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2020年7月28日火曜日

ソトベタウィ宮本のソトベタウィは本格派だった



前々から行こう行こうと思って行けてなかった「ソトベタウィ宮本」へ、7月25日、ようやく行ってきました。

ソトベタウィというのは、ソト(Soto)というインドネシア(主にジャワ)の実だくさんスープの一種で、もともとのジャカルタ地域の地元民であるベタウィ(Betawi)族が編み出したスープです。その特徴は、ココナッツミルクを使い、具には牛肉やトマトが入ります。

おそらく、ジャカルタ在住の日本の方々でも、ソトベタウィ(個人的にはソト・ブタウィかな?)のことを知っていて、夜な夜な食べに行く、という方は多数派ではないかもしれません。もちろん、私はジャカルタにいるときはよく食べてましたけど。

そんな、もしかすると、ジャカルタの邦人社会でもあまりなじみがないかもしれない、マイナー気味のジャカルタ地元料理が、なぜかニッポンの東京のど真ん中で食べられる、というのもなかなか面白いではありませんか。

でも、地理的距離が離れれば離れるほど、本場の味とは違う味へ離れていってしまう、というのが私なりの今までの経験則です。たとえば、スラバヤで食べるソトベタウィは、ジャカルタで食べるそれとは明らかに味が違うわけです。

ともかく、まずは、先入観なしに食べてみることにしました。どうせなら、牛肉のスパイスグリルも入ったソトベタウィ・スペシャルを注文。


次のは、ソトベタウィを拡大した写真です。


白っぽくてよく分からないかもしれませんが、ジャカルタで食べるよりも、はるかにたくさんの牛肉がゴロゴロと入っておりました。本当はココナッツミルクを使うのですが、この店では敢えて牛乳で作ってみたとのこと。ということは、やっぱりジャカルタの本物のとは違うのだろうな、と思って、一口食べてみると・・・。

なにこれ、美味しいじゃないの!

ココナッツミルクの絡んでくるような感触はなく、でも、ちゃんとソトベタウィの味がしているとは・・・。具の牛肉は柔らかく上手に煮込んであって、口の中でホロホロと砕けていきます。

牛肉のスパイスグリルも、適度な辛さの柔らかい牛肉で、白いご飯にぴったりの料理でした。

このスペシャルでなくとも、ソトベタウィ+ライスのソトベタウィ定食でも十分かと。ライスの上にスープ+具をかけてもいいし、ソトベタウィのなかにライスを入れて食べても美味しいです。個人的には後者がおすすめです。

そうそう、特筆すべきは、一緒に出てくるサンバルの美味しさ!サンバルと呼ばれるインドネシアの辛味チリソースは、料理ごとに全部違う作り方なのですが、このサンバルを適量、ソトベタウィに入れて食べると、スープのまろやかさとミックスされて、何とも言えない美味しさを引き出します。もちろん、サンバルだけをご飯に少しのせて食べても美味しいです。

きっと、日本人の口に合うようにアレンジされた味だろう、とあまり期待しないで行ったのですが、ソトベタウィ宮本のソトベタウィは、ジャカルタの本家と比べても遜色ない本格派でした。皆さんも是非、食べに行ってその味を確認してみてください。

ソトベタウィ宮本は、都営地下鉄「小川町」駅・東京メトロ丸の内線「淡路町駅」・東京メトロ千代田線「新御茶ノ水」駅から歩いてすぐ、神保町から歩いても遠くないところにあります。


ソトベタウィ宮本
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町1丁目14−7 神田錦町ビル
TEL: 03-6811-7888
Instagram: @sotobetawimiyamoto
Facebook: @sotobetawimiyamoto
現在の営業時間:月~土 11~15時、17~22時。日曜定休
(8月からの営業時間:水~月 11~15時、17~22時。火曜定休)
(新型コロナ対応で営業時間が変更になっている可能性があります)

実は、この料理を提供しているインドネシアの方の一族は、今はなき、かつてあった東京のあの有名なインドネシア料理店をされていた方々なのです。ジャカルタのご出身ではないにもかかわらず、この味のソトベタウィを出せるとはなかなかの腕です。

そして、ひそかに、新たなメニューを考えていらっしゃるようです。それは、ご自分の出身地のご当地料理で、得意中の得意の料理。日本の方々にも満足できる、新たなインドネシア料理として認知されるかもしれません。

その新メニューが出たら、もちろん、皆さんにもお知らせします。お楽しみに。


2019年11月24日日曜日

インドネシアの新首都候補地はどんな土地?

インドネシアでは、渋滞して非効率な現在のジャカルタから首都を移転するという計画が立てられ、8月下旬、新首都候補地として、東カリマンタン州に場所が決定された。

新首都候補地付近の風景

東カリマンタン州といえば、東西に長いインドネシアのちょうど真ん中付近。近くには、よそ者が集まって大きくなった街・バリクパパンがある。

この新首都候補地がどんな土地か調べてみた。もちろん、国有地なのだが、何もない土地ではなかった。そこは、森林使用権(HPH)が設定されている土地で、その森林使用権を持っているのは、ある有名な華人実業家だった。

2019年8月9日金曜日

よりどりインドネシア親睦交流会開催(2019年8月3日)

2019年8月3日、ジャカルタのBatik Kuring Restaurantにて、よりどりインドネシア親睦交流会を開催しました。出席者は5名でしたが、イスラム、LGBT、ジャカルタ暴動、ジョコウィとプラボウォ和解の背景と今後など、様々な話題を自由に語り合う機会となりました。

今後は、日本人とインドネシア人の両方が一緒に共通話題を話し合える、新たな親睦交流会も企画・開催したいと考えています。

2019年8月4日日曜日

真の技能実習を目指す教育訓練機関と協力したい

このブログでもたびたび書いてきましたが、日本の現在の技能実習プログラムを本物にしたいという願いを共有できる、インドネシアの教育訓練機関(LPK)を見つけ出し、協力関係を作り始めています。

これらのLPKは、何年も経験のある機関ではなく、割と新しく始めた機関で、従来の常識や慣習にまだ染まっていない、理想を語り合える相手でもあります。

日本へ技能実習生を送り出すためには、LPKは送り出し機関(SO: Sending Organizaiton)の認可を受けなければなりません。今、お付き合いを始めているLPKは、まだ新しく、実績を作るのはこれからです。SOになるには、日本の監理団体との間でMoUを結ばなければならないのですが、既存の監理団体との間では、なかなか関係を作れないのが現状です。

まあ、まだ実績がないわけですから、いきなりMoUというのも、難しいのはもちろんのことです。

パダンで協議したLPKのチームメンバー(2019年6月25日)

今回、パダンで協議したLPKは、日本で実習を受けた技能が帰国後にインドネシアで生かされていないことをとても残念に思っていました。何とかして、その技能をインドネシアで生かせる人材育成を実現したいと強く願っています。

そこで、今回、彼らから、ある面白い考えが出されました。

2019年3月20日水曜日

ジャカルタは歩ける街へ?

今回、インドネシアへ出張して、久々にジャカルタに滞在しました。このところ、ジャカルタを経由せず、直接、地方都市へ行くことが多かったので、ジャカルタに滞在するのは、本当に久しぶりでした。

ジャカルタでは、念願の地下鉄(MRT)が4月1日に営業を開始するという話がようやく決まったようです。MRTが下を通るメインストリートのスディルマン通りは、歩道がとても広くなり、しかもバイクが侵入できないようになっていました。


MRTの駅の入口もできつつあります。


スディルマン通り自体もすっきりした感じになりました。


通りを渡る歩道橋も、一部は新しく、歩きやすくなっていました。


ジャカルタの渋滞の一因は、車の多さであり、どのようにして公共交通機関への移行を進めるかが課題でした。しかし、公共交通機関をいくら増やしても、移行が進むとは限りません。公共交通機関に乗ったり下りたりするためには、バス停や駅まで歩けることが重要なのでした。

安心して歩ける街になれば、人々は多少の距離も歩いて公共交通機関を乗り換え、目的の場所まで少し歩くようになります。

MRTやトランスジャカルタが注目されるジャカルタですが、歩ける街になることがとても重要なのだと思っていましたから、広い歩道はとても素晴らしい改善だと思いました。

ただ、それはスディルマン通りやタムリン通りのような、海外からのお客さんに見せる目抜き通りだけのものではないか、とも思っていました。

実際は、どうも、そうでもなさそうなのです。

外国人があまり住んでいない私のアジトのある東ジャカルタの地区では、歩道は広くなっていませんでしたが、大きな変化が見られました。


歩道に黄色い、目の不自由な方向けの点字ブロックが埋め込まれていました。これは今回、初めて見ました。


どぶ川はそのままで臭いですが、脇の歩道には点字ブロックが埋め込まれています。

もっとも・・・


点字ブロックの上にバイクが停められています。夜になると、ここに机や椅子が出されて、屋台が拡大営業していました。

それでも、点字ブロックが敷かれたことは、ここを目の見えない方を含めて人が歩くことを想定している、ということを表しています。

ジャカルタ中央部のワヒッドハシム通りは、歩道が拡張され、東から西への一方通行へ変わっていました。


その結果、サバン通りとの交差点付近の渋滞は、相当にひどいものとなっていました。

ジャカルタは、目抜き通りだけでなく歩ける街へと動き始めましたが、個別の地域をみれば、まだまだ改善が必要なことは言うまでもありません。

のろのろと、しかし前へ進む、というところでしょうか。前に進んでいることに意味がある、と思いたいです。

2019年2月11日月曜日

【お知らせ】よりどりインドネシアのオフ会+交流会を検討中

ちょっと更新が途切れました。三連休も終わり、私は今週末まで福島です。

毎月2回発行している情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」は、2月7日発行分で第39号となりました。購読者数も70名ほどとなり、少しずつ増えてきています。バックナンバーは以下のリンクからご覧ください。

 よりどりインドネシアのバックナンバー

一般のメディアではなかなか伝えられない、いくつものインドネシアを伝える日本語媒体にしていきたい、と願って発行してきましたが、そろそろ、購読会員のオフ会+交流会を行いたいと考えています。

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会のスタイルをとくにかっちり決める必要はないと思いますが、一般の講演会スタイルではなく、もう少し参加者同士の距離が近い、トーク+自由討論(意見交換)に食事または飲物付き、という感じで考えています。参加された方の誰もが自由に発言し、それをもとに対話するという形を採りつつ、内容は易しくかつ正しいものにしていきたいと思います。

もちろん、購読会員に限定せず、よりどりインドネシアに興味のある方や、そのときのテーマに関心のある一限さんも歓迎、という緩やかな会になればと思います。この会を通じて、新たに購読者になってくださるならば、それはもちろん、存外の喜びです。

会の頻度ですが、できれば毎月、難しければ2~3ヵ月の1回ぐらい、と考えています。毎回、ゲストをお招きしたいと思っていますので、「話題提供者になってみたい」という方は遠慮なくお知らせください。また、こちらからも一本釣りで、話題提供者になっていただけるよう、お願いしていく予定ですので、よろしくお願いいたします。

インドネシア在住の方で、たまたまその頃一時帰国するよ、という方、是非、話題提供者になっていただきたいので、お知らせください。

東京、ジャカルタ以外でも、開催できればと思いますので、ご希望の方はお知らせください。スケジュール調整をいたします。費用面の相談は後ほど、ということで。

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とりあえず、まずは3月半ばにジャカルタで、3月後半または4月初めに東京で、私が話題提供者として、「2019年大統領選挙・総選挙とその後のインドネシア」という話をしようかなと思っています。できれば、ゲストもお招きして、トークの形で話をしたいとも思っています。

日程が確定しましたら、改めて告知いたします。よろしくお願いいたします。

メダンのインド人街出口(2019.1.20)

2018年9月5日水曜日

ジャカルタの「父」を見舞う

9月3日、ジャカルタに到着後、そのまま、ジャカルタの「父」を見舞いに行きました。

筆者には、インドネシアに複数の「父」「母」がいるのですが、そのなかでも、最も高齢で、最も世話になった「父」を見舞いに行きました。

見舞い、というのは、一週間ほど前、それまで家族と散歩するなど元気だった「父」の容態が突然変化して入院、集中治療室に入ったという連絡があったためです。意識も衰え、大量出血したそうです。「父」は87歳、家族もいったんは覚悟しました。

その後、病院側の献身もあって、奇跡的に「父」の容態は回復し、出血も止まり、意識も回復して、集中治療室から通常の病室へ移り、「なぜこんなところにいるのだ」「カプチーノが飲みたい」などと言うようになり、ほどなく、退院することになったのでした。

「父」は娘夫婦の家で受け入れ、静かに療養中でした。姪によれば、「ガドガド(茹で野菜をピリ辛のピーナッツソースであえたもの)が食べたい」などと繰り返していたそうです。

空港から「父」のいる娘夫婦の家に到着、休んでいた「父」が現れて、会うことができました。退院したばかりで、ちょっと疲れが出ている様子でしたが、娘夫婦や、さらにかけつけた姪夫婦らと一緒に、夕飯の食卓を囲みました。

「父」はまだ普通の食事は制限されていて、やわらかいご飯に辛くない薄味の柔らかくした野菜などをまぜた別メニューを「母」が食べさせてあげました。

一週間前に聞いた情報からすると、こうして一緒に食卓を囲んでいることがなんだか本当に奇跡のように思えました。「父」と「母」と記念の写真を撮ってもらいました。


思い返せば、「父」と初めて出会ったのは、最初の勤務先である研究所に入所した33年前でした。その頃、「父」はインドネシア中央政府の某官庁で次官を務める高級官僚。歴代の研究所の先輩研究者たちが世話になった大事な方でした。先輩研究者たちがまだペーペーの筆者に「父」を紹介してくださったのです。

その後、折に触れて、「父」に支えられました。研究所の海外調査員として2年間ジャカルタに滞在し、インドネシア大学大学院で学んだときには、「父」が身元保証人になってくれました。もっとも、そのとき「父」は研究所の客員研究員として日本に滞在しており、ビザ更新のレターなどは、前もってフォーマットをお送りして署名していただき、ジャカルタへ送り返してもらっていました(インターネットなどというものがなかった時代の話です)。

詳細は省きますが、あるとき、筆者が心折れて、絶望したくなるようなことがありました。そんなときに、なぜか「父」がたまたま現れ、一緒に食事をし、筆者の話を微笑みながら聴いてくれました。「父」と会ったことで、筆者は救われたのでした。

インドネシアにいるたくさんの恩人のなかでも、「父」はとくに大事な恩人でした。

そんな「父」だから、何としてでも会いに行きたかったのです。そして、会うことができて、あまり言葉は発しませんでしたが、「父」は、疲れ気味ながら、うれしそうでした。

4日朝、姪から「父」の様子を伝えるメッセージが来ました。筆者があったときとは打って変って、「父」は元気になり、よくしゃべり、筆者のことを「どこへ行った、どうしてる?」と尋ね続けたそうです。筆者の来訪がきっと「父」を元気にしたんだね、と姪は綴っていました。

よかった。よかった。本当によかった。

まだまだ容態はアップダウンあることでしょうが、元気でいてほしい。もうすぐ、以前の通り、「父」はガドガドを楽しく食べられることでしょう。

今週、「父」は、米寿をむかえます。

2018年7月13日金曜日

「ふるさと」をいくつも持つ人生

「ふるさと」を狭義で「生まれた場所」とするなら、どんな人にも、それは一つ鹿ありません。しかし、自分の関わった場所、好きな場所を「ふるさと」と広義に捉えるならば、「ふるさと」が一つだけとは限らなくなります。

人は、様々な場所を動きながら生きていきます。たとえ、その場所に長く居住していなくとも、好きになってしまう、ということがあります。それは景色が美しかったり、出会った人々が温かかったり、美味しい食べ物と出会えたり、自分の人生を大きく変えるような出来事の起こった場所であったり・・・。

どんな人でも、自分の生まれた場所以外のお気に入りの場所や地域を持っているはずです。転校や転勤の多かった方は、特にそんな思いがあるはずです。そんな場所や地域の中には、広義の「ふるさと」と思えるような場所や地域があるはずです。

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筆者自身、「ふるさと」と思える場所はいくつもあります。

筆者の生まれた場所であり、昨年法人登記した福島市。家族ともう30年近く暮らす東京都豊島区。地域振興の調査研究で長年お世話になっている大分県。音楽を通じた町おこしの仲間に入れてもらった佐伯市。留学中に馴染んだジャカルタ。かつて家族と5年以上住み、地元の仲間たちと新しい地域文化運動を試みたマカッサル。2年以上住んで馴染んだスラバヤ。

まだまだ色々あります。

今までに訪れた場所で、いやだった場所は記憶にありません。どこへ行っても、その場所や地域が思い出となって残り、好きという感情が湧いてきます。

単なる旅行者として気に入ったところも多々ありますが、そこの人々と実際に交わり、一緒に何かをした経験や記憶が、その場所や地域を特別のものとして認識させるのだと思います。

そんな「ふるさと」と思える場所が日本や世界にいくつもある、ということが、どんなに自分の励ましとなっていることか。

あー、マカッサルのワンタン麺が食べたい。家のことで困っている時に助けてくれたスラバヤのあの人はどうしているだろうか。佐伯へ行けば、いつまでも明るく笑っていられるような気がする。由布院の私の「師匠」たちは、まだ元気にまちづくりに関わっているだろうか。ウガンダのあの村のおじさんとおばさんは、今日作ったシアバターをいくら売ったのだろうか。

そんな気になる場所がいくつもある人生を、誰もが生きているような気がします。

昔見たマカッサルの夕陽(2003年8月10日、筆者撮影)
マカッサルといえば思い出す「ふるさと」の光景の一つ

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地域よ、そんな人々の「ふるさと」になることを始めませんか。自分たちの地域を愛し、好きになってくれるよそ者を増やし、彼らを地域の応援団にしていきませんか。

筆者がそれを学んだのは、高知県馬路村です。人口1000人足らずの過疎に悩む村は、ゆず加工品の顧客すべての「ふるさと」になることを目指し、商品だけでなく、村のイメージを売りました。何となく落ち着く、ホッとするみんなの村になることで、村が村民1000人だけで生きているわけではない、村外の馬路村ファンによって励まされて生きている、という意識に基づいて、合併を拒否し、自信を持った村づくりを進めています。

もしも、地域の人口は1000人、でも地域を想う人々は世界中に10万人だと考えたとき、そこにおける地域づくりは、どのようなものになるでしょうか。

その地域が存在し、生き生きとしていくことが、世界中の10万人の「ふるさと」を守り続け、輝くものとしていくことになるのではないでしょうか。

私たちは、そんな広義の「ふるさと」をいくつも持って、それらの「ふるさと」一つ一つの応援団になっていけたら、と思います。

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それは、モノを介した「ふるさと納税」を出発点にしても構わないのですが、カネやモノの切れ目が縁の切れ目にならないようにすることが求められるでしょう。

正式の住民票は一つしかありません。でも、「ふるさと」と思える場所はいくつあってもいいはずです。

いくつかの市町村は、正式の住民票のほかに、自らのファンに対してもう一つの「住民票」を発行し始めています。飯舘村の「ふるさと住民票」は、そのような例です。以下のリンクをご参照ください。

 飯舘村ふるさと住民票について

「ふるさと住民票」を10枚持っている、50枚持っている、100枚持っている・・・そんな人がたくさん増えたら、地域づくりはもっともっと面白いものへ変化していくことでしょう。地域はそうした「住民」から様々な新しいアイディアや具体的な関わりを得ることができ、さらに、その「住民」を通じて他の地域とつながっていくこともあり得ます。

こうした「住民」が、今、よく言われる関係人口の一端を担うことになります。それは緩いものでかまわないと思います。

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世界中から日本へ来る旅行者についても、インバウンドで何人来たかを追求するよりも、彼らの何人が訪れたその場所を「ふるさと」と思ってくれたか、を重視した方が良いのではないか、と思います。

それがどこの誰で、いつでもコンタクトを取れる、そんな固有名詞の目に見えるファンを増やし、それを地域づくりの励みとし、生かしていくことが、新しい時代の地域づくりになっていくのではないか。

奥会津を訪れる台湾人観光客を見ながら、その台湾人の中に、もしかすると、台湾で地域づくりに関わっている人がいるかもしれない、と思うのです。そんな人と出会えたならば、その台湾人と一緒に奥会津の地域づくりを語り合い、その方の関わる台湾の地域づくりと双方向的につながって何かを起こす、ということを考えられるのではないか、と思うのです。

飯舘村の「ふるさと住民票」を登録申請しました。そして、私が関わっていく、日本中の、世界中の、すべての地域やローカルの味方になりたいと思っています。

「ふるさと」をいくつも持つ人生を楽しむ人が増え、地域のことを思う人々が増えていけば、前回のブログで触れた「日本に地域は必要なのですか」という愚問はおのずと消えていくはずだと信じています。

2017年11月23日木曜日

よりどりインドネシア第10号を発行

11月22日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第10号を発行しました。今回は、以下の3本です。

 ・インドネシアで寛容性の高い都市はどこか?
 ・予測不能な「インターネット大国」インドネシア(大島空良)
 ・ジャワでもありバリでもあるバニュワンギ

寛容性の高い・低いは、多様性をどれぐらい許容できるかという指標ですが、ここでは主に、異なる宗教を受け入れる程度で計っているようです。インドネシアは「多様性の中の統一」を国是としていて、異なる様々な人々の存在を受け入れることを当然としていますが、近年、マジョリティであるイスラム教の政治利用や、スンニ派によるシーア派やアフマディアに対する迫害などが問題視されてきました。インドネシアで寛容性の高い都市、低い都市はどこなのでしょうか。2015年に続いて今回、そのランキングが公表されています。

人口2.5億人のインドネシアは、インターネット大国への道を歩んでいて、ネットビジネスの可能性は明るいものがあります。その実態を、とくに若者の対応を通じて見てみると、興味深い現象が見られます。そのなかには、インターネットを活用した新たな性風俗産業のやり方のような、新しい動きもあります。ジャカルタ在住の大島空良さんが、今回も興味深いレポートを書いてくれました。

ジャワ島の東端にあるバニュワンギは、ジャワの要素もバリの要素も併せ持つ、なかなかユニークな場所です。県知事が結構なやり手で、次の東ジャワ州知事選挙の副知事候補にもなっていますが、全国的にも注目される場所になっています。イベントを通じたバニュワンギの対外的な売り込みにも熱心で、年間イベントカレンダーを用意し、毎月のように何らかのフェスティバルを行っています。なかには、ケボケボアンと呼ばれる奇祭もあります。そんなバニュワンギを今回は紹介しています。

「よりどりインドネシア」は今回の発行で10回となりました。読者登録(会員登録)していただくと、バックナンバーもご覧いただけます。また、銀行振込による登録の場合は、毎回、PDF版をメール添付でお送りいたします。

「よりどりインドネシア」は、他の媒体では読めない、いくつものインドネシアを伝えていきます。一人でも多くの皆さんにご登録いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

2017年10月28日土曜日

ジャカルタのコワーキングスペースは快適

今回のインドネシア出張も終盤を迎え、農業省での中間報告準備や現地調査でのヒアリングメモなどをまとめていたため、なかなかブログを更新できずにいました。でも、この週末で何とか目途がつきそうなので、気分転換を兼ねて、久々に書いています。

今いるのは、ジャカルタのコワーキングスペースHUB2U。私のアジトは外国人のほとんどいない東ジャカルタにあるのですが、アジトにはインターネットWifiがないので、長時間、高速インターネットに接続できる一時的な仕事場として使えるスペースを求めていました。


ラッキーなことに、私のアジトのすぐ近くに1軒ありました。先週行ってみたのですが、雑居ビルの3階と4階、窓のない部屋に安い机と椅子があるだけの殺風景な場所ですが、インターネットはとても速く、快適でした。まさか、歩いて行けるところにこんな場所があるとは思わなかったので、驚きでした。

今日は、私のアジトからはちょっと離れてはいるけれども、比較的近くにあるこのコワーキングスペースで快適にインターネットにつなげています。

2017年7月15日土曜日

25年ぶりにジャカルタの恩人の一人と再会

ジャカルタでの用務を終え、帰国便まで時間が取れたので、ジャカルタの恩人の一人のお宅を訪問し、25年ぶりに再会しました。

つい最近、日本の携帯のLINEにこの方からメッセージが入りました。ジャワ人によくある名前であり、何人か同じ名前の知り合いがいるので、それまでの一番最近連絡のあったバニュワンギ県会議員かと思って尋ねたら、恩人の方でした。

彼と出会ったのは、前の職場に入った年なので、1985年です。インドネシア中央統計局の最後は副長官を務めた方で、私がインドネシア研究に携わり始めた駆け出しの頃、ずいぶんと可愛がってもらいました。

日本にも何度か招聘し、地方視察へご一緒して、温泉に入ったり、いろんなエピソードがあります。職場の先輩のリクエストで、彼の奥様と温泉ホテルで「ブンガワン・ソロ」のデュエットをさせられたのも、今となっては懐かしい思い出です。



2017年7月14日金曜日

ジャカルタで用務を遂行中

今回のジャカルタ滞在、近畿経産局とチーム・E関西によるエネルギー・環境ビジネスに関するビジネスマッチングの可能性を探ると題して、用務を遂行中です。

7月12日夜は、ネットワーキングカフェinジャカルタにおいて、「インドネシアにおけるビジネス展開」と題して、1時間弱の講演を行いました。久々のジャカルタでの講演だったので、少々緊張しましたが、何とか無事に終えることができました。

13日は、午前中、タンゲラン県営ティルタ・クルタ・ラハルジャ水道会社を見学しました。この水道会社は、オランダ植民地時代の1923年に設立された水道会社が母体となっており、その時に建てられた建物が今も残されています。


2017年7月12日水曜日

やたら知人に出会う、今回のジャカルタの宿

昨日(7/10)からジャカルタに来ています。いつもは、東ジャカルタの私のアジトに泊まるのですが、今回は、調査団の一員としてなので、他の団員と同じホテルに宿泊しています。

このホテルに初めて泊まったのは1980年代後半で、それ以来、何度か泊まっているのですが、昔よりもいろんな面で進歩が見られます。とくに食事は、以前はとにかく美味しくなかったという記憶したなかったものです。今も決してものすごく美味しいとは思いませんが、そこそこ食べられるレベルになりました。

部屋が広いのがこのホテルの特徴ですが、かつてはバスタブ付きの部屋が少なかったのです。今はほとんどの部屋にバスタブが付いています。ベッドもよくなりました。

近年、日本の関係オフィスがジャカルタの中心部よりも南へ移ってきたせいか、日本からの出張者の滞在ホテルも南へ移ってきている様子があります。

今回のこのホテル、見た目だけでも、日本人客の比率が高いです。昔のプレジデント・ホテルほどではありませんが。

2017年6月20日火曜日

<予告>7月10〜14日、ジャカルタ出張

6月は断食月ということもあり、インドネシアへの出張はなく、日本で過ごしています。自宅のある東京と事務所のある福島とを頻繁に往復していて、今週も、明日明後日は福島です。これで、6月は3往復目です。

そして、ちょっと早いのですが、断食明け後の7月10〜14日、久々にインドネシアへ出張します。今回は、近畿経済産業局および公益財団法人地球環境センターの仕事で、全日程をジャカルタで過ごします。14日夜便で東京へ戻ります(東京着は15日朝)

この仕事を含め、今年度、上記2機関による「平成29年度地域中核企業創出・支援事業(環境・エネルギー分野における地域中核企業の海外販路開拓のための支援ネットワーク高度化及び中国・ASEAN市場獲得を目指した環境・エネルギー関連機器・サービスの現地実証の推進及び販路拡大支援事業)」での、インドネシアに関するコーディネーター役を務めることになります。

今回の出張中、7月12日(水)18時からの「ネットワーキングカフェinジャカルタ」で、私も講演させていただく予定です。このネットワーキングカフェでは、環境・省エネ技術関連企業との交流のため、現地日系企業・関係機関、現地進出予定企業等へ出席を呼びかけています。場所は、Atlet Century Park Hotel、私の講演は無料ですが、19時からの企業交流会は会費制(50万ルピア程度)となります。

最近は、ジャカルタ以外の地方への出張のほうが多い傾向がありますので、私にとっても久々のジャカルタでの仕事です。ジャカルタ在住の皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。

なお、今後、8月、9月、10月、12月にもインドネシアへ出張が入る予定です。福島、東京、インドネシアと動き回ることになりそうです。

2017年5月13日土曜日

ジャカルタの宿舎に無事到着(「雑談会」の予告付き)

先ほど、現地時間の夜7時過ぎにジャカルタに着きました。

JAL Global Club (JGC) のメンバーになったので、成田空港で、搭乗10分前なのに、サクララウンジで「朝カレー」を食べました。これはJGCになったら是非やりたいと思っていたこと。

今回はマレーシア航空でしたが、いつからなのか不明ですが、ワンワールド加盟会社なので、JGCサファイヤのステータスが適用されます。そのせいか知りませんが、ジャカルタに着いたら、荷物が2番目に出てきてびっくりしました。

タクシーでジャカルタの宿舎(昔のインドネシア大学留学時代の私の下宿)に到着。このところ、ずっとジャカルタに泊まる用事がなかったので、この宿舎に来るのも久しぶりです。

下宿のおばさんは、また少し足が弱ったようでした。私が来なくなったせいもあるかな、と少し心配になりました。

今日はゆっくり休んで、明日、明後日とジャカルタで動きます。

<予告>
5月15日(月)夜、ジャカルタの某所で、何か美味しいものを食べながら「雑談会」をしたいと思います。先着8名としたいと思います。ご希望の方は、早めに松井(matsui@matsui-glocal.com)までご連絡ください。

2017年5月10日水曜日

アホック有罪判決で思ったこと

昨日、ジャカルタ首都特別州のアホック州知事がイスラム教を冒涜したとされることに関する裁判(一審)が結審し、禁固2年の判決が下されました。アホック州知事はすぐにそのままチピナン拘置所に収監されました。アホック側は控訴する意向を示しました。

実は、この裁判で、検察は禁固1年、執行猶予2年を求刑していました。判決はこの求刑よりも重いものです。日本では、一般に求刑よりも厳しい判決が出ることはまずあり得ませんが、インドネシアでは、なぜかわかりませんが、求刑よりも厳しい判決が下されることが割とよくあります。

現職のアホック=ジャロット組は、先のジャカルタ首都特別州知事選の決選投票でアニス=サンディ組に敗れたばかり。それに今回の禁固刑の判決が追い打ちをかけ、アホックの政治生命もこれで終わりか、という気配もうかがえます。

アホックを毛嫌いしてきた勢力にとって、今回の有罪判決はまさに希望したものでした。彼らにとって、アホックは邪魔者なのです。彼らの権益を侵すような行動をとり、汚職にも厳しい、万が一、アホックが大統領になったら、なんて考えるだけでもおぞましい。とにかく、何でもいいから、アホックをディスる材料を血眼になって探したのでした。

イデオロギーや政策上の意見対立ではなく、アホックが嫌い、という一点集中。嫌いな理由は、態度が直情的で粗野、華人でキリスト教徒のくせに偉そうにしている、といったものでした。アホックの欠点を血眼になって探してはみたものの、汚職疑惑も女性問題も見つけることができず、困っていたわけです。

そこに例のビデオが出てきました。

2017年4月19日水曜日

ジャカルタ州知事選挙結果について

本日4月19日、インドネシアの首都ジャカルタの州知事選挙の投票が行われ、民間調査機関によるクイックカウントの結果、新人のアニス=サンディ組が現職のアホック=ジャロット組を破って当選することが確実となりました。

これについて、今日も連続ツイートをしてしましたので、ここでまとめて掲示します。今後のインドネシア政治を注意深く、冷静に見ていく必要を強く感じました。

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ジャカルタ州知事選挙はアニス=サンディ組の勝利となりそう。これまでの状況からすれば順当な結果。でも僅差ではなかった。改革よりも社会の平穏を重視する投票行動があった可能性がある。宗教の政治利用や恐怖心を煽るトランプ的・ルペン的手法が強まり、多様性の中の統一がこれまで以上に試される。

2017年4月18日火曜日

<緊急>明日のジャカルタ州知事選挙投票日について

明日4月19日は、ジャカルタ首都特別州知事選挙の決選投票日です。ジャカルタは休日となりますが、注意すべき動きがあります。

以下、先ほど、ツイッター( @daengkm )で発信した内容をまとめて提示します。

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Tamasya Al Maidahというイスラム系グループが、ジャカルタ州知事選挙決選投票日の明日、ジャカルタ外からも含め約10万人を動員し、各投票所を監視するという。目的は非イスラム候補を落選させることと公言。その白装束の存在で、投票する有権者にプレッシャーをかける狙い。

また、ある著名なイスラム高僧は、「断食月を迎えるにあたって」という題でモスクでの説教を依頼され、快諾したが、その後、その説教で「非イスラムのジャカルタ州知事候補を選ばないように」と信者へ話して欲しいと懇願され、説教を断る、という事件もあった。

今回のジャカルタ州知事選挙では、こうしたなりふり構わない宗教の政治利用への批判と警戒も根強い。しかし、無記名投票とはいえ、周りの様子を気にしながら投票する多くの有権者に、Tamasya Al Maidahによるプレッシャーを跳ね返せといっても、実際には難しいのではないか。

警察はTamasya Al Maidahの投票所監視を認めていないとしているが、Tamasya Al Maidah側は口頭で許可をもらったと強弁しており、実際には、警察が黙認するのに近い状態になりそうな気配がある。非イスラム候補側も何らかの対抗手段をとるのは間違いない。

インドネシアの選挙では、投票所ごとに開票する。それを住民も監視できる。その開票結果次第で、Tamasya Al Maidahや対抗勢力がいちいち「不正がある」と騒ぎ出しはしないか、という危惧がある。最低でもそういう怖れが有権者の投票行動に影響を及ぼす可能性がある。

今回のジャカルタ州知事選挙の勝敗は僅差になるとみられるので、敗者側の意義申立が強く、長期にわたる可能性がある。国レベルの政治にも影響を与えよう。

明日のジャカルタ州知事選挙決選投票後、クイックアカウントの後、たとえ結果が微妙でも、Tamasya Al Maidahは「3番が勝った」といって、断食月明けのタクビランのように、おそらく夜中までジャカルタの町中を歩き回るだろう。

明日19日、ジャカルタの在留邦人の方々は、とくに用事がなければ、投票所には絶対に近づかないことが重要と思われる。また、町を走り回る集団に出会ってしまったら、静かに通り過ぎるのを待つしかないだろう。この選挙は国レベルの政治に直結していくので、明日以降も十分に気をつけられたい。

2017年4月14日金曜日

イースター前に報じられた2つの事件(追記あり)

今日はイースター前のグッドフライデー。インドネシアは祝日です。今日から三連休となっているようです。

イスラム教人口が9割近くを占めるインドネシアですが、イスラム教は国教ではありません。イスラム教のほか、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教、儒教が宗教として認められています。日本で一つに括られるキリスト教は二つに分かれています。

そして、建国五原則(パンチャシラ)の第一原則として、唯一神を信じることが求められています。ヒンドゥー教、仏教はそうなのか?、儒教は宗教なのか?といった疑問は、とりあえず、ここでは脇に置きましょう。

ちなみに、アニミズムのようなものは宗教ではなく「信仰」というカテゴリーに入るので、アニミズムを信じている人も前述の宗教のどれかに分類されているのが現状です。

というわけで、イスラム教人口が世界一多いインドネシアでも、他宗教のお祝いも行われ、それらは国の祝日となっています。イースターもその一つです。他宗教への寛容がインドネシアの基本中の基本となっているのです。

ところが、今日、他宗教への寛容という観点からすると、残念な出来事が少なくとも2件報じられていました。

2017年3月14日火曜日

新たに訪れたジャカルタの麺店2店

ジャカルタの夕陽と汚水を「堪能」(?)すると同時に、せっかくプルイットやPIKを通るのだから、この際とばかりに、麺の店を2軒、回りました。

でも、プルイットの麺店は、その多くは夕方4時か5時頃には閉まってしまいます。そこで、夕陽の前に1軒、夕陽の後に1軒、行くことにしました。

最初の店は、Asli Mie Keriting P. Siantarという店。この周辺には、北スマトラのトバ湖に近い小都市プマタン・シアンタルの名前の付いた縮れ麺を出す店が何軒もありますが、ここは1954年創業で、それらの元祖を名乗っています。



飾り気のない素朴な店構えですが、「こういう店が美味しい」という自分の直感が当たりました。