今回、カカオツアーで訪問した西スラウェシ州はマンダール族の世界です。
マンダール族は、南スラウェシ州出身のマカッサル族やブギス族、トラジャ族と並ぶ、スラウェシ島南部の有力種族です。とくに、世界一速いと言われる帆船「サンデック」を操り、巧みに漁を行う海の民としても知られてきました(サンデックについては、別途、触れてみたいと思います)。
このマンダール地方で盛んに行われているスポーツが「レディ・パパン」という、バドミントンの一種です。しかも、インドネシア中で、レディ・パパンが行われているのは、なぜか、このマンダール地方だけなのです。
今回のツアー中、参加者と歩いていた村の中で、レディ・パパンをしている若者を見かけました。
手に持っているのは、バドミントンのラケットではなく、羽子板のような木製のラケットです。この木製のラケットで、バドミントン用のシャトルを打ち合うのが、レディ・パパンです。
レディは英語のready、パパンはインドネシア語のpapan、すなわち板です。まあ、羽子板のようなものです。
マンダール地方のとくにポレワリ県、マジェネ県、マムジュ県という西スラウェシ州南部の3県で、レディ・パパンが盛んに行われ、地区対抗トーナメント方式の試合もあるようです。
この日も、「夜に試合があるので観にこないか?」とそばにいたおばさんに誘われました。
振り返れば、今から17年前、夕方から夜にかけて、マムジュからポレワリへ向けて車で通った際、道沿いの至る所で、バドミントンのようなものをやっているのを目撃したのが、レディ・パパンとの出会いでした。その時、夜9時を過ぎても、人々は、レディ・パパンに夢中でした。
2000年6月にマジェネの街中で、レディ・パパンの木製ラケットとシャトルが売られているのを写真に撮りました。
今回も、ツアー参加者とウォノムルヨ市場を見学した際、レディ・パパンの道具を探すと、すぐに見つかりました。
ツアー参加者の一人が木製ラケット2本とシャトル1個を5万ルピアで購入しました。そして、早速、レディ・パパンを始めると、学生の参加者を中心に、その輪がどんどん広がっていきました。
このレディ・パパン、もともとは、バドミントンのラケットが高価で購入できないという理由で、誰かが手製の木製ラケットで始めたのが最初のようです。
2000年頃が最も盛んだったようですが、その後は、しばらく流行らなかったように記憶しています。2004年に、南スラウェシ州から西スラウェシ州が分立し、レディ・パパンが盛んだった3県は、西スラウェシ州へ編入されました。
そして、おそらく、レディ・パパンは再び盛んになってくるようなのですが、2000年頃と比べて、大きな変化は、コートのネットが手製だったのがバドミントン用に変わったぐらいで、基本的に大きな変化はないように見えます。
それにしても、このレディ・パパンは、どうしてマンダール地方以外の他の地域へは広がっていかないのでしょうか。今でも、マンダール地方のローカル・スポーツのままなのはなぜなのでしょうか。
いつの日か、その不思議を解明してみたいものです。
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