2017年10月28日土曜日

ジャカルタのコワーキングスペースは快適

今回のインドネシア出張も終盤を迎え、農業省での中間報告準備や現地調査でのヒアリングメモなどをまとめていたため、なかなかブログを更新できずにいました。でも、この週末で何とか目途がつきそうなので、気分転換を兼ねて、久々に書いています。

今いるのは、ジャカルタのコワーキングスペースHUB2U。私のアジトは外国人のほとんどいない東ジャカルタにあるのですが、アジトにはインターネットWifiがないので、長時間、高速インターネットに接続できる一時的な仕事場として使えるスペースを求めていました。


ラッキーなことに、私のアジトのすぐ近くに1軒ありました。先週行ってみたのですが、雑居ビルの3階と4階、窓のない部屋に安い机と椅子があるだけの殺風景な場所ですが、インターネットはとても速く、快適でした。まさか、歩いて行けるところにこんな場所があるとは思わなかったので、驚きでした。

今日は、私のアジトからはちょっと離れてはいるけれども、比較的近くにあるこのコワーキングスペースで快適にインターネットにつなげています。

2017年10月19日木曜日

久々のプンチャック越えで出逢った光景

10月17~19日は、西ジャワ州チアンジュール県を訪れました。ここでは、園芸農業を中心とした農業の現状に関する情報収集を行いました。

ジャカルタからボゴールを通り、プンチャックを越えて、チアンジュール県へ向かいましたが、このルートを通るのは、おそらく約20年ぶりのことだと思います。

インドネシアに初めて来た1985年8月、このルートを通って、バスに乗って、インドネシア語の先生の実家のあるチマヒへ行きました。チマヒはバンドンの一つ手前の町です。

あの時は、プンチャックを越えて、道路沿いの食堂で昼食。どこを見渡してもスプーンもフォークも見当たらず、うろうろしていると、周りの人が皆、手で食べているのに気がつき、見よう見まねで、手で食べたのを思い出します。スンダ料理の店だったのでした。

1990年代前半までは、この道を何度も通って、ジャカルタとバンドンを行き来しました。4848という会社の車をよく使いました。4848の運転手は道を熟知しており、ものすごいスピードで走ったものでした。

その後、1990年代半ば以降、スラウェシ島のマカッサルを中心に、インドネシア東部地域に深くかかわることになって、かつ、ジャカルタからチカンペック経由でバンドンへ行く高速道路ができたことで、自分がこのルートを通ることはほとんどなくなってしまいました。

2017年10月15日日曜日

穀倉地帯ならではの垂れ幕・看板たち

10月14~15日は、西ジャワ州カラワン県へ行ってきました。

カラワン県はインドネシア有数の米作穀倉地帯として知られており、今回の訪問の目的も、その米作農業の現状についての情報収集でした。

収集した情報についてはここでは披露しませんが、さすが、米どころのカラワン県らしい垂れ幕が店にかかっていたので、それを紹介します。


稲の害虫であるウンカの足に鍵がかかっているの図。ウンカは動けずにそのまま息絶えてしまうのでしょうか。


これも立派な農薬の看板。カラワン県の特約店の前です。


より早く防げば、農民は満足! 天誅(てんちゅう)という名前が付いています。

率直な印象としては、ここでの米作農業の現状は、私が知っていたものよりもはるかに変化していました。本当に、変化が激しいです。常にインドネシアの今を追いかけていけないと、変化についていけなくなりそうな気がしてきます。

今回は、この後、西ジャワ州チアンジュール県、南スラウェシ州ピンラン県、同州バンタエン県で、同様の農業の現況に関するサーベイを行う予定です。

2017年10月11日水曜日

サンシャワー展は本当に良かった!

明日(10/11)から月末までのインドネシア出張の前に、前々からどうしても観ておきたいと思っていた「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」へようやく観に行けました。

この展覧会は、国立新美術館と森美術館の2館同時開催で、しかも展示数が多いので、どうしても2日掛かりになってしまいます。夜遅くまで開いている森美術館を10月8日に、国立新美術館を翌9日に訪れました。


東南アジアのアーティストが色々と面白い試みを行っていることは知っていましたが、これだけの数を集めるとさすがに圧巻でした。しかも、その一つ一つに、アーティストのゆるさや柔らかさや軽さを感じつつ、その裏に何とも言えない深い闇やもやもやとして晴れない奥行きが浮かび上がる、そんな作品が多かったと感じました。

2017年10月4日水曜日

福島税務署で残りの諸手続

今日は福島市です。今週は東京で色々と予定が入ってしまったので、福島市にいるのは今日と明日の1泊2日。しかも、明日の夕方5時に東京で予定が入っているので、それに間に合うように、東京へ向かいます。

今回の用事は、税務署です。松井グローカル合同会社を4月に福島市で登記し、色々と手続を済ませてきたのですが、9月分の役員報酬の支払いに伴う源泉徴収所得税納付書を10月10日までに福島税務署へ提出しなければならなかったのでした。

通常、源泉徴収所得税は金融機関の窓口か税務署で期日までに支払うのですが、私の場合は、税務署へ行かなければならないのです。なぜかというと、実は源泉徴収所得税がゼロだからです。

2017年10月2日月曜日

Co-minkan 第1号を訪問しました

9月30日の夜に帰国して、翌10月1日の朝、Co-minkan 第1号のオープニングを見るために、横浜市保土ヶ谷区まで行ってきました。

Co-minkan 第1号になったのは、保土ヶ谷区役所の近くにある峰岡公園の向かいのカフェ「見晴らしのいい場所」という小さな場所です。元はスナックだったというこじんまりとした場所で、Co-minkanが始まったのでした。



Co-minkan というのは、もちろん公民館から来ているのですが、行政が運営する公民館ではなく、民間で作る「こうみんかん」を企図しています。

地元の人が気軽に立ち寄り、お茶でも飲みながら、いろいろおしゃべりをする。そこに行けば悩みや相談を聞いてくれる人がいる。わいわいやっている間に新しいアイディアが浮かんだり、面白いことを思いついたりする。なんだか楽しくなる。

そんな空間を、気軽にみんながあちこちで作り始めたら、もっと温かい人と人とのつながりを意識できる世界が広がっていくのではないか。

2017年9月26日火曜日

グンポルの労働者送り出し機関を訪問

今日(9/25)は、グンポルにある海外への労働者送り出し機関であるLPK Prima Duta Sejati (PDS) を訪問しました。


PDSは1999年に設立され、インドネシア労働力省から認定された送り出し機関として、これまで香港、台湾、シンガポールへ、様々な職種のインドネシア人労働者を送り出してきました。単に送り出すだけでなく、送り出しの前に、送り出し先の言語習得と、職種に応じた職業訓練を施しています。

実際、メイド向けには掃除機の扱い方、洗濯機の扱い方、送り出し先に合わせた調理方法、乳幼児への対処法などの訓練が行われます。介護士向けには、ベッドに寝たきりの方に対する介護手法や、歩行器を使った歩行訓練への補助方法、トイレでの介助法などが訓練されます。

訓練機関は約6ヶ月間で、香港、台湾、シンガポールに受け入れ関係機関も設置し、20年かけて培ってきたノウハウを存分に活用しているということでした。

新たに、PDSは日本の技能実習研修生向けの日本語研修と技能研修を始めました。今後、日本からの様々な職種の技能実習生の受け入れ要請に応える送り出しを行っていくとのことです。

技能実習生の受け入れに興味のある日本企業があれば、是非教えて欲しいということでしたので、ご興味のある方や情報のある方は、個別メールにて matsui@matsui-glocal.com までご連絡ください。

私自身も、インドネシアと日本とを繋ぐ一環として、インドネシア人技能実習生制度が本当の意味での人材育成に資するような形で運営されていくように、微力ながら関わっていきたいと思うようになりました。

そして、何らかの研修終了証明書が発出され、それがインドネシア側で認知され、研修生の帰国後の再就職に役立てられるような仕組みを、様々な方々と一緒に作っていきたいと思い始めました。

さしあたり、日本にいるインドネシア人技能実習生が、インドネシア語でいつでも相談できるホットラインを作りたいと考えています。ご賛同・ご協力いただける方は、個別メールにてご連絡ください。

2017年9月23日土曜日

来週はインドネシア・東ジャワ州へ

今晩(9/23)の便で東京を発ち、9/30までインドネシア・東ジャワ州へ行きます。24日夜と29日夜はスラバヤ泊、25〜28日はマラン泊です。

今回の用務は、今までとはちょっと異なり、民間ベースの用務で、今後の展開を考えると、なかなかチャレンジングなものです。

インドネシアの地方と日本の地方とをつなぐという意味でも意義があり、私にとっても、新たな分野への挑戦になりそうな予感がします。また、これから私たちが、どのような社会を作っていくのか、ということにも大きく関わってくるような気がします。

ちょっと思わせぶりな書き方になりましたが、調査研究ではなく、かといってがっちり儲けるビジネスでもなく、社会起業家というほどかっこよくもない感じです。泥臭くて、収益がそんなに上がらない、でも大きな意味があるもの、と捉えています。

ともかく、久々のスラバヤ、マランを味わってきます。

2017年9月22日金曜日

ロヒンギャを見ながらスハルト時代のインドネシアを思い出す

ミャンマーのロヒンギャをめぐる報道がインドネシア・メディアでも盛んになっています。インドネシアだけでなく、国際社会もまた、「ロヒンギャで民族浄化が進んでいる」などとして、ミャンマー政府に対する批判が広まっています。

インドネシアのムスリムが「ロヒンギャを救え」と強く主張し、こうした国際世論を先導する形となっているのが、とても興味深いです。でも、そのような姿を見ながら、別なことを考えていました。

第1に、多数派と少数派ということ。今回の少数派はイスラム教徒のロヒンギャですが、もしも多数派がイスラム教徒だったら、インドネシアのムスリムは今回のような行動を起こしたかどうか。

インドネシアでも、ムスリム多数派のスンニー派がシーア派やアフマディヤに対して敵意を示し、場合によっては迫害するという事態が起こりました。一部の国際社会はそれを批判しましたが、インドネシア側は、決して少数派の肩を持つような対応をしませんでした。

ずっと時代を遡って、東ティモールがインドネシアからの独立を求めた時。政権中枢部では、実は東ティモールで少数派のイスラム教徒の立場が虐げられているという認識がありました。

インドネシア全体では多数派のイスラム教徒が東ティモール州では少数派。果たして、政権中枢は本当に東ティモールがインドネシアにとって大事だと思っていたのかどうか。もしもイスラム教徒が多数派だったら、話は違っていたのかもしれません。

インドネシアのイスラム勢力が、「たとえどんな宗教であっても種族であっても、少数派への迫害は許さない」という行動を起こせたならば、本当の意味で人権云々を主張できるのではないか、と思うのです。少数派がイスラム教徒であったからこそ、声をあげたのではないか、と思ってしまうのです。


2017年9月18日月曜日

映画「アンダーグラウンド」完全版5時間を観に行く

台風18号が西日本で猛威をふるっていた9月17日の夜、まだ小雨程度で済んでいた東京・恵比寿ガーデンシネマで、エミール・クストリッツァ監督の映画「アンダーグラウンド」(1996年)の完全版を観てきました。

前編で3話、後編で3話の計6話から構成され、前編と後編は別々に鑑賞券が売られる、という形式でした。前編が16:15〜19:00、後編が19:25〜22:05、合わせておよそ5時間以上の作品でした。

時代設定は、ナチス・ドイツによるベオグラード爆撃からユーゴスラビア崩壊までおよそ50年以上のスパンでの物語でした。

しかし歴史大作というわけではなく、出演する人物は、ヒーローや偉人が活躍するわけでもない、人間味あふれたフツーの人々でした。人間のエゴや醜さ、友情と裏切り、信頼と背信などが、時には暴力を伴い、やや露骨に表現されていました。

そんな人々の姿は、基本的に、喜劇として描かれていました。そして、だからこそ、戦争に翻弄され、国家に裏切られ、挙げ句の果てにはその国家さえ失ってしまうということの無情さがかえって迫ってくるような印象を持ちました。

ネタバレになるので、具体的なあらすじは述べません。同じく長編の台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のような、様々な伏線が最後につながっていくようなストーリーの重厚さを感じることはありませんでしたが、手法は違うとはいえ、時代の闇をフツーの人々の目から表現しようとした作品だったのだと思いました。

映画終了後も、しばらく、ずっと作品の中で流れていたブラスバンドの曲が耳から離れませんでした。政治的に物議を醸した映画とも評されているようですが、ストーリーは単純でも、勧善懲悪からは程遠い筋書きでした。

ナチズムにせよ、共産主義にせよ、そして民族対立にせよ、結局はフツーの人々の生きざまとは関係のない話なのだ、という静かなメッセージが聞こえたような気がします。

この写真は結婚披露宴のシーンなのですが、本当の世界を知らないままで幸せを感じている人々の姿が描かれていて、現代を生きる我々自身の状況を示唆しているようにも感じてしまいました。


9月29日まで公開予定ですが、上映スケジュール等については、以下のサイトをご参照ください。

 アンダーグラウンド(完全版):恵比寿ガーデンシネマ