日本以外にいる、個人名でお付き合いしている友人・知人は何人いますか。自分は、ずいぶん前に、人数をもう数えられないので、数えるのをやめてしまった。いつの頃からだろうか、友人をどの国の人か、人種は何か、宗教は何か、というような面から見ることができなくなった。インドネシア人だとか、イスラム教徒だとか、ブギス族だとか、そういううふうに見ることができなくなった。
もちろん、彼らとやり取りする言葉は違う。彼らがインドネシア語でメッセージをくれればインドネシア語で返し、英語でやりとりすることもあるし、日本語のときもある。
日本人だからより近い友人だとか、インドネシア人だけど近い友人だとか、そういうふうに思えなくなった。いるのは、ただ単に、信頼できる友人、話していて楽しい友人、意見は異なってもその違いを尊重してくれる友人、それだけである。
私たちは、この世に生を受けた場所がたまたまそこだった、親がたまたま国籍や種族がそうだった、ということで、何らかの属性をもって生まれてくる。国家が私たちを生まれさせたのではない。生まれたときの属性のなかに、偶然、たまたま、国家というものがそこにあったに過ぎない。
もちろん、たとえ国家がなかったとしても、人間は生まれるのだ。そして、国家のために生まれたのではない。自分が一人の人間として生きるために生まれたのだ。