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2017年12月11日月曜日

40年前までの福島市民が今また戻ってきた訳

今週は金曜日まで福島市です。おこもりでしていた原稿執筆が、終わってはいないけれども、今日でようやく目途がついたので、少し気持ちに余裕ができました。

福島市で法人登記してから、ちょうど今日で8ヵ月が経ちました。法人登記したのは4月11日、東日本大震災の月命日にあたります。本当は3月11日に登記したかったのだけれど、今年は土曜日だったので、無理でした。

あの震災がなかったら、自分は故郷の福島市に活動拠点をかまえようとは、きっと思わなかったでしょう。

震災の前年に亡くなった父が、私がまだ福島市で中学・高校に通っていたころによく言っていた言葉を思い出します。

父は、「福島に居るな。外に出ろ。できれば、日本の外へ出ろ」と何度も言いました。「世界のどこにいても、元気にしているならそれでよい」とも言いました。

私は、父のように、地元・福島で学校の先生になりたいと思っていました。何かを教えることが好きだったし、たくさんの教え子に囲まれる人生が素敵に見えたものです。でも、父は、私が自分と同じ職業に就くことを望んでいませんでした。そして、大人になってから、その理由がはっきりと分かりました。

父が満足していたかどうかは別として、高校を卒業した後、東京で一浪して東京の大学に入り、縁あって就職した職場では、インドネシアと付き合うことになりました。

そして、頻繁に日本とインドネシアを行き来し、ときにはインドネシアに長期滞在し、30年以上経った今でも、インドネシアとの付き合いは切れるどころか、ますます深みにはまっていく感じがするほどです。

福島がどんどん遠くなっていきました。インドネシアがどんどん近づいてきました。

一身上の都合で23年お世話になった職場を離れ、今度は一人で挑戦しようと動き始めてほどなく、父が亡くなり、震災が起こりました。

震災後の様々な社会の動揺や変化を見ながら、自分の人生にとって何か大きなパラダイム転換が起きたように感じました。豊かになることが幸せなのか。他人に勝つことが人生の目的なのか。生きるって何なのか。依存するって何なのか。自立って何なのか。

震災後の福島が、世の中の様々なものに翻弄され、ときには差別され、排除され、無視され、ズタズタにされていく様子を見ていました。ただただ、それに対して無力な自分を攻め続け、自分で自分を罵倒していました。

個人としては原発には反対だけれども、原発に長年真面目に関わってきた高校・大学時代の友人たちや、原発のおかげで幸せな生活が送れるようになった人たちのことを思いました。白黒なんて簡単に線は引けない。きれいな結論を出せなくなりました。

自分が今できることは何なのだろう。福島から出ていった自分は、福島にとってはよそ者です。でも完全なよそ者ではなく、出戻りです。そうした出戻りが、これまでの日本の地域づくりのなかで重要な役割を果たした事例をたくさん学んではきましたが、では、自分はどうなのか。

まずは、自分の立ち位置を定めること。福島市に法人登記したからといって、福島市から一歩も外に出てはいけないわけではないし、日本中、いや世界中、どこで活動してもかまわない訳です。でも、その出発点を福島市に定めた、という意味を法人登記に込めたいと思いました。

福島市を出発点として、福島市はもちろんのこと、日本中、世界中の必要とされている場所で活動し、その成果のエッセンスを何らかの形で福島へ返していく。逆に、福島での活動の成果やエッセンスを外の世界へ流していく。

そんな、福島と外とを行き来しつつ、福島と外の世界をつなげたり、外からヒトやモノやコトを福島へ取り込んだりしながら、その過程で新しい何かが生まれる触媒の役割を果たす。それが、今考える、自分なりの立ち位置ではないか、と思っています。

これをやるんだ、というものをギラギラさせているわけではありません。今の福島市にとって必要なモノやコトは何か、といつも考えています。もちろん、やりたいと思っていることは色々あります。

でも、すでにいろんな方がいろんなことをされていて、まずはそれを学ぶことから始めているつもりです。じっくりと、慌てずに、しかし本物の活動をしたり、促したりしていけるように、研鑚を積んでいきたいと思っています。

40年前まで福島市民だった自分の、根っこの部分とよそ者の部分のハイブリッドで、自分が一体何をしていけるか。動いていきます。

昔から、大好きな福島のリンゴを毎日、実家で食べられる幸せ・・・



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