6月16日、福島市で、NPO法人ふくしま30年プロジェクト主催の勉強会「復興」に出席しました。講師は、首都大学東京准教授の山下祐介氏と、NPO法人とみおか子ども未来ネットワークの市村高志氏でした。
勉強会では、復興という言葉とは裏腹に、現場では本質的な解決が一向になされていない現状があることを踏まえ、今後起こるであろう問題を指摘していました。
まず、なぜ避難者は故郷へ戻れないのか。その最大の要因は、トラウマです。もう一度あのような事態が起こるのではないか。もう二度とあんな避難をしたくない。最近、東電が福島第二原発の再稼働の可能性を匂わせていることも触れられ、不安が出されました。
帰還しようとしている人々は現状復旧を求めているのですが、その前提となる様々な検証が十分に行われていないことも指摘されました。
そして、すべてにおいて、責任の所在があいまいにされている現状が指摘されました。
たとえば、避難指示解除を決定したのは誰なのか、その根拠となった法規は何か、実は明確でないという指摘。また、賠償というのは、通常は、責任主体による償いであるはずなのに、責任主体は責任をとっているのか、という問題。責任をとらない主体が賠償をするということの論理矛盾。
次に、避難指示解除によって居住を促すということについて。実は、避難指示解除の前から、作業員はそこに住むことを促されて住んでいたのだから、避難指示解除がなければ住めないというのはおかしかったのではないか。解除前でも、戻りたいと言っていたお年寄りなどを戻してあげればよかったのではないか(彼らの中には戻れずに仮設で亡くなった方々も少なくない)。
故郷への帰還か避難先への移住かという問題。現実的には、そのどちらでも政府補助は出るのに、故郷自治体の住民票を避難先で持ち続けられないという状況(今は時限立法で認められている)が出てくると、帰還か移住かの選択を迫られるようになる。本来ならば、長期退避を続けながら状況に応じて順次帰還、という大前提で、様々な選択肢があってよいはず。
復興に続く地方創生で、福島イノベ構想などの新たな事業が出され、福島県には引き続き多額のプロジェクト資金が投下されていきます。その資金へ群がる福島県外の業者や政治家がすでに動いている様子があり、「福島へ行けばまだ事業がある」という話もあるとか。結局、それらの事業資金が福島県にもたらされることで、これまでと同様の国からの事業予算に依存する状況が続いていくことになるのでは、という懸念も出されました。
実際、統計上、避難指示解除対象自治体への転入者が増えても、それが全て元住民とは限らず、事業実施や原発再稼働などを見越した外部者であるかもしれないといううがった見方もありえて、そうなると、もともとの住民たちの自治とは違う形へ変容してしまうのではないか、という懸念さえ聞こえました。
そして、避難者自身が避難者であることを意識しないようになり、風化すると、そもそもの本質的な部分、すなわち彼らを避難者とせしめた責任の所在、がますます曖昧になり、原発事故の検証や賠償責任が忘れられてしまう。復興という掛け声が強くなればなるほど、そういう傾向が強まってくるのではないか、という話でした。
当事者である避難者が今後の生活をどうしていくかについての選択肢が十分にあり、それを自分たちで選んでいけること。長期にわたる複雑なプロセスを単純化せずに、丁寧に進めていくこと。そのために、彼ら自身が自由に話し合いのできる場を持てる必要があること。これらが重要だ、という結論でした。
これらの含意は、何も、原発事故による避難者だけに限るものではなく、現在のどの地域でも大事なこと、すなわち、分権と自治を地域の人々に取り戻すことが重要である、ということでした。しかし現実には、新規事業に伴う利権やそれに群がる有力者らの動きによって、従順と服従を暗に求められているかのような状況が現れているように思えます。
今回の勉強会を通じて、やはり、自分たちの暮らしから始めるほかはないと改めて思いました。そして、まっとうな官僚や専門家の存在を信じ、彼らと関係性を作りながら、現状に対抗できるような構造を作る方向を模索し、復興を遠くのものではなく、自分の暮らしに近いところへ取り戻すことを目指すことが、とくに福島県では重要だと感じました。
では何から始めるのか。このような時代だからこそ、地域の人々が互いに尊重しあいながら、自由かつ真摯に意見を述べ合える、議論やディベートではなく対話のできる場づくりを始めたいと思っています。
こんなひどい雑文でも、政府批判かどうかを監視されるような世の中になってしまうのでしょうか。スハルト時代のインドネシアを思い出します。
ゆるく書く、と言っておきながら、ちょっとかたく書いてしまいました・・・
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