2019年6月21日金曜日

久々に素敵なイタリアン・ランチ

6月18日は、久々に、二人で素敵なイタリアン・ランチを楽しみました。

場所は、高田馬場の老舗イタリアン。もう何十年もよく行く店です。ちょっと時間をずらして行ったせいか、待たずに席に座ることができました。

最初は冷たいジャガイモのスープ。ジャガイモの味がよく出ていて美味。


前菜3種盛り合わせ。これも美味しい。以前は、5種だったような・・・。


パスタは、イタリア国旗をイメージしたニョッキと色々な肉の手打ちパスタ。




2019年6月10日月曜日

よりどりインドネシア第47号を発行

6月9~10日の京都・大阪への出張前に終えてしまおうと、6月8日、ウェブ情報マガジン「よりどりインドネシア」第47号を発行しました。

第47号までのバックナンバーはこちら。
https://yoridori-indonesia.publishers.fm/backnumber/

今回の第47号の内容は、以下の3本です。

●2019年5月のジャカルタ暴動を総括する ~負け組による勝ち組への計画的蜂起だったのか~(松井和久)
●ロンボクだより(20): 朝のフルーツは金?(岡本みどり)
●オーストラリアに眠る日本人抑留者の知られざる物語 〜新公開のカウラ日本人墓地データベースを試用して〜(脇田清之)

今号では、私なりに、5月20~21日のジャカルタ暴動の総括を試みました。そこには、イデオロギーや崇高な国家の理想とはかけ離れた、きわめて泥臭い、うまくやりおおせている者へに対する「負け組」の積もり積もった怨念がありました。敵をうまく包み込む民主化というものが果たして可能なのか、色々と考えてしまいます。週刊誌TEMPO最新号(2019年6月8日号)の記事も参考になります。

ロンボク島在住の岡本みどりさんの連載「ロンボクだより」も第20回となりました。私たちが常識と思っていることが、果たしてロンボクの人々にも常識なのか、そんな気づきが大切だと感じます。

戦時中のスラウェシ島の日本人の歴史を追っている脇田清之さんは今回、太平洋戦争勃発時に、スラウェシ島からオーストラリアへ抑留され、亡くなった日本人民間人に焦点を当てました。脇田さんが解き明かす知られざる人々の物語です。

「よりどりインドネシア」の購読方法は、次の二つの方法があります。

2019年6月8日土曜日

渋谷敦志「まなざしが出会う場所へ」写真展をみて

どうして
見つめ返すのか
困難を生きる
人びとの眼を

今日(6/8)、友人である写真家・渋谷敦志さんの「まなざしが出会う場所へ~渇望するアフリカ」という写真展を観に行ってきました。場所は、東京・ミッドタウンのフジフィルム・スクエア1階の富士フィルム・フォトサロンです。

写真展の詳細は、以下のサイトをご覧ください。

 困難を生きる人びとのまなざしに向き合う
 【写真家たちの新しい物語】
 渋谷敦志写真展「まなざしが出会う場所へ —渇望するアフリカ—」

この展覧会は、2019年1月に出版された彼の著書『まなざしが出会う場所へ ― 越境する写真家として生きる』を踏まえて、とくにアフリカで出会った様々な「まなざし」を伝える写真展でした。

2019年6月4日火曜日

日本は何によって外国人労働者に選ばれる国になるのか

●外国人が日本を選ぶ理由が議論されていない

「日本は、外国人労働者によって選ばれる国にならなければならない」という文言をよく聞く。韓国や台湾など、他のアジア諸国との外国人労働者争奪競争を意識したもので、そのためには、外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることが必要、といった論調がみられる。

しかし、重要なことが一つ抜けている。すなわち、外国人労働者は何をもって日本を選ぶのか、その理由についての議論が全く見られないのである。

このこと一つとっても、昨今の外国人労働者をめぐる議論が、日本側、彼らを活用する側からの視点からしか行われていない、極めて一方向的な議論に終始していることが分かる。そう、政府も民間も、誰も外国人労働者側のことなんか本気で考えていないのだ。自分たちの人手不足が解消すれば、誰でもいいというような状況なのである。

なぜ外国人労働者は日本に来たいのか。他国ではなく、日本を選ぶのか。あるいは逆に、何を売りにすれば、彼らは自分たちの就労先として日本を選ぶのか。この辺りを、しっかりと調査した形跡はうかがえない。

外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えることは、もちろん重要である。その場合には、どれだけ他国よりも法的保護を強めるのか、働きやすい環境を整えるのか、ちゃんとアピールする必要があるのではないか。

地域おこしの一環で新産品開発・販売促進を試みる際、どこもかしこも同じような饅頭や漬物を作ってしまう、という批判をよく聞く。そのときに、他の類似製品と何が違うのか、同じ種類であればどのように他より優れているのか、説明できなければ、その新産品はアピールできない。お客さんから選ばれる商品にはならない。

もし政府が、選ばれる国になるために外国人労働者への法的保護を強め、これまでより働きやすい環境を整えるというなら、他国よりも優れている点をきちんとアピールすべきなのである。

もっとも、外国人労働者が、そういった点を重視して日本を選ぶかどうかは、やはり確認しなければ分からない。ただ、昨今のメディア報道や私自身のインドネシア人技能実習生・元実習生らとの関わりのなかから、見えてきたことがある。

高い賃金を理由に日本を選ぶ者もたしかにいる。でも、それ以上に、彼らが日本にあこがれる理由があるのだ。

2019年6月2日日曜日

椏久里珈琲で美味しいコーヒー&お菓子と突然の弾き語り

6月1・2日は、福島市で東北絆まつりが開催されて、多くの観客でにぎわったようです。友人の話だと、市内は交通規制がかかっていて、メイン会場の市役所へ行くのも大変だった様子。

というわけで、常にメジャー路線を避けて行動する、あまのじゃくな私は、絆まつり見物には行きませんでした。その代わり、6月1日は、友人からの誘いを受けて、今月のケーキとコーヒーを味わうため、椏久里珈琲へ行きました。

椏久里珈琲には、毎月変わるケーキをいただくため、最低でも、1ヵ月に1回は顔を出すようにしているのですが、今回は、それに加えて、友人が「紹介したい人がいる」ということで、いそいそと出かけたのでした。

2019年6月1日土曜日

平凡さの偉大さ ― まさかあの人がそれを語るとは

久々の投稿です。

あたりまえの日常や普通であることのすごさ。これは、私自身がこれまでの人生のなかで、痛感してきたことです。

暮らしの中で、毎日あたりまえに行なっている炊事、洗濯、作業・・・。それらが毎日毎日積み重なり、その人の人生を、その人のいる地域の日常を作っていきます。

自分も含めて、あたりまえで普通の人々は、何かあった場合を除けば、氏名のような固有名詞で歴史に残ることはまずありません。名もなき人々、ときには庶民という言葉でくくられ、歴史のなかに埋没していくものです。

歴史に残る人物は、国を治めたり、世界的な偉業を成し遂げたり、世界記録や日本記録を残したりするような、えらい人、すごい人であり、そうしたえらい人やすごい人が歴史を作ってきたと思いがちなものです。

子どもの頃、偉人伝を読んで、こんな立派な人になりたい、と思った経験が多くの人にあることでしょう。でも、大半の人は、そんなえらい人間にはなれなかった、と思っているはずです。

たしかに、日本の学校で学ぶ歴史には、そうした普通の人々の歴史がほとんど出てきません。それは、為政者や偉人などのように、普通の人々に関する記録があまり残っていないためなのかもしれません。また、歴史を書き残してきたのは常に勝者であり、敗者の歴史が語られてくることはなかったとも言えます。