2018年5月30日水曜日

初めての法人税申告

昨年4月に福島市に合同会社を設立して、今回が初めての法人税申告となりました。締め切りの5月31日の1日前に終わらせることができて、ちょっとホッとしています。

個人事業主でやってきたのを、よりカチッと仕事をしていきたいと考え、一人会社にしましたが、振り返ってみれば、個人事業主のときと中身はあまり変わっていないかもしれません。自分のやりたいと思うことが、ことごとく利益とは関係のないものであるがため、いつまでも種まきをしているような、錯覚に陥りそうです。

とはいえ、法人としてのお務めの一つである、法人税申告。幸か不幸か赤字決算となったため、法人税はゼロとなり、福島県へ支払う法人県民税と福島市へ支払う法人市民税は、均等割という、法人ならば払わなければならない一律額の最低額を支払う、というシンプルな形となりました。


それでも、申告のための書類作りはけっこう難儀でした。とくに、国税用の様々な明細を用意しなければならないのと、記入のしかたがよく分からない部分がけっこうあり、本当にここで記入してしまっていいものかどうか、悩みました。

結局、分からないところをそのままにして、税務署で担当の方に相談に乗ってもらい、書類を見ながら、一つ一つ、記入のしかたを教えてもらいました。税務署の担当者は、きっと内心「こんなことも分からないのか」と思っていたかもしれませんが、懇切丁寧に教えてくださいました。そして記入が済むと、それのコピーを取っていただき、相談は終了。「次回から相談は予約を入れてください。3月決算は混むので」と言われ、少々恐縮。

あとは、受付で申告をし、受領印をもらって終了。法人設立の際にも、税務署には大変お世話になっており、今のご時世もあるのでしょうが、対応に対する私自身の満足度は今回も高かったのでした。

県税事務所も市税担当者も、対応はとてもよく、申告書の記入の不備をチェックしていただいた後、申告書をスムーズに提出することができました。

そして、後は、銀行の窓口で県税と市税の均等割分の支払いを済ませて、法人税申告は無事に終了しました。

今回は、税理士さんを介さずに自分でやったのですが、個人事業主のときと内容があまり変わらなかったので、記入すべき書類が少なかったのだろうと思います。今後、会社の規模をどうしていくか、考えながら、いずれ必要になれば、税理士さんのご指導も必要になるのだろうと思っています。

それにしても、きちんと法人税を払えるだけの売上というか所得をつくっていかなければならないな、とちょっと気を引き締めるのでした。

あー、椏久里で美味しいケーキと一緒にコーヒーが飲みたいな。マスター、近日中におうかがいしますー。

バトゥの温泉リゾート

インドネシアから帰国して、色々とバタバタ過ごしていたこともあり、ブログ更新がおろそかになってしまいました。

今週は、福島市に滞在し、明後日締切の法人税申告の準備を慌てて進めているとことです。個人事業主のときと比べて、なんと書類の多いこと。とはいえ、まだ法人設立して1年なので、複雑なことは何もやっておらず、何となく済ませられそうな目途が経ちました。

ということで、書き忘れていたネタを書いてみます。

福島市とインドネシア・東ジャワ州のバトゥ市は農業分野での協力を進めていく意向を示しており、それが果たして末永く続く事業となれるかどうか、1年かけて調べていくチームに参加しています。

このチームで先日までバトゥへ行ったのですが、噂の温泉リゾートが立派にオープンしておりました。

何といっても、この光景。鳥居が日本の象徴なのでしょうか。これは、広島の宮島がモデルなのかな?


鳥居の立つ池の周りを囲むように、コテージ風の部屋が立ち並んでいます。中は3部屋ぐらいあって、大勢で泊まれるスタイル。


各部屋には専用の露天風呂。ただし、使用できるのは、夜6~11時まで。


これらの部屋には、大阪、広島、島根、名古屋といった名前が付けられています。

そして、売りの温泉、大浴場。その名は「元気(な)温泉」でした。


男湯と女湯に分かれ、大浴場に向かい、湯に浸かりました。決して熱くはないのですが、長く入っていると少しずつ体が温まってきます。


入れるのは午後2時以降。1時間の貸し切りもできるので、チームの男女が分かれて、貸し切り風呂を楽しみました。

全身裸になれない方向けに、下半身だけを覆う、タイツのようなものが用意されていましたが、我々は、そんなものをつけずに、そのままお湯に浸かりました。

温泉自体はかけ流しという感じでもなさそうで、温泉特有のにおいや滑りもなく、あまり特徴のないお湯ですが、まあ、それなりに楽しめました。

平日は空いているようで、料金も割引になっています。日本食レストラン「伏見」というのもありますが、けっこう激しくオーダー間違いしてくれて、可愛いもんでした。

というわけで、バトゥにも温泉あります、です。

2018年5月16日水曜日

スラバヤで1泊、蟹カレーを食べる

5月15日、バトゥでの用務を終えて、スラバヤに1泊しています。16日の朝、ジャカルタへ向けてスラバヤを発ちます。

この間、スラバヤでは、複数の家族による自爆テロ事件が5月13・14日の2日間に相次ぎました。家族全員で自爆テロを行うという、これまでにない新しい形のテロが起きてしまいました。

この種のテロは、どこで起こるか分からないという恐怖があります。道行く人が突然何かするのではないか。目の前の人が爆弾を抱えているのではないか。そんな不安はなかなか払拭できるものではありません。

また、顔を隠し、眼だけ出して長いイスラムの服装をしている女性が不審者としてみられ、いくつかの場所で入場を断られたりする話も聞こえてきます。

いつ何時、誰がテロを引き起こすか分からない・・・。街中の見知らぬ人々を信用できなくなっている。実際の自爆テロで数十人の方々が犠牲になったのに加えて、今、スラバヤの街中では、そうした不信感が大きくなっている印象を受けました。

暴動のように、物理的に目に見える形で騒ぎが大きくなっている場合には、できるだけそのような場所を回避することが望ましいことは言うまでもありません。

しかし、テロ事件のように、いつどこで誰が起こすのか分からない、運命によっては防ぎようのない状況に陥るものは、予防措置として、周辺の不審者に注意を払うような行動を採らざるを得なくなり、精神的に落ち着かない状況が続いていきます。

たとえ、周辺の様子を絶えず不審なものはないかと注意を払い続けたとしても、それを察知して確実に防げるとは思えないからです。

そんなことを色々考えながら、スラバヤに1泊することにしました。周辺状況を自分なりによく観察し、大丈夫だと判断して、夕食を食べに出かけました。

行く先は、久々に食べたかった、Hai Nanの蟹カレー。


店は営業していましたが、中は閑散としていて、普通なら午後8時には満席となるのに、ガラガラのままでした。それでも、お客さんが来てくれたのは嬉しいらしく、フロアマネージャーは笑顔で対応してくれました。もちろん、蟹カレーは、いつも通りの美味しさで、大満足でした。

見えない恐怖を感じながらも、普段通りの生活を続け、スラバヤは決してテロに屈しないことを静かに示し続けること。今のスラバヤの人々にできることは、やはりそういうことなのだと思います。

スラバヤでこんな事件が起こってしまった、と市民に率直に謝り、先頭に立って現場を歩き、被害者を慰問するスラバヤ市のリスマ市長の姿から、人々は前を向く勇気をもらっているように見えます。街中には「テロに屈しない」「スラバヤのために祈る」といった手書きの横断幕が掲げられていました。

今回の自爆テロ犯は、必ずしも貧しい家族ではなかったと見られています。貧しさだけがテロへ走らせるのではなく、心が満たされない、社会から疎外された、そんな精神的な部分にカルトのささやきが忍び込んでくるのでしょうか。

SDGsが目指す誰も見捨てない社会は、所得向上だけを目的とするのではなく、こうした精神的な面をどのように内包していくかも問われています。それは、やはり、人が人を信用できる、知らない人でも信頼できるような、いわゆる信頼社会をどう作っていくか、ということと関わってくるものと考えます。

自分たちの身の回りから始められることは何か。きっと、一人ずつ、自分の信頼できる他人を増やしていく。そのためには、自分も他人から信頼される人間になっていく。もう一度、一つずつ、社会を作り直していく必要を認識させられているのかもしれません。

2018年5月14日月曜日

スラバヤの3教会自爆テロに思うこと

滞在先の東ジャワ州バトゥ市で5月13日朝、同州の州都スラバヤ市の3つの教会で自爆テロがあったとの報道を知りました。その後も、用務の合間、報道を追いかけていました。

5月13日は日曜日で、日曜の朝のキリスト教の教会と言えば、もちろん日曜礼拝があります。たくさんの信者が集まる日曜礼拝の時間を狙った事件でした。

警察発表によると、3つの自爆テロは、ISに合流してシリアから戻った一家族による犯行だったとのことです(注:後に、警察は、「シリアへは行っていなかった」と訂正しました)。父親、母親と二人の幼児、息子2人が別々の教会を襲い、多数の人々を巻き添えにして、自爆しました。

この事件で注目される点が3点あります。

第1に、複数箇所への同時多発自爆テロだったということです。同時多発テロを行うには、複数のテロリストが連絡を取り合いながら犯行するものですが、どこかでその兆候を治安当局に見つけられると、中止となるか単発で終わります。同時多発テロは、それが起こればテロへの恐怖は一気に増します。治安当局は、テロリスト間の情報の傍受でそれを未然に防いできたものと思われます。

でも、今回は、同時多発テロが起こりました。それは、第2に、犯行が一家族によって行われたためです。

一つの思想に染まった家族が、実行してしまった今回のケースは、幼児や10代の子どもを引き連れて実行された点で、世界に大きな衝撃を与えています。なぜ、この家族はこのような犯行を行うに至ってしまったのか、そこへ至るまでに何かできなかったのか。社会からの疎外感が彼らを過激思想・カルトへ走らせたとしたら、それはなぜなのか。

過激行為を未然に防ぐためにも、社会が考えなければならない課題のようにも思えます。

そして第3に、場所がスラバヤだったということ。スラバヤの治安の良さは、警察の能力の高さと評価されてきました。ジャカルタで何か事態が起こると、スラバヤから警察が応援に派遣されることが常でした。スラバヤの治安状況がインドネシアのそれのバロメーターともみられてきました。

そのスラバヤで今回の事件が起こったということは、治安面を見ていくうえで大きな意味を持ちます。すなわち、スラバヤがバロメーターであるという前提が正しければ、この種の事件はインドネシアのどこでも起こり得ることになるからです。その意味で、スラバヤの警察のプライドを大きく傷つける事件でもありました。

筆者が危惧するのは、こうした流れを利用しようとする政治勢力が現れてくることです。とりわけ、現段階で再選が有望と見られる現大統領を追い落とすためには、どんな手段でも活用したい勢力が、このような事件を利用して世間に恐怖心を煽って自分たちへの支持を半ば強制するのではないか、という危惧です。

もっとも、現時点では、活動禁止処分を受けたHTIも含め、自爆テロを厳しく批判する声明が次々に出されています。他方、SNS上でテロを支持・擁護するような発言を見かけたら警察へ告発する、というような動きが早くも始まっています。

こうした自由で公正な発言や議論を妨げるような動きは、政治的に対立するどちらからも現れてくるものと見られます。

スラバヤの悲劇に対して、インドネシア各地で連帯の表明が相次いでいます。それは、亡くなった方への追悼、負傷者への献血に駆けつける市民、宗教の違いを超えた集会の実施など、またたく間に広がっていきました。

今日、一連の動きを追いかけながら、時々泣きそうになる自分が居ました。そして、3年間住んだスラバヤのことが、自分にとっても大切な場所になっていたことに改めて気づきました。

友人や知人の安否を確認し、無事の知らせにホッとしている自分。そして、友人から送られてきた、まったく客のいないギャラクシーモールの写真に、今回の事件の市民へ与えた心理的影響の大きさを感じずにはいられませんでした。

筆者はスラバヤを信じています。スラバヤが今回の事件で揺らぐことはない。スラバヤはスラバヤであり続ける、と。今後も、スラバヤの友人や知人を信じ続け、彼らと会うためにスラバヤに行き続けること、を誓います。

2018年5月12日土曜日

声とノイズ、言葉の力、詩の文化

先週のマカッサル国際作家フェスティバルに出席した後、数日間帰国し、今また、インドネシアに来ています。ちょっと時間の空いた黄昏どきのジャカルタで、マカッサル国際作家フェスティバルを振り返っています。

声とノイズ、というテーマは、単なる意味どおりの声とノイズだけでなく、声がノイズに変わって無視されると同時に、ノイズが声に変わって世論を動かしていく、という両面性を意識する機会となりました。

我々が聞いていると思っている声は誰の声なのか、ノイズに埋もれさせてはいけない声とは何なのか、忘れ去られた声は全てノイズだったのか、色んなことを思います。ただ、確実にひとつ言えることは、声は決してひとつではない、という当たり前の事実であり、もし声が一つしか聞こえないとするならば、様々な声を聞こうとしない、聞こえないと思っている、聞いてはいけないと思っている、明らかに社会が自らを押し殺している状態に他ならないのではないか。

マカッサル国際作家フェスティバルでは、実にたくさんの参加者が即興で自作の詩を読みました。誰かのものではなく、自作の詩を。自作の詩を声を出して人々の前で読む、朗読するということは、自分の声を出していることに他ならず、それが朗読として成立しているのは、その声を聴く人々がちゃんと存在しているからです。

そして、その詩に社会への不満や不正への怒りが込められ、共感した聴衆が声を上げ、拍手をして反応する。それはまさに、声が出ている、届いている空間でした。

彼らの詩に込められているのは、まさに言葉の力。その言葉にそれぞれの詩を作った自分の魂が込められ、それが声として発せられ、聴衆に届いていく。マカッサル国際作家フェスティバルの空間は、そうした言葉の力をまだまだ信じられると確信できる空間でした。

福島から参加してくださった和合亮一さんは、そうしたなかで日本語で自作の詩を朗読しました。日本で最も朗読している詩人と自称する彼ですが、時として、自分を環境に合わせてしまっているのではないか、という気持ちがあったそうです。

自作の詩を誰もが読める空間に和合さんが遭遇したとき、何が起こるかは個人的にある程度想像していました。そして、和合さんには、思う存分朗読してほしい、爆発してくださってもいい、と申し上げました。

和合さんの日本語の詩を聴衆が理解できたとは思いません。でも、今回、言葉の力は意味の理解以上のものを含むのだということを、和合さんの眼前で理解しました。朗読の力は。想像以上のものでした。自分で声を出す者どうしの、言葉の力と力を投げ受けしあう同士の、生き生きした空間が生まれていました。

それは、ある意味、いい意味で、福島を理解してもらいたい、というレベルをいつのまにか超えていたように思います。和合さんの興奮する姿がとても新鮮に見えました。

日本における自作の詩の朗読の世界は、こんな空間を作れているでしょうか。

自分たちの声を出し、それを聴こうとする人々との相互反応が起こる社会は、何となく、まだまだ大丈夫、健全だと思ったのです。たしかに、マカッサル国際作家フェスティバルがそんな空間を作り続けることに一役買っている、と確信しました。

5月5日の夜、フェスティバルのフィナーレで、壇上に上がった主宰者のリリ・ユリアンティが「壇上からはライトで皆さんの姿が分からない。携帯電話を持っている人はそのライトをつけて、降ってほしい」と呼びかけました。そして、無数のライトが壇上のリリに向かって振られました。


その光景は、とても美しいものでした。

ノイズではない、一人一人の声が携帯電話の光となって、互いの存在を認め合っているかのように感じられたからです。

こんな光景を日本で、福島でつくりたい。恥ずかしがることなく、自分の思いを、自分の考えを、自作の詩を、声に出せる、そしてそれに耳を傾けてくれる人々のいる空間。和合さんを福島から招いたことで、そんなことを思い始めた、今回のマカッサル国際作家フェスティバルでした。

2018年5月6日日曜日

マカッサル国際作家フェスティバルで和合亮一さんが熱演

今回のマカッサル国際作家フェスティバル(5/2-5)には、日本から福島市在住の詩人である和合亮一さんにご参加いただきました。わずか3日間の滞在でしたが、3回も詩の朗読をされました。

和合さんは、5月3日にマカッサルに到着し、早速、夕方5時からの「コップ一杯の詩」と題する、コーヒーを飲みながら参加者が自由に詩を読みあう野外での催しに飛び入り参加しました。


和合さんの朗読は、いつもエネルギッシュなのですが、早速、全開、という感じでした。参加者たちは、初めて見る和合さんの詩の朗読スタイルに圧倒されていました。そして、歓声と大きな拍手。日本語で詠まれた詩の内容は理解できなくとも、何かが通じた瞬間が続きました。

翌4日は、国立ハサヌディン大学で、福島をテーマとしたセッションが行われ、私も和合さんとともに出席しました。

和合さんは、2011年3月から現在に至るまでに自分が見たこと、感じたことを中心に話を進め、現時点での「二度目の喪失」という現実をどう捉えるかが重要であることを強調しました。

「二度目の喪失」というのは、これまで帰還するために頑張ってきた人々、福島の復興のために貢献したいと意欲を燃やしてきた若者たち、こうした人々が、7年経って現実を見たときに、「やはり無理なのか」と諦めにも似た喪失感を深く感じ、傷つき、引きこもりや鬱になってしまうのを見てしまった現実でした。

避難した場所から自分のふるさとへ戻れるのか戻れないのか。原発事故後の処理・廃炉は本当に進めるのか進めないのか。政府の放つ「復興」という言葉によって、それが不明確なままの状態が続き、それが「二度目の喪失」を招いているのではないか、という問いでした。

我々にできることは何か。それは、そうした人々の胸の内をしっかりと聞いて受け止めることだ、と和合さんは言います。そして、それなしに前へ進むことはできないのではないか、と問いかけます。寄り添う、という言葉の重い意味を和合さんは真摯に受け止めている、と感じました。

和合さんは、そうした態度を詩という媒体を通じて、自分なりに世の中に対して発信していこうとしているのだと改めて思いました。本質を忘れてはならない。私自身の活動を振り返り、改めて思うことでした。

そして、この日も、和合さんは夕方から、「コップ一杯の詩」に参加しました。前日を上回るすごい数の観客が、どんなパフォーマンスをするのか、見守っています。そして、その観客の期待を上回る詩の朗読パフォーマンスを、和合さんは見せつけるのでした。



このときに読んだ「鬼」という詩を、たまたまインドネシア語に訳していたのですが、「コップ一杯の詩」の司会をしている若手詩人のイベさんが読みたいというので、読んでもらいました。

彼なりのパフォーマンスで観客を引き付け、和合さんの詩は、インドネシア語に訳してもやはり何かを伝えていると実感しました。

和合さんは、こんなに聴衆の反応がいい詩の朗読の機会はなかった、と興奮していました。詩が社会批判の一端を担うインドネシアの状況に驚き、詩を愛する若者が次々に自作の詩を読んでいく様子から、何かを感じていた様子でした。

4日の夜、和合さんは壇上に上がり、未来神楽第5番「狼」の一部を朗読しました。


和合さんがどんなパフォーマンスをするのか、観衆は興味津々で、びっくりするほどたくさんの人々が会場に集まっていました。そして、和合さんはまたも、観衆に強烈な印象を残す詩の朗読パフォーマンスを全力で行いました。

そう全力。和合さんのパフォーマンスは全力でした。そして、それは、マカッサル国際作家フェスティバルという「場」がそれを引き出していたと感じました。

すごいものを見てしまった・・・。

日本語で通した和合さんの詩が、正確に理解されたわけではありません。しかし、マカッサルの観衆に強烈な何かを残していました。マカッサルの地で、和合さんは、自分でも想像できないほど、パワーアップしていました。

「場」の力。それを改めて思い知った、という感が強いです。

2018年5月3日木曜日

マカッサル国際作家フェスティバル2018のテーマは「声とノイズ」

5月2日、マカッサル国際作家フェスティバル2018が開幕しました。


今回のテーマは、「声とノイズ」。

1998年5月のスハルト政権崩壊から20年、そして2018年地方首長選挙、2019年大統領選挙という政治の季節を迎えましたが、それに伴う声とノイズが入り混じった状況が現れています。

オープニング・イベントで、主宰者のリリ・ユリアンティは、壇上の光の当たるところにいる自分を権力者に、その光の当たらない暗闇にいる観客を市民になぞらえ、光の当たる権力者の声のみが聞こえ、暗闇にいる市民の声はノイズとして無視されているのが現状だ、と演説を始めました。

過去20年のインドネシアでは、その市民が声を上げる存在としての力をつけてきたのであり、このマカッサル国際作家フェスティバルこそが、文学を通じてノイズではない声を上げる運動体となってきたのだ、としました。

そして、そうした市民が、権力者によって無視され、消されてきた歴史的事実にもう一度光を当て、真実を語っていくことが重要であると説きました。


権力者によって、無視され、忘れさせられてきた過去。その一例として、取り上げられたのが、インドネシア独立後、最初のマカッサル市長、女性市長となったサラスワティ・ダウドの話でした。本イベントにおいて、大学生が彼女の物語をショートフィルムにまとめたものが上映されました。

サラスワティ・ダウドが女性市長になったと言っても、当時の市長は現在のようなものとは違い、5人ぐらいがいつでも交代できるような性格の地位だったようです。しかし、現在、歴代のマカッサル市長の名前のなかに、聡明で優秀だったとされるサラスワティ・ダウドの名前は現れてこないのです。マカッサルではほとんど知られていない存在なのです。

それはなぜなのか。

端的に言えば、彼女はその後、インドネシア共産党の傘下組織であるインドネシア女性運動(GERWANI)に関わったことで、スハルト時代に敵視され、投獄され、釈放された後も監視される、という人生を送ったからでした。

マカッサル初の市長はの女性市長だった、という事実が覆い隠され、忘れ去られてしまっていた、ということを、改めてすくい上げたのは、市民による事実の探求でした。

リリは今回も、フツーの市民が声を上げること、それができるコミュニティを作っていくことの重要性を訴えました。たとえ権力が光の当たらぬ市民を無視しようとしても、フツーの市民が正しい事実を声をあげて主張していける社会を作るために、人間の心に訴えかける力を持つ文学の力を信じて、こうしたコミュニティを強くしていく、という決意を表明しました。

筆者がマカッサル国際作家フェスティバルに来る理由の一つは、こうした健全な批判精神を持ったフツーの市民のコミュニティが、ここではまだまだ力を保ち、声を上げていけているという実感を確認するためでもあります。

そして、マカッサルから、今の日本を振り返るのです。日本でそのようなフツーの市民のコミュニティが強くなっていけているのか、と。

さらに、今回のオープニング・イベントでは、声とノイズを象徴する、新しい視点に気づかされました。

第1に、手話通訳が配置されたことです(写真右下)。声をいう意味が、ろう者にとっては手話であること。手話を声として位置付けることに気づかされました。


そして第2に、手話による詩の朗読がありました。


とても美しい「朗読」でした。手話が理解できたなら、もっと深く理解できたことでしょう。それは紛れもなく、彼らの「声」でした。音を発することのない「声」。それは、権力者と同じように、我々が無視していたかもしれない「声」でした。

耳に聞こえる声だけでなく、手話による声をも声として捉えていく。フツーの市民の声のなかに、手話も含めていくことがフツーに意識されていくことも重要である、というメッセージが込められていました。

今回の「声とノイズ」というテーマ、なかなか深いものを感じた第1日目となりました。