2020年9月1日火曜日

8月の月例オフ会、テーマは若者とコレクティブ

いくつかのウェビナーに参加してみての感想

インドネシアの若者とナショナリズム


いくつものインドネシアを伝え、学び、楽しむことを目的とした月2回発行の「よりどりインドネシア」では、購読登録者が参加できるオフ会をオンラインで毎月開催しています。

今回は2020年8月29日(土)、12名が参加して行われました。今回のトピックは、「音楽やアートを通じて社会変革を目指す若者たち」というもので、話題提供者は伏木香織さんでした。

伏木さんはバリの事例を中心に、若者たちが担うコミュニティ・アートのこれまでの変遷と具体的な活動スタイル、地域的な問題への取り組みなどについて、1時間半にわたって詳しく紹介してくださいました。

彼らの活動を特徴づけるキーワードとして挙げられたのは、インディーズ(パンク、ロック、グランジなど)、コレクティブ、DIY、協働、草の根ネットワークといった言葉でした。

なかでも、アート・コレクティブあるいはコレクティブ(その前はコムニタスなど)という、制作や生活を共有する集団の活動が、バリだけでなくバンドゥンやジョグジャなどインドネシアの地方都市でのコレクティブとつながり、それが日本を含む海外のコレクティブともつながっている側面のあることが明らかにされました。

彼らの活動は地域密着型で、地元との関係を捨ててジャカルタへ行ってしまう、というようなことがないのも特徴です。興行や収益を目的ともしておらず、ドキュメンタリーフィルムを作ったり、手作り感満載の自費出版の雑誌を配ったりして、社会を変えようと動いている自分たちの活動を世の中へ知らしめることを目的に動いています。

たとえば、バリでは、アートや音楽を通じて、埋め立てへの反対・抗議活動を盛んに行うなど、社会運動を中心と位置づけています。そのため、彼らを政治家が利用するような傾向もありとくに闘争民主党が圧倒的に強いバリでは、政治的な影響から逃れることはなかなか難しい面があるようでした。

とにかく、様々な具体例が示され、情報もきわめて豊富で、あっという間に1時間半が過ぎてしまったというのが実感でした。

伏木さんの発表に触発されて、アート・コレクティブについて少し自分なりに調べてみたいと思いました。

伏木さんの発表を聴きながら、私が2006~2010年にマカッサルで自宅を地元の若者たちに開放していたときのことを思い出していました。彼らは「コムニタス・イニンナワ」と名乗る、いくつものグループの緩やかな連合体でした。同一人物がそのなかのいくつかのグループに属している、という感じでした。

彼らの多くは、コネやカネがなくて就職できなかった者や、正義感ばかりが強くてうまく世の中の風潮に自分を合わせられなかった者や、かつて一族が1950年代の反政府勢力に関わっていたためにその後厳しい生活を強いられたものなどでした。だからこそ、社会の不条理や体制の欺瞞に対する不満が強く、よりよい公正な社会を作りたいという気持ちがこもっていました。でもその一方で、具体的にどのような公正な社会を作りたいのか、オルターナティブな未来を描けず、批判や不満にとどまって、メジャーを目指せない面もありました。

マカッサルの彼らは、伏木さんの挙げたバリのコレクティブに関わる若者とは違って、注意深く政治家らの影響力を避けていました。どのような政治勢力からも独立でいようと努めていました。その反面、マカッサルでは、コムニタス・イニンナワは変な人間が集まっている排他的な存在と見なされる傾向があり、共感や支援を広げるという面が乏しかった印象があります。それでも、ジョグジャやバンドゥンの若者集団とはつながりを持っていたのでした。

ともかく、あの2000年代の後半、コムニタス・イニンナワもどこかを経由して間接的にでもこうしたコレクティブとつながっていたのだ、という実感を感じたのでした。

こうしたコレクティブのような、地域密着でアートや音楽を通じて社会変革を目指すという若者の動きは、このひとつ前のブログで取り上げた、若者のナショナリズム意識が主観的にローカルへ向かっている、という話ともかなり通じる面があるように思えるのです。

12人のクローズドなオフ会という機会だからこそ、学会のような厳密さや論理性を求められることもなく、また、大っぴらにしにくいオフレコ的なことも自由に話せる面がある、ということを今回、改めて思いました。

もしかしたら、このようなオフ会自体もまた、コレクティブ的な要素を持っているのかもしれないと感じた次第です。


いくつかのウェビナーに参加してみての感想

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