2019年6月1日土曜日

平凡さの偉大さ ― まさかあの人がそれを語るとは

久々の投稿です。

あたりまえの日常や普通であることのすごさ。これは、私自身がこれまでの人生のなかで、痛感してきたことです。

暮らしの中で、毎日あたりまえに行なっている炊事、洗濯、作業・・・。それらが毎日毎日積み重なり、その人の人生を、その人のいる地域の日常を作っていきます。

自分も含めて、あたりまえで普通の人々は、何かあった場合を除けば、氏名のような固有名詞で歴史に残ることはまずありません。名もなき人々、ときには庶民という言葉でくくられ、歴史のなかに埋没していくものです。

歴史に残る人物は、国を治めたり、世界的な偉業を成し遂げたり、世界記録や日本記録を残したりするような、えらい人、すごい人であり、そうしたえらい人やすごい人が歴史を作ってきたと思いがちなものです。

子どもの頃、偉人伝を読んで、こんな立派な人になりたい、と思った経験が多くの人にあることでしょう。でも、大半の人は、そんなえらい人間にはなれなかった、と思っているはずです。

たしかに、日本の学校で学ぶ歴史には、そうした普通の人々の歴史がほとんど出てきません。それは、為政者や偉人などのように、普通の人々に関する記録があまり残っていないためなのかもしれません。また、歴史を書き残してきたのは常に勝者であり、敗者の歴史が語られてくることはなかったとも言えます。

もっとも、歴史学の世界では、網野善彦氏をはじめとして、数少ない資料から、当時の庶民の生活史を掘り起こす作業が進められ、徐々に注目を集めるようになってきました。

私の敬愛する民俗学者の宮本常一氏の代表的な著作に「忘れられた日本人」という本があります。

宮本氏は、高度経済成長へ向かう戦後の日本の各地を歩き、前へ前へと向かう高揚する世界とは無縁の、あるいはそうしたものから取り残された、名もなき人々のや彼らの生きる地域を思い、何とかしてその人々が尊厳をもって生きる手立てはないものかと、その場その場で人々と一緒に悩み、考え、いくつもの提案を残していきました。

私たちのあたりまえの普通の日々の生活や日常の積み重ねが歴史を作っていく。そんな真っ当すぎることを、日々感じることはほとんどないのかもしれません。そして、私たちを治める為政者がそうしたことに言及などするはずがないのです。

歴史は常に、為政者にとって都合の良い歴史でなければならないからです。都合が悪ければ、為政者は歴史さえも自分に都合の良いように変えてしまうのです。もちろん、「事実とは何か」という問題はさておき、為政者に都合の良い歴史を「事実」として国民に強制すればよいのです。

選ばれし者のみが歴史を占有し、権力を行使して、残りの者をその歴史に従わせることが、国を治めることであり、選ばれし者の地位や名誉を守ることになるのでしょうから。

そんなことを思う毎日が続いていたのですが、次の記事が目に留まり、ハッとしました。


私が以前から感じ、自分の行動の指針としている言葉でした。そして、それを語っていたのは、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領だったことに驚いてしまいました。

全文を読んでいただきたいのですが、そのなかの最後の部分を以下に掲示します。
 平凡な人々が自分の人生を開いていけること、日常の中で希望を持ち続けられること、ここに新たな世界秩序があります。歴史書に全く出てこない人々、名前ではなく労働者、木こり、商人、学生といった一般名詞で登場する人々、こうした平凡な人々が一人一人、自分の名前で呼ばれなければなりません。世界も、国家も、「私」という1人で始まります。働いて夢を見る、日常を維持していく平凡さが世界を構成しているということを、私たちは認識する必要があります。
 そのためには、1人の人生が尊重されねばなりません。1人の人生の価値がどれだけ重要なのか自分でも理解する必要がありますが、歴史的に、文化的に再評価されるべきだと思います。自身の行動が周囲に影響を与えられるということ、またどんな行動が周囲に広がり、最終的にどんな結果をもたらし得るのかについて語り、記録に残さねばなりません。
 平凡さが偉大であるためには、自由と平等に劣らず正義と公正が保証されるべきです。人類の全ての話は「善事を勧め、悪事を懲らしめる」という平凡な真理を反すうします。東洋では「勧善懲悪」という四字熟語で表現します。この簡明な真実が正義と公正の始まりです。無限競争の時代が続いていますが、正義と公正がより普遍化した秩序となるべきです。
 正義と公正の中でのみ、平凡な人々が世界市民に成長できます。今はまだ何もかもが進んでいる最中のようですが、人類が歩んできた道に新たな世界秩序に対する解決策があります。東洋には「人は倉に穀物がいっぱい詰まっていれば礼節を知り、衣服や食物が満ち足りてこそ栄誉と恥辱を知る(倉廩実而知礼節、衣食足而知栄辱)」という古言があります。正義と公正によって世界は成長の果実を等しく分かち合えるようになり、これを通じて皆に権限が与えられ、義務が芽生え、責任が生じるでしょう。
 今、世界が危機だと捉えていることは平凡な人々が解決していくべきことです。これは一国では解決できない問題であり、1人の偉大な政治家の慧眼では成し遂げられないことです。苦しんでいる隣人を助け、ごみを減らし、自然を大切にする行動が積み重なっていくべきです。こうした行動を取る人が1人しかいなければ「何を変えられるだろう?」と懐疑的になるかもしれませんが、この小さな行動が積み重なれば流れが大きく変わります。
為政者で権力者である、一国の大統領の言葉です。

人気取りを意識した偽善だ、きれいごとだ、そんなことを本心から思っているはずがない、と批判することは容易いでしょう。韓国の大統領がそんなことを言うはずがない、と頭から信じない人もいるかもしれません。

文大統領は、自身にも大きな影響を与えた光州事件が韓国社会や民主化にもたらした意義をとても重視していて、それをもとに、普通の人々の力が積み重なって世界を変えていくことができる、と訴えています。

そこにはよりよい未来へ向けての希望や、人々に対する信頼が見えます。隣国の大統領が発したこうした言葉を、私たちはどう受け止めるのでしょうか。

実は、私たちに対しても向けられた言葉なのかもしれない、私はそう受け止めたのです。

為政者によって事実が嘘とされ、嘘を事実とさせられる事態が何度も繰り返され、それをあたりまえのことと感じたり、しかたがないとあきらめてはいないか。飼いならされているのではないか。自分が声を上げても誰も賛同してくれないと思っているのではないか。

平凡さの偉大さは、日本でも同じはずだと思うからです。

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