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2019年4月20日土曜日

Kucumbu Tubuh Indahku (Memories of My Body) を観て

4月19日、エアアジアの夜行便乗り継ぎで、午後1時半頃、ジャカルタに到着。

アジトでしばし昼寝をして、いつものように、携帯電話のインターネット用SIM利用分の追加をしました。

その後、モールのフードコートでハズレのTongseng Kambingを食べながら、今日からガリン・ヌグロホ監督の作品"Kucumbu Tubuh Indahku"、英語名"Memories of My Body"が上映されることを思い出しました。


上映館を調べると、ちょうど19時15分から、チキニのタマン・イスマイル・マルズキ(TIM)で上映されることが分かりました。急いでフードコートのある5階から1階へ降り、停まっていたよく知らないタクシーに乗り込んで、一路、TIMへ。上映まで30分しかなく、大雨の後で、果たして間に合うのか・・・。

タクシーの運ちゃんが頑張ってくれて、TIMに着いたのが19時15分。チケット売り場の受付嬢は「まだ大丈夫」という返事。最後に残っていた最前列の1席をゲットし、満席の会場で観ることができました。

前評判は聞いていたものの、どんな内容なのかは全く知らずに、とにかくガリンの新作を観る、ということで観たのですが・・・。

**********

すごい作品でした。映像はガリンらしくとても美しく、音楽も明るく軽妙。でも、それが故に、人間の暗さや絶望や行き場のない怒りなどが際立ってしまうのでした。

踊り手となるジュノという男性の子供時代から青年になっていくまでの多難な人生を、彼や彼に関わる人々の身体を通じて描いていく内容で、物語としての一貫性といった分かりやすさを目指したものではありませんでした。

ジャワの狭い社会のなかで、ジュノの家族が置かれた状況とそれがジュノに強いる様々な苦悩が描かれ、ときにはそれが身体から現れる血を象徴として、ジャワの伝統社会のもつ陰の部分が色濃く表されていました。

ジュノの人生は、救われることのない厳しい試練の連続ではあるけれども、今は踊り手として生きている、様々なトラウマを抱えながらも、身体は生き続けている、というメッセージを受け取ったような気がしました。


この手の作品は、最初は人気を博しても、すぐに上映が終わってしまう傾向があります。明日から火曜までは映画館へ行ける時間が取れなさそうだったので、まだまだ眠い目をこすりながらも、観に行ったのでした。

感動作、というのではありません。問題作、というのでもありません。でも、このような作品は、おそらくガリンしか作れないのではないか。彼はもうそんな域に達したのかもしれない、と思える作品でした。

2019年4月15日月曜日

「東北家族」の皆さんと仙台でお花見

2019年4月14日、東北6県のインドネシア人技能実習生のネットワーク「東北家族」(Keluarga Tohoku)が仙台市の榴岡公園で花見をするというので、行ってみました。

榴岡公園の桜は、ソメイヨシノが満開、シダレザクラもだいぶ花が開いていて、絶好のお花見日和となりました。さすが仙台、おだやかな晴れた日曜日ということもあり、人、人、人、の賑わいでした。


公園に入ったら、いきなり、調子のよい笛や太鼓とともに、扇子を持って踊る集団に出くわしました。雀の会というこの集団以外にも、踊りながら公園内を練り歩くグループがいくつもあって、とにかく賑やかでした。


でも、「東北家族」の花見の場所が分からず、四苦八苦。ようやく、見つけて辿り着いたら、皆さん、紙に何か書き込んでいる様子。仙台市国際交流協会の方から依頼されたアンケートへの回答中でした。


花見と言えど、式次第があったようで、「東北家族」の主宰者の挨拶の後、皆がそれぞれの宗教に則ってしばし祈りを捧げ、今日ここで集まって花見ができることを神に感謝していました。

今回の花見は、「東北家族」設立10周年記念ということもあり、山型に盛られたイエローライス(Nasi Tumpeng)の先の部分をカットする、というのも行われました。


その後は、アトラクション。女性が3人出てきて、踊り始めました。途中で音楽が途切れるハプニングがあり、もう一度最初から踊らされた3人でした。


一度ギアが入れば、ノッてくる皆さん。しばらくすると、みんなで踊り始めました。


男女が背中合わせになって、間に風船を入れて、どのカップルが最期まで風船を割らないか競う、おなじみのゲームも。


一応、周りの花見中の方々にも、どんな集団か、何をしているのか、説明したのですが、皆さん、興味津々でした。インドネシア人技能実習生がこんなにいるのか、と驚かれる方もいれば、宮城で働いてくれてる方々だよね、とか、「東北家族」っていう名前が何かわかんなかったけどそうなのー、とか、意外なほど、自然に受け入れてくれて、彼らの様子を楽しんでみてくれていました。

地元紙などで「東北家族」を好意的に書いていただいたりしたこともあるのかな、と一人思ったりしました。

最後、全員写真を撮るときに、近くで花見していた青年がカメラマンを買って出てくれたり、「東北家族」で来ていた子どもが、周りにいた花見客の子どもといつの間にか仲よく遊んでいたりと、ほのぼのした空気がいっぱいでした。

全員で片づけ、ゴミ拾いなどをして、サクッと解散しました。

2019年4月13日土曜日

伊藤若冲展を観に行く

今回の福島滞在中に行きたいと思っていたのが、福島県立美術館で開催中の「伊藤若冲展」。ようやく時間の取れた4月13日(土)、気合を入れて、開場時間の午前9時半に合わせて実家を出ました。

実家から会場までは自転車でわずか5分。今回はすごく混んでいるし、土曜日だし。でも、朝早くだったら、入れるかも。

でも甘かったです。


開場前、すでに長い列。ともかく、列に並びました。


雲一つない青空、快晴。天気がよくて良かったです。

行列に並んでから約30分経って、ようやく、美術館の中に入れました。

展示会場は5つに分かれ、若冲の作風の変化を順に追って観られるように配置されていました。でも、入館者がとても多くて、作品をじっくりと観ることができないほどでした。

屏風絵や襖絵などは、少し遠くから全体をゆったり眺めたいのですが、とにかく人が多くて、無理でした。

サクッと1時間程度で観るのを切り上げましたが、入館者はその後も次々にやって来ていました。バスを仕立てたツアーで来たお客さんもたくさん。すごいなー、若冲の人気。

個人的には、サクッと観るのを切り上げたせいかもしれませんが、前回の「若冲が来ました」のときよりはややインパクトが薄く感じました。

それでも、若冲の描く直線・曲線、線を組み合わせた構図の的確さ、迷いのなさがとても印象的でした。それ故に、作品の一つ一つが驚くほどシンプルに、観る人の心に迫ってくるのだと感じました。


穴のあいた蓮の葉。立ち上がっていくその姿を、福島の復興になぞらえて、力を与えてもらっている、という風に感じている、ようです。


若冲展の前半は今週いっぱいで終了し、一部の展示を入れ替えた後半が来週以降となるようです。

常設展を観て美術館らしさを少し味わった後、ふたつやま公園へ行って、雪を被った吾妻連峰と安達太良連峰に会いに行きました。


福島にいた子どもの頃、毎日見ていた吾妻と安達太良。今も福島に帰ると再会できて、ほっとした気分になります。私自身の脳裏に焼き付いた原風景がなのです。

隣の森合運動公園の桜が見事でした。



先週までの東京での桜に続いて、福島でも桜を楽しめました。

そして、毎月1回は行きたいと思っている常連の椏久里珈琲で、今月のケーキとコーヒーを味わいました。


焼きたてクロワッサンも追加!


おだやかな、春の福島の一日でした。

2019年4月12日金曜日

Bijiという名のお店を訪ねてみた

福島市内には、どのぐらいインドネシアと関わりを持つ人々がいるのだろうか、と思って、気になる店や場所や人を探し始めました。

昨年10月、福島市で初めてのインドネシア・フェスティバルが開催されたときに、何人かのインドネシアの方と結婚して市内に住んでいる方にお会いしました。そんな、インドネシアと関わりを持つ方々とも知り合いになれたら、と思った次第です。

今日は、Bijiという名前のお店を訪ねました。



Bijiというインドネシア語の意味は、種、粒、といった感じでしょうか。

お店の方に、どうしてBijiという名前を付けたのか、訊いてみました。

すると、このお店にあるモノを買っていただき、種から草花が育っていくように、大事に大切にそのモノを使っていいものへ育てていってほしい、という願いを込めて、Bijiという名前を付けたのだそうです。

店内には、ちょっと個性的でしゃれた小物や家具が置かれていて、しかもその各々が作者によってきちんとつくられたモノたちでした。モノに込められた作者の思いやモノが造られるまでのストーリーが聞こえてくるような、そんなモノたちでした。

インドネシアのモノは家具で、旦那さんが定期的に買い付けに行かれるそうです。

創業は2005年。こんなお店がもう15年も福島市内にあったなんて、恥ずかしながら、気がつきませんでした。

ただ、お店の方は、昨年10月のインドネシア・フェスティバルのことはご存じなかったのでした。また、福島市内に居住するインドネシア人の方々ともお付き合いはまだないとのことでした。

福島市だけではないのでしょうが、インドネシアと関わった日本人の方と、技能実習生などで来ているインドネシア人の方とが、同じ福島市という比較的こじんまりした空間に居ながら、それぞれが違う世界にいる、という状況なのだと改めて認識しました。

それなら、両者をつなげてみようかな、と思いました。何が起こるかは分からないけれども。つなげることで、もう少し楽しい空間や時間が生まれるような気がします。

BIJI
960-8051 福島市曾根田町3-14
Phone/Fax: 024-535-7716

2019年4月9日火曜日

マイノリティになる経験をすることが大事

日本の昨今のヘイトスピーチの横行や、インドネシアでの多数派イスラムの名の下での強制、といった現象を見ていると、それを行なっている人間が常にマジョリティのなかにいる、という当たり前の事実がある。

しかし、それを行っている人間は、マジョリティのなかでのごく一部の人間に過ぎない。マジョリティのなかのごく一部の人間が、結果的にマジョリティの枠に守られながら、ヘイトスピーチを行っている。

マジョリティのなかの多数派は、マジョリティの同じアイデンティティを持つがゆえに、その方法に賛意は示さずとも、ヘイトスピーチを行う人間をマジョリティのなかから追放することができない。

結局は、マジョリティという繭に守られているから、ヘイトスピーチが可能になるのである。殺人やテロなどのように一線を超えない限り、マジョリティのなかから彼らは排除されない。

だから、彼らは、マジョリティのなかで本当は賛同者が少ないマイノリティだけれども、マジョリティのような顔をしてヘイトスピーチを行える。

たとえ、ヘイトスピーチが深い洞察に基づいたものではなく、もしかすると単なるうっぷん晴らしやストレス解消のネタに過ぎないとしても、それをやれると思っている。

では、彼らがひとりぼっちになったら、ヘイトスピーチをするだろうか。韓国や中国で、彼らはヘイトスピーチをするだろうか。

そんな人をまだみたことはない。

海を隔てた外国から見れば、日本国内でのヘイトスピーチは、犬の遠吠えにすぎない。ただのうっぷん晴らしにしかみえない。しかし、それがマジョリティを動かしてマスで動き始めたとき、外国の反応は急転する。

マジョリティのなかでしか生きてこなかった人たちよ、一人になってごらん。一人になって、誰も知り合いのいない、全く知らない土地へ行ってごらん。

こわい?不安?

自分がマイノリティになって、初めて分かることがたくさんある。騙される。いじめられる。言葉が通じない。ときには、「ここは俺の国だ。日本へ帰れ」と言われるかもしれない。

この日本で、そう言われている外国から来ている人々に思いを馳せられるだろうか。

他者への想像力を高めよ。そのためには、自分がマイノリティになる経験をすることが大事なのだ。

そこで初めて、もし、誰かが自分に憎しみの言葉をぶつけてきたら、自分はどんな気持ちになるのか、が理解できるはずだ。

きっと、そんな目に遭ったら、その人はその国や場所を嫌いになってしまうだろう。二度と来るものか、と思うだろう。

そう、そうなのだよ。

自分がされて嫌なことを相手にすることはどうして正しいのか。相手よりも強ければ、頭が良ければ、それを正当化できるというのだろうか。

それは、ただの傲慢。でも、現実の世界ではよく見られることだ。

一度、マイノリティになってみよ。一人だけになってみよ。マイノリティになる経験をした人間が多くなれば、他者への想像力がもう少し高まったマジョリティの社会をつくることができるはずだ、と思う。

桜の背景にはやはり青空が似合う。



2019年4月4日木曜日

目の中を飛ぶ黒い点とぼわーっと白い世界

先月、インドネシアへ行った頃から、左目の中で虫のような黒い点が飛ぶようになりました。飛蚊症というものらしいです。

歳を取ってくると、そういった現象が起こるものだということですが、場合によっては網膜剥離の可能性もありうるということです。

まあ、大したことはないだろうと思ったのですが、念のため、眼科に行って診てもらいました。

私にとって、病院の中で、一番嫌いなのが眼科。

まだ子供の頃、目をいろいろいじられて、とても嫌な気分になったのが、今もトラウマになっています。

でも、何十年ぶりかで眼科へ行ったら、様子が随分変わっていました。機器が見違えるほど良くなり、目を見開いているだけで、医師が様々に診察してくれます。

まず、眼孔を開くために、ある薬を点眼されました。それを点眼すると、目の前がぼわーっと白っぽくなる状態が5〜6時間残る、ということでした。

点眼の後、待合室で20分ほど待った後、再び診察。眼孔が開いた状態になったらしく、いろいろと診ていただいた結果、とくに問題はない、という答えでした。

今後も、黒い点は現れるだろうし、増えるかもしれないし、消えてしまうかもしれない、それを自分でコントロールすることはできない、ということでした。

薬も処方されない診察のみで、眼科を後にし、外へ出たら・・・。

世界がぼわーっと白くなっています。

明るいところでは、そのぼわーっとした状態が強まり、モノをはっきり見ることができません。モノを見るのがつらく感じました。

日陰や屋内などやや暗いところに入れば、通常よりも劣りますが、日なたよりはモノを見るのがつらくはなくなりました。でも、日なたに出ると、目の前が、まるで白いモヤに覆われているかのように、ぼわーっとよく見えなくなるのでした。

きっと、こんなふうに、ぼわーっとモヤのように景色が見えている人もいるに違いない。そんなことに初めて気づきました。

明日は、日なたを歩いても、ぼわーっと白く、モノを見るのがつらくないといいのですが。

目の中を飛ぶ黒い点は、あれ、なくなったかもしれない、という感じになりました。

でも、夜になると、また現れてきました。

目の中を飛ぶ黒い点とは、まあ、仲良く付き合っていくことにします。

眼科に行く前に見た朝の自宅の桜。眼科から帰って後は、
目の前がぼわーっとして、見るのがつらくなりました。

2019年4月1日月曜日

新年度開始、新元号発表、ふつうの日

4月1日になりました。

弊社・松井グローカル合同会社も今日から新しい2019年度が始まりました。企業や学校など、今日から新しい年度が始まった方々も多いことと思います。

そして、政府が5月1日からの新元号を発表しました。今日のメディアはその話題で持ちきりですが、日常生活のなかで、ほとんど意味を持たない元号に大騒ぎしているのを、少し不思議な気分で眺めています。

私自身は、先週までの活動の疲労が少し出て、今日はあまり体調の良くない1日でした。所用で税務署へ出向き、説明を受けて、また一つ勉強になりました。

その後、ちょっと足を伸ばして、法明寺の桜を見に行きました。




桜の季節、ここには、桜を遮るほど露店がたくさん出るので、いつも盛りを過ぎてから、花吹雪の頃に行くのですが、今日は、平日のせいか、露店の数は少なく、ゆっくり桜を楽しめました。

今日もふつうの日でした。そして明日からも毎日、ふつうの日を積み重ねていきます。その1日1日を大切に過ごしていきたい、というあたりまえのことを思いました。

2019年3月30日土曜日

東京の我が家の桜が満開、来年の今頃は・・・

東京の自宅には、妻方の先代が戦後すぐに植えた桜(ソメイヨシノ)の木が一本あります。おかげさまで、毎年、自宅の庭でお花見を楽しむことができます。




ほかにも、我が家の近くには、ネットには載らない、穴場的な桜並木があります。昨日通ったら、ちょうど満開でした。




この桜並木では、地元の商店会がさくらまつりをするのですが、なぜか、いつも満開から1週間後に開催なのです。

でも、この桜並木の見どころは、満開の桜だけではありません。散るときの桜吹雪が、それはそれは見事なのです。さくらまつりは、実は桜吹雪を楽しむためなのかもしれません。

我が家の庭にも、近くの桜並木にも、今は桜が咲き誇り、とても気持ちのいい季節になりました。

我が家の庭には、桜以外にも、様々な花が咲き始めています。




来年の今頃も、きっと、また家の庭の桜の木を見ながら、ささやかなお花見をしていることでしょう。

私たちの家族だけでなく。

ここに集う、インドネシアなどからの新しい友人たちと一緒に・・・。

もし、シェアハウスが完成していたなら・・・。

完成しているかどうか? それは、神のみぞ知る・・・ですね。

2019年3月26日火曜日

おいおい老い展を見学

3月25日は夕方、アート千代田3331で開催中の「おいおい老い展」を見に行きました。25日が最終日でした。


イベント自体は3月21日から開催していたのですが、どうしても期間中に時間が取れず、しかも24日は疲労困憊で休息を余儀なくされたため、この25日しか行ける余裕がなくなってしまいました。

でも、行ってよかったです。そして、とても楽しい展覧会でした。

介護を施設の中だけに留めるのではなく、地域やコミュニティと接点を持たせることによって、介護と生活、生きるということとをよりビビットに結びつけると、介護をする側も受ける側も楽しくなる、アイディア。

介護という仕事が、こんな風にすると魅力的になり、若い世代も楽しく関わっていくことができるというアイディア。

そんな魅力的なアイディアが67点、しかも、それは机上の空論ではなく、実際にプロジェクトとして試されていくものばかり。

4月から福島市で開業するサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」のことを考えながら、実に様々なヒントを得ることができました。そして、さらなるアイディアが湧き出てくるような、ワークショップを「しみずの里」でやってみたい気持ちになりました。

そして、同じように高齢者介護の課題に直面する韓国や台湾、遠くない将来に高齢化社会を迎えるインドネシアなどの国々のことを思いました。

外国人材を介護などの分野に日本で受け入れるのは、単に人手不足を補うという意味だけでなく、今後に向けて、介護という仕事を魅力的にしていける人材を世界へ向けて育成することにもつながるのではないか、と。

そう考えると、この「おいおい老い展」は、決して日本だけのものではない、何らかの形で国外の同様の課題を抱えている、抱えることになる人々にとっても、きっと有用なことなのではないか、と思いました。

介護福祉士が地域づくりに関わる、という視点が新鮮に感じられました。そして、そうなんだよな、と展示を見ながら何度もうなづきました。

ここに提示されたようなプロジェクトを生み出すプロセス自体を、それに関わった方々にとっていかに楽しいものにするか、も、とても重要だと感じました。

新たなたくさんの刺激を受けた「おいおい老い展」。この間、このプロセスをマネージしてきたstudio-Lの皆さんに改めて敬意と感謝を申し上げます。

2019年3月23日土曜日

福島・しみずの里の完成内覧会開催(3/22-23)

今日(3/23)は、福島市のサービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」の完成内覧会の最終日です。

昨日の内覧会は100人以上の方が訪れ、皆さんから多数のお褒めの言葉をいただきました。

今日も午後4時まで内覧会を開催中。是非いらしてください。また、同じ敷地内にある国有形登録文化財の古民家「佐藤家住宅」もあわせてご案内いたします。





2019年3月20日水曜日

ジャカルタは歩ける街へ?

今回、インドネシアへ出張して、久々にジャカルタに滞在しました。このところ、ジャカルタを経由せず、直接、地方都市へ行くことが多かったので、ジャカルタに滞在するのは、本当に久しぶりでした。

ジャカルタでは、念願の地下鉄(MRT)が4月1日に営業を開始するという話がようやく決まったようです。MRTが下を通るメインストリートのスディルマン通りは、歩道がとても広くなり、しかもバイクが侵入できないようになっていました。


MRTの駅の入口もできつつあります。


スディルマン通り自体もすっきりした感じになりました。


通りを渡る歩道橋も、一部は新しく、歩きやすくなっていました。


ジャカルタの渋滞の一因は、車の多さであり、どのようにして公共交通機関への移行を進めるかが課題でした。しかし、公共交通機関をいくら増やしても、移行が進むとは限りません。公共交通機関に乗ったり下りたりするためには、バス停や駅まで歩けることが重要なのでした。

安心して歩ける街になれば、人々は多少の距離も歩いて公共交通機関を乗り換え、目的の場所まで少し歩くようになります。

MRTやトランスジャカルタが注目されるジャカルタですが、歩ける街になることがとても重要なのだと思っていましたから、広い歩道はとても素晴らしい改善だと思いました。

ただ、それはスディルマン通りやタムリン通りのような、海外からのお客さんに見せる目抜き通りだけのものではないか、とも思っていました。

実際は、どうも、そうでもなさそうなのです。

外国人があまり住んでいない私のアジトのある東ジャカルタの地区では、歩道は広くなっていませんでしたが、大きな変化が見られました。


歩道に黄色い、目の不自由な方向けの点字ブロックが埋め込まれていました。これは今回、初めて見ました。


どぶ川はそのままで臭いですが、脇の歩道には点字ブロックが埋め込まれています。

もっとも・・・


点字ブロックの上にバイクが停められています。夜になると、ここに机や椅子が出されて、屋台が拡大営業していました。

それでも、点字ブロックが敷かれたことは、ここを目の見えない方を含めて人が歩くことを想定している、ということを表しています。

ジャカルタ中央部のワヒッドハシム通りは、歩道が拡張され、東から西への一方通行へ変わっていました。


その結果、サバン通りとの交差点付近の渋滞は、相当にひどいものとなっていました。

ジャカルタは、目抜き通りだけでなく歩ける街へと動き始めましたが、個別の地域をみれば、まだまだ改善が必要なことは言うまでもありません。

のろのろと、しかし前へ進む、というところでしょうか。前に進んでいることに意味がある、と思いたいです。

池袋でマカッサルの中学生一行と面会

3月7~16日はインドネシアへ出張していました。

色々とバタバタしていたため、ブログの更新ができない状況でした。そのときの様子も、適宜バック・デイトしながら、少しずつ、ブログを更新していきます。

インドネシアから帰国後、すぐに宮城県塩釜へ行き、その後、福島で長時間の打合せとビジネスセミナーに出て、終電1本前の新幹線で東京の自宅へ戻ったので、3月19日の午前中はしばしゆっくり休もう、と思っていたら・・・。

携帯のSNSにインドネシア人の友人から「今日、午前10時に池袋で面会って約束したよね?」というメッセージ。あれ、21日夜の約束じゃなかったの?、と返したら、19日午前と21日夜の2回会うという約束だったはず、との返事。

二度寝して起きたのが午前9時半。まずい、と思って、「10時半に行くから」と返事をし、慌てて、池袋へ向かいました。

池袋に着くと、友人は、20人ぐらいの中学生を連れてきていました。マカッサルのボソワ国際中学校に通う中学生たちで、日本への研修旅行2日目でした。

サンシャインのポケモンセンターの前で、私から軽くあいさつした後、彼らはポケモンセンターのなかへ消えていきました。その後は、しばし、友人と引率の中学校の先生と懇談。熱の出た子がいたので、薬局へ熱さまシートを買いに行きました。

しばらくして、おそろいのポケモンの袋とともに、嬉しそうに出てきた中学生たち。アニメのことをもっと知りたい、という子が多いようでした。

サンシャインの前で記念写真を撮った後、次の目的地へ向かう彼らとお別れしました。


そして、私は、午後の用事へと向かいました。

2019年3月11日月曜日

あたりまえであることが奇跡。8年目。

毎年、3月11日がやってくる。そして、今年もこの日を迎えた。

人生が、あの日を機に、大きく変わった。そして、変わり続けている。

あたりまえのことが、一瞬にして消える、という経験。

大切なものは、いつ何時、消えてしまうかもしれないという気持ち。

明日はないかもしれない、と思いながら、

瞬間瞬間を、懸命に生きていこうと誓った

何も高望みはしない、ただただ、存在していてほしい。ほしかった。

そう願った。

でも、そんなことさえ、

日常が続くなかで、忘れてしまいそうな自分。

忘れてしまいそうな自分にさえも、気がつかない日々。

喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。

成功、失敗。歓喜、失意。

その日々のあたりまえのひとつひとつが、大切だと気づきなおせる日。

生きること、生きていることに謙虚になる日。

3月11日。

あたりまえであることが奇跡。

生きていることが奇跡。

あの日が最期となられた方々のことを思い、

もっともっと深く生きていく。

あたりまえを生きる。奇跡を生きる。

深く生きる。

ただ、それだけ。それが、重い。

2019.3.11 ジャカルタにて

2011年3月9日。インドネシア商工会議所の方々の日本での研修のまとめの議論を行っていた。

2019年3月3日日曜日

友人の1年近く前の死を今日初めて知った

インドネシア人の友人A氏がカナダの大学で博士号を取得しました。彼はとても嬉しくて、これまでお世話になった友人・知人・恩人にお礼のメッセージを送っていました。

彼とは2001年に初めて会いました。マカッサルで同世代の若者たちと一緒に、小さな図書館を作るなどの社会活動を行っていました。私ともかかわりの深い、後のマカッサルのイニンナワ・コミュニティにつながる、ささやかな活動をしていました。

そんな彼と彼の仲間たちと一緒に行動するきっかけは、2002~2003年に彼らと一緒に、南スラウェシ州の村で、日本の学生とインドネシアの学生とがともにフィールドワークを行うプログラムを実施したことでした。

このプログラムは、日イの学生が1週間程度村に入って、村の方々のお宅にホームステイしながら、村の方々と対話するなかでそこでの生活から様々なことを学びます。

当初、学生は「村の問題をどう解決するか」「村をどう発展させるか」を考えようとするのですが、現場での学びのなかから、村の方々が気づかないような村の生活の価値や良さを見い出します。そして、村での生活の最後に、彼らが学んだ事を村の方々に分かるような方法(寸劇など)で発表し、村での活動への協力に感謝を表します。

このプログラムを通じて、フィールドでの行動を共にした学生たちは真の友人となり、各方面で活躍する現在も、強いネットワークで結ばれています。

このプログラムの日本側オフィサーだったのがSさんで、今回、A氏は彼女にもお礼をしたくて、コンタクトをしようとしてきました。

ところが、連絡しても一向に反応がないというのです。Sさんのフェイスブックページは、昨年4月以降、更新されていないということでした。

A氏に頼まれ、関係者に訊ねていたところ、今朝になって、Sさんが昨年4月に、アフリカで亡くなられていたという情報を、プログラム参加者の一人だった友人から知らされました。その友人は、Sさんが亡くなる前日、夕食を共にしていたということでした。

Sさんは、上記のフィールドワーク・プログラムの仕事の後、長い闘病生活に入りました。同プログラムに関わった友人・知人たちは、Sさんに生きてほしい、生き延びてほしい、とずっと願い続けました。そして、幸運にも、Sさんは病に打ち勝ち、仕事に復帰しました。

復帰後は、英国の大学院で学んだ後、アフリカにわたり、国際協力活動により一層取り組んでいる様子でした。

1年近くもSさんが亡くなったことを知らずにいた自分を恥じました。

フィールドワーク・プログラムを一緒に手掛けた15年ほど前、インドネシアの村の現場で、これからの学生たち・若者たちが造っていく未来を共に語り合ったのを思い出します。そして、Sさんの存在がマカッサルの若者たちの活動を後押しし、イニンナワ・コミュニティに結実していくさまを、私はずっと見てきたのでした。

明日は何が起こるか分からない。だから今を懸命に生きるしかない。

Sさんと語り合った、目指すべき未来を、プログラムに関わった友人・知人とともに造り続けていくことを、改めて心に誓いました。

Sさん、もうずいぶんと時間が経ってしまいましたが、どうぞ安らかにお休みください。そして、ずっと見守っていてください。

福寿草がたくさん咲く季節になりました。


2019年3月2日土曜日

書くことで救われるのかもしれない

2月後半は、ちょっと悶々とした日々を送ってしまい、このブログもすらすらと書けない状況になってしまっていました。

いつも前向きにいきたいと思おうと振る舞っている自分と、その裏で色々ともがいている自分とがいて、表裏のスイッチとバランスが取れなくなりそう気分でした。

あまりにも嘘の多すぎる世の中に対する怒り。本心からかどうかは分からないが、権力や権威に服従しする人々。自分を守るためには、他人を攻撃することも嘘を作り出して広めることも厭わない、自分の地位や名誉や社会的評価を守ろうとしている人々の存在。

保身に走ったり、嘘をついたり、諦めたりすることが成熟する、大人になるということなのか。

それは、本気で人生を生きているということなのか。

青い、でしょうか。ならば、青い、でけっこう。

未熟、でしょうか。ならば、未熟、でけっこう。

世の中を変える、なんて大それたことは言いません。他人に同意や同調を求めたりもしません。

でも、成熟や保身や嘘に安住しない人々が、行動を起こすことで、自ずと、何かが変わっていく。

事実や真実さえも、

嘘で、嘘の連続で、

誰かのために、ではなく、

自分のために、変えてしまおうとする人々。

自分のために、嘘で世の中を変えようとする人々に、

自分は、青く、未熟なまま、

抵抗していきたい。

一人の独立した個人として。

このブログは、誰かたくさんの人々に読んでもらうために書くのではなく、自分のために書いていく、ということもしていきます。

自分のために書いたものは、あえて、フェイスブックやツイッターで拡散はしません。

書くことで救われるのかもしれない。

自分が本当の自分を持ち続けるために。

2019年2月21日木曜日

外国人技能実習関連講習を受講しました

2月12~15日の4日間、福島市で外国人技能実習制度関係者養成講習を受講しました。

今回の講習は4種類。敢えてすべてを受講しました。すなわち、監理団体向けの技能実習監理責任者等講習、技能実習生の受入企業向けの技能実習責任者講習・技能実習指導者講習・生活指導者講習の4種類です。

これらは法令講習で、2020年4月から、技能実習に関わる監理団体の監理責任者・外部役員・外部監査役と、受入企業の技能実習責任者は、講習受講が義務化されるということです。また、技能実習指導者と生活指導者は各事業所(工場など)ごとに配置されますが、この講習を受けていると、優良技能実習実施者として、加点評価になります。

これらの講習は3年間有効で、3年毎に更新する必要があります。

敢えて4種類の講習をすべて受けたことで、技能実習の関係者に対して講習でどのような内容が教えられているか、実際に監理責任者、技能実習責任者、技能実習指導者、生活指導者となる方々はどのような方々なのか、技能実習の現場では何が問題となっているのか、などを知ることができました。

講習を通じて分かったのは、2017年11月に施行された技能実習法は、もしそれをきちんと遵守するとなると、本当は、実に厳しい法律であるということです。

監理団体や技能実習実施者(受入企業)が守るべき内容は、ほぼすべてが法律の条文によって定められています。たとえば、監理団体が定期監査などで受入企業において賃金未払いや残業代の計算間違いなどの不正を発見した場合、法律の条文によると、監理団体はその是正を指導するとともに、労働基準監督署へ通報しなければならないと定められています。

すなわち、監理団体は不正に対して指導するだけでなく、その不正の存在を通報しなければ、法律違反になる、ということです。その内容にも依りますが、法律違反となると、監理団体の認可取り消しになりえます。

技能実習計画と違う実習を行ったことを表沙汰にしたくない場合、どう処理するでしょうか。

まず、監理団体が計画と異なる実習を行っていることを知りながらそれを通報しないと罰せられます。次に、技能実習日誌に実際に行った実習の内容を記載すると、計画とは違うことが明らかになり、罰せられます。あるいは、日誌の内容を計画通りに行ったと記載した場合、嘘の記載をしたことになり、罰せられます。

つまり、どう転んでも、バレたら必ず罰せられる、というわけです。

実際にはどうでしょうか。監理団体と受入企業とが共謀して、不正がバレないように隠蔽することが多いのではないかと想像します。監理団体は、実習生1人当りいくらという形で受入企業から監理費を支払われています。いってみれば、顧客である受入企業に対して、監理団体が厳しく処することは相当に難しいはずです。

政府は、今回の技能実習法を通じて、悪徳監理団体や不良受入企業を技能実習から排除することを目的としていたとも考えられます。基本的に、監理団体や受入企業を信用していないからこそ、このような厳しい法律によって監督しようとしたのだと思われます。

こうして、私自身は今回、技能実習制度について講義できるぐらいになりたいと思って受講しました。そのレベルに達したかどうかは不明ですが、技能実習法を遵守するだけでも、ネガティブ・イメージが蔓延する技能実習は相当に適正化するのではないか、と感じました。

政府は、今年4月から新しい在留資格「特定技能」を創設し、技能実習とは別の労働力としての外国人材を受け入れられるよう、入管法を改正しました。

その中身についてはまだまだ不明点が多いのですが、技能実習を3年終えた実習生の相当部分が「特定技能」1号へ移行することが予想されます。「特定技能」には監理団体は関われませんが、外国人材のリクルート・サポートを行う登録支援機関ができます(新設の出入国在留管理庁の認可が必要)。この登録支援機関が正しく機能できるかどうかが重要になってくると思われます。

以前、下記のブログにも書きましたが、技能実習を本来の意味での技能実習へ正していく必要があると考えています。

 インドネシア人技能実習生の活用に関するコンサルティングを行います

インドネシアの地域産業人材需要を知り、どのような人材が必要かを考え、それにマッチングできる日本の地域産業の状況を意識したうえで、インドネシアの地方政府の認知の下に技能実習生を日本で受け入れる。実習を終了しインドネシアへ帰国した後、彼らがどのように地域で貢献していくかをずっとフォローする。私自身は、これらを一貫して行なうことが可能です。

併せて、実習生を受け入れた日本の地域産業・企業が今後どのように地域経済振興・地域再生に関わっていけるのか、そうした外国人材を地域づくりのための戦力として生かしていけるかどうか、といったことにも関わることが可能です。

 外国人材を地域づくりの戦力に

インドネシア人の技能実習を行っている監理団体や受入企業などで上記のような助言を行うアドバイザーの必要な団体、外部役員や外部監査役が必要な監理団体などございましたら、matsui@matsui-glocal.com へご連絡ください。

また、新設の「特定技能」に関わるインドネシア人向けの登録支援機関の設立・運営についても、お手伝いできればと思います。インドネシアの現場と日本の現場を知り、技能実習関連講習を受講済、現地語(インドネシア語)で現地地方政府・企業等との適切なやり取りが可能です。インドネシアは全国どの地方ともコンタクト可能です。

関心のある方は、matsui@matsui-glocal.com へご連絡ください。

東京の我が家の庭に、遅咲きの梅の花が一輪咲きました。