2018年11月29日木曜日

スラウェシ中部地震とロンボク地震の被災地を訪問して

今回のインドネシア滞在中に、11月21~23日にスラウェシ中部地震被災地のパル市、シギ県、ドンガラ県を訪問し、その後、11月27~28日にロンボク地震被災地の東ロンボク県、北ロンボク県を訪問しました。

日本でもインドネシアでも、これらの地震に関するメディア報道はずいぶん少なくなりました。そうなると、復興が順調に進んでいるかのような雰囲気が出てきますが、やはり、実態はそんな単純なものではない、というのが今回訪問しての印象でした。

現場を歩きながら、「世の中から忘れられていく」という現場の人々の気持ちを強く感じていました。

スラウェシ中部地震被災地への訪問記は、情報ウェブマガジン「よりどりインドネシア」の第34号と第35号の2回に分けて書いていきます。第1回は、以下のサイトをご参照ください。


小見出しは以下のようになっています。

 ●被災地を訪問した意味
 ●津波に襲われたタリセ海岸を歩く
 ●液状化で街が沈んだペトボ地区にて
 ●政府と住民の微妙な関係
 ●外部者の被災地利用

詳細については、内容をぜひお読みいただきたいのですが、かなり強く政治ファクターが入り込んでいることもあり、復興へ向けてのプロセスは予想以上に難しいものになるのではないか、と感じました。

次号(第35号)では、今後の復興プロセスにおいて起こってきそうな諸問題、我々が外部者としてどんな取り組みに対して支援するのが良いのか、ロンボク地震との比較を踏まえたうえでの考察、などについて、書いてみたいと思っています。

ロンボクも含めた今回の訪問では、被災した友人・知人たちの消息や活動状況を知ることも個人的な目的でした。幸い、今回お会いした仲間は皆、元気でいてくれて、再会を喜び合いました。

ロンボク島の被災地も、その後に起きたスラウェシ中部地震との関連で、様々な影響を受けていました。多くのロンボクの被災者は、スラウェシ中部地震の被災地のほうがずっと大変な目に遭っていると思っている様子でした。

それは、東日本大震災の時、福島の被災者が「岩手や宮城の被災者は津波で実際にたくさんの方が亡くなって自分たちよりも大変なんだ」とか、逆に岩手や宮城の被災者が「福島の被災者は原発事故の影響も加わって自分たちよりも大変なんだ」と思ったことを想起させました。

今回ロンボク島も訪れてみて、表面上の明るさの陰で、被災者の地震への恐怖や将来への不安が強くある様子がうかがえました。仮設住宅の建設など生活を取り戻す過程は始まっていますが、急ピッチで復興が進んでいる、というようなものではないという印象でした。

それでもなお、ロンボクでは「自分で何とかしていく」という態度を見ることができました。自分たちの村を自分たちでなんとかするっきゃない!という、いい意味での開き直りというか、援助を待ち続けるという態度はほとんど見られなかったのが印象的でした。

よりどりインドネシアに「ロンボクだより」を連載してくださっている岡本みどりさんのお宅も訪ねました。可愛いお嬢さんにも遊んでもらえました。

岡本さんの周りのおじさんやおばさんたちは、皆さん、互いに笑い、話をすることで、気を紛らせ、やるべきことをやれる範囲でやるという、当たり前の態度で日々の生活を少しずつでも取り戻していこうとしていました。そんな人たちに温かく囲まれながら、岡本さんも、周りの皆さんの生きる力を感じていらっしゃるのだろうなと思いました。

マカッサルで仲間と話し合ったときに出てきた大事な言葉が、「生きる力」でした。

「生きる力」を持っている人々や社会は、再生への強さを内に秘めているのだと思います。それを肯定するような、「生きる力」を強くしていけるような、被災地や被災者へのリスペクトやポジティブな働きかけを、外部者としての私たちは適切に行なって行けるとよいな、と思いました。

そして「生きる力」とそれを強くしていけるようなプラスの働きかけは、今の日本にとっても必要なことでもあるのだ、と感じるのです。

2018年11月21日水曜日

マカッサルでさっそく活動

11月20日、マランからスラバヤ経由で昼過ぎにマカッサルに到着しました。

まずは、一年以上の音沙汰のなかった、昔マカッサルに住んでいたときのお手伝いさん夫婦にいきなり会いに行きました。彼らの携帯番号がたくさん記憶されていて、どの番号なのか分からなかったからです。携帯の支払いが途切れると、自動的に、番号が使えなくなるため、放置しておくと、そうなってしまうのです。


元気そうでよかったです。このお手伝いさん、料理名人で、彼女の料理に何度助けられたことか、数え切れません。

インドネシア料理はもとより、中華料理、西洋料理、そして日本料理と何でもござれ。そばつゆは醤油とみりんでしっかり作るし、おせち料理も作ってしまいます。アメリカ風の豆のスープも絶品です。

彼女を使ってみたい方がいれば、是非、ご紹介します!!

続いて、インドネシア研修生実業家協会(IKAPEKSI)南スラウェシ支部の皆さんと懇談しました。彼らは、日本への技能実習生OBで、今、KENJI日本語学校というものをつくり、日本語を勉強する場をつくっています。そこのカフェで色々と話をしました。


彼らの日本語はまだまだですが、もっともっと日本の皆さんとコミュニケーションをとっていきたいそうです。そして将来、日本への技能実習制度を通じて、南スラウェシにとって有用な人材育成に貢献したいという夢も持っています。

夜8時からは、カンポン・ブクという、友人のジンペ・ラフマン氏夫妻が運営する図書館で、今回、スラウェシ中部地震被災地支援で募金を送付したインドネシア海洋学士会(ISKINDO)のカマルディン氏、INSISTネットワークの実働部隊だったイニンナワ・コミュニティのアスフリヤント氏とイサック氏と会い、11時過ぎまで懇談しました。


彼らから主な活動状況を報告してもらい、現地での様々な裏話を聞くことができました。とくに、データをきちっととって支援を行うことの必要性とともに、データをとることの困難性(液状化で移動させられた住居とそこの元々の所有者との関係はどうなるのか、など)も指摘されました。

また、災害が起こったのは神の怒りだというような非科学的な言説の流布や、現パル市長の追い落としを企てる者たちによる政府批判、カイリ語の様々な地名の本当の歴史的な意味のほか、自社・自団体の宣伝のための援助物資供与競争、といった側面も指摘されました。

こうした懇談の中から現れてきた重要な言葉が「生きる力」(daya hidup)でした。メディアはどうしても災害のマイナス部分を伝えたがるが、本当に、そこでのプラス部分をもっと伝えることで、被災者の「生きる力」を助けることになるのではないか、と。

たとえば、パルなどからマムジュやピンランを通ってマカッサルへ避難する人々に対して、その街道沿いの多くの家がオープンハウスをしていたことは、ほとんど報じられていません。すなわち、多くの家が、避難者に対して気軽に立ち寄ってもらえる用意をしていたのです。食事の用意はもちろん、休息をとったり、沐浴をしたり、それを無償で提供していたのでした。

また、南スラウェシ州からはたくさんの米が被災地へ送られました。その影響で、パプアや北マルクでは米の流通量が減り、米の価格が急騰したそうです。

「生きる力」という言葉を聞いて、日本での震災後の孤独死や社会の分断のことを思いました。INSISTネットワークの仲間たちは、単に被災者を支援していただけでなく、彼らの「生きる力」をどうやって育んでいくかも意識していたのだと改めて思いました。

そしてこの「生きる力」は、震災が起こっても起こらなくても、インドネシアだけでなく、日本でも本当に必要とされていることなのだ、果たして日本はそれを応援する社会になっているのだろうか、などとつくづく考えてしまいました。

11月21日は、今から3時間後の午前4時45分に起きて、5時45分発の便で、いよいよパルへ飛びます。しばしの就寝です。

2018年11月20日火曜日

バトゥで思いがけない出会い

11月13日、友人である、日本の某大学の先生の紹介で、バトゥである農民夫妻と会うことになりました。

面会の指定場所は、カフェでもレストランでもなく、あるお店。友人の家なのでゆっくり話ができる、ということだったのですが、ちょっと不安になりました。

そのお店の場所を突きとめて、行ってみると、コピー屋でもあり、電気屋でもあり、という不思議なところでした。ますます不安になりました。

本当に、ここなのか?

店番をしている女性は私の来訪をすでに知っていて、2階へ上がるように促してくれました。

2階へ上がると、面会予定の農民夫妻がにこやかに座っていました。そして、しばらくすると、その店の主人らしいご夫婦がやってきました。

実はね、と奥さまが話し始めました。

え、と驚く自分。

なんと、奥さまは、戦後、インドネシアに残って独立戦争を戦った残留日本兵として最後に亡くなった、故アフマド小野さんの長女アツコさんでした。

アフマド小野さんは3年前に亡くなられましたが、生前にお会いしたいと思っていて、かなわずに終わっていました。まさか、こんな形でご遺族にお会いするとは。

農民夫妻とアツコさんの旦那さんは、イスラム教の先生が同じ方で、それで、日本人だということで、気を利かせてくれたようです。

その後、皆んなで色々な話に花が咲きました。




2018年11月18日日曜日

滞在許可手続が終了、いろいろ簡略化

11月12日からインドネシアに来ています。まずは、マランに滞在し、外国人暫定滞在許可(ITAS)の手続を終わらせました。イミグレに出向いて写真撮影、指紋採取をし、翌日にはパスポートが返却されました。

現在のITASは、オンラインで管理されていて、ITASオリジナルとITAS簡易版がメール添付で送られてきます。ITAS簡易版をプリントアウトし持ち歩く、または、スマホにITAS簡易版を入れてもいいのかもしれません。提示の必要があれば、そのいずれかを見せればいいのでしょう。

昔のようなカードはなくなりました。大昔、外国人暫定滞在許可証はカード式で、それを紛失したことがありました。このカードの再発行のために、イミグレや州法務局を何度も往復し、1ヵ月以上の時間を費やしました。

オンライン化された現在、ITASが紛失することはありません。万が一、プリントアウトしたITAS簡易版がなくなっても、またプリントアウトすればいいのです。そうそう、以前「ブク・ビル」(Buku Biru)と呼ばれた外国人出入国管理記録帳も必要なくなりました。

また、複数回再入国許可もITASと併せて取得できるのもよいです。以前は、複数回再入国許可は別途取らなければならなかったので、滞在許可期間と適合せずに頭を悩ませたものでした。

さらに、警察での手続も、エージェント経由で本人出頭が不要とのことでした。以前は、写真撮影と指紋採取があるため、本人が出頭する必要がありました。写真と指紋の情報は、イミグレと共有するようになったと思われます。もう、指紋採取後、トイレの前の固形石鹸で手を洗わなくてよくなったのだなあと感慨深いものがあります。

昔はいつも、暫定滞在許可カード、ブク・ビル、警察証明カード等を持ち歩いていたものですが、今は、ほとんど何も持ち歩く必要がなくなったのは、とても気楽な気分です。

まあ、しっかりとすべての省庁にオンラインで管理されていて逃げられない、という意味もあるでしょう。日本のシステムも進んでいるのでしょうが、再発行手続などで面倒極まりなかった過去のインドネシアのシステムが、地方都市のマランでも、ここまで改善されているとは、正直、驚きました。

2018年11月8日木曜日

INSISTネットワークへの第2回目送金報告と緊急向け募金終了のお知らせ

スラウェシ中部地震被災地支援のための募金にこれまで多大なご協力をいただき、誠にありがとうございました。本日(11/8)、INSISTネットワークへの第2回目の送金を行いましたので、お知らせいたします。

募金寄付者リストおよび送金証明書は、以下のとおりです。


募金は、インターネット経由のPolcaと銀行振込の二つの方法で行いました。

Polcaについては、10%が利用料として天引きされ、私の銀行へのPolcaからの振込手数料も引かれますので、実際に送金に含めた額は81,729円となりますことをご了承ください。

また、銀行振込による募金は、総額224,000円でした。

以上を合算し、305,729円をINSISTネットワークの実働部隊であるyayasan Pao Paoの口座へ送金しました。なお、送金手数料1980円は私が負担しました。

なお、INSISTネットワークから、「緊急向けの募金の受付を終了した」との連絡がありました。このような活動を行っていて、「募金の受付を終了する」と言ってくる団体は今まで他に聞いたことがありませんが、誠意をもって透明性の高い活動を行いたいという、彼らの真摯な態度の表れであると受け止めています。

彼らの現時点での活動報告がインドネシア語でFacebookページに発表されていますが、その概略を以下の通りお知らせいたします。

現状:
・現地3ヵ所に設置した詰所とイニンナワ・コミュニティ本部との調整は継続中。
・募金や寄付物品はまだ本部(の口座)へ届けられている。
・第3回目の物資送付以降は、寄付物資の送付は止まっている。
・現地3ヵ所の詰所の物資はこの1週間でまだ十分にある。
・現地3ヵ所の詰所はINSISTネットワーク以外の団体からの支援も得ている。
・避難者への支援方向は、仮設住宅建設や基本サービス改善へ移っている。
・データ分析は、シギ県の詰所からのデータ分析の遅れから、まだ終了していない。

募金・寄付(11月1日時点):
・募金受入総額:2億4810万5003ルピア
・支出総額:1億953万6377ルピア
・残高:1億3856万8626ルピア
・物資による寄付の総額は、概算で5213万5000ルピア相当。
・これら資金から、INSISTネットワークの予備資金として4300万ルピアを取る。

今後の活動について:
・第4回目の寄付物資の配送計画について話し合う。
・アセスメントを継続することが重要。
・復興段階において協力を申し出ている外部団体への回答。
・INSISTネットワークの活動・会計報告を終わらせる。
・寄付や募金の受入れを終了する。
・INSISTネットワークチームの実績評価を行う。
・INSISTネットワークによる緊急対応以外の活動を継続するか否かを議論する。

これまで、INSISTネットワーク向けの支援を続けてきましたが、彼らは今、一度立ち止まって、自らの活動の評価を行ったうえで、次のステップへどう進めるかを考え始めています。このため、彼らへの募金の呼びかけもいったん終了し、次の段階でどのような協力が可能になるか、私としてもしっかり考えていきたいと思います。

いずれまた、次の段階に即した協力への呼びかけをすることになるかと思いますが、当面は、インドネシア側の状況を見守っていきたいと思います。

とはいうものの、スラウェシ島では、10月以降も、各地でマグニチュード5級の地震が発生しており、状況を注視していく必要があると考えます。

また、8月に地震に見舞われたロンボク島でも、住民の多くはまだテント生活を送っており、決して、地震による被害を克服して正常な生活へ戻れているわけではありません。

皆様のご理解とご協力を引き続きよろしくお願いいたします。

2018年11月5日月曜日

しみずの里ブログも書いています

私の福島のオフィスは、明治6年に建てられた国重要有形文化財の古民家「佐藤家住宅」の敷地内にあります。この古民家は、庭も広くて、敷地面積は三千坪にもなります。


福島駅から車で10分足らず、飯坂電車の泉駅から徒歩3分、という街中に近いところに、こんな空間があるのは、奇跡と言えるかもしれません。

ここを何とかして守っていけないだろうか。そんな気持ちを持っています。

オーナーの佐藤さんは、この古民家の北側に今、サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」を建設中です。古民家と広い庭のある空間で、幸せを感じる暮らしをしてほしい。そんな願いからだと言います。


たしかに、この環境と空間でゆったりと老後の生活を送れるのは、すてきなことのような気がします。

そして、「しみずの里」の入居者だけでなく、近隣の地域の人々や古民家に興味を持つ人々、子どもたちや外国からのお客さんなど、様々な方々がここで交わり、幸せで楽しい気分ですごせるような、そんな場所になったらいいなあと思います。

そのような気持ちから、素人仕事ではありますが、しみずの里のホームページを立ち上げ、ブログを書き始めました。よろしければ、以下のサイトを覗いてみてください。

 しみずの里ホームページ(http://shimizunosato.com

また、ツイッターとインスタグラムも始めました。

 しみずの里(福島市)ツイッター(https://twitter.com/shimizunosato

 しみずの里インスタグラム(https://www.instagram.com/shimizunosato/

昨日は、地域の有志の方の「蕎麦と酒を楽しむ会」という催しが古民家「佐藤家住宅」であり、昼間から、美味しいお酒と打ち立ての蕎麦を楽しみました。



こんな雰囲気の味わえる、サービス付き高齢者向け住宅は、日本全国でも、あまりないのではないかと思います。

サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」は平成31年(2019年)4月のオープンを予定しており、現在、入居者を募集中です。

ご興味や関心のある方は、以下へご連絡ください。現地見学も承っています。

これからどんな空間になっていくか、していくか。とても楽しみです。

サービス付き高齢者向け住宅「しみずの里」開設準備室
福島市泉字清水内3
Tel. 024-563-1695

2018年10月26日金曜日

予想より早く、インドネシアの滞在ビザを受領

今日(10/26)午後、東京のインドネシア大使館領事部へ出向いて、一時滞在ビザの発給を受けてきました。

このビザの申請をしたのが一昨日の10/24、わずか2日でビザが発給されました。

インドネシア大使館のホームページ( https://kbritokyo.jp/visa/ )の説明では、一時滞在ビザの取得に関しての記述は、次のようになっています。

・取得日数:4日(土日、両国の祝日は除く)
・申請時間:09:30-11:30(予約不要)
・支払い:15:30-16:30 (申請日の翌日)
・受領:15:00-16:30

ということは、ビザの申請、支払い、取得と、3回、出向かなければならないことになります。

今回の経験からすると、上の記述は、以下のように改訂される必要があります。

・取得日数:2日(土日、両国の祝日は除く)
・申請時間:09:30-11:30(予約不要)
・支払い:申請時に券売機で購入し、申請書と一緒に提出
・受領:14:00-16:00

出向くのは、ビザの申請と受取の2回のみ、取得は申請の翌々日、です。

受領は、個人の場合、できるだけ14時ぐらいに行ったほうが良いようです。受領の際には、受付番号をとって待つ必要はなく、直接、受付窓口へ行くほうがよいようです。というか、受付職員自身が「窓口へ直接来てください」と言うのです。

個人の場合、できるだけ14時に来たほうがいいのは、後半になると、エージェントがやってきて、個人だと受け取れなくなるからだそうです。

ビザの申請でも受領でも、書類が全て整っていたためか、何もクレームも嫌がらせもなく、とてもスムーズに進みました。職員もとても感じのいい方で、冗談もいくつか出るぐらい、和やかな雰囲気で、よかったです。

代理でビザ取得に来ていたエージェントのおじさんたちも皆、職員とは顔なじみの様子で、実に和やかな雰囲気でした。

おそらく、個人でビザの申請・取得のためにインドネシア大使館領事部へ自ら足を運ぶ方はほとんどいないかもしれませんが、機会があれば、一度、覗きに来てもいいかもしれません。

昔は、なんとなくちょっと厳かで怖そうな雰囲気だったような記憶ですが、今は、事務は事務で迅速に行われ、雰囲気はとても和やかになってきたような気がします。

ところで、今回、一時滞在ビザを取ったのは、インドネシアでも正々堂々と仕事ができるようにするためです。報酬を受けられるようにするためです。

今後は、日本のクライアントだけでなく、インドネシアのクライアントとも仕事をしていきたいと思っています。

11月12〜30日、インドネシアへ行き、まずは、今回のビザ取得のためのスポンサーと今後の活動について話し合いをし、イミグレでKITAS取得の手続きを行う予定です。どんな展開になっていくか、自分でもまだよくわかりませんが、楽しみです。

2018年10月24日水曜日

福島市で初めてのインドネシア・フェスティバル

10月21日は、福島市で初めて開かれたインドネシア・フェスティバルを見に行きました。


福島には、在留インドネシア人のネットワークである「コミュニタス福島」という任意団体があり、福島市、伊達市、二本松市、本宮市、郡山市などに居住する留学生や技能実習生がつながっています。


同じように、東北レベルでは、東北6県に住む在留インドネシア人のネットワークとして「東北家族」、インドネシア語では「クルアルガ東北」という団体があり、彼らの間での様々な連絡調整を行っています。「コミュニタス福島」はこの「東北家族」の一躍を担っています。

今回の初めての福島インドネシア・フェスティバルですが、「東北家族」のメンバーが、宮城県や岩手県からも駆けつけて、大いに盛り上げてくれました。とりわけ、塩釜市在住の皆さんによる踊りの数々には圧倒されました。


だって、午前11時から午後2時までの間に、踊りの出し物が8つもあったのです!

インドネシア・フェスティバルでこれだけたくさんの数の踊りの出し物があるのは、珍しいのではないでしょうか。


開始早々、皆が踊りだす、というノリ。壇上で、女性陣が踊りだすと、それに合わせて手を振り、踊りまくる男性たち。これって、スラウェシの田舎でよく見た、結婚パーティーの後、ダンドゥッドで踊りまくるあのノリではないですか・・・。


食べ物コーナーも長い列です。食券制なのですが、筆者は、食券を買いそびれて、結局、何も食べられませんでした。残念。


参加者の多くはインドネシア人たちで、久々に色んな友人たちに会えて、楽しかったようです。でも、日本人のお客さんもけっこう来ていました。福島市内にも、「片方の親がインドネシア人」という方が、実は何人もいらっしゃるような印象を持てました。

友人の話ですが、フェスティバルの会場の脇を通った通行人の方が、「いやー、ここだけなんか空気が違うのよねー」とおっしゃっていたそうです。たしかに、この会場には、開放的であっけらかんとした、楽しい!という素直な雰囲気に満ち満ちていました。

インドネシア・フェスティバルで感じたこのパワー。これがこの福島をもっと面白くすることにつながっていきそうな、何の根拠もないですが、そんな気にさせる力を持っていたように思います。

来年もやるよー!、と皆が口々に叫んでいました。

はい、来年も、コミュニタス福島、東北家族の皆さんと一緒に、無心で楽しめる、インドネシア・フェスティバルを福島市でやりましょう、ね。

2018年10月20日土曜日

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と言われて・・・

ひとりごとの雑文です。もしかしたら、どうでもいいことなのかもしれません。

ちょっと前に、ある日本人の方から「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」と、突き放すように言われました。振り返ってみると、それ以前にも、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」などと言われたことがありました。

日本とインドネシア。そのどちらかに身を置いていないといけないかのような・・・。

もちろん、自分は日本人の両親から生まれた生粋の日本人であり、日本国籍を持っています。それは、自分の意志で選んだものではなく、たまたまそうなったのです。

これまでには、日本国の税金を使わせていただいて、国際協力の仕事も行ってきました。日本国の税金を使う以上、日本のためになる成果を上げる必要があることは十分に自覚しています。

自分としては、それは、相手(私の場合は主にインドネシア)が日本の味方になってくれること、日本を深く信頼してくれること、いざとなったら、日本を助けてくれるような関係をつくること、だと思ってきました。相手のためになる仕事をすることが、日本のためにもなる、と信じて、自分なりに仕事をしてきました。

だから、日本だけが利益を得ればよい、あるいは、相手だけが利益を得ればよい、というふうには考えられませんでした。

これは、商売やビジネスでも同じことだと思うのです。相手をだましたり、出し抜いたりしてでも、自分だけが利益を得ればよいという考えでは、商売やビジネスは成り立たない。双方に信頼関係ができて、はじめてうまく行くものではないかと思います。

そう考えてきたので、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか、「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」というふうになぜ言われなければならないのか、よくわからないのです。

そういう人からすると、私の行動は、相手の利益しか考えていないように見えるのでしょうか。敵・味方みたいな話になってしまうのでしょうか。

いつの頃からか、私自身、日本とかインドネシアとか、国単位で物事を考えることが減っていきました。より生活空間に近い地域やコミュニティ、あるいは実際に接している個人や団体を個々にみるように変わっていきました。

日本にも様々な人がいるし、インドネシアにも様々な人がいます。いい人も悪い人も。誠実な人も不誠実な人も。○○国人はどうだ、と簡単に言えなくなっていきました。

同じように、○○教徒はこういう人間だ、とか、○○種族はどうだ、とかも簡単に言えなくなってきました。

世の中には、国や宗教や種族に応じて、勝手にイメージを作り上げ、レッテルを貼る人々がまだまだたくさんいるのでしょう。もしかしたら、それが多数派なのかもしれません。たとえば、実際、インドネシアにおける外国人イメージにも、辟易することがよくあります。

なんだか、最近は、二つのうちから一つを選ぶ、踏み絵のような話ばかりが横行して、第三の道やそれらとは次元の違う考え方がもわもわっと現れてくる余地を狭めているような気がします。

信頼関係をつくるのに必要なのは、ディベートではなく、対話です。ディベートと違って、対話に勝ち負けはありません。敵・味方を区別して、勝ち負けを競うような言論空間がずいぶん広がってしまったような気がします。そして、勝ち続けなければならない、というような脅迫観念が蔓延しているかのようです。

果たして、「日本かインドネシアかどっちなのだ?」と私に問う人は、相手と対話を行うつもりがあるのでしょうか。対話をして相手の言うことを聞いてしまったら、それは負けなのですか。

対話に勝ち負けはありません。対話は相手を変えるためだけを目的に行うのではなく、対話のプロセスを通じて、互いに「何を話しても大丈夫!」という安心感・信頼感を醸成しながら、相手も自分もともに変わるものです。

きっと、自分が変わることを恐れる自分がいるのです。自分は変わらず、相手だけを変えることが勝ちだと意識しているのかもしれません。

日本とかインドネシアとか、そういった国を自分が意識しなくなってきたことで、国家を背負って仕事をされている方々は、そんな私に負のレッテルを貼っているかもしれません。

インドネシアのために何かをすることが日本のためになる。私が国際協力の仕事を始めた頃はそういう空気がまだあった気がします。でも、今や、そう考えてはいけないのでしょうか。

誰が何と言おうとも、私は相手と対話を続けていきます。相手に負のレッテルも貼りません。信頼関係の醸成なくして、相手とのよい関係を築くことは不可能です。

日本かインドネシアか、と聞かれたら、やっぱり、両方、と答えるしかないです。

「君はインドネシア寄りすぎるんだよ」とか、「あなたは日本の味方なのか、インドネシアの味方なのか」とか言われても、もう気にしないことにします。その結果として、そういう人たちと仕事ができなくなっても、それはしかたないことです。

自分に賛同してくれる仲間を、地道に増やしていくことにします。そういうスタンスで、対話の力を信じ、レッテルを貼らず、自分なりに、信頼できるつながりの輪を広げていきたいと思います。

2018年10月19日金曜日

毎月食べたくなる、椏久里のケーキ

10月も、いつもの間にか、もう終盤へ入ってきました。スラウェシ中部地震関連の情報収集を続けているうちに、悶々とした気分の日々になり、正直言って、ちょっと気持ちが鬱屈してしまいました。

そんななか、無性に、あのケーキが食べたくてしょうがなくて・・・。

福島で時間があれば、必ず食べに行く、それが椏久里のコーヒーとケーキです。毎月、ラインナップが変わるケーキは、食べに行かないと本当に損した気分になってしまうほどです。今回は、10月11日に行きました。

 椏久里のホームページ

10月のケーキは4種類ありましたが、11月になったら食べられないかもしれない2種類を味わってきました。


これは、モーゼルヴァイン・クレームトルテ。ドイツ・モーゼル産のシャープでフルーティーな白ワインのクリームと、みずみずしい福島産シャインマスカットを使用したドイツ菓子、というのが、椏久里のホームページでの説明です。

ドイツ菓子、というのは、そこの部分が硬くて薄い焼き菓子になっていて、サクッとしているのが特徴です。それがなんとも言えず、好きです。


続いては、秋のおなじみ、モンブラン。キャラメル化させたメレンゲに生クリームと和栗特有のやわらかい香りと甘さを引き出した自家製和栗甘煮をのせ、ラム酒のきいたマロンクリームで仕上げた、ということです。

口のなかでふわっととろけるメレンゲと生クリームの組み合わせが、なんとも言えず良いです。カウンター越しに、「和栗を剥くのは大変なのよー」「栗はね、こうやって剥くのよー」といった、ミユキさんとの掛け合いが、またいつものごとくとても楽しいひとときです。

今回のコーヒーは、マラウィ・ミスク。満ち足りたひとときを過ごすことができました。

閉店間近となり、お客さんも少なくなって、いつも今月のケーキ情報を送ってくださるSKさんと一緒に、マスターとその奥様のミユキさんと話が弾むうちに、スラウェシ中部地震の話になりました。

突然、マスターが走り出して、どこかへ行ってしまったかと思ったら、封筒を片手に戻ってきました。「ウチからも少しだけどよろしく」と。

今回の募金の呼びかけでは、全く見ず知らずの方々も含めて、たくさんの方にご信用いただけて、本当にありがたいものだと思っています。

募金とともに、皆さんのスラウェシを思う気持ちが、私の信頼できるマカッサルの友人たちと被災地の方々に届くようにと、願っています。

さて、11月も、また椏久里のケーキも食べに行けるといいのですけれど・・・。

本当に、オススメのケーキですよ。皆さんもぜひぜひ。