新しい年、2018年が始まりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の自分のキャッチフレーズは、「祈りだけでなく行動へ」としました。毎年、家族の健康や世界の平和を祈ってきましたが、それだけでは不十分、自らそのための行動を起こしていかなければならない、と今年は特に強く感じました。
それでも今日は、東京の自宅近くの神社へ初詣し、しっかり祈ってきました。
23年間勤めた研究所を辞め、一人で動き始めて、今年で10年になります。これまでも、そして今も、試行錯誤の毎日ですが、一人で動けるということの意味をもう一度考えています。
日本のローカルとインドネシアのローカルをつなげて新しいモノやコトを創る、という活動を、さらに進めていきます。そして、日本のローカルどうし、インドネシア以外のローカルへの展開を試みていきます。
ここでのローカルには、地域社会・コミュニティ、地方自治体、地方企業、農民グループ、社会組織、そして地域に生きる個々の人々、を含みます。
ローカルとローカルをグローバルにもつなげていった先に、私なりの未来の姿があります。
それは、国や種族や宗教による勝手な先入観を抑え、同じ人間としての他者への想像力を深め、広げた世界であり、それを足元の日々の暮らしから発想し、意識する、ということです。
そのためには、暮らしから遠いところにある国家ではなく、暮らしに直結したローカルから発想する必要があると考えます。平和というものは、人々が自分の暮らしを第一に意識するところから始まるはずです。
ローカルは他のローカルの支配者になる必要はありません。国家という枠がはめられている以上、一つのローカルが世界中のローカルを支配することはできません。ローカルとローカルとの間に上下関係はありません。対等の関係でつながり、互いの違いを認め合うだけです。学びあいの関係をつくるのに適した関係と言えます。
そんなローカルが他のローカルを認め合いながらつながっていく世界は、国家が覇を唱え合うだけの世界よりも、あるいは覇を唱える国家の横暴を抑制させる、より安定した世界になるのではないか。
それは夢想かもしれません。お花畑かもしれません。でも、つながらずに、知らない相手を一方的に妄想し、相手を誹謗・中傷し罵声を浴びせるようなことは、個人のストレス発散の方法だとしても、決して許されるものではありません。だって、自分がそれをされたなら、決して嬉しく感じるはずがないからです。
国を知ることも大事ですが、同時に、そこで人々が暮らすローカルをもっと知り、その人々や彼らの暮らしへの想像力を高めることが必要です。
ローカルから始める意味はそこにあります。ローカルは暮らしと直結するからです。
そのような意味を込めて、これから仲間を増やす長い旅に出たいと思います。皆さんがそうした仲間に加わっていただけることを願いつつ・・・。
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