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2017年4月21日金曜日

私の原点、福島市天神町を再訪

昨日、法人登記に関係する諸手続を終えた後、私が産まれてから幼稚園を卒業するまで過ごした場所、福島市天神町を再訪しました。

舗装されていない小さな路地の両側に小さな家が3軒ずつ並んでいた場所です。荷物の配達でオート三輪が入ってくる路地でした。

今回訪ねると、その路地の面影は残っているものの、両側は駐車場になっていました。


最初に家族で住んでいた家は、上の写真の「路地」の右側、黒い車が停まっているあたりに建っていました。その手前には大きな銭湯がありました。

上の写真の「路地」の左側、正面の建物の左あたりに、次に家族で住んでいた家がありました。路地を挟んで一度引越しをしたのです。

当時の家には、家族5人に加えて、父の知り合いのお婆さんとその娘さんが同居していました。娘さんはもうずいぶんな年齢の独身でした。このお二人に遊んでいただいたり、ずいぶんとお世話になったものです。

上の写真の一番左手前、路地を出るところ、銭湯の向かいには、清水屋というお店がありました。

4歳か5歳の誕生日のとき、お祝いになんでも好きなものを清水屋で買いなさいと母に言われて買ったのは、棒付きのあずきアイスでした。これをずっと食べたかったのです。でも、私の誕生日は1月、寒い中でアイスを食べたせいか、すぐにお腹を壊しました。優しいおばさんが店番をしていました。その清水屋は、今はもうありません。

路地を出た正面に時計屋さんがあり、その時計の針を見ながら、夕方まで遊びました。

母がいつも買い物に行っていた地元スーパーの信夫屋も、今はありません。お酒をたくさん売っている店でした。

でも、清水屋の隣のふとん屋とその隣の魚屋は、今もまだ残っていました。銭湯の斜め前にあった床屋は、私が生まれて初めて行った床屋ですが、それもまだ残っていました。


清水屋の隣のふとん屋に立ち寄り、その4代目社長と子供の頃の話をしました。彼は私よりも7歳年下の高校の後輩でした。私が小学校に上がる際に二本松へ移った後に彼は産まれたので、直接の面識はなかったのですが、この界隈の共通話題で盛り上がりました。

そんな話をしていたら、ふとん屋の社長から「本当にここがあなたの地元なんですね」と話しかけられました。そう、ここが自分の「地元」、原点・・・。

この場所を離れてもう半世紀にもなるというのに、あの頃のことがどんどん思い出され、オート三輪や、あずきアイスや、時計屋さんや、床屋さんや、バキュームカーや、スーパーカブで出勤していく父や、家の庭にスイカや柿の種を蒔いたことや、ボロボロの服を着て毎日リヤカーを曳いていたクズ拾いの怖そうな老婆や、私をよくいじめた銭湯の息子のYちゃんや隣家のHちゃんのことや、諸々のことが次々に頭から溢れてきます。なるほど、ここは自分にとっての「地元」なのだと思い起こしました。

もしタイムマシンがあったなら、半世紀前の、私たちの遊び場だった舗装されていない路地や、人が行き交っていた賑やかな通りを、もう一度見てみたい、あの頃のより良い未来を信じて疑わなかった人々のいた空間をもう一度体験してみたい、と素直に思いました。

私という存在がこの世で始まった場所である福島市天神町が、自分にとって大切な「地元」であることを改めて実感できたのは、とても幸せなことでした。

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