ようやく日本でも報道され始めたが、インドネシア南東部、西ヌサトゥンガラ州スンバワ島付近から東、東ヌサトゥンガラ州のほぼ全域、さらに東ティモールへ至る広い地域で、サイクロン「セロジャ」による暴風と洪水が発生し続け、現時点で100人以上が死亡し、多くの人々が家を失うなど甚大な被害が発生しているようだ。
SNSやTwitterには、河川の増水で流される橋、濁流にのまれて横転するバイク、破壊された家屋、浸水した集落などの生々しい写真や動画が次々にアップされている。
この地域は島嶼部で、たくさんの島々から成り立っている。このため、100人以上が死亡といっても、それはあくまでも確認できた数字である。孤立・寸断された地域が無数にあり、停電が続き、通信手段が途絶している状況を考えると、被災者・死者の数は我々の想像以上に及ぶ可能性が大きい。
住民の多くは敬虔なカトリック教徒であり、4月2日からの復活祭を平穏に祝うはずだった。「セロジャ」はその復活祭に時期を合わせたかのように、復活祭を祝うはずだった人々の暮らしを破壊してしまった。
もともと、東ヌサトゥンガラ州から東ティモールへかけては、年間降水量の少ない、乾燥した土地である。雨季も短く、乾季に水をどのように確保するかが最大の課題となるような地域だった。このため、降水量が年間を通じて多いジャワ島のような肥沃な土地は少なく、米作などの農業には適さない場所として知られる。米以外のトウモロコシやキャッサバなどの自給的農業生産と畜産・漁業などで生計を立て、同時にマレーシアやジャワ、スラウェシなどへの出稼ぎに頼る面も大きかった。
そんな、水に恵まれない土地に襲来した「セロジャ」は、恵みの雨どころか、人々の暮らしを破壊するような雨と風をもたらしてしまった。人々の多くはきっと、こんな雨や風をあらかじめ想定した暮らしをして来なかったに違いない。残念ながら、乾燥したこの地でどうやって水を確保するかは常に考えていたに違いないが、まさか洪水が起こることを想定して対策をしようなどということはなかったのではないかと想像する。
この地域の人口は、ざっとみて1,000万人前後であり、インドネシアの全人口2.7億人、ジャワ島の人口1.45億人からみるとわずかであり、首都ジャカルタの人口にほぼ等しい。毎年のように雨季にひどい洪水の被害にあっているジャワ島の人々からすると、今回の「セロジャ」によるこの地域の被害が相対的に甚大になることをなかなか想像できないのではないだろうか。
今回の事態を見ながら、1996年2月のある出来事を思い出した。当時、私はジャカルタにいた。4月からのマカッサルでのJICA専門家業務の準備をしていた。あの日、パプア州で大地震が起こり、ビアク島が大津波に襲われ、多数の人々が亡くなった。ちょうどその頃、ジャカルタのメディアでは、断食明け大祭前の帰省ラッシュの様子がずっと報じられていて、ビアクの惨事については一切報道がなかった。国軍が救援機を飛ばしたのは、断食明け大祭になってからのことだった。ビアクは忘れられていた。
今回も、ジャカルタで話題になっていたのは、コロナ禍にもかかわらず、あるセレブの結婚式が行われ、それにジョコウィ大統領やプラボウォ国防大臣が出席したことだった。ビアクから25年たった今でも、東ヌサトゥンガラは忘れられているのか。
BBCは、「セロジャ」による洪水被害の拡大について、地方政府が森林伐採を進めた住民を非難し、環境NGOが政府の環境政策を批判するという、責任のなすりつけ合いをさっそくしている様子を報道している。今は何をすべきなのか。それをともに考えることはまだできていない。
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