2021年1月12日火曜日

搾取からの脱出、またグローカルな妄想

宮本常一『調査されるという迷惑』という本をご存じだろうか。私がこの本の存在を知ったのは、インドネシア地域研究を仕事とするようになってしばらくしてからだったが、この本と出会う前から、この本で宮本常一が書いているのと同じようなことをずっと思っていた。

インドネシア地域研究者としての自分は、もちろん、インドネシアについて調査研究をする。インドネシアで様々な人々に会い、地域を訪れ、そこで得た情報をもとに分析し、調査研究報告書をまとめ、論文として発表する。

論文をどこに発表するのか。多くの場合は、日本語の出版物を通じた日本の方々に対してであり、あるいは学会やセミナーなどでの発表や講演という形になる。日本の機関に所属し、日本側に調査研究の費用を賄ってもらうのだから、日本のための調査研究であることは当然である。日本のために、インドネシアを調査研究し、日本社会へ還元するのは、言うまでもないことである。

かつて、地域研究は、相手側の地域において、自国の利害や利益を獲得するために、あるいは場合によっては相手側を屈服させて支配するための基礎情報として、相手側の地域を徹底的に調べるということが行われた。その意味で、地域研究は極めて戦略的かつ意図的に行われた。地域研究者の仕事は、そこではスパイと見なされてもあながち間違いではなかったかもしれない。

自国のための地域情報を収集・分析することを求められた、かつての地域研究。今はそうではないと思いたいが、本当にそうだろうか。

そこで、搾取、という言葉が思い浮かんでくる。研究者が自国の学会やセミナーで発表し、業績を積んでいくために、フィールドでデータや情報を収集する。フィールドで情報収集される側、調査される側は、それが彼らにとって何を意味するかを理解しないまま、おそらく、客人である研究者に対するもてなしの一環として、情報収集やインタビューに対応してくださる。もしかすると、本当は田んぼで除草作業をするはずだったのに、それを中止して応じてくれているかもしれない。あるいは、子どもが熱を出したので町の病院へ連れていかなければならないのを、何とか親戚に頼んで、インタビューに応じてくださっているかもしれない。

データや情報を一刻も早く収集したい立場の者には、そのようなフィールドの個々の人々の事情などは想像できないだろうし、想像する必要もないと考えるかもしれない。往々にして忘れがちなのは、フィールドの個々の人々にも生活があり、人生があり、そのほんのわずかの瞬間によそ者である研究者がおじゃまさせてもらっているという意識である。

私自身の話でいうと、研究者として仕事を始めてしばらくの間は、フィールドで会う人々との出会いは一期一会に過ぎない、と思っていた。自分のベースは日本であり、調査研究成果を出すためにインドネシアへ出張してきたのであって、今回お会いした方々とは、きっともうお会いすることはないだろう、と思っていた。実際、当時は面白がって自慢気味に話していたことでも、今にして思うと、ずいぶん失礼なことを言ったり、したりしていた、と恥ずかしくなることが多々ある。でも、自分から他人に言わなければ、それらの(恥ずかしい)出来事は自分しか知らない。このころはまだ、旅の恥は掻き捨て、という状態だったと思う。

それが変化したのは、調査研究の仕事をいったん休み、JICA専門家として実務的な仕事でつごう5年間、マカッサルに滞在してからである。いわゆる国際協力の仕事ということで、インドネシア側にとって有益となりそうなアドバイスをし、インドネシア側のよりよい政策の実現のために、インドネシア側の人々と一緒になって考え、議論し、行動する日々を経験したのである。

自分も含めて、日本のインドネシア地域研究者の成果の多くは、インドネシア側には全く知られないまま歴史の中にうずもれていく。すべてのインドネシア地域研究者が、インドネシアで自分の研究やその成果について発表しているわけではない。日本ではインドネシアに関する専門家でも、肝心のインドネシアでは誰にも知られていない、ということはある。

研究搾取、ということを深く思った。

自分もまだまだだ。お世話になった方々へちゃんと返せていない。自分はまだまだ地方語では残念ながら無理だが、拙いながらも、インドネシア語でならインドネシアへ発信することができる。英語で全世界へ伝えることも大事だが、少なくとも、自分としては、インドネシア語で発信することをもっと試みてみようと思う。それが前回のブログで宣言したことの一つである。

研究者に限る必要はないが、日本人がインドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信する「場」をつくりたい。いや、日本人に限る必要はない。インドネシア語を母語としない、世界中のどの人々でも、インドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信する「場」にすればよいのだ。そこでの共通言語はインドネシア語。発信者はインドネシア語を母語としないインドネシア人以外の人々。地域研究者や院生などによる研究成果の中間発表でもいいし、インドネシア文化や社会について思うことを発表してもよいし・・・。

堅苦しい「場」ではなく、インドネシア語を共通言語として様々な人々が行き交う交差点のような「場」。そこで出会った人々が、インドネシアを共通項として想像もしなかったような新しいつながりをつくっていくかもしれない。

これと同じような「場」が、ベトナム語やスワヒリ語やタミール語などででき上がっていく・・・。それらは、排除するための場ではなく、その様々な外国語を通して、世界中の人々がつながっていく場になりはしないだろうか。

またしても、グローカルな妄想になってしまった。

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