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2018年7月17日火曜日

よりどりインドネシア1周年、無料公開中

2017年7月、いくつものインドネシアを知るためのウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」を発汗して、1年が経ちました。

このマガジンは、毎月2回、毎月7日頃と22日頃に発行してきましたので、2018年7月9日発行分で第25号となりました。

「よりどりインドネシア」は、以下のサイトから読者登録のうえ、購読することが可能です。購読料金は、1カ月あたり810円(税込)で、当該サイトから登録すると、クレジットカードから毎月引き落としとなります。申し込み後1カ月は無料購読期間となります。

また、銀行振込による支払いをご希望の場合には、振込先口座をお知らせします。この場合、6カ月分または12カ月分をまとめてお支払いただきます。お支払確認後、毎回、PDF版を指定のメールアドレス宛に送らせていただきます。申し込み後1カ月は無料購読期間となります。

今回、発行開始1周年を記念して、最新の第25号は、7月22日までの期間限定で、無料にて全文公開していますので、ご覧ください。

PDF版の第25号は、7月22日まで、以下から閲覧・ダウンロード可能です。この機会に、ぜひ、ご一読いただき、購読をご検討いただければ幸いです。

  よりどりインドネシア第25号(PDF版)

なお、インドネシアの基本情報をわかりやすく解説した無料ブログ「インドネシアまちゃむまちゃむ」も始めました。合わせて、ご一読ください。

  インドネシアまちゃむまちゃむ

以上、よろしくお願いいたします。

2018年7月13日金曜日

「ふるさと」をいくつも持つ人生

「ふるさと」を狭義で「生まれた場所」とするなら、どんな人にも、それは一つ鹿ありません。しかし、自分の関わった場所、好きな場所を「ふるさと」と広義に捉えるならば、「ふるさと」が一つだけとは限らなくなります。

人は、様々な場所を動きながら生きていきます。たとえ、その場所に長く居住していなくとも、好きになってしまう、ということがあります。それは景色が美しかったり、出会った人々が温かかったり、美味しい食べ物と出会えたり、自分の人生を大きく変えるような出来事の起こった場所であったり・・・。

どんな人でも、自分の生まれた場所以外のお気に入りの場所や地域を持っているはずです。転校や転勤の多かった方は、特にそんな思いがあるはずです。そんな場所や地域の中には、広義の「ふるさと」と思えるような場所や地域があるはずです。

* * * * * * * *

筆者自身、「ふるさと」と思える場所はいくつもあります。

筆者の生まれた場所であり、昨年法人登記した福島市。家族ともう30年近く暮らす東京都豊島区。地域振興の調査研究で長年お世話になっている大分県。音楽を通じた町おこしの仲間に入れてもらった佐伯市。留学中に馴染んだジャカルタ。かつて家族と5年以上住み、地元の仲間たちと新しい地域文化運動を試みたマカッサル。2年以上住んで馴染んだスラバヤ。

まだまだ色々あります。

今までに訪れた場所で、いやだった場所は記憶にありません。どこへ行っても、その場所や地域が思い出となって残り、好きという感情が湧いてきます。

単なる旅行者として気に入ったところも多々ありますが、そこの人々と実際に交わり、一緒に何かをした経験や記憶が、その場所や地域を特別のものとして認識させるのだと思います。

そんな「ふるさと」と思える場所が日本や世界にいくつもある、ということが、どんなに自分の励ましとなっていることか。

あー、マカッサルのワンタン麺が食べたい。家のことで困っている時に助けてくれたスラバヤのあの人はどうしているだろうか。佐伯へ行けば、いつまでも明るく笑っていられるような気がする。由布院の私の「師匠」たちは、まだ元気にまちづくりに関わっているだろうか。ウガンダのあの村のおじさんとおばさんは、今日作ったシアバターをいくら売ったのだろうか。

そんな気になる場所がいくつもある人生を、誰もが生きているような気がします。

昔見たマカッサルの夕陽(2003年8月10日、筆者撮影)
マカッサルといえば思い出す「ふるさと」の光景の一つ

* * * * * * * *

地域よ、そんな人々の「ふるさと」になることを始めませんか。自分たちの地域を愛し、好きになってくれるよそ者を増やし、彼らを地域の応援団にしていきませんか。

筆者がそれを学んだのは、高知県馬路村です。人口1000人足らずの過疎に悩む村は、ゆず加工品の顧客すべての「ふるさと」になることを目指し、商品だけでなく、村のイメージを売りました。何となく落ち着く、ホッとするみんなの村になることで、村が村民1000人だけで生きているわけではない、村外の馬路村ファンによって励まされて生きている、という意識に基づいて、合併を拒否し、自信を持った村づくりを進めています。

もしも、地域の人口は1000人、でも地域を想う人々は世界中に10万人だと考えたとき、そこにおける地域づくりは、どのようなものになるでしょうか。

その地域が存在し、生き生きとしていくことが、世界中の10万人の「ふるさと」を守り続け、輝くものとしていくことになるのではないでしょうか。

私たちは、そんな広義の「ふるさと」をいくつも持って、それらの「ふるさと」一つ一つの応援団になっていけたら、と思います。

* * * * * * * *

それは、モノを介した「ふるさと納税」を出発点にしても構わないのですが、カネやモノの切れ目が縁の切れ目にならないようにすることが求められるでしょう。

正式の住民票は一つしかありません。でも、「ふるさと」と思える場所はいくつあってもいいはずです。

いくつかの市町村は、正式の住民票のほかに、自らのファンに対してもう一つの「住民票」を発行し始めています。飯舘村の「ふるさと住民票」は、そのような例です。以下のリンクをご参照ください。

 飯舘村ふるさと住民票について

「ふるさと住民票」を10枚持っている、50枚持っている、100枚持っている・・・そんな人がたくさん増えたら、地域づくりはもっともっと面白いものへ変化していくことでしょう。地域はそうした「住民」から様々な新しいアイディアや具体的な関わりを得ることができ、さらに、その「住民」を通じて他の地域とつながっていくこともあり得ます。

こうした「住民」が、今、よく言われる関係人口の一端を担うことになります。それは緩いものでかまわないと思います。

* * * * * * * *

世界中から日本へ来る旅行者についても、インバウンドで何人来たかを追求するよりも、彼らの何人が訪れたその場所を「ふるさと」と思ってくれたか、を重視した方が良いのではないか、と思います。

それがどこの誰で、いつでもコンタクトを取れる、そんな固有名詞の目に見えるファンを増やし、それを地域づくりの励みとし、生かしていくことが、新しい時代の地域づくりになっていくのではないか。

奥会津を訪れる台湾人観光客を見ながら、その台湾人の中に、もしかすると、台湾で地域づくりに関わっている人がいるかもしれない、と思うのです。そんな人と出会えたならば、その台湾人と一緒に奥会津の地域づくりを語り合い、その方の関わる台湾の地域づくりと双方向的につながって何かを起こす、ということを考えられるのではないか、と思うのです。

飯舘村の「ふるさと住民票」を登録申請しました。そして、私が関わっていく、日本中の、世界中の、すべての地域やローカルの味方になりたいと思っています。

「ふるさと」をいくつも持つ人生を楽しむ人が増え、地域のことを思う人々が増えていけば、前回のブログで触れた「日本に地域は必要なのですか」という愚問はおのずと消えていくはずだと信じています。

2018年7月10日火曜日

「日本に地域は必要なのですか」という問い

先日、筆者の尊敬する大先輩の方からお話を聞く機会がありました。その席で、その大先輩の言った言葉が耳から離れなくなりました。衝撃的な言葉でした。

大先輩は、言いました。「最近、霞が関で会議に出ると、官僚からよく訊ねられるんだよね。日本に地域は必要なのですか、って」

一瞬、耳を疑いました。それが、霞が関の官僚の本音なのか・・・。

人口が減少する時代、人々が買い物や医療や様々なサービスを受けやすくするためには、散在する地域から、そうしたサービスを供給する場所へ人々に移ってもらうのが効率的だ、行政コストの面からもそのほうが効率的だ、という議論。

コンパクトシティや中核都市の議論は、まさに、行政側から見た効率性の観点から進められています。その究極は、地域など要らない、という話になるのでしょうか。

行政にとっては、地域は面倒で邪魔でカネのかかる存在でしかないのかもしれません。

地域を国に従わせ、あげくには、面倒だという理由で地域を捨てる、という思想。

長い歴史を見れば、国よりも先に地域が、コミュニティがあったことは誰の目にも明らかです。国家体制が資本主義でも社会主義でも軍国主義でも、地域は住民の暮らしの場として存在し続けました。国家による収奪を受けても、地域は日々の暮らしの場であり続けました。

その土地や自然との交感の記憶によって、それぞれの人生のかけがえのない場としての地域を、効率性の観点だけで、国家が奪い取ることがあってはなりません。

地域が消滅するのではなくて、霞が関は、実は、地域を消滅させたかったのか。「日本に地域は必要なのですか」という言葉からは、そんな印象を受けます。

原発事故や災害で故郷を離れざるを得なくなった人々の地域に対する思いに、霞が関はどれほどの気持ちを寄せられたのでしょうか。いや、何も感じていないのかもしれません。

地域がなくなった日本を想像します。そこには、国家しか存在しない。国家に都合の良いように、人々の生活から地域が取り上げられ、国家のためのみに生きることを求められるのか。

「日本に地域は必要なのですか」という問いの存在を前提にすると、地方創生も地域活性化も、地域に寄り添うふりをするための上っ面の政策に過ぎないことが見えてきます。

地域が自覚をもってしっかりしていかなければ、自分たちの暮らしを守っていくことはできません。霞が関から「地域は必要ない」と言われて、「はい、そうですか」と言うわけにはいかないのです。それは暮らしの場を捨てることになるからです。

誰が総理大臣になろうとも、どの政党が政権与党になろうとも、明日戦争が起ころうとも、たとえ補助金がなくなろうとも、我々は日々暮らしていかなければならない。その場所である地域を決して無くすわけにはいかないのです。

我々は大いに憤慨すべきです。「日本に地域は必要なのですか」と問う霞が関の浅薄さと自己中心主義、ご都合主義に対して。

2018年7月6日金曜日

新ブログ「インドネシアまちゃむまちゃむ」始めました

2018年7月1日より、この個人ブログ「ぐろーかる日記」とは別に、新しいブログ「インドネシアまちゃむまちゃむ」を始めましたので、お知らせします。

 インドネシアまちゃむまちゃむ

まちゃむまちゃむ(macam-macam)というのは、色々、様々、という意味のインドネシア語(マレー語)です。「インドネシアいろいろ」という意味です。

どうして、この新しいブログを始めたのか。


インドネシアのことをもっと多くの方に知ってもらうには、できるだけやさしく、インドネシアのことを説明する必要があると思ったのです。

とくに、インドネシアは一つではなく、多種多様で、いくつものインドネシアがある、ということを伝えたいと思いました。

そして、実際に、インドネシアへ旅したり、インドネシアで生活したりする方々に必要な基本情報や、役に立つ情報をわかりやすく解説したい、と思いました。

いくつものインドネシアを知り、歩き、楽しむための情報、と銘打っています。

1〜2日に1回程度、様々なトピックを取り上げていく予定です。

すでに取り上げたトピックは以下のとおりです。
インドネシアに長く深く関わっている方々でも、もう一度確認しておきたいような情報も解説していきます。

まだインドネシアについて知らない方々にも、わかりやすいような書きぶりを目指します。「インドネシアまちゃむまちゃむ」でインドネシアに興味を持って、行ってみたくなったり、実際に行ってみたりされるといいな、と思います。

どうぞ、よろしくお付き合いください!

●筆者のブログ等の仕訳

個人ブログ「ぐろーかる日記」(無料。このブログです)
インドネシアだけでなく、日常的なことや日本の地域づくりのことも含め、自分なりにいろいろ思ったことや考えたことなどを自由に書きつづっていきます。

ブログ「インドネシアまちゃむまちゃむ」(無料)
いくつものインドネシアを知り、歩き、楽しむための基本情報を、誰にでも、できるだけわかりやすく、解説していきます。

情報マガジン「よりどりインドネシア」(有料購読)
いくつものインドネシアをより深く知るための情報を提供するとともに、独自の角度から分析した記事をまとめて、毎月7・22日頃の2回、発行します。購読申込後、1カ月間の無料期間を経て、有料購読期間となります。1カ月あたりの購読料は810円(税込)、クレジットカードからの引き落とし、または銀行振込(この場合はPDF版を毎回送付)での支払いをお願いしています。

どうか、お気軽にご笑覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。

2018年7月3日火曜日

みなかみ町の「たくみの里」をちょっと訪問

今日(7/3)は、みなかみ町を訪問し、朝から夕方まで、関係者と会議でした。

5月から、みなかみ町のアドバイザーを拝命しており、今後、インドネシアの地方政府との関係づくりを進めていくにあたっての助言や情報提供をお願いされています。

会議終了後、町役場の方が「たくみの里」へ案内してくださいました。たくみの里のホームページでは、以下のような説明がなされています。
たくみの里は昔ながらの日本の風景を残す須川平にあります。
東京ドーム約70個分(330ha)にわたる集落には昔ながらの手法をそのままに木工、竹細工、和紙などの手作り体験ができるたくみの家が点在しています。手作りが体験できるたくみの家と、展示・見学・ショッピングがたのしめる家の二種類があり、それぞれのたくみが各家のオーナーとなりオリジナリティ溢れる作品や体験を提供させていただきます。
たくみの里事業は、1983年、旧新治村で、農村地域の持つ観光資源(農村景観、歴史文化、伝統手工芸)を活かし、しっかりした農業経営のもとで、美しい農村景観を保全する事業として開始されました。背景には、温泉などの旅館・ホテルの宿泊者数が減少したことがありました。

この地域に点在する野仏を周って歩くことと、農産加工技術の体験工房などを組み合わせて、都市と農村との交流を促す、住民参加型の新しい試みを続けて今日に至っています。

たくみの里の入口にある豊楽館という施設は、今は道の駅としての役割も果たしています。今日訪問した際は、平日のせいか、閑散としていました。

 道の駅 たくみの里 豊楽館


豊楽館から北へ延びる道路は「宿場通り」と呼ばれ、昔の三国街道の須川宿の面影を感じられるよう、通りに向かって垂直に屋根の方向を揃え、こげ茶色に統一した街並みが続きます。この通りに様々な店や工房が並び、休日には観光客でにぎわうそうです。


今回は、時間も限られていたので、町役場の方の車でざっと域内を周りました。次回は、実際に歩いてまわってみたいと思います。

町役場の方から紹介されたのですが、たくみの里の近くには、「みなかみフルーツランド・モギトーレ」という施設があり、観光果樹園のほか、果物を使った美味しいスイーツを食べさせるカフェがあります。

 みなかみフルーツランド・モギトーレ

この施設は元々、果物取引で有名な株式会社ドールが「ドールランドみなかみ」という名前で運営していましたが、2018年7月2日からは、みなかみ町農村公園公社へ移管されました。ドールがみなかみ町にそんな施設を持っていたことを初めて知りました。

この移管を記念して、みなかみフルーツランド・モギトーレでは、7月7~8日にOPEN感謝祭として、大人1500円(みなかみ町民は1000円)、子ども750円(同500円)で、70分スイーツ&グルメ食べ放題+ドリンク飲み放題のバイキングを開催するそうです。ただし、時間は10:30~15:00。


提供されるスイーツに使う果物は、すべてみなかみ町で収穫されたもの。当日は先着順で予約不可、とのことです。

筆者自身は行けませんが、こちらも、次回のみなかみ町訪問の際に、しっかり食べに行きたいと思います。

2018年7月1日日曜日

地域仕掛け人市2018に行ってみた

6月30日、東京・恵比寿に新しくできたEBIS303というイベントスペースへ行き、「地域仕掛け人市2018」というイベントに行ってきました。EBIS303というのは、スバル自動車の新社屋のなかに位置しているスペースです。
地域仕掛け人市というのは、様々な地域で活躍する「仕掛け人」が集まり、東京にいる若者たちをターゲットに、彼らを地方へ引き寄せ、あわよくば、地方で働いてもらうことを目的としたイベントでした。ただ、就職説明会や移住相談会とは違い、もう少しゆるく、地方の魅力を説明し、ファーストコンタクトしてもらえればいいな、という感じでした。

 地域仕掛け人市

毎年の恒例行事のようですが、2018年は33箇所から地域仕掛け人が集まり、それぞれがブースを出して、自分たちの活動をアピールしました。他方、別室では、継業(VS起業)、働き方改革、関係人口作り、暮らしの4テーマ別セッションが行われ、複数の地域仕掛け人によるパネルトークが行われました。

まあ、言ってみれば、「地方へより多くの人材に来てもらいたい地域仕掛け人たち」と「東京ではなく地方で何かをしたい若者たち」との間の、新手のマッチングイベント、といったものでした。実際、参加者の多くは若者たちで、とくに、地域活性化に関わりたいと思っている大学生などが多く見られました。

地域活性化に関わりたいといっても、そんなに簡単なことではないよね、と思いつつ、昨今、地方創生などの言葉に踊らされて増殖する大学の傾向などが想起されました。

実際、地域仕掛け人のなかには、地方自治体も少なからず含まれ、その多くは、地域おこし協力隊としてきてくれる人材リクルートを目的としていました。

筆者は、先に挙げた4つのテーマ別セッションに参加し、実際の当事者が自分の言葉で語る姿を見ることができ、有益でした。とくに、最初のセッションで取り上げた「継業」に色々と感じ入るところがありました。

日本のほとんどの地域で人口減少・高齢化が厳しい状態となっており、東京周辺のみが人口増を享受している現状となっていることは、このイベントでも強調されていました。

その一方で、地方では、後継者がいないことで、廃業を余儀なくされる事業者が数多く存在します。そのなかには、経営的に苦しいわけではなく、いや、むしろ黒字経営で利益を上げ、顧客もしっかりいる、マーケットも持っている、にもかかわらず、後継者がいないという理由で、自分の代で事業を止める場合が少なくありません。

そうした事業者に対して、後継者を探し、マッチングさせる試みを行っている地域仕掛け人の話は、なかなか心に響くものでした。今回のセッションでは、石川県の「能登の人事部」と「七尾街づくりセンター」の話を聞きました。

能登の人事部は、能登地域で継業を希望する事業者たちが個々に人材を探すのではなく、彼らの求人情報を一手にまとめ、東京や大阪などをターゲットに、求人活動を行って、継業を希望する事業者と繋げる役割を果たしています。

実際に、能登の人事部のサイトを見ると、地域おこし協力隊の募集のほか、福祉旅行プランナーヘルスケアコーディネーター和ろうそくの海外セールス担当者などの求人情報が掲載されています。Wantedlyという求人サイトをうまく活用しています。

能登の人事部が民間なのに対して、七尾街づくりセンターは半官半民の株式会社ですが、関わっている方々は、よそ者とUターン組で、いわば、外部者の目を持った人たちです。

よそ者として関わる、七尾街づくりセンターの友田氏は、どのような技術を持った人材が欲しいかという質問に対して、「とくに何かスキルや技術を持っている必要はない」「できないから恥ずかしいと思う必要はない。むしろ「できない」と公言して欲しい。必ず地元の人々が助けてくれる」と述べているのが印象的でした。

地域おこし協力隊の様々な現状なども鑑みると、上記のような、ウチとソトとを繋げる人材や組織の存在がとても重要であると思いました。このイベントに集った地域仕掛け人はまさにそのような存在であり、彼らが生き生きと活動できる地域は、きっと地域も生き生きとし続けていけるのだろうなと思いました。

それは、人口減少・高齢化に直面する地域の覚悟の問題でもあると思います。地域活性化や地方創生などを国の方針に沿った事業実施という枠だけで捉え、ウチとソトを繋げる人材や組織を便利屋、時にはうっとおしい存在、と見なしているうちは、まだまだ覚悟が足りないのではないか、と思ってしまいます。

そして、今回のイベントではまだほとんど触れられていませんでしたが、地方での仕事の担い手となってきていて、その地域に愛着を持ってくる外国人材をこれからの地域にどう活かしていくか、という視点も大事になってくるような気がします。

単なる人手としてではなく、彼らを地域を一緒につくっていく人材として位置づけ、継業や関係人口の担い手と考えていく時代が来ているように思います。とはいえ、外国人材に対する否定的な見解は、まだなかなか根強いものがありそうです。

継業や就業のために東京などで人材を探す一方、地元の人材はソトへ出て行ってしまう、という現実。その地域が好きだ、何かしたいという(外国人材を含む)ヨソ者と、地域から出て行く、あるいは地域に住みながら買い物は地域外の地方大都市へ行くというウチ者と。どちらが地域のこれからにとって役目を果たしていくのか。ヨソ者とウチ者との関係は、簡単に何か言えるものではないことは、もちろん承知しています。

そして、地域で現実と直面して格闘する人々と、その地域に研究対象として関わる学識者との関係もまた、別な意味でのヨソ者とウチ者との関係として、考えていく必要があるものと思います。

本ブログでも、今後、自分なりに色々と考えていきたいと思います。

2018年6月27日水曜日

インドネシア統一地方首長選挙速報からの感想

6月27日は、インドネシアでの統一地方首長選挙の投票日で、数日前に急遽、全国で休日となりました。今回は、17州、115県、39市の計171自治体で地方首長選挙があり、とくに大きな混乱もなく、投票日を終えることになりました。

早速、いくつもの民間調査会社がクイック・カウントと称する、選挙結果速報を出してきました。今回は、どの調査会社もおおよそ同じような結果を示しており、大勢はほぼ決まりつつあるように思われます。

そんな状況を見ながら、ツイッター(@daengkm)にて、以下のような連続ツイートで個人的な感想を書きましたので、まとめて掲載します。ご参考まで。

+ + + + + + + + + +

6/27投票のマカッサル市長選挙は、ほぼ全ての政党が推した候補者ペアを「空箱」が破る結果になる見込み。2020年に再選挙。選挙の詳細については以下を参照ください。

マカッサル市長選挙で「空箱」に敗れた唯一の候補ペアのポスター

こちらの記事も、よろしければご参照ください。
地方首長選挙で「空箱」と戦う(松井和久) | よりどりインドネシア

6/27投票の南スラウェシ州知事選挙は、2人のヌルディンが競う予想通りの展開だったが、前バンタエン県知事のヌルディン・アブドゥラ氏がゴルカル党幹部でサッカークラブのドンのヌルディン・ハリド氏を破り初当選する見込み。前者は九州大学で博士号を取り、日本と深い関係。

6/27投票の東ジャワ州知事選挙は、ナフダトゥール・ウラマ(NU)出身のコフィファ前社会大臣が当選。彼女と組んだ副知事候補で前トゥレンガレク県知事のエミル氏は立命館アジア太平洋大学にて博士号取得。

今後のインドネシアとの日本のアプローチは、中央政界だけでなく、日本と関わりを持つ地方首長をターゲットにしていくのが良い。ジョコウィ現大統領のように、一国一城の主を経験した地方首長から大統領へ登りつめるケースが出てくる。今注目されている有望政治家はみな地方首長なのである。

6/27投票の西ジャワ州知事選挙で、現在トップなのは、前バンドゥン市長のカミル氏。彼も、今後の活躍が期待されている地方政治家の一人。

東ジャワ州知事選挙で勝利確実のコフィファ、中ジャワ州知事選挙で勝利確実のガンジャルは、いずれも政党人として国会議員だったのが地方首長へ転身。中ジャワ州知事選挙でガンジャルに敗れたスディルマン・サイドは元エネルギー鉱産資源大臣でやはり中央から地方へ。

スハルト時代後の地方分権化が進行したインドネシアで、今、地方で実績を上げて中央へ向かう政治家の流れと、中央で経験を積んで地方へ向かう(いずれまた中央を目指す?)流れとがクロスしている。ジャカルタのアニス知事も後者で、教育文化大臣から知事へ。

地方首長として目立つような実績を積み、名声を得た者は、改革派とみなされ、既存政治に飽きやすい人々に今後の政治への期待を抱かせる。スラバヤ市長のリスマ、バンドゥン市長だったカミル、バンタエン県知事だったヌルディンらは、皆、そのように注目されてきた政治家である。

他にも、西ヌサトゥンガラ州知事だったザイヌル氏、バニュワンギ県知事のアブドゥル・アナス氏なども注目株。旧来的な地方ボスとしての地方首長という側面は完全に否定できないにせよ、良い統治や特色あるユニークな政策を展開できる地方首長に経営者としての能力を見出せるようになった観がある。

2018年6月24日日曜日

夕焼け空を母と見上げた

6月24~26日は、福島です。

先ほど、夕方、福島に着きました。今日の日中の福島は東京よりも熱かったようですが、夕方になると、さわやかな風が南から吹いて、歩いていて気持ちのいい陽気でした。

実家へ歩いて帰る途中、ふと西の空をみると、空が赤くなり始めていました。吾妻連峰のシルエットが映えています。福島製作所前の交差点で、空がパッと広くなり、上空を飛行機雲が通っていき、その線がぼやけていきました。


三河踏切を渡って、振り返ってみた線路(奥羽線)と高架(山形新幹線)を背にした夕焼けも、きれいでした。


自宅そばの小学校の校舎を包むような、やわらかな夕方の陽のひかり。


実家に着いて、すぐに母を呼びました。何事かとバタバタかけてきた母と、一緒に空を見上げました。


しばし、無言で、空を見上げ続ける母と私。

人間がおそらく絶対に創り出せない色合いや形状、そしてこのマジックアワーの何とも言えない雰囲気。

「まだ子供だった頃、毎夕、屋根の上から、一番星が出るまでずっと夕焼け空を眺めていたのよ」 ポツリと母がつぶやきました。

筆者も、今から20年以上前、家族3人で、マカッサル沖に沈む夕日を海岸から眺めていた日々を思い出しました。

世界のどこかで、おそらく必ず、今、この瞬間に、それぞれの夕日を眺めている人々がいることでしょう。そんなことを思います。

夕日を眺める豊かで美しい時間を、決して失いたくない、他の人のそれも決して失ってほしくない、と思いました。

夏至を過ぎたばかりの福島の夕焼けでした。

2018年6月20日水曜日

みずほ銀行での法人口座の切り換え顛末記

筆者は、松井グローカル合同会社という法人を2017年4月に設立し、3つの銀行に法人口座を開設しました。その一つがみずほ銀行です(いつもお世話になっております)。

みずほ銀行の法人口座開設にあたっては、通常通りに同銀行の本支店で申請する方法とインターネットで申請する方法の2つの方法があります。前者は通帳で管理しますが、後者では通帳は発行されず、インターネット上で管理することになります。

より簡単だと思い、筆者はインターネットで申請を行いました。たしかに面倒はほとんどなく、しばらくして自宅近くの支店に出向き、法人口座を開設することができました。

インターネット経由で法人口座を作った場合、毎月の利用料として3,240円が当該口座から引き落とされます。口座開設後6カ月間は無料ということで利用していました。出入金があればメールでPDF形式の明細票付きで知らせてくれるし、通帳はなくてもATMでは明細票が出るのですが、それだけの利用料を払うだけの利用頻度はないと判断しました。

そこで、インターネット利用を中止することにしました。そこで起こった疑問・・・。

インターネット経由で作った法人口座を、口座番号を変えずに、通常の通帳管理の法人口座へ変更できるのか。あるいは、法人口座設立の経緯が異なるので、新たにもう一つ別の法人口座を作らなければならないのか。どちらなのか。

ネット上でいろいろ検索しましたが、筆者の能力不足のせいなのか、ぴったりと当てはまる回答は見つけられませんでした。

そこで、みずほ銀行の法人口座に関するカスタマーセンターに電話をして、問い合わせました。質問が二者択一なので、さすがにカスタマーセンターで回答を得られると思いました。

「法人口座をお作りになった支店にお問い合わせください」という回答でした。

こんな簡単な二者択一の質問に答えられないものなのか、実は難しい質問だったのか、きっと他にも同じようなケースは多々あるだろうに、と思いつつ、法人口座を作った支店へ出向き、同じ質問をしました。

窓口の行員さんにしばし待つように促され、待つこと15分。ようやく「インターネットで作った法人口座を通常の法人口座へ切り替えは可能」という回答を得ました。

そのまま、法人口座の切り替え手続きに入りました。今持っている法人口座のキャッシュカードはそのまま使え、通帳を新たに発行してもらえました。

みずほビジネスWEBの解約手続きなのですが、解約により、出入金のお知らせがメールでくるサービスは受けられなくなります。

また、みずほビジネスWEBを申し込んだ時には、自動的にみずほビジネスWEB帳票サービスにも入らなければならないのですが、行員さんによると、このサービスは、たとえみずほビジネスWEBを解約しても利用可能で、しかも無料で利用し続けられる、ということでした。これは初耳。

ただ、弊社は一人会社で、当面、通帳での管理で十分なので、みずほビジネスWEB帳票の利用もやめることにしました。

インターネットで法人口座を設立したものの、毎月3,240円を払いたくはない、でも、みずほビジネスWEB帳票は使い続けたい、という法人さんには、有用な情報かもしれません。

ともかく、こうして、無事に、法人口座の切り替えができました。めでたし、めでたし。

銀行としては、顧客にみずほビジネスWEBを解約してほしくない、というのはよく分かります。だから、それが簡単にできるような情報を安易に一般公開したくないのかもしれません。

一零細顧客の戯言として無視されるかもしれませんが、顧客の権利という観点からも、この種の情報もきちんと開示し、堂々と企業活動を行って欲しいと思いました。

本文とは関係ありませんが、東京の自宅の庭で、紫陽花が咲いていました。


2018年6月19日火曜日

一週間前は関西でした

6月18日朝、大阪北部を震源とする大地震が起き、多数の方々が被災されました。被災された方々に対してお見舞いを気持ちを表したいと思います。

都市部直下型地震によるライフラインやインフラの機能不全が生じましたが、行政をはじめ、住民の方々が懸命にそれに対応されているのを見守っています。

同時に、ちょっと失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、あれだけの規模の地震でも、おびただしい数の建物の倒壊が起こったわけではなく、むしろ、災害に強い都市の一面を示したという印象も受けました。

6月10〜12日、筆者も大阪周辺で動いていました。10日に大阪で用事の後、11日は近鉄で天理へ移動して天理大学でゲスト講義。その後、隠れ家イタリアンで友人たちと夕食して奈良泊。12日には、京都でアポの後、京阪電車で大阪へ向かい、大阪で2本のアポの後、夜は鶴橋で知人らと本場の韓国料理(下写真)とディープな商店街を楽しみました。


ちょうど一週間前でした。今回の被災地付近を動いていました。京阪電車のすぐ近くを有馬=高槻断層が走っていたのでした。

昨日(6月17日)は、東北新幹線が長期間にわたって運転見合わせになりました。原因は鳥が衝突したことによる停電と見られていますが、運行開始を待つ間に、ホーム上で宴会になったり、高校生が新体操のパフォーマンスをする、といった出来事があり、イライラした乗客をある程度和ませていたということでした。

しかし、それは、6月18日のように、地震で止まったわけではなかったので、平和だったのだろうと思います。今日のような、いつまた余震が起こるかもわからない状況では、昨日のような余興をしたり見たりする余裕はなかったことでしょう。

6月18日の地震の震源付近には、有馬=高槻断層以外に、上町断層や生駒断層など複数の断層が近くを走り、さらなる地震を引き起こすきっかけになるかもしれないという話も聞こえてきます。これについては、より詳細な調査研究が必要なのでしょうが、やはり備えをしておくに越したことはないでしょう。

6月18日の地震を東京で眺めていた筆者ですが、地理的にやはり遠くで起こったという気持ちをどうしても持ってしまいます。しかし、今日のような地震は、日本中のいつどこでも起きる可能性のあるものだと思えれば、他人事と思うことはできません。

そして、被災したものだからこそ、新たな被災地に対して特別な思いを抱き、支えの手を差し伸べようとします。阪神淡路大震災後の神戸の人々がその後の被災者へのサポートに動く。東日本大震災の被災県が熊本地震の被災者の支援へ動く。そして、今回の大阪北部地震の被災者に対しても、東北や熊本の元被災者が動くことでしょう。

そんな中で、SNSを通じて、何の意味もないデマや嘘情報を流す「愉快犯」がまたぞろ現れています。被災者の不安を和らげる目的で情報をSNSへ流すならいいのですが、匿名をいいことに、無責任にそうした情報を流して個人的な憂さ晴らしをするというのは、理解できません。

初期のツイッターに溢れていた無数の知らない人々の善意に、筆者は随分と励まされ、前を向く力をもらったものでした。それが今では、ずいぶん変わってしまいました。ツイッターをそろそろやめるべきか、とも考え始めています。

2018年6月13日水曜日

天理を初めて訪問した

6月11日、天理大学でゲスト講義を行うため、初めて、天理を訪問しました。

大阪から近鉄で、大和八木と平端で乗り換えて、平端から近鉄天理線に乗り、終着が近鉄天理駅。ホームが4本もある、立派なターミナル駅でした。



ときにはきっと、天理教の信者さんたちでホームに人が溢れるのでしょう。とにかく、大きくて立派な終着駅でした。

駅を降りて、少々町歩き。と、不思議な町の案内図がありました。おやさと案内図、とあります。


地図の中に、「水口」「名東」「兵神」といった名前の書かれた広い区画があります。これらは、信者の方のための宿泊施設である詰所のある場所のようです。


通りの両側にこうした詰所がいくつもあり、かなり古い建物もあれば、回収して綺麗な建物もあります。

ちょうどお昼時だったので、何か食べたかったのですが、天理の名物というものが分かりません。とりあえず、良さそうと思って入ったのが、とんかつ屋のとんよし本店。名物というカツ丼を食べました。


一番少ない「並」でこのボリューム。ご飯の上にサクサクのカツが2枚のっています。これに中、大とあるのですが、店のいたるところに貼られた色紙などを見て納得しました。



いうまでもなく、天理大学や天理高校の御用達の店だったのです。スポーツで有名な彼らを支えているのがこの店、なのでした。

近鉄天理駅の前では、誰も立ち止まって聴く人がいないのに、ひたすら自分の身の上話をし続ける信者や、踊るように祈りを捧げる信者がいました。

さて、天理大学のO先生が迎えに来てくださって、キャンパスへ向かいました。授業まで時間があるので、入ったのが、天理大学参考館。ここの展示は、なかなか面白いものでした。


天理教会が世界で布教活動を行った際に、各地で収集してきた相当に貴重な品々が展示されています。いずれも年代物で、おそらく50年以上前のものが相当あり、そのコレクションはなかなかのものです。

例えば、ニューギニア島のセピック川流域地区の仮面のコレクション。


これもかなり古いものです。こんな大きいものをたくさん収集し、よくここまで運んできたものだ、と思います。

他にも色々と珍しい貴重なものがあり、好奇心がどんどん刺激されてくるのですが、講義を行う時間が迫ってきたので、泣く泣く参考館を後にしました。

たぶん、また来るでしょうな。ここはほんとに楽しい!楽しい!

一般公開されているので、皆さんにもお勧めします!

そして、この後、「キャリアデザイン2」という講座のなかで、インドネシアの社会ビジネスを題材に、援助からビジネスへ、経済ビジネスから社会ビジネスへ、という講義を行いました。内容は割愛します。

2018年6月10日日曜日

ムラのミライの年次総会に出席

6月10〜12日は、関西へ出張で来ています。

本日(6/10)は、大阪駅近くで開催された、特定非営利活動法人 ムラのミライの年次総会に出席しました。筆者は、ムラのミライの正会員としての出席でした。

ムラのミライの活動については、以下のリンクをご参照ください。

 ムラのミライ ホームページ

インド、ネパール、セネガル、日本での活動報告の後、年次総会へ移り、2017年度の事業総括と2018年度の活動計画が協議されました。

活動の担い手が世代交代しつつあり、若手の理事たちがしっかり活動を支えている様子を頼もしく感じました。それを、ベテランが支える構図となっています。

個人的には、今後、メタ・ファシリテーション講座を福島などで開催し、その手法を土地に根付かせていきたいと思いました。そして、できれば、中学・高校の教師や大学の先生などで、この手法に興味を持ち、若者にそれを広められる人材を作っていきたいとも思いました。

これらについては、今後、しっかし検討していきたいと思います。まずは、福島でのメタ・ファシリテーション講座の開催へ向けて、準備を進めたいと思います。

2018年6月4日月曜日

プロジェクト鳴子CSAの始動

6月3日、プロジェクト鳴子CSAの始動としての第1回CSA塾に参加するため、宮城県鳴子へ行ってきました。

CSAとは、Community Supported Agricultureの略。一部では、Community Shared Agricultureと読み替え始めたところもあります。

鳴子と言えば、鳴子の米プロジェクト(米プロ)が今年で13年目を迎えました。同プロジェクトは、生産者が消費者と結びつき、消費者が生産者から市場買取価格の2倍の価格で買い取ることで、生産者は気象などの生産リスクに対応することができるとともに、米を通じた商品開発や地域づくりにも役立てようという試みです。

その過程で、幻となり始めていた稲の高冷地品種を復活させ、「ゆきむすび」という名前で商品化し、一部の耕作放棄地を水田として復活させる動きをも引き起こしていきました。

筆者も、米プロが始まった時からずっと注目してきましたし、10周年記念セミナーに出席したのを契機に、我が家もまた米プロの一員として加わり、「ゆきむすび」を我が家で味わっています。

これまで13年間の成果をさらに発展させるべく、米プロは本格的なCSAへ向けて取り組みを強化することを決めました。これから2年間、トヨタ財団の国内助成を受けて、プロジェクト鳴子CSAという組織を立ち上げ、米プロで培ったノウハウと経験をさらに一層活用していく、そのキックオフの意味も込められた催しでした。

とくに、CSAの名の下に、農・食・暮らしを支え合う関係づくり、仕組みづくりとともに、若者向けの雇用を創出するための事業化に力を入れていく意向です。

第1回CSA塾の講師は、結城登美雄氏で、「CSAが描く地域の未来」という題での講演でした。結城さんは、何人かいる私の「勝手に師匠」の一人です。


講演は、いつもどおりの結城さんのお話でしたが、とくに、若者に対して「これからの日本の食を誰が支えるのか?」という問いを何度も投げかけていたのが印象的でした。そして実際、高齢化と農業就業人口の急減のなかで、それでも不十分かもしれないが、生産者と消費者とがつながらなければならない必然性があることを説得的に説明されていました。

食には、生きるための食、儀礼や感謝の食、そして楽しみの食の3つの側面があるのに、近年は楽しみの食という側面ばかりがもてはやされ、食に対する慈しみや敬いの心が薄れています。自分の消費する食を誰かが作ってくれている。自分の代わりに食を作ってくれている人がいる。そんな感覚を忘れがちになっている、といってもいいかもしれません。

米プロは、生産者と消費者とをつなぎ、それが生産地の地域をよりよいものにしていくことができる、という実証を行ってきましたが、それでも、現実は厳しく、鳴子の生産現場では、高齢化や農業就業人口の減少がとまらず、温泉で名高い鳴子への観光客数も減少傾向を顕著にしています。

プロジェクト鳴子CSAを通じて、鳴子という地域での暮らしをどのように維持・活性化させていくのか、という問題意識は伝わりました。ただ、消費者の意識がどう変わっていくのか、という面へのまなざしはまだあまり強くないように感じました。

都市の消費者が「誰がこれからの食を支えるのか」という問いを真剣に受け止め、持たざる者である自分たちの代わりに食料を生産してくれる生産者を敬い、生産者とつながることが自分の暮らしのなかの食を確保し守っていくことにつながる、暮らしを続けていくための食糧安保としてのCSA、という、中間搾取の排除といったものよりもはるかに切実で緊要な側面が一気に表面化してくるような気がします。

そうした文脈で、鳴子を現場とするCSAの今後の動きを注目していきたいです。


それにしても、鳴子の湯の温まること。若干塩分の混じった素直なお湯で、体中がすべすべでした。今回泊まった旅館大沼の、宿泊客専用特別浴場にも入ることができ、夕食もごちそうで、とても大満足でした。旅館大沼の持つ8つの温泉風呂のうち2つしか入れなかったので、また行かなければならなくなった、わけですね。

2018年5月30日水曜日

初めての法人税申告

昨年4月に福島市に合同会社を設立して、今回が初めての法人税申告となりました。締め切りの5月31日の1日前に終わらせることができて、ちょっとホッとしています。

個人事業主でやってきたのを、よりカチッと仕事をしていきたいと考え、一人会社にしましたが、振り返ってみれば、個人事業主のときと中身はあまり変わっていないかもしれません。自分のやりたいと思うことが、ことごとく利益とは関係のないものであるがため、いつまでも種まきをしているような、錯覚に陥りそうです。

とはいえ、法人としてのお務めの一つである、法人税申告。幸か不幸か赤字決算となったため、法人税はゼロとなり、福島県へ支払う法人県民税と福島市へ支払う法人市民税は、均等割という、法人ならば払わなければならない一律額の最低額を支払う、というシンプルな形となりました。


それでも、申告のための書類作りはけっこう難儀でした。とくに、国税用の様々な明細を用意しなければならないのと、記入のしかたがよく分からない部分がけっこうあり、本当にここで記入してしまっていいものかどうか、悩みました。

結局、分からないところをそのままにして、税務署で担当の方に相談に乗ってもらい、書類を見ながら、一つ一つ、記入のしかたを教えてもらいました。税務署の担当者は、きっと内心「こんなことも分からないのか」と思っていたかもしれませんが、懇切丁寧に教えてくださいました。そして記入が済むと、それのコピーを取っていただき、相談は終了。「次回から相談は予約を入れてください。3月決算は混むので」と言われ、少々恐縮。

あとは、受付で申告をし、受領印をもらって終了。法人設立の際にも、税務署には大変お世話になっており、今のご時世もあるのでしょうが、対応に対する私自身の満足度は今回も高かったのでした。

県税事務所も市税担当者も、対応はとてもよく、申告書の記入の不備をチェックしていただいた後、申告書をスムーズに提出することができました。

そして、後は、銀行の窓口で県税と市税の均等割分の支払いを済ませて、法人税申告は無事に終了しました。

今回は、税理士さんを介さずに自分でやったのですが、個人事業主のときと内容があまり変わらなかったので、記入すべき書類が少なかったのだろうと思います。今後、会社の規模をどうしていくか、考えながら、いずれ必要になれば、税理士さんのご指導も必要になるのだろうと思っています。

それにしても、きちんと法人税を払えるだけの売上というか所得をつくっていかなければならないな、とちょっと気を引き締めるのでした。

あー、椏久里で美味しいケーキと一緒にコーヒーが飲みたいな。マスター、近日中におうかがいしますー。

バトゥの温泉リゾート

インドネシアから帰国して、色々とバタバタ過ごしていたこともあり、ブログ更新がおろそかになってしまいました。

今週は、福島市に滞在し、明後日締切の法人税申告の準備を慌てて進めているとことです。個人事業主のときと比べて、なんと書類の多いこと。とはいえ、まだ法人設立して1年なので、複雑なことは何もやっておらず、何となく済ませられそうな目途が経ちました。

ということで、書き忘れていたネタを書いてみます。

福島市とインドネシア・東ジャワ州のバトゥ市は農業分野での協力を進めていく意向を示しており、それが果たして末永く続く事業となれるかどうか、1年かけて調べていくチームに参加しています。

このチームで先日までバトゥへ行ったのですが、噂の温泉リゾートが立派にオープンしておりました。

何といっても、この光景。鳥居が日本の象徴なのでしょうか。これは、広島の宮島がモデルなのかな?


鳥居の立つ池の周りを囲むように、コテージ風の部屋が立ち並んでいます。中は3部屋ぐらいあって、大勢で泊まれるスタイル。


各部屋には専用の露天風呂。ただし、使用できるのは、夜6~11時まで。


これらの部屋には、大阪、広島、島根、名古屋といった名前が付けられています。

そして、売りの温泉、大浴場。その名は「元気(な)温泉」でした。


男湯と女湯に分かれ、大浴場に向かい、湯に浸かりました。決して熱くはないのですが、長く入っていると少しずつ体が温まってきます。


入れるのは午後2時以降。1時間の貸し切りもできるので、チームの男女が分かれて、貸し切り風呂を楽しみました。

全身裸になれない方向けに、下半身だけを覆う、タイツのようなものが用意されていましたが、我々は、そんなものをつけずに、そのままお湯に浸かりました。

温泉自体はかけ流しという感じでもなさそうで、温泉特有のにおいや滑りもなく、あまり特徴のないお湯ですが、まあ、それなりに楽しめました。

平日は空いているようで、料金も割引になっています。日本食レストラン「伏見」というのもありますが、けっこう激しくオーダー間違いしてくれて、可愛いもんでした。

というわけで、バトゥにも温泉あります、です。

2018年5月16日水曜日

スラバヤで1泊、蟹カレーを食べる

5月15日、バトゥでの用務を終えて、スラバヤに1泊しています。16日の朝、ジャカルタへ向けてスラバヤを発ちます。

この間、スラバヤでは、複数の家族による自爆テロ事件が5月13・14日の2日間に相次ぎました。家族全員で自爆テロを行うという、これまでにない新しい形のテロが起きてしまいました。

この種のテロは、どこで起こるか分からないという恐怖があります。道行く人が突然何かするのではないか。目の前の人が爆弾を抱えているのではないか。そんな不安はなかなか払拭できるものではありません。

また、顔を隠し、眼だけ出して長いイスラムの服装をしている女性が不審者としてみられ、いくつかの場所で入場を断られたりする話も聞こえてきます。

いつ何時、誰がテロを引き起こすか分からない・・・。街中の見知らぬ人々を信用できなくなっている。実際の自爆テロで数十人の方々が犠牲になったのに加えて、今、スラバヤの街中では、そうした不信感が大きくなっている印象を受けました。

暴動のように、物理的に目に見える形で騒ぎが大きくなっている場合には、できるだけそのような場所を回避することが望ましいことは言うまでもありません。

しかし、テロ事件のように、いつどこで誰が起こすのか分からない、運命によっては防ぎようのない状況に陥るものは、予防措置として、周辺の不審者に注意を払うような行動を採らざるを得なくなり、精神的に落ち着かない状況が続いていきます。

たとえ、周辺の様子を絶えず不審なものはないかと注意を払い続けたとしても、それを察知して確実に防げるとは思えないからです。

そんなことを色々考えながら、スラバヤに1泊することにしました。周辺状況を自分なりによく観察し、大丈夫だと判断して、夕食を食べに出かけました。

行く先は、久々に食べたかった、Hai Nanの蟹カレー。


店は営業していましたが、中は閑散としていて、普通なら午後8時には満席となるのに、ガラガラのままでした。それでも、お客さんが来てくれたのは嬉しいらしく、フロアマネージャーは笑顔で対応してくれました。もちろん、蟹カレーは、いつも通りの美味しさで、大満足でした。

見えない恐怖を感じながらも、普段通りの生活を続け、スラバヤは決してテロに屈しないことを静かに示し続けること。今のスラバヤの人々にできることは、やはりそういうことなのだと思います。

スラバヤでこんな事件が起こってしまった、と市民に率直に謝り、先頭に立って現場を歩き、被害者を慰問するスラバヤ市のリスマ市長の姿から、人々は前を向く勇気をもらっているように見えます。街中には「テロに屈しない」「スラバヤのために祈る」といった手書きの横断幕が掲げられていました。

今回の自爆テロ犯は、必ずしも貧しい家族ではなかったと見られています。貧しさだけがテロへ走らせるのではなく、心が満たされない、社会から疎外された、そんな精神的な部分にカルトのささやきが忍び込んでくるのでしょうか。

SDGsが目指す誰も見捨てない社会は、所得向上だけを目的とするのではなく、こうした精神的な面をどのように内包していくかも問われています。それは、やはり、人が人を信用できる、知らない人でも信頼できるような、いわゆる信頼社会をどう作っていくか、ということと関わってくるものと考えます。

自分たちの身の回りから始められることは何か。きっと、一人ずつ、自分の信頼できる他人を増やしていく。そのためには、自分も他人から信頼される人間になっていく。もう一度、一つずつ、社会を作り直していく必要を認識させられているのかもしれません。

2018年5月14日月曜日

スラバヤの3教会自爆テロに思うこと

滞在先の東ジャワ州バトゥ市で5月13日朝、同州の州都スラバヤ市の3つの教会で自爆テロがあったとの報道を知りました。その後も、用務の合間、報道を追いかけていました。

5月13日は日曜日で、日曜の朝のキリスト教の教会と言えば、もちろん日曜礼拝があります。たくさんの信者が集まる日曜礼拝の時間を狙った事件でした。

警察発表によると、3つの自爆テロは、ISに合流してシリアから戻った一家族による犯行だったとのことです(注:後に、警察は、「シリアへは行っていなかった」と訂正しました)。父親、母親と二人の幼児、息子2人が別々の教会を襲い、多数の人々を巻き添えにして、自爆しました。

この事件で注目される点が3点あります。

第1に、複数箇所への同時多発自爆テロだったということです。同時多発テロを行うには、複数のテロリストが連絡を取り合いながら犯行するものですが、どこかでその兆候を治安当局に見つけられると、中止となるか単発で終わります。同時多発テロは、それが起こればテロへの恐怖は一気に増します。治安当局は、テロリスト間の情報の傍受でそれを未然に防いできたものと思われます。

でも、今回は、同時多発テロが起こりました。それは、第2に、犯行が一家族によって行われたためです。

一つの思想に染まった家族が、実行してしまった今回のケースは、幼児や10代の子どもを引き連れて実行された点で、世界に大きな衝撃を与えています。なぜ、この家族はこのような犯行を行うに至ってしまったのか、そこへ至るまでに何かできなかったのか。社会からの疎外感が彼らを過激思想・カルトへ走らせたとしたら、それはなぜなのか。

過激行為を未然に防ぐためにも、社会が考えなければならない課題のようにも思えます。

そして第3に、場所がスラバヤだったということ。スラバヤの治安の良さは、警察の能力の高さと評価されてきました。ジャカルタで何か事態が起こると、スラバヤから警察が応援に派遣されることが常でした。スラバヤの治安状況がインドネシアのそれのバロメーターともみられてきました。

そのスラバヤで今回の事件が起こったということは、治安面を見ていくうえで大きな意味を持ちます。すなわち、スラバヤがバロメーターであるという前提が正しければ、この種の事件はインドネシアのどこでも起こり得ることになるからです。その意味で、スラバヤの警察のプライドを大きく傷つける事件でもありました。

筆者が危惧するのは、こうした流れを利用しようとする政治勢力が現れてくることです。とりわけ、現段階で再選が有望と見られる現大統領を追い落とすためには、どんな手段でも活用したい勢力が、このような事件を利用して世間に恐怖心を煽って自分たちへの支持を半ば強制するのではないか、という危惧です。

もっとも、現時点では、活動禁止処分を受けたHTIも含め、自爆テロを厳しく批判する声明が次々に出されています。他方、SNS上でテロを支持・擁護するような発言を見かけたら警察へ告発する、というような動きが早くも始まっています。

こうした自由で公正な発言や議論を妨げるような動きは、政治的に対立するどちらからも現れてくるものと見られます。

スラバヤの悲劇に対して、インドネシア各地で連帯の表明が相次いでいます。それは、亡くなった方への追悼、負傷者への献血に駆けつける市民、宗教の違いを超えた集会の実施など、またたく間に広がっていきました。

今日、一連の動きを追いかけながら、時々泣きそうになる自分が居ました。そして、3年間住んだスラバヤのことが、自分にとっても大切な場所になっていたことに改めて気づきました。

友人や知人の安否を確認し、無事の知らせにホッとしている自分。そして、友人から送られてきた、まったく客のいないギャラクシーモールの写真に、今回の事件の市民へ与えた心理的影響の大きさを感じずにはいられませんでした。

筆者はスラバヤを信じています。スラバヤが今回の事件で揺らぐことはない。スラバヤはスラバヤであり続ける、と。今後も、スラバヤの友人や知人を信じ続け、彼らと会うためにスラバヤに行き続けること、を誓います。

2018年5月12日土曜日

声とノイズ、言葉の力、詩の文化

先週のマカッサル国際作家フェスティバルに出席した後、数日間帰国し、今また、インドネシアに来ています。ちょっと時間の空いた黄昏どきのジャカルタで、マカッサル国際作家フェスティバルを振り返っています。

声とノイズ、というテーマは、単なる意味どおりの声とノイズだけでなく、声がノイズに変わって無視されると同時に、ノイズが声に変わって世論を動かしていく、という両面性を意識する機会となりました。

我々が聞いていると思っている声は誰の声なのか、ノイズに埋もれさせてはいけない声とは何なのか、忘れ去られた声は全てノイズだったのか、色んなことを思います。ただ、確実にひとつ言えることは、声は決してひとつではない、という当たり前の事実であり、もし声が一つしか聞こえないとするならば、様々な声を聞こうとしない、聞こえないと思っている、聞いてはいけないと思っている、明らかに社会が自らを押し殺している状態に他ならないのではないか。

マカッサル国際作家フェスティバルでは、実にたくさんの参加者が即興で自作の詩を読みました。誰かのものではなく、自作の詩を。自作の詩を声を出して人々の前で読む、朗読するということは、自分の声を出していることに他ならず、それが朗読として成立しているのは、その声を聴く人々がちゃんと存在しているからです。

そして、その詩に社会への不満や不正への怒りが込められ、共感した聴衆が声を上げ、拍手をして反応する。それはまさに、声が出ている、届いている空間でした。

彼らの詩に込められているのは、まさに言葉の力。その言葉にそれぞれの詩を作った自分の魂が込められ、それが声として発せられ、聴衆に届いていく。マカッサル国際作家フェスティバルの空間は、そうした言葉の力をまだまだ信じられると確信できる空間でした。

福島から参加してくださった和合亮一さんは、そうしたなかで日本語で自作の詩を朗読しました。日本で最も朗読している詩人と自称する彼ですが、時として、自分を環境に合わせてしまっているのではないか、という気持ちがあったそうです。

自作の詩を誰もが読める空間に和合さんが遭遇したとき、何が起こるかは個人的にある程度想像していました。そして、和合さんには、思う存分朗読してほしい、爆発してくださってもいい、と申し上げました。

和合さんの日本語の詩を聴衆が理解できたとは思いません。でも、今回、言葉の力は意味の理解以上のものを含むのだということを、和合さんの眼前で理解しました。朗読の力は。想像以上のものでした。自分で声を出す者どうしの、言葉の力と力を投げ受けしあう同士の、生き生きした空間が生まれていました。

それは、ある意味、いい意味で、福島を理解してもらいたい、というレベルをいつのまにか超えていたように思います。和合さんの興奮する姿がとても新鮮に見えました。

日本における自作の詩の朗読の世界は、こんな空間を作れているでしょうか。

自分たちの声を出し、それを聴こうとする人々との相互反応が起こる社会は、何となく、まだまだ大丈夫、健全だと思ったのです。たしかに、マカッサル国際作家フェスティバルがそんな空間を作り続けることに一役買っている、と確信しました。

5月5日の夜、フェスティバルのフィナーレで、壇上に上がった主宰者のリリ・ユリアンティが「壇上からはライトで皆さんの姿が分からない。携帯電話を持っている人はそのライトをつけて、降ってほしい」と呼びかけました。そして、無数のライトが壇上のリリに向かって振られました。


その光景は、とても美しいものでした。

ノイズではない、一人一人の声が携帯電話の光となって、互いの存在を認め合っているかのように感じられたからです。

こんな光景を日本で、福島でつくりたい。恥ずかしがることなく、自分の思いを、自分の考えを、自作の詩を、声に出せる、そしてそれに耳を傾けてくれる人々のいる空間。和合さんを福島から招いたことで、そんなことを思い始めた、今回のマカッサル国際作家フェスティバルでした。

2018年5月6日日曜日

マカッサル国際作家フェスティバルで和合亮一さんが熱演

今回のマカッサル国際作家フェスティバル(5/2-5)には、日本から福島市在住の詩人である和合亮一さんにご参加いただきました。わずか3日間の滞在でしたが、3回も詩の朗読をされました。

和合さんは、5月3日にマカッサルに到着し、早速、夕方5時からの「コップ一杯の詩」と題する、コーヒーを飲みながら参加者が自由に詩を読みあう野外での催しに飛び入り参加しました。


和合さんの朗読は、いつもエネルギッシュなのですが、早速、全開、という感じでした。参加者たちは、初めて見る和合さんの詩の朗読スタイルに圧倒されていました。そして、歓声と大きな拍手。日本語で詠まれた詩の内容は理解できなくとも、何かが通じた瞬間が続きました。

翌4日は、国立ハサヌディン大学で、福島をテーマとしたセッションが行われ、私も和合さんとともに出席しました。

和合さんは、2011年3月から現在に至るまでに自分が見たこと、感じたことを中心に話を進め、現時点での「二度目の喪失」という現実をどう捉えるかが重要であることを強調しました。

「二度目の喪失」というのは、これまで帰還するために頑張ってきた人々、福島の復興のために貢献したいと意欲を燃やしてきた若者たち、こうした人々が、7年経って現実を見たときに、「やはり無理なのか」と諦めにも似た喪失感を深く感じ、傷つき、引きこもりや鬱になってしまうのを見てしまった現実でした。

避難した場所から自分のふるさとへ戻れるのか戻れないのか。原発事故後の処理・廃炉は本当に進めるのか進めないのか。政府の放つ「復興」という言葉によって、それが不明確なままの状態が続き、それが「二度目の喪失」を招いているのではないか、という問いでした。

我々にできることは何か。それは、そうした人々の胸の内をしっかりと聞いて受け止めることだ、と和合さんは言います。そして、それなしに前へ進むことはできないのではないか、と問いかけます。寄り添う、という言葉の重い意味を和合さんは真摯に受け止めている、と感じました。

和合さんは、そうした態度を詩という媒体を通じて、自分なりに世の中に対して発信していこうとしているのだと改めて思いました。本質を忘れてはならない。私自身の活動を振り返り、改めて思うことでした。

そして、この日も、和合さんは夕方から、「コップ一杯の詩」に参加しました。前日を上回るすごい数の観客が、どんなパフォーマンスをするのか、見守っています。そして、その観客の期待を上回る詩の朗読パフォーマンスを、和合さんは見せつけるのでした。



このときに読んだ「鬼」という詩を、たまたまインドネシア語に訳していたのですが、「コップ一杯の詩」の司会をしている若手詩人のイベさんが読みたいというので、読んでもらいました。

彼なりのパフォーマンスで観客を引き付け、和合さんの詩は、インドネシア語に訳してもやはり何かを伝えていると実感しました。

和合さんは、こんなに聴衆の反応がいい詩の朗読の機会はなかった、と興奮していました。詩が社会批判の一端を担うインドネシアの状況に驚き、詩を愛する若者が次々に自作の詩を読んでいく様子から、何かを感じていた様子でした。

4日の夜、和合さんは壇上に上がり、未来神楽第5番「狼」の一部を朗読しました。


和合さんがどんなパフォーマンスをするのか、観衆は興味津々で、びっくりするほどたくさんの人々が会場に集まっていました。そして、和合さんはまたも、観衆に強烈な印象を残す詩の朗読パフォーマンスを全力で行いました。

そう全力。和合さんのパフォーマンスは全力でした。そして、それは、マカッサル国際作家フェスティバルという「場」がそれを引き出していたと感じました。

すごいものを見てしまった・・・。

日本語で通した和合さんの詩が、正確に理解されたわけではありません。しかし、マカッサルの観衆に強烈な何かを残していました。マカッサルの地で、和合さんは、自分でも想像できないほど、パワーアップしていました。

「場」の力。それを改めて思い知った、という感が強いです。

2018年5月3日木曜日

マカッサル国際作家フェスティバル2018のテーマは「声とノイズ」

5月2日、マカッサル国際作家フェスティバル2018が開幕しました。


今回のテーマは、「声とノイズ」。

1998年5月のスハルト政権崩壊から20年、そして2018年地方首長選挙、2019年大統領選挙という政治の季節を迎えましたが、それに伴う声とノイズが入り混じった状況が現れています。

オープニング・イベントで、主宰者のリリ・ユリアンティは、壇上の光の当たるところにいる自分を権力者に、その光の当たらない暗闇にいる観客を市民になぞらえ、光の当たる権力者の声のみが聞こえ、暗闇にいる市民の声はノイズとして無視されているのが現状だ、と演説を始めました。

過去20年のインドネシアでは、その市民が声を上げる存在としての力をつけてきたのであり、このマカッサル国際作家フェスティバルこそが、文学を通じてノイズではない声を上げる運動体となってきたのだ、としました。

そして、そうした市民が、権力者によって無視され、消されてきた歴史的事実にもう一度光を当て、真実を語っていくことが重要であると説きました。


権力者によって、無視され、忘れさせられてきた過去。その一例として、取り上げられたのが、インドネシア独立後、最初のマカッサル市長、女性市長となったサラスワティ・ダウドの話でした。本イベントにおいて、大学生が彼女の物語をショートフィルムにまとめたものが上映されました。

サラスワティ・ダウドが女性市長になったと言っても、当時の市長は現在のようなものとは違い、5人ぐらいがいつでも交代できるような性格の地位だったようです。しかし、現在、歴代のマカッサル市長の名前のなかに、聡明で優秀だったとされるサラスワティ・ダウドの名前は現れてこないのです。マカッサルではほとんど知られていない存在なのです。

それはなぜなのか。

端的に言えば、彼女はその後、インドネシア共産党の傘下組織であるインドネシア女性運動(GERWANI)に関わったことで、スハルト時代に敵視され、投獄され、釈放された後も監視される、という人生を送ったからでした。

マカッサル初の市長はの女性市長だった、という事実が覆い隠され、忘れ去られてしまっていた、ということを、改めてすくい上げたのは、市民による事実の探求でした。

リリは今回も、フツーの市民が声を上げること、それができるコミュニティを作っていくことの重要性を訴えました。たとえ権力が光の当たらぬ市民を無視しようとしても、フツーの市民が正しい事実を声をあげて主張していける社会を作るために、人間の心に訴えかける力を持つ文学の力を信じて、こうしたコミュニティを強くしていく、という決意を表明しました。

筆者がマカッサル国際作家フェスティバルに来る理由の一つは、こうした健全な批判精神を持ったフツーの市民のコミュニティが、ここではまだまだ力を保ち、声を上げていけているという実感を確認するためでもあります。

そして、マカッサルから、今の日本を振り返るのです。日本でそのようなフツーの市民のコミュニティが強くなっていけているのか、と。

さらに、今回のオープニング・イベントでは、声とノイズを象徴する、新しい視点に気づかされました。

第1に、手話通訳が配置されたことです(写真右下)。声をいう意味が、ろう者にとっては手話であること。手話を声として位置付けることに気づかされました。


そして第2に、手話による詩の朗読がありました。


とても美しい「朗読」でした。手話が理解できたなら、もっと深く理解できたことでしょう。それは紛れもなく、彼らの「声」でした。音を発することのない「声」。それは、権力者と同じように、我々が無視していたかもしれない「声」でした。

耳に聞こえる声だけでなく、手話による声をも声として捉えていく。フツーの市民の声のなかに、手話も含めていくことがフツーに意識されていくことも重要である、というメッセージが込められていました。

今回の「声とノイズ」というテーマ、なかなか深いものを感じた第1日目となりました。

2018年4月25日水曜日

予告:マカッサル国際作家フェスティバルに和合亮一氏が参加

インドネシア・スラウェシ島にある都市マカッサル。筆者ものべ8年半住んでいた、人口100万人のこの地方都市では、2011年から「マカッサル国際作家フェスティバル」(MIWF)が開催されています。

今年は8回目、5月2~5日、海に近いロッテルダム要塞公園をメイン会場とし、市内各所にサブ会場を設け、様々なセッションが繰り広げられます。下の写真は、昨年のフェスティバルの様子です。


マカッサルやその他のインドネシア国内のほか、オーストラリア、シンガポールなどの海外から様々な文学者が出席し、知的刺激に満ちた活発な活動が繰り広げられます。

筆者は、これまでほぼ毎年出席し、その様子は、ブログでこれまで紹介してきました。以下に、昨年のフェスティバルに関する記事のリンクを貼っておきます。

 国際作家フェスティバル、テーマは多様性

 2つのセッションでパネリスト

 動く動く移動図書館ほか

 国際作家フェスティバルのフィナーレ

今年のテーマは、Voice and Noise、です。2018年の統一地方首長選挙、2019年の大統領選挙と、政治の騒がしい季節を迎える中で、市民社会が批判的かつ明確な声を上げ続けていくことが必要だ、という主張を出していきます。


そして、今年のフェスティバルには、福島の詩人・和合亮一氏に参加していただくことになりました。和合氏には、フェスティバルのなかで、震災後から現在に至る福島の声を伝えていただき、詩の朗読もお願いする予定です。


上の写真は今年2月、マカッサル国際作家フェスティバルの主宰者であるリリ・ユリアンティさんを福島にお連れし、和合氏と面会したときのものです。

ちなみに、和合氏については、『現代詩手帖』2018年4月号で特集が組まれています。


福島とインドネシアをつなぐ・・・。今回はマカッサルですが。これが第1弾です。

併せて、実は、今年、マカッサルから文学者を福島へ招聘する計画もあります。

今回、和合氏が伝える福島がマカッサルでどう受け止められるか、そして和合氏はマカッサルから何を感じて福島へ何を持ち帰るのか。

筆者が震災後、ずっと願っていた、和合氏のインドネシアへの招聘を実現できることになり、言葉に表せない喜びと、何が起こるかとワクワクする気持ちが湧いてきます。

もちろん、来週開催のマカッサル国際作家フェスティバルの様子は、本ブログでしっかりお伝えしていきます。乞うご期待。

2018年4月23日月曜日

よりどりインドネシア第20号を発行

4月23日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第20号を発行しました。以下のサイトにて、読者登録のうえ、ご覧になれます。

 よりどりインドネシア第20号

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを日本社会にもっと知ってもらうことを目的に、毎月2回、私が発行しているウェブマガジンです。

今回の「よりどり」は、以下の4本です。

ジョコウィ大統領は2018年3月26日付大統領令2018年第20号に署名し、外国人就業に関する規制緩和を実施しました。また、これに関連して、インドネシア国内の大学において、外国人教員の長期正式雇用を進める方針を打ち出しました。今回の措置は、中国人就業者の増加と絡んでいる部分があるため、「ジョコウィ政権は中国寄り」との批判をさらに強める可能性があります。本稿では、そうした背景と問題について解説しました。

中ジャワ州ウォノソボ在住の神道さんの好評連載の第4回です。今回は、神道さんの日常生活のなかで出会う人々の「暗闇」に対する感覚を取り上げています。我々現代の日本人の明るさに関する感覚との違いを感じていらっしゃいますが、もしかすると、それは昔の日本人が持っていた「暗闇」の感覚に近いものがあるのかもしれません。神道さんの名調子と合わせて、ぜひ、ご一読ください。


インドネシア在住でインドネシアの歌の好きな方ならよくご存じの「リソーイ」。この曲の作曲者がナフム・シトゥモランだということをご存知の方は、どれほどいらっしゃるでしょうか。私も今回初めて知った、ナフム・シトゥモランの生涯について、先週発売の『テンポ』の記事を参考に書いてみました。今後も、「忘れられたインドネシア人」を発掘し、取り上げていきます。

「よりどり」では、筆者がインドネシアで食べてきた美味しいものを色々紹介していますが、今回は、ボゴールで食べたマカロニ入り焼きグラタン、マカロニ・パンガンです。ボゴールに行かれたら、ぜひ、MPへ立ち寄ってみてください。



「よりどりインドネシア」は、ウェブサイトからクレジットカードにて読者登録いただく方法以外に、銀行振込も可能です(6か月分または1年分まとめてのお支払いとなります)。銀行振込の場合は、毎回、PDF版を指定メールアドレスへ送らせていただきます。請求書、領収証も発行いたします。

また、皆さんからの「いくつものインドネシア」に関する原稿の投稿も募集しております(薄謝ですが原稿料もお支払いします)。

なお、第0号から第19号までのバックナンバーは、こちらからご覧いただけます。

 バックナンバー

引き続き、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。

2018年4月18日水曜日

ふくしま百年基金設立発起人になりました

少し前の話ですが、4月7日、郡山市民文化センターの会議室で開催された、ふくしま百年基金設立発起人会に出席しました。


ふくしま百年基金の話は、3月7日にふくしま連携復興センターの山崎氏と斎藤さんに出会い、設立発起人となることを強く勧められました。そして、趣旨に賛同し、その場で登録用紙に必要事項を記入し、ささやかな額の出資金を払って、簡単に設立発起人になったのでした。

ふくしま百年基金とは何か。ホームページはこちらです。

 ふくしま百年基金

簡単に言えば、コミュニティ財団というか市民ファンドというか、市民の寄付によって集めた資金を市民のために使うための基金、ということになります。

ふつう、財団とかファンドとかいうと、企業のフィランソロピーやCSRの一環として、企業が収益の一部を基金とし、それを市民活動などへ使ってもらう、という形が一般的ですよね。

このふくしま百年基金は、企業の収益金を基にするのではなく、これからの福島の未来に役立ててほしいという志を持った市民の浄財を広く集め、それを福島のために貢献したい市民や団体などが活用できるしくみづくりなのです。

自分のお金を福島のために使ってもらいたいけれど、どこに託していいか分からない。他方、今後の福島のためになる活動をしたいけれども、どこから資金を調達できるか分からない。そんな両者をつなぐ仕組み、といってもいいかもしれません。

この仕組みだと、誰かが上に立って自分の思うとおりに仕切る、ということは起こらず、設立発起人の誰もが平等な同じ立場で、この基金をどのように運営していくか、率直に知恵を出し合えます。特定の誰かが牛耳ることもできない、ということも、筆者が心惹かれた要因でもあります。

なぜ百年なのか。これは、この基金が目の前のことだけではなく、自分の子どもや孫の世代にとってよりよい福島になっていくための役目を果たし続けてほしい、という願いから出たものです。

と同時に、浪江町出身の発起人の方がおっしゃっていましたが、原発事故で避難を強いられた地域が本当に復興するには残念ながら百年はかかるのではないか、という思いもそこに含まれていることを改めて思いました。

私自身は、この基金が「福島のためだけ」「福島さえよければいい」というようなものになってほしくはありません。この基金を活用した様々な市民活動が、日本の、そして世界のためにもユニークかつ有益な活動事例となり、福島発の様々な貢献につながるものになることを期待します。そして、新しいコミュニティ財団の在り方を世界に向けて提案できるような役目も果たしていければとも思います。

この基金への賛同者を増やし、規模を大きくして、様々な市民活動を促していけるように、ふくしま百年基金をじっくりと育てていかなければならないと思っています。

福島で百年の単位で有益な新たな何かを生み出したい、創っていきたい、そんなモノやコトが起こることを期待して自分もその仲間に加わりたい、と思われる方は、是非、ご賛同いただき、仲間に加わってほしいです。

4月7日現在、設立発起人は174名、寄付総額はまだ720万円にすぎません。そして、4月11日、一般財団法人ふくしま百年基金として正式に登記されました。くしくも、弊社松井グローカル合同会社と同じ設立日となり、何かの縁を感じます。

まだ設立したばかりで、どこへどのように寄付をするのがよいのか、まだインターネット上でははっきりしていないようですので、分かり次第、お知らせするようにいたします。引き続き、ふくしま百年基金にご注目ください。

2018年4月16日月曜日

著名なジャズサックス奏者MALTA氏をインドネシア大使に紹介(動画付)

ひょんなことで、4月12日、日本の著名なジャズ・サックス奏者であるMALTA氏を在日インドネシア大使に紹介する機会を得ました。


MALTA氏と言えば、1970年代から活躍してきたサックス奏者であり、間もなく70歳になる今も、もちろん第一線のプレイヤーとして、各地を飛び回って意欲的な演奏活動を行っています。同時に、東京芸術大学や大阪芸術大学で教鞭をとる一方、全国各地で若手演奏家や子供たち向けにジャズ・サックスを指導して回ってもいます。

 MALTA Official Website

その意欲的な活動を見ていると、頭が下がる思いです。生涯現役を地でいくかっこいい先輩の一人と位置づけました。

筆者はMALTA氏自身を以前から存じておりましたが、実際にお近づきになったのは、昨年11月11日、大分県佐伯市での彼のコンサートでした。そのときの模様は、過去に本ブログの以下の記事で書きました(よろしければご一読ください)。

 音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

佐伯では昨年、さいきミュージックアートクラブという市民団体ができ、音楽を通じてまちおこしを進めているのですが、その第1回コンサートの演者として、MALTA氏が登場したのでした。

大分県の一番南端、宮崎県との県境にある佐伯で、MALTA氏の知名度もさほど高くない場所にもかかわらず、コンサートは大いに盛り上がり、成功裏に終えることができました。

MALTA氏のサックスを聴いて体が元気になった、という方がいるという噂も聞きましたが、本当に、体中がスイングしながらどんどん元気になっていくような、そんなMALTA氏の演奏でした。

ちなみに、MALTA氏も佐伯が気に入った様子で、今年9月22日、再び、さいきミュージックアートクラブ主催でMALTA氏のコンサートが実現するそうです。

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そんなMALTA氏が今、インドネシアに興味を持ち始めています。とくに、新しい若手ジャズ・ミュージシャンが続々と頭角を現し、アジア有数のジャズの盛んな場所として、注目されています。

MALTA氏は佐伯でのコンサートをきっかけに、さいきミュージックアートクラブの中心メンバーの一人である山中浩氏と親交を重ね、インドネシアに日系工場を持つ山中氏からインドネシアの魅力を教えられ、さらに興味を深めたようです。

そこで、MALTA氏側から「インドネシア大使館へご挨拶にうかがいたい」という相談を筆者が受け、今回の訪問につながったのでした。

在日インドネシア大使館のアリフィン大使は我々を大歓迎してくださいました。

大使ご自身もジャズがお好きとのことで、ご自分のスマホを取り出し、昔の級友らが結成して活動しているセミプロのジャズバンドや、史上最年少でグラミー賞を獲得したインドネシア人ジャズ・ピアニストのジョイ・アレクサンダー氏(15歳)などの映像をMALTA氏にお見せしては、楽しそうに英語で会話が弾んでいました。

そうしているうちに、大使から「今、ここでサックスを吹かれないんですか」という呼びかけがあり、なんと、MALTA氏は、大使の前で生のサックス演奏までしてしまうのでした。これには、大使も本当に大喜びの様子で、書記官にサックス演奏の様子をスマホで動画に撮らせ、すぐに友人たちへ動画を送るのでした。


わずか30分の面会ではありましたが、初対面にもかかわらず、アリフィン大使に大変歓迎していただき、ここに改めて感謝の意を表する次第です。

MALTA氏は、これまでの経験に基づいた自分の演奏を通じて、日本とインドネシアのさらなる友好関係深化に寄与したいと考えており、インドネシアで演奏の機会があることを願っています。

そして、演奏の機会があれば、併せて、インドネシアの子どもたちや若者たちにサックス演奏のレッスンなどもしてみたいそうです。

MALTA氏は縁やつながりをとても大切にされる方で、一度、インドネシアで演奏できたら、次からは毎年、インドネシアで演奏を続けていきたいとのことです。実際、佐伯には、昨年に続き、今年もコンサートを開催し、「毎年佐伯へ来る」とおっしゃっています。

たとえば、9月8~9日に予定されているジャカルタ・ジャパンまつり(JJM)などに出演できたらいいのではないか、と、元JJM関係者の一人だった筆者としては、個人的に思うのですが、いかがなものでしょうか。

このような機会を通じて、日本とインドネシアをつなげようとする方々のお手伝いができることをとても嬉しく思っています。まだまだ、つなげていきますよ!

(本ブログの内容は近日中にインドネシア語ブログでも発信する予定です)

2018年4月12日木曜日

会社設立1周年を迎えました

2018年4月11日、福島市に松井グローカル合同会社という名の一人会社を設立して1年が経ちました。個人事業主は廃業し、今はこの法人1本です。会社を設立したものの、活動自体は、個人事業主時代とあまり変わらないまま、1年が経ったというのが実状です。

福島市の弊社オフィス前で咲く満開の八重桜

法人を設立して、法務局、税務署、県庁、市役所のほか、健康保険や厚生年金の手続も行い、一人会社とはいえ、法人として必要な手続を曲がりなりにも進めてきました。

まだまだ収入基盤が固まらず、企業としての安定性を作っていくのはこれからです。しかも、自分がやりたいと思っている活動は、どれもが利益第一ではないものばかりで、どのように収入基盤を固めていくのか、まだしばらくは試行錯誤を続けていくことになりそうです。

営業活動をほとんどしてこなかったことも反省材料です。でも、これは、意義のある仕事を求めながら、少しずつ増やしていきたいと考えています。

そうは言うものの、4月になって、今まで仕込んできたものが動き始めたように思えます。

まず、念願の、福島とインドネシアとをつなげる事業が、今年、少なくとも3本、動かせそうです。分野としては、それぞれ農業、教育、文化に関係します。40年ぶりの福島出戻り組として、福島の外の世界への窓としての役割を自覚し、福島に新しい価値を付加できるように活動していきたいと思います。

インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングも開始します。幸運にも、福島や東北に所在するインドネシア人技能実習生ネットワークやインドネシア人の方々と知り合い始めており、より有意義な活動を展開していく基礎ができ始めました。

インドネシア人技能実習生の関連では、ほかにも、ある日系企業と組んで、活動する計画があります。詳細が固まっていくなかで、またお知らせできると思います。

地域づくりや地域おこしに関する活動にも、関わっていきます。地域の方々自身が自分たちの足元を見つめ、主体的に地域に関わっていけるような気づきを促す、教えないコンサルティングに磨きをかけていきます。

そのほか、福島以外の日本の地方とインドネシアの地方とをつなげる事業にも関わります。ただ単につなげるだけではなく、そのつながりから創り出されるモノやコトの価値を意識しながら、つなげた後も、しっかりとサポートしていきたいと思っています。

当面は一人で活動していきますが、状況次第では、社員を雇用することも考えていく必要が出てくるかもしれません。また、日本、インドネシア、その他世界の他社と組んで、事業を行っていくことも、考えていきたいです。

なお、福島の弊社と同じ敷地内にある古民家の活用について、様々な人々が安心して活用できる、福島市のパブリック・スペースとして、整えていく考えです。私自身も、いくつかイベントを考えていますが、皆さんのなかで、古民家を使ったイベントや活動をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。

そんなわけで、1年前よりも、色々わくわくするような展開になりそうな予感があります。まだまだヨチヨチ歩きではありますが、皆様からのご指導・ご鞭撻、そして協働のほどをよろしくお願い申し上げます。

面白いこと、楽しいことをしていきたい、です!



2018年4月8日日曜日

よりどりインドネシア第19号を発行

4月8日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第19号を発行しました。以下のサイトにて、読者登録のうえ、ご覧いただけます。

 よりどりインドネシア第19号

「よりどりインドネシア」は、いくつものインドネシアを日本社会にもっと知ってもらうことを目的に、毎月2回、私が発行しているウェブマガジンです。

今回の「よりどり」は、以下の4本です。

大統領選挙とスクマワティの詩の波紋(松井和久)
スカルノ初代大統領の娘であるスクマワティの読んだ詩が政治的な波紋を呼んでいます。その顛末を説明しました。

スラバヤの新バスは運賃をゴミでも支払える(松井和久)
公共交通機関が退化した町スラバヤ。4月に運行を開始する新バスは運賃をゴミでも支払える!?どういうことなのでしょうか。



ロンボクだより(6):「恋人と一緒に登っていいですか?」(岡本みどり)
今回の岡本みどりさんのロンボクだよりは、恋人とリンジャニ山へ登れるかという問題です。



ソロのナシ・リウェットの思い出(松井和久)
ソロの名物ナシ・リウェット。スラバヤ行きの列車に乗る前に、何とか味わえた経験談を書きました。



「よりどりインドネシア」は、ウェブサイトからクレジットカードにて読者登録いただく方法以外に、銀行振込も可能です(6か月分または1年分まとめてのお支払いとなります)。銀行振込の場合は、毎回、PDF版を指定メールアドレスへ送らせていただきます。請求書、領収証も発行いたします。

また、皆さんからの「いくつものインドネシア」に関する原稿の投稿も募集しております(薄謝ですが原稿料もお支払いします)。

なお、第0号から第18号までのバックナンバーは、こちらからご覧いただけます。

 バックナンバー


引き続き、「よりどりインドネシア」をよろしくお願いいたします。