2020年6月6日土曜日

あるツイートについてインドネシア語で訊いてみた



先週末、ツイッターであるツイートが多くの人々に取り上げられてバズっていた。それは、ある大学での試験で、インドネシア=日本関係に関する文章が示され、それを要約させる問題だった。

ツイート主は、その問題を自分の子どもから見せられ、文章の内容が事実と異なると批判し、その問題を出した大学の先生を糾弾する内容だった。そして、ツイート主の見解を支持し、試験に出された問題の内容と大学の先生を批判するツイートが数え切れないほど連なっていった。

参考までに、そのツイートへのリンクを貼っておく。


一応、インドネシアについて長年研究してきた人間として、この事件を無視することはできないと考えた。ツイートの話の前に、試験問題について若干コメントしておく。

このような内容の試験問題を出した意図は理解できるし、学生に何を求めているかも理解できる。ただし、要約というのは個人的にあまり好ましくなかったという気がする。要約ということは、問題の文章の内容をそのまま受け止めさせることを意味する。先生の意見を押し付けられたかのような感覚を学生が持ってしまう可能性は否定できない。

私ならば、学生に自分の意見を書かせる。それを書かせるために、どんな本でもインターネットでも参考にしてかまわない「持込可」としつつ、意見を書くにあたって参考にした文献などの出所をすべて書かせる。学生がどのようなソースから自分の意見を形成しているのかという傾向を把握することを重視したいと思う。

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それはともかく、ツイートの流れを見ていきながら、日本でのインドネシアに対するある一定の見方のオンパレードで、その歴史観を正しいと信じている人々が確実に存在することを改めて確認できたと思う。

その見方というのは、(1) 日本のおかげでインドネシアは植民地から解放され独立できた。(2) 日本の3年半の統治はインドネシアにとって有益であり、オランダ植民地支配より過酷だったことはない。(3) インドネシアが日本に恩を感じており、だから親日なのだ、というようなものである。この見方に立てば、日本の占領統治がオランダ植民地時代より過酷だったとか、日本軍が残虐行為を行ったとかいうのは誤りで、そうした間違った言説を唱える者は反日思想で子供たちを洗脳しようとしている、という主張になる。

私自身は、この見方も含めて、インドネシア=日本関係の歴史については、様々な見方が存在することを了解している。それは日本人の間でもそうであるし、インドネシア人の間でも様々な見方がある。その多くは、個人的な経験や近しい人々から聞いた話が元になっており、どれが正しくてどれが間違っていると一様に結論付けられるものではない。インドネシアの学校で使われる歴史教科書の記述だって、本当に正しいかどうかは疑問である。もちろん、同様に、先に上げた「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が正しいかどうかも疑問である。

「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方が日本社会で一定の支持を受けていることを、インドネシアの人々は知っているのだろうか、という疑問が湧き上がってきた。彼らの一部は、先の試験問題が偏向していて、「日本とインドネシアとの友好関係にマイナスだ」と日本にあるインドネシア大使館・総領事館へ問い合わせるとまで言っているのだから。まあ、それに対してどう回答がなされそうかは、何となく想像がつく。

というわけで、私の英語・インドネシア語ブログ「Glocal Diary for Local-to-Local」のなかで、インドネシア語でこの話を書き、彼らの反応を見ることにした。6月3日に投稿して、今日(6/6)までに110回のアクセスがあった。

ブログの原文については、以下のサイトを参照してほしい。


このブログのリンクは私のfacebookページにも貼ったので、インドネシア人の友人たちからのコメントは主にFacebook上に寄せられた。そのリンクも以下に貼っておく。


コメントには、様々な意見が寄せられた。その多くは、自分の親や家族から聞いた話だった。彼らは、インドネシアの教科書で、日本軍政の過酷さやインドネシア側から見た独立正史を学んでいる。そのうえで、日本軍政にプラスの面とマイナスの面があったという者、日本軍政でも陸軍と海軍は違うのではないかという者、昔と今の日本は違うという者、など、冷静でバランスのとれたコメントが並んでいた。

なかには日本語をよく理解できる友人もいて、彼はツイートを「すべて読んだ」と言ってきた。彼はそれについての直接のコメントは差し控えたが、私が英語・インドネシア語ブログに書いたことを日本語でも書いて日本人にも伝えるべきではないか、とコメントした。

まだこの後も、インドネシア人の友人たちからコメントが届くと思うが、彼らからは、先の「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方への直接の反論・批判は今のところ出されていない。ただ、彼らがその見方と同じだとも断言できない。賛成とも反対とも言っていないのだから。大事なことは、そのような見方が日本にはけっこうあるということを彼らに分かってもらうことなのだと思う。

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先のツイートへの私なりのわだかまりについて、最後に述べておきたい。

第1に、自分たちの見方が正しくて、そうでないものは間違っている、とすることは賢明ではない。歴史で何が正しいかは、誰がどう関わったかによって異なる。教科書に書かれていることだって本当にすべて正しいかどうかは疑わしい。

第2に、彼らの依拠している情報ソースは、日本人が日本語で書いたものやインターネット情報が主であり、インドネシア語のものやインドネシア人の研究成果などにはほとんど触れられていない。インドネシア人がこう言っているというのは、すべて日本人が日本語で書いたもののなかにあり、書いた日本人の立場や意図を考えないわけにはいかない。

第3に、様々な見解が存在しうる歴史をただ一つの見解が正しいと決めつけ、その情報ソースもきちんと確認せずに、その見解と異なる見解を糾弾し、排除しようとする行為は、言いがかり以外の何物でもない。もし批判するならば、実名を名乗り、情報ソースを明示して、きちんと議論すべきである。

最初は、あのようなツイートを相手にする必要はないかと思っていた。しかし、そのツイートに1万を超える「いいね」がついている現実を見たときに、これはインドネシア人の友人たちにもこの状況を伝える必要があると感じたのである。

もしかすると、インドネシア側から見たら、「日本はすばらしい。だからインドネシアは親日なのだ」という見方に内心ではカチンと来るかもしれない、と想像できる。インドネシアは、自分たちで独立を勝ち取ったと信じているかもしれないし、そう思っているのが普通だからである。

私も、インドネシアで出会った様々な方々からそれぞれの日本との関わりや戦争のときの話を聞いてきた。インドネシアと言えども、場所によって、状況は様々だったはずである。おそらく、内心には色々な思いを持ちながらも、私に気持ちよく話してくれる人たちを大事にしたいと思う。そうしているうちに、彼らとの間で、インドネシアとか日本とかということが、いつの間にか溶けてなくなっていくのを感じるのである。

東京を訪れたインドネシアの高校生たちをサンシャインへ案内
(2019年3月19日)


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