2017年12月28日木曜日

自分にしかできないことを高める

先日、友人から人生相談を受ける機会がありました。何かアドバイスできるような立派な人生など歩んでいるわけではないですが、ともかく、彼より少しシニアだということで、お会いすることにしました。

話を聞きながら、自分も、かつて、いや今も、自分の生きていく道筋について悩んできているということを改めて思いました。

ポジティブ全開の人も含めて、どんな人でも、自分に対して正直になったとき、今まで歩んできた道を少しも後悔しない人はいないのではないか、と思います。自分が計画した通りのベストな人生を歩んでいると実感している人はいないのではないか。

でも、自分が歩んできた道がベストだったのだ、と思って生きることは大事なことだと思います。思い描いたベストな人生ではないかもしれないけれど、今の自分は過去からの様々な出来事の因果関係の連鎖のうえに成り立っていて、後から振り返ると、これで良かったのだと肯定しないと、やっていられないように感じるのです。

相談した友人は、現状への不満と漠然と「こういうことをしたい」という思いは持っているのですが、その思いはまだホワッとした状態で、それをまだ明確に具体的にできていない様子でした。

そのときに、自分がやりたいこと、それを実現するために何をしなければならないか、ということを考えたとき、年齢や家族構成などを考慮すると、できるだけそれを無理なくできる方法を考えたほうが良さそうです。

自分の比較優位は何かも自覚しておくことが重要でしょう。比較優位がないものを実現するためには、ものすごい労力と努力を必要とします。たとえば、インドネシアに関するコンサルティングを行ないたいという場合に、既存のコンサルタントにはない何を比較優位とするのか、が問われてきます。

残念ながら、友人がそれを実現するためには、それこそ、ものすごい労力と努力を必要とすることが明らかでした。

しかし、今、自分で関わっている仕事から派生する形で、比較優位を作っていくことのほうが無理なくできる場合もありえます。友人の場合、今の仕事は、日本で専門家がほとんどいないある外国に関わるものでした。ですから、少し努力すれば、友人はその国の専門家になることができるのです。

生きてきた証は、自分にしかできないことを高めていくことで培われるものです。自分がこの世に生きた意味や証は、自分にしかできないことを世の中で実現することで生まれてくる。それは、自分という個を、アイデンティティを、明確にすることでもあります。

友人には、今の自分の状況を冷静に把握し、できるだけ無理なく、自分にしかできないことを高めていくのがいいのではないか、とアドバイスしました。

と、そこで気づきました。これは、地域が生き生きとしていく、生き残っていくことと同じではないか、と。その地域の持つ地域性をしっかり理解し、そこから他にはない、その地域にしかできないことを見つけ、それを高めていく。

そして、自分にしかできないことを高める人々が集まる地域が、自らの地域にしかできないことを高めていけるのではないか、と。

振り返って、私自身、自分にしかできないことは何なのか、改めて考えています。そして、自惚れではなく、それは、確かにある、ということを確信しています。

それは、小さい頃からずっとやりたいと思っていた、ホワッとした思いが徐々に具体的なイメージにフォーカスしてきているのでした。研究所で研究員を務めたことも、開発援助の実務に関わったことも、NGOで活動したことも、独立して自由に動け回れるようになったことも、後から振り返ると、すべてつながっているのでした。

家族を養うという意味での生活を考えれば、後悔する気持ちが全くないわけではありませんが、自分はこういう生き方をしたかったのだ、そこに意味があるのだ、という気持ちのほうが勝っている気がします。

さて、来年はどうなりますことやら。楽しみです。

起き上がりムンクさんに癒される?


2017年12月22日金曜日

東京にシェアオフィス/コワーキングスペースをつくる

今、東京の自宅付近にシェアオフィスまたはコワーキングスペースをつくる、ということを考えています。

まだ構想段階ですが、どんな人に使ってもらったらいいか、少しずつ考え始めています。

できれば、私が信頼できる方々に使っていただき、結果的に、何かを一緒に作り出せる場所にしていければと思っています。

その一方で、分野も専門も全く異なる人々、様々な国から来た人々が集まるような場にしてもいいなとも思います。

亡くなった伯母の店舗兼住居を改装する予定です。広さは、2階建てで、1階をコワーキングスペース+会議室、2階を3〜4部屋のシェアオフィス、という形にしようかなと思っています。

裏に庭があります。古い桜の木があり(下写真)、4月にはまだ花見ができます。


動き回っているので常駐は難しそうですが、私の仕事場も作る予定です。

会員制にして、会員は24時間使えるようにしてはどうかと考えています。

場所は、JR山手線の大塚駅から徒歩7分、近くに24時間営業のセブンイレブンがあります。

開業はおそらく、早くても2018年8月以降になりそうです。

どうでしょうか。

興味のある方、一緒に管理運営してみたい方、いずれ使ってみたい方、オフィスを構えたい方、何か面白いアイディアをお持ちの方は、お気軽に、メールにて私( matsui@matsui-glocal.com )までご連絡いただけると嬉しいです。

2017年12月19日火曜日

国境を越えて人々が学び合える時代が来ている

12月15日まで福島市にいましたが、とにかく寒くて寒くて、部屋の暖房が電気ストーブ1台ということもあり、書きものをしていると手がかじかんできて、体にこたえました。

東京へ戻ってくると、もう、福島よりはずいぶんと暖かく、こんなに違うものだと改めて感じいるのでした。

それでも、12月15日には、前々からお会いしたいと思っていた方とゆっくりお話しすることができ、とても有益な時間を過ごすことができました。そして、自分が目指そうとしていることは、まだほとんど手つかずの活動だということを確認できました。その辺の話は今後、追い追いしていくことにします。じっくりと始めていきます。

12月16日は、「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムに出席しました。トヨタ財団の助成を受けて、フィリピン、東ティモール、ラオスの農民たちが3カ国間を相互に訪問し、3者間で技術交換や学びあいの交流を行う事業の報告会でした。

この事業では、日本側は三者をつなげるための黒子に徹し、三者間の学びあいを深めていくプロセスを促す役目を果たします。彼らの交流のなかで、予期せぬ展開が続出し、そこからまた新たな学びあいが起こる、そんなワクワクするような事業に見えました。

2017年12月11日月曜日

40年前までの福島市民が今また戻ってきた訳

今週は金曜日まで福島市です。おこもりでしていた原稿執筆が、終わってはいないけれども、今日でようやく目途がついたので、少し気持ちに余裕ができました。

福島市で法人登記してから、ちょうど今日で8ヵ月が経ちました。法人登記したのは4月11日、東日本大震災の月命日にあたります。本当は3月11日に登記したかったのだけれど、今年は土曜日だったので、無理でした。

あの震災がなかったら、自分は故郷の福島市に活動拠点をかまえようとは、きっと思わなかったでしょう。

震災の前年に亡くなった父が、私がまだ福島市で中学・高校に通っていたころによく言っていた言葉を思い出します。

父は、「福島に居るな。外に出ろ。できれば、日本の外へ出ろ」と何度も言いました。「世界のどこにいても、元気にしているならそれでよい」とも言いました。

私は、父のように、地元・福島で学校の先生になりたいと思っていました。何かを教えることが好きだったし、たくさんの教え子に囲まれる人生が素敵に見えたものです。でも、父は、私が自分と同じ職業に就くことを望んでいませんでした。そして、大人になってから、その理由がはっきりと分かりました。

父が満足していたかどうかは別として、高校を卒業した後、東京で一浪して東京の大学に入り、縁あって就職した職場では、インドネシアと付き合うことになりました。

そして、頻繁に日本とインドネシアを行き来し、ときにはインドネシアに長期滞在し、30年以上経った今でも、インドネシアとの付き合いは切れるどころか、ますます深みにはまっていく感じがするほどです。

福島がどんどん遠くなっていきました。インドネシアがどんどん近づいてきました。

一身上の都合で23年お世話になった職場を離れ、今度は一人で挑戦しようと動き始めてほどなく、父が亡くなり、震災が起こりました。

震災後の様々な社会の動揺や変化を見ながら、自分の人生にとって何か大きなパラダイム転換が起きたように感じました。豊かになることが幸せなのか。他人に勝つことが人生の目的なのか。生きるって何なのか。依存するって何なのか。自立って何なのか。

震災後の福島が、世の中の様々なものに翻弄され、ときには差別され、排除され、無視され、ズタズタにされていく様子を見ていました。ただただ、それに対して無力な自分を攻め続け、自分で自分を罵倒していました。

個人としては原発には反対だけれども、原発に長年真面目に関わってきた高校・大学時代の友人たちや、原発のおかげで幸せな生活が送れるようになった人たちのことを思いました。白黒なんて簡単に線は引けない。きれいな結論を出せなくなりました。

自分が今できることは何なのだろう。福島から出ていった自分は、福島にとってはよそ者です。でも完全なよそ者ではなく、出戻りです。そうした出戻りが、これまでの日本の地域づくりのなかで重要な役割を果たした事例をたくさん学んではきましたが、では、自分はどうなのか。

まずは、自分の立ち位置を定めること。福島市に法人登記したからといって、福島市から一歩も外に出てはいけないわけではないし、日本中、いや世界中、どこで活動してもかまわない訳です。でも、その出発点を福島市に定めた、という意味を法人登記に込めたいと思いました。

福島市を出発点として、福島市はもちろんのこと、日本中、世界中の必要とされている場所で活動し、その成果のエッセンスを何らかの形で福島へ返していく。逆に、福島での活動の成果やエッセンスを外の世界へ流していく。

そんな、福島と外とを行き来しつつ、福島と外の世界をつなげたり、外からヒトやモノやコトを福島へ取り込んだりしながら、その過程で新しい何かが生まれる触媒の役割を果たす。それが、今考える、自分なりの立ち位置ではないか、と思っています。

これをやるんだ、というものをギラギラさせているわけではありません。今の福島市にとって必要なモノやコトは何か、といつも考えています。もちろん、やりたいと思っていることは色々あります。

でも、すでにいろんな方がいろんなことをされていて、まずはそれを学ぶことから始めているつもりです。じっくりと、慌てずに、しかし本物の活動をしたり、促したりしていけるように、研鑚を積んでいきたいと思っています。

40年前まで福島市民だった自分の、根っこの部分とよそ者の部分のハイブリッドで、自分が一体何をしていけるか。動いていきます。

昔から、大好きな福島のリンゴを毎日、実家で食べられる幸せ・・・



2017年12月5日火曜日

ただ今、東京でおこもり中です

スラバヤ出張中に体調を悪くし、帰国した12月1日はあまり具合がよくなかったので、ひたすら眠り、翌2日には、体調も回復し、正常に戻りました。

2日は、大学時代のゼミのOBの勉強会「竹内記念フォーラム」に出席しました。恩師である故竹内啓一先生(社会地理学)を偲び、教え子たちが自主的に開催しているもので、1年に2回開かれます。

毎回、OBの一人が発表、それを話題に自由討論するという形で、私もちょうど1年前、「宮本常一、地元学、メタファシリテーション:いまの私の活動を支える三本柱」と題して、発表しました。中身について興味のある方は、個別にご連絡ください。

その後、今週中に終わらせなければならない原稿作業が3本重なってしまったので、ここしばらくは、自宅からレンタルオフィスへ行って、こもって書いています。でも、量が多いためか、ちょっと遅れ気味です。

3本のうちの1本は、明後日発行予定の「よりどりインドネシア」第11号なのですが、もしかすると、1~2日、発行を遅らせるかもしれません。あらかじめ、ご容赦のほどをお願いいたします。

と、今回は、状況報告のみなのですが、最後に、ちょっとつぶやきを。

東京23区内で、オフィス、シェアオフィスあるいはコワーキングスペースが欲しいなと思っている方はいらっしゃいますか。一緒にそんな空間を作ってみたいな、と思っていらっしゃる方はいますか。

秋ももう終わりですねぇ。


2017年12月2日土曜日

食品加工業振興に関するスラバヤ出張

11月26~30日、スラバヤへ出張してきました。今回は、JICAによる「東ジャワ州の中小食品加工業振興に向けた食品加工技術普及・実証事業」の一環で、日本の中小企業による食品加工技術普及・実証のお手伝いでした。


東ジャワ州は、インドネシアのなかでも、中小企業レベルでの食品加工業の一大中心地であり、州政府の開発目標においても、農林水産品加工による産業発展を重視しています。この普及・実証では、とくに油を使用しない食品加工機械の技術普及に焦点が当てられています。

ご承知の通り、インドネシアでは、食品製造における油の使用量が多く、とくに、スナック菓子などではほぼすべてに使われていると言っていい状態です。しかも、その油のほとんどはパーム油であり、しかも同じ油を何度も使うことが一般的です。このため、油の摂取量が必然的に多くなり、健康的な食品がなかなか出回らない状態にあります。

そこで、日本で食品加工機械を製造している中小企業が、自身の持つノンオイルでの菓子製造技術をインドネシアで普及・実証したいという熱意を持ち、1年間、本案件で機械と技術の紹介・普及活動を行ってきました。

2017年11月25日土曜日

映画「おだやかな革命」の試写会に行った

ダメもとで応募したら、映画「おだやかな革命」の試写会に当たったので、11月21日に東京・銀座で観てきました。



この映画は、来年2月、ポレポレ東中野を皮切りに、全国での上映が予定されています。それに先駆けて、今回、観ることができました。

内容は、全国各地で起こり始めた、地域がエネルギー主権を取り戻すというお話ですが、単なるご当地エネルギーの話にとどまらず、それが地域のなかで引き起こす様々な新しい動きが、地域をより温かく、楽しくしていく、関わる人々の間に様々な学びと他者への尊敬を生み出していく、その様子を丁寧に描いたものでした。

2017年11月23日木曜日

よりどりインドネシア第10号を発行

11月22日、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第10号を発行しました。今回は、以下の3本です。

 ・インドネシアで寛容性の高い都市はどこか?
 ・予測不能な「インターネット大国」インドネシア(大島空良)
 ・ジャワでもありバリでもあるバニュワンギ

寛容性の高い・低いは、多様性をどれぐらい許容できるかという指標ですが、ここでは主に、異なる宗教を受け入れる程度で計っているようです。インドネシアは「多様性の中の統一」を国是としていて、異なる様々な人々の存在を受け入れることを当然としていますが、近年、マジョリティであるイスラム教の政治利用や、スンニ派によるシーア派やアフマディアに対する迫害などが問題視されてきました。インドネシアで寛容性の高い都市、低い都市はどこなのでしょうか。2015年に続いて今回、そのランキングが公表されています。

人口2.5億人のインドネシアは、インターネット大国への道を歩んでいて、ネットビジネスの可能性は明るいものがあります。その実態を、とくに若者の対応を通じて見てみると、興味深い現象が見られます。そのなかには、インターネットを活用した新たな性風俗産業のやり方のような、新しい動きもあります。ジャカルタ在住の大島空良さんが、今回も興味深いレポートを書いてくれました。

ジャワ島の東端にあるバニュワンギは、ジャワの要素もバリの要素も併せ持つ、なかなかユニークな場所です。県知事が結構なやり手で、次の東ジャワ州知事選挙の副知事候補にもなっていますが、全国的にも注目される場所になっています。イベントを通じたバニュワンギの対外的な売り込みにも熱心で、年間イベントカレンダーを用意し、毎月のように何らかのフェスティバルを行っています。なかには、ケボケボアンと呼ばれる奇祭もあります。そんなバニュワンギを今回は紹介しています。

「よりどりインドネシア」は今回の発行で10回となりました。読者登録(会員登録)していただくと、バックナンバーもご覧いただけます。また、銀行振込による登録の場合は、毎回、PDF版をメール添付でお送りいたします。

「よりどりインドネシア」は、他の媒体では読めない、いくつものインドネシアを伝えていきます。一人でも多くの皆さんにご登録いただければ幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

バニュワンギの海岸からバリ島を臨む

2017年11月19日日曜日

福島のインドネシア人コミュニティとつながる

昨晩(11/18)、友人を通じて、福島のインドネシア人コミュニティとつながり、焼肉パーティーに招かれました。


今後の活動の一翼として、インドネシア人技能実習生に対する相談窓口の役割を果たしたいと考えていますが、これまで、なかなかつながる機会がありませんでした。これからの展開がとても楽しみです。

噂では、福島にも少なからぬインドネシア人技能実習生がいるようなのですが、街中で出会うことはまずないし、福島県も福島市も、むしろベトナムへの関心が高く、インドネシアのイの字も聞こえてこないような状況に見えました。

でも、福島市をはじめ、二本松市、本宮市、川俣町など、けっこうな数のインドネシア人技能実習生がおり、彼らは「コミュニタス福島」というゆるやかな組織を通じて、つながっているのでした。今回お会いした方々も、この「コミュニタス福島」のメンバーです。

2017年11月16日木曜日

福島、晩秋、オフィスと同じ敷地内にて

昨日(11/15)、福島に着きました。

秋はすっかり深まり、今日(11/16)は寒い一日でした。暖房のない冷えきったオフィスで、寒さに耐えきれず・・・。ともかく暖房対策を急がなければ。

私のオフィスのある敷地内の古民家と庭の景色も、すっかり晩秋の装い。どの季節も、この場所で見る美しさが、何とも落ち着くのです。

11月、12月。締め切り迫る原稿に向かいつつ、福島から自分が始めるモノやコトをじっくり仕込み始めたいと思っています。






2017年11月15日水曜日

佐伯のお昼はゴマだしうどんで完璧

佐伯で忘れてはいけない名物と言えば、それはゴマだしうどんです。11月13日、佐伯を離れる前に、市内で最も有名なゴマだしうどんの店である「味愉嬉」で味わいました。


通常のゴマだしうどんは、ゴマだしをうどんにたっぷり入れて食べる、というシンプルなもの。でも今回、マスターから提案されたのは、ちょっと変わった食べ方でした。

2017年11月14日火曜日

音楽で街を魅力的に!音泉街を目指す佐伯の試みは始まったばかり

おんせん県とも自称する大分県は、超有名な別府や湯布院(由布院+湯平)をはじめ、数々の名湯を抱えており、日本国内有数の温泉の数と量を誇ります。

しかし、県内のすべての市町村に温泉があるわけではありません。今回訪問した県南端の佐伯市には温泉がありません。その佐伯が今、もう一つの「おんせん」を掘り当てたようです。

温泉がないけん、音泉を目指す! 佐伯は、音楽で街を魅力的にしようと、市民有志が活発に動き始めています。その原動力となっているのが、佐伯ミュージック・アート・クラブという、結成後わずか半年にも満たない団体です。

この団体の催し物に参加した時の記事を、以前、このブログにも書きました。参考までにリンクを貼っておきます。

 音楽を愛する人々に満たされた佐伯での夜

11月11日は、佐伯ミュージック・アート・クラブの今年の活動のメイン・イベントとも言える、サックス奏者マルタのコンサートが佐伯市民会館で開催されました。

マルタ・コンサートにて(吉良けんこう氏撮影)

マルタ氏にとってはもちろん始めての街です。しかも、コンサートの冒頭で「街中に誰も人影がなく、静かな街だなあという印象でした」という語りがありました。きっと、このような田舎町で、果たしていいコンサートができるのだろうか、という不安もあったかもしれません。

実際、少なからぬ観客は、「マルタって誰や?」「ジャズというものを聴いたことない」「孫と一緒に来てみた」という方々のようで、マルタ氏が不安に思ったとしても不思議ではなかったのです。

2017年11月13日月曜日

「佐伯むすめ」との出会い

佐伯といえば、有名なのは寿司です。分厚いネタは、あまりに分厚いので、ネタに切り込みが入っています。もちろん、ネタは新鮮そのもの。10年以上前、初めて佐伯を訪れて食べた寿司の味を忘れることはできません。

では、寿司以外に何があるのか。と思っていたのですが、いろいろあるのです。今回出会ったもののなかで、特に良かったのは、「佐伯むすめ」との出会いでした。

佐伯むすめ? いえいえ、人間の娘さんではありません。吟醸あんという上等な餡を使ったお饅頭です。リンクは以下から。

 佐伯むすめ



2017年11月12日日曜日

遊志庵を訪ねる

今回の大分・佐伯訪問の一つの目的が、佐伯にある遊志庵を訪ねることでした。


この遊志庵は、研究者である岩佐礼子さんという方がご親族の実家の古民家を改修し、地域の人々の憩いの場、よそから来た人たちとの交流の場にしようと運営されている場所です。詳しくは、以下の遊志庵のページをご覧ください。

 遊志庵

ゆったりとくつろげる雰囲気の空間で、しばし、岩佐さんと語り合いました。よそ者、古民家、地元学など、様々な共通用語が出てきました。

2017年11月7日火曜日

技能実習制度を本物にする

以前から気になっているのは、外国人技能実習制度の問題です。

この制度は、本来、技能実習生へ技能等の移転を図り、その国の経済発展を担う人材を育成することを目的としており、日本の国際協力・国際貢献の重要な一躍を担うものと位置づけられています。

しかし、こんな立派な建前があるにもかかわらず、現実に起こっていることは、メディアなどで取り上げられているとおりです。すなわち、日本の受入企業側は労働力の不足を補ってくれる者として外国人技能実習生を受け入れ、外国人技能実習生は3年間日本にいて得られる収入を目当てにやってきます。

ときには、日本の受入企業は、コスト削減圧力のなかで、相当に厳しい条件を強制して外国人技能実習生を受け入れ、それに耐えられなくなった実習生はいつの間にか姿を消してしまう、という話さえ聞こえてきます。

ここで大きな問題となるのは、日本でどのような技能を身につけるのか、実習期間を終えてそれがどれだけ身についたのか、に関する明確な評価とモニタリングが見えないことです。あるいは、形式的にそれがあったとしても、誰がどう評価・モニタリングしたのか、送り出し国へ正確に伝える仕組みが整っているのか、という問題です。

2017年11月5日日曜日

十条でバクテとポテヒ

11月4日は、友人と一緒に、東京の十条で、バクテとポテヒを堪能しました。

まず、バクテ。肉骨茶と書いたほうがいいのでしょうが、マレーシアやシンガポールでおなじみの、あの骨つき豚肉(スペアリブ)を様々な漢方原材料の入ったあつあつのスープで食べる定番料理。これを食べさせる店が十条にあるので、行ってみたのです。


味はオリジナルと濃厚の2種類。濃厚味はニンニクが効いていて、オリジナルのほうがマレーシアのものに近い感じがしました。

次の写真は、濃厚に豚足などを入れたバクテ。日本では、スペアリブより豚足のほうが入手しやすいからなのでしょうが、バクテといえば、やはりスペアリブですよねえ。


この店は、マレーシアのエーワン(A1)というバクテの素を売るメーカーと提携している様子です。エーワンのバクテの素は、我が家ではおなじみのもので、その意味で、今回のバクテは、とくに際立って美味しいという感じのするものではなく、フツーに美味しかったです。

さて、バクテを食べた後は、ポテヒです。ポテヒというのは、指人形劇のことで、東南アジアの各地で見られます。今回のポテヒは、マレーシア・ペナンの若者グループであるオンバック・オンバック・アートスタジオによるものでした。

2017年11月1日水曜日

SQでもやはり無理なことはある

10月30日ジャカルタ20:20発、シンガポール23:05着。シンガポール23:55発、成田10月31日7:30着。定刻通りならこのように乗り継ぐ、シンガポール航空で、今回のインドネシア出張から帰国しました。

実際には、ジャカルタ→シンガポール便の出発が20分ほど遅れ、それでも挽回して、シンガポール到着は10分弱の遅れで到着しました。

到着したのは第2ターミナルの一番端。成田便は第3ターミナルなので、スカイトレインに乗って移動です。

ジャカルタでチェックインしたときに、係員が気を利かせて、できるだけ出口に近い席を取ってくれたので、エコノミークラスとしては早く機外へ出ることができたのですが、ともかく小走りに速足でひたすら第3ターミナルへ向かいました。

成田便の搭乗口に着いたのは23:30過ぎ。すでに搭乗はほとんど終わっていました。高速歩行で大汗をかきましたが、何とか滑り込みで無事乗り込むことができました。

ふと、気になったのは預入荷物。でも、世界一という評判のシンガポールのチャンギ空港だから、きっと大丈夫、と思い込みました。

成田到着。ブリッジを進んだ先に掲示板があり、そこに私の名前が出ています。なぜ?

2017年10月28日土曜日

ジャカルタのコワーキングスペースは快適

今回のインドネシア出張も終盤を迎え、農業省での中間報告準備や現地調査でのヒアリングメモなどをまとめていたため、なかなかブログを更新できずにいました。でも、この週末で何とか目途がつきそうなので、気分転換を兼ねて、久々に書いています。

今いるのは、ジャカルタのコワーキングスペースHUB2U。私のアジトは外国人のほとんどいない東ジャカルタにあるのですが、アジトにはインターネットWifiがないので、長時間、高速インターネットに接続できる一時的な仕事場として使えるスペースを求めていました。


ラッキーなことに、私のアジトのすぐ近くに1軒ありました。先週行ってみたのですが、雑居ビルの3階と4階、窓のない部屋に安い机と椅子があるだけの殺風景な場所ですが、インターネットはとても速く、快適でした。まさか、歩いて行けるところにこんな場所があるとは思わなかったので、驚きでした。

今日は、私のアジトからはちょっと離れてはいるけれども、比較的近くにあるこのコワーキングスペースで快適にインターネットにつなげています。

2017年10月19日木曜日

久々のプンチャック越えで出逢った光景

10月17~19日は、西ジャワ州チアンジュール県を訪れました。ここでは、園芸農業を中心とした農業の現状に関する情報収集を行いました。

ジャカルタからボゴールを通り、プンチャックを越えて、チアンジュール県へ向かいましたが、このルートを通るのは、おそらく約20年ぶりのことだと思います。

インドネシアに初めて来た1985年8月、このルートを通って、バスに乗って、インドネシア語の先生の実家のあるチマヒへ行きました。チマヒはバンドンの一つ手前の町です。

あの時は、プンチャックを越えて、道路沿いの食堂で昼食。どこを見渡してもスプーンもフォークも見当たらず、うろうろしていると、周りの人が皆、手で食べているのに気がつき、見よう見まねで、手で食べたのを思い出します。スンダ料理の店だったのでした。

1990年代前半までは、この道を何度も通って、ジャカルタとバンドンを行き来しました。4848という会社の車をよく使いました。4848の運転手は道を熟知しており、ものすごいスピードで走ったものでした。

その後、1990年代半ば以降、スラウェシ島のマカッサルを中心に、インドネシア東部地域に深くかかわることになって、かつ、ジャカルタからチカンペック経由でバンドンへ行く高速道路ができたことで、自分がこのルートを通ることはほとんどなくなってしまいました。

2017年10月15日日曜日

穀倉地帯ならではの垂れ幕・看板たち

10月14~15日は、西ジャワ州カラワン県へ行ってきました。

カラワン県はインドネシア有数の米作穀倉地帯として知られており、今回の訪問の目的も、その米作農業の現状についての情報収集でした。

収集した情報についてはここでは披露しませんが、さすが、米どころのカラワン県らしい垂れ幕が店にかかっていたので、それを紹介します。


稲の害虫であるウンカの足に鍵がかかっているの図。ウンカは動けずにそのまま息絶えてしまうのでしょうか。


これも立派な農薬の看板。カラワン県の特約店の前です。


より早く防げば、農民は満足! 天誅(てんちゅう)という名前が付いています。

率直な印象としては、ここでの米作農業の現状は、私が知っていたものよりもはるかに変化していました。本当に、変化が激しいです。常にインドネシアの今を追いかけていけないと、変化についていけなくなりそうな気がしてきます。

今回は、この後、西ジャワ州チアンジュール県、南スラウェシ州ピンラン県、同州バンタエン県で、同様の農業の現況に関するサーベイを行う予定です。

2017年10月11日水曜日

サンシャワー展は本当に良かった!

明日(10/11)から月末までのインドネシア出張の前に、前々からどうしても観ておきたいと思っていた「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」へようやく観に行けました。

この展覧会は、国立新美術館と森美術館の2館同時開催で、しかも展示数が多いので、どうしても2日掛かりになってしまいます。夜遅くまで開いている森美術館を10月8日に、国立新美術館を翌9日に訪れました。


東南アジアのアーティストが色々と面白い試みを行っていることは知っていましたが、これだけの数を集めるとさすがに圧巻でした。しかも、その一つ一つに、アーティストのゆるさや柔らかさや軽さを感じつつ、その裏に何とも言えない深い闇やもやもやとして晴れない奥行きが浮かび上がる、そんな作品が多かったと感じました。

2017年10月4日水曜日

福島税務署で残りの諸手続

今日は福島市です。今週は東京で色々と予定が入ってしまったので、福島市にいるのは今日と明日の1泊2日。しかも、明日の夕方5時に東京で予定が入っているので、それに間に合うように、東京へ向かいます。

今回の用事は、税務署です。松井グローカル合同会社を4月に福島市で登記し、色々と手続を済ませてきたのですが、9月分の役員報酬の支払いに伴う源泉徴収所得税納付書を10月10日までに福島税務署へ提出しなければならなかったのでした。

通常、源泉徴収所得税は金融機関の窓口か税務署で期日までに支払うのですが、私の場合は、税務署へ行かなければならないのです。なぜかというと、実は源泉徴収所得税がゼロだからです。

2017年10月2日月曜日

Co-minkan 第1号を訪問しました

9月30日の夜に帰国して、翌10月1日の朝、Co-minkan 第1号のオープニングを見るために、横浜市保土ヶ谷区まで行ってきました。

Co-minkan 第1号になったのは、保土ヶ谷区役所の近くにある峰岡公園の向かいのカフェ「見晴らしのいい場所」という小さな場所です。元はスナックだったというこじんまりとした場所で、Co-minkanが始まったのでした。



Co-minkan というのは、もちろん公民館から来ているのですが、行政が運営する公民館ではなく、民間で作る「こうみんかん」を企図しています。

地元の人が気軽に立ち寄り、お茶でも飲みながら、いろいろおしゃべりをする。そこに行けば悩みや相談を聞いてくれる人がいる。わいわいやっている間に新しいアイディアが浮かんだり、面白いことを思いついたりする。なんだか楽しくなる。

そんな空間を、気軽にみんながあちこちで作り始めたら、もっと温かい人と人とのつながりを意識できる世界が広がっていくのではないか。

2017年9月26日火曜日

グンポルの労働者送り出し機関を訪問

今日(9/25)は、グンポルにある海外への労働者送り出し機関であるLPK Prima Duta Sejati (PDS) を訪問しました。


PDSは1999年に設立され、インドネシア労働力省から認定された送り出し機関として、これまで香港、台湾、シンガポールへ、様々な職種のインドネシア人労働者を送り出してきました。単に送り出すだけでなく、送り出しの前に、送り出し先の言語習得と、職種に応じた職業訓練を施しています。

実際、メイド向けには掃除機の扱い方、洗濯機の扱い方、送り出し先に合わせた調理方法、乳幼児への対処法などの訓練が行われます。介護士向けには、ベッドに寝たきりの方に対する介護手法や、歩行器を使った歩行訓練への補助方法、トイレでの介助法などが訓練されます。

訓練機関は約6ヶ月間で、香港、台湾、シンガポールに受け入れ関係機関も設置し、20年かけて培ってきたノウハウを存分に活用しているということでした。

新たに、PDSは日本の技能実習研修生向けの日本語研修と技能研修を始めました。今後、日本からの様々な職種の技能実習生の受け入れ要請に応える送り出しを行っていくとのことです。

技能実習生の受け入れに興味のある日本企業があれば、是非教えて欲しいということでしたので、ご興味のある方や情報のある方は、個別メールにて matsui@matsui-glocal.com までご連絡ください。

私自身も、インドネシアと日本とを繋ぐ一環として、インドネシア人技能実習生制度が本当の意味での人材育成に資するような形で運営されていくように、微力ながら関わっていきたいと思うようになりました。

そして、何らかの研修終了証明書が発出され、それがインドネシア側で認知され、研修生の帰国後の再就職に役立てられるような仕組みを、様々な方々と一緒に作っていきたいと思い始めました。

さしあたり、日本にいるインドネシア人技能実習生が、インドネシア語でいつでも相談できるホットラインを作りたいと考えています。ご賛同・ご協力いただける方は、個別メールにてご連絡ください。

2017年9月23日土曜日

来週はインドネシア・東ジャワ州へ

今晩(9/23)の便で東京を発ち、9/30までインドネシア・東ジャワ州へ行きます。24日夜と29日夜はスラバヤ泊、25〜28日はマラン泊です。

今回の用務は、今までとはちょっと異なり、民間ベースの用務で、今後の展開を考えると、なかなかチャレンジングなものです。

インドネシアの地方と日本の地方とをつなぐという意味でも意義があり、私にとっても、新たな分野への挑戦になりそうな予感がします。また、これから私たちが、どのような社会を作っていくのか、ということにも大きく関わってくるような気がします。

ちょっと思わせぶりな書き方になりましたが、調査研究ではなく、かといってがっちり儲けるビジネスでもなく、社会起業家というほどかっこよくもない感じです。泥臭くて、収益がそんなに上がらない、でも大きな意味があるもの、と捉えています。

ともかく、久々のスラバヤ、マランを味わってきます。

2017年9月22日金曜日

ロヒンギャを見ながらスハルト時代のインドネシアを思い出す

ミャンマーのロヒンギャをめぐる報道がインドネシア・メディアでも盛んになっています。インドネシアだけでなく、国際社会もまた、「ロヒンギャで民族浄化が進んでいる」などとして、ミャンマー政府に対する批判が広まっています。

インドネシアのムスリムが「ロヒンギャを救え」と強く主張し、こうした国際世論を先導する形となっているのが、とても興味深いです。でも、そのような姿を見ながら、別なことを考えていました。

第1に、多数派と少数派ということ。今回の少数派はイスラム教徒のロヒンギャですが、もしも多数派がイスラム教徒だったら、インドネシアのムスリムは今回のような行動を起こしたかどうか。

インドネシアでも、ムスリム多数派のスンニー派がシーア派やアフマディヤに対して敵意を示し、場合によっては迫害するという事態が起こりました。一部の国際社会はそれを批判しましたが、インドネシア側は、決して少数派の肩を持つような対応をしませんでした。

ずっと時代を遡って、東ティモールがインドネシアからの独立を求めた時。政権中枢部では、実は東ティモールで少数派のイスラム教徒の立場が虐げられているという認識がありました。

インドネシア全体では多数派のイスラム教徒が東ティモール州では少数派。果たして、政権中枢は本当に東ティモールがインドネシアにとって大事だと思っていたのかどうか。もしもイスラム教徒が多数派だったら、話は違っていたのかもしれません。

インドネシアのイスラム勢力が、「たとえどんな宗教であっても種族であっても、少数派への迫害は許さない」という行動を起こせたならば、本当の意味で人権云々を主張できるのではないか、と思うのです。少数派がイスラム教徒であったからこそ、声をあげたのではないか、と思ってしまうのです。


2017年9月18日月曜日

映画「アンダーグラウンド」完全版5時間を観に行く

台風18号が西日本で猛威をふるっていた9月17日の夜、まだ小雨程度で済んでいた東京・恵比寿ガーデンシネマで、エミール・クストリッツァ監督の映画「アンダーグラウンド」(1996年)の完全版を観てきました。

前編で3話、後編で3話の計6話から構成され、前編と後編は別々に鑑賞券が売られる、という形式でした。前編が16:15〜19:00、後編が19:25〜22:05、合わせておよそ5時間以上の作品でした。

時代設定は、ナチス・ドイツによるベオグラード爆撃からユーゴスラビア崩壊までおよそ50年以上のスパンでの物語でした。

しかし歴史大作というわけではなく、出演する人物は、ヒーローや偉人が活躍するわけでもない、人間味あふれたフツーの人々でした。人間のエゴや醜さ、友情と裏切り、信頼と背信などが、時には暴力を伴い、やや露骨に表現されていました。

そんな人々の姿は、基本的に、喜劇として描かれていました。そして、だからこそ、戦争に翻弄され、国家に裏切られ、挙げ句の果てにはその国家さえ失ってしまうということの無情さがかえって迫ってくるような印象を持ちました。

ネタバレになるので、具体的なあらすじは述べません。同じく長編の台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のような、様々な伏線が最後につながっていくようなストーリーの重厚さを感じることはありませんでしたが、手法は違うとはいえ、時代の闇をフツーの人々の目から表現しようとした作品だったのだと思いました。

映画終了後も、しばらく、ずっと作品の中で流れていたブラスバンドの曲が耳から離れませんでした。政治的に物議を醸した映画とも評されているようですが、ストーリーは単純でも、勧善懲悪からは程遠い筋書きでした。

ナチズムにせよ、共産主義にせよ、そして民族対立にせよ、結局はフツーの人々の生きざまとは関係のない話なのだ、という静かなメッセージが聞こえたような気がします。

この写真は結婚披露宴のシーンなのですが、本当の世界を知らないままで幸せを感じている人々の姿が描かれていて、現代を生きる我々自身の状況を示唆しているようにも感じてしまいました。


9月29日まで公開予定ですが、上映スケジュール等については、以下のサイトをご参照ください。

 アンダーグラウンド(完全版):恵比寿ガーデンシネマ

2017年9月16日土曜日

京都の路地裏の町家カフェ

少し前ですが、9月11日、京都で少し時間が空いたので、どこかで一人、しばしゆっくりお茶をしようと思い、町家カフェを探して、見つけたのが「卯晴(うはる)」です。

場所は晴明神社近く、堀川通から西へ少し入ったところで、大宮通からすぐの、ちょっと奥まったところにありました。


基本的には紅茶専門店。たくさんの種類の紅茶を扱っていて、店内で飲むだけでなく、紅茶のみを購入することもできます。

2017年9月13日水曜日

現場へ行ったから分かるとは限らないが、行かなかったらきっと分からないままのこと

先週、気仙沼と陸前高田へ行ってきました。前回行ったのが2012年8月だったので、5年ぶりでした。

陸前高田は、震災による津波で街が物理的に消えてしまった街です。5年前、ひたすら野原が広がるその土地に、壊れたままのいくつかの建物やかろうじて残る住居の区画跡を見ながら、そこで響いていたであろう人々の声やいたいけな子供の笑顔をずっと創造し続けていました。生の痕跡を、自分の体の周りのあちらこちらで感じながら、目をつぶってパッと目を開けたら、目の前に生の街が現れるような、そんな気持ちになりました。

5年経って再訪した陸前高田は、5メートル以上の盛り土がなされ、その上に新しい街を作り始めていました。バイパス沿いにあった花々の列も、壊れたままのスーパーも、亡き人を追悼する墓標も、見えなくなっていました。過去の陸前高田が新たな盛り土によって覆いかぶされ、見えなくなっていました。



2017年9月12日火曜日

4日間乗り放題パスはすごいパスだった

今回の9月5〜8日の石巻、気仙沼、福島の移動には、JR東日本4日間乗り放題という切符を使いました。この切符は、本当にすごいものでした。

それは、大人の休日倶楽部パスというもので、JR東日本のエリアならば、連続した4日間が乗り降り自由(新幹線自由席を含む)、さらに計6回まで新幹線指定席の指定を、追加料金なしで受けられる、というものです。

 大人の休日倶楽部パス

このパスを使いたいがために、今回、大人の休日倶楽部ミドルというのに加入しました。駅のびゅうプラザで申し込んだのですが、その場で仮会員証を発行してもらえ、それを使ってすぐに大人の休日倶楽部パスを購入できたのでした。インターネット登録だと、仮会員証の発行がないので、正式の会員証が届くまで約2週間ほど待つ必要があります。

大人の休日倶楽部JIR東日本全線乗り放題の4日間パスの値段は、15,000円です。


筆者がよく利用する、新幹線自由席での東京=福島往復が計16,440円ですので、それだけでも元が取れてしまいます。

今回は、東京=仙台(新幹線はやぶさ指定席)、仙台=石巻、石巻=気仙沼(途中の前谷地からBRT)、気仙沼=一関=福島、福島=東京、と使いました。ちなみに、新幹線利用で東京=気仙沼往復だと26,420円程度かかります。

なお、この大人の休日倶楽部パスは、発売期間と利用期間が年3回に限定されています。次回の発売期間は2017年12月18日(月)~2018年1月25日(木)、利用期間は2018年1月18日(木)~1月30日(火)です。

これからも、このパスに何度もお世話になりそうです、おそらく。

2017年9月10日日曜日

石巻から気仙沼まで乗ったBRT

今回、石巻から気仙沼へ移動する際、途中の前谷地から乗ったBRTというのは、Bus Rapid Transitの略で、鉄道で結ばれていた路線をバスで繋ぐものです。東日本大震災で普通となった気仙沼線は、鉄道による本格復旧を諦め、BRTで代替しました。JR東日本が運行しています。



上写真は前谷地駅前、下写真は気仙沼駅のBRTバスです。気仙沼駅では、ホームの脇で発着します。

2017年9月5日火曜日

リボーンアート・フェスティバルを垣間見る

ずっと行きたくてなかなか行く機会がなかった、リボーンアート・フェスティバルにようやく行くことができました。

開催地は、宮城県石巻市と牡鹿半島で、「アート・音楽・食の総合祭」と自ら呼んでいます。特色としては、小林武史氏を中心とするAPバンクが資金提供し、行政が主導していないことです。それゆえ、アーティストが自由に様々な表現に挑戦することができる、ということのようです。

本当は一つ一つじっくりと作品を味わいたいところですが、そうも言っていられないので、今回は、手っ取り早く、1日ツアーに申し込みました。このツアー、東京から日帰りでくる人を想定し、11:20に開始、18:00に終了します。私も、朝、東京を出て、ツアーに参加しました。

なお、ツアー代は昼食込みで5000円、さらに2日間有効のフェスティバル・パスポートを購入する必要があります。

平日で、ネット上ではまだ定員に余裕があるようだったので、参加者は少ないかなと思っていたのですが、実際には、バスの座席全てが埋まる、25人の満員でした。

今日は天気にも恵まれましたが、8月中は雨や曇りの日が多く、ツアーガイドによれば、こんな天気の良い日は滅多になかったとのことでした。

そのせいか、予想以上の数のアートを効率的に見ることができました。

まず、リボーンアート・ハウス(関係者やスタッフの事務所兼宿泊所。旧病院)で小林武史×WOW×Daisy Balloonの"D-E-A-U"という不思議なアートをみました。


その後、牡鹿半島へ向かい、牡鹿ビレッジで、昼食をとりながら、フェスティバルのシンボルにもなっている白い鹿のオブジェを見学。なぜか、ドラゴン・アッシュのメンバーの一人が、トランペットの音色に合わせて、白い鹿の周りで踊る、というパフォーマンスもありました。



2017年9月4日月曜日

マンダール地方の踊る馬

インドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県には、音楽に合わせて勝手に踊り出す馬がいます。

現地のマンダール語ではサヤン・パトゥドゥ(Sayyang Patuddu)と呼ばれるこの踊る馬(kuda menari)はきれいに着飾られ、それにまたがるのは、やはりきれいに着飾った女の子です。


マンダール地方では、彼女を踊る馬に乗せ、コーランの勉強を終えたお祝いをするという伝統行事が行われてきました。

コーランの勉強を終えた女の子は、その日の夜、先生にお礼の品を贈ります。翌日、まだコーランの勉強を終わっていない女の子と一緒に踊る馬に乗るのです。二人とも、村の子です。

でも、踊る馬に乗る前に、二人はマンダール語の詩を聞きます。そして、踊る馬に乗るのですが、すぐには座らず、何も持たずに馬の上にまたがって立ち、準備ができたことを示します。準備、そう、踊る馬にまたがる準備です。

二人は馬にまたがって、村を練り歩きます。楽隊が太鼓の音を鳴らし始めると、馬が首を上下に降り、脚を上げ下げし、踊り始めます。この踊る馬に大きく揺られながら、馬上の二人が村の中を回っていきます。

この二人が村の中を踊る馬に乗って練り歩くということは、村の中にまだきれいな未婚の女の子がいることを知らせる意味もあります。村の男の子たちが彼女らを眺めて挨拶をします。

Dari Kのカカオツアーでは、毎回、違う村で、女性の参加者を募って、この踊る馬に乗る体験をしてもらっています。今回も、2頭の踊る馬に4人の参加者が挑戦しました。


このカカオツアーの踊る馬ですが、実は毎年、地元で楽しみにしている方々が大勢いるのです。数年前には、踊る馬に乗る参加者の写真がポレワリ・マンダール県の観光案内に一役買ったのでした。

2017年8月30日水曜日

市場で見かけた小さなイノベーション

カカオツアーでインドネシア・西スラウェシ州ポレワリ・マンダール県に滞在していた際、ツアー参加者と一緒に地元の市場を訪問しました。

市場を訪問するのは、参加者に、カカオのことだけでなく、カカオを生産する地域の経済活動の一端を見ていただき、地域経済全体の中でのカカオの位置付けを認識してもらいたい、という密かな狙いがありました。

訪問したのは、ウォノムルヨ市場。この市場は、言ってみれば、ポレワリ・マンダール県の経済活動の中心地なのですが、地元のマンダール族に加えて、ジャワ族が中心を担っています。

ウォノムルヨ地区はジャワ族が多く住んでいるのですが、彼らの先祖は、オランダ植民地時代からこの地へ移住してきました。飛び地のように、このウォノムルヨ地区にジャワ族が集中して住んでいます。

この市場で、今回、ハッとする光景を目にしました。


何の変哲もないような、地べたに置かれた品物。でも、よく見ると、一つの塊の中に幾つかの品物が積み重ねられています。

塊の中にあるのは、洗剤、石鹸、蚊取り線香など。この塊一つをセットとして販売しているのです。

私もこれまでインドネシアの様々な市場を歩いてきましたが、このように、塊をセットとして売っているのを見たのは初めてでした。

ただそれだけのことなのですが、これもまた、市場で売る商人の工夫といってよいのではないかと思います。これまで、個々に品物を購入してきた人々が、セットでも買えるだけの購買力を持ち始めた証左と見ることもできるでしょう。

また、この売り方は、通常の店ではなかなか難しく、地べたに品物を広げて売るからこそできる売り方、ということもできます。

市場で見かけた小さなイノベーション。そんな小さな変化の中に、インドネシアの社会が確実に変化している様子がうかがえます。

2017年8月28日月曜日

マンダール地方のローカル・バドミントン「レディ・パパン」

今回、カカオツアーで訪問した西スラウェシ州はマンダール族の世界です。

マンダール族は、南スラウェシ州出身のマカッサル族やブギス族、トラジャ族と並ぶ、スラウェシ島南部の有力種族です。とくに、世界一速いと言われる帆船「サンデック」を操り、巧みに漁を行う海の民としても知られてきました(サンデックについては、別途、触れてみたいと思います)。

このマンダール地方で盛んに行われているスポーツが「レディ・パパン」という、バドミントンの一種です。しかも、インドネシア中で、レディ・パパンが行われているのは、なぜか、このマンダール地方だけなのです。

今回のツアー中、参加者と歩いていた村の中で、レディ・パパンをしている若者を見かけました。


手に持っているのは、バドミントンのラケットではなく、羽子板のような木製のラケットです。この木製のラケットで、バドミントン用のシャトルを打ち合うのが、レディ・パパンです。

2017年8月27日日曜日

カカオツアーから帰国しました

8月20〜27日、ダリケー株式会社主催のカカオツアー2017のお手伝いを終えて、27日朝、帰国しました。

ツアー中は、通訳兼コーディネーターとして、総勢55名のツアー参加者+スタッフと様々なアクティビティを行いました。

今回の参加者は、高校生や大学生のほか、チョコレート愛好家、会社役員、大学教授など、バラエティに飛んだメンバーでしたが、年齢や立場を超え、互いに自分を高め合う、素敵な仲間となることができました。

カカオの生産者とチョコレートの消費者とを結ぶこのツアー。生産者と消費者との信頼は、国境など軽く超えていくことができるのではないか、という確信を強くしました。

現場を見ることの重要性とともに、日本人とインドネシア人が信頼し合うとはどういうことなのかを全身で感じてもらえたのではないかと思います。


たとえば、地元の小学校で、参加者は、小学生と一緒に、カカオ豆からチョコレートを作る小さなワークショップを行いました。

地元のカカオで生まれて初めてチョコを作った小学生たちは、「また自分でチョコを作ってみたい」と目を輝かせました。そこには、これまでカカオ豆を作るだけだった生産地で何かが変わる兆しがありました。

一緒に、共に。これがキーワードだったと思います。

ツアーへの参加前と後とで、人生観が変わった、とまで言い切った参加者もいました。それはなぜなのでしょうか。

百聞は一見に如かず。ぜひ、来年、このツアーにご参加ください。カカオツアー、という枠を軽く超えてしまうかもしれません。



2017年8月22日火曜日

よりどりインドネシア第4号発行

昨日(8/21)、インドネシアの西スラウェシ州ポレワリに着きました。今年も、カカオツアーのお手伝いに来ています。8/27に帰国します。

カカオツアーの最中ではありますが、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア第4号」を発行しましたので、お知らせいたします。

今回は、カソワミ、カーニバル、海の高速と我らの家、そして、よりどり情報サーチ法の4本です。

東南スラウェシ州ワカトビ列島のカレドゥパ島で以前、カソワミを食べました。どんな食べ物なのでしょうか。

娯楽が少ないと言われたインドネシアで、カーニバルを活かしたまちおこしが広まりつつあります。それは、東ジャワ州の小さな地方都市ジュンブルから始まりました。

国内物流コストを下げるための「海の高速」と「我らの家」、いったいどんなものなのでしょうか。少し解説しました。

中央統計庁とインドネシア銀行のサイトで統計情報を探す方法をお教えします。

現在、会員募集中です。毎月7・22日に発行。日本ではあまり報道されない様々な地方のインドネシア、違った視点からのインドネシアの話題を提供中です。お楽しみに!

いくつものインドネシアへ。ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、全文をご高覧ください。

2017年8月19日土曜日

今週は福島、来週はスラウェシ

久々の投稿となってしまいました。

8月15〜17日は、妻と一緒に福島へ行っていました。

まずは、実家の母や弟たちと一緒に、亡き父の墓参りへ行きました。

翌日は、盆休み中の弟と妻と一緒に私のオフィスへ行きましたが、床が汚れていると言って、さっそく掃除。ホームセンターで必要な備品を買い物した後、オフィス入口の床板が腐食していたので、応急措置をしました。


オフィスと同じ敷地内にある、雨上がりの古民家。古民家のオーナーに挨拶し、妻を紹介して、しばし歓談しました。

8月15〜16日は盆休みの弟が、そして17日は弟の嫁が我々の相手をしてくれました。

実家に帰る途中で、季節も終わりかけの桃「あかつき」を箱買いして、実家で食べました。もちろん、硬くて甘い桃でした。


福島から東京へ戻り、18日は都内でなかなか有意義な会議を終え、明日20日からは、ダリケー株式会社による、インドネシア・スラウェシへのカカオ農園ツアーのお手伝いに行ってきます。

帰国は27日。今年はどんなツアーになるか、どんな面白い方々とお会いできるか、楽しみです。

2017年8月14日月曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(3)

今回の長野への旅の番外編は、乗り物、バスと鉄道です。

志賀高原で便利だったのは路線バスでした。蓮池を中心に、白根火山方面と奥志賀高原方面へ、日中で1時間ないし1時間半おきに路線バスが来るので、一つの場所でゆっくり回ることができました。

重宝したのは、「志賀高原得トクキップ フリー1日乗車券」です。サンバレーから志賀高原内の白根火山方面と奥志賀高原方面への路線バス停留所を自由に乗り降りできて、1日1000円。蓮池から白根火山まで1050円、蓮池から奥志賀高原まで890円、すぐに元が取れてしまいます。

今回は8月9日に利用したのですが、奥志賀高原まで乗ったので、フリー乗車券でない場合と比べて2分の1以下の運賃で済んでしまいました。

バスといえば、長野駅東口から志賀高原へ直行する急行バスも便利です。蓮池停留所に停まっていた急行バスの車体には、「えのたんとキノコフレンズ」が描かれていて、台湾から来た女の子二人連れが盛んに写真を撮っていました。


2017年8月13日日曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(2)

7〜9日は志賀高原で過ごしました。

志賀高原というと、私にはとてもまぶしい雰囲気の場所でした。バブル全盛だった大学生時代、学生たちの多くは、夏はテニス、冬はスキー、と判で押したように男女伴って出かけ、大いに遊んでいました。その行き先として脚光を浴びていたのが志賀高原でした。

大勢と同じことをしたくない自分は、テニスもスキーもせず、しかも浮いた話にも興味がなく、男同士で歌う男声合唱のサークルに所属していました。そのため、志賀高原というのは、自分にとってはまぶしく、世界の違う場所と感じていたのでした。

それ以前、小学生の頃、群馬の親戚のおじさんに誘われて、草津から何度か志賀高原へドライブに連れて行ってもらったことはありました。その時の印象も、人気のある観光地だな、という程度のものでした。

今回も、そんな賑やかできらびやかな志賀高原を想像して行ったのですが・・・。

それは、昭和の志賀高原でした。平成の志賀高原は、違う印象の場所になっていました。

志賀高原行きのバスに乗るため、まず長野駅東口へ行きました。でも、一通り見渡しても、駅には、志賀高原に関するポスターやパンフが見当たりません。

東口の土産物店「科の木」なら何かあるだろうと思って、行ってみました。志賀高原に関するものは何もありませんでした。「科の木」はアルピコグループが経営していて、同グループのバスの行先である信濃大町や黒部アルペンルートの情報パンフは置いてありましたが・・・。

新幹線ができてからは、中央線・大糸線経由で松本や大町からアクセスするのではなく、新幹線で長野まで来て、バスで大町や黒部へ向かうようになったことを理解しました。

長野駅東口から志賀高原への急行バスを運行しているのは長野電鉄です。スキーシーズンの冬季は本数が多いのでしょうが、夏季の本数は1日数本。

私たちが乗った10時15分発の白根火山行き(通行止のため渋峠までしか行きませんでしたが)のバスの乗客は、我々2人以外は外国人客8人。しかも、我々以外の全員が途中のスノーモンキーパーク前で降りて行きました。そうか、彼らの目当てはニホンザルだったのか。

ニホンザル目当ての外国人が降りた後の乗客は、我々2人だけ。そのまま目的地の蓮池まで行きました。バスを降りた目の前、旧蓮池ホテルが解体されているところでした。


それにしても、人がいません。台風が来ているし、旧盆の少し前ということもあるのかもしれません。実際、今回の行程は、どこへ行っても我々2人の貸切状態でした。

2017年8月10日木曜日

台風の最中に涼を求めて長野へ(1)

夏休みと宣言して、8月6〜9日、妻と二人で長野市と志賀高原へ行ってきました。娘がちょうど長期で不在となっているこの時期、本当に久しぶりに、東京の自宅を離れて、二人で旅に出ました。

とにかく、涼しいところへ行きたい!という妻のリクエストもあり、東北海道なども検討したのですが、最終的には、志賀高原へ行くことにしたのでした。

個人的には、本当は、久々に香港か台湾へ行って、存分に食べまくりたかったのですが・・・。涼しいところが優先、でした。

6日は長野市で1泊。その目的は、ここでした。


長野駅前のちょっと路地を入ったところにある映画館「長野千石劇場」。東京で観そびれた香港映画「コール・オブ・ヒーローズ」を観るためでした。

2017年8月8日火曜日

よりどりインドネシア第3号発刊+夏休み

8月7日付で、インドネシアに関する情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第3号を発刊しました。下記のサイトから、ぜひ、読者登録(会員登録)のうえ、ご一読いただければ幸いです。

 よりどりインドネシア第3号

今回取り上げた内容(概要)は、以下のとおりです。

▼インドネシアの国民食インドミーがナイジェリアでも国民食扱いされていることをご存知ですか。アフリカの人々に即席麺文化を植え付けたインドミーのお話です。
→「インドミーはなぜナイジェリアで成功できたのか」

▼このところ塩の値段が急騰しています。不足を輸入で埋めたいのですが、輸入ができないある事情がありました。
→「塩価格が急騰している背景」

▼ロンボク島在住の岡本みどりさんによる連載「ロンボクだより」が始まりました。現地生活者の視点でロンボク島で見聞きする出来事を描いていただきます。
→「ロンボクだより(1)’ゆったりのんびり’に腹が立ったときの特効薬(岡本みどり)」

▼古建築再生は日本だけではありません。スマランのコタ・ラマはその意味でも興味深い事例です。
→「スマランの古い町並み『コタ・ラマ』が面白い」

▼インドネシアの食事がみんな脂っこいと思っていませんか。今回はヘルシーフード「パペダ」をご紹介します。
→「ジャヤプラで食べたパペダとは」

このところ、バタバタしていて、ブログ更新ができずにおりました。ご容赦ください。

なお、8月6〜12日ごろまで夏休みとさせていただきます。この文章も、インターネット接続がよくない日本国内の某所で書いております。台風の影響と思われる雨や風の音がゴーゴーと聞こえてきます(どこにいると思いますか?)。

2017年8月1日火曜日

インドネシアの大学の先生方を福島へ

8月1日、インドネシアのマラン・ムハマディヤ大学の先生方5人を福島市へお連れしました。朝、羽田に到着し、そのまま東京駅から新幹線で福島へ来ました。

今回の訪問は、今年4月に私が同大学でゲスト講義を行なった際に話が出ていたもので、福島をテーマとした新しいプログラムを立ち上げる可能性を探るための来訪です。

福島駅近くのホテルへ到着。でも午後3時までチェックできず、一息入れる間もなく、ホテルのカフェでそのままミーティングへ。でも、今回の福島訪問では、実は、このミーティングが一番重要だったのでした。

2017年7月29日土曜日

尊厳ということ

近年ずっと思っていることの一つが、尊厳ということです。

人間が生きていくうえで、自分の人生を振り返ったとき、「生きていてよかった」「生きてきてよかった」と思えるのは、自分の人生が自分にとっての意味を持ち、それを自分以外の他人や場合によっては世間が認め、尊重するからではないかと思います。

人生の最期を、モノとしてではなく、その人自身として終える。誰もがそのような尊厳を持った形で最期を迎えたいと思うものだと思います。

立派な人生って何だろうな、とも思います。誰が何をもって「立派だ」と評価するのか。なかには、他人や世間から「立派な人だ」と言われたいと思って生きる人もいることでしょう。でも、それは常に自分の人生の評価の尺度を他人に委ね続けるということでもあります。本当の自分とは違う自分を演じ続けなければならなくなります。

どんな人でも、自分が自分らしく生きた、そのそのものをそのまま尊重してもらいたい、という希望を持っているのではないか。他人の評判や世間体に合わせるのではなく、自分ではないような演技をすることなく、自分の存在そのものを一人の人間として尊重されたいのではないか。そんな気が自分でもします。

でも、それは、果たして人間のことだけなのでしょうか。

2017年7月26日水曜日

佐伯の宝、カフェ・ド・ランブル

7月23日、24日の2日間、大分県佐伯市へ行っていましたが、その2日とも、知人に連れられてお邪魔したのが、カフェ・ド・ランブルという古い珈琲店でした。

市内のやや大きめの通りから狭い路地に入り、ちょっと行った先にある蔵造りの建物、気がつかなければ通り過ぎてしまう場所にその店はありました。



2017年7月24日月曜日

音楽を愛する人々に満たされた佐伯での夜

7月23〜24日は,大分県佐伯市に来ています。23日の夕方から、佐伯の皆さんと音楽を楽しむイベントに参加しました。

場所は、市内のお医者さんのお宅に作られた音楽ホール。


そして、そのお医者さんの中学校時代からの同級生で、現在はドイツを拠点に活動している日野隆司氏のピアノコンサートでした。

プログラムは、モーツァルト、ベートーベン、シューマン、ショパンでした。一般のコンサートホールとは異なり、音だけではなく、わずか数メートルの距離にいる演奏者の息づかいさえ聞こえる、とてもいい空間を感じました。

集まった方々は、地元佐伯の音楽を愛する一般の方々でした。今年3月に立ち上がった、佐伯ミュージック・アート・クラブというグループの皆さんです。このフォーラムは、「おんせん県おおいた」にありながら温泉のない佐伯で、自分たちで楽しみながら音楽をもとにした地域おこしを進めていきたい、という趣旨で始まったものです。

2017年7月23日日曜日

よりどりインドネシア第2号を発刊

ここ数日、会員制ウェブマガジン「よりどりインドネシア」第2号の原稿を書いていたため、ぐろーかる日記の更新がおろそかになっておりました。お約束通り、7月22日に第2号を発刊いたしました。以下のページをご参照ください。

 よりどりインドネシア第2号

今回の話題は、首都移転論議、中国系工場襲撃事件、教育問題、ソト・クドゥスの4点です。


首都移転論議、再び
ジャカルタからの首都移転論議は、今回が初めてではありません。本号では、過去の論議を少し詳しく振り返ります。

北スラウェシでの中国系セメント工場襲撃事件
北スラウェシ州で中国系セメント工場への襲撃事件がありました。その背景には中国嫌いにとどまらない、地方政治の思惑が絡んでいました。

新学期、今年も入学仲介業者が暗躍したが・・・
インドネシアの学校は新学期がスタート。日本より進んでいるかもしれないオンラインの新入生入学受入システム。それでも変われない構造的な問題に触れました。

クドゥスで本場のソト・クドゥス
私も大好きなソト・クドゥス。中ジャワ州クドゥスで食べる本場の味を紹介します。

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2017年7月19日水曜日

仙石線と仙石東北ライン

7月16日に、イモニウォークに参加するため宮城県東松島市へ行きましたが、その行き帰りに使ったのが、仙石線と仙石東北ラインです。

仙石線とは、仙台と石巻を結ぶJR線で、東日本大震災の際、野蒜駅付近で線路が津波の影響を受けて断線し、松島海岸=矢本間で代行バスが運行された後、線路を高台ルートに移転の上、2015年5月30日に全線が運転再開しました。

今回、乗ったのは、仙石東北ライン。仙台から塩釜までは東北本線を通り、塩釜から松島へ向かう途中で仙石線へ入り、高城町から先は仙石線で石巻や女川まで向かう「快速」です。女川まで行くということもあり、車両はハイブリッドのディーゼルカー(HB-E210系気動車)です。


ハイブリッドというのは、エンジンの動力として走行しながら発電し、その電気を蓄電池に溜めて、それを使って速度を制御したながら走る、ということのようです。ハイブリッドの様子が社内でもモニターできます。