まず、道の駅川俣に着いて、2階にある蕎麦屋で鶏南蛮そばをいただきました。そばは手打ち、おつゆの中に小切りの川俣シャモが数切れ入っていました。
川俣の名物といえば、川俣シャモ、シルク、コスキン・エン・ハポネス。
最後のコスキン・エン・ハポネスは、日本国内最大のフォルクローレ・フェスティバルで、毎年10月に開催されています。
というわけで、道の駅でそばを食べ、桑粉入りのソフトクリームを堪能した後、お隣のおりもの展示館を見学。
世界一薄い絹織物「フェアリー・フェザー」は、本当になめらかで薄くて軽いシルクでした。マレーシアのジミー・チュウが、震災後、川俣シルクを素材に作った靴ももちろん展示してありました。
でも、この日の展示のメインは、おひなさまでした。
道の駅では、川俣町の公民館の主事をしているインドネシア人のイェティさんとお友達のエカさんと初めてお会いし、生活のことや技能実習生のことなど、色々なお話を聞きました。イェティさんとは、フェイスブックで友達になっていたのですが、実際に会うのは初めてでした。ただ、なぜかそんな気がしない出会いでした。
イェティさんの案内で、川俣から飯野へ移動。川俣は町として存続しましたが、飯野は合併を選び、福島市に吸収されました。
飯野では、ちょうど、名物の吊るしびな祭りが行われていました。飯野のメインストリートの焦点が、思い思いに、小さな雛人形や色々な飾りを上から吊るし、それをお客さんが見て回る、というお祭りです。
ポイントは、店に入らないとじっくり見られないこと。そして、朝10時から夕方4時までしかやっていないこと。我々が着いたのは午後3時半で、結局、30分しか見て回ることができませんでした。
しかも、途中で入った洋品店で、お店のおばさんと話し込んでしまいました。
飯野も前日の晩は雪がたくさん降ったこと、それを商工会の役員の方々が朝懸命に雪かきをしてくれたこと、でも寒いからか訪問客がほとんどいないこと。
日曜だけどお祭りだから夕方まで開けてくれと言われて店を開けていること、飯野はどう頑張ったって皆んなよそへ出て行って寂しくなっていくこと。
おばさんの話は止まず、でも、飯野の今の状況を察することができるような話で、こうした話の延長線上で、お祭りをやっても意味があるのだろうか、というおばさんの気持ちが溢れているのでした。きっと、あと1時間2時間、お話を聞いているのがよかったかもしれません。
少しでも、飯野によその人が関心を持ってくれたら、という気持ちで、吊るしびな祭りが行われているのでしょう。でも、きっと、このお祭りはもっと面白くなるような気がしました。きっと面白く楽しくなります。
リリさんやイェティさんに置いていかれそうになったので、おばさんとの話は終わらせ、時計を見ると、午後4時まであと5分。
筆者が幼い頃、国鉄・東北線の松川駅から川俣線という国鉄ローカル線が出ていました。松川、岩代飯野、岩代川俣のわずか3駅で、全国有数の赤字路線となり、1972年に廃止されました。
福島市に住んでいたとはいえ、飯野に行ったのは今回が初めてでした。この吊るしびな祭りは3月4日まで、飯野の30以上の店で行われています。行って実際に見ると、なかなか圧巻です。
飯野は、UFOでの町おこしも試みており、UFOの里という施設もあります。また、近いうちに飯野へ行き、おばさんの話の続きを聞きたい、面白いことやものを探したいと思います。
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