いろんな博物館があるものだなあと思いながら、橋を渡って、マラッカの古い街を歩きました。
橋を渡ったところに、街の雰囲気を壊さないように配慮したと思われるハードロック・カフェがありました。
さらに進むと、鄭和マラッカ来訪611周年を祝う垂れ幕が掲げられ、その上部にマレーシアと中国の国旗が描かれていました。
ジョンカー・ウォークと名付けられた街歩きをしているわけですが、古い街並みが続きます。その多くは、飲食店や商店として活用されています。
通りに面した建物の間口は狭く、鰻の寝床のように奥が深い、華人系の建物の特徴を表しています。
福建会館がありました。この種の会館も多数見られます。
しばらく歩くと、マラッカで最も古いモスクがありました。Masjid Kampung Klingという名前で、1748年にスマトラ式建築で建てられました。ヒンドゥー寺院のような尖塔、床に敷かれた西洋風のタイル、西洋風シャンデリアのようなランプ、インド風あるいは中国風の壁の彫刻など、モスクとはいえ、他からの様々な影響を受けた様子がうかがえます。
その隣には、ヒンドゥー寺院がありました。Sri Poyatha Venayagar Moorthi寺院で、1781年に建てられました。門が閉まっており、残念ながら中には入れませんでした。
さらにその隣は、華人系の増瀧会館で、ここは、イスラム、ヒンドゥー、中国仏教の3つが隣同士で並んでいるところなのでした。
そこから西へ少し歩くと、マラッカ、いや、おそらくマレーシア最古の華人廟である青雲亭(Cheng Hoon Teng)があります。1673年、中国人が初めてマラッカへ入植した頃に建てられた廟で、観音像を中心に道教、儒教、中国仏教が平等な位置に置かれています。
そこからすぐの場所には、伝統的な高床式住居があり、人が住んだまま保存されていました。高床式といっても、南スラウェシのブギス族のものに比べると、地面からの距離は随分と少ないです。
高床式住居から少し奥に入ったところに、Syamsudin Al-Sumatraniの墓があります。彼は、Sultan Iskandar Muda治世下のアチェ王国の著名な学者・著述家でした。彼は、ポルトガルの占領されたマラッカを解放するためアチェから派兵された軍隊に加わり、マラッカで戦死し、ここに葬られているということでした。
今回は、わずか3〜4時間という時間の関係で、マラッカの古い街歩きもハイライトのみでした。次回来るときは、他の道や路地裏をゆっくりと探検したいところです。でも、昼間歩くのは暑くて、かなり堪えそうな予感がします。
街歩きの最後は、マラッカで有名な庶民的インド料理店Selvamでのランチでした。テーブルに敷かれたバナナの葉の上に、ご飯やおかずが載せられ、追加で他のカレーや揚げ魚などを注文します。ご飯とカレーは「お替りいかがですか」と何度も聞かれます。食事が終わったら、バナナの葉を半分に折ります。うーん、満腹、美味しかった!
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