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2017年12月28日木曜日

自分にしかできないことを高める

先日、友人から人生相談を受ける機会がありました。何かアドバイスできるような立派な人生など歩んでいるわけではないですが、ともかく、彼より少しシニアだということで、お会いすることにしました。

話を聞きながら、自分も、かつて、いや今も、自分の生きていく道筋について悩んできているということを改めて思いました。

ポジティブ全開の人も含めて、どんな人でも、自分に対して正直になったとき、今まで歩んできた道を少しも後悔しない人はいないのではないか、と思います。自分が計画した通りのベストな人生を歩んでいると実感している人はいないのではないか。

でも、自分が歩んできた道がベストだったのだ、と思って生きることは大事なことだと思います。思い描いたベストな人生ではないかもしれないけれど、今の自分は過去からの様々な出来事の因果関係の連鎖のうえに成り立っていて、後から振り返ると、これで良かったのだと肯定しないと、やっていられないように感じるのです。

相談した友人は、現状への不満と漠然と「こういうことをしたい」という思いは持っているのですが、その思いはまだホワッとした状態で、それをまだ明確に具体的にできていない様子でした。

そのときに、自分がやりたいこと、それを実現するために何をしなければならないか、ということを考えたとき、年齢や家族構成などを考慮すると、できるだけそれを無理なくできる方法を考えたほうが良さそうです。

自分の比較優位は何かも自覚しておくことが重要でしょう。比較優位がないものを実現するためには、ものすごい労力と努力を必要とします。たとえば、インドネシアに関するコンサルティングを行ないたいという場合に、既存のコンサルタントにはない何を比較優位とするのか、が問われてきます。

残念ながら、友人がそれを実現するためには、それこそ、ものすごい労力と努力を必要とすることが明らかでした。

しかし、今、自分で関わっている仕事から派生する形で、比較優位を作っていくことのほうが無理なくできる場合もありえます。友人の場合、今の仕事は、日本で専門家がほとんどいないある外国に関わるものでした。ですから、少し努力すれば、友人はその国の専門家になることができるのです。

生きてきた証は、自分にしかできないことを高めていくことで培われるものです。自分がこの世に生きた意味や証は、自分にしかできないことを世の中で実現することで生まれてくる。それは、自分という個を、アイデンティティを、明確にすることでもあります。

友人には、今の自分の状況を冷静に把握し、できるだけ無理なく、自分にしかできないことを高めていくのがいいのではないか、とアドバイスしました。

と、そこで気づきました。これは、地域が生き生きとしていく、生き残っていくことと同じではないか、と。その地域の持つ地域性をしっかり理解し、そこから他にはない、その地域にしかできないことを見つけ、それを高めていく。

そして、自分にしかできないことを高める人々が集まる地域が、自らの地域にしかできないことを高めていけるのではないか、と。

振り返って、私自身、自分にしかできないことは何なのか、改めて考えています。そして、自惚れではなく、それは、確かにある、ということを確信しています。

それは、小さい頃からずっとやりたいと思っていた、ホワッとした思いが徐々に具体的なイメージにフォーカスしてきているのでした。研究所で研究員を務めたことも、開発援助の実務に関わったことも、NGOで活動したことも、独立して自由に動け回れるようになったことも、後から振り返ると、すべてつながっているのでした。

家族を養うという意味での生活を考えれば、後悔する気持ちが全くないわけではありませんが、自分はこういう生き方をしたかったのだ、そこに意味があるのだ、という気持ちのほうが勝っている気がします。

さて、来年はどうなりますことやら。楽しみです。

起き上がりムンクさんに癒される?


2017年12月22日金曜日

東京にシェアオフィス/コワーキングスペースをつくる

今、東京の自宅付近にシェアオフィスまたはコワーキングスペースをつくる、ということを考えています。

まだ構想段階ですが、どんな人に使ってもらったらいいか、少しずつ考え始めています。

できれば、私が信頼できる方々に使っていただき、結果的に、何かを一緒に作り出せる場所にしていければと思っています。

その一方で、分野も専門も全く異なる人々、様々な国から来た人々が集まるような場にしてもいいなとも思います。

亡くなった伯母の店舗兼住居を改装する予定です。広さは、2階建てで、1階をコワーキングスペース+会議室、2階を3〜4部屋のシェアオフィス、という形にしようかなと思っています。

裏に庭があります。古い桜の木があり(下写真)、4月にはまだ花見ができます。


動き回っているので常駐は難しそうですが、私の仕事場も作る予定です。

会員制にして、会員は24時間使えるようにしてはどうかと考えています。

場所は、JR山手線の大塚駅から徒歩7分、近くに24時間営業のセブンイレブンがあります。

開業はおそらく、早くても2018年8月以降になりそうです。

どうでしょうか。

興味のある方、一緒に管理運営してみたい方、いずれ使ってみたい方、オフィスを構えたい方、何か面白いアイディアをお持ちの方は、お気軽に、メールにて私( matsui@matsui-glocal.com )までご連絡いただけると嬉しいです。

2017年12月19日火曜日

国境を越えて人々が学び合える時代が来ている

12月15日まで福島市にいましたが、とにかく寒くて寒くて、部屋の暖房が電気ストーブ1台ということもあり、書きものをしていると手がかじかんできて、体にこたえました。

東京へ戻ってくると、もう、福島よりはずいぶんと暖かく、こんなに違うものだと改めて感じいるのでした。

それでも、12月15日には、前々からお会いしたいと思っていた方とゆっくりお話しすることができ、とても有益な時間を過ごすことができました。そして、自分が目指そうとしていることは、まだほとんど手つかずの活動だということを確認できました。その辺の話は今後、追い追いしていくことにします。じっくりと始めていきます。

12月16日は、「学びあいが生み出す農家の未来」というシンポジウムに出席しました。トヨタ財団の助成を受けて、フィリピン、東ティモール、ラオスの農民たちが3カ国間を相互に訪問し、3者間で技術交換や学びあいの交流を行う事業の報告会でした。

この事業では、日本側は三者をつなげるための黒子に徹し、三者間の学びあいを深めていくプロセスを促す役目を果たします。彼らの交流のなかで、予期せぬ展開が続出し、そこからまた新たな学びあいが起こる、そんなワクワクするような事業に見えました。

2017年12月11日月曜日

40年前までの福島市民が今また戻ってきた訳

今週は金曜日まで福島市です。おこもりでしていた原稿執筆が、終わってはいないけれども、今日でようやく目途がついたので、少し気持ちに余裕ができました。

福島市で法人登記してから、ちょうど今日で8ヵ月が経ちました。法人登記したのは4月11日、東日本大震災の月命日にあたります。本当は3月11日に登記したかったのだけれど、今年は土曜日だったので、無理でした。

あの震災がなかったら、自分は故郷の福島市に活動拠点をかまえようとは、きっと思わなかったでしょう。

震災の前年に亡くなった父が、私がまだ福島市で中学・高校に通っていたころによく言っていた言葉を思い出します。

父は、「福島に居るな。外に出ろ。できれば、日本の外へ出ろ」と何度も言いました。「世界のどこにいても、元気にしているならそれでよい」とも言いました。

私は、父のように、地元・福島で学校の先生になりたいと思っていました。何かを教えることが好きだったし、たくさんの教え子に囲まれる人生が素敵に見えたものです。でも、父は、私が自分と同じ職業に就くことを望んでいませんでした。そして、大人になってから、その理由がはっきりと分かりました。

父が満足していたかどうかは別として、高校を卒業した後、東京で一浪して東京の大学に入り、縁あって就職した職場では、インドネシアと付き合うことになりました。

そして、頻繁に日本とインドネシアを行き来し、ときにはインドネシアに長期滞在し、30年以上経った今でも、インドネシアとの付き合いは切れるどころか、ますます深みにはまっていく感じがするほどです。

福島がどんどん遠くなっていきました。インドネシアがどんどん近づいてきました。

一身上の都合で23年お世話になった職場を離れ、今度は一人で挑戦しようと動き始めてほどなく、父が亡くなり、震災が起こりました。

震災後の様々な社会の動揺や変化を見ながら、自分の人生にとって何か大きなパラダイム転換が起きたように感じました。豊かになることが幸せなのか。他人に勝つことが人生の目的なのか。生きるって何なのか。依存するって何なのか。自立って何なのか。

震災後の福島が、世の中の様々なものに翻弄され、ときには差別され、排除され、無視され、ズタズタにされていく様子を見ていました。ただただ、それに対して無力な自分を攻め続け、自分で自分を罵倒していました。

個人としては原発には反対だけれども、原発に長年真面目に関わってきた高校・大学時代の友人たちや、原発のおかげで幸せな生活が送れるようになった人たちのことを思いました。白黒なんて簡単に線は引けない。きれいな結論を出せなくなりました。

自分が今できることは何なのだろう。福島から出ていった自分は、福島にとってはよそ者です。でも完全なよそ者ではなく、出戻りです。そうした出戻りが、これまでの日本の地域づくりのなかで重要な役割を果たした事例をたくさん学んではきましたが、では、自分はどうなのか。

まずは、自分の立ち位置を定めること。福島市に法人登記したからといって、福島市から一歩も外に出てはいけないわけではないし、日本中、いや世界中、どこで活動してもかまわない訳です。でも、その出発点を福島市に定めた、という意味を法人登記に込めたいと思いました。

福島市を出発点として、福島市はもちろんのこと、日本中、世界中の必要とされている場所で活動し、その成果のエッセンスを何らかの形で福島へ返していく。逆に、福島での活動の成果やエッセンスを外の世界へ流していく。

そんな、福島と外とを行き来しつつ、福島と外の世界をつなげたり、外からヒトやモノやコトを福島へ取り込んだりしながら、その過程で新しい何かが生まれる触媒の役割を果たす。それが、今考える、自分なりの立ち位置ではないか、と思っています。

これをやるんだ、というものをギラギラさせているわけではありません。今の福島市にとって必要なモノやコトは何か、といつも考えています。もちろん、やりたいと思っていることは色々あります。

でも、すでにいろんな方がいろんなことをされていて、まずはそれを学ぶことから始めているつもりです。じっくりと、慌てずに、しかし本物の活動をしたり、促したりしていけるように、研鑚を積んでいきたいと思っています。

40年前まで福島市民だった自分の、根っこの部分とよそ者の部分のハイブリッドで、自分が一体何をしていけるか。動いていきます。

昔から、大好きな福島のリンゴを毎日、実家で食べられる幸せ・・・



2017年12月5日火曜日

ただ今、東京でおこもり中です

スラバヤ出張中に体調を悪くし、帰国した12月1日はあまり具合がよくなかったので、ひたすら眠り、翌2日には、体調も回復し、正常に戻りました。

2日は、大学時代のゼミのOBの勉強会「竹内記念フォーラム」に出席しました。恩師である故竹内啓一先生(社会地理学)を偲び、教え子たちが自主的に開催しているもので、1年に2回開かれます。

毎回、OBの一人が発表、それを話題に自由討論するという形で、私もちょうど1年前、「宮本常一、地元学、メタファシリテーション:いまの私の活動を支える三本柱」と題して、発表しました。中身について興味のある方は、個別にご連絡ください。

その後、今週中に終わらせなければならない原稿作業が3本重なってしまったので、ここしばらくは、自宅からレンタルオフィスへ行って、こもって書いています。でも、量が多いためか、ちょっと遅れ気味です。

3本のうちの1本は、明後日発行予定の「よりどりインドネシア」第11号なのですが、もしかすると、1~2日、発行を遅らせるかもしれません。あらかじめ、ご容赦のほどをお願いいたします。

と、今回は、状況報告のみなのですが、最後に、ちょっとつぶやきを。

東京23区内で、オフィス、シェアオフィスあるいはコワーキングスペースが欲しいなと思っている方はいらっしゃいますか。一緒にそんな空間を作ってみたいな、と思っていらっしゃる方はいますか。

秋ももう終わりですねぇ。


2017年12月2日土曜日

食品加工業振興に関するスラバヤ出張

11月26~30日、スラバヤへ出張してきました。今回は、JICAによる「東ジャワ州の中小食品加工業振興に向けた食品加工技術普及・実証事業」の一環で、日本の中小企業による食品加工技術普及・実証のお手伝いでした。


東ジャワ州は、インドネシアのなかでも、中小企業レベルでの食品加工業の一大中心地であり、州政府の開発目標においても、農林水産品加工による産業発展を重視しています。この普及・実証では、とくに油を使用しない食品加工機械の技術普及に焦点が当てられています。

ご承知の通り、インドネシアでは、食品製造における油の使用量が多く、とくに、スナック菓子などではほぼすべてに使われていると言っていい状態です。しかも、その油のほとんどはパーム油であり、しかも同じ油を何度も使うことが一般的です。このため、油の摂取量が必然的に多くなり、健康的な食品がなかなか出回らない状態にあります。

そこで、日本で食品加工機械を製造している中小企業が、自身の持つノンオイルでの菓子製造技術をインドネシアで普及・実証したいという熱意を持ち、1年間、本案件で機械と技術の紹介・普及活動を行ってきました。