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2021年1月3日日曜日

2021年に始めたいこと

2021年に始めたいことがいくつかある。年の初めに宣言しておきたい。とりあえず、今、思いついている3点、すなわち、(1)インドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信するメディアを立ち上げる、(2)「よりどりインドネシア」をウェブ情報マガジンからコミュニティへ拡大する、(3)インドネシア・ウォッチャーに限定したクローズド・サロン(私塾)を開始する、を挙げる。

その1:インドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信するメディアを立ち上げる

これまでも、インドネシア語での発信は行ってきたが、より積極的かつ継続的に、インドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信する。発信媒体としては、ブログ以外に、オンライン+YouTubeチャンネルを活用する。発信内容は大きく2つに分かれる。

第1に、インドネシア語でいくつもの日本を発信する。面白く楽しい観光案内は他へゆずる。日本の政治・経済・社会の現状や課題のほか、日本の地方・ローカルとそこで生きる人々や地域づくりに焦点を当てる。ゲストを招いた場合には、日本人にインドネシア語で発信してもらうほか、私が日本語をインドネシア語に訳して発信する。

第2に、インドネシア語でインドネシアの政治・経済・社会の現状や課題について評論する。今までは多くを日本語で発信してきたが、今後は、インドネシア語でインドネシアについてより多く積極的に発信していく。インドネシアのマクロの問題だけでなく、日本の地域づくりの経験を踏まえて、インドネシアの地方での地域づくりの諸問題により焦点を当てる。

現在、インドネシア人有識者である友人と共同での媒体の立ち上げを計画中。インドネシア語での発信においては、この友人との媒体も有機的に活用する。

その2:「よりどりインドネシア」をウェブ情報マガジンからコミュニティへ拡大する

2021年中に第100号を迎えるウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」のさらなる内容充実を図りながら、インドネシアについて安心してゆるりと楽しく情報交換できる場としての「よりどりインドネシア・オンラインオフ会」を拡充していく。

オンラインオフ会は基本的に「よりどりインドネシア」購読者が対象だが、購読者以外の一般の方々が参加できる「よりどりインドネシア・特別講座」も実施していく。このようにして、「よりどりインドネシア」をウェブ情報マガジンからコミュニティへ拡大させていく。

その3:インドネシア・ウォッチャーに限定したクローズド・サロン(私塾)を開始する

現役のインドネシア・ウォッチャー、およびインドネシア・ウォッチャーにこれからなろうとする方々向けの限定したクローズド・サロンを開始する(おそらくフェイスブックにて)。サロンは一種の私塾のような形で、サロンへの参加者は全員、毎回交代で、インドネシアの直近の重要トピックについて報告し、報告者以外の参加者と議論する。

できれば毎週、あるいは2週間に1回、1時間程度開催したい。オフレコ的な内容を多々含むことになるので、クローズドなサロンとし、参加者には積極的な参加を求める。なお、情報取得のみを目的とする受け身の参加者はお断りする。

なぜ、これらを始めたいのか

ひと言でいえば、将来における日本とインドネシアとの関係を危惧するからである。相対的なものではあるが、日本におけるインドネシアへの関心の低下とともに、インドネシアにおける日本への関心の低下のなかで、双方の相互理解が表面的なものに留まり始めている。情報は氾濫しているのに、である。

情報分析においては、メディアの発達により、直近の詳しい状況はわかっても、それが歴史的に過去の事象や一見関係なさそうな他の事象とどのようにつながっているかについての分析が弱くなっている。また、ジャカルタやバリについての情報に偏り、その他のインドネシア、とくに地方に関する情報分析が不十分になっている。

日本はインドネシアの親日性に安心し、関係を深く根づかせていく努力を進められていない。インドネシアは日本のこれまでの協力に感謝する一方、これから日本がインドネシアと何をしていくのかを問い続けている。他方、中国や韓国などは、ニッケル製錬→EV用蓄電池製造など、明確な意図をもってインドネシアと接し始めている。これから日本はインドネシアと何をしていくのか。それが日本にとってはもちろんだが、インドネシアの今後にとってどのように有益で戦略的なのか、それを日本が語れなければ、より深く尊敬し合える関係をつくることはできない。

国と国との関係ばかり見てきたこれまでの両者の関係も再検討される必要がある。日本におけるインドネシア愛好者とインドネシアにおける日本愛好者のすそ野が広がり、技能実習やアニメだけではない、自動車や観光だけではない、両者の相互理解を深めていく、個々人が増え、できればそれが個人レベルでどんどんつながっていくことが望ましい。

私は、研究者として、コンサルタントとして、35年以上にわたってインドネシアとお付き合いしてきた。これまでは、その比較優位を活用し、インドネシアに関する様々なアドバイスやコンサルティングを行ってきた。そして今、気がついた。これからは、両者をつなぐ仲間をもっと増やすこと、双方に関心をもつ人々のすそ野を広げていくこと、インドネシアのことを想う日本人と日本のことを想うインドネシア人を増やしてつなげていくこと、これをしていこうと。

まずは、日本とインドネシアとの間で。そして、その次は、それぞれからの横展開で、様々な世界の人々やローカルをつないでいきたい。そして、それは、オンラインに頼らざるを得ない今だからこそ、逆に、より可能になったことではないかとも思うのである。

上記に賛同する方、仲間に加わりたい方は、メールで matsui@matsui-glocal.com までご連絡を。同様の呼びかけを、インドネシア語、英語でも行う予定である。

2020年6月6日土曜日

あるツイートについてインドネシア語で訊いてみた



先週末、ツイッターであるツイートが多くの人々に取り上げられてバズっていた。それは、ある大学での試験で、インドネシア=日本関係に関する文章が示され、それを要約させる問題だった。

ツイート主は、その問題を自分の子どもから見せられ、文章の内容が事実と異なると批判し、その問題を出した大学の先生を糾弾する内容だった。そして、ツイート主の見解を支持し、試験に出された問題の内容と大学の先生を批判するツイートが数え切れないほど連なっていった。

参考までに、そのツイートへのリンクを貼っておく。


一応、インドネシアについて長年研究してきた人間として、この事件を無視することはできないと考えた。ツイートの話の前に、試験問題について若干コメントしておく。

このような内容の試験問題を出した意図は理解できるし、学生に何を求めているかも理解できる。ただし、要約というのは個人的にあまり好ましくなかったという気がする。要約ということは、問題の文章の内容をそのまま受け止めさせることを意味する。先生の意見を押し付けられたかのような感覚を学生が持ってしまう可能性は否定できない。

私ならば、学生に自分の意見を書かせる。それを書かせるために、どんな本でもインターネットでも参考にしてかまわない「持込可」としつつ、意見を書くにあたって参考にした文献などの出所をすべて書かせる。学生がどのようなソースから自分の意見を形成しているのかという傾向を把握することを重視したいと思う。

**********

それはともかく、ツイートの流れを見ていきながら、日本でのインドネシアに対するある一定の見方のオンパレードで、その歴史観を正しいと信じている人々が確実に存在することを改めて確認できたと思う。

その見方というのは、(1) 日本のおかげでインドネシアは植民地から解放され独立できた。(2) 日本の3年半の統治はインドネシアにとって有益であり、オランダ植民地支配より過酷だったことはない。(3) インドネシアが日本に恩を感じており、だから親日なのだ、というようなものである。この見方に立てば、日本の占領統治がオランダ植民地時代より過酷だったとか、日本軍が残虐行為を行ったとかいうのは誤りで、そうした間違った言説を唱える者は反日思想で子供たちを洗脳しようとしている、という主張になる。

私自身は、この見方も含めて、インドネシア=日本関係の歴史については、様々な見方が存在することを了解している。それは日本人の間でもそうであるし、インドネシア人の間でも様々な見方がある。その多くは、個人的な経験や近しい人々から聞いた話が元になっており、どれが正しくてどれが間違っていると一様に結論付けられるものではない。インドネシアの学校で使われる歴史教科書の記述だって、本当に正しいかどうかは疑問である。もちろん、同様に、先に上げた「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が正しいかどうかも疑問である。

「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が日本社会で一定の支持を受けていることを、インドネシアの人々は知っているのだろうか、という疑問が湧き上がってきた。彼らの一部は、先の試験問題が偏向していて、「日本とインドネシアとの友好関係にマイナスだ」と日本にあるインドネシア大使館・総領事館へ問い合わせるとまで言っているのだから。まあ、それに対してどう回答がなされそうかは、何となく想像がつく。

というわけで、私の英語・インドネシア語ブログ「Glocal Diary for Local-to-Local」のなかで、インドネシア語でこの話を書き、彼らの反応を見ることにした。6月3日に投稿して、今日(6/6)までに110回のアクセスがあった。

ブログの原文については、以下のサイトを参照してほしい。


このブログのリンクは私のfacebookページにも貼ったので、インドネシア人の友人たちからのコメントは主にFacebook上に寄せられた。そのリンクも以下に貼っておく。


コメントには、様々な意見が寄せられた。その多くは、自分の親や家族から聞いた話だった。彼らは、インドネシアの教科書で、日本軍政の過酷さやインドネシア側から見た独立正史を学んでいる。そのうえで、日本軍政にプラスの面とマイナスの面があったという者、日本軍政でも陸軍と海軍は違うのではないかという者、昔と今の日本は違うという者、など、冷静でバランスのとれたコメントが並んでいた。

なかには日本語をよく理解できる友人もいて、彼はツイートを「すべて読んだ」と言ってきた。彼はそれについての直接のコメントは差し控えたが、私が英語・インドネシア語ブログに書いたことを日本語でも書いて日本人にも伝えるべきではないか、とコメントした。

まだこの後も、インドネシア人の友人たちからコメントが届くと思うが、彼らからは、先の「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方への直接の反論・批判は今のところ出されていない。ただ、彼らがその見方と同じだとも断言できない。賛成とも反対とも言っていないのだから。大事なことは、そのような見方が日本にはけっこうあるということを彼らに分かってもらうことなのだと思う。

**********

先のツイートへの私なりのわだかまりについて、最後に述べておきたい。

第1に、自分たちの見方が正しくて、そうでないものは間違っている、とすることは賢明ではない。歴史で何が正しいかは、誰がどう関わったかによって異なる。教科書に書かれていることだって本当にすべて正しいかどうかは疑わしい。

第2に、彼らの依拠している情報ソースは、日本人が日本語で書いたものやインターネット情報が主であり、インドネシア語のものやインドネシア人の研究成果などにはほとんど触れられていない。インドネシア人がこう言っているというのは、すべて日本人が日本語で書いたもののなかにあり、書いた日本人の立場や意図を考えないわけにはいかない。

第3に、様々な見解が存在しうる歴史をただ一つの見解が正しいと決めつけ、その情報ソースもきちんと確認せずに、その見解と異なる見解を糾弾し、排除しようとする行為は、言いがかり以外の何物でもない。もし批判するならば、実名を名乗り、情報ソースを明示して、きちんと議論すべきである。

最初は、あのようなツイートを相手にする必要はないかと思っていた。しかし、そのツイートに1万を超える「いいね」がついている現実を見たときに、これはインドネシア人の友人たちにもこの状況を伝える必要があると感じたのである。

もしかすると、インドネシア側から見たら、「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方に内心ではカチンと来るかもしれない、と想像できる。インドネシアは、自分たちで独立を勝ち取ったと信じているかもしれないし、そう思っているのが普通だからである。

私も、インドネシアで出会った様々な方々からそれぞれの日本との関わりや戦争のときの話を聞いてきた。インドネシアと言えども、場所によって、状況は様々だったはずである。おそらく、内心には色々な思いを持ちながらも、私に気持ちよく話してくれる人たちを大事にしたいと思う。そうしているうちに、彼らとの間で、インドネシアとか日本とかということが、いつの間にか溶けてなくなっていくのを感じるのである。

東京を訪れたインドネシアの高校生たちをサンシャインへ案内
(2019年3月19日)


2020年5月3日日曜日

貧困の津波

←アートへのアクセスを民主化させたい


新型コロナウィルス感染拡大は、私たちに様々な困難を強いている。自分も含め、多くの人々が日々の生き残り策に集中し、自分以外の人々になかなか関心を向けられない状況になっているのかもしれない。

そんななかで、今日、自分に突きつけられた言葉。

それは・・・「貧困の津波」

2020年5月3日付『朝日新聞』の国際面のその言葉があった。
新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。

インドで起こった突然のロックダウンで、解雇などで失職し、交通機関も途絶えるなか、故郷へ、何十キロも、何日も、昼の炎天下、食べ物もお金も尽きても、無言のまま歩き続ける人々。

故郷の村まであと150キロのところで息絶えた12歳の少女は、そんな数百万人の人々の一人だった。

彼女の12年の人生を思う。インドは豊かになったのではなかったのか。

法外な料金を払い、荷台にぎゅうぎゅう詰めのまま、運よくトラックに乗れても、故郷へ向かう途中で警官の検問に出くわし、首都デリーへ強制的に戻らされる。避難所に収容されればラッキーなのだが、故郷へは戻れぬまま。ロックダウンのなかでどうやって生きていくのか。

人口14億人のインドを「貧困の津波」が襲う。

南アフリカでも、ケニアでも。インドネシアでも。そして日本でも。

自分ではもうどうにもならない、でも誰も助けてくれない、世界も国も金持ちも。

貧困の津波は、寄せては返し、寄せては返しを繰り返し、起こり続けていく。そして、寄せては返すたびに、貧困は深まり、そして広がる。

成長重視から分配重視へ生き方を変えよう、などと言える余裕はもうない。

感染で亡くなる。そして、感染しなくとも、貧困で亡くなってしまう。

富める先進国も、自国のことで手一杯で、「貧困の津波」が世界中で起こっていくことに頭が回らない。自分たちの生活が第一であることは当然である。でも、同時に、世界中に「貧困の津波」が押し寄せていることにも心を留めておきたい。

この種の「津波」の予知が難しいのなら、せめて、金銭的な施しや人道支援はもちろんだが、それだけでなく、「津波」の力をどう緩められるか、どう乗り越えていけるか、世界中で皆が知恵を出し合い、行動していかなければならないだろう。

自分がもしも彼らだったら・・・・。「かわいそうなひとたち」で片付けている間は、人々が思い合う新しい世界は造れない。どうすればいいのか、簡単に答えは出ないが、しっかりと心に留めておきたい。


←アートへのアクセスを民主化させたい

2020年1月1日水曜日

2020年、新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

 旧年中は大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

日本と海外(インドネシアなど)の地域づくりをパラレルに見ていると、その同時代性を強く感じます。ローカルとローカルがつながり、新しい価値と深い学びが持続的に生み出される。そんな世界を目指して、微力ながら精進したいと思います。

インドネシア・東ジャワ州バトゥ市の若き農業者たちと一緒に。
生産者と消費者を結ぶ動きはここでも試みられている。 [2019年5月]

2019年12月21日土曜日

久々の新宿中央公園

昨日と今日は、所用で妻と新宿へ。用事を済ませた後、新宿中央公園へ久しぶりに行ってみた。

大学生だった頃はよく来た新宿中央公園だが、それからずっと長い間、訪れることはなかった。昔のイメージとはずいぶんと変わった気がした。

それでも、まだ秋の名残が感じられる景色に彩られていた。


イチョウ以外の木々の葉は、ほとんどがもう落ちていた。ちょうどお昼時で、南側からの陽の光がいい具合にイチョウを照らしていた。

2019年7月14日日曜日

今年も東京でお盆の季節

東京の我が家は、今年もお盆の季節を迎えました。

東京は、7月13〜16日頃までの新暦でお盆を迎えるのが一般的のようですが、日本の多くの地域では、8月半ばに旧暦でのお盆を迎えるところが大半ではないかと思います。

我が家では、今年も、提灯をつけ、行灯を灯し、野菜などのお供え物と、キュウリとナスで作った馬と牛を作りました。それらをマコモの筵の上に置きます。


キュウリの馬とナスの牛は精霊馬、精霊牛と呼ばれ、前者は、ご先祖さまの霊ができるだけ早く戻ってくるための乗り物であり、後者は、できるだけこの世に留まっていられるようにという意味を込めたあの世に戻る時の乗り物なのだそうです。

2018年12月30日日曜日

自分のできる範囲で動くしかない

このところ、ブログの更新がだいぶ途絶えていました。特に何があったわけでもないのですが、いろいろと考え事をしていました。

例えば、インドネシアでは今も地震が続き、12月22日にはアナクラカタウ火山の噴火に伴う津波の被害が発生しました。

10〜11月にかけて、スラウェシ中部地震被災地支援の呼びかけを行い、協力を呼びかけ、緊急支援向けの義援金を送ったりしたのですが、12月22日のバンテン州やランプン州への津波被災地に関わる支援をまだ呼びかけていないことについて、自問していました。時には、自分を責めていました。

同じインドネシアのことなのに、スラウェシ中部地震被災地のことだけ支援を呼びかけるのは不公平なのではないか。ロンボクに対しても、同じような深さで支援を呼びかけるべきだったのではないか。

日本でも各地で今年もさまざまな災害に見舞われたが、それに対しては、特別の行動を起こしていないではないか。それで良いのか。

そう考えていると、もしかすると、自分は神様にならなければならないのではないか、などと思ってしまいます。スラウェシ中部地震以外の災害に対しては、なぜ同じように動けないのか。そんな批判の声が聞こえてくるような気がしてならなくなります。

だったら、そんなにスラウェシ中部地震のことにのめり込まず、大口の支援団体へ募金するにとどめて、そこそこに対応していればよかったのではないか。

誠に申し訳ないのですが、自分は神様にはどうしたってなれません。インドネシアのすべての、いや世界中のすべての災害支援に平等に関われるような能力は自分自身にはないことをはっきりと認めます。

だから、そのことを批判したり、責めたりする人がいれば、素直にお詫びしたいと思います。そんな能力は自分にはありません。

自分が人生の中で特に関わった、コミットした場所、特別の思いを持っている場所に対する特別な感情。そうした場所と、それほど思い入れのない場所とをどうしても比較してまう自分がいます。

自分が特別な感情を持ってしまった場所に対して、その思い入れから支援を行いたい、と思うことは、間違ったことなのか。そこしか見ていない、と批判されることなのか。

自分がスラウェシに特別な感情を持つように、世の中には、ロンボクに特別な感情を持つ人も、バンテン州やランプン州に特別な感情を持つ人もいることだろうと思うし、日本の災害被災地に特別な感情を持つ人もいるのだと思います。

それらの場所に特別な感情も関わりも持たない人が、どうしてそれらの場所への被災地支援を呼びかけられるでしょうか。

自分のできる範囲は限られています。その範囲で、自分はこれからも支援の関わりを続け、皆さんに呼びかけていきたいと思っています。

スラウェシ中部地震被災地への今後の支援についてですが、現地の友人たちが、被災者の思いを聞き取り、聞き書きを行う活動を始めつつあります。

インドネシアでは、被災者の声や気持ちを書き残していく作業がほとんどなされていません。とにかく、ひたすら被災者の声に耳を傾けつづけることは、その被災者に対するヒーリングとしても有効かもしれません。ただし、そこでは、聞く側の技術が多少求められます。聞き手が相手を遮ったり、誘導したり、代弁したりしないことが重要です。

そして、震災孤児を中心とした教育支援の可能性を探っていきたいと思っています。これについては、現地で震災孤児に関する正しいデータを収集し、管理運営できる能力を持ったパートナー機関が必要です。候補団体はすでにあるのですが、その能力の見極めをする必要があります。また、長期の奨学金プログラムのようなものを目指すとすれば、その管理運営をどのように行っていくか、など検討すべき課題はまだまだあります。

自分ができる範囲には限りがありますが、様々な方々と繋がっていくことで、より多彩な活動やスラウェシ以外の他の場所での展開も視野に入れていくことができるかもしれません。

そして、被災地同士が助け合う動きをもっと促していくことができるのではないか、という気もしています。すでに、ロンボクの被災者からスラウェシ中部の被災者への支援を行ったり、スラウェシ中部の被災者がバンテン州・ランプン州の津波被害者への連帯を表明する、といった動きが出ています。

日本でも、自治体同士が災害時の協力協定を結び、助け合う関係を作っていますが、そうした関係が国境を越えて作られる時代になってきているような気もします。

日本とインドネシアは、世界で最も地震・津波が頻発し、甚大な被害を受けてきた国でもあります。政府レベルだけでなく、それを補完するような形で、世界の地震・津波対策をリードしていけるような関係を作れるのではないかと思っています。

今時点では、まだまだ雑駁ですが、以上のようなことを考えています。

ロンボク島北部の被災地では、仮設住宅の建設が始まりつつありましたが、復興と言うにはまだまだの状況。
地震はまだ怒っていて、住民のトラウマは私たち外部者の想像以上に大きなものでした。
(2018年11月28日、筆者撮影)

2018年10月20日土曜日

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と言われて・・・

ひとりごとの雑文です。もしかしたら、どうでもいいことなのかもしれません。

ちょっと前に、ある日本人の方から「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と、突き放すように言われました。振り返ってみると、それ以前にも、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」などと言われたことがありました。

日本とインドネシア。そのどちらかに身を置いていないといけないかのような・・・。

もちろん、自分は日本人の両親から生まれた生粋の日本人であり、日本国籍を持っています。それは、自分の意志で選んだものではなく、たまたまそうなったのです。

これまでには、日本国の税金を使わせていただいて、国際協力の仕事も行ってきました。日本国の税金を使う以上、日本のためになる成果を上げる必要があることは十分に自覚しています。

自分としては、それは、相手(私の場合は主にインドネシア)が日本の味方になってくれること、日本を深く信頼してくれること、いざとなったら、日本を助けてくれるような関係をつくること、だと思ってきました。相手のためになる仕事をすることが、日本のためにもなる、と信じて、自分なりに仕事をしてきました。

だから、日本だけが利益を得ればよい、あるいは、相手だけが利益を得ればよい、というふうには考えられませんでした。

これは、商売やビジネスでも同じことだと思うのです。相手をだましたり、出し抜いたりしてでも、自分だけが利益を得ればよいという考えでは、商売やビジネスは成り立たない。双方に信頼関係ができて、はじめてうまく行くものではないかと思います。

そう考えてきたので、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか、「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」というふうになぜ言われなければならないのか、よくわからないのです。

そういう人からすると、私の行動は、相手の利益しか考えていないように見えるのでしょうか。敵・味方みたいな話になってしまうのでしょうか。

いつの頃からか、私自身、日本とかインドネシアとか、国単位で物事を考えることが減っていきました。より生活空間に近い地域やコミュニティ、あるいは実際に接している個人や団体を個々にみるように変わっていきました。

日本にも様々な人がいるし、インドネシアにも様々な人がいます。いい人も悪い人も。誠実な人も不誠実な人も。○○国人はどうだ、と簡単に言えなくなっていきました。

同じように、○○教徒はこういう人間だ、とか、○○種族はどうだ、とかも簡単に言えなくなってきました。

世の中には、国や宗教や種族に応じて、勝手にイメージを作り上げ、レッテルを貼る人々がまだまだたくさんいるのでしょう。もしかしたら、それが多数派なのかもしれません。たとえば、実際、インドネシアにおける外国人イメージにも、辟易することがよくあります。

なんだか、最近は、二つのうちから一つを選ぶ、踏み絵のような話ばかりが横行して、第三の道やそれらとは次元の違う考え方がもわもわっと現れてくる余地を狭めているような気がします。

信頼関係をつくるのに必要なのは、ディベートではなく、対話です。ディベートと違って、対話に勝ち負けはありません。敵・味方を区別して、勝ち負けを競うような言論空間がずいぶん広がってしまったような気がします。そして、勝ち続けなければならない、というような脅迫観念が蔓延しているかのようです。

果たして、「日本かインドネシアかどっちなのだ?」と私に問う人は、相手と対話を行うつもりがあるのでしょうか。対話をして相手の言うことを聞いてしまったら、それは負けなのですか。

対話に勝ち負けはありません。対話は相手を変えるためだけを目的に行うのではなく、対話のプロセスを通じて、互いに「何を話しても大丈夫!」という安心感・信頼感を醸成しながら、相手も自分もともに変わるものです。

きっと、自分が変わることを恐れる自分がいるのです。自分は変わらず、相手だけを変えることが勝ちだと意識しているのかもしれません。

日本とかインドネシアとか、そういった国を自分が意識しなくなってきたことで、国家を背負って仕事をされている方々は、そんな私に負のレッテルを貼っているかもしれません。

インドネシアのために何かをすることが日本のためになる。私が国際協力の仕事を始めた頃はそういう空気がまだあった気がします。でも、今や、そう考えてはいけないのでしょうか。

誰が何と言おうとも、私は相手と対話を続けていきます。相手に負のレッテルも貼りません。信頼関係の醸成なくして、相手とのよい関係を築くことは不可能です。

日本かインドネシアか、と聞かれたら、やっぱり、両方、と答えるしかないです。

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」とか、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか言われても、もう気にしないことにします。その結果として、そういう人たちと仕事ができなくなっても、それはしかたないことです。

自分に賛同してくれる仲間を、地道に増やしていくことにします。そういうスタンスで、対話の力を信じ、レッテルを貼らず、自分なりに、信頼できるつながりの輪を広げていきたいと思います。

2018年7月31日火曜日

無駄の有駄

昨今の耳を疑うような「生産性」云々の話にうんざりしながら、中学校のときに大好きだった教頭先生が卒業文集に寄せてくれた言葉を思い出しています。

それは、無駄の有駄。

一見、無駄に見えることのなかに、意味がある。無駄であることに意味がある、ということを、教頭先生ははなむけの言葉にしてくださったのでした。

無駄をなくすことが生産性を高め、効率の良い社会を作る。それが世の中の進歩である。当時は、まだ高度経済成長の影が残り、世の中はどんどん進歩していける、と信じていたかもしれない70年代の後半でした。

ジャスト・イン・タイムが良しとされ、進歩の速さに乗り遅れた人々は「落ちこぼれ」とされ、その速さに乗っていくことがよい生活を実現させるために必要だ・・・。

日本社会が右肩上がりでなくなってからも、いやだからこそ、以前よりももっと無駄をなくして、効率を上げて、生産性を高めるために、一段とギアを高くしなければならない・・・。

そんな風に信じている人々が、実は少なくないのかもしれません。

無駄をなくすために取り入れられた様々な技術。パソコン然り、ケータイ然り、ジャスト・イン・タイム然り。それによって、仕事が効率化し、生活にゆとりが生まれ、人間らしい生活を送ることができる、って、技術が導入された最初の頃は信じていたように記憶しています。

でも、その結果は・・・

原稿を書いて締切日必着にするには、5日前には書き上げ、郵送しなければならないから、逆算すると、1ヵ月前ぐらいから取り組まなければならないかな、という時代がかつてありました。

今や、締切日の夕方までにメール添付で送ればいいからと、ギリギリまで粘れます。

そして、すぐにインターネットで処理できるからと、仕事の量はどんどん増えていくのでした。しかも、人事評価やら業績評価やら、書類の種類がどんどん増え、会議の回数がどんどん増え・・・。その一つ一つは、無駄をなくし、効率的に事務処理されたもの。

でも、それを鳥瞰的に見ると、無駄を省いた効率的な事務処理の全体量がものすごく増えたのではないでしょうか。なぜなら、人間を忙しさから解放するはずの技術がそれだけの量の事務処理を可能にしてしまったからです。

そういう方々が、ストレスからか、それだけの仕事をこなせない(とみなされた)人々を見下し、生産性が低いなどと思うのかもしれません。でも、そのこなしている仕事は、世の中のためだと誰にでも胸を張って言える仕事なのですか。

無駄とは、広い意味での遊びのことかもしれません。

伸びきったゴムは、いずれパチンと切れてしまいます。ゴムがゴムたり得るのは、遊びがあるから・・・。

人間は生産性や効率のみで評価されるものではないでしょう。無駄があるから、深さが出る。遊びがあるから、本気で集中できる。

無駄はたしかに有駄である、と感じます。ゆるい社会が(鋼の強さではなく柳の強さという意味で)強い社会である、と思います。

そういえば、うだうだするは有駄有駄する、という当て字がありましたね。これも、無駄の有駄のお仲間でしょうか。うだうだするのはとても好きです。

無駄の有駄を教えてくれた教頭先生の英語の授業、とても大好きでした。

2018年7月3日火曜日

みなかみ町の「たくみの里」をちょっと訪問

今日(7/3)は、みなかみ町を訪問し、朝から夕方まで、関係者と会議でした。

5月から、みなかみ町のアドバイザーを拝命しており、今後、インドネシアの地方政府との関係づくりを進めていくにあたっての助言や情報提供をお願いされています。

会議終了後、町役場の方が「たくみの里」へ案内してくださいました。たくみの里のホームページでは、以下のような説明がなされています。
たくみの里は昔ながらの日本の風景を残す須川平にあります。
東京ドーム約70個分(330ha)にわたる集落には昔ながらの手法をそのままに木工、竹細工、和紙などの手作り体験ができるたくみの家が点在しています。手作りが体験できるたくみの家と、展示・見学・ショッピングがたのしめる家の二種類があり、それぞれのたくみが各家のオーナーとなりオリジナリティ溢れる作品や体験を提供させていただきます。
たくみの里事業は、1983年、旧新治村で、農村地域の持つ観光資源(農村景観、歴史文化、伝統手工芸)を活かし、しっかりした農業経営のもとで、美しい農村景観を保全する事業として開始されました。背景には、温泉などの旅館・ホテルの宿泊者数が減少したことがありました。

この地域に点在する野仏を周って歩くことと、農産加工技術の体験工房などを組み合わせて、都市と農村との交流を促す、住民参加型の新しい試みを続けて今日に至っています。

たくみの里の入口にある豊楽館という施設は、今は道の駅としての役割も果たしています。今日訪問した際は、平日のせいか、閑散としていました。

 道の駅 たくみの里 豊楽館


豊楽館から北へ延びる道路は「宿場通り」と呼ばれ、昔の三国街道の須川宿の面影を感じられるよう、通りに向かって垂直に屋根の方向を揃え、こげ茶色に統一した街並みが続きます。この通りに様々な店や工房が並び、休日には観光客でにぎわうそうです。


今回は、時間も限られていたので、町役場の方の車でざっと域内を周りました。次回は、実際に歩いてまわってみたいと思います。

町役場の方から紹介されたのですが、たくみの里の近くには、「みなかみフルーツランド・モギトーレ」という施設があり、観光果樹園のほか、果物を使った美味しいスイーツを食べさせるカフェがあります。

 みなかみフルーツランド・モギトーレ

この施設は元々、果物取引で有名な株式会社ドールが「ドールランドみなかみ」という名前で運営していましたが、2018年7月2日からは、みなかみ町農村公園公社へ移管されました。ドールがみなかみ町にそんな施設を持っていたことを初めて知りました。

この移管を記念して、みなかみフルーツランド・モギトーレでは、7月7~8日にOPEN感謝祭として、大人1500円(みなかみ町民は1000円)、子ども750円(同500円)で、70分スイーツ&グルメ食べ放題+ドリンク飲み放題のバイキングを開催するそうです。ただし、時間は10:30~15:00。


提供されるスイーツに使う果物は、すべてみなかみ町で収穫されたもの。当日は先着順で予約不可、とのことです。

筆者自身は行けませんが、こちらも、次回のみなかみ町訪問の際に、しっかり食べに行きたいと思います。

2018年4月16日月曜日

著名なジャズサックス奏者MALTA氏をインドネシア大使に紹介(動画付)

ひょんなことで、4月12日、日本の著名なジャズ・サックス奏者であるMALTA氏を在日インドネシア大使に紹介する機会を得ました。


MALTA氏と言えば、1970年代から活躍してきたサックス奏者であり、間もなく70歳になる今も、もちろん第一線のプレイヤーとして、各地を飛び回って意欲的な演奏活動を行っています。同時に、東京芸術大学や大阪芸術大学で教鞭をとる一方、全国各地で若手演奏家や子供たち向けにジャズ・サックスを指導して回ってもいます。

 MALTA Official Website

その意欲的な活動を見ていると、頭が下がる思いです。生涯現役を地でいくかっこいい先輩の一人と位置づけました。

筆者はMALTA氏自身を以前から存じておりましたが、実際にお近づきになったのは、昨年11月11日、大分県佐伯市での彼のコンサートでした。そのときの模様は、過去に本ブログの以下の記事で書きました(よろしければご一読ください)。

 音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

佐伯では昨年、さいきミュージックアートクラブという市民団体ができ、音楽を通じてまちおこしを進めているのですが、その第1回コンサートの演者として、MALTA氏が登場したのでした。

大分県の一番南端、宮崎県との県境にある佐伯で、MALTA氏の知名度もさほど高くない場所にもかかわらず、コンサートは大いに盛り上がり、成功裏に終えることができました。

MALTA氏のサックスを聴いて体が元気になった、という方がいるという噂も聞きましたが、本当に、体中がスイングしながらどんどん元気になっていくような、そんなMALTA氏の演奏でした。

ちなみに、MALTA氏も佐伯が気に入った様子で、今年9月22日、再び、さいきミュージックアートクラブ主催でMALTA氏のコンサートが実現するそうです。

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そんなMALTA氏が今、インドネシアに興味を持ち始めています。とくに、新しい若手ジャズ・ミュージシャンが続々と頭角を現し、アジア有数のジャズの盛んな場所として、注目されています。

MALTA氏は佐伯でのコンサートをきっかけに、さいきミュージックアートクラブの中心メンバーの一人である山中浩氏と親交を重ね、インドネシアに日系工場を持つ山中氏からインドネシアの魅力を教えられ、さらに興味を深めたようです。

そこで、MALTA氏側から「インドネシア大使館へご挨拶にうかがいたい」という相談を筆者が受け、今回の訪問につながったのでした。

在日インドネシア大使館のアリフィン大使は我々を大歓迎してくださいました。

大使ご自身もジャズがお好きとのことで、ご自分のスマホを取り出し、昔の級友らが結成して活動しているセミプロのジャズバンドや、史上最年少でグラミー賞を獲得したインドネシア人ジャズ・ピアニストのジョイ・アレクサンダー氏(15歳)などの映像をMALTA氏にお見せしては、楽しそうに英語で会話が弾んでいました。

そうしているうちに、大使から「今、ここでサックスを吹かれないんですか」という呼びかけがあり、なんと、MALTA氏は、大使の前で生のサックス演奏までしてしまうのでした。これには、大使も本当に大喜びの様子で、書記官にサックス演奏の様子をスマホで動画に撮らせ、すぐに友人たちへ動画を送るのでした。


わずか30分の面会ではありましたが、初対面にもかかわらず、アリフィン大使に大変歓迎していただき、ここに改めて感謝の意を表する次第です。

MALTA氏は、これまでの経験に基づいた自分の演奏を通じて、日本とインドネシアのさらなる友好関係深化に寄与したいと考えており、インドネシアで演奏の機会があることを願っています。

そして、演奏の機会があれば、併せて、インドネシアの子どもたちや若者たちにサックス演奏のレッスンなどもしてみたいそうです。

MALTA氏は縁やつながりをとても大切にされる方で、一度、インドネシアで演奏できたら、次からは毎年、インドネシアで演奏を続けていきたいとのことです。実際、佐伯には、昨年に続き、今年もコンサートを開催し、「毎年佐伯へ来る」とおっしゃっています。

たとえば、9月8~9日に予定されているジャカルタ・ジャパンまつり(JJM)などに出演できたらいいのではないか、と、元JJM関係者の一人だった筆者としては、個人的に思うのですが、いかがなものでしょうか。

このような機会を通じて、日本とインドネシアをつなげようとする方々のお手伝いができることをとても嬉しく思っています。まだまだ、つなげていきますよ!

(本ブログの内容は近日中にインドネシア語ブログでも発信する予定です)

2018年4月1日日曜日

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います

以下のとおり、技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います。

<想定される対象>

すでに技能実習生を活用している事業者、これから活用を考えてみたいと思っている事業者、あるいは、技能実習生を海外から受け入れて事業者へ彼らを派遣している監理団体、などを対象とします。製造業だけでなく、農林水産業なども対象とします。

なお、筆者の専門性を鑑み、対象はインドネシア人技能実習生とします。

福島在住のインドネシア人技能実習生との懇談(2017年11月18日)

<どのようなコンサルティングを行うか>

主に、次の4点を中心としたコンサルティングを行います。長年にわたって、地方を含むインドネシアと関わり、かつ日本や開発途上国の地域づくりや地域産業振興を見てきた筆者ならではの、他とは違うコンサルティングをご提案します。

2018年1月16日火曜日

会津坂下の奇祭・大俵引きを見に行く

1月14日は、会津坂下町へ坂下初市と大俵引きを見にいきました。

会津坂下では、年の初めの4の付く日が初めて市の立つ日ということで、毎年、1月14日に「初市」が開催されます。この初市と合わせて行われるのが、大俵引きです。


会津坂下町が自ら「奇祭」と名付ける大俵引きですが、重さ5トンの大俵を真ん中に置き、東方と西方に分かれて、綱引きのように大俵を引き合うものです。

まずは、前座として、子どもが参加する俵引きが行われます。俵の大きさは1トン、男の子は上半身裸です。


子供の部が終わると、いよいよ大人の部です。

2017年12月28日木曜日

自分にしかできないことを高める

先日、友人から人生相談を受ける機会がありました。何かアドバイスできるような立派な人生など歩んでいるわけではないですが、ともかく、彼より少しシニアだということで、お会いすることにしました。

話を聞きながら、自分も、かつて、いや今も、自分の生きていく道筋について悩んできているということを改めて思いました。

ポジティブ全開の人も含めて、どんな人でも、自分に対して正直になったとき、今まで歩んできた道を少しも後悔しない人はいないのではないか、と思います。自分が計画した通りのベストな人生を歩んでいると実感している人はいないのではないか。

でも、自分が歩んできた道がベストだったのだ、と思って生きることは大事なことだと思います。思い描いたベストな人生ではないかもしれないけれど、今の自分は過去からの様々な出来事の因果関係の連鎖のうえに成り立っていて、後から振り返ると、これで良かったのだと肯定しないと、やっていられないように感じるのです。

相談した友人は、現状への不満と漠然と「こういうことをしたい」という思いは持っているのですが、その思いはまだホワッとした状態で、それをまだ明確に具体的にできていない様子でした。

そのときに、自分がやりたいこと、それを実現するために何をしなければならないか、ということを考えたとき、年齢や家族構成などを考慮すると、できるだけそれを無理なくできる方法を考えたほうが良さそうです。

自分の比較優位は何かも自覚しておくことが重要でしょう。比較優位がないものを実現するためには、ものすごい労力と努力を必要とします。たとえば、インドネシアに関するコンサルティングを行ないたいという場合に、既存のコンサルタントにはない何を比較優位とするのか、が問われてきます。

残念ながら、友人がそれを実現するためには、それこそ、ものすごい労力と努力を必要とすることが明らかでした。

しかし、今、自分で関わっている仕事から派生する形で、比較優位を作っていくことのほうが無理なくできる場合もありえます。友人の場合、今の仕事は、日本で専門家がほとんどいないある外国に関わるものでした。ですから、少し努力すれば、友人はその国の専門家になることができるのです。

生きてきた証は、自分にしかできないことを高めていくことで培われるものです。自分がこの世に生きた意味や証は、自分にしかできないことを世の中で実現することで生まれてくる。それは、自分という個を、アイデンティティを、明確にすることでもあります。

友人には、今の自分の状況を冷静に把握し、できるだけ無理なく、自分にしかできないことを高めていくのがいいのではないか、とアドバイスしました。

と、そこで気づきました。これは、地域が生き生きとしていく、生き残っていくことと同じではないか、と。その地域の持つ地域性をしっかり理解し、そこから他にはない、その地域にしかできないことを見つけ、それを高めていく。

そして、自分にしかできないことを高める人々が集まる地域が、自らの地域にしかできないことを高めていけるのではないか、と。

振り返って、私自身、自分にしかできないことは何なのか、改めて考えています。そして、自惚れではなく、それは、確かにある、ということを確信しています。

それは、小さい頃からずっとやりたいと思っていた、ホワッとした思いが徐々に具体的なイメージにフォーカスしてきているのでした。研究所で研究員を務めたことも、開発援助の実務に関わったことも、NGOで活動したことも、独立して自由に動け回れるようになったことも、後から振り返ると、すべてつながっているのでした。

家族を養うという意味での生活を考えれば、後悔する気持ちが全くないわけではありませんが、自分はこういう生き方をしたかったのだ、そこに意味があるのだ、という気持ちのほうが勝っている気がします。

さて、来年はどうなりますことやら。楽しみです。

起き上がりムンクさんに癒される?


2017年12月22日金曜日

東京にシェアオフィス/コワーキングスペースをつくる

今、東京の自宅付近にシェアオフィスまたはコワーキングスペースをつくる、ということを考えています。

まだ構想段階ですが、どんな人に使ってもらったらいいか、少しずつ考え始めています。

できれば、私が信頼できる方々に使っていただき、結果的に、何かを一緒に作り出せる場所にしていければと思っています。

その一方で、分野も専門も全く異なる人々、様々な国から来た人々が集まるような場にしてもいいなとも思います。

亡くなった伯母の店舗兼住居を改装する予定です。広さは、2階建てで、1階をコワーキングスペース+会議室、2階を3〜4部屋のシェアオフィス、という形にしようかなと思っています。

裏に庭があります。古い桜の木があり(下写真)、4月にはまだ花見ができます。


動き回っているので常駐は難しそうですが、私の仕事場も作る予定です。

会員制にして、会員は24時間使えるようにしてはどうかと考えています。

場所は、JR山手線の大塚駅から徒歩7分、近くに24時間営業のセブンイレブンがあります。

開業はおそらく、早くても2018年8月以降になりそうです。

どうでしょうか。

興味のある方、一緒に管理運営してみたい方、いずれ使ってみたい方、オフィスを構えたい方、何か面白いアイディアをお持ちの方は、お気軽に、メールにて私( matsui@matsui-glocal.com )までご連絡いただけると嬉しいです。

2017年12月5日火曜日

ただ今、東京でおこもり中です

スラバヤ出張中に体調を悪くし、帰国した12月1日はあまり具合がよくなかったので、ひたすら眠り、翌2日には、体調も回復し、正常に戻りました。

2日は、大学時代のゼミのOBの勉強会「竹内記念フォーラム」に出席しました。恩師である故竹内啓一先生(社会地理学)を偲び、教え子たちが自主的に開催しているもので、1年に2回開かれます。

毎回、OBの一人が発表、それを話題に自由討論するという形で、私もちょうど1年前、「宮本常一、地元学、メタファシリテーション:いまの私の活動を支える三本柱」と題して、発表しました。中身について興味のある方は、個別にご連絡ください。

その後、今週中に終わらせなければならない原稿作業が3本重なってしまったので、ここしばらくは、自宅からレンタルオフィスへ行って、こもって書いています。でも、量が多いためか、ちょっと遅れ気味です。

3本のうちの1本は、明後日発行予定の「よりどりインドネシア」第11号なのですが、もしかすると、1~2日、発行を遅らせるかもしれません。あらかじめ、ご容赦のほどをお願いいたします。

と、今回は、状況報告のみなのですが、最後に、ちょっとつぶやきを。

東京23区内で、オフィス、シェアオフィスあるいはコワーキングスペースが欲しいなと思っている方はいらっしゃいますか。一緒にそんな空間を作ってみたいな、と思っていらっしゃる方はいますか。

秋ももう終わりですねぇ。


2017年11月7日火曜日

技能実習制度を本物にする

以前から気になっているのは、外国人技能実習制度の問題です。

この制度は、本来、技能実習生へ技能等の移転を図り、その国の経済発展を担う人材を育成することを目的としており、日本の国際協力・国際貢献の重要な一躍を担うものと位置づけられています。

しかし、こんな立派な建前があるにもかかわらず、現実に起こっていることは、メディアなどで取り上げられているとおりです。すなわち、日本の受入企業側は労働力の不足を補ってくれる者として外国人技能実習生を受け入れ、外国人技能実習生は3年間日本にいて得られる収入を目当てにやってきます。

ときには、日本の受入企業は、コスト削減圧力のなかで、相当に厳しい条件を強制して外国人技能実習生を受け入れ、それに耐えられなくなった実習生はいつの間にか姿を消してしまう、という話さえ聞こえてきます。

ここで大きな問題となるのは、日本でどのような技能を身につけるのか、実習期間を終えてそれがどれだけ身についたのか、に関する明確な評価とモニタリングが見えないことです。あるいは、形式的にそれがあったとしても、誰がどう評価・モニタリングしたのか、送り出し国へ正確に伝える仕組みが整っているのか、という問題です。

2017年11月1日水曜日

SQでもやはり無理なことはある

10月30日ジャカルタ20:20発、シンガポール23:05着。シンガポール23:55発、成田10月31日7:30着。定刻通りならこのように乗り継ぐ、シンガポール航空で、今回のインドネシア出張から帰国しました。

実際には、ジャカルタ→シンガポール便の出発が20分ほど遅れ、それでも挽回して、シンガポール到着は10分弱の遅れで到着しました。

到着したのは第2ターミナルの一番端。成田便は第3ターミナルなので、スカイトレインに乗って移動です。

ジャカルタでチェックインしたときに、係員が気を利かせて、できるだけ出口に近い席を取ってくれたので、エコノミークラスとしては早く機外へ出ることができたのですが、ともかく小走りに速足でひたすら第3ターミナルへ向かいました。

成田便の搭乗口に着いたのは23:30過ぎ。すでに搭乗はほとんど終わっていました。高速歩行で大汗をかきましたが、何とか滑り込みで無事乗り込むことができました。

ふと、気になったのは預入荷物。でも、世界一という評判のシンガポールのチャンギ空港だから、きっと大丈夫、と思い込みました。

成田到着。ブリッジを進んだ先に掲示板があり、そこに私の名前が出ています。なぜ?

2017年10月11日水曜日

サンシャワー展は本当に良かった!

明日(10/11)から月末までのインドネシア出張の前に、前々からどうしても観ておきたいと思っていた「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」へようやく観に行けました。

この展覧会は、国立新美術館と森美術館の2館同時開催で、しかも展示数が多いので、どうしても2日掛かりになってしまいます。夜遅くまで開いている森美術館を10月8日に、国立新美術館を翌9日に訪れました。


東南アジアのアーティストが色々と面白い試みを行っていることは知っていましたが、これだけの数を集めるとさすがに圧巻でした。しかも、その一つ一つに、アーティストのゆるさや柔らかさや軽さを感じつつ、その裏に何とも言えない深い闇やもやもやとして晴れない奥行きが浮かび上がる、そんな作品が多かったと感じました。

2017年9月10日日曜日

石巻から気仙沼まで乗ったBRT

今回、石巻から気仙沼へ移動する際、途中の前谷地から乗ったBRTというのは、Bus Rapid Transitの略で、鉄道で結ばれていた路線をバスで繋ぐものです。東日本大震災で普通となった気仙沼線は、鉄道による本格復旧を諦め、BRTで代替しました。JR東日本が運行しています。



上写真は前谷地駅前、下写真は気仙沼駅のBRTバスです。気仙沼駅では、ホームの脇で発着します。