2018年3月15日木曜日

福島~浜通り~宮城県南部をまわる(1)

先週、3月7~9日は、友人である神戸・まちコミュニケーション専務理事の宮定章さんとその仲間たちと一緒に、福島市、飯舘村、浪江町、南相馬市小高区、相馬市、山元町、名取市閖上、仙台市荒浜と、駆け足でまわりました。

福島県福島市出身で1年前にあえて福島市に一人会社を登記し、自分では、遅ればせながらの出戻りと思っていますが、福島市のある中通りの人間にとっては、同じ福島県でありながら、浜通りや会津は違う世界、という感覚があります。

福島県は、山々に隔てられる形で、会津地方、中通り、浜通りの大きく3地方に分かれていますが、それもあってか、福島県として一体感を感じることは、正直、あまりなかったように思います。

7年前の震災・原発事故と、それに伴う大規模な強制・自主避難のなかで、浜通りの方々を中通りや会津地方の方々が受け入れる、という事態が起こりました。もちろん、全国すべての都道府県が避難された方々を受け入れてくださっているのですが、福島県内でそのような事態が起こったのはもちろん初めてでした。

それに加えて、福島という言葉にまつわる様々な誹謗中傷、偏見や差別が起こるなかで、福島という同じ名前を背負った会津地方、中通り、浜通りは、「自分は違う」として他の二つの地方を見捨てるようなことはできなくなりました。そうした境遇が、おそらく初めて、三地方が福島県としてまとまりを意識する契機を作り出したのではないか、という気がします。

そんなことを思いながら、宮定さんの「ツアー」に同行しました。

3月7日は、まず、三春町にある福島県環境創造センター交流棟(コミュタン福島)を見学しました。



この施設では、震災後に起きた原発事故と現在に至るまでの取り組みを開設するほか、放射線・放射能・放射性物質に関する正しい科学的な知識を説明するコーナーがあり、東京の国立科学博物館以外ではここにしかない360度シアターでの迫力ある映像番組を観ることができました。

次に、郡山市のNPO法人原発事故災害者復興タウン鬼生田開発プロジェクトを訪ねました。ここでは、地権者と話をつけ、原発事故で避難を余儀なくされている方々で農業で生計を立てたい方々に農地と宅地を提供し、そうした方々をコミュニティの新たな一員として受け入れる準備を進める活動をしています。


この鬼生田地区は、遠く安達太良連峰を望む風光明媚な場所で、できる限り有機農業で米や野菜を作っているところです。おそらく、他の地域と同じように、人口流出や高齢化が課題となっているようで、原発事故で避難された方々がここで安心して暮らすことが鬼生田地区にとっても大きなメリットになる、という意味があるようでした。


鬼生田地区の後は、福島市へ戻り、飯舘村から移った、私の行きつけの珈琲店・椏久里で、浪江町津島地区から福島市へ避難したご夫妻からお話をうかがいました。お二人は、私の友人のご両親です。店内が混んでいたので、席が離れざるを得ず、私以外の参加者を優先して話を聞いてもらいました。

津島地区は浪江町の内陸部にあり、原発事故当初、浪江町の海岸部の町民たちの避難先となっていました。ところが、海岸部から津島地区への谷道は風の通り道であり、かつ、南東の風が吹き込んだため、津島地区は放射能汚染で高い放射線量を記録する場所となり、さらに中通り方面へ避難することになりました。

その避難の際の混乱とどのように動いて最終的に福島市へ落ち着いたのか、友人曰く話下手のご夫妻が、ポツリポツリとではありましたが、事細かく話してくださいました。息子である友人自身も初めて聞く話だった、と言います。

夜は、市内で、福島大学名誉教授の鈴木浩氏と福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任教授の真野博氏のお話を聞く、宮定さん主宰の勉強会に出席しました。真野氏からは、2017年6月30日に出された福島復興再生基本方針に、国の決意表明のような、以下のような記載があることが紹介されました。

「福島の復興及び再生を国政の最重要課題と受け止め、原子力災害によって福島にもたらされた深刻な事態の記憶と教訓を決して風化させることなく、これからも、原子力災害に対する福島の住民の怒りや悲しみに共感し、福島の住民に寄り添いながら、誇りと自信を持てるふるさとを取り戻すことができるまで、その責務を真摯に、かつ、国の威信をかけてあらゆる知恵と力を結集し、総力で実行していくものである」

この言葉通りの実行がなされることが求められるのですが、現実の動きを見ると、果たして国は本気で共感し、寄り添う意思があるのか、疑問を持たざるを得ない面もあります。

また、住民の生活再建と行政の政策の位相にずれがあり、行政が何をしたらいいのか把握しきれていない様子もあります。国から下りてくる事業で精いっぱいで、住民参加をむしろ避ける傾向すら見られるといいます。行政と住民とをどのようにつなぐのか、住民参加を政策へ反映させるための方策は何か、それらを支えるサポート人材を大学などが育ててはいるのですが、需要があまりにも多く、まだまだ人材が不足しているということです。

自分が福島でこれから取り組みたいことの一つが、こうした「つなげる」人材を育てていくこと。単につなげるだけでなく、つなげ方やつなげる目的を理解し、どのような未来を作っていくのかを意識できる「つなぎ屋」を育ててみたい、と思っています。

(つづく)

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