インドネシア人の友人A氏がカナダの大学で博士号を取得しました。彼はとても嬉しくて、これまでお世話になった友人・知人・恩人にお礼のメッセージを送っていました。
彼とは2001年に初めて会いました。マカッサルで同世代の若者たちと一緒に、小さな図書館を作るなどの社会活動を行っていました。私ともかかわりの深い、後のマカッサルのイニンナワ・コミュニティにつながる、ささやかな活動をしていました。
そんな彼と彼の仲間たちと一緒に行動するきっかけは、2002~2003年に彼らと一緒に、南スラウェシ州の村で、日本の学生とインドネシアの学生とがともにフィールドワークを行うプログラムを実施したことでした。
このプログラムは、日イの学生が1週間程度村に入って、村の方々のお宅にホームステイしながら、村の方々と対話するなかでそこでの生活から様々なことを学びます。
当初、学生は「村の問題をどう解決するか」「村をどう発展させるか」を考えようとするのですが、現場での学びのなかから、村の方々が気づかないような村の生活の価値や良さを見い出します。そして、村での生活の最後に、彼らが学んだ事を村の方々に分かるような方法(寸劇など)で発表し、村での活動への協力に感謝を表します。
このプログラムを通じて、フィールドでの行動を共にした学生たちは真の友人となり、各方面で活躍する現在も、強いネットワークで結ばれています。
このプログラムの日本側オフィサーだったのがSさんで、今回、A氏は彼女にもお礼をしたくて、コンタクトをしようとしてきました。
ところが、連絡しても一向に反応がないというのです。Sさんのフェイスブックページは、昨年4月以降、更新されていないということでした。
A氏に頼まれ、関係者に訊ねていたところ、今朝になって、Sさんが昨年4月に、アフリカで亡くなられていたという情報を、プログラム参加者の一人だった友人から知らされました。その友人は、Sさんが亡くなる前日、夕食を共にしていたということでした。
Sさんは、上記のフィールドワーク・プログラムの仕事の後、長い闘病生活に入りました。同プログラムに関わった友人・知人たちは、Sさんに生きてほしい、生き延びてほしい、とずっと願い続けました。そして、幸運にも、Sさんは病に打ち勝ち、仕事に復帰しました。
復帰後は、英国の大学院で学んだ後、アフリカにわたり、国際協力活動により一層取り組んでいる様子でした。
1年近くもSさんが亡くなったことを知らずにいた自分を恥じました。
フィールドワーク・プログラムを一緒に手掛けた15年ほど前、インドネシアの村の現場で、これからの学生たち・若者たちが造っていく未来を共に語り合ったのを思い出します。そして、Sさんの存在がマカッサルの若者たちの活動を後押しし、イニンナワ・コミュニティに結実していくさまを、私はずっと見てきたのでした。
明日は何が起こるか分からない。だから今を懸命に生きるしかない。
Sさんと語り合った、目指すべき未来を、プログラムに関わった友人・知人とともに造り続けていくことを、改めて心に誓いました。
Sさん、もうずいぶんと時間が経ってしまいましたが、どうぞ安らかにお休みください。そして、ずっと見守っていてください。
福寿草がたくさん咲く季節になりました。
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