2025年6月1日日曜日

インドネシアの旧友との立て続けの再会

大学を卒業して以来 これまで約40年間、インドネシアとお付き合いしてきた。自分の人生の大半は、インドネシアとともに生きてきたことになる。

ジャカルタ、マカッサル、ジャカルタ、スラバヤと長期滞在した年数はのべ16年以上、1ヵ月以内の短期滞在がそれに加わる。行ったことがある州はアチェからパプアまで27州、まだ行ったことのない州が11州残っている(パプアが2州から8州へ増えたことも影響)。おかげさまで、それらの多くの州に自分の友人・知人たちがいるということが自分の支えの一つとなっている。

コロナ禍以降、なかなかインドネシアへ行けない日々が続き、今も、1年にせいぜい1回ぐらいしかインドネシアへ、しかも数日間のみ行く機会がある程度。情報ウェブマガジン『よりどりインドネシア』やNNAインドネシアの連載はずっと書き続けているが、かつてのようなインドネシアへ行きたい衝動・禁断症状が激しく出ることもなく、自分がどんどん日本の人になっていく感覚を寂しく感じている(ただ、あれほど高かったコレステロール値が正常に戻ったという効果もある。かかりつけ医曰く、「インドネシアが原因だったようですね」との判断)。

それでも、時々、自分(の体)がインドネシアを欲していると痛切に感じることがある。その感覚が来るのには波があるのだが、なんとなく今、その波が来始めたような気がしている。

5月になって、立て続けに、インドネシアで親しかった友人たちと東京で再会する機会があったためだ。5月21日の駐日インドネシア大使の離任セミナーの席では、複数の重要閣僚ポストを歴任した友人B氏と約15年ぶりに再会した。

2000年代前半、彼がインドネシア大学教授だった時に、彼の率いるインドネシア側の研究者チームと日本側の研究者チームとが合同でインドネシアの地方分権化(とくに財政分権化)に関する共同研究を行なった際、私も日本側チームの一員に加えてもらったのである。この共同研究は、それぞれの専門に関する論考とともに、日イの研究者がペアとなって実施した、インドネシア各地方政府の地方分権化の状況についてのフィールド調査報告も付加された(私は、ガジャマダ大学のM教授(彼は現在、某私立大学学長)と組んで、東カリマンタン州の東クタイ県の調査を行なった)。すっかり貫禄の付いたB氏は今後、国際機関の研究所長として東京に駐在するとのことである。

続いて5月26日、スラバヤ滞在時に世話になったEさんと再会した。彼女は当時、東ジャワ州投資局で私のカウンターパート的存在で、当時のL投資局長(故人。大変お世話になった恩人の一人)とともに、東ジャワ州の開発政策や日本企業の投資誘致策などを数え切れないほど議論・意見交換した相手である。L投資局長の信任の厚かった彼女は今回、東ジャワ州投資局長としてエミル州副知事とともに来日し、東京と大阪で投資セミナーを開催した。来日の数日前からWAでやりとりしていたが、今回、再会した瞬間から、互いの気分は私のスラバヤ時代に戻っていた。彼女のアレンジでエミル州副知事とも短時間ながら懇談することができた。

Eさんと再会した同じ場所で、さらなる偶然が起こった。私が1995年、最初にJICA専門家として赴任した際の国家開発企画庁(BAPPENAS)のカウンターパートの一人だったI氏とも再会したのである。彼とは専門家の任期が終わる2001年まで一緒に仕事をし、その後、彼は投資調整庁(BKPM)へ移って長官の下の局長まで上り詰め、定年後の今はBKPM長官の特別アドバイザーを務めている。今回は大阪でのイベントの後、東京での東ジャワ州投資セミナーに出席する日程のようだった。彼との再会も、BKPM時代以来約15年ぶりで、昔の雰囲気が秒速で戻ってきた。

彼らとの再会でとても嬉しかったのは、これだけの年数を経てもまだ私のことを覚えていてくれただけでなく、彼らとの面会時の気持ちが昔のままだったことである。彼らは順調にキャリアを重ね、閣僚や政府高官などの要職を務め、インドネシアで公的ルートを通じてもなかなか面会できない立場にある。かたや私は、過去の栄光も世間的な肩書もステータスも何もなく、ごくごく普通の生活をしている一般人である。彼らとは日常、SNSで互いの様子を知る程度の関係でしかないのだが、いったん再会したときに、過去のあの時へ戻る感情は何とも表現できないものがある。

これまでの人生を通じて、今の流れのなかに新しい流れが始まりつつある気配をうっすら感じ、それが少しずつ濃くなっていくのを経験してきた。インドネシア地域研究だけだった自分に、地域づくりや多文化共生といった新しい流れ、NPOやビジネスといった新しい流れが、最初は微かに、徐々に大きくなり、はっきりとしてくるという経験である。

この立て続けの旧友との再会がそうした何かを暗示しているものなのか。普通の生活を送りながら、耳をそばだててみたい。

都電荒川線の荒川車庫前~荒川遊園地前の沿線に植えられた薔薇と電車
(本文とは関係ありません)