2020年1月31日金曜日

梅の咲き始め

数日前、妻と一緒に、東京の自宅からちょっと離れたところにある、子安天満宮菅原神社の前を通ったら、赤梅と白梅が咲き始めていた。




子安天満宮菅原神社は、名前のとおり、菅原道真公を祀る神社で、室町時代に巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として邸内東の台地に勧請したとされる。江戸時代には、巣鴨・真性寺が別当となり、天神山と呼ばれていたらしい。

天神さまということで、合格祈願などが行われていそうなのだが、よくあるような絵馬などは見られない。社殿は閉められており、社殿入口の穴からお賽銭を入れるようになっている。

いつ来ても人のいない、静かな境内で、しばし祈る。


境内には、ゆずと思しき柑橘類がたくさん実っていた。

春はもうすぐ。1月が終わる。

2020年1月27日月曜日

歳を一つ重ね、父の早期退職の歳を思い出す

1月26日、歳を一つ重ねた。亡き父が定年2年前に早期退職したときの歳と同じ歳になった。

あのとき、父はなぜ早期退職を決意したか。それは私が大学を卒業し、就職するからだった。区切りが一つ付いた、と言った。

定年まで辞めなければ、県内のある組織の会長になっていたことだろう。でも、父は、そうした会長という職務に名誉や価値を感じていなかった。面倒くさい、と言った。

第二の人生を送りたい、とも言っていた。その頃の父は、中国やタイからの留学生の世話をし始めていた。退職後は、そうしたささやかな国際交流をしたいと願っていた。

その時から亡くなるまで、約25年間、留学生などと触れ合い、元気だった頃は、年に1回程度、友人たちと海外へ旅行に出かけていた。とても楽しそうだった。

そんな父が、人生における一つの区切りをつけた歳に、私も届いた。

退職という意味では、父の歳よりずっと前、今から12年前に私は自分で早期退職した。そこで自分なりの区切りをつけた。

自分のやりたいことの、第二のステップへ向かうために。

でも、この12年は、決して順風満帆ではなかった。ときには、自分なりの区切りをつけたことを後悔もした。生き方が下手だと自分を責めさえした。

父が早期退職した歳と同じ歳になった自分は、今でも現在進行形のままだ。自分の判断や生き方が正しいのか、適切なのかも確証を持てないまま、もがき続けながら、前へ進もうとする毎日を送っている。

他人とは比べない。もう比べられない。自分の道を歩むしかない。

父よ、私はまだ終わらない。前へ進む。やるべきことはまだまだたくさんある。まだまだ心細いかもしれない私だが、どうか、ほほえみながら見守っていて欲しい。

2020年1月25日土曜日

よりどりインドネシア第62号を発行しました

よりどりインドネシア第62号を発行しました。今号の内容は以下のとおりです。

●イスラム指導者による新疆ウイグル自治区訪問の意味(松井和久)
2019年2月、インドネシアのイスラム指導者らが中国の招待を受けて新疆ウイグル自治区を訪問しました。帰国後、中国の対イスラム政策への彼らの見方はどのように変化したのでしょうか。

●ウォノソボライフ(25):レンゲル舞踊 〜その変化と継承の現場〜(神道有子)
神道さんの好評連載は、ウォノソボが中心のレンゲル舞踊を取り上げます。レンゲル舞踊が歴史的にどう変わり、それがどのように継承されていくのか。とても興味深い内容です。

●いんどねしあ風土記(10):「忘れてはならない」20年越しの真実を求める草根の叫び〜西ジャワ州デポック~(横山裕一)
横山さんの連載は、20年前に行方不明となった活動家とその真相究明を求める息子のドキュメンタリー映画への思いを綴った内容です。忘れてはならないことがインドネシアには多すぎます。

下記のサイトより、読者登録のうえ、ご購読申込いただけます。なお、申し込まれた月はお試し期間として無料となります。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/issue/4772/

また、PDF版をご希望の方は、メールにて、下記のアドレスまでご連絡ください。
matsui@matsui-glocal.com

他では読むことのできない、いくつものインドネシアをお伝えしてまいります。ぜひ、ご購読のほど、よろしくお願いいたします。

2020年1月20日月曜日

前言撤回、個人ツイッター継続します

1月6日に「個人ツイッター、止める」宣言をしましたが、撤回します。

自分が救われる言葉、前向きになれるつぶやきが、まだまだ溢れていました。

他人に読んでもらうことを期待せず、自分の気持ちを短く、吐き出せる媒体がないと、悶々としてしまい、けっこう苦しいことも実感しました。

たとえ実際に面識はなくとも、未来に対して、まだ前向きに動こうとされている方々と関わっていきたいという願いも、かえって強くなりました。

意味のない誹謗・中傷は、努めて見ないようにします。

結果的に、嘘をついてしまいました。ごめんなさい。

2020年1月19日日曜日

植樹ツアーの説明会でモンゴル料理を堪能

1月18日は、昼間、知人が関わっているイベントに出かけた。彼らは、4月18~22日に「内モンゴルの植樹と砂漠、食文化を訪ねる旅」というのを企画しており、その説明会があったのである。

これは、植樹に携わる団体「地球緑化クラブ」と、乾物を通じて世界平和に貢献することを目指す団体「DRY and PEACE」が、ピース・イン・ツアーと一緒に実施するツアーである。植樹だけでなく、食文化の探求にも力を入れており、このツアーに来ないとまずお目にかかれないような、内モンゴル料理が目白押しの様子である。

ツアーの紹介と申込みは、以下のサイトを参照して欲しい。
https://www.pitt.jp/study/tour/detail.php?tour_code=STP-59

もっとも、私自身は、ツアーの説明よりも、説明会の会場であるモンゴル料理店「シリンゴル」での料理のほうに大いなる興味があった。そして、次から次へと出される料理に、その興味は十分満たされたのである。



肉、肉、肉、のっけから、羊肉づくし。この羊肉は臭みがなく、歯ごたえも柔らかい。肉本来の味を十分に楽しめた。

2020年1月17日金曜日

阪神淡路大震災から25年

2020年1月17日、阪神淡路大震災が起こってしまってから25年が経った。25年、四半世紀という区切りがつけやすいこともあってか、メディアの取り上げ方が、例年に比べて多いように感じる。

いまを生きていらっしゃる被災された方、大事な人やものを失われた方にとって、25年目といっても、その365倍の毎日の積み重ねでしかない一日であろう。

ごく普通の変わらない、あたりまえの明日が来ることが、あたりまえではなく奇跡かもしれないことを教えてくれたあの日。そしてあの後、東日本大震災をはじめ、あたりまえの日がやって来なかった経験が幾度も繰り返されてきた。

いまをまだ生きていることへの感謝。たとえ求められていなくとも、他者の悲しみを少しでも和らげてあげたいという気持ち。様々な思いを持った様々な人々がいるということの理解。忘れてしまいたいことと忘れてほしくない気持ちとの葛藤。それらをすべてまるく包含できるやわらかな世の中をつくっていくこと。

1月17日は、自分にとって、3月11日とともに、それらを忘れてはならない、と肝に命じ、改めて自覚させる日。生きている者、生きたかった者、生きることに希望を失いかけている者、なんとかして生きたいと願う者、そうした人々への想像力をより鋭敏に高めることを、改めて自覚させる日。

2020年1月15日水曜日

初めての小湊鐵道、味のあるローカル線

1月11日に市原湖畔美術館での「宮本常一から学ぶ」のイベントに参加するため、五井から高滝まで、初めて小湊鉄道に乗った。市原湖畔美術館への最寄駅は高滝で、高滝駅から市原湖畔美術館までは徒歩で約20分だった。

JR内房線で五井駅につき、跨線橋上で、JRの改札を出ることなく、そのまま真っすぐ進むと小湊鐵道の乗換口。世話好きな小湊鐵道のおばさんが案内してくれる。

自動販売機で切符を買う。今回買ったのは、五井~高滝間の往復割引券。上総鶴舞と高滝の間が乗り降り自由の切符で、往復1420円。通常運賃は片道930円なので、往復で400円程度お得になる。

きっぷを買って跨線橋を降りると、小湊鐵道のプラットフォームだ。列車はすでにプラットフォームに待機、気動車だ。



車体にはKTKの文字。Kominato Tetsudo Kabushikigaishaの略なのか。キハ207。


2020年1月13日月曜日

市原湖畔美術館のイベント「宮本常一から学ぶこと」

2020年1月11日、市原湖畔美術館で開催されたトークイベント「いま、宮本常一から学ぶこと~つくり手たちの視点から~」に出席した。合わせて、開催中の企画展「サイトスペシフィック・アート~民俗学者・宮本常一に学ぶ~」も見てきた。

市原湖側から見た市原湖畔美術館

このイベントの知らせを知ったのが2019年12月下旬で、その情報を見てすぐに申し込んだ。その後、市原湖畔美術館の場所を探して、小湊鐵道に乗らないと行けないと知り、それなら、ますます行かなければならないと思った。

私自身は、これまでに、地域研究者(フィールドワーカー)とファシリテーターの両方を併せ持つ存在としての宮本常一から学ぶことが多く、インドネシアや日本の地域を歩きながら、彼の実践にほんの僅かでも近づきたい(でも、できていない)と思いながら過ごしてきた。

今回のイベントは、映像や写真を含めたアートの観点に立って、宮本常一から何を学ぶのか、というテーマだった。近年、地域づくりにおけるアートの役割を意識するようになったこともあり、個人的にとても興味のあるテーマとなった。

しかも、イベントのスピーカーとして、数々の芸術祭を創り上げてきた北川フラム氏(会場の市原湖畔美術館の館長だと初めて知った)、宮本常一の足跡を丹念に追い続けてきた歴史民俗学者の木村哲也氏、戦中までの宮本常一を題材とする戯曲「地を渡る舟」を上演したてがみ座主宰の長田育恵氏、そして、開催中の企画展を監修した多摩美術大学の中村寛氏が出席したことも魅力的だった。

2020年1月10日金曜日

福島市の冬の風物詩「光のしずくイルミネーション」

福島市の冬の風物詩といえば、「光のしずくイルミネーション」である。1月31日まで、福島駅東口広場とパセオ通り及びその周辺で、総電球数20万個が夜を光で彩っている。

今回の福島滞在でも、パセオ通りで眺めることができた。



今や、日本中のあちらでもこちらでも、LED電球を使ったイルミネーションが花盛りで、他と比較して際立たせるには、ただ光らせるだけではない、何らかのプラスアルファが必要である。それも、ポジティブなプラスアルファが・・・。

この福島市の冬の風物詩は、東日本大震災の後に始まったと記憶している。パセオ通りに植えられ、電飾を施された木の一つ一つに、福島に少しでも希望をもたせようとするかのような詩が一つ一つ掲げられていた。その詩に私も勇気づけられたものだった。

今は、それはない。電飾を施された木々だけが立っている。

人々は今、このイルミネーションに何を思うのだろうか。

一人ひとりの状況は違うだろうが、希望は取り戻せたのだろうか。新たな希望は生まれたのだろうか。

夕方5時過ぎ、イルミネーションの光るパセオ通りを行き交う人々の姿はほとんど見られなかった。

光のしずくは、どこか寂しげだった。

2020年1月8日水曜日

よりどりインドネシア第61号発行

本日(1/8)、月2回発行のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』第61号を発行しました。今回は3本、内容は以下の通りです。

▼コナウェ県の架空村騒動と村落資金(松井和久)
2019年末、各村均等に資金を配分する村落資金を受け取るための架空村の問題が明らかにされました。東南スラウェシ州コナウェ県の架空村の事例について、少し詳しく見てみました。
▼ロンボクだより(27):ゴミ銀行を始めた青年との対話(岡本みどり)
岡本さんの好評連載、今回はゴミ銀行を始めた青年との対話です。この青年に岡本さんがどうしても訊きたかったこととは、何だったのでしょうか。
▼南スラウェシの木造船、現状と課題~タナベル、ガレソン、パンダラ、パオテレ港を廻って~(脇田清之)
脇田さんは2019年末、南スラウェシの伝統帆船ピニシの現状と課題を探るために、いくつもの現場を訪問しました。今回はその時の様子を書いていただきました。

2003年8月にお会いしたジョグジャカルタ郊外で編みバッグを製造しているご夫婦

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料金は、1ヵ月(2回発行)で750円+税となります。

なお、バックナンバーから興味ある記事を1本単位でPDFで購入できるようにすることも検討中です。

以上、よろしくお願いいたします。

2020年1月6日月曜日

嫌な言葉をたくさん目にした日、日本語個人ツイッターを止めます

今日1月6日、官公庁や企業などは仕事始め。新しい2020年を迎え、スタートの日。今年は・・・との決意や希望を表明し、成就を祈る日でもある。

そんな日なのに。いや、そんな日だからこそなのか。

今日は本当に、嫌な言葉をたくさん目にした日になった。そんな日であって欲しくなかったのに。

その1。新宿駅南口で自殺を図った人がいたというツイート。幸い、自殺未遂だったようだが、その人のことを、場所を選べ、とか、みんなの迷惑だ、とか、非難するツイート。そして、その自殺を図った人に向けてその場にいたたくさんの人々がスマホで写真を撮っていたというツイート。何なんだろう、いったいこれは。

その2。ある元政治家が入水自殺したという記事。この方のツイートはフォローしていたのだが、たしかに言われているように、執拗な嫌がらせや誹謗中傷を受けていらした。そして、自殺だったと報道された後も、相変わらず誹謗中傷し続けるツイートが止まらない。何なんだろう、いったいこれは。

その3。朝日新聞で読んだ「津久井やまゆり園」事件の被告の言葉。「障害者は不幸の源だ。ベストを尽くした」「テレビで真実を語るのを見たんです」「『意思疎通ができない重度障害者は要らない』と言えない社会になっている。でも真実を言っていいんだと思った」「人生で一度も一番になったことがない。事件を起こし、かっこいい、役に立つ人になりたかった」「役に立てば金になると思った」

2020年1月3日金曜日

初詣に行って、初耳の「夏詣」

正月は1日、2日は家でゴロゴロしていたが、3日は近くの天祖神社へ初詣に出かけた。正月三が日を過ぎると、今年の破魔矢を得られなくなるかもしれないからだ。

我が家は、一応、天祖神社の氏子。初詣の際に、去年の破魔矢を神社に持っていって、新しく今年の破魔矢をいただいてくるのが、毎年の恒例行事。予想通り、初詣の人々で、天祖神社の前は行列ができていた。4列に並んで順番に拝礼する。


初詣に来た人のなかには、ご朱印をもらうために社務所に並んでいる人もけっこういた。へーっと思っていると、ご朱印をもらうためのご朱印帳も販売している。

拝礼してすぐ、ふと下を見ると、「都電神社めぐり」という冊子が置かれているのに気がついた。

ほおーっ、都電沿いの神社をスタンプラリーのようにまわるのか、と思ったら、飛鳥山の七社神社、雑司が谷の大鳥神社、そしてここ大塚の天祖神社の3社しか載っていない。

なぜこの3社、と思ったら、共通点があった。夏詣を行っているのである。

夏詣、とは初耳だが、神道の世界ではなにかそんなものがあったっけ?

2020年1月1日水曜日

2020年、新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

 旧年中は大変お世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

日本と海外(インドネシアなど)の地域づくりをパラレルに見ていると、その同時代性を強く感じます。ローカルとローカルがつながり、新しい価値と深い学びが持続的に生み出される。そんな世界を目指して、微力ながら精進したいと思います。

インドネシア・東ジャワ州バトゥ市の若き農業者たちと一緒に。
生産者と消費者を結ぶ動きはここでも試みられている。 [2019年5月]