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2020年7月16日木曜日

今年も東京の自宅でお盆



毎年の恒例ですが、今年も東京の自宅でお盆をしました。お盆といえば、故郷の福島では8月半ばの旧盆ですが、東京では7月半ばの新盆を指しています。

このお盆の時期に、ご先祖さまがしばし戻ってきて、この世で一緒に過ごした後、また向こうの世界へ帰っていく、というひと時を毎年繰り返しています。

ご先祖さまがこの世へ戻ってくるときの乗り物として、ナスで牛、キュウリで馬をつくって、飾ります。


7月13日、ご先祖さまをお迎えするための「迎え火」を焚きます。まずは、家の門を開けて、迎え入れる準備をします。


門を開けたら、焙烙(ほうろく)の上にオガラをやぐらのようにのせます。


これに火を点け、煙を焚いて、ご先祖さまが帰ってくるための目印とします。


オガラが燃え尽きてくると、チラッチラッと赤く残り、ゆらゆらっと揺れて、きれいで見とれてしまいます。


後は、ミソハギに水をつけ、それを燃え尽きたオガラの上に降りかけて浄め、水をかけて完全に火を消します。家の門を閉めます。


こうして、ご先祖さまを家に招き入れ、しばらく、一緒に過ごします。

7月16日、いよいよ、ご先祖さまとお別れの日となりました。ご先祖さまにあちらの世界へ戻っていただくための「送り火」を焚きます。

やり方は、基本的に、迎え火のときと同じです。家の門を開け、焙烙の上にオガラを置いて火を点け、煙を立てて、ご先祖さまが戻っていくための道すじを示します。

オガラの火が燃え尽きたら、ミソハギで水をかけ、火を完全に消したら、ご先祖さまにお別れをして、家の門を閉めます。

我が家では、たまたま、この新盆の間に、家族の命日が2回あります。かつて、この場所で一緒に暮らしていた大切な人の姿を、より強く感じる4日間なのでした。



2020年3月15日日曜日

101年の歴史に幕

3月14日、妻と一緒に、東京都心の小さなメガネ屋さんを訪れた。妻の頼んでいたメガネを取りに行くためだった。この日に必ず行かなければならなかったのだ。

この日が、メガネ屋さんの最後の日だった。


1920年にメガネ卸商として開業し、今年で101年目。店主のおじさんは2代目。80歳代後半となり、病気もあり、体力的に店を続けるのが難しくなったとのこと。

妻の亡き父親が、かつて知人から腕のいいメガネ屋さんとして紹介され、それ以降、妻の家族がずっとお世話になってきた店で、店主のおじさんは、妻のまだ幼い頃からずっと知り合いだった。

私も30年前、一度、ここでメガネを作ったことがある。ずっとよかった視力が落ちて、運転免許証の更新ができるかどうか不安になり、年のためにつくってもらったのだ。

その後、ジャカルタに2年間滞在している間に、あまり仕事をしなかったせいか、視力が回復し、メガネを日常的にかけることはなくなった。

そのまま今に至るが、今は、細かい数字や地図を見るときなどに、このメガネをわずかの時間だけかけることがある。


店主のおじさんのメガネのプロとして歩んだ人生と、彼を支え続けてきた温厚なおばさんの人生を思い、心から「ごくろうさま」の言葉をお二人にかけた。

都心の名もなき小さなメガネ屋が一つ、101年の歴史を閉じた。

店の外の気温は2度。水気を多く含んだ春の雪が降り続いていた。

2020年1月27日月曜日

歳を一つ重ね、父の早期退職の歳を思い出す

1月26日、歳を一つ重ねた。亡き父が定年2年前に早期退職したときの歳と同じ歳になった。

あのとき、父はなぜ早期退職を決意したか。それは私が大学を卒業し、就職するからだった。区切りが一つ付いた、と言った。

定年まで辞めなければ、県内のある組織の会長になっていたことだろう。でも、父は、そうした会長という職務に名誉や価値を感じていなかった。面倒くさい、と言った。

第二の人生を送りたい、とも言っていた。その頃の父は、中国やタイからの留学生の世話をし始めていた。退職後は、そうしたささやかな国際交流をしたいと願っていた。

その時から亡くなるまで、約25年間、留学生などと触れ合い、元気だった頃は、年に1回程度、友人たちと海外へ旅行に出かけていた。とても楽しそうだった。

そんな父が、人生における一つの区切りをつけた歳に、私も届いた。

退職という意味では、父の歳よりずっと前、今から12年前に私は自分で早期退職した。そこで自分なりの区切りをつけた。

自分のやりたいことの、第二のステップへ向かうために。

でも、この12年は、決して順風満帆ではなかった。ときには、自分なりの区切りをつけたことを後悔もした。生き方が下手だと自分を責めさえした。

父が早期退職した歳と同じ歳になった自分は、今でも現在進行形のままだ。自分の判断や生き方が正しいのか、適切なのかも確証を持てないまま、もがき続けながら、前へ進もうとする毎日を送っている。

他人とは比べない。もう比べられない。自分の道を歩むしかない。

父よ、私はまだ終わらない。前へ進む。やるべきことはまだまだたくさんある。まだまだ心細いかもしれない私だが、どうか、ほほえみながら見守っていて欲しい。

2019年9月2日月曜日

変わりゆくマカッサルの夕陽の移ろい

8月23日、ダリケーのカカオツアーの最後は、参加者と一緒に、マカッサルで夕陽を見ました。この日はやや曇り気味で、水平線に落ちる夕陽は期待薄だったのですが・・・。

日が落ちる前、日が落ちる瞬間、そして日が落ちてしまった後、その移り変わりをじっくりと味わうことができました。


2019年8月30日金曜日

自宅で上棟式

2019年8月29日、朝から大工さんとトビの方々が入って、作業をしていたと思ったら、夕方には、棟上が終わって、上棟式となりました。


2019年7月14日日曜日

今年も東京でお盆の季節

東京の我が家は、今年もお盆の季節を迎えました。

東京は、7月13〜16日頃までの新暦でお盆を迎えるのが一般的のようですが、日本の多くの地域では、8月半ばに旧暦でのお盆を迎えるところが大半ではないかと思います。

我が家では、今年も、提灯をつけ、行灯を灯し、野菜などのお供え物と、キュウリとナスで作った馬と牛を作りました。それらをマコモの筵の上に置きます。


キュウリの馬とナスの牛は精霊馬、精霊牛と呼ばれ、前者は、ご先祖さまの霊ができるだけ早く戻ってくるための乗り物であり、後者は、できるだけこの世に留まっていられるようにという意味を込めたあの世に戻る時の乗り物なのだそうです。

2019年7月5日金曜日

自宅の地鎮祭を行いました

私的な話で恐縮ですが、東京の自宅を新築することになり、本日(7/5)、地鎮祭を執り行いました。


これまで約2年をかけて、建築事務所とゼロから中身をじっくり話し合ってきて、先月、ようやく旧宅を解体し、地鎮祭にこぎつけた次第です。

我が家が氏子となっている天祖神社の神主さんの指導に従い、施工者の建設会社さんを中心に場所が設営され、スルメの結び方なども教授されました。


神さまをお呼びし、建設の進捗と家の安全を祈り、妻と私の施主2名で鍬入れを行いました。神さまにお帰りいただいた後、建設区域の四隅に、米と塩をまき、区域に沿って酒を注ぎました。

これまで、新築へこぎつけるまでには、様々なハードルがありましたが、これで建設へ向けての一つの区切りを終えることができました。

私たちの家族の色々な思いが詰まった新しい自宅、どんな家になるのでしょうか。順調に行けば、来年初めに完成の予定です。楽しみに見守っていきます。

2019年6月21日金曜日

久々に素敵なイタリアン・ランチ

6月18日は、久々に、二人で素敵なイタリアン・ランチを楽しみました。

場所は、高田馬場の老舗イタリアン。もう何十年もよく行く店です。ちょっと時間をずらして行ったせいか、待たずに席に座ることができました。

最初は冷たいジャガイモのスープ。ジャガイモの味がよく出ていて美味。


前菜3種盛り合わせ。これも美味しい。以前は、5種だったような・・・。


パスタは、イタリア国旗をイメージしたニョッキと色々な肉の手打ちパスタ。




2019年3月30日土曜日

東京の我が家の桜が満開、来年の今頃は・・・

東京の自宅には、妻方の先代が戦後すぐに植えた桜(ソメイヨシノ)の木が一本あります。おかげさまで、毎年、自宅の庭でお花見を楽しむことができます。




ほかにも、我が家の近くには、ネットには載らない、穴場的な桜並木があります。昨日通ったら、ちょうど満開でした。




この桜並木では、地元の商店会がさくらまつりをするのですが、なぜか、いつも満開から1週間後に開催なのです。

でも、この桜並木の見どころは、満開の桜だけではありません。散るときの桜吹雪が、それはそれは見事なのです。さくらまつりは、実は桜吹雪を楽しむためなのかもしれません。

我が家の庭にも、近くの桜並木にも、今は桜が咲き誇り、とても気持ちのいい季節になりました。

我が家の庭には、桜以外にも、様々な花が咲き始めています。




来年の今頃も、きっと、また家の庭の桜の木を見ながら、ささやかなお花見をしていることでしょう。

私たちの家族だけでなく。

ここに集う、インドネシアなどからの新しい友人たちと一緒に・・・。

もし、シェアハウスが完成していたなら・・・。

完成しているかどうか? それは、神のみぞ知る・・・ですね。

2018年9月5日水曜日

ジャカルタの「父」を見舞う

9月3日、ジャカルタに到着後、そのまま、ジャカルタの「父」を見舞いに行きました。

筆者には、インドネシアに複数の「父」「母」がいるのですが、そのなかでも、最も高齢で、最も世話になった「父」を見舞いに行きました。

見舞い、というのは、一週間ほど前、それまで家族と散歩するなど元気だった「父」の容態が突然変化して入院、集中治療室に入ったという連絡があったためです。意識も衰え、大量出血したそうです。「父」は87歳、家族もいったんは覚悟しました。

その後、病院側の献身もあって、奇跡的に「父」の容態は回復し、出血も止まり、意識も回復して、集中治療室から通常の病室へ移り、「なぜこんなところにいるのだ」「カプチーノが飲みたい」などと言うようになり、ほどなく、退院することになったのでした。

「父」は娘夫婦の家で受け入れ、静かに療養中でした。姪によれば、「ガドガド(茹で野菜をピリ辛のピーナッツソースであえたもの)が食べたい」などと繰り返していたそうです。

空港から「父」のいる娘夫婦の家に到着、休んでいた「父」が現れて、会うことができました。退院したばかりで、ちょっと疲れが出ている様子でしたが、娘夫婦や、さらにかけつけた姪夫婦らと一緒に、夕飯の食卓を囲みました。

「父」はまだ普通の食事は制限されていて、やわらかいご飯に辛くない薄味の柔らかくした野菜などをまぜた別メニューを「母」が食べさせてあげました。

一週間前に聞いた情報からすると、こうして一緒に食卓を囲んでいることがなんだか本当に奇跡のように思えました。「父」と「母」と記念の写真を撮ってもらいました。


思い返せば、「父」と初めて出会ったのは、最初の勤務先である研究所に入所した33年前でした。その頃、「父」はインドネシア中央政府の某官庁で次官を務める高級官僚。歴代の研究所の先輩研究者たちが世話になった大事な方でした。先輩研究者たちがまだペーペーの筆者に「父」を紹介してくださったのです。

その後、折に触れて、「父」に支えられました。研究所の海外調査員として2年間ジャカルタに滞在し、インドネシア大学大学院で学んだときには、「父」が身元保証人になってくれました。もっとも、そのとき「父」は研究所の客員研究員として日本に滞在しており、ビザ更新のレターなどは、前もってフォーマットをお送りして署名していただき、ジャカルタへ送り返してもらっていました(インターネットなどというものがなかった時代の話です)。

詳細は省きますが、あるとき、筆者が心折れて、絶望したくなるようなことがありました。そんなときに、なぜか「父」がたまたま現れ、一緒に食事をし、筆者の話を微笑みながら聴いてくれました。「父」と会ったことで、筆者は救われたのでした。

インドネシアにいるたくさんの恩人のなかでも、「父」はとくに大事な恩人でした。

そんな「父」だから、何としてでも会いに行きたかったのです。そして、会うことができて、あまり言葉は発しませんでしたが、「父」は、疲れ気味ながら、うれしそうでした。

4日朝、姪から「父」の様子を伝えるメッセージが来ました。筆者があったときとは打って変って、「父」は元気になり、よくしゃべり、筆者のことを「どこへ行った、どうしてる?」と尋ね続けたそうです。筆者の来訪がきっと「父」を元気にしたんだね、と姪は綴っていました。

よかった。よかった。本当によかった。

まだまだ容態はアップダウンあることでしょうが、元気でいてほしい。もうすぐ、以前の通り、「父」はガドガドを楽しく食べられることでしょう。

今週、「父」は、米寿をむかえます。

2018年6月24日日曜日

夕焼け空を母と見上げた

6月24~26日は、福島です。

先ほど、夕方、福島に着きました。今日の日中の福島は東京よりも熱かったようですが、夕方になると、さわやかな風が南から吹いて、歩いていて気持ちのいい陽気でした。

実家へ歩いて帰る途中、ふと西の空をみると、空が赤くなり始めていました。吾妻連峰のシルエットが映えています。福島製作所前の交差点で、空がパッと広くなり、上空を飛行機雲が通っていき、その線がぼやけていきました。


三河踏切を渡って、振り返ってみた線路(奥羽線)と高架(山形新幹線)を背にした夕焼けも、きれいでした。


自宅そばの小学校の校舎を包むような、やわらかな夕方の陽のひかり。


実家に着いて、すぐに母を呼びました。何事かとバタバタかけてきた母と、一緒に空を見上げました。


しばし、無言で、空を見上げ続ける母と私。

人間がおそらく絶対に創り出せない色合いや形状、そしてこのマジックアワーの何とも言えない雰囲気。

「まだ子供だった頃、毎夕、屋根の上から、一番星が出るまでずっと夕焼け空を眺めていたのよ」 ポツリと母がつぶやきました。

筆者も、今から20年以上前、家族3人で、マカッサル沖に沈む夕日を海岸から眺めていた日々を思い出しました。

世界のどこかで、おそらく必ず、今、この瞬間に、それぞれの夕日を眺めている人々がいることでしょう。そんなことを思います。

夕日を眺める豊かで美しい時間を、決して失いたくない、他の人のそれも決して失ってほしくない、と思いました。

夏至を過ぎたばかりの福島の夕焼けでした。

2017年8月19日土曜日

今週は福島、来週はスラウェシ

久々の投稿となってしまいました。

8月15〜17日は、妻と一緒に福島へ行っていました。

まずは、実家の母や弟たちと一緒に、亡き父の墓参りへ行きました。

翌日は、盆休み中の弟と妻と一緒に私のオフィスへ行きましたが、床が汚れていると言って、さっそく掃除。ホームセンターで必要な備品を買い物した後、オフィス入口の床板が腐食していたので、応急措置をしました。


オフィスと同じ敷地内にある、雨上がりの古民家。古民家のオーナーに挨拶し、妻を紹介して、しばし歓談しました。

8月15〜16日は盆休みの弟が、そして17日は弟の嫁が我々の相手をしてくれました。

実家に帰る途中で、季節も終わりかけの桃「あかつき」を箱買いして、実家で食べました。もちろん、硬くて甘い桃でした。


福島から東京へ戻り、18日は都内でなかなか有意義な会議を終え、明日20日からは、ダリケー株式会社による、インドネシア・スラウェシへのカカオ農園ツアーのお手伝いに行ってきます。

帰国は27日。今年はどんなツアーになるか、どんな面白い方々とお会いできるか、楽しみです。

2017年8月10日木曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(1)

夏休みと宣言して、8月6〜9日、妻と二人で長野市と志賀高原へ行ってきました。娘がちょうど長期で不在となっているこの時期、本当に久しぶりに、東京の自宅を離れて、二人で旅に出ました。

とにかく、涼しいところへ行きたい!という妻のリクエストもあり、東北海道なども検討したのですが、最終的には、志賀高原へ行くことにしたのでした。

個人的には、本当は、久々に香港か台湾へ行って、存分に食べまくりたかったのですが・・・。涼しいところが優先、でした。

6日は長野市で1泊。その目的は、ここでした。


長野駅前のちょっと路地を入ったところにある映画館「長野千石劇場」。東京で観そびれた香港映画「コール・オブ・ヒーローズ」を観るためでした。

2017年4月8日土曜日

花見客のいない桜の「名所」

東京都心の桜は満開をそろそろ過ぎ、ちらほらと花が一つ二つと散り始めました。

花見といえば、酒を酌み交わし、楽しく過ごすたくさんの人々が満開の桜の下に集っています。花見の名所ともなれば、場所取りの競争も激しく、夜の会のために、朝早くから場所取りをするのが、新入社員の最初の仕事、なんていう話もありました。

花を見に行くのか、人を見に行くのか。そんな風景が花見の名所では見られます。

幸いなことに、私の東京の自宅には、古くからの桜の木があり、自宅で花見ができるのが嬉しいです。ちょっとぜいたくではありますが。

でも、自宅から歩いて数分のところの坂には、それは見事な桜並木があります。しかも、地面に敷物をひいて宴会を楽しんでいる人はいません。通りすがりの数人の人たちが、桜の木を見上げて、盛んに写真を撮っていました。

2017年3月16日木曜日

今週の後半は福島

3月16日から18日までは、福島市の実家に来ています。

もう少し早く東京の自宅を出る予定だったのですが、ちょっと色々もたもたして、福島に着いたのはもう夕方でした。


実家の周りは、数ヶ月前からアパート2棟の建設工事中。この土地を持つ地主さんが、実家の敷地を除く土地にアパートを建てています。それ以前は、何軒かの貸家があったのですが、それを全部壊して、アパートを建てているのです。

実家の近辺には、こうして新しく建てたアパートやこれから新しく建てるアパートが幾つも見られます。

2017年3月5日日曜日

明治神宮の芝生とポニー公園

午後、用事があって、妻と一緒に代々木の某所を訪れた後、久々に、北参道から明治神宮の広い芝生へ行ってみました。



それほど寒くない陽気の中、数は少ないものの、人々が思い思いに芝生でくつろいでいました。

2017年2月21日火曜日

侠女と龍門客桟を堪能

今日は、某新聞社のシンポジウムに行きたかったのですが、応募抽選結果が当選とも落選とも知らされなかったので、あ、落ちたんだな、と思って、ちょっと残念だったのです。

でも、その代わりに、渋谷のユーロスペースで、キン・フー監督の映画「侠女」と「残酷ドラゴン血闘龍門の宿(龍門客桟)」の2本を堪能することができました。


この2本の台湾映画は、2013年に台湾政府の資金援助を受けて、デジタル修復されたものです。キン・フー監督の作品を見るのはおそらく初めてだと思いますが、聞いていた評判に違わず、時代を感じさせない見ごたえのある作品でした。

制作年代では、「龍門客桟」が1967年、「侠女」が1971年なのですが、今回の上映では、「侠女」「龍門客桟」の順でした。「侠女」は英語の題名が A Touch of Zen、「龍門客桟」は Dragon Gate Inn なのですね。

2017年2月20日月曜日

トルコ料理店のレディースコースが重量級

東京・有楽町にある、日本で最初のトルコ料理レストラン「イスタンブール」へ行ってきました。創業は1988年、意外にトルコ料理レストランの歴史は新しいという印象です。

今日は、2月の月曜日のせいか、有楽町周辺のショッピングセンターは休館が目立ち、最初のお目当の中華料理店も臨時休業、ということで、やむなく、「イスタンブール」へ行きました。

月曜日は、レディスコースが通常3500円が2800円へ割引になります。妻と娘と3人で行ったのですが、女性だけでなく、女性連れであれば男性もレディスコースを注文できるということで、3人揃ってレディスコースを注文しました。

ひよこ豆のポタージュスープの後、出てきた前菜盛り合わせ。厚手のトルコパンと一緒にいただきます。

2017年2月10日金曜日

イッツベジタブルは日本で一番新しい台湾料理の店 !?

妻と待ち合わせて、どこで夕食をとるか色々悩んだ末、錦糸町の台湾料理屋に行きました。総武線の高架下にある、その店の名前は、イッツベジタブル(苓々菜館<りんりんさいかん>)。

実は、台湾では精進料理も有名らしいのですが、台湾へ行っても、まだ食べたことはありませんでした。どんな精進料理なのか、楽しみに行ってみました。


2017年1月30日月曜日

我々の結婚生活の原点

今日は、妻の用事に付き合って、東京都内の某市へ出かけました。

この某市は、我々が結婚して初めて生活した街でもあります。駅周辺はすっかり変わり、新しいショッピングセンターができていました。古ぼけた公会堂は、新しいコミュニティセンターに変わっていました。

反面、我々が毎日のように利用していたスーパーマーケットはなくなり、家電量販店に変わっていました。路地裏にあったはずの八百屋も総菜屋もなくなっていました。

さて、我々が結婚して最初に暮らしたアパートはどうなっているのか、気になって行ってみました。当時は新築、今や築27年の中古アパートです。