大学を卒業して就職したのは、政府系の研究機関でした。この職場で、筆者はインドネシア地域研究のいろはのいから手ほどきを受け、20年以上奉職しました。
この職場は、とても素晴らしい職場でした。何より、新人だった筆者を、20年選手、30年選手が「さん」づけで呼んでくださるのです。そして、新人の筆者にも、研究者として実績を積んだ著名な大ベテラン研究者を「さん」づけで呼ぶように促されたのでした。
また、そこでは、誰がどの大学の出身かは問われることはなく、学閥のようなものは見えませんでした。
さらに、男性でも女性でも、職場での役割の違いはほとんど見当たりませんでした。お茶くみなんて言うものは当然ないし、「男だから」「女だから」といったことを耳にすることはありませんでした。筆者自身も、仕事上の男女の違いを感じることはありませんでした。できる人はできる、という当たり前の感覚しかなかったのです。
年齢や性別の違いや出身大学などを意識することなく、誰もが「さん」づけで呼び合う職場でした。
「さん」づけで呼び合うということは、年齢や性別の違いを意識せず、互いを一人の人間として尊重し合うことの現れだと思います。若造だけど存在が認められている、という安心感がそこにはありました。
本当に、それだけで、素晴らしい職場だと思いました。
そして、2000年代に入って、職場の何かが大きく変わり始めました。
それは、人事評価・業績評価が導入されてからでした。上司と部下、という明示的な関係が職場に持ち込まれたのです。上司と部下なくして、人事評価・業績評価は成立しないのです。
人事評価・業績評価が導入されてから、誰もが「さん」づけで呼び合う、ということはなくなっていきました。「部長」「課長」「グループリーダー」といった役職名で呼ぶようになりました。皆が上と下を意識するようになりました。
筆者は、決して人事評価・業績評価を否定するわけではありません。何のために人事評価・業績評価を行うのかさえ忘れなければ、です。
筆者を「さん」づけで呼んでくださった数々の先輩方のことを一人一人思い出します。今でもお会いすると、同じように「さん」づけで呼んでくださいます。そのことを、とてもありがたいことだとつくづく思うのです。
今も、そしてこれからも、あの「さん」づけで呼び合ったかつての職場のことを懐かしみつつ、大切な人生の美しい思い出として大切にしていきます。
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