2021年4月4日日曜日

相対性を意識させる学びの場をつくる:田谷さんの魔法について

私の契約最後の国際機関日本アセアンセンターのASEAN最新事情ウェビナーでは、福井県の農園たや代表の田谷徹さんをお招きし、「ASEANと日本の人材育成~福井の技能実習生の事例から~」と題して講演していただいた。田谷さんとは、もう20年以上のお付き合いがある。

講演では、技能実習制度の実態と福井の農業の現状について話した後、技能実習生を受け入れている農園たやでの取り組みについて語ってもらった。

福井でのとくに農業での人手不足の背景には、米作に偏重した農業構造とともに、地元の若者の農業離れ、というか、若者が地元のコミュニティへの関心を失っている現状があることが指摘された。

若者が地元コミュニティへの関心を失っているのは、様々なコミュニティ内の人間関係やしがらみ、長年にわたる慣行や風習への硬軟取り混ぜた強制などが自分という個を束縛し、規制することへの反発なのかもしれない。そう思うのは、故郷・福島を離れて東京へ出てしまった自分自身の経験がもとにある。地元は好きなのに、そこに留まるといろいろと面倒なのだ。

そんなところへやってくるのが技能実習生。本来、技能実習制度は、日本で技能や技術を学び、それを母国で活かすことが期待される国際協力事業のはずだが、現実には、2~3年間よそへ移動できない労働力として人手不足軽減を目的として実施されている。それは、実は、技能実習生を労働需給のために利用することを禁止する技能実習法に違反している。すなわち、人手不足を理由に技能実習生を受け入れている企業や事業所はすべて法律違反なのである。それが黙認されることで、日本経済の底辺が支えられているのが現状なのだ。

田谷さんの農園たやもインドネシア人技能実習生を受け入れている。ただ、人手不足を補うために誰でもいいから来てほしい、というのとはだいぶ異なる。田谷さんは、インドネシアの農業高校と協力し、その卒業生を受け入れている。日本と同様、農業高校といっても、卒業生の多くは農業以外の職業に就職する傾向が強まっている。だから、田谷さんのところへ来る技能実習生もまた、必ずしも農業を志しているとは限らない。

それでも、田谷さんは受け入れる。農園たやの農作業も担ってもらうが、何より大事にしているのは、彼らが帰国後にどうするのか、ということである。そのために、彼らに帰国後のビジネスプランを意識させ、段階を踏んでそれを完成させる。帰国前にはそれを発表させる。そして、帰国後の彼らをモニタリングし、そのビジネスプランがどう実施されているか、されていないか、定期的にチェックし続ける。

コロンブスの卵だった。つまり、多くの場合、技能実習は、実習生を受け入れる企業や事業所のニーズが最初にあり、人手不足という問題がある程度充足されれば、それで終わりになる。実習生が母国に帰ってからどうなるのかに関心がない。しかし、技能実習は本来、実習生側のニーズ、すなわち、技能や技術を学ぶ、ということから始まるものなのである。

しかし、その実習生もまた、日本へ来る実際の目的は、技能・技術の習得ではなく、渡航などにかかった借金を返済するためのお金を稼ぐことである。人手不足で誰でもいいから来てほしい企業や事業所と、どこでもいいから金を稼ぎたい実習生との間で、奇妙な思惑の一致があり、現状を変えることが難しくなっている。

私自身は、技能実習制度を、実習生のニーズから始め、そのニーズに日本の受入側を合わせるという、本来の形にすべきであると考えてきた。そのために、彼らの母国の地域レベルでの技能・技術ニーズを丁寧に追い、できれば、その地域の行政や学校・職業訓練機関などを通じて実習生が日本へ送り出され、彼らを受け入れてニーズを満たす技能・技術を教えられる日本の企業・事業所を探してマッチングさせ、2~3年の実習期間と帰国後のモニタリングをしっかり行い、技能実習の成果が母国の送り出し地域でどのように生かされたかを検証できるようにしたいと考えてきた。

だが、田谷さんの講演を聴いて、少し考えを改める必要が出たように感じた。

田谷さんはいう。実習生は別に何かを学びたいという強い動機や意欲を持ってなくても良いし、金を稼ぎたいという目的で来てくれてもよい。でも、日本で技能実習をしている間に彼らに魔法がかかる。彼らが帰国後にどうありたいのか、どうしたいのか。それを主体的に考えるように魔法がかかる。そう、田谷さんのところで受け入れた実習生には魔法がかかるのだ。

田谷さんは実習生に帰国後の自分のあり方を強く意識づける。それを促すのが帰国後に実現したいビジネスプランづくりである。彼らにとってそれは自分事。農作業を行いつつ、試行錯誤しながら自分の将来を考える彼らのプロセスに田谷さんは徹底的に付き合う。

そして、母国であるインドネシアと日本との違いを理解し、帰国後に母国で実現させるビジネスプランをつくるうえで、母国インドネシアを相対的に見る視点を獲得する。すなわち、日本に来ていることを生かして相対性を意識させるのである。

自分の将来を考え、現実的なビジネスプランを作成するなかで、彼らの中から様々な学びを得たい、そのためにどこそこへ見学・視察へ行きたい・社会見学したい、という気持ちが出てくる。田谷さんはヒントは出すが、どこへ行くか、行って何を学ぶのか、どのような交通機関を使ってどのように行くか、すべて実習生が自分たちで調べて行動するように促す。このプロセスで、実習生は電車の乗り方やきっぷの買い方なども主体的に学ぶ。

あたかも、高校生の自分で組み立てる修学旅行のような、大学生の自分で組み立てるゼミ旅行のような、そんな様相である。実習生が自分のために自分で学ぶ環境を作っていくのである。

田谷さんの魔法とは、これなのだ。実習生が自分の将来を意識し、田谷さんの適切な助言や導きを受けながら、主体的に自分のビジネスプランを創り上げていく。それは自分の将来に直結するビジネスプランである。

自分の将来に直結するビジネスプラン。最初はお金を稼ぐために来た実習生が、田谷さんに魔法をかけられ、自分の将来を考え、その実現へ向けて主体的に動いていく。

田谷さんは、技能実習生に対して、相対性を意識させる学びの場を創っていたのだ。そして、彼らの将来を見守っていく「親」のような役割を果たしている。

このような技能実習ならば、実習生がたとえ学びを意識しないで来日しても、魔法がかかって学ぶようになるだろう。それは自分の将来のための学びになるのだから。

そして、ふと気づいた。

これは、技能実習生に限った話だろうか。

もし、日本の若者にも同じような魔法がかかったら、自分の将来のための学びになるだろうか、と。

ただ、その学びは、若者を地域コミュニティに留めることを目的とすべきではない。むしろ、敢えて、自分の地域コミュニティとは異なる地域コミュニティに2~3年間かかわり、農作業をしながら、自分のビジネスプランを作り上げていく。大人たちは、若者が地域コミュニティに留まることを期待しても構わないが、決して強制してはならない。そんな若者を温かく見守っていく。たとえ、その若者が学びを得た土地を離れたとしても。

そんな学びの場が各地に生まれてくれば、なにかが変わってくるのではないか。

若者を地域に固定するための移住を半ば強制するようなやり方は、やめたほうがよいのではないか。それならば、若者が地域コミュニティから離れていく理由を、まずは、自分たちの胸に手を当てて、省みることから始めるのではないか。自分がもし若者だったら、この地域コミュニティにいたいと思うか、と。

地域コミュニティの魅力を高めるのが容易でないとしても、そこを学びの場にすることは可能なのではないか。その学びとは、よそから来る若者たちの将来を共に考え、彼らが主体的に自分の将来をビジネスプランのような形で明確にさせていくプロセスを伴走する、そういう大人に自分たちが変わることではないだろうか。たとえよそから来た若者が定着せずにまたどこかへ行ってしまったとしても、その若者の将来を温かく見守れる、そんな若者を輩出する学びの場であることに誇りを持てる、それがいつの間にかその地域コミュニティの新たな魅力になっていく、ということがあってもよいのではないか。

学びの場では、教えることも必要だが、学びを促すことのほうがずっと大事だと思う。学びを促す手法を学びながら、実習生や若者をよそから受け入れる側自身が変わっていく覚悟と柔軟性を保つ必要があることは言うまでもない。

田谷さんの講演を思い出しながら、日本の地方をそうした実習生や若者にとっての「学びのワンダーランド」にするような、何らかの働きかけをしてみたくなってきた。田谷さんのような「学びの場」をつくる同志が日本のあちこちに、いや、世界のあちこちに生まれてきたら、なんて思ってしまう。

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