1カ月近くブログを書かないでいたが、これからまた、少しずつでも日記として書いてみたい。途中でしばし途切れるかもしれないが、ご容赦のほどを。
12月12日(土)、今年はこれまで、なかなか紅葉を見に行けなかったので、妻と一緒に、小石川植物園へ出かけた。入場料は500円に値上がっていたが、来場者もさほど多くなく、ゆっくりと紅葉狩りを楽しむことができた。
午後4時半の閉園ギリギリまで楽しんで、小石川植物園を出て、白山を上って降りて、都営地下鉄三田線の白山駅まで歩く。ここで、帰宅する妻と別れて、私は神保町へ。
半年に一度、如水会館で開かれる、一橋大学竹内記念フォーラムに出席。このフォーラムは、かつて日本地理学会会長やイタリア日本文化会館館長を務めた、故・竹内啓一教授の教えを受けた一橋大学ゼミ(社会地理学研究室)卒業生が自主的に集まって行う一種の勉強会である。
新型コロナ感染防止対策ということで、マスク着用のまま如水会館に入館して手指消毒、体温測定後、会場に入室。毎回、ビール付きで夕食のお弁当が出るのだが、今回は、マスクを外してお弁当を食べる間は無言で、という約束。ビールはなし。美味しいお弁当を味わう暇もなく、無言で黙々と食べて、食べ終わったら再開、という形だった。
今回は、帝京大学経済学部の山本健兒教授がミュンヘンの事例を取り上げ、「ドイツの大都市における『問題街区』のリノベーションはジェントリフィケーションか」という題で発表された。山本氏のミュンヘンでの滞在経験を踏まえて、「問題街区」の住宅修繕は、住民の階層が全面的に入れ替わらなかったという意味において、ジェントリフィケーションとは言えない、というお話だった。
昨今、このジェントリフィケーションという言葉が、階層間の入れ替えがない場合でも使われる場合があり、定義を厳密にして議論する必要がある、と力説しておられた。
山本氏の話を拝聴しながら、ジャカルタとスラバヤの都市開発の違いを思い起こしていた。ジャカルタでは、旧住民を立ち退かせて再開発し、高所得者向けのアパート群やショッピングセンターが次々と建設され、街区の様相が一変した場所が多数存在する。一方、スラバヤでは、1970年代頃からカンプン改善プロジェクトの名の下に、都市中心部のコミュニティを残したままま、そのコミュニティの住環境を改善していく手法を採ってきた。
ジャカルタでは、旧住民の居住空間が周縁に追いやられたものの、面としての開発が可能になったため、近代都市としての機能がより発揮できるようになった。
一方、スラバヤでは、都市中心部の再開発が難しいまま都市化が進むと同時に、都市中心部のコミュニティの所得が向上してくると、次世代を中心にスラバヤ郊外へ移る傾向が強まり、彼らが移った後の旧コニュニティにはよそ者が入り込み、空間価値が高まらないままになる、という、ある意味でカンプン改善プロジェクトの弊害ともいえる現象が起こっている。
入れ替わった階層による居住者階層の高度化を伴うジェントリフィケーションは、都市計画者から見れば、都市としての機能や空間価値・不動産価値を高めるという意味でプラスの評価になるのだろう。他方、旧居住者の立場からすれば、不当に居住空間を奪われてしまうのであれば、人権上の観点から、ジェントリフィケーションは避けるべきものと考えられるだろう。
ジェントリフィケーションをどのようなタイムスパンで見るかも重要になってくるだろう。インドネシアを含む、新興国と言われる国々の都市問題を考えていくうえで、現在進行中ともいえるジェントリフィケーションは、旧市街リノベーションなどとともに、注意深く見ていく必要のある現象だと思った。
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