2026年7月13日月曜日

ジャカルタの華人街・グロドックを歩いた

ジャカルタに着任して1ヵ月が経った。生活の準備はほぼ整ったので、色々な人と出会い、今回の仕事に集中していける状況になった。そして、ジャカルタの街歩きにも時間を取れるようになってきた。

先日は、華人街の中心として知られるグロドック(Glodok)を歩いてきた。地下鉄(MRT)の延伸工事のため、コタ(Kota)と呼ばれる華人の多く活動する地域への交通渋滞はひどく、なかなか気軽に行けない雰囲気があるのだが、今回は意を決して出かけた。

グロドックといえば、以前からジャカルタで最も家電店が集中する(昔の東京・秋葉原のような)場所として知られてきた。今もある意味まだそうなのだが、様相はすっかり変わっていた。家電店が集中していたのは大通りを挟んだ東側で、その中心の一つがグロドック・プラザだった。今回、行ってみると、建物は健在だった。


だが1階はスピーカーなどの音響屋が何軒か集まっているものの、2階・3階は真っ暗で店は閉まり、閑散としていた。



「2024年に地下にフードコート『キア・キア』がオープン」と垂れ幕がかかっているので、行ってみると、広い空間には全く何もなかった。かつてあった、という雰囲気は残っていたが。



かつて軒を並べていた電気店は、どこへ行ってしまったのだろうか。ジャカルタの人々は、もう、グロドックへ行って家電を買ったりはしないのだろう。東京の人々が家電を買いに秋葉原へは行かないように。

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大通りを挟んだ、グロドックの西側へ行ってみた。東側とは対照的に、人々が溢れていた。とくに、家族連れや若者が多い。入口に大きな門ができたことは新聞報道で知っていたが、その門の前で皆が自撮りしている。

昔は道沿いに屋台が並んでいたが、今はなく、車が次々に入って渋滞している。歩道沿いには小綺麗なカフェなどができているが、昔からお馴染みの薬屋は今も健在である(この辺の薬屋には昔、ロイヤルゼリーを買いによく来た)。

昔、グローリアという雑居商店ビルがあったあたりには路地があり、そこもさまざまな商店が並んでいたが、おそらく、そこと同じ路地には、豚を食べさせる屋台や店がたくさん並んでいた。これでもか、これでもかと、豚の肉の塊が次々現れる空間にヒジャブの若者たちがどんどん入ってくる。


この路地には、有名な珈琲店のKopi Es Tak Kieがある。1927年創業という、ジャカルタでも最も古い部類に入る「カフェ」である。13時半の閉店間際に運良く入れて、練乳入りのアイスコーヒー(Kopi Es)をいただいた。



この路地のすぐ隣、おそらくグローリアがあったところだと思うのだが、そこには、Pancoran Chinatown Pointという中華系を強調したショッピングモールができていた。



最上階にはノン・ハラルの中華が中心のフードコートがあった。


それ以外に、モールの西側の屋外にもフードコートのような一角があり、その奥は、東屋のある小さな公園のような作りになっていた。



モールを出たすぐ隣には、お馴染みの山東餃子屋が健在だった。今回はまだ行ってないなあ。


ここから道を渡って、反対側、道路の南側へ移る。すると、Petak Enamという場所があった。ちょうど先ほどのモールの向かい側にある。このPetak Enamは、中に入ると、大きな空間になっていて、まるで華人の街をイメージさせるように中華系の店が多数軒を並べていた。



ここもまた、豚を食べさせる店ばかりなのだが、ヒジャブ姿の若者がたくさん歩いていた。新しいおしゃれなスポットとして、若者に受け入れられているのだろう。

このように、グロドックの西側は、食を前面に押し出した、ジャカルタで華人文化を味わえる観光地と化していた。グロドックの東側と西側との対照的な姿を見ながら、考え込んでしまった。

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そうなのだ。この若者たちは、かつてこのグロドックがどんな場所だったのか、何が起こったのか、知らないのだ。

今から28年前の1998年5月。この街は暴徒に襲われ、多くの建物が投石され、火をつけられた。ここはジャカルタ暴動で最も攻撃を受けた街なのである。富を持つ華人に対する怒りを煽られた暴徒たちが、この街を襲った。

筆者は、あの暴動のずっと前からグロドックへ良く出かけていたし、暴動が収まり、スハルト大統領(当時)が辞任した少し後に、たまたまグロドックを訪れたこともあり、被害を受けた建物の様子などを記憶している。

あの時代の記憶が時間の経過とともに薄れていくのは自然なことだろう。誰もが楽しめる場所として、今の観光地化したグロドックがずっと続いてくれることを願わずにはいられない。

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実は、グロドックへ行った最大の目的は、大好きだったミーアヤム屋がまだあるかどうかを確かめることだった。その店はちょうど、地下鉄(MRT)工事現場のすぐ横にある。だからもうやっていないかもしれないと思って行ったら、やっていた。


そして、あのミーアヤムにワンタンとチャーシューも付けてもらっていただく。


味は全く変わっていなかった。麺の茹で具合も昔のまま。店内に客は私一人。本当は、ここのナシ・チャンプルも絶品で、最盛期は一度に麺もナシ・チャンプルも両方とも食べたのだが、さすがに今は無理。泣く泣く麺のみを味わった。

料金を払う段になって、番台のおばさんに声をかけると、「久しぶりねえ」と私のことを覚えてくれていた。そう、店の中も、使われている椅子も机も、昔と同じだった。


40年近く前から通っているこの店、ここだけはまるで時間が止まっているような場所なのだ。そして、それは、あの暴動にも耐えながら、店を守り続けてきたということでもある。

地下鉄工事も本格化しているし、いつまで店を続けるのですか、とおばさんに訊いた。「ずっとよ。店は続けるわよ」とおばさんは答えた。

また行くよ、今度はナシ・チャンプルを食べに。

2026年6月28日日曜日

ジャカルタはキャッシュレス万能・・・ではなかった

2026年6月からジャカルタ生活が始まった。Noteに書いていた「ぐろーかる日記」をこちらで再開することにする。

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ジャカルタに着任してから2週間以上が経った。滞在査証を取得し、銀行口座を開設し、住居を定め、生活の基盤を少しずつ固めているところである。

インドネシアはコロナ禍を契機に、キャッシュレス化が急速に進んだと言われる。実際、物品の購入をオンラインで行うことは普通だし、ショッピングモールだけでなく、道端の屋台で支払ったり、寄付を募ったりするのにもQRコード決済が普及している。

筆者が最後にインドネシアで長期滞在したのは、2014年頃までだが、コロナ禍の前で、キャッシュレス化は進み始めていたが、オンライン購入はまだほとんどなかった。今回は、QR決済は活用しているが、まだ、オンライン購入まではいっていない。

QRISと呼ばれるQR決済はたしかに便利だ。屋台や寄付でも使えるのだから、どこでもQRISが使えるものだと勝手に思い込んでいたが、しばらくここで暮らし始めて、それは正しくはないと知った。

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昔から好きだったカニそば(Mie Kepiting)の店[Bakmi Kepiting 78E, Jl. Raya Mangga Besar No. 78]へ行った時のこと。暗くて薄汚い店だったのが、エアコンが入り、きれいになった店内でカニそばを食べた。


客は自分一人だけ。もちろん、味は昔と同じで、満足した。食べ終わって、当然、支払いをQRISでしようとすると・・・「使えない」という。

ではどのように払えばいいのか、と訊くと・・・

現金または銀行振込、とのこと。

カニそばの代金を払うのに銀行振込とは、ちょっと大げさでは・・・

そう思って、現金で支払った。

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数日後、Pasar Baruの金物店で品物を買った時のこと。この店は、昔から品揃えと商品知識で永続してきた金物店なのだが、支払いの段になって、やはりQRISやカードは使えない、という。

カニそばの店と同様、支払方法は、現金か銀行振込なのだ。

昔のインドネシアの商店は、商品を購入する際、まず店員に Bon(伝票)を作ってもらう。商品を店員に預けた後、Bonをレジに持って行って支払い、その支払済証を持って商品を受け取る形だった。

だから、支払う際には、「伝票をお願いします」(Minta Bon)というのが常だった。それは、食堂で食事をするときも同じだった。

今回行ったこの金物店は、今でもこの伝票方式を採っていた。なぜキャッシュレス決済にしないのか尋ねてみた。

すると、以前はやっていたが、止めたのだという。どうも、深刻な詐欺被害に遭ったらしい。それ以来、昔からのやり方に戻したのだそうだ。

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地域的に見ると、カニそばの店も金物屋も、華人系の古くからの店だった。もともと華人系の商人たちは、金銭のやり取りに厳しく、従業員やアルバイトではなく店の主人がレジを自身で預かることが普通だった。現金が一番信用できるが、QRISよりも銀行振込のほうが信用できるという感覚が興味深かった。

カニそばを一杯食べるだけの見ず知らずの客に、振込先銀行口座を教えてしまうというのも、自分としては、ちょっと不用心ではないかと思うのだが、それによって、振込元の情報も分かるから安心なのかもしれない。

QRISが使えないことで、客足が減るということもあるのかもしれない。カニそばの店も金物店も、客は自分だけだった。キャッシュレスが普通の生活をしていると、現金を持ち歩かない。持ち歩いたとしても、せいぜい10~20万ルピア程度の少額だろうし、コインは一般的ではない状況である。明らかに、QRISが使えないと客が来ない状況になる。

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この数週間歩いただけでも、昔からの店がずいぶん少なくなった印象がある。ちょっとした文房具や日用品を買おうと思っても、そうした店が周囲に見当たらず、ショッピングモールに入っている大型店に行くことも多い。

そうか、昔からの商店は、コロナ禍を経て、オンライン店舗へ移っていったのかもしれない。TokopediaやShopeeを通じれば、自分で配送する手間はなく、実店舗も必要ない。オンラインショッピングの隆盛が小規模店舗数を大幅に減少させたということは十分にありうる。

そんななかで、まだ実店舗で営業している店は、新しい顧客開拓よりも、筆者のような昔から通う顧客の信用を大事にし、そこそこの売上と利益でやっていける、そうした店が残っているのであろう。

そうした店がなくなっていくのは時間の問題なのか。それとも、キャッシュレスのリスクが大きな問題となって実店舗が復活していく可能性もあるのか。

匿名の人々が行き交うジャカルタでこのような状況のなかで、人間的つながりがまだ濃い地方の都市や農村でのキャッシュレス化は、果たしてどのような状況になっているのか。

キャッシュレス決済がビッグデータ形成に貢献し、それを誰がどのように使うのか。ビッグデータの利用者にとって、我々は単なる数にしか過ぎないのだろう。

カニそば屋や金物屋のおじさんやおばさんの顔を浮かべながらそんなことを思う。

たしかに、キャッシュレス決済は便利だが、それが失わせているものにも思いを馳せたい。