2020年5月3日日曜日

貧困の津波

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新型コロナウィルス感染拡大は、私たちに様々な困難を強いている。自分も含め、多くの人々が日々の生き残り策に集中し、自分以外の人々になかなか関心を向けられない状況になっているのかもしれない。

そんななかで、今日、自分に突きつけられた言葉。

それは・・・「貧困の津波」

2020年5月3日付『朝日新聞』の国際面のその言葉があった。
新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。

インドで起こった突然のロックダウンで、解雇などで失職し、交通機関も途絶えるなか、故郷へ、何十キロも、何日も、昼の炎天下、食べ物もお金も尽きても、無言のまま歩き続ける人々。

故郷の村まであと150キロのところで息絶えた12歳の少女は、そんな数百万人の人々の一人だった。

彼女の12年の人生を思う。インドは豊かになったのではなかったのか。

法外な料金を払い、荷台にぎゅうぎゅう詰めのまま、運よくトラックに乗れても、故郷へ向かう途中で警官の検問に出くわし、首都デリーへ強制的に戻らされる。避難所に収容されればラッキーなのだが、故郷へは戻れぬまま。ロックダウンのなかでどうやって生きていくのか。

人口14億人のインドを「貧困の津波」が襲う。

南アフリカでも、ケニアでも。インドネシアでも。そして日本でも。

自分ではもうどうにもならない、でも誰も助けてくれない、世界も国も金持ちも。

貧困の津波は、寄せては返し、寄せては返しを繰り返し、起こり続けていく。そして、寄せては返すたびに、貧困は深まり、そして広がる。

成長重視から分配重視へ生き方を変えよう、などと言える余裕はもうない。

感染で亡くなる。そして、感染しなくとも、貧困で亡くなってしまう。

富める先進国も、自国のことで手一杯で、「貧困の津波」が世界中で起こっていくことに頭が回らない。自分たちの生活が第一であることは当然である。でも、同時に、世界中に「貧困の津波」が押し寄せていることにも心を留めておきたい。

この種の「津波」の予知が難しいのなら、せめて、金銭的な施しや人道支援はもちろんだが、それだけでなく、「津波」の力をどう緩められるか、どう乗り越えていけるか、世界中で皆が知恵を出し合い、行動していかなければならないだろう。

自分がもしも彼らだったら・・・・。「かわいそうなひとたち」で片付けている間は、人々が思い合う新しい世界は造れない。どうすればいいのか、簡単に答えは出ないが、しっかりと心に留めておきたい。


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2020年5月2日土曜日

ダリケーのペイフォワード、さらにその先へ

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京都のチョコレート製造販売会社、ダリケー。インドネシア・スラウェシ島産のカカオを使ったチョコレートや、非食品を含む様々なカカオ製品を製造・販売しています。

おそらく、インドネシア産のカカオを使ったチョコレートを日本で製造販売しているのは、ダリケーともう1社ぐらいでしょうか。

スラウェシということで、私も、ダリケーのアドバイザーとして、お手伝いをしてきています。毎年恒例の、スラウェシのカカオ農家を訪問するツアーの引率をずっと務めています。

ダリケーについての詳しい話は、同社のホームページ(https://www.dari-k.com/)をご覧ください。

そのダリケーが今、ペイフォワードという取り組みを始めています。


新型コロナウィルスの影響で、他者と同様、ダリケーも多くの在庫を抱えることになりました。そのままでは、スラウェシのカカオ農家からの買付を続けられなくなってしまうかもしれません。でも、そもそもダリケーは、国際価格に翻弄されるカカオ農家に寄り添うことを目的に事業を始めた経緯があります。

新型コロナウィルスに翻弄される今、ダリケーは社会に対して何をなすべきなのか。ダリケーも含めて、関わる人々がウィン=ウィンを共有できるような仕組みとは何か。

考えに考えた末に、出した結論が、今回のペイフォワードです。

すなわち、新型コロナウィルス対策の最前線で懸命に対応している医療従事者への感謝の気持ちを自社のチョコレートで示す。そこで、趣旨に賛同していただいた方にチョコレートを購入してもらい、その販売量に合わせて、医療従事者にチョコレートを届ける。

ダリケーの在庫を減らすことができ、カカオ農家からの買付も継続できます。

医療従事者の方々にとって、チョコレートは決して必需品ではないかもしれません。でも、たとえほんの束の間でも、ホッとするひと時を味わえる。そのチョコレートの裏に、たくさんの方々が応援している気持ちが伝わります。

チョコレートには、そんな誰かが誰かのことを思う、思い合う、そんな気持ちと気持ちを通わせる力があるはずです。

名も知れぬ誰かが医療従事者である誰かのことを思ってくれている。その実感。

ペイフォワードで購入したチョコレートを味わう購買者も、今頃、自分の知り合いでも何でもない医療従事者である誰かを思う。

そして、そんな思い合い(思い愛?)の根本は、スラウェシのカカオ農家が作ってくれたカカオにある。そんなカカオ農家のことを思う。カカオ農家は、自分たちのカカオを使った製品が日本の医療従事者の力になっていることを思う。

そんな思い合いが繰り返され、広がっていったら、そのような世界は幸せな世界になるのではないでしょうか。

コロナ後に私たちが目指す未来の一端は、もう始まっているのかもしれません。

そして、そして、ペイフォワードでダリケーのチョコレートを購入した方々は、医療従事者やカカオ農家やダリケーのことだけでなく、ほかの方々への感謝の気持ちも現れるかもしれません。それは、たとえば、ダリケーのチョコレートを配送してくださった宅配業者とか・・・。

誰かを思い、誰かから思われる。それが連鎖となって、次から次へとつながっていく。自分は一人ではないと、みんなが思える世界。新型コロナが強いる、物理的に遮断される社会は、だからこそ生まれる思い合いの連鎖が、あたかも想像の共同体のようになり、つながっていく、他者を信じられる世界へつながっていくのかもしれません。

未来を悲観したり、諦めたりしたくはありません。ダリケーのペイフォワードのさらにその先に、新型コロナ後の新しい世界が少し見え始めたような気がしています。


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2020年5月1日金曜日

ステイホーム、だからこそつながる

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ステイホーム。不要不急の外出を控える。行動自粛。友人や知人とも会わない。皆さんと同じように、私もそんな毎日を送っています。

動いてつなげるのが私の仕事のスタイル。でも、インドネシアへも福島へも行けず、東京の自宅で家族と過ごしています。

幸い、自宅の庭では、今、ツツジなどの花が咲いていて、なごみます。


そんななか、いつもお世話になっている「鳴子の米プロジェクト」から、追加でのお米の注文依頼が来ました。

同プロジェクトは、農家と消費者を直接結んで、消費者が農家を支えるCSA(Community Supported Agriculture)の実践で、「ゆきむすび」というお米を生産・販売しています。

「ゆきむすび」は在来の耐冷品種を復活させたものです。消費者へ直販することで、生産者が年々広がる遊休地・耕作放棄地でその在来品種を栽培し、消費者とともに地域の農業を守り、地域活性化を進める取り組みを続けています。

 鳴子の米プロジェクトのサイトはこちらから → http://www.komepro.org/

同プロジェクトは東京都内で、アンテナショップを兼ねた「むすびや」というおむすび屋さんを運営しているのですが、新型コロナの影響で閉店、そのために用意していた「ゆきむすび」が余ってしまいました。その余剰米を買ってほしいという注文依頼でした。

ちょうど、我が家でもお米を追加注文しようかと思っていたタイミングだったので、すぐに注文しました。来るのが楽しみです。

* * * * *

続いて、福井県で農業を営む友人から連絡がありました。彼の農園からは、高級レストランなどのプロ用にベビーリーフを出荷してきましたが、新型コロナの影響でレストランが閉店し、行き場を失ってしまいました。

この行き場を失ったベビーリーフを、希望者向けに販売し始めました。1組(100g x 5袋)は通常価格1,890円(税込)ですが、それを972円(税込)の特別割引価格で提供します。

 ベビーリーフの詳しい情報はこちらから → https://nouen-taya.raku-uru.jp/item-detail/344199

彼のところのベビーリーフは、プロ用ということもあり、一般に売られているものとは明らかにモノが違います。こんなお買い得なベビーリーフはまずないです。

当面、200組を用意とのこと。注文はお早めに。

* * * * *

物理的に友人や知人には会えないけれど、つながることは決して難しくはありません。きっと、個々人レベルでは、こんなささやかな思い合いが今、起こっていることでしょう。

何かあったときの思い合い。ステイホームがそれを妨げることはありません。

ステイホーム、だからこそつながるのかもしれません。そんな心の通う思い合いから、新型コロナ後に私たちが創りたい、新しい社会が垣間見えるのではないでしょうか。


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2020年4月14日火曜日

法人化4年目、少しずつ前へ

個人事業主から法人化して4年目に入りました。

いやな仕事は受けない、やりたい仕事だけをやる、でもやらなければならない仕事はたとえ無報酬でもやる、という方針で、わがままに活動してきました。間違いなく、経営者としてはまずいのでしょう。

当初、思っていたほどには順調ではなく、何とかやりくりしてサバイバルしている、という感じです。

今のような、物理的に何も動けない状態になって、お給料を毎月いただいていた頃をついつい思い出してしまう自分を、ちょっと情けないと思ったりもします。でも、それと引き換えに、組織に忖度する必要のない、すべて自分の頭で考えて動いていけると感じられるのはありがたいことでもあります。

前職を辞めるときに思ったのは、自分は何のために生きているのか、そのためにどんな人生を歩んできたのか・歩んでいくのか、という問いでした。

そもそも、何のために前の職場に入ったのか。23年間勤めても、その原点を忘れることができなかった、のでした。大人になれなかった、と人は言うのかもしれません。

誰かが敷いてくれたレールや皆と同じ道をたどることが、「自分は何のために生きているのか」という問いに沿ったものなのか。もし誰も前例をつくっていないような生き方をしなければならないなら、自分でつくるしかないのではないか。

そして、前職を退いてから13年以上経った今も、その自分への問いと厳しい現実との間で、相変わらずさまよい続けている、というのが現状かもしれません。

いつ自分の人生が終わってしまうかはわかりません。足元の日々の当たり前を大切に思いながら、少しずつ、一歩一歩、自分なりの速度で進んでいく、何の変哲もないふつうの人生を歩んでいく。そう生きていくのだと思います。

様々な方々から様々な教えを受け、自分なりに思考し、様々な方々と学び合っていきたいです。自分の大事な人的ネットワークを広げ、深めながら。

2020年3月21日土曜日

続けざまの無くしもの

3月1~11日のジャカルタ・スラバヤ出張は、今になってみると、ギリギリのタイミングで実行できたのだなあと、つくづく思う。それについては、また別に書くとして。

今回は、無くしものの話。それも、続けざまの無くしものの話。

今回のインドネシア出張中に、出張や移動の際の必需品ともいえるものを無くしてしまった。それは、BOSEのノイズキャンセリングイヤホンだ。

もうかれこれ5年ぐらい愛用していた。

ノイズキャンセリングの良さと音の良さ。購入したときはBOSEなのでちょっと高価だなと思ったが、実際に使ってみると、その性能の良さに大満足だった。

飛行機に乗る際には手放せなかった。備え付けのヘッドフォンはもう使えなかった。まだ有線なので、座席前のUSBポートにコードを差し込み、充電しながら使用できた。東京=ジャカルタ便7時間でも電池切れなし。

音楽を聴き終わって、BOSEを付けたまま寝込んでしまうと、雑音が入らず、気持ちよく睡眠できた。

飛行機の中で寝るときの三種の神器は、アイマスク、口マスク、そしてノイズキャンセリングイヤホン。これで飛行機の中でじっくり休める。

その大事なノイズキャンセリングイヤホンを紛失してしまったのだ。

2020年3月15日日曜日

101年の歴史に幕

3月14日、妻と一緒に、東京都心の小さなメガネ屋さんを訪れた。妻の頼んでいたメガネを取りに行くためだった。この日に必ず行かなければならなかったのだ。

この日が、メガネ屋さんの最後の日だった。


1920年にメガネ卸商として開業し、今年で101年目。店主のおじさんは2代目。80歳代後半となり、病気もあり、体力的に店を続けるのが難しくなったとのこと。

妻の亡き父親が、かつて知人から腕のいいメガネ屋さんとして紹介され、それ以降、妻の家族がずっとお世話になってきた店で、店主のおじさんは、妻のまだ幼い頃からずっと知り合いだった。

私も30年前、一度、ここでメガネを作ったことがある。ずっとよかった視力が落ちて、運転免許証の更新ができるかどうか不安になり、年のためにつくってもらったのだ。

その後、ジャカルタに2年間滞在している間に、あまり仕事をしなかったせいか、視力が回復し、メガネを日常的にかけることはなくなった。

そのまま今に至るが、今は、細かい数字や地図を見るときなどに、このメガネをわずかの時間だけかけることがある。


店主のおじさんのメガネのプロとして歩んだ人生と、彼を支え続けてきた温厚なおばさんの人生を思い、心から「ごくろうさま」の言葉をお二人にかけた。

都心の名もなき小さなメガネ屋が一つ、101年の歴史を閉じた。

店の外の気温は2度。水気を多く含んだ春の雪が降り続いていた。

2020年3月13日金曜日

庭の桜に一輪の桜花

1ヵ月ぶりのブログ更新、となりました。

記録的な株価暴落を記録したこの日。

我が家の庭の古い桜の木に一輪の花が咲きました。

戦後、妻方の一家が東京に住み始めたときに植えられた木で、もう70年以上経っています。毎年毎年、そろそろ枯れるかと思いつつ、どうやら今年も咲いてくれるようです。

全体でどのぐらい咲くのだろうか。

今年も我が家の庭で、ささやかなお花見ができるといいな。


2020年2月13日木曜日

固有名詞でつながる世界をつくるための対話

数日前、個人ツイッター(@daengkm)に次のようなつぶやきを書いた。
日本以外にいる、個人名でお付き合いしている友人・知人は何人いますか。自分は、ずいぶん前に、人数をもう数えられないので、数えるのをやめてしまった。
いつの頃からだろうか、友人をどの国の人か、人種は何か、宗教は何か、というような面から見ることができなくなった。インドネシア人だとか、イスラム教徒だとか、ブギス族だとか、そういううふうに見ることができなくなった。

もちろん、彼らとやり取りする言葉は違う。彼らがインドネシア語でメッセージをくれればインドネシア語で返し、英語でやりとりすることもあるし、日本語のときもある。

日本人だからより近い友人だとか、インドネシア人だけど近い友人だとか、そういうふうに思えなくなった。いるのは、ただ単に、信頼できる友人、話していて楽しい友人、意見は異なってもその違いを尊重してくれる友人、それだけである。

私たちは、この世に生を受けた場所がたまたまそこだった、親がたまたま国籍や種族がそうだった、ということで、何らかの属性をもって生まれてくる。国家が私たちを生まれさせたのではない。生まれたときの属性のなかに、偶然、たまたま、国家というものがそこにあったに過ぎない。

もちろん、たとえ国家がなかったとしても、人間は生まれるのだ。そして、国家のために生まれたのではない。自分が一人の人間として生きるために生まれたのだ。

2020年2月11日火曜日

よりどりインドネシア第63号発行、ニセ王国物語など

2020年2月9日、毎月2回発行のウェブ情報マガジン『よりどりインドネシア』の第63号を発行しました。以下のサイトから、その一部を読んでいただけます。

 よりどりインドネシア第63号

今号の内容は以下のとおりです。

●インドネシアのニセ王国物語(松井和久)
2020年に入って、インドネシアでは様々なニセ王国が現れ、メディアを賑わせています。どんなニセ王国なのか、その内容を細かく見ていくと、そこに政治的な意図が見えてきました。どうしてニセ王国が現れるのか。既存の王国とニセ王国とを分けるものは何か。それらは本当に分けられているのか。インドネシアにいくつかある王国連合体組織についても、考察してみました。

●ロンボクだより(28):震災の終わり(岡本みどり)
岡本さんの連載は、ロンボク地震から1年半経って、岡本さん自身の思うことを書かれています。震災は終わったのか。その問いをめぐっての思いです。岡本さんの原稿を読みながら、東日本大震災をはじめとする被災地での人々のことが思い浮かんできました。政府やメディアは「終わった」とか「まだだ」と、安易に言い過ぎてはいないだろうか、と改めて思いました。

●パプアのラタパン(哀歌)を追いかける~セプティナ・ロサリナ・ラヤンさんの挑戦~(松井和久)
日刊紙『コンパス』の記事から、パプアの奥地でラタパンと呼ばれる哀歌の収録を進める若者の話を紹介します。ラタパンの持つ複層的な役割は、震災復興の観点からも注目できるのではないかと思いました。 他方、パプアでのラタパンの使われ方が、インドネシアによる抑圧や差別への批判に傾く傾向もあり、パプア奥地の人々によるラタパンの持つ意味が薄められているような印象を持ちます。

上記のような内容を含めました。多くの方にご一読いただければと思います。

今回のカバー写真は、中ジャワ州プルバリンガ県で二輪車のマフラーを製造する小企業の社長さんです。

2020年2月3日月曜日

地方に自らの足元を学ぶ場を広げる

大学入試の季節になってきた。大学の数や種類は、圧倒的に東京などの大都市に多い。このため、たくさんの若者が大学受験のために大都市へやってくる。

学びの機会は大学に限らないが、それでも、学びの機会の数は圧倒的に東京などの大都市のほうが多い。就業機会が大都市に多いことは明らかだが、就業に続く学びの機会が大都市に多いことが就業機会の大都市集中の理由でもあり、結果でもあるように思える。

彼らは何を学びに大都市へ向かうのだろうか。それは、普遍的な学問、すなわち、日本中、いや、世界中どこでも通用するユニバーサルな学問を学びに来るのだろう。学問の真理とは、理論や論理の普遍性にあるからである。

地方にも大学はあるが、そこで若者が学ぶものは、大都市で学ぶものと基本的に同じである。すなわち、世界中どこでも通用するユニバーサルな学問である。大都市へ行かずとも、地方の大学でそれを学べるはずである。しかし、若者は大都市へ向かい、地方の大学で学べるのと同じ学問を学ぶ。でも、それは本当だろうか。

地方の大学のプロの研究者ならば、より学問的にレベルの高い場所へ移って、自分の学問に磨きをかけたいと願う。その結果、地方の大学から大都市の大学へ移る。地方の無名大学から大都市の有名大学へ移り、研究者としての他者からの評価を上げていくことになる。

こうした大学を例にした状況をみれば、学ぶということがユニバーサルな学問だけである限りにおいて、学ぶ機会は大都市へ集中し、そこでの様々な相互作用によって、ユニバーサルな学問が進化していく、ということになる。

このことを否定することはできない。新しい理論や学説は、様々な研究者どうしの関わりのなかから生まれ、真理の追求が進められるからである。

では、地方には、学ぶ機会がないのだろうか。地方における知とは、おそらく、世界中のどこでも通用するものではないかもしれないが、その地方では必ずや通用する、というようなものである。たとえば、農耕儀礼などは、その地方の気候や風土と密接に結びついており、違う地方や大都市には当てはまらないものであろう。

そのような、ユニバーサルでない知は、学ぶ価値のないものなのだろうか。