今日(7/15)、東京で新型コロナ特別警戒レベルが最高の4に引き上げられ、「感染が広がっている」という状況になりました。重症者の割合は減っているとしても、無症状の感染者が知らないうちに感染を広める状況が、ようやく見えるようになってきた、ということでしょう。
これまでも、感染が広まっている気配はありましたが、何せ確かなデータがないので、明らかなことはわからないままでした。そんななかで、様々な思惑から、緊急事態宣言が解除されると、あたかも、新型コロナはもう大丈夫だ、というような何の根拠もない雰囲気が街中にあっという間に広まりました。
その流れを受けて準備を進めてきた Go To キャンペーンを、政府は連休前の7月22日から強行する意向を示しています。
名もなき一市民としては、大所高所からその判断を正しいとも間違っているとも言うつもりはありません。ただ、私自身は、だからといってキャンペーンに乗って旅に出るつもりはありません。
キャンペーンは一部の旅行業者を救済するのが目的、という意見があります。それで日本全国の観光業や旅行業が救われるのでしょうか。一部の旅行業者は、それほど日本全国の観光業や旅行業を牛耳っているということなのでしょうか。
多くの人々は、今はただじっと待って、元の社会に戻ることを信じているのでしょうか。でも、もう元の社会には戻れないと覚悟し、そのなかでどう生き残っていくか、それぞれのレベルで模索しているのではないでしょうか。
観光業でも今、本当の意味での観光とは何かが問われているような気がします。お客さんがたくさん来てお金を落としていってくれさえすれば、それでいいのか。お客さんやお客さんを連れてくる旅行業者の好みを優先して、その土地に生きてきた己自身を忘れてしまってはいないでしょうか。
インバウンドに過剰な期待をしていしまっている観光業は、魂をどこかに置き捨ててしまってはいないか。きつい言葉でいうと、そんなことさえ思ってしまいます。
もう一度、観光の本質を、そこで生きてきた地域社会の本質を、見つめ直して、決してよそ者に魂を売ることのない自分たちが主体の観光のあり方を考えつくす、貴重な機会が今ではないかと思います。
かくいう私も、外部者(よそ者)の一人です。ですから、私の言うことにも騙されないでほしい、と思うのです。
Go To キャンペーンが強行されても、私は旅には出ません。関係者の方には申し訳ないですが、旅にはまだ出ません。私自身も、自分はどう生きていくのか、どう生き残っていくのか、様々にじっくり考えていきたいと思っています。
正直に言えば、自分は月給取りではないし、経済的にも、誰かを助ける余裕などありませんが、それでも、誰かを助けなければならないのではないか、と自分の中でもがいたりしています。金銭だけが助ける手段ではないですわけですし・・・。
Go To キャンペーンが強行されても、私のように旅に出ない人々はかなりいるのではないかと思います。政府の言うことをそのまま聞くのではなく、自分でまだその時期ではないと判断した人々がかなり出ると思います。
でも、旅行業者の方々は、旅に出ない人々を責めることができるでしょうか。感染する・させるリスクを強いてでも、人々に旅に出てほしいでしょうか。そう思っている旅行業者があるとするならば、旅ができるようになった後も、自分はその業者を利用しないだけです。旅行業者が何を考えているか、見続けて、その業者が利用するに値するかどうかを冷徹に検討し、値しない業者は使わない。それだけです。
今の機会に観光の本質を、観光の舞台である地域社会の本質を、しっかりと考え抜き、業者に依存せずに生き残っていこうとする観光地を、私自身は応援したいし、そう生きる人々の教えから学びたいです。
一回限りの数字の一つでしか数えられない匿名の観光客ではなく、固有名詞で覚えてもらえ、ほどよい関係が継続する、そんな外部者(よそ者)でありたいと自分は願っているのです。
福島市飯野の吊るしびな。福島市と合併後も、地元の人々は飯野としての
地域性を生かしたまちづくりを模索し続けている。商店街の店ごとに違う
吊るしびなは一見の価値がある。2018年2月18日撮影。
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