5月15日、バトゥでの用務を終えて、スラバヤに1泊しています。16日の朝、ジャカルタへ向けてスラバヤを発ちます。
この間、スラバヤでは、複数の家族による自爆テロ事件が5月13・14日の2日間に相次ぎました。家族全員で自爆テロを行うという、これまでにない新しい形のテロが起きてしまいました。
この種のテロは、どこで起こるか分からないという恐怖があります。道行く人が突然何かするのではないか。目の前の人が爆弾を抱えているのではないか。そんな不安はなかなか払拭できるものではありません。
また、顔を隠し、眼だけ出して長いイスラムの服装をしている女性が不審者としてみられ、いくつかの場所で入場を断られたりする話も聞こえてきます。
いつ何時、誰がテロを引き起こすか分からない・・・。街中の見知らぬ人々を信用できなくなっている。実際の自爆テロで数十人の方々が犠牲になったのに加えて、今、スラバヤの街中では、そうした不信感が大きくなっている印象を受けました。
暴動のように、物理的に目に見える形で騒ぎが大きくなっている場合には、できるだけそのような場所を回避することが望ましいことは言うまでもありません。
しかし、テロ事件のように、いつどこで誰が起こすのか分からない、運命によっては防ぎようのない状況に陥るものは、予防措置として、周辺の不審者に注意を払うような行動を採らざるを得なくなり、精神的に落ち着かない状況が続いていきます。
たとえ、周辺の様子を絶えず不審なものはないかと注意を払い続けたとしても、それを察知して確実に防げるとは思えないからです。
そんなことを色々考えながら、スラバヤに1泊することにしました。周辺状況を自分なりによく観察し、大丈夫だと判断して、夕食を食べに出かけました。
行く先は、久々に食べたかった、Hai Nanの蟹カレー。
店は営業していましたが、中は閑散としていて、普通なら午後8時には満席となるのに、ガラガラのままでした。それでも、お客さんが来てくれたのは嬉しいらしく、フロアマネージャーは笑顔で対応してくれました。もちろん、蟹カレーは、いつも通りの美味しさで、大満足でした。
見えない恐怖を感じながらも、普段通りの生活を続け、スラバヤは決してテロに屈しないことを静かに示し続けること。今のスラバヤの人々にできることは、やはりそういうことなのだと思います。
スラバヤでこんな事件が起こってしまった、と市民に率直に謝り、先頭に立って現場を歩き、被害者を慰問するスラバヤ市のリスマ市長の姿から、人々は前を向く勇気をもらっているように見えます。街中には「テロに屈しない」「スラバヤのために祈る」といった手書きの横断幕が掲げられていました。
今回の自爆テロ犯は、必ずしも貧しい家族ではなかったと見られています。貧しさだけがテロへ走らせるのではなく、心が満たされない、社会から疎外された、そんな精神的な部分にカルトのささやきが忍び込んでくるのでしょうか。
SDGsが目指す誰も見捨てない社会は、所得向上だけを目的とするのではなく、こうした精神的な面をどのように内包していくかも問われています。それは、やはり、人が人を信用できる、知らない人でも信頼できるような、いわゆる信頼社会をどう作っていくか、ということと関わってくるものと考えます。
自分たちの身の回りから始められることは何か。きっと、一人ずつ、自分の信頼できる他人を増やしていく。そのためには、自分も他人から信頼される人間になっていく。もう一度、一つずつ、社会を作り直していく必要を認識させられているのかもしれません。
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