2020年9月28日月曜日

よりどりインドネシア第78号発行+舞台裏

ムハマド・ユヌス博士の言葉

インドネシアのクラフトワークをめぐる新しい動き


しばらく、ブログが更新できないでいました。忙しかったというよりは、更新する気持ちがなかなか起こってこなかった、という感じです。ネタがなかったわけでもないのに、何となく書く気がしなかった、というだけです。

いつもコンスタントに書ける人はすごいなあ、と思ってみたり。

まあ、先の4連休中に、毎日、昼前から午後10時過ぎまでずっと仕事場にこもって、9月21日締め切りの原稿、22日締め切りの『よりどり』、23日締め切りの発表資料2本(25日発表のと29日発表のもの)、と格闘していた、ということもあったのですが・・・。

そんなこんなで、気持ちがちょっともやもやしていて、すっきりと色々できないのですが、『よりどりインドネシア』第78号を発行したので、ブログを書くきっかけになりました。

今回の『よりどりインドネシア』第78号では、何といっても、横山裕一さんの力作を読んでいただきたいと思いました。今回の彼の作品はA4で20ページほどあり、長いので前編・後編に分けることも考えたのですが、著者の強い希望で、分けずに掲載しました。読んでいただければわかりますが、それが正解でした。

私は、だいぶ前に宮本常一「忘れられた日本人」という著作を読み、日本が高度成長を押下していた時代に、その陰で様々な地域社会やそこに生きる人々が、あたかも世の中から忘れられたかのように、でもしっかりと生きていた、あたりまえの事実に目を見張りました。

歴史というものは、為政者や偉人と呼ばれる人々、あるいは勝者によって描かれたものが残り、勝者の今を正当化する土台ともなり得るものです。そして、勝者は今の彼にとって脅威となるもの、どうでもいいものを消し去っていきます。勝者の歴史を覆そうにも、覆すための反証の痕跡がなくなれば、代替的な歴史は描けないからです。敗者、あるいは名もなき者たちの歴史は、そうやって消えていったのでしょう。

横山さんが取り上げたのは、1965年9月30日に起きた、インドネシア現体制の正史としてはインドネシア共産党によるクーデター未遂事件とされる9・30事件のときに、社会主義の旧ソ連圏へ留学していた者たちのその後の人生についてでした。社会主義圏にいたことで、彼らは共産主義者という疑いでみられ、人によっては国籍も剥奪されるほどでした。

祖国に拒絶された留学生。そして、その家族や子孫までもが、世間というものから特別な目で見られ続けていく…。

あとは、是非、横山さんの力作をお読みいただければと思います。そして、併せて、神道有子さんの書かれたS・パルマンの話も読んでいただきたいです。S・パルマンは「共産主義者」に殺害された軍人です。出身地ウォノソボで家族と暮らした時代の話を含め、運命というものの危うさと過酷さを改めて感じることができるような気がします。

そして、プロの翻訳家である太田りべかさんの翻訳業に関するエッセイも、日本の小説のインドネシア語翻訳の裏側を知ることができて、とても興味深いです。

さらに、よろしければ、インドネシアのちぐはぐな新型コロナウィルス対策について書いた私の作品も読んでみてくださいね。

昔、マカッサルで出会った廃品回収業者の家族。今はこの場所に建物が建って、彼らはもういません。どこへ行ってしまったのか。『よりどり』78号のカバー写真に使いました。

以下は、『よりどりインドネシア』第78号の紹介文です。

▼新型コロナウィルス感染対策に打つ手はないのか ~政府・保健省の不作為?~ (松井和久)⇒新型コロナウィルス感染拡大の続くインドネシアですが、保健省や保健大臣が前面に出てこない印象があります。もはやワクチンを待つしかない状況なのでしょうか。松井が分析しました。https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22905/

▼翻訳セミナー雑感(太田りべか)⇒太田さんはプロの翻訳者として、出席した翻訳セミナーについてだけでなく、 最近の日本の小説のインドネシア語翻訳の現状についても書いています。こんな本がインドネシア語版に、といったインドネシア語翻訳の裏話的面白さがあります。https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22897/

▼ウォノソボライフ(33):だからシスウォンド・パルマンは英雄になった(神道有子)⇒神道さんは、地元ウォノソボ出身で、9・30事件で殺害された軍人であるS・パルマンの話を地元目線で書きました。彼のウォノソボ時代の話や、家族や兄弟の話が興味深いです。https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22896/

▼いんどねしあ風土記(21):「国籍剥奪」ー 祖国を失った元留学生たち 〜中ジャワ州ソロ(スラカルタ)~(横山裕一)⇒横山さんは、9・30事件発生時に旧ソ連圏にいたことで、国籍を剥奪された元留学生、現在に至るまで共産主義者の疑いをもたれて厳しい監視を受け続けている元留学生など、9・30事件を契機に人生を翻弄された元留学生の話を丹念に拾いました。https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22898/ 


2020年10月末の『よりどりインドネシア』オフ会は、横山さんから今回の「国籍剥奪」の内容を紹介していただいたうえで、参加者の皆さんと色々と対話してみたいと思っています。

なお、このオフ会は、参加者が自由に発言できる場として『よりどりインドネシア』の購読者を対象としています。まずは、ご購読者として登録していただき、オフ会にご参加いただければと思います。よろしくお願いいたします。


ムハマド・ユヌス博士の言葉

インドネシアのクラフトワークをめぐる新しい動き


2020年9月14日月曜日

インドネシアのクラフトワークをめぐる新しい動き

よりどりインドネシア第78号発行+舞台裏

よりどりインドネシア第77号発行、久々に2本投稿


Linkedinで知り合いになった友人(まだ実際の面識はない)が出しているウェブマガジンがあります。GARLANDという名前のこのマガジンは、クラフトやアートとそれを生み出す社会とのかかわりに関する話題が多く、いつも読みごたえのある記事が満載なのですが・・・。

最新号として送られてきた特集は、インドネシアのバティックなどクラフトワークを中心とするアートと社会の動向でした。特集の名前はPembaharu、インドネシア語で「刷新者」、何かを新しくしていく者、というような意味でしょうか。

以下のサイトで、それらの記事(英文)が読めます。

 ⇒ https://garlandmag.com/issue-20/

実際に記事を読んでいただければわかるのですが、インドネシアのとくに若い世代が、地域文化資源とAIを含む現代技術を融合させて、新しい時代のなかで、地域固有の文化資源に対してどのように新しい価値を付与させていくか、挑戦している姿がうかがえます。

たとえば、上の写真は、DiTenunという、地域の伝統的な織物にAIを活用させる試みについて書かれた次の記事から借りたものです。

DiTenun: Artificial intelligence technology for Indonesian traditional Weaving

DiTenunではAIを活用し、地域別に独特の様々なモチーフをAIに記憶させながら、織手、AIやITの技術者のほか、数学者、歴史家、繊維デザイナー、コミュニティ開発専門家、起業家、中小企業者、ソーシャルメディア、ブランディング専門家など様々な分野の人々が関わり、地域固有の伝統的な文化に対して、新しい現代のなかでどのような価値を付与し、固有価値を守っていくか、というアプローチを試みています。

換言すると、伝統的な文化価値を新しくして守る、ということでしょうか。そこにAIを活用する、という発想がとても斬新に思えました。

日本でAIと言えば、担い手が少なくなり、いなくなるなかで、人間の果たしてきた役割をどのように代替させるか、といった視点が多いような気がします。たしかに、インドネシアの地域でも、伝統文化は古い人たちのものという認識が強く、時代を超えた継承をどのように進めるかという点で、日本と同様の難題に直面しています。

日本では多くの場合、伝統文化を昔のまま継承する、ということが重視され、新しい試みは異端として排除される様子があります。伝統を変えるということは、それまで伝統継承を担ってきた人々の役目を軽視し、場合によっては否定する、といった感情的な世代対立にも至りかねません。そうして、世代間の対話が成り立たず、伝統文化が消えていってしまう、ということが起こってきたのではないかと思います。

DiTenunの記事を読みながら、そこでは、AIという最先端技術を使って伝統を否定するのではなく、伝統を尊重し、それをどのように新時代に生かして新たな価値を創り出すか、というところにAIを使うという発想なのです。何のためにAIを使うか、という発想が、日本で一般にみられるものとは相当に異なるところに、ある意味、衝撃を受けました。

DiTenun以外の記事でも、微生物やバクテリアによる作用を通じて、二度と再現できないようなバティックの色を生み出しすことで新たな価値を付与しようとする試みや、零細企業者とデザイナーが組んで、昔の人しか見向きもしないような古ぼけた製品に新たなデザインを組み合わせて、時代に合った新しいものづくりを志向する試みなど、読みながらハッとするような、新しい動きが紹介されています。

そこに共通するのは、伝統文化や伝統工芸に対する、若い世代の敬意です。ともすると、若者たちは、時代に乗り遅れた感のある伝統を蔑み、否定し、それらを新しいものに置き換えることを進歩だと認識しがちです。しかし、ここで紹介されるのは、新しい技術で伝統文化や伝統工芸に取って代わるのではなく、それらをどのように新しい時代のなかで守っていくか、そのために新しい技術をどのように活用できるか、という発想がもとになっています。

実際、先端技術と伝統文化の融合をテーマに、若者たちが欧米で学び、自分たちの地域の現場でそれを試行錯誤している様子があります。

私たちは、発展とか進歩とかいう概念を、もう一度作り直す時期に来ているのではないでしょうか。インドネシアの地域の片隅で、何のアドバルーンも挙げずに、政府の公的支援とも無関係に起こっている、彼らPembaharuたちの活動には、これからの世界の新しい時代のなかのたしかな希望が見えるような気がしています。


よりどりインドネシア第78号発行+舞台裏

よりどりインドネシア第77号発行、久々に2本投稿


2020年9月8日火曜日

よりどりインドネシア第77号発行、久々に2本投稿

インドネシアのクラフトワークをめぐる新しい動き

いくつかのウェビナーに参加してみての感想


昨日(9/7)夜遅く、日本時間午後11時半すぎに、情報マガジン「よりどりインドネシア」第77号を発行しました。昨日は、昼頃から籠って、ずっと自分の原稿執筆、編集、アップロード、発行の作業を休憩なしで続けていたので、さすがに今日は疲れが出ました。やっぱり、歳はとっているのかな。

今回は、久々に2本書きました。1本目の「モフタル事件」の原稿は、9月6日中に8割書き、7日は最後の結論部分の書き直しと内容補充、写真挿入を行いました。それが終わった後、2本目の「オイルパーム農園と慣習法社会」の素材メモをもとに、一気に書き上げました。

この「オイルパーム農園と慣習法社会」の素材メモは、9月4~5日にかけて集めたものですが、調べているうちに次々と興味深い話が出てきて、なかなか前に進まないのはいつもの通りです。実はもう一本、慣習法社会絡みで別の内容に関する素材メモを作っていたのですが、「オイルパーム農園と慣習法社会」の素材メモだけで量的に十分だったので、今回は使いませんでした。そのうち、この別の素材メモを使って別原稿を書いてみるかもしれません。それにしても、この問題はなかなか奥が深く、しかも各地で頻発していて、目が離せなくなりそうです。

1本目の「モフタル事件」は、前にブログにも書きましたが、実は前回、書こうと思って書かなかったものです。モフタル事件の真相について書かれた英文書のインドネシア語訳が9月に出版されること、しかもインドネシアの歴史愛好者の若者たちがその内容にかなり興味を持っていることを知って、日本でも何が書かれているかについて情報を提供する必要があると思いました。なぜなら、日本側ではこの事件に関する資料は残っておらず、真相は闇に葬られたままだからです。今回書いた内容ですべてが明らかになった訳ではありませんが、少なくとも、真相に迫る第一歩を示すぐらいの情報は出せたのではないかと思います。

この事件に関して、731部隊との関連が示唆されていますが、関連を結論づけるところまでは全くいっていません。ただ、原稿を用意している間に興味深いことがありました。

それは、抗日戦争勝利記念日を祝う中国で、関東軍防疫給水部本部(731部隊)とそのシンガポール支部である南方軍防疫給水部の所属者名簿が公開されたという情報でした。調べると、南方軍防疫給水部の名簿はこの9月に不二出版という会社から出版・販売される予定でした。上述の英文書へのインフォーマントには収容所の現場に居合わせた証人が一人おり、これらの名簿と当時関わった関係軍人の名前とを照合することで、本当に731部隊と関係があったかどうかが見えてくるかもしれません。

私は歴史の専門ではありませんが、インドネシア側がこの事件を知ろうとしている一方で、日本側では全く知らないという状況は好ましくない、せめてこの事件の存在を知り、インドネシア側がその書物から何を知るのか、といったことは知っておいたほうが良いと考えました。

そんなこんなで、今日は少しゆっくり過ごしました。今号の内容は以下の通りです。

オイルパーム農園開発と闘う慣習法社会~中カリマンタン州キニパンの土地紛争~(松井和久)⇒農園開発が進むなかで慣習法社会の存立は益々厳しくなっています。中カリマンタン州で起きたある事件を通して両者の対立の背景と解決の難しさについて松 井が考察しました。

ラサ・サヤン(9)~もし〇〇ならば、あなたはインドネシア人かも~(石川礼子)⇒石川さんは今回、インドネシア人の特徴を色々な人がどんなふうに取り上げているかを豊富な例で示しました。石川さん個人の思うインドネシア人の特徴もあるあるの世界で納得です。

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第4信:地方舞台の映画の意義(横山裕一)⇒インドネシア映画往復書簡の4回目は、横山さんが地方を舞台とした映画の魅力について語ります。撮る側と撮られる側の関係を考えることでより深く楽しむことができるような気がします。

モフタル事件再考~900人余のロームシャはなぜ死んだのか~(松井和久)⇒日本軍政期に起こったロームシャの大量死とモフタル事件。新説を提示した英文書のインドネシア語版が9月に発刊されます。限られた情報から何が起こっていたのか、松井が推理しました。

今号のカバー写真は、今から18年前、2002年に東カリマンタン州の州都サマリンダを訪れた際、ショッピングモール内で立ち寄った電気店の店員さんです。当時、日本製品の商品名を模倣した中国製の廉価な電化製品がたくさん売られていました。今を時めくハイセンスや長虹なども、この頃はこうした廉価品の「ブランド」名でした。懐かしく思い出されます。



2020年9月4日金曜日

いくつかのウェビナーに参加してみての感想

よりどりインドネシア第77号発行、久々に2本投稿

8月の月例オフ会、テーマは若者とコレクティブ


今週は、9月1日、2日、3日とウェビナーに参加してみました。1日は、インドネシアの英字紙 Jakarta Post 主催の "Land without Farmers" と題するインドネシア農業に関するウェビナー(英語)、2日は、毎月連載しているSBCSインドネシア月報の解説ミニセミナー(日本語)、3日は、ERIAとASEAN事務局主催の食糧と農業に関するウェビナー(英語)、でした。


1日のウェビナーは、英字紙ということでインドネシア人のスピーカーもみな英語で話していましたが、人によっては厳しい様子もあり、インドネシア語でプレゼンしたスピーカーもいました。コメント欄やQ&A欄も眺めていましたが、こちらはほとんどがインドネシア語になっていました。

2日はわずか15分の日本語でのミニセミナーで、私は、自分の連載部分を含めて、過去1ヵ月間のインドネシア経済の概要を5分にまとめて話をしました。ポイントは、感染拡大の継続、2020年第2四半期のマイナス成長は近隣国に比べれば健闘、2021年予算案はやや楽観的、ジャワ島の都市部の貧困人口増大などジャワの経済回復がカギ、といった内容でした。

3日のウェビナーは、シンガポール、マレーシア、タイのスピーカーで、オール英語で進められました。

私自身は、コロナ禍でのインドネシアを含む東南アジアの農業について興味があったのですが、残念ながら、1日のウェビナーも3日のそれも、私の期待に沿う内容ではありませんでした。

第1に、コロナ禍での農業の現状についての言及が2020年第2四半期の農業部門のGDP成長率の話のみで、コロナ禍で何がより厳しくなっているのか、あるいは影響が意外に少ないのかなど、農業生産や農家の現場での話が聞けませんでした。コロナ禍以前の農業の一般的な話は出てくるのですが、コロナ禍で何が変わったのかについての言及はなかったのです。

第2に、現場から遠い話に終始していました。その中心は、フィンテックとデジタル化でした。農家から消費者に至るまでの取引費用の高さなど物流の問題への言及はありましたが、それはコロナ禍以前にも指摘された基本問題でした。農業に対する制度金融をどうするかは重要な課題ですが、それにフィンテックやデジタル化を入れることで何がどうh具体的に改善されるのかが明らかにされたとは言い難い内容でした。

第3に、農家の実態に基づいた話はなく、消費者の視点から農産品をどのように効率的に流通させるかという点に終始していました。すなわち、生産者と消費者をいまだに分けて議論しているという印象を持ちました。おそらく、今後は、生産者と消費者をどうつなげて顔の見える関係をつくっていくか、消費者が生産者をどのように支えていくか、ということが重要になってくると思うのですが、そうした点への言及はありませんでした。

このように、私としては、期待していた内容が聞けず、現場から遊離した、コロナ禍以前からの基本問題の話ばかりで、解決策はフィンテックやデジタル化だ、というような話だったので、正直言って、残念でした。

もし自分がウェビナーを主宰して開催するとしたら、トピックに合わせてスピーカーを選ぶだけでなく、そのなかで話し合うべきポイントを3~4点ぐらい明確にしたうえで、そのポイントを論点とした議論がスピーカー間であらかじめ共有したうえで、ウェビナーで議論できるような形にしなければならないな、と思いました。

さて、これからどんなふうに、私なりのウェビナーを作ってみるか、もう少しほかのウェビナーに参加しながら、じっくりと考えてみたいと思います。そして、時宜を見て、皆さんに私なりのウェビナーをご披露したいと考えています。


よりどりインドネシア第77号発行、久々に2本投稿

8月の月例オフ会、テーマは若者とコレクティブ


2020年9月1日火曜日

8月の月例オフ会、テーマは若者とコレクティブ

いくつかのウェビナーに参加してみての感想

インドネシアの若者とナショナリズム


いくつものインドネシアを伝え、学び、楽しむことを目的とした月2回発行の「よりどりインドネシア」では、購読登録者が参加できるオフ会をオンラインで毎月開催しています。

今回は2020年8月29日(土)、12名が参加して行われました。今回のトピックは、「音楽やアートを通じて社会変革を目指す若者たち」というもので、話題提供者は伏木香織さんでした。

伏木さんはバリの事例を中心に、若者たちが担うコミュニティ・アートのこれまでの変遷と具体的な活動スタイル、地域的な問題への取り組みなどについて、1時間半にわたって詳しく紹介してくださいました。

彼らの活動を特徴づけるキーワードとして挙げられたのは、インディーズ(パンク、ロック、グランジなど)、コレクティブ、DIY、協働、草の根ネットワークといった言葉でした。

なかでも、アート・コレクティブあるいはコレクティブ(その前はコムニタスなど)という、制作や生活を共有する集団の活動が、バリだけでなくバンドゥンやジョグジャなどインドネシアの地方都市でのコレクティブとつながり、それが日本を含む海外のコレクティブともつながっている側面のあることが明らかにされました。

彼らの活動は地域密着型で、地元との関係を捨ててジャカルタへ行ってしまう、というようなことがないのも特徴です。興行や収益を目的ともしておらず、ドキュメンタリーフィルムを作ったり、手作り感満載の自費出版の雑誌を配ったりして、社会を変えようと動いている自分たちの活動を世の中へ知らしめることを目的に動いています。

たとえば、バリでは、アートや音楽を通じて、埋め立てへの反対・抗議活動を盛んに行うなど、社会運動を中心と位置づけています。そのため、彼らを政治家が利用するような傾向もありとくに闘争民主党が圧倒的に強いバリでは、政治的な影響から逃れることはなかなか難しい面があるようでした。

とにかく、様々な具体例が示され、情報もきわめて豊富で、あっという間に1時間半が過ぎてしまったというのが実感でした。

伏木さんの発表に触発されて、アート・コレクティブについて少し自分なりに調べてみたいと思いました。

伏木さんの発表を聴きながら、私が2006~2010年にマカッサルで自宅を地元の若者たちに開放していたときのことを思い出していました。彼らは「コムニタス・イニンナワ」と名乗る、いくつものグループの緩やかな連合体でした。同一人物がそのなかのいくつかのグループに属している、という感じでした。

彼らの多くは、コネやカネがなくて就職できなかった者や、正義感ばかりが強くてうまく世の中の風潮に自分を合わせられなかった者や、かつて一族が1950年代の反政府勢力に関わっていたためにその後厳しい生活を強いられたものなどでした。だからこそ、社会の不条理や体制の欺瞞に対する不満が強く、よりよい公正な社会を作りたいという気持ちがこもっていました。でもその一方で、具体的にどのような公正な社会を作りたいのか、オルターナティブな未来を描けず、批判や不満にとどまって、メジャーを目指せない面もありました。

マカッサルの彼らは、伏木さんの挙げたバリのコレクティブに関わる若者とは違って、注意深く政治家らの影響力を避けていました。どのような政治勢力からも独立でいようと努めていました。その反面、マカッサルでは、コムニタス・イニンナワは変な人間が集まっている排他的な存在と見なされる傾向があり、共感や支援を広げるという面が乏しかった印象があります。それでも、ジョグジャやバンドゥンの若者集団とはつながりを持っていたのでした。

ともかく、あの2000年代の後半、コムニタス・イニンナワもどこかを経由して間接的にでもこうしたコレクティブとつながっていたのだ、という実感を感じたのでした。

こうしたコレクティブのような、地域密着でアートや音楽を通じて社会変革を目指すという若者の動きは、このひとつ前のブログで取り上げた、若者のナショナリズム意識が主観的にローカルへ向かっている、という話ともかなり通じる面があるように思えるのです。

12人のクローズドなオフ会という機会だからこそ、学会のような厳密さや論理性を求められることもなく、また、大っぴらにしにくいオフレコ的なことも自由に話せる面がある、ということを今回、改めて思いました。

もしかしたら、このようなオフ会自体もまた、コレクティブ的な要素を持っているのかもしれないと感じた次第です。


いくつかのウェビナーに参加してみての感想

インドネシアの若者とナショナリズム