2019年3月30日土曜日

東京の我が家の桜が満開、来年の今頃は・・・

東京の自宅には、妻方の先代が戦後すぐに植えた桜(ソメイヨシノ)の木が一本あります。おかげさまで、毎年、自宅の庭でお花見を楽しむことができます。




ほかにも、我が家の近くには、ネットには載らない、穴場的な桜並木があります。昨日通ったら、ちょうど満開でした。




この桜並木では、地元の商店会がさくらまつりをするのですが、なぜか、いつも満開から1週間後に開催なのです。

でも、この桜並木の見どころは、満開の桜だけではありません。散るときの桜吹雪が、それはそれは見事なのです。さくらまつりは、実は桜吹雪を楽しむためなのかもしれません。

我が家の庭にも、近くの桜並木にも、今は桜が咲き誇り、とても気持ちのいい季節になりました。

我が家の庭には、桜以外にも、様々な花が咲き始めています。




来年の今頃も、きっと、また家の庭の桜の木を見ながら、ささやかなお花見をしていることでしょう。

私たちの家族だけでなく。

ここに集う、インドネシアなどからの新しい友人たちと一緒に・・・。

もし、シェアハウスが完成していたなら・・・。

完成しているかどうか? それは、神のみぞ知る・・・ですね。

2019年3月26日火曜日

おいおい老い展を見学

3月25日は夕方、アート千代田3331で開催中の「おいおい老い展」を見に行きました。25日が最終日でした。


イベント自体は3月21日から開催していたのですが、どうしても期間中に時間が取れず、しかも24日は疲労困憊で休息を余儀なくされたため、この25日しか行ける余裕がなくなってしまいました。

でも、行ってよかったです。そして、とても楽しい展覧会でした。

介護を施設の中だけに留めるのではなく、地域やコミュニティと接点を持たせることによって、介護と生活、生きるということとをよりビビットに結びつけると、介護をする側も受ける側も楽しくなる、アイディア。

介護という仕事が、こんな風にすると魅力的になり、若い世代も楽しく関わっていくことができるというアイディア。

そんな魅力的なアイディアが67点、しかも、それは机上の空論ではなく、実際にプロジェクトとして試されていくものばかり。

4月から福島市で開業するサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」のことを考えながら、実に様々なヒントを得ることができました。そして、さらなるアイディアが湧き出てくるような、ワークショップを「しみずの里」でやってみたい気持ちになりました。

そして、同じように高齢者介護の課題に直面する韓国や台湾、遠くない将来に高齢化社会を迎えるインドネシアなどの国々のことを思いました。

外国人材を介護などの分野に日本で受け入れるのは、単に人手不足を補うという意味だけでなく、今後に向けて、介護という仕事を魅力的にしていける人材を世界へ向けて育成することにもつながるのではないか、と。

そう考えると、この「おいおい老い展」は、決して日本だけのものではない、何らかの形で国外の同様の課題を抱えている、抱えることになる人々にとっても、きっと有用なことなのではないか、と思いました。

介護福祉士が地域づくりに関わる、という視点が新鮮に感じられました。そして、そうなんだよな、と展示を見ながら何度もうなづきました。

ここに提示されたようなプロジェクトを生み出すプロセス自体を、それに関わった方々にとっていかに楽しいものにするか、も、とても重要だと感じました。

新たなたくさんの刺激を受けた「おいおい老い展」。この間、このプロセスをマネージしてきたstudio-Lの皆さんに改めて敬意と感謝を申し上げます。

2019年3月23日土曜日

福島・しみずの里の完成内覧会開催(3/22-23)

今日(3/23)は、福島市のサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」の完成内覧会の最終日です。

昨日の内覧会は100人以上の方が訪れ、皆さんから多数のお褒めの言葉をいただきました。

今日も午後4時まで内覧会を開催中。是非いらしてください。また、同じ敷地内にある国有形登録文化財の古民家「佐藤家住宅」もあわせてご案内いたします。





2019年3月20日水曜日

ジャカルタは歩ける街へ?

今回、インドネシアへ出張して、久々にジャカルタに滞在しました。このところ、ジャカルタを経由せず、直接、地方都市へ行くことが多かったので、ジャカルタに滞在するのは、本当に久しぶりでした。

ジャカルタでは、念願の地下鉄(MRT)が4月1日に営業を開始するという話がようやく決まったようです。MRTが下を通るメインストリートのスディルマン通りは、歩道がとても広くなり、しかもバイクが侵入できないようになっていました。


MRTの駅の入口もできつつあります。


スディルマン通り自体もすっきりした感じになりました。


通りを渡る歩道橋も、一部は新しく、歩きやすくなっていました。


ジャカルタの渋滞の一因は、車の多さであり、どのようにして公共交通機関への移行を進めるかが課題でした。しかし、公共交通機関をいくら増やしても、移行が進むとは限りません。公共交通機関に乗ったり下りたりするためには、バス停や駅まで歩けることが重要なのでした。

安心して歩ける街になれば、人々は多少の距離も歩いて公共交通機関を乗り換え、目的の場所まで少し歩くようになります。

MRTやトランスジャカルタが注目されるジャカルタですが、歩ける街になることがとても重要なのだと思っていましたから、広い歩道はとても素晴らしい改善だと思いました。

ただ、それはスディルマン通りやタムリン通りのような、海外からのお客さんに見せる目抜き通りだけのものではないか、とも思っていました。

実際は、どうも、そうでもなさそうなのです。

外国人があまり住んでいない私のアジトのある東ジャカルタの地区では、歩道は広くなっていませんでしたが、大きな変化が見られました。


歩道に黄色い、目の不自由な方向けの点字ブロックが埋め込まれていました。これは今回、初めて見ました。


どぶ川はそのままで臭いですが、脇の歩道には点字ブロックが埋め込まれています。

もっとも・・・


点字ブロックの上にバイクが停められています。夜になると、ここに机や椅子が出されて、屋台が拡大営業していました。

それでも、点字ブロックが敷かれたことは、ここを目の見えない方を含めて人が歩くことを想定している、ということを表しています。

ジャカルタ中央部のワヒッドハシム通りは、歩道が拡張され、東から西への一方通行へ変わっていました。


その結果、サバン通りとの交差点付近の渋滞は、相当にひどいものとなっていました。

ジャカルタは、目抜き通りだけでなく歩ける街へと動き始めましたが、個別の地域をみれば、まだまだ改善が必要なことは言うまでもありません。

のろのろと、しかし前へ進む、というところでしょうか。前に進んでいることに意味がある、と思いたいです。

池袋でマカッサルの中学生一行と面会

3月7~16日はインドネシアへ出張していました。

色々とバタバタしていたため、ブログの更新ができない状況でした。そのときの様子も、適宜バック・デイトしながら、少しずつ、ブログを更新していきます。

インドネシアから帰国後、すぐに宮城県塩釜へ行き、その後、福島で長時間の打合せとビジネスセミナーに出て、終電1本前の新幹線で東京の自宅へ戻ったので、3月19日の午前中はしばしゆっくり休もう、と思っていたら・・・。

携帯のSNSにインドネシア人の友人から「今日、午前10時に池袋で面会って約束したよね?」というメッセージ。あれ、21日夜の約束じゃなかったの?、と返したら、19日午前と21日夜の2回会うという約束だったはず、との返事。

二度寝して起きたのが午前9時半。まずい、と思って、「10時半に行くから」と返事をし、慌てて、池袋へ向かいました。

池袋に着くと、友人は、20人ぐらいの中学生を連れてきていました。マカッサルのボソワ国際中学校に通う中学生たちで、日本への研修旅行2日目でした。

サンシャインのポケモンセンターの前で、私から軽くあいさつした後、彼らはポケモンセンターのなかへ消えていきました。その後は、しばし、友人と引率の中学校の先生と懇談。熱の出た子がいたので、薬局へ熱さまシートを買いに行きました。

しばらくして、おそろいのポケモンの袋とともに、嬉しそうに出てきた中学生たち。アニメのことをもっと知りたい、という子が多いようでした。

サンシャインの前で記念写真を撮った後、次の目的地へ向かう彼らとお別れしました。


そして、私は、午後の用事へと向かいました。

2019年3月11日月曜日

あたりまえであることが奇跡。8年目。

毎年、3月11日がやってくる。そして、今年もこの日を迎えた。

人生が、あの日を機に、大きく変わった。そして、変わり続けている。

あたりまえのことが、一瞬にして消える、という経験。

大切なものは、いつ何時、消えてしまうかもしれないという気持ち。

明日はないかもしれない、と思いながら、

瞬間瞬間を、懸命に生きていこうと誓った

何も高望みはしない、ただただ、存在していてほしい。ほしかった。

そう願った。

でも、そんなことさえ、

日常が続くなかで、忘れてしまいそうな自分。

忘れてしまいそうな自分にさえも、気がつかない日々。

喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。

成功、失敗。歓喜、失意。

その日々のあたりまえのひとつひとつが、大切だと気づきなおせる日。

生きること、生きていることに謙虚になる日。

3月11日。

あたりまえであることが奇跡。

生きていることが奇跡。

あの日が最期となられた方々のことを思い、

もっともっと深く生きていく。

あたりまえを生きる。奇跡を生きる。

深く生きる。

ただ、それだけ。それが、重い。

2019.3.11 ジャカルタにて

2011年3月9日。インドネシア商工会議所の方々の日本での研修のまとめの議論を行っていた。

2019年3月3日日曜日

友人の1年近く前の死を今日初めて知った

インドネシア人の友人A氏がカナダの大学で博士号を取得しました。彼はとても嬉しくて、これまでお世話になった友人・知人・恩人にお礼のメッセージを送っていました。

彼とは2001年に初めて会いました。マカッサルで同世代の若者たちと一緒に、小さな図書館を作るなどの社会活動を行っていました。私ともかかわりの深い、後のマカッサルのイニンナワ・コミュニティにつながる、ささやかな活動をしていました。

そんな彼と彼の仲間たちと一緒に行動するきっかけは、2002~2003年に彼らと一緒に、南スラウェシ州の村で、日本の学生とインドネシアの学生とがともにフィールドワークを行うプログラムを実施したことでした。

このプログラムは、日イの学生が1週間程度村に入って、村の方々のお宅にホームステイしながら、村の方々と対話するなかでそこでの生活から様々なことを学びます。

当初、学生は「村の問題をどう解決するか」「村をどう発展させるか」を考えようとするのですが、現場での学びのなかから、村の方々が気づかないような村の生活の価値や良さを見い出します。そして、村での生活の最後に、彼らが学んだ事を村の方々に分かるような方法(寸劇など)で発表し、村での活動への協力に感謝を表します。

このプログラムを通じて、フィールドでの行動を共にした学生たちは真の友人となり、各方面で活躍する現在も、強いネットワークで結ばれています。

このプログラムの日本側オフィサーだったのがSさんで、今回、A氏は彼女にもお礼をしたくて、コンタクトをしようとしてきました。

ところが、連絡しても一向に反応がないというのです。Sさんのフェイスブックページは、昨年4月以降、更新されていないということでした。

A氏に頼まれ、関係者に訊ねていたところ、今朝になって、Sさんが昨年4月に、アフリカで亡くなられていたという情報を、プログラム参加者の一人だった友人から知らされました。その友人は、Sさんが亡くなる前日、夕食を共にしていたということでした。

Sさんは、上記のフィールドワーク・プログラムの仕事の後、長い闘病生活に入りました。同プログラムに関わった友人・知人たちは、Sさんに生きてほしい、生き延びてほしい、とずっと願い続けました。そして、幸運にも、Sさんは病に打ち勝ち、仕事に復帰しました。

復帰後は、英国の大学院で学んだ後、アフリカにわたり、国際協力活動により一層取り組んでいる様子でした。

1年近くもSさんが亡くなったことを知らずにいた自分を恥じました。

フィールドワーク・プログラムを一緒に手掛けた15年ほど前、インドネシアの村の現場で、これからの学生たち・若者たちが造っていく未来を共に語り合ったのを思い出します。そして、Sさんの存在がマカッサルの若者たちの活動を後押しし、イニンナワ・コミュニティに結実していくさまを、私はずっと見てきたのでした。

明日は何が起こるか分からない。だから今を懸命に生きるしかない。

Sさんと語り合った、目指すべき未来を、プログラムに関わった友人・知人とともに造り続けていくことを、改めて心に誓いました。

Sさん、もうずいぶんと時間が経ってしまいましたが、どうぞ安らかにお休みください。そして、ずっと見守っていてください。

福寿草がたくさん咲く季節になりました。


2019年3月2日土曜日

書くことで救われるのかもしれない

2月後半は、ちょっと悶々とした日々を送ってしまい、このブログもすらすらと書けない状況になってしまっていました。

いつも前向きにいきたいと思おうと振る舞っている自分と、その裏で色々ともがいている自分とがいて、表裏のスイッチとバランスが取れなくなりそう気分でした。

あまりにも嘘の多すぎる世の中に対する怒り。本心からかどうかは分からないが、権力や権威に服従しする人々。自分を守るためには、他人を攻撃することも嘘を作り出して広めることも厭わない、自分の地位や名誉や社会的評価を守ろうとしている人々の存在。

保身に走ったり、嘘をついたり、諦めたりすることが成熟する、大人になるということなのか。

それは、本気で人生を生きているということなのか。

青い、でしょうか。ならば、青い、でけっこう。

未熟、でしょうか。ならば、未熟、でけっこう。

世の中を変える、なんて大それたことは言いません。他人に同意や同調を求めたりもしません。

でも、成熟や保身や嘘に安住しない人々が、行動を起こすことで、自ずと、何かが変わっていく。

事実や真実さえも、

嘘で、嘘の連続で、

誰かのために、ではなく、

自分のために、変えてしまおうとする人々。

自分のために、嘘で世の中を変えようとする人々に、

自分は、青く、未熟なまま、

抵抗していきたい。

一人の独立した個人として。

このブログは、誰かたくさんの人々に読んでもらうために書くのではなく、自分のために書いていく、ということもしていきます。

自分のために書いたものは、あえて、フェイスブックやツイッターで拡散はしません。

書くことで救われるのかもしれない。

自分が本当の自分を持ち続けるために。