2018年8月30日木曜日

9月4日のジャカルタでの講演のお知らせ

2018年9月4日午後6時から、「2019年大統領選挙の行方と今後のインドネシア経済」と題して久々にジャカルタで講演します。

場所は Hotel Atlet Century Park で、来年の大統領選挙についての私なりの見方などを披露いたします。

講演会終了後の懇親会(立食式)は、当初有料(4000円程度)ということでしたが、結局、無料となりました!!

お手数ですが、参加ご希望の方は、gec-teamekansai@gec.jp 宛に、9/4ネットワーキングカフェ参加希望という題目で、会社・団体名、電話番号、参加者氏名、Eメールアドレスを明記したメールをお送りください。

多くの方々にご参集いただき、久々にお会いできることをとても楽しみにしております。よろしくお願いいたします。


2018年8月29日水曜日

カカオ農園ツアーに行ってきました

今年も、8月18〜25日、ダリケー社のカカオ農園ツアーに行ってきました。

同社アドバイザー及び引率スタッフとしてこのツアーに参加するのは毎年恒例行事で、今回で5回目になります。今回も、30人近い参加者と一緒に過ごしました。

8月18日にマカッサルに到着し、19日に、目的地の西スラウェシ州ポレワリへ向かいます。所要時間は約5時間、途中のパレパレで昼食をとりました。

ポレワリに到着後、自己紹介セッションの後、夜は、地元のポレワリ・マンダール県主催の夕食会。あいにく、主催の観光局と懇意にされていた県職員が急逝されたため、夕食会へ出席した県政府関係者はごく一部となりました。

20日は、午前中、ポレワリでのダリケー社の取り組みについて詳しく説明があり、いかにカカオ農家と信頼関係を作り、発酵カカオを生産する仕組みを築いてきたかを参加者に理解してもらいました。

午後、参加者は、実際にカカオ農園を訪問し、カカオについての説明を受け、カカオの実を収穫したり、カカオの苗を記念植樹したりしました。毎度のことですが、参加者の後を子供たちがたくさんついていきます。


農園で働く若者がカカオ農園内のヤシの木にスルスルと登って、上から落とされたヤシからココナッツジュースが参加者に振る舞われ、ココナッツジュースを飲み干すと、そのヤシガラを割り、おばさんが煮詰めていたヤシ砂糖を中の果肉と一緒に食べてもらいました。参加者は、ココナッツジュースのヤシとヤシ砂糖のヤシが別の種類であることなどを知りました。

記念写真の後、村の集落の中を歩いていきます。人々が集落できれいに住まわれていることが印象的な様子でした。その後、ダリケー社のワークショップで、カカオが発酵する様子や、天日乾燥や選別を行う様子を見学しました。発酵カカオの中に手を入れて、高熱を発生している様子も体験しました。


21日は、朝早く、ホテルの近くの市場を散策した後、小学校で、小学6年生とともに、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップでした。ツアー参加者と小学生混合の5つのグループに分かれ、カカオ豆の皮むき競争や石臼でのカカオのすりつぶし競争などを行いました。


小学生の中にはカカオ農家の子供もいましたが、カカオ豆からチョコレートができるという体験はみんな初めてでした。このワークショップは昨年に引き続いてのものでしたが、大いに盛り上がりました。砂糖を入れる前のチョコレートの苦さとともに、自分たちで作ったことの嬉しさが伝わってきました。

21日の午後は、地元でビーン・トゥー・バーのチョコレートを作っている若者や自分の農園で栽培・処理したコーヒーを栽培する若者と出会いました。

22日は、イスラム教の犠牲祭「イドゥル・アドハ」で祝日でした。21日の夜は、松明を持った子供たちが道を練り歩いたり、キラキラした装飾をつけた車が行き交うタクビランを目の当たりにしました。

今回の初めての試みとして、ツアー参加者は、ダリケー社が用意した、地元ポレワリのカカオ豆などで作られた様々なチョコレートの味見比べ、テイスティングを楽しみました。そして、思いがけず、ポレワリ・マンダール県知事公邸での犠牲祭のオープンハウスに参加者全員が招かれ、県知事との歓談のひとときと食事を楽しみました。

午後は、ダリケー社のカカオマスとサゴ椰子デンプンを組み合わせたお菓子などを作っている地元のNGO「P4S」を訪問し、そのお菓子の実演を体験しました。

その後、参加者の中から若手女子4名、男子2名が、地元芸能の「踊る馬」に挑戦しました。地元マンダール風の化粧や髪型、衣装をまとい、楽団の音楽によって「踊る」馬の上にまたがって歩きます。彼らにとって、二度とない経験となりました。


23日は、朝、ポレワリを出発して一路マカッサルへ。マカッサルでは、幸運にも、世界3大夕陽の一つを堪能できました。


24日は、午前中、参加者によるツアーへの振り返りを行ってもらいました。様々な感想が述べられましたが、少なからぬ参加者が印象に残ったのは、ツアー中にいただいた、カカオ農家での食事の美味しさでした。

マカッサル市内のトアルコ・トラジャ・カフェで、自慢のコーヒーと日本風の洋食ランチを楽しみ、ショッピングセンターで土産物を購入した後、空港へ向かい、帰国の途につきました。

日本のダリケー社製品を含むチョコレート愛好者・消費者と、その原料であるカカオを生産するインドネシア・ポレワリのカカオ農家とが直接出会うこのツアーは、チョコレートを通じた消費者と生産者とをつなぐ旅でもありました。

ツアー参加者はカカオのことを知ると同時に、カカオ農家に対して感謝の気持ちを示しました。カカオ農家は、彼らからの感謝の気持ちを、より品質の良い、発酵カカオを生産する意欲につなげていました。

カカオ農家からは、気候変動で2050年にはカカオが生産できなくなるのではないかとの不安が示されました。すると、ツアー参加者からは、そうならないように、私たちが支える、カカオ農家がカカオを作れなくなったら本当に困る、という声が上がりました。

カカオ農家の幸せなしに美味しいチョコレートはありえない。そんな純粋な気持ちを共有できたなら嬉しいことです。生産者と消費者とをつなげるこのツアー、地道に続けていきたいと改めて思いました。

今回参加できなかった皆さま、このブログを読んで興味を持たれた皆さま、来年はぜひ参加をご検討ください!

2018年8月16日木曜日

今年もカカオツアーのお手伝いをします

筆者の毎年の恒例行事の一つが、8月のカカオツアーです。京都の(チョコレート屋というよりも)カカオ屋のダリケー株式会社が企画する、カカオ農園訪問ツアーのお手伝いをしているのです。

2014年から始まり、今年で5回目になりますが、筆者は、ダリケー株式会社のアドバイザーとして、毎年、日本からのチョコレート愛好者や学生さんなどを、西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県へお連れしています。


このツアーの最大の売りは、カカオ農家とチョコレート消費者との出会い、です。

私たちはチョコレートを食べますが、その原材料のカカオがどういうもので、どのような工程を経てチョコレートになるかをよく知っているわけではありません。いわんや、カカオを作っている農家さんの様子を具体的に想像できる人は、決して多くないと思います。

一方、カカオ農家さんは、カカオを栽培して収穫し、商人に売るところまではわかりますが、それがどのような商品になり、どのように消費しているか、想像できない方がほとんどです。自分のカカオがチョコレートになると言っても、ピンとこないのが現状です。

そこで、両者をつなげて、カカオからチョコレートになるまで、どんな風になっているのかを、オープンにわかってもらうのがいいだろう、と考えたわけです。

日本のチョコレート愛好者や学生が、ポレワリのカカオ農家の農園を直接訪れ、カカオの木はどんなものなのか、どのように実がなるのか、実の中はどうなっているか、カカオの木の生えている土はどんな状態か、などなど、現場で実際に観察します。

自分が大好きなチョコレートが、こうしたカカオから始まっていることが実感できます。

そして、ツアー参加者には、カカオを作ってくださっている農家の方々への尊敬と感謝の念が湧いてきます。

一方、カカオ農家の側はどうでしょうか。

カカオ農家にとって、自分の作ったカカオがチョコレートというものになって、それが大好きな人々が日本から来てくれている、しかも「ありがとう」と言ってくれる。それが、とても嬉しいのだそうです。

そして、カカオ農家は、土づくりや発酵プロセスに十分配慮した、より良いカカオを作ろうとするモティベーションが上がる、ということです。

昨年からは、ツアー参加者が地元の小学生と一緒に、素朴な方法で、カカオ豆からチョコレートを作るワークショップも始めました。グループに分かれて競争することもあり、このワークショップがとにかく盛り上がります。

地元の小学生の親の多くは、カカオ農家です。でも、カカオがどうやってチョコレートになるかを知ることはありませんでした。

多くのカカオ買い付け業者やチョコレート製造者は、カカオ農家にはカカオさえ供給して貰えばよく、チョコレートになるまでの過程を知ってもらおうとする理由はありませんでした。

このツアー参加者が地元の小学生とチョコレート作りを体験することで、カカオ生産地の子どもたちが最終製品を知るという、とても大事な変化を起こし始めることができたと思います。

こうした体験をする小学生が増えていった暁には、カカオ農家の子どもから世界的なショコラティエが生まれる、そんなことを実現させてみたい、と本気で思っています。

今年は、どんな相互化学反応を起こすカカオツアーになるでしょうか。

今年のツアーに参加できなかったあなた、ぜひ、来年の8月にはこのツアーに参加してみてください。

なお、毎年連続で参加されても、必ず新しい何かがありますので、マンネリにはなりませんよ。

そして、このツアーを通じて、カカオ農家の家ごはんがこんなに美味しいのか、という驚きも必ず生まれます。

今年のツアーの様子、できるだけお知らせするようにしたいと思っています。乞うご期待。

ツアーではこんな状況にもなります。
何が起こっているのやら。お楽しみに。


2018年8月11日土曜日

インドネシアの正副大統領候補ペア決定、その人物像は?

2018年8月10日、来年のインドネシア大統領選挙に立候補する正副大統領候補ペア2組は、正式に選挙委員会(KPU)へ届出をしました。今回は、とくに、副大統領候補の人物像について書いてみたいと思います。

インドネシアでは、2014年から有権者による直接投票で大統領を選ぶ直接選挙が5年ごとに行われています。また、立候補は、大統領候補と副大統領候補のペアとしての立候補になります。

さらに、実際の次の大統領選挙は来年、2019年4月17日に投票が行われます。今回からは、国会(DPR)、地方代議会(DPD)、州議会(DPRD Provinsi)、県議会(DPRD Kabupaten)/市議会(DPRD Kota)の議会議員選挙も同じ投票日の統一選挙になりました。

前回(2014年)までは、議会議員選挙が終わってから大統領選挙となるため、議会議員選挙の結果を見ながら立候補者を選べたのですが、今回からは、一年近く前に決めることになりました。

今回、立候補を届け出たのは、ジョコ・ウィドド大統領候補(現職)=マルフ・アミン副大統領候補のペアと、プラボウォ・スビアント大統領候補=サンディアガ・ウノ副大統領候補のペア、の2ペアです。この両者の一騎打ちとなる見込みです。

大統領候補は、ジョコウィとプラボウォという、前回2014年選挙と同じ対決となりましたが、副大統領候補は新顔です。どんな人物なのでしょうか。

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現職のジョコウィと組むマルフ・アミンは、いわば、最高位のイスラム指導者という立場の人物です。イスラム知識人の集合体であり、イスラムの教義に基づいたファトワ(布告)を出し、ハラルか否かを決定する機関である、インドネシア・ウラマー評議会(MUI)の最高指導者であるとともに、イスラム社会団体として国内最多の会員数を持つナフダトゥール・ウラマ(NU)評議会議長(Rais Aam)を務めています。

一方、グリンドラ党のプラボウォ党首と組むサンディアガ・ウノは、現在、ジャカルタ首都特別州副知事を務めていますが、かねてから有望視されてきた若手実業家で、サラトガ・グループなどの総帥でした。ジャカルタの州副知事に就任してから、わずか7カ月で辞職し、副大統領候補となりました。プラボウォと同じグリンドラ党の幹部でもあります。

すでに報じられているように、近年、インドネシアではイスラムの政治利用と過激なイスラム思想の浸透が大きな問題となってきました。

これまで、ジョコウィ政権は、多数派であるイスラムの利益を軽視しているとして、たびたび非難されてきました。先のジャカルタ首都特別州知事選挙では、キリスト教徒のアホック前知事がイスラム教を冒涜したとの容疑をかけられ、数万人のイスラム教徒を動員したデモ等で圧力をかけられ、アホックは落選し、しかも有罪判決を受けて刑務所に収監されました。

アホックは、ジョコウィが大統領就任前にジャカルタ首都特別州知事だった時の副知事であり、アホックへの批判はジョコウィへの批判でもありました。

ジョコウィにとって、こうしたイスラムの政治利用を軽く見ることはできないという判断になり、次期副大統領候補は、イスラム教徒票をまとめられる人物でなければならないという判断になったようです。そして、おそらくそのためには、今、最も安心できる候補として、マルフ・アミンを選んだのでした。

他方、プラボウォは、そうしたイスラムの政治利用を通じて、ジョコウィと対決しようと動いてきました。実際、アホックを蹴落とす大勢のデモは、プラボウォを支持する者たちによって主導されました。今回も、副大統領候補を決める前に、イスラム指導者たちを集めて、副大統領候補に誰がふさわしいか、推薦させるという手法を使いました。そして、2名のイスラム指導者が候補として上がりました。

ところが、プラボウォはその2名のイスラム指導者ではなく、同じグリンドラ党の幹部であるサンディアガ・ウノを副大統領候補に決めました。巷では、サンディアガ・ウノが選挙資金提供を申し出たという噂が流れており、前回同様、選挙資金確保に苦しむプラボウォにとっては、資金のないイスラム指導者よりもサンディアガ・ウノを選好した、というふうに見られています。

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ここに、非常に面白い対照、反転が見られます。

すなわち、イスラムからの批判を受けそうなジョコウィ側がマルフ・アミンを副大統領候補とし、むしろイスラムを政治利用して得票を確保しようとする一方、これまでイスラムを政治利用してジョコウィを貶めようとしてきたプラボウォ側が、推薦されたイスラム指導者ではなく自党の元実業家サンディアガ・ウノを副大統領候補にする、という展開だからです。

イスラムをシンボルとして使うのは、当初からそうしてきたプラボウォ側ではなく、ジョコウィ側、という反転です。

ここで、さらに興味深い疑問があります。二つ挙げておきます。

第1に、マルフ・アミンは、実は、アホックを貶めたイスラム教徒動員デモの首謀者の一人なのです。彼がトップのMUIは、「アホックがイスラム教を冒涜した」と見なしました。あのデモは、アホックの先にジョコウィを見据えていました。すなわち、本丸はジョコウィだったのです。その彼が、なぜ今、ジョコウィと組むのでしょうか。

第2に、サンディアガ・ウノはもともと、政治にはほとんど興味を示さない実業家でした。ところが、2015年に突如、グリンドラ党へ入党し、政治の世界へ入ります。そして、すぐにジャカルタ首都特別州知事選挙へ副知事候補(当初は知事候補でした)として立候補して当選します。なぜ彼は政治の世界へ入り、プラボウォとタグを組んだのでしょうか。

これらについては、今、色々と調べていて、いくつかの面白い事実がわかってきました。ここではまだまとめきれませんが、それも含めて、次の、8月22日以降に発行予定の情報マガジン「よりどりインドネシア」第28号(有料)のなかで、今回の正副大統領候補決定の背景について、詳しく述べてみたいと思います。

2018年8月4日土曜日

「さん」づけで呼び合った時代を懐かしむ

大学を卒業して就職したのは、政府系の研究機関でした。この職場で、筆者はインドネシア地域研究のいろはのいから手ほどきを受け、20年以上奉職しました。

この職場は、とても素晴らしい職場でした。何より、新人だった筆者を、20年選手、30年選手が「さん」づけで呼んでくださるのです。そして、新人の筆者にも、研究者として実績を積んだ著名な大ベテラン研究者を「さん」づけで呼ぶように促されたのでした。

また、そこでは、誰がどの大学の出身かは問われることはなく、学閥のようなものは見えませんでした。

さらに、男性でも女性でも、職場での役割の違いはほとんど見当たりませんでした。お茶くみなんて言うものは当然ないし、「男だから」「女だから」といったことを耳にすることはありませんでした。筆者自身も、仕事上の男女の違いを感じることはありませんでした。できる人はできる、という当たり前の感覚しかなかったのです。

年齢や性別の違いや出身大学などを意識することなく、誰もが「さん」づけで呼び合う職場でした。

「さん」づけで呼び合うということは、年齢や性別の違いを意識せず、互いを一人の人間として尊重し合うことの現れだと思います。若造だけど存在が認められている、という安心感がそこにはありました。

本当に、それだけで、素晴らしい職場だと思いました。

そして、2000年代に入って、職場の何かが大きく変わり始めました。

それは、人事評価・業績評価が導入されてからでした。上司と部下、という明示的な関係が職場に持ち込まれたのです。上司と部下なくして、人事評価・業績評価は成立しないのです。

人事評価・業績評価が導入されてから、誰もが「さん」づけで呼び合う、ということはなくなっていきました。「部長」「課長」「グループリーダー」といった役職名で呼ぶようになりました。皆が上と下を意識するようになりました。

筆者は、決して人事評価・業績評価を否定するわけではありません。何のために人事評価・業績評価を行うのかさえ忘れなければ、です。

筆者を「さん」づけで呼んでくださった数々の先輩方のことを一人一人思い出します。今でもお会いすると、同じように「さん」づけで呼んでくださいます。そのことを、とてもありがたいことだとつくづく思うのです。

今も、そしてこれからも、あの「さん」づけで呼び合ったかつての職場のことを懐かしみつつ、大切な人生の美しい思い出として大切にしていきます。