングセンターができていました。古ぼけた公会堂は、新しいコミュニティセンターに変わっていました。
反面、我々が毎日のように利用していたスーパーマーケットはなくなり、家電量販店に変わっていました。路地裏にあったはずの八百屋も総菜屋もなくなっていました。
さて、我々が結婚して最初に暮らしたアパートはどうなっているのか、気になって行ってみました。当時は新築、今や築27年の中古アパートです。
2017年1月29日日曜日
企業メセナ協議会のイベントに出席してみた
先週は、公益社団法人企業メセナ協議会の主催する2つのイベントに出席しました。友人であるインドネシアの都市研究専門家のマルコ・クスマウィジャヤ氏が出ているので、彼に会いに行くというのも一つの目的でした。
1つ目は1月24日、「文化拠点と地域・コミュニティ:ケーススタディ&ワークショップ」というイベント。出席者が3つのグループに分かれて議論し、「過疎・高齢化の進んだ地方小都市で元庄屋の古民家を生かしてどのようなコミュニティ再生が可能か」というお題で、グループごとにアイディアを出し合う、というワークショップでした。
1つ目は1月24日、「文化拠点と地域・コミュニティ:ケーススタディ&ワークショップ」というイベント。出席者が3つのグループに分かれて議論し、「過疎・高齢化の進んだ地方小都市で元庄屋の古民家を生かしてどのようなコミュニティ再生が可能か」というお題で、グループごとにアイディアを出し合う、というワークショップでした。
2017年1月28日土曜日
中国正月に寄せて:華人>プリブミの時代は終わった
今日は中国正月(イムレック)。私は東京ですが、インドネシアでも、各地で爆竹が鳴り、花火が上がり、獅子舞が繰り出し、賑やかにお祝いをしているようです。
スハルト時代から30年以上、インドネシアを見てきた自分にとっては、このお祝いをしていること自体が信じられないことのように思えます。
2016年2月の中国正月、スラバヤの
タンバック・バヤン地区で見た獅子舞
スハルト時代から30年以上、インドネシアを見てきた自分にとっては、このお祝いをしていること自体が信じられないことのように思えます。
2017年1月27日金曜日
2017年1月26日木曜日
誕生日を迎えました
本日1月26日、55回目の誕生日を迎えました。
フェイスブックやリンクトインなどを通じて、たくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございます! 改めて深く感謝をお伝えいたします。いただいたメッセージには、これから一つ一つお返事をお返ししたいと思います。
昔お世話になっていた職場に今もいたなら、管理職定年となる歳です。かつて、55歳の頃の父の威厳ある姿を思い出すとき、今の自分のあまりにも子どもみたいに無邪気で普通すぎる姿との対照に、我ながら思わずすくんでしまいます。
フェイスブックやリンクトインなどを通じて、たくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございます! 改めて深く感謝をお伝えいたします。いただいたメッセージには、これから一つ一つお返事をお返ししたいと思います。
昔お世話になっていた職場に今もいたなら、管理職定年となる歳です。かつて、55歳の頃の父の威厳ある姿を思い出すとき、今の自分のあまりにも子どもみたいに無邪気で普通すぎる姿との対照に、我ながら思わずすくんでしまいます。
2017年1月25日水曜日
外国人向け富士山・御殿場観光ツアーに参加して
今日は、インドネシアから来た友人とその家族と一緒に、外国人向けの観光ツアーに参加しました。彼らは富士山に行きたいということだったので、英語ガイドが付く次のツアーを申し込みました。
1-Day Mt. Fuji, Gotemba Premium Outlets & Yamanakako Onsen
このツアーは、まず富士山へ行き、忍びの里でランチを食べ、山中湖温泉で温泉に入り、御殿場プレミアムアウトレットモールでお買い物をして、東京へ戻る、という内容でした。今日のそれは、天候に恵まれて、とても良い一日になりました。
1-Day Mt. Fuji, Gotemba Premium Outlets & Yamanakako Onsen
このツアーは、まず富士山へ行き、忍びの里でランチを食べ、山中湖温泉で温泉に入り、御殿場プレミアムアウトレットモールでお買い物をして、東京へ戻る、という内容でした。今日のそれは、天候に恵まれて、とても良い一日になりました。
2017年1月24日火曜日
お通夜の最後の参列者
今日の午後、突然、知人の訃報が知らされました。先週亡くなり、今日がお通夜、明日が告別式、ということでした。
この方は、某マスコミの管理部門の方で、これまで、インドネシア関連の講演などで大変お世話になった方でした。
彼についてとくに思い出されるのは、2015年1月28日、ジャカルタで開催された「インドネシア=日本の新たなパートナーシップ」と題するシンポジウムです。このシンポジウムは、彼の会社が幹事として運営され、彼はその責任者でした。
この方は、某マスコミの管理部門の方で、これまで、インドネシア関連の講演などで大変お世話になった方でした。
彼についてとくに思い出されるのは、2015年1月28日、ジャカルタで開催された「インドネシア=日本の新たなパートナーシップ」と題するシンポジウムです。このシンポジウムは、彼の会社が幹事として運営され、彼はその責任者でした。
2017年1月23日月曜日
100回目の投稿、ブログは毎日更新中
昨年6月、軽い気持ちで始めた個人ブログ「ぐろーかる日記」ですが、このポスティングで100回目の投稿となりました。
そして、今年の目標の一つとして掲げたブログの毎日更新も、1月1日以降、まだ継続中です。
ブログを毎日書く、と決めてはみたものの、本当に何もネタのない日もあります。そんな日は、身の回りのちょっとした出来事や、食べ物のことや、日常生活のたわいもない話をメモ代わりに書いています。
そして、今年の目標の一つとして掲げたブログの毎日更新も、1月1日以降、まだ継続中です。
ブログを毎日書く、と決めてはみたものの、本当に何もネタのない日もあります。そんな日は、身の回りのちょっとした出来事や、食べ物のことや、日常生活のたわいもない話をメモ代わりに書いています。
2017年1月22日日曜日
影絵芝居への批判をめぐって
ジャカルタで今日、ホットな話題となっているのが、ワヤン・クリッ(影絵芝居)批判です。
ワヤン・クリッというのは、ジャワの伝統的な影絵芝居で、水牛の革や角で作られた人形(下写真はその一つ)に灯りを当て、ガムラン演奏をバックに、ダランと呼ばれる演者が一人で人形の操演と語りを行うものです。
ワヤン・クリッというのは、ジャワの伝統的な影絵芝居で、水牛の革や角で作られた人形(下写真はその一つ)に灯りを当て、ガムラン演奏をバックに、ダランと呼ばれる演者が一人で人形の操演と語りを行うものです。
2017年1月21日土曜日
米国のトランプ新大統領の就任演説を聴いて
1月20日深夜、眠い目をこすりながら、アメリカのトランプ新大統領の就任式をテレビで観ていました。就任式やその前後の行事には全てしきたりがあり、それに則ってすべて進んでいくのは興味深いものでした。
画面を通して観ると、やはりそこに現れる人々の様々な表情が観てとれて面白いです。オバマ前大統領夫妻の大役を終えた安堵感溢れる表情とは対照的に、トランプ新大統領夫妻や家族たちはやや緊張した面持ちのように見えました。
世界が注目した新大統領の就任演説。でも、トランプ新大統領の演説は、自国民だけへ向けたものでした。
画面を通して観ると、やはりそこに現れる人々の様々な表情が観てとれて面白いです。オバマ前大統領夫妻の大役を終えた安堵感溢れる表情とは対照的に、トランプ新大統領夫妻や家族たちはやや緊張した面持ちのように見えました。
世界が注目した新大統領の就任演説。でも、トランプ新大統領の演説は、自国民だけへ向けたものでした。
2017年1月20日金曜日
今回の私は怪しい人物?
1月11〜18日、マレーシア、インドネシアへ行ってきましたが、普段はこれまでなかったことが起こりました。
日本からの出国時と入国時、荷物検査と税関で荷物をすべて開けさせられたのです。これまで、何度も海外へ出かけていますが、行きも帰りも全部荷物を開けさせられたのは、今回が初めてでした。
日本からの出国時と入国時、荷物検査と税関で荷物をすべて開けさせられたのです。これまで、何度も海外へ出かけていますが、行きも帰りも全部荷物を開けさせられたのは、今回が初めてでした。
2017年1月19日木曜日
今回マレーシアで食べたもの
昨日1月18日、クアラルンプールから東京へ戻りました。今回、マレーシアで食べたものは、次のようなものでした。
まずは、1月12日、マラッカの昼食で食べたカレーセット。マラッカの有名店Selvamにて。
まずは、1月12日、マラッカの昼食で食べたカレーセット。マラッカの有名店Selvamにて。
2017年1月18日水曜日
2017年1月17日火曜日
1月12日、マラッカを歩く(2)
パウル教会跡の丘を下りて門を出ると、2004年にできたマラッカ独立花公園(Taman Bunga Merdeka Bandaraya Melaka)があります。子ども用の遊具も置かれた普通の公園ですが、その真ん中に、周囲を囲まれた黒いポールが立っています。
これは、ザビエルがマラッカに上陸した場所だそうです。つまり、以前はここまでが海だったということです。黒いポールについての説明は何もありませんでした。
これは、ザビエルがマラッカに上陸した場所だそうです。つまり、以前はここまでが海だったということです。黒いポールについての説明は何もありませんでした。
2017年1月16日月曜日
1月12日、マラッカを歩く(1)
マカッサル滞在もあとわずかですが、少し時間があるので、1月12日のマラッカ訪問の話を半分ぐらい書いておきます。
クアラルンプールからマラッカまでは、意外に近かったという印象があります。高速バスでKLIA2からマラッカ・セントラルまで2時間、マラッカ・セントラルからクアラルンプールのTBSまでも2時間、でした。クアラルンプールからならマラッカは十分に日帰りできる距離で、今回も数時間の滞在でしたが、できれば1泊してゆっくり回りたいものだと思いました。
クアラルンプールからマラッカまでは、意外に近かったという印象があります。高速バスでKLIA2からマラッカ・セントラルまで2時間、マラッカ・セントラルからクアラルンプールのTBSまでも2時間、でした。クアラルンプールからならマラッカは十分に日帰りできる距離で、今回も数時間の滞在でしたが、できれば1泊してゆっくり回りたいものだと思いました。
2017年1月15日日曜日
今回マカッサルで食べたもの
今回のマカッサル滞在で食べたもの(の一部)は、以下のとおりです。今回は、うんちくなしです。
Coto NusantaraのCoto Makassar
Kios Muda MudiのEs Pisang Hijau
2017年1月14日土曜日
友人の結婚式に出席
1月14日は、マカッサルで友人の結婚式に出席しました。
友人のお父様は地元国立大学医学部の重鎮教授で、広島大学に留学したこともあり、マカッサルの日本人社会とは深いお付き合いをしてきた方です。友人はその時、日本の小学校で学び、日本語を勉強し、今はマカッサルで日本語学校の校長をされています。
友人のお父様は地元国立大学医学部の重鎮教授で、広島大学に留学したこともあり、マカッサルの日本人社会とは深いお付き合いをしてきた方です。友人はその時、日本の小学校で学び、日本語を勉強し、今はマカッサルで日本語学校の校長をされています。
2017年1月13日金曜日
インドネシア研修生実業家協会南スラウェシ支部のメンバーと面会
マラッカの興奮も冷めやらぬ中、1月13日昼前、無事、マカッサルに着きました。雨季のマカッサルということで、雨模様でした。
ホテルにチェックインして、まずは、もちろん、ワンタン麺を食べに行きました。マカッサルに着いたら真っ先に食べたくなるのが、これです。
そして、ホテルに戻ってから、インドネシア研修生実業家協会南スラウェシ支部のメンバーと面会しました。
ホテルにチェックインして、まずは、もちろん、ワンタン麺を食べに行きました。マカッサルに着いたら真っ先に食べたくなるのが、これです。
そして、ホテルに戻ってから、インドネシア研修生実業家協会南スラウェシ支部のメンバーと面会しました。
2017年1月12日木曜日
クアラルンプールで夕食中
毎日更新を目標にしているこのブログ。
日本時間で間も無く日付けが変わります。でも、まだ、クアラルンプールで友人たちとベトナム料理レストランで夕食中です。
今日は、マラッカへ行って、たくさんの写真を撮ったのですが、時間がないので、別のブログでご案内することにします。ごめんなさい。
今日は、マラッカでもクアラルンプールでもよく食べました。やっぱり、こちらへ来ると食事へのテンションが上がります。でも食事の写真を撮るのを忘れました。
日本時間で間も無く日付けが変わります。でも、まだ、クアラルンプールで友人たちとベトナム料理レストランで夕食中です。
今日は、マラッカへ行って、たくさんの写真を撮ったのですが、時間がないので、別のブログでご案内することにします。ごめんなさい。
今日は、マラッカでもクアラルンプールでもよく食べました。やっぱり、こちらへ来ると食事へのテンションが上がります。でも食事の写真を撮るのを忘れました。
夕食会の会場は、Bukit Bintangの
Sao Nam Fine Vietnamese Restaurant
2017年1月11日水曜日
ウソがまことか、まことがウソか
最近の様々な情報を見ていると、本当に、「ウソがまことか、まことがウソか」という気分になります。
日本でもインドネシアでもアメリカでもどこでも、誰かが何らかの目的や意図をもって、端からは生の情報のように見えながら、実は加工された情報が流されるようになっています。情報操作のための手段として、メディアの情報が流れるようになってきました。
特に、映像情報では、映像を傍目にはわからないように加工して、誰かを貶めるための手段として使われています。また、貶めたい人の過去を目を皿のようにして調べて、ちょっとでも貶められそうなネタがあれば、それをことさらに強調する者もいます。
日本でもインドネシアでもアメリカでもどこでも、誰かが何らかの目的や意図をもって、端からは生の情報のように見えながら、実は加工された情報が流されるようになっています。情報操作のための手段として、メディアの情報が流れるようになってきました。
特に、映像情報では、映像を傍目にはわからないように加工して、誰かを貶めるための手段として使われています。また、貶めたい人の過去を目を皿のようにして調べて、ちょっとでも貶められそうなネタがあれば、それをことさらに強調する者もいます。
2017年1月10日火曜日
30代のご夫婦の遺志をどう継いでいけるか
昨日のNHKスペシャルでは、村の再生のために頑張っていた30代のご夫婦が自ら命を絶つという選択をしたという話が、まだ心に刺さったままの状態です。
彼らのところへは、当初、震災ボランティアがたくさんやってきて、一緒に汗を流し、米づくりを始めたという話でした。しかし、時が経つにつれて、ボランティアは少なくなり、ほとんど来ないような状態になったということでした。
その話を見ながら、よそ者が寄り添うというのはどういうことなのか、どこまで寄り添えばよいのか、私自身も関わることの多い外国援助の現場のことと重ね合わせて考えていました。
彼らのところへは、当初、震災ボランティアがたくさんやってきて、一緒に汗を流し、米づくりを始めたという話でした。しかし、時が経つにつれて、ボランティアは少なくなり、ほとんど来ないような状態になったということでした。
その話を見ながら、よそ者が寄り添うというのはどういうことなのか、どこまで寄り添えばよいのか、私自身も関わることの多い外国援助の現場のことと重ね合わせて考えていました。
2017年1月9日月曜日
それでも生きて欲しいー原発事故から5年の福島を観て
9日夜、NHKスペシャル「それでも、生きようとしたー原発事故から5年・福島からの報告」を観ました。重く、つらく、簡単に言葉を紡げません。それでも、少しは書かなければならない、という気がします。
人間は、何か自分の打ち込めるものがあったり、将来こうしたいという希望を持ち続けたり、誰かのためになっていると思えたり、そんな感情を生きるエンジンにしているように思います。それを生きがいと言ってもいいかもしれません。
その生きがいが、たとえば東電原発事故のような、何らかの理由で断たれてしまうと、その原因を作った対象をいかに憎み、恨み、糾弾し、裁判に訴えようとも、それ自体が生きがいになっているうちはいいのですが、たとえ裁判に勝ったとしても、その後の生きるエンジンにはなれないかもしれません。生きがい自体が喪失し、それに変わる短期的な生きがいも終焉し、新たな生きがいが生まれていないからです。
人間は、何か自分の打ち込めるものがあったり、将来こうしたいという希望を持ち続けたり、誰かのためになっていると思えたり、そんな感情を生きるエンジンにしているように思います。それを生きがいと言ってもいいかもしれません。
その生きがいが、たとえば東電原発事故のような、何らかの理由で断たれてしまうと、その原因を作った対象をいかに憎み、恨み、糾弾し、裁判に訴えようとも、それ自体が生きがいになっているうちはいいのですが、たとえ裁判に勝ったとしても、その後の生きるエンジンにはなれないかもしれません。生きがい自体が喪失し、それに変わる短期的な生きがいも終焉し、新たな生きがいが生まれていないからです。
2017年1月8日日曜日
友人の結婚式に出るためマカッサルへ
今度の土曜日、1月14日の私の友人の結婚式に出るため、インドネシア・マカッサルへ行ってきます。今回は、仕事ではなくプライベートです。
彼女は、マカッサルで長年、日本語学校を運営し、たくさんの若者たちに日本語を教え、日本のことを伝え広めてきました。
彼女自身、日本の大学に留学中の父親に連れられて、日本で何年も過ごしました。日常会話の日本語はまったく淀みなく、インドネシア人と会話していることを忘れるほどです。
彼女は、マカッサルで長年、日本語学校を運営し、たくさんの若者たちに日本語を教え、日本のことを伝え広めてきました。
彼女自身、日本の大学に留学中の父親に連れられて、日本で何年も過ごしました。日常会話の日本語はまったく淀みなく、インドネシア人と会話していることを忘れるほどです。
2017年1月7日土曜日
巣鴨の知る人ぞ知る地元キャラ
先日、巣鴨駅前を歩いていたら、謹賀新年の看板とともに、クリスマス・イルミネーションの名残のような、灯りがキラキラ光っていました。
今の流行りは、青色なのでしょうか。そういえば、渋谷の公園通りの「青の洞窟」というイルミネーションが話題になっていました。
その巣鴨駅前のイルミネーションの下に、何かが立っていました。
今の流行りは、青色なのでしょうか。そういえば、渋谷の公園通りの「青の洞窟」というイルミネーションが話題になっていました。
その巣鴨駅前のイルミネーションの下に、何かが立っていました。
2017年1月6日金曜日
右ならえの自己アピール
昨日のブログを私のFacebookで紹介したところ、友人たちが色々なコメントを寄せてくれました。そのなかで、興味深かったのは、自己アピールについてのコメントでした。
マレーシア在住の友人から、日本の外へ出ると自己アピールの強い人ばかりで、しかもそのやり方がうまい、という話が寄せられました。たしかにその通りで、私が長年付き合っているインドネシアでも、同じように感じます。
それはアジアに限ったことではなく、欧米などでも同じで、「イエス・ノーをはっきりしなさい」とか、「自分の意見をはっきり言いなさい」といったアドバイスをよく聞いたものでした。そうしないと世界で通用する人間にはなれないような気分になるものです。
マレーシア在住の友人から、日本の外へ出ると自己アピールの強い人ばかりで、しかもそのやり方がうまい、という話が寄せられました。たしかにその通りで、私が長年付き合っているインドネシアでも、同じように感じます。
それはアジアに限ったことではなく、欧米などでも同じで、「イエス・ノーをはっきりしなさい」とか、「自分の意見をはっきり言いなさい」といったアドバイスをよく聞いたものでした。そうしないと世界で通用する人間にはなれないような気分になるものです。
2017年1月5日木曜日
「日本はすごい」の裏側
「日本はすごい」という言葉をよく耳にします。そして、その言葉を聞いて、日本は本当にすごいと素直に感動する人もいれば、なんだかそういう言葉を胡散臭く感じる人もいることでしょう。
私は後者です。大体において、日本人が自分で「日本はすごい」という、あるいは外国人に「日本はすごい」と言わせて、日本人が喜ぶのはいいのですが、で、それで? と思ってしまうのです。
なんだか、「ねえねえ、私はすごいのよ」と自分で自分を慰めているような気になってくるのです。
そういえば、昔、ある時点から、就職のときの面接試験が変わったという印象があります。
私は後者です。大体において、日本人が自分で「日本はすごい」という、あるいは外国人に「日本はすごい」と言わせて、日本人が喜ぶのはいいのですが、で、それで? と思ってしまうのです。
なんだか、「ねえねえ、私はすごいのよ」と自分で自分を慰めているような気になってくるのです。
そういえば、昔、ある時点から、就職のときの面接試験が変わったという印象があります。
2017年1月4日水曜日
あなたの「故郷」はいくつありますか
ずっと前から、故郷は一つでなければならないのだろうか、と考え続けています。
生まれた場所は一つしかないので、生まれ故郷は一つだけです。でも、「故郷」と呼べるような場所は、生まれ故郷と同じ場所である、とは限りません。
私にとっては、生まれ故郷は福島県福島市、その後、父の仕事の関係で福島県二本松市原瀬に2年、二本松市内に1年住んで、また福島市へ戻りました。
高校卒業まで福島市にいて、大学浪人中は埼玉県川口市、大学入学後は東京都東村山市、国立市、就職後は再び川口市、小金井市、そして、東京都区内に移りました。
さらに、インドネシアのジャカルタに2年、東京に戻った後、マカッサルに5年、また東京に戻った後、マカッサルに1年半、1ヶ月おいて再びマカッサルに2年、ジャカルタに3年、スラバヤに2年、そして今は東京に・・・、というふうに、点々としてきました。
生まれた場所は一つしかないので、生まれ故郷は一つだけです。でも、「故郷」と呼べるような場所は、生まれ故郷と同じ場所である、とは限りません。
私にとっては、生まれ故郷は福島県福島市、その後、父の仕事の関係で福島県二本松市原瀬に2年、二本松市内に1年住んで、また福島市へ戻りました。
高校卒業まで福島市にいて、大学浪人中は埼玉県川口市、大学入学後は東京都東村山市、国立市、就職後は再び川口市、小金井市、そして、東京都区内に移りました。
さらに、インドネシアのジャカルタに2年、東京に戻った後、マカッサルに5年、また東京に戻った後、マカッサルに1年半、1ヶ月おいて再びマカッサルに2年、ジャカルタに3年、スラバヤに2年、そして今は東京に・・・、というふうに、点々としてきました。
2017年1月3日火曜日
近所の天神様で紅梅が咲き始め
妻と神社へ初詣した後、前から気になっていた天神様へもお参りに行ってみました。
この天神様は、いつもの散歩コースにあって気にはなっていたのですが、なんか小さな神社があるな、ぐらいにしか思わず、もう25年以上住んでいるのに、天神様だとも気付かずにいました。
2017年1月2日月曜日
今必要なのは「縮充」という考え方
人口が減少し始めた日本。老齢人口がますます増加する反面、若年人口がどんどん減っていきます。働ける人口の絶対数が減り続けていく日本で、今も、経済成長の必要性を強調する議論が強いように感じます。
今の日本の経済成長は、農林水産業や製造業のような、モノを作ることで果たせる状況ではありません。生産性を高め続け、技術上の工夫に工夫を重ねた末に、農業者や林業者や漁業者の後継者が少なくなり、中小企業者が子供に継がせられない状況が増えています。
一部の高付加価値製造業やソフト分野を中心としたサービス業が日本の経済成長を支えていくといいますが、その一方で、今後成長するアジアからのインプットなしに経済成長は難しいという側面も指摘されています。
そこまでして、我々は経済成長を必死で追い求めなければならないのでしょうか。経済成長しなければ、我々は生きていけないのでしょうか。経済成長しなければならない、という強迫観念のようなものさえ感じてしまいます。
今、我々に必要なのは、身の丈を知ること、かもしれません。
2017年1月1日日曜日
元旦に銀座〜丸の内を歩く
2017年、新しい年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
早速、今年中に自分が実現したいことを7つ書き出しました。そのうちの1つは、このブログ「ぐろーかる日記」を毎日更新すること、です。
どうでもよいような、たわいのない内容もあるかと思いますが、お付き合いいただければありがたいです。
ところで、今日は夕方から、元旦の銀座から丸の内を家族3人で歩いてみました。年末からのイルミネーションで残っているところはどこか、と検討し、まず、汐留カレッタへ行ってみたら、あいにく、1月1・2日は全館休館のため、イルミネーションも休みでした。
早速、今年中に自分が実現したいことを7つ書き出しました。そのうちの1つは、このブログ「ぐろーかる日記」を毎日更新すること、です。
どうでもよいような、たわいのない内容もあるかと思いますが、お付き合いいただければありがたいです。
ところで、今日は夕方から、元旦の銀座から丸の内を家族3人で歩いてみました。年末からのイルミネーションで残っているところはどこか、と検討し、まず、汐留カレッタへ行ってみたら、あいにく、1月1・2日は全館休館のため、イルミネーションも休みでした。
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