2023年10月1日日曜日

2023年10月1日、またブログを再開してみる

1年半にわたって休止していた個人ブログを再開してみようと思う。どうしても起こってしまう日々のバタバタのなかで、自分の気持ちや考えを、何気ない毎日を、書き残しておこうと思い始めた。アクセス数を稼いだり、自分の名前を売るためではなく、自分の記録として、自由気ままに書いていく。できるだけ毎日、その日に起こったこと、思ったことを書いていく。

インドネシアへ行く機会はめっきり減った。自前で行くだけの経済的余裕もない。それでもまだ、年の半分を日本、半分をインドネシアで過ごすという夢は捨てていない。相変わらず、インドネシアのメディアを追い、インドネシアの政治や経済について自分なりの見方を自ら主宰する1ヵ月2回発行の情報ウェブマガジン『よりどりインドネシア』、NNA Indonesiaに連載中の『続・インドネシア政経ウォッチ』、その他のオンライン講演会やウェビナーで発信している。そこでの見方が正しいかどうか、インドネシア人の友人たちと議論してみたいと思っている。

2021年6月からJICA東京で多文化共生関連の仕事を請け負うようになって、日本にいる外国人をどのように支援するかはもちろんだが、地域社会がどのようによそ者を受け入れるのかという観点から、地域社会における外国人の包摂を地域づくりの観点から捉えるようになった。地域づくりでは、よそ者(あるいは出戻り)が地域に新たな視点や情報をもたらし、地域で何か新しい動きを促すことがよくあるし、かつて成功例ともてはやされた地域づくりの事例にはよそ者が関わっていることが多かった。

自分自身がインドネシアでよそ者として地域と関わった経験からすると、よそ者自身の相手社会への入り方が極めて重要で、相手社会からどのように信用を得るか、信用を信頼へ昇華させていくか、といった点が鍵になる。逆に、地域社会からすると、よそ者が信用できる人物かどうかを見極めるには、実際に会って顔の見える関係を作って確認することが望ましい。これまでの様々な経験では、よそ者と地域社会とを取り持つ人物の存在が重要である。

そんなことを考えながら、私自身は、多文化共生関連の仕事とはいいながら、「多文化共生」の業界(すでに業界化していること自体が驚きなのだが)から一定の距離を置き、地域から始めたいと思っている。よそ者と地域づくりというアプローチを採り、双方がどのような態度をとってどのように信用し合い、信頼できる関係を作っていくか、ということを試みていきたい。外国人はそうしたよそ者のなかに含まれる。

今後の日本社会のなかで、どういう人なのか分からないよそ者の存在が大きくなってくると、地域社会はとくに治安面での不安を感じるようになる。行政の観点からは、災害時の避難や(コロナであからさまになった)予防接種などでよそ者が取り残される危険がある。よそ者の存在を地域社会が最低でも認め、誰か数人でもよいので地域社会によそ者とのコンタクトパーソンがいる状態で、顔の見える関係を少しずつ作っていくことで、そうした不安を解消していくのだろう。

目指したいのは、多文化共生などという言葉が不要になる未来である。多文化は外国人だけではない、様々な違いを持った人々の存在も含まれる。我々が見ている「多文化」はまだまだ限定的なのではないか。消えていく文化、眼前から隠れてしまった文化、そうした個性といってもよい個々人の持つ文化が、他者の文化を否定しない限りにおいて、あたりまえに認められる未来を想いながら過ごす日々のなかで、考えたことや思ったことを徒然に書いていってみることにする。

再開発で取り壊される京成立石駅北口を惜しんで散策する人々(2023年8月5日撮影)

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