ちょうど私が帰国した8月6日から、リオデジャネイロ・オリンピックが始まりました。
このところ、ずっとインドネシアにいたせいもありますが、もう10年以上、オリンピックというものをほとんどテレビで観ていませんでした。日本のテレビでは、日本選手の活躍が中心の番組構成になっていて、それが繰り返されるので、ちょっと辟易してしまったこともあります。
今回は、自宅で家族一緒にオリンピックを観ているのですが、我が家の場合、日本選手の活躍云々はあまり興味がなく、「こんな種目があるんだ」とややマイナーな種目を楽しむ傾向があります。
たとえば、エアピストルとか、カヌーカヤックとか、アーチェリーとか。重量挙げもなかなか面白いものでした。
重量挙げ女子48キロ級は、タイのSopita Tanasan選手が金、インドネシアのSri Wahyuni Agustiani選手が銀、日本の三宅宏実選手が銅でしたが、日本のテレビでは三宅選手しかスポットが当てられません。他の選手はどうだったのか。
実は、インターネットで、オリンピックのすべての試合を観ることができるサービスをNHKがやっていて、我が家ではそれに、はまり始めています。これを使えば、タイやインドネシアの選手の様子も観ることができます。
それだけでなく、重量挙げだと、選手の体力を見せつけられるだけでなく、舞台袖で選手を見守るコーチの喜怒哀楽や舞台裏での選手とコーチの様子、何キロのバーベルに挑戦するかのチーム間の駆け引き、といったものも観ることができます。重量挙げが実は心理戦であることを初めて知ったりもしました。
エアピストルでのベトナムの選手とブラジルの選手との駆け引きも、なかなか見ごたえのあるものでした。
テレビ以外に、パソコンでインターネットをつけながら、あまり知らない種目を観る、という楽しみが、オリンピックを通じたスポーツの新たな面白さを感じさせてくれるような気がします。
2016年8月9日火曜日
2016年8月7日日曜日
スカルノハッタ空港でプライオリティパス
8月5日、心配していたロンボク島のリンジャニ山噴火もなく、ロンボクからジャカルタに到着。利用したのはバティック・エアでしたが、定刻の15分前にロンボク空港を出発するという、遅延がフツーのライオン・エア系列としては珍しいことでした。
ジャカルタ・スカルノハッタ空港に着いたのが午後3時、ジャカルタから東京へ向かう夜便まで6時間の待ち時間があります。でも、わざわざ渋滞を体験しながらジャカルタ市内まで行く用事もないので、空港で時間つぶしをすることにしました。
バティック・エアの着いた第1ターミナルCからは、無料のシャトルバスで、東京行き国際線の出る第2ターミナルDへ移動。このシャトルバス、車高が高く、スーツケースを持って中に入るのがいつも大変になります。今回は、割と軽かったので、あまり負担は感じませんでしたが。
第2ターミナルDに到着。第2ターミナルにあるエアポートホテルは、改修のためずっと閉まっていましたが、つい最近再オープンしたので、そこのレストランで時間つぶしをしようと向かいました。以前、このレストランからよく飛行機の発着の様子を眺めていたものです。
スーツケースをセキュリティチェックに入れて、入ろうとしたら、従業員から「マッサージですか?」と聞かれました。なんか変。それで「レストランに行きたいんだけれど」と答えると、今オープンしているのは、客室とマッサージだけとのこと。レストランは9月以降になる、と言われガックリ。
しかたなく、冷房の効いた出発ロビーの背もたれのないベンチに座り、スーツケースを横にして、その上にビジネスリュックを配置し、その上にパソコンを置いて叩き始めてみました。やっぱり、グラグラして叩きづらいし、だんだん腰は痛くなってくるし。15分で我慢できなくなり、向かいのカフェに入ると、パソコン電源はレジのところにしかない、とそっけない返事。諦めました。
いったん外に出て、BNIエメラルド・ラウンジの前を通り過ぎたとき、もしかしてプライオリティパスが使えるかもしれない、と思い出しました。ダメ元で入口を見ると、プライオリティパスの札がありました。中へ入ると、もちろん使えるとのこと。ただし、3時間まで、という時間制限がありましたが、とりあえず、3時間いられるだけでもありがたいので、使わせてもらいました。本当に助かりました。
こうなると、スカルノハッタ空港のどのラウンジでプライオリティパスが使えるのか、探索したくなります。出国手続の後、歩き回った結果、乗り場Dの端っこにある2つのラウンジでもプライオリティパスが使えることが分かりました。
ちなみに、プライオリティパスのホームページによると、ジャカルタ・スカルノハッタ空港の6カ所で使えるようです。インドネシアの地方空港でも意外に使えるようです。
ジャカルタ・スカルノハッタ空港でプライオリティパスの使えるラウンジ
インドネシアの空港でプライオリティパスの使えるラウンジ
今回は、プライオリティパスのおかげで、6時間の空き時間も有効に使うことができました。エアポートホテルのレストランがオープンしても、もう使うことはないことでしょう。ありがたや、ありがたや、でした。
ジャカルタ・スカルノハッタ空港に着いたのが午後3時、ジャカルタから東京へ向かう夜便まで6時間の待ち時間があります。でも、わざわざ渋滞を体験しながらジャカルタ市内まで行く用事もないので、空港で時間つぶしをすることにしました。
バティック・エアの着いた第1ターミナルCからは、無料のシャトルバスで、東京行き国際線の出る第2ターミナルDへ移動。このシャトルバス、車高が高く、スーツケースを持って中に入るのがいつも大変になります。今回は、割と軽かったので、あまり負担は感じませんでしたが。
第2ターミナルDに到着。第2ターミナルにあるエアポートホテルは、改修のためずっと閉まっていましたが、つい最近再オープンしたので、そこのレストランで時間つぶしをしようと向かいました。以前、このレストランからよく飛行機の発着の様子を眺めていたものです。
スーツケースをセキュリティチェックに入れて、入ろうとしたら、従業員から「マッサージですか?」と聞かれました。なんか変。それで「レストランに行きたいんだけれど」と答えると、今オープンしているのは、客室とマッサージだけとのこと。レストランは9月以降になる、と言われガックリ。
しかたなく、冷房の効いた出発ロビーの背もたれのないベンチに座り、スーツケースを横にして、その上にビジネスリュックを配置し、その上にパソコンを置いて叩き始めてみました。やっぱり、グラグラして叩きづらいし、だんだん腰は痛くなってくるし。15分で我慢できなくなり、向かいのカフェに入ると、パソコン電源はレジのところにしかない、とそっけない返事。諦めました。
いったん外に出て、BNIエメラルド・ラウンジの前を通り過ぎたとき、もしかしてプライオリティパスが使えるかもしれない、と思い出しました。ダメ元で入口を見ると、プライオリティパスの札がありました。中へ入ると、もちろん使えるとのこと。ただし、3時間まで、という時間制限がありましたが、とりあえず、3時間いられるだけでもありがたいので、使わせてもらいました。本当に助かりました。
こうなると、スカルノハッタ空港のどのラウンジでプライオリティパスが使えるのか、探索したくなります。出国手続の後、歩き回った結果、乗り場Dの端っこにある2つのラウンジでもプライオリティパスが使えることが分かりました。
ちなみに、プライオリティパスのホームページによると、ジャカルタ・スカルノハッタ空港の6カ所で使えるようです。インドネシアの地方空港でも意外に使えるようです。
ジャカルタ・スカルノハッタ空港でプライオリティパスの使えるラウンジ
インドネシアの空港でプライオリティパスの使えるラウンジ
今回は、プライオリティパスのおかげで、6時間の空き時間も有効に使うことができました。エアポートホテルのレストランがオープンしても、もう使うことはないことでしょう。ありがたや、ありがたや、でした。
2016年8月5日金曜日
サンバルはどこへ行った?
8月5日早朝、ジャカルタからロンボクへガルーダで飛びました。所要時間は2時間弱、数日前に起こったリンジャニ山の一部からの噴火の影響もなく、スムーズに中ロンボク県プラヤのロンボク国際空港に到着できました。
ガルーダでは、所要時間が1時間を超えると機内食が出るのですが、今朝のチョイスは、オムレツまたはナシゴレン。私はナシゴレンを選んで、食べ始めてすぐ、気づきました。
サンバルが付いていない!!!
サンバルというのはちょっと甘めのチリソースで、インドネシアの食にはなくてはならない調味料です。昔から、人々は何にでもサンバルをつけるので、ほとんどの食べ物の味がサンバル味になってしまい、「インドネシア人は味盲だ」などという人さえいました。
このサンバルの味、慣れるとこれがないと落ち着かなくなるような、ちょっと中毒になるような性質も持っていて、私にとっても、フライドチキンやフライドポテトを食べるときには、このサンバルが必需品になっています。
そのサンバルが機内食に付いていないのです。以前は、どんな機内食のときも必ず付いていたのに。ガルーダは、いつからサンバルを機内食に付けなくなったのでしょうか。
付けなくなったのには理由があるはずです。おそらく、機内食に付けていたサンバルが、だんだんにたくさん未使用のまま残されるようになったのかもしれません。経費削減に迫られてきたガルーダは、残されるサンバルもまた、見直しの対象になったのでしょう。
でも、もしそうだとするならば、それは、インドネシアの人々の間に味覚の変化が現れていることの証左かもしれません。サンバル味よりも、徐々にそれぞれの素材のもつ味へ嗜好が移り始めたのかもしれないのです。
そう考えると、普通のレストランでも、こちらからリクエストしないとサンバルを持ってこなかったり、ナシゴレンに最初から唐辛子が入っていたり、サンバルが前提の出し方から変わってきている印象があります。おそらく、健康ブームで、サンバルの取りすぎが良くないという認識も出てきていると思われます。
ここでいうサンバルとは、市販の大量生産によるサンバルのことです。この製品は、インドネシアに現れてから、マーケットの絶大なる支持を受けてきました。なぜか。それは、料理ごとに異なるサンバルを作る手間を省いてしまったからです。
実は、サンバルは本来、料理ごとに違うのです。フライドチキン用のサンバル、ソト・アヤム(実だくさん鶏スープ)用のサンバル、ソト・パダン(実だくさんのパダン風スープ)用のサンバル、茹で野菜用のサンバル。それぞれの料理にはそれぞれのサンバルを作らなければならなかったのです。
本来は別々なのに、何にでもそこそこ合う市販のサンバルで済ませてしまうようになると、市販のサンバルの味が何となく標準になっていったのでした。便利な市販のサンバルがインドネシアを「味盲」にさせていたのかもしれないのです。
それが今、市販のサンバルが付いてこないというのは、本来の料理の味へ戻り始めたことを示しているということになるでしょうか。
過去30年以上、インドネシアの食を実体験しているものから見ると、インドネシアの食は明らかにだんだん辛くなくなり、かつ甘くなくなっています。そして、素材の美味しさや香辛料の組み合わせの妙を感じさせるような方向に進んできたと思います。
明らかに、30年前よりもインドネシア料理は美味しくなっていると感じます。プロの料理人を目指す若者も増えているように見えます。
それは、経済発展に伴い、人々の生活の質や嗜好が変化していることとも関係があるはずです。
レトルト食品などの普及など、効率化の進行による食品の味の画一化、ファーストフード化がますます進行するでしょうが、その一方で、地方でのローカルフードの復活・食べ歩きの隆盛、などに見られるような、手間暇かけた料理への関心も高まっています。
これからさらにどのようにインドネシア料理が進化していくのか、ますます楽しみになってきました。それでも、あの市販のサンバルの味が時々恋しくなってしまうのは、やはり中毒なのでしょうか。
ガルーダでは、所要時間が1時間を超えると機内食が出るのですが、今朝のチョイスは、オムレツまたはナシゴレン。私はナシゴレンを選んで、食べ始めてすぐ、気づきました。
サンバルが付いていない!!!
サンバルというのはちょっと甘めのチリソースで、インドネシアの食にはなくてはならない調味料です。昔から、人々は何にでもサンバルをつけるので、ほとんどの食べ物の味がサンバル味になってしまい、「インドネシア人は味盲だ」などという人さえいました。
このサンバルの味、慣れるとこれがないと落ち着かなくなるような、ちょっと中毒になるような性質も持っていて、私にとっても、フライドチキンやフライドポテトを食べるときには、このサンバルが必需品になっています。
そのサンバルが機内食に付いていないのです。以前は、どんな機内食のときも必ず付いていたのに。ガルーダは、いつからサンバルを機内食に付けなくなったのでしょうか。
付けなくなったのには理由があるはずです。おそらく、機内食に付けていたサンバルが、だんだんにたくさん未使用のまま残されるようになったのかもしれません。経費削減に迫られてきたガルーダは、残されるサンバルもまた、見直しの対象になったのでしょう。
でも、もしそうだとするならば、それは、インドネシアの人々の間に味覚の変化が現れていることの証左かもしれません。サンバル味よりも、徐々にそれぞれの素材のもつ味へ嗜好が移り始めたのかもしれないのです。
そう考えると、普通のレストランでも、こちらからリクエストしないとサンバルを持ってこなかったり、ナシゴレンに最初から唐辛子が入っていたり、サンバルが前提の出し方から変わってきている印象があります。おそらく、健康ブームで、サンバルの取りすぎが良くないという認識も出てきていると思われます。
ここでいうサンバルとは、市販の大量生産によるサンバルのことです。この製品は、インドネシアに現れてから、マーケットの絶大なる支持を受けてきました。なぜか。それは、料理ごとに異なるサンバルを作る手間を省いてしまったからです。
実は、サンバルは本来、料理ごとに違うのです。フライドチキン用のサンバル、ソト・アヤム(実だくさん鶏スープ)用のサンバル、ソト・パダン(実だくさんのパダン風スープ)用のサンバル、茹で野菜用のサンバル。それぞれの料理にはそれぞれのサンバルを作らなければならなかったのです。
本来は別々なのに、何にでもそこそこ合う市販のサンバルで済ませてしまうようになると、市販のサンバルの味が何となく標準になっていったのでした。便利な市販のサンバルがインドネシアを「味盲」にさせていたのかもしれないのです。
それが今、市販のサンバルが付いてこないというのは、本来の料理の味へ戻り始めたことを示しているということになるでしょうか。
過去30年以上、インドネシアの食を実体験しているものから見ると、インドネシアの食は明らかにだんだん辛くなくなり、かつ甘くなくなっています。そして、素材の美味しさや香辛料の組み合わせの妙を感じさせるような方向に進んできたと思います。
明らかに、30年前よりもインドネシア料理は美味しくなっていると感じます。プロの料理人を目指す若者も増えているように見えます。
それは、経済発展に伴い、人々の生活の質や嗜好が変化していることとも関係があるはずです。
レトルト食品などの普及など、効率化の進行による食品の味の画一化、ファーストフード化がますます進行するでしょうが、その一方で、地方でのローカルフードの復活・食べ歩きの隆盛、などに見られるような、手間暇かけた料理への関心も高まっています。
これからさらにどのようにインドネシア料理が進化していくのか、ますます楽しみになってきました。それでも、あの市販のサンバルの味が時々恋しくなってしまうのは、やはり中毒なのでしょうか。
2016年8月4日木曜日
「皆んな同じ」の日本、「皆んな違う」のインドネシア
一緒に活動していたチームメンバーが皆んな帰国し、私だけがインドネシアに残っています。そして残っていたために、明日明後日、急遽、ロンボクへ行くことになりました。
ロンボク島のリンジャニ山の一部が数日前に噴火し、ロンボク空港が閉鎖されましたが、2日朝に再開、ちょっと心配ではあります。そういえば、北マルク州のテルナテでも、火山の噴火で空港が閉鎖中です。地球はまさに活動中なのでしょう。
このところ、インドネシアでの内閣改造、東京都知事選挙、日本での内閣改造、と政治のニュースが目白押しです。とくに、日本での政治の動きについては、色々と思うところはあるのですが、それを言葉にすると軽くなってしまう気がして躊躇してしまいます。
でも、言葉にしていかないと、人間の存在がどんどん軽くなって、ふわふわと世の中の流れに乗り、一定方向へ飛んで行ってしまいそうな気もします。必要なのは、自分を自分たらしめている根っこをしっかりと地面に下ろし、強く這わせていくことなのでしょう。物事を批判的に見ていくための思索を止めてはならない、と自分に言い聞かせています。
そんなことを色々考えていたら、日本とインドネシアでは社会の基本が全く違うということに思い当たりました。すなわち、日本では同じこと、「皆んな同じ」ことが基本であるのに対して、インドネシアは違うこと、「皆んな違う」ことが基本なのではないか、とふと思いました。まあ、当たり前といって仕舞えば、それまでなのですが。
でも、「皆んな同じ」という感覚で日本(人)はインドネシア(人)を見ているのではないか、言い換えれば、「インドネシア人は皆んな同じ」というふうに見て、「日本人とは違う」という言い方がよく聞こえてきます。ともすると、「日本人のようにならなければならない」というニュアンスさえ感じられる対応もあります。
これに対して、多様性の中の統一を国是とするインドネシアは、違うのが当たり前、だから違う人々の存在を尊重するのは当たり前、という感覚があるように思います。そこには「いい」とか「悪い」とかの価値判断はなく、存在自体を否定しない、という態度です。「そういう人もいるよね」という感覚です。
相模原の事件を通じて、「役に立たない人間は存在価値がない」という感覚が日本社会の中に相当あることが改めて浮き彫りになりました。一体、「役に立つ人間」とはどのような人間なのでしょうか。あるいは、「自分は役に立っている人間だ」と胸を張れる人とは、どのような人なのでしょうか。
すべての人間が役に立たなければならない、という考えが「一億総活躍社会」といった言葉の裏に透けて見えます。でも、役に立つかどうかを判断するのは、国家なのでしょうか。政府なのでしょうか。誰が判断するかで、「役に立つ」ということが大きく変わってきます。そして、その価値判断基準を「皆んな同じ」にしたい、あるいは勝手に、場合によっては自発的に「皆んな同じ」になっていく、日本がそんな方向へ向かっているような気がしてしまいます。
インドネシアにいると、「たとえ歓迎されてはいないかもしれないけれども、存在は認めてもらっている」という実感があります。人間の存在は神によるもので、自らの手で存在を否定することは許されない、という考えは広く共有され、他人に危害を与えない限り、存在は放置されます。「皆んな違う」のが当たり前なのです。
世界を見渡すと、「皆んな同じ」の日本と「皆んな違う」のインドネシアとでは、どちらが適応しやすいか、一目瞭然ではないでしょうか。個々の人間は皆んな違うのに、「皆んな同じ」に合わせないといけないと思わせてしまう日本社会に馴染むことは、世界の違う人々と付き合うのにプラスでしょうか。
日本は特別、日本はすごい、世界は日本を見習うべき、といった言説は、「世界が日本を認めてくれなくなったのではないか」という自信喪失の裏返しに見えます。世界が日本を認めなくなったら、日本人は世界から忘れ去られるのでしょうか。でもそう思ってしまう日本人が、実は少なくないのではないかという気もします。
「皆んな同じ」の日本の人々が「皆んな違う」のインドネシアで様々な人々と触れ合うだけでも、自分自身を何かに合わせることなく、自分自身として生きていっていいのだという感覚をずいぶん取り戻せるように思います。その当たり前の感覚を取り戻せば、世界のどこへ行っても、「ここでは自分が異質なのだ」「でもその存在は否定されない」という安心感を感じ、自分と違う存在を当たり前と受け止められるようになるのではないかと思います。
日本が好きな人々は世界中にたくさんいて、日本で暮らしてみたい、日本で働いてみたい、という人も少なくないと思われます。そんな人たちを「皆んな違う」という感覚で日本は受け入れられる場所になっていけるのでしょうか。でも、そうならなかったら、「皆んな違う」世界の中で日本は生きていけなくなるような気がします。
「皆んな違う」のが当たり前の新しい日本になることが、社会をもっと面白く、楽しく、創造的にする活力になる・・・、違うからこそ力になる、そんな風になったらいいなあと思う私は、「皆んな同じ」の日本ではおかしいと思われるのでしょうか。
「皆んな違う」のが当たり前の世の中へ、と考えることは、自分が、国家ではなくローカルにこだわる一つの理由でもあります。
ロンボク島のリンジャニ山の一部が数日前に噴火し、ロンボク空港が閉鎖されましたが、2日朝に再開、ちょっと心配ではあります。そういえば、北マルク州のテルナテでも、火山の噴火で空港が閉鎖中です。地球はまさに活動中なのでしょう。
このところ、インドネシアでの内閣改造、東京都知事選挙、日本での内閣改造、と政治のニュースが目白押しです。とくに、日本での政治の動きについては、色々と思うところはあるのですが、それを言葉にすると軽くなってしまう気がして躊躇してしまいます。
でも、言葉にしていかないと、人間の存在がどんどん軽くなって、ふわふわと世の中の流れに乗り、一定方向へ飛んで行ってしまいそうな気もします。必要なのは、自分を自分たらしめている根っこをしっかりと地面に下ろし、強く這わせていくことなのでしょう。物事を批判的に見ていくための思索を止めてはならない、と自分に言い聞かせています。
そんなことを色々考えていたら、日本とインドネシアでは社会の基本が全く違うということに思い当たりました。すなわち、日本では同じこと、「皆んな同じ」ことが基本であるのに対して、インドネシアは違うこと、「皆んな違う」ことが基本なのではないか、とふと思いました。まあ、当たり前といって仕舞えば、それまでなのですが。
でも、「皆んな同じ」という感覚で日本(人)はインドネシア(人)を見ているのではないか、言い換えれば、「インドネシア人は皆んな同じ」というふうに見て、「日本人とは違う」という言い方がよく聞こえてきます。ともすると、「日本人のようにならなければならない」というニュアンスさえ感じられる対応もあります。
これに対して、多様性の中の統一を国是とするインドネシアは、違うのが当たり前、だから違う人々の存在を尊重するのは当たり前、という感覚があるように思います。そこには「いい」とか「悪い」とかの価値判断はなく、存在自体を否定しない、という態度です。「そういう人もいるよね」という感覚です。
相模原の事件を通じて、「役に立たない人間は存在価値がない」という感覚が日本社会の中に相当あることが改めて浮き彫りになりました。一体、「役に立つ人間」とはどのような人間なのでしょうか。あるいは、「自分は役に立っている人間だ」と胸を張れる人とは、どのような人なのでしょうか。
すべての人間が役に立たなければならない、という考えが「一億総活躍社会」といった言葉の裏に透けて見えます。でも、役に立つかどうかを判断するのは、国家なのでしょうか。政府なのでしょうか。誰が判断するかで、「役に立つ」ということが大きく変わってきます。そして、その価値判断基準を「皆んな同じ」にしたい、あるいは勝手に、場合によっては自発的に「皆んな同じ」になっていく、日本がそんな方向へ向かっているような気がしてしまいます。
インドネシアにいると、「たとえ歓迎されてはいないかもしれないけれども、存在は認めてもらっている」という実感があります。人間の存在は神によるもので、自らの手で存在を否定することは許されない、という考えは広く共有され、他人に危害を与えない限り、存在は放置されます。「皆んな違う」のが当たり前なのです。
世界を見渡すと、「皆んな同じ」の日本と「皆んな違う」のインドネシアとでは、どちらが適応しやすいか、一目瞭然ではないでしょうか。個々の人間は皆んな違うのに、「皆んな同じ」に合わせないといけないと思わせてしまう日本社会に馴染むことは、世界の違う人々と付き合うのにプラスでしょうか。
日本は特別、日本はすごい、世界は日本を見習うべき、といった言説は、「世界が日本を認めてくれなくなったのではないか」という自信喪失の裏返しに見えます。世界が日本を認めなくなったら、日本人は世界から忘れ去られるのでしょうか。でもそう思ってしまう日本人が、実は少なくないのではないかという気もします。
「皆んな同じ」の日本の人々が「皆んな違う」のインドネシアで様々な人々と触れ合うだけでも、自分自身を何かに合わせることなく、自分自身として生きていっていいのだという感覚をずいぶん取り戻せるように思います。その当たり前の感覚を取り戻せば、世界のどこへ行っても、「ここでは自分が異質なのだ」「でもその存在は否定されない」という安心感を感じ、自分と違う存在を当たり前と受け止められるようになるのではないかと思います。
日本が好きな人々は世界中にたくさんいて、日本で暮らしてみたい、日本で働いてみたい、という人も少なくないと思われます。そんな人たちを「皆んな違う」という感覚で日本は受け入れられる場所になっていけるのでしょうか。でも、そうならなかったら、「皆んな違う」世界の中で日本は生きていけなくなるような気がします。
「皆んな違う」のが当たり前の新しい日本になることが、社会をもっと面白く、楽しく、創造的にする活力になる・・・、違うからこそ力になる、そんな風になったらいいなあと思う私は、「皆んな同じ」の日本ではおかしいと思われるのでしょうか。
「皆んな違う」のが当たり前の世の中へ、と考えることは、自分が、国家ではなくローカルにこだわる一つの理由でもあります。
2016年7月31日日曜日
バトゥ市の若き農業後継者との出会い
7月27日、東ジャワ州バトゥ市での訪問の最後に、有機農業を進める若い農民に出会いました。彼は農民グループの中心人物で、見せてもらった約0.5haの畑で、様々な工夫をした有機農業を行っていました。
この畑はデモンストレーションと種苗用の畑で、様々な野菜やハーブが植えられていました。野菜のなかで、何種類ものケールが植えられていて、それらは一般用に出荷するのですが、それ以外の野菜やハーブは種苗用で、この畑以外の場所にある12カ所の別の畑で生産しているということです。
ケールや野菜の脇には害虫駆除用の植物が細かく植えられているほか、いくつかの野菜が注意深く組み合わされながら植えられていました。
ハーブなどの苗は、ヨーロッパなどから得られたものを色々と試験的に植えているようです。以前、日本から人参の苗を入手して植えてみたが、うまくいかなかったと言っていました。
この若き農民の父親は、バトゥ市にある農業高校の元校長先生で、退職後、地元に残って有機農業の実践を続けてきました。息子であるこの若き農民は、国営クラカタウ製鉄で機械エンジニアとして働いていましたが、それを辞めて故郷へ戻り、農業後継者として、父とともに、有機農業に取り組んでいます。
そんな彼を見ながら、日本でも優秀な若者たちの一部が地方へ移住して農業に取り組み始めていることを思い出しました。インドネシアでも、同じように、都会や有名企業から地方へ移り、農業を始める若者たちがいました。
これまでインドネシア、とくにジャワ島の農村部を歩きながら、どこでも農業後継者不足という話を聞いてきました。農業は儲からない。未来のない農業を子どもに継がせたくない。そんな声を聞いてきました。
また、ジャワのある地方政府では、後継者がいないので、中国からの大規模ライス・ファーミングの投資を歓迎する、といった話さえ聞こえました。目に言えないところで、インドネシアの農業が壊れていくのではないかという危機感さえ感じてきました。
今回、バトゥ市で出会った若き農業後継者の姿は、そんななかで、とても頼もしく見えました。単に儲けるためではなく、地域のための農業をしていこうという姿勢が鮮明だったからです。そして、自分の農民グループを通じて、その理念を実践する、地に足のついた態度がしっかりしていました。
もしかしたら、バトゥ市からもう一度インドネシアの農業を立て直せるのではないか。
私が福島市の皆さんをお連れしたとき、バトゥ市の農業局長は「農民と地域を守り、一緒にグローバリゼーションの荒波に対抗する農業を進めたい」と語りかけました。そのときの彼の真摯な潤んだ目を忘れることはできません。
バトゥ市の若き農業後継者をいつか日本の若き農業後継者たちとつなげ、お互いに意識し合わせながら、農民と地域を守る、安全安心の農業の未来をつくっていけたら・・・と思わずにいられませんでした。
この畑はデモンストレーションと種苗用の畑で、様々な野菜やハーブが植えられていました。野菜のなかで、何種類ものケールが植えられていて、それらは一般用に出荷するのですが、それ以外の野菜やハーブは種苗用で、この畑以外の場所にある12カ所の別の畑で生産しているということです。
ケールや野菜の脇には害虫駆除用の植物が細かく植えられているほか、いくつかの野菜が注意深く組み合わされながら植えられていました。
ハーブなどの苗は、ヨーロッパなどから得られたものを色々と試験的に植えているようです。以前、日本から人参の苗を入手して植えてみたが、うまくいかなかったと言っていました。
この若き農民の父親は、バトゥ市にある農業高校の元校長先生で、退職後、地元に残って有機農業の実践を続けてきました。息子であるこの若き農民は、国営クラカタウ製鉄で機械エンジニアとして働いていましたが、それを辞めて故郷へ戻り、農業後継者として、父とともに、有機農業に取り組んでいます。
そんな彼を見ながら、日本でも優秀な若者たちの一部が地方へ移住して農業に取り組み始めていることを思い出しました。インドネシアでも、同じように、都会や有名企業から地方へ移り、農業を始める若者たちがいました。
これまでインドネシア、とくにジャワ島の農村部を歩きながら、どこでも農業後継者不足という話を聞いてきました。農業は儲からない。未来のない農業を子どもに継がせたくない。そんな声を聞いてきました。
また、ジャワのある地方政府では、後継者がいないので、中国からの大規模ライス・ファーミングの投資を歓迎する、といった話さえ聞こえました。目に言えないところで、インドネシアの農業が壊れていくのではないかという危機感さえ感じてきました。
今回、バトゥ市で出会った若き農業後継者の姿は、そんななかで、とても頼もしく見えました。単に儲けるためではなく、地域のための農業をしていこうという姿勢が鮮明だったからです。そして、自分の農民グループを通じて、その理念を実践する、地に足のついた態度がしっかりしていました。
もしかしたら、バトゥ市からもう一度インドネシアの農業を立て直せるのではないか。
私が福島市の皆さんをお連れしたとき、バトゥ市の農業局長は「農民と地域を守り、一緒にグローバリゼーションの荒波に対抗する農業を進めたい」と語りかけました。そのときの彼の真摯な潤んだ目を忘れることはできません。
バトゥ市の若き農業後継者をいつか日本の若き農業後継者たちとつなげ、お互いに意識し合わせながら、農民と地域を守る、安全安心の農業の未来をつくっていけたら・・・と思わずにいられませんでした。
2016年7月30日土曜日
大マラン圏のリンゴの運命
熱帯のインドネシアとは思えない光景をよく見かけます。そう、街中のスーパーや果物店、地方の街道沿いの屋台、村のパサール、どこでもリンゴを見かけるのです。
リンゴは、熱帯の果物ではないはず。もちろんそうです。これらのリンゴの大半は、ニュージーランド、アメリカ、オーストラリア、中国などから輸入されたリンゴなのです。
リンゴは健康によい果物、という話が広まっているためか、インドネシアではリンゴの消費が増えている様子です。
でも、実はインドネシアでもリンゴは作られています。そのほとんどは、東ジャワ州マラン市、バトゥ市、マラン県からなる大マラン圏(Malang Raya)産です。
なかでも、観光地のバトゥ市は、「リンゴの街」と自称するほどで、市内のあちこちにリンゴを形どった休憩所や標識を見ることができます。
でも、日本のリンゴのような大きくて立派なものは見かけません。ほとんどが小さく、垂直に伸びた枝にたくさん実っています。
これだと収穫するのは大変だろうなあと思っていたら、大きく立派にして収穫することはほとんどないという事実がありました。
すなわち、リンゴ畑は観光農園とし、入園料を払った観光客に好きなだけ摘んでもらうのです。観光客が摘んだ後、残った小さなリンゴは加工へまわし、リンゴジュース、リンゴチップス、リンゴサイダーなどになります。
労働力を雇って丁寧に収穫するとなると、労賃コストがかかります。それを節約して観光客に摘んでもらうほうがコストもかからないし、楽です。
リンゴの観光農園には、大型バスで毎日たくさんの観光客がやってきます。国内だけでなく、マレーシアや台湾などからもやってきます。たしかに、東南アジアでリンゴ狩りのできるところなど、ここ以外にほとんどないようにも思えます。
結局、生食用のリンゴのほとんどは輸入リンゴで占められ、それが故に、ここで生食用のリンゴをつくる動機は生まれず、こうして観光農園+加工で十分やっていける、ということになります。
ある意味、経済合理的と言えなくもないのですが、こうなると、安全安心を確保するために手間暇かけるようなことはしなくなるでしょう。マラン市の果物加工業者は、「ほとんどの熱帯果物は化学肥料や農薬の心配をしなくてもいいが、リンゴは例外だ」と言っていました。
折しも、バトゥ市は有機農業を進めており、オレンジやグァバなどの有機認証を進め、生食用として売り出しています。リンゴも有機認証へ向けて手をつけたところですが、現状のままで果たしてうまくいくのか、疑問です。
インドネシア、いや東南アジアでも希少なリンゴ産地であるこの地で、生食用のリンゴが輸入リンゴを駆逐する、といったことはもはや起こりえないのでしょうか。それは、安全安心の果物というカテゴリーにリンゴは入るのだろうか、という問いでもあります。
インドネシアで見かける中国産のふじリンゴ。そうだ、自分が中学生ぐらいだった頃、たくさんの中国からの技術研修生が福島市のリンゴ農家に学びに来ていたっけ。このふじリンゴの技術は、もしかしたら、あの時の福島市で学んだ技術ではないのだろうか。
7月26〜28日、福島市の方々をこの地にお連れし、リンゴ園などをまわりながら、そんなことをふと思い出しました。今回の出張の簡単な活動報告を以下のリンクに書きました。
福島市の皆さんとマラン市・バトゥ市へ
リンゴは、熱帯の果物ではないはず。もちろんそうです。これらのリンゴの大半は、ニュージーランド、アメリカ、オーストラリア、中国などから輸入されたリンゴなのです。
リンゴは健康によい果物、という話が広まっているためか、インドネシアではリンゴの消費が増えている様子です。
でも、実はインドネシアでもリンゴは作られています。そのほとんどは、東ジャワ州マラン市、バトゥ市、マラン県からなる大マラン圏(Malang Raya)産です。
なかでも、観光地のバトゥ市は、「リンゴの街」と自称するほどで、市内のあちこちにリンゴを形どった休憩所や標識を見ることができます。
でも、日本のリンゴのような大きくて立派なものは見かけません。ほとんどが小さく、垂直に伸びた枝にたくさん実っています。
これだと収穫するのは大変だろうなあと思っていたら、大きく立派にして収穫することはほとんどないという事実がありました。
すなわち、リンゴ畑は観光農園とし、入園料を払った観光客に好きなだけ摘んでもらうのです。観光客が摘んだ後、残った小さなリンゴは加工へまわし、リンゴジュース、リンゴチップス、リンゴサイダーなどになります。
労働力を雇って丁寧に収穫するとなると、労賃コストがかかります。それを節約して観光客に摘んでもらうほうがコストもかからないし、楽です。
リンゴの観光農園には、大型バスで毎日たくさんの観光客がやってきます。国内だけでなく、マレーシアや台湾などからもやってきます。たしかに、東南アジアでリンゴ狩りのできるところなど、ここ以外にほとんどないようにも思えます。
結局、生食用のリンゴのほとんどは輸入リンゴで占められ、それが故に、ここで生食用のリンゴをつくる動機は生まれず、こうして観光農園+加工で十分やっていける、ということになります。
ある意味、経済合理的と言えなくもないのですが、こうなると、安全安心を確保するために手間暇かけるようなことはしなくなるでしょう。マラン市の果物加工業者は、「ほとんどの熱帯果物は化学肥料や農薬の心配をしなくてもいいが、リンゴは例外だ」と言っていました。
折しも、バトゥ市は有機農業を進めており、オレンジやグァバなどの有機認証を進め、生食用として売り出しています。リンゴも有機認証へ向けて手をつけたところですが、現状のままで果たしてうまくいくのか、疑問です。
インドネシア、いや東南アジアでも希少なリンゴ産地であるこの地で、生食用のリンゴが輸入リンゴを駆逐する、といったことはもはや起こりえないのでしょうか。それは、安全安心の果物というカテゴリーにリンゴは入るのだろうか、という問いでもあります。
インドネシアで見かける中国産のふじリンゴ。そうだ、自分が中学生ぐらいだった頃、たくさんの中国からの技術研修生が福島市のリンゴ農家に学びに来ていたっけ。このふじリンゴの技術は、もしかしたら、あの時の福島市で学んだ技術ではないのだろうか。
7月26〜28日、福島市の方々をこの地にお連れし、リンゴ園などをまわりながら、そんなことをふと思い出しました。今回の出張の簡単な活動報告を以下のリンクに書きました。
福島市の皆さんとマラン市・バトゥ市へ
2016年7月25日月曜日
パサール・サンタは今
このところ、出張中の雑務でなかなかブログ更新ができず、個人的にも少しまずいなと思っているのですが、まあ、やむをえません。できる範囲でゆるーく書き続けていこうと思います。
昨日(7/24)、久々にジャカルタのパサール・サンタへ行ってみました。
パサール・サンタといえば、近年、3階部分の区画を若者たちが借りて、様々な小ビジネスを始め、活況を呈していると話題になっていました。一時は、入居希望者が後を絶たず、半年ごとに入れ替えとするほどの盛況ぶりで、伝統的な市場の活性化モデルとして注目されていました。
とくに、平日はオフィスで働く若者たちが土日のみここで小ビジネスをする、というのも結構あったので、昨日の日曜日、またあの活況に会えると期待して行ったのです。
行ってみたら、シーンとしていました。ほとんどの区画はシャッターが閉まったまま。閑散としていました。
あのかつての土日の賑わいはどこへ行ってしまったのだろうか・・・と訝しがって、開いていた小さな本屋の店主に話を聞きました。
曰く、数年前までは賑わっていたが、その後、急速に客足が減ったとのこと。客足が減るにつれ、短期的利益を目的に事業を行っていた人々が継続できなくなり、どんどん撤退していったとのこと。今も残っているところは、短期的利益を求めるのではなく、しっかりした経営理念のもとで中長期的観点から事業を行っているところだ、ということでした。
その小さな本屋も、大手書店などの流通に乗りにくい地方の小さな出版社の出す良書を集めて、細々とながら、それらを世の中へ紹介していくことを使命としている、ということでした。スラバヤやマカッサルの私の友人たちの名前が何人も出てきて、ちょっとビックリでした。こんな本屋がまだ頑張っているところに、何となく救われる思いがしました。
熱し易く冷め易い。そんなインドネシアの人々の気質が思い浮かびました。
この本屋の向かいには、麺を出すスタンドがあり、そこで食べてみました。これがオリジナルのなかなかの麺でした。
見た目はただの麺ですが、汁がややカレー味で、独特の美味しさを醸し出しているのです。ワンタンも美味しく作ってあり、想像よりもずっと工夫して作られていました。
そう、ほかのどこにもない味でした。そうしたオリジナリティがこうした事業を支えているのでしょう。
この店を切り盛りするアンドゥリ君は大学生ですが、メルボルンにいた兄がこの味を開発したのだとか。本人は、フィリピンへ行ってパイロットになりたかったが、家族の反対で諦めたのだそうです。
この店は今度、スカルノハッタ国際空港の新第3ターミナルにも出店を予定しているそうです。今後の展開が楽しみです。
昨日(7/24)、久々にジャカルタのパサール・サンタへ行ってみました。
パサール・サンタといえば、近年、3階部分の区画を若者たちが借りて、様々な小ビジネスを始め、活況を呈していると話題になっていました。一時は、入居希望者が後を絶たず、半年ごとに入れ替えとするほどの盛況ぶりで、伝統的な市場の活性化モデルとして注目されていました。
とくに、平日はオフィスで働く若者たちが土日のみここで小ビジネスをする、というのも結構あったので、昨日の日曜日、またあの活況に会えると期待して行ったのです。
行ってみたら、シーンとしていました。ほとんどの区画はシャッターが閉まったまま。閑散としていました。
あのかつての土日の賑わいはどこへ行ってしまったのだろうか・・・と訝しがって、開いていた小さな本屋の店主に話を聞きました。
曰く、数年前までは賑わっていたが、その後、急速に客足が減ったとのこと。客足が減るにつれ、短期的利益を目的に事業を行っていた人々が継続できなくなり、どんどん撤退していったとのこと。今も残っているところは、短期的利益を求めるのではなく、しっかりした経営理念のもとで中長期的観点から事業を行っているところだ、ということでした。
その小さな本屋も、大手書店などの流通に乗りにくい地方の小さな出版社の出す良書を集めて、細々とながら、それらを世の中へ紹介していくことを使命としている、ということでした。スラバヤやマカッサルの私の友人たちの名前が何人も出てきて、ちょっとビックリでした。こんな本屋がまだ頑張っているところに、何となく救われる思いがしました。
熱し易く冷め易い。そんなインドネシアの人々の気質が思い浮かびました。
この本屋の向かいには、麺を出すスタンドがあり、そこで食べてみました。これがオリジナルのなかなかの麺でした。
見た目はただの麺ですが、汁がややカレー味で、独特の美味しさを醸し出しているのです。ワンタンも美味しく作ってあり、想像よりもずっと工夫して作られていました。
そう、ほかのどこにもない味でした。そうしたオリジナリティがこうした事業を支えているのでしょう。
この店を切り盛りするアンドゥリ君は大学生ですが、メルボルンにいた兄がこの味を開発したのだとか。本人は、フィリピンへ行ってパイロットになりたかったが、家族の反対で諦めたのだそうです。
この店は今度、スカルノハッタ国際空港の新第3ターミナルにも出店を予定しているそうです。今後の展開が楽しみです。
2016年7月21日木曜日
「さよなら皆様」、お別れを終えて
今回の急な一時帰国は、家族の大事な一人とのお別れのためでした。故人を偲び、お通夜と告別式を無事に終えました。
今回のお別れで、「さよなら皆様」という曲をもう一つ知りました。もう一つというのは、中学生の卒業式のときに歌った「さよなら皆様」とは違う曲だったからです。
私の知っている「さよなら皆様」(岡田陽作詞・柳沢昭作曲)の歌詞は、以下のようなものでした。歌ったことのある方も少なくないと思います。
さようなら皆様 またいつか会う日まで
懐かしい思い出を いつまでも胸に
さよなら 皆様
さようなら皆様 またいつか会う日まで
声合わせ歌おうよ 歌に思い込めて
さよなら 皆様
今回、故人を偲んで、棺にお花を入れてお送りするときに流してもらったのが、次のもう一つの「さよなら皆様」でした。
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
楽しい思い出 心に秘めて
お別れいたしましょう。
また会うその日まで
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
お別れいたしましょう。
また会うその日まで
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
さようなら ご機嫌よう
今回のお別れで、「さよなら皆様」という曲をもう一つ知りました。もう一つというのは、中学生の卒業式のときに歌った「さよなら皆様」とは違う曲だったからです。
私の知っている「さよなら皆様」(岡田陽作詞・柳沢昭作曲)の歌詞は、以下のようなものでした。歌ったことのある方も少なくないと思います。
さようなら皆様 またいつか会う日まで
懐かしい思い出を いつまでも胸に
さよなら 皆様
さようなら皆様 またいつか会う日まで
声合わせ歌おうよ 歌に思い込めて
さよなら 皆様
今回、故人を偲んで、棺にお花を入れてお送りするときに流してもらったのが、次のもう一つの「さよなら皆様」でした。
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
楽しい思い出 心に秘めて
お別れいたしましょう。
また会うその日まで
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
お別れいたしましょう。
また会うその日まで
さよなら皆様
さようなら ご機嫌よう
さようなら ご機嫌よう
宝塚歌劇の公演終了後に場内にかかる音楽でした。亡くなるまで、ずっと宝塚歌劇が大好きで、ちょっと自分勝手だけれども、いつも前向きで、元気に生きていった故人をお送りするには、本当にピッタリの曲でした。
さあ、気を取り戻して、7月21日に再びジャカルタへ戻ります。
2016年7月18日月曜日
多様性、まずは存在を認めることから
日本へ一時帰国して、いやーな感じの内容を取り上げたブログを読みました。ちなみに、このブログの執筆者の姿勢には強く共感しており、このようなことが起こってほしくないという気持ちです。
・個人のあなたを集団でイジメるばかりで助けない社会
このブログでは、参院選の際に、安倍総理の選挙演説の周辺で、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性が、大勢の人々によってその場から排除される様子が描かれています。おそらく、相当に度胸のある女性の覚悟を決めた行為なのでしょう。少しも怯まぬこの女性に対して、ちょっとびっくりするような言葉さえも投げつけられています。
おそらく、逆の場面、すなわち、安倍政権を批判する人々が大勢の場で、一人で政権を支持するプラカードを掲げる人がいたら、やはり同じように取り囲まれ、排除されるのだろうな、と思いました。
こうした選挙演説の場は一般に開放された場所であり、政権を支持する人も批判する人もいることは容易に想定できます。でも、演説している人の気分を害さないようにするためなのか、主張の異なる人を排除することが行われています。
「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性に対して、なだめるように「あなたのためだから」という声が聞こえましたが、それはどういう意味なのでしょうか。放置すると暴力を振るわれるかもしれないから、お引き取りいただいたほうがよい、という意味なのでしょうか。その女性はきっと、それをも覚悟して、自分の主張を示し続けたのかもしれません。
こうした同調圧力は、選挙演説に限りません。日々の生活の中で、他と違うことをしようとしたときに、「悪いことは言わないから、やめておいたほうがあなたのためだよ」と親切に忠告されることは、珍しいことではないと思います。
あなたのため、とは何でしょうか。(あなたが)いじめられたり、差別を受けたり、場合によっては暴力を振るわれたりしないように、でしょうか。(あなたの)進学や就職に不利になる、という理由でしょうか。と同時に、騒ぎを起こされて波風立ったら困る、という自分の立場を守るため、でもあるのではないでしょうか。「そのへんのこと、わかってくれよ」というのが本音だったりするかもしれません。
日本では、警察がイスラム教徒を監視しているという話を聞きますが、真面目に暮らしているイスラム教徒がそれを心底支持するとは思えません。それは、今も「外国人監視部」(POA: Pengawasan Orang Asing)が警察にあるインドネシアで暮らした経験のある自分には、よく分かります。
「多様性の中の統一」をモットーとするインドネシアでは、通常、他人に危害を加えない限りは、その人の存在を認め、放置します。しかし、いったん危害を加えたならば、徹底的に摘発します。
そうした姿勢は、日本から見ると生ぬるく見えるかもしれません。でも、様々な宗教や種族からなる人々がいるインドネシアでは、そうしなければ国としての統一は維持できないのです。
自分と意見の異なる人がいるのは当たり前です。「そういう人もいるよね」とまずは存在を認め、たとえ目障りであっても、温かく見守り、拡声器などで騒いで演説の妨害をするような行為に至れば、しかるべき措置をとればよいと思うのです。
・個人のあなたを集団でイジメるばかりで助けない社会
このブログでは、参院選の際に、安倍総理の選挙演説の周辺で、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性が、大勢の人々によってその場から排除される様子が描かれています。おそらく、相当に度胸のある女性の覚悟を決めた行為なのでしょう。少しも怯まぬこの女性に対して、ちょっとびっくりするような言葉さえも投げつけられています。
おそらく、逆の場面、すなわち、安倍政権を批判する人々が大勢の場で、一人で政権を支持するプラカードを掲げる人がいたら、やはり同じように取り囲まれ、排除されるのだろうな、と思いました。
こうした選挙演説の場は一般に開放された場所であり、政権を支持する人も批判する人もいることは容易に想定できます。でも、演説している人の気分を害さないようにするためなのか、主張の異なる人を排除することが行われています。
「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた一人の女性に対して、なだめるように「あなたのためだから」という声が聞こえましたが、それはどういう意味なのでしょうか。放置すると暴力を振るわれるかもしれないから、お引き取りいただいたほうがよい、という意味なのでしょうか。その女性はきっと、それをも覚悟して、自分の主張を示し続けたのかもしれません。
こうした同調圧力は、選挙演説に限りません。日々の生活の中で、他と違うことをしようとしたときに、「悪いことは言わないから、やめておいたほうがあなたのためだよ」と親切に忠告されることは、珍しいことではないと思います。
あなたのため、とは何でしょうか。(あなたが)いじめられたり、差別を受けたり、場合によっては暴力を振るわれたりしないように、でしょうか。(あなたの)進学や就職に不利になる、という理由でしょうか。と同時に、騒ぎを起こされて波風立ったら困る、という自分の立場を守るため、でもあるのではないでしょうか。「そのへんのこと、わかってくれよ」というのが本音だったりするかもしれません。
日本では、警察がイスラム教徒を監視しているという話を聞きますが、真面目に暮らしているイスラム教徒がそれを心底支持するとは思えません。それは、今も「外国人監視部」(POA: Pengawasan Orang Asing)が警察にあるインドネシアで暮らした経験のある自分には、よく分かります。
「多様性の中の統一」をモットーとするインドネシアでは、通常、他人に危害を加えない限りは、その人の存在を認め、放置します。しかし、いったん危害を加えたならば、徹底的に摘発します。
そうした姿勢は、日本から見ると生ぬるく見えるかもしれません。でも、様々な宗教や種族からなる人々がいるインドネシアでは、そうしなければ国としての統一は維持できないのです。
自分と意見の異なる人がいるのは当たり前です。「そういう人もいるよね」とまずは存在を認め、たとえ目障りであっても、温かく見守り、拡声器などで騒いで演説の妨害をするような行為に至れば、しかるべき措置をとればよいと思うのです。
2016年7月16日土曜日
急遽、一時帰国
8月6日までインドネシア出張中なのですが、急な家族の事情があり、7月16〜21日に一時帰国することとなりました。
この期間、前々から楽しみにしていたカカオツアーのコーディネーターを務めることになっていたのですが、やむなく断念することになりました。
このツアーには、企業などの環境配慮・CSRなどの専門担当者の方々が参加することになっており、ツアーの現場の様々な事象から、面白くてユニークな意見交換や議論ができると、とても期待していたので、本当に残念です。また、今後、エコツーリズムを意識したインドネシアでのより深い学びのツアーを作っていきたいと考えていたので、今回のツアーを主催した方々と協働できないかとも考えていました。
自分勝手かもしれませんが、今回の件でそうした今後のお付き合いの種が無くなってしまわないことを祈るばかりです。皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
こうして、グダグダとブログを書いて、読んでくださる方々がいるということを感じられるのも、今ここに生きているからこそ、なのだということを改めてかみしめています。
クアラルンプールKLIA2空港にて
この期間、前々から楽しみにしていたカカオツアーのコーディネーターを務めることになっていたのですが、やむなく断念することになりました。
このツアーには、企業などの環境配慮・CSRなどの専門担当者の方々が参加することになっており、ツアーの現場の様々な事象から、面白くてユニークな意見交換や議論ができると、とても期待していたので、本当に残念です。また、今後、エコツーリズムを意識したインドネシアでのより深い学びのツアーを作っていきたいと考えていたので、今回のツアーを主催した方々と協働できないかとも考えていました。
自分勝手かもしれませんが、今回の件でそうした今後のお付き合いの種が無くなってしまわないことを祈るばかりです。皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
こうして、グダグダとブログを書いて、読んでくださる方々がいるということを感じられるのも、今ここに生きているからこそ、なのだということを改めてかみしめています。
クアラルンプールKLIA2空港にて
(インドネシア・バンドン南部の山間部で栽培されているアジサイの花)
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