2017年1月9日月曜日

それでも生きて欲しいー原発事故から5年の福島を観て

9日夜、NHKスペシャル「それでも、生きようとしたー原発事故から5年・福島からの報告」を観ました。重く、つらく、簡単に言葉を紡げません。それでも、少しは書かなければならない、という気がします。

人間は、何か自分の打ち込めるものがあったり、将来こうしたいという希望を持ち続けたり、誰かのためになっていると思えたり、そんな感情を生きるエンジンにしているように思います。それを生きがいと言ってもいいかもしれません。

その生きがいが、たとえば東電原発事故のような、何らかの理由で断たれてしまうと、その原因を作った対象をいかに憎み、恨み、糾弾し、裁判に訴えようとも、それ自体が生きがいになっているうちはいいのですが、たとえ裁判に勝ったとしても、その後の生きるエンジンにはなれないかもしれません。生きがい自体が喪失し、それに変わる短期的な生きがいも終焉し、新たな生きがいが生まれていないからです。


それに追い打ちをかけるような、相手のことを気にかけない誹謗、中傷。誹謗、中傷を行っている本人には、それで相手が傷つくということを理解できないばかりか、そう言い続けることが彼らの生きがいになっているかのような、そんな状況も加わります。

自分の土地のほぼ近くにおびただしい数の除染廃棄物のプレコンバッグがあるのを見たら、故郷へ戻る夢が断たれたと絶望的な気持ちになるのは理解できます。その土地はただの土地ではなく、かつて、農産物を育てただけでなく、その人にとって様々な思い出の積み重なった土地に違いないからです。

村に戻って、自分たちが頑張って農業で村を元気に復興させたいと、本当に頑張っていた30代のご夫婦。放送されたことだけが原因なのかどうかは分かりませんが、米価低落や外からの関心の低下、同じ若い世代が戻ってこないという現実などを前に、自分たちの頑張りって一体何だったのだろうか、という疑問が深く湧いてきてしまったと察します。

こんな状態で、自分は何のために生きているのだろうか、という気持ちが現れる。一人で頑張っていればいるほど、自分が惨めになる。意味があるんだろうか、生きていたって。面白いことなんか何もない。分かってくれる人なんてこの世の中にはいない。そんな気持ちが湧いていたのではないかと思うのです。

人様の迷惑にならない。これは、亡き父から私が生前よく聞かされました。NPO「なごみ」の方が訪問しても、構わないでほしい、もう来ないでほしい、と言ったお年寄りの気持ちが何となくわかるような気がします。自分が生きていることで、人様に迷惑をかけたくない、と思っているのではないかと思うのです。

長生きしてごめんね、と心の中で思っているお年寄りは少なくないのではないか。最近、そんなことをよく思います。

そして、年金や介護保険の世代間負担の格差が拡大するにつれ、なんとはなしに、そうしたお年寄りを内心では迷惑がる風潮も感じられる気がします。

福島の自殺が増えているという問題もそうですが、日本全国どこでも、自殺の問題は、こうした気持ちや状況がその背景に横たわっていると感じます。

自分が生きていることになんの意味があるのだろうか、という人たちが欲しいものは、生きていることに意味がこんなにある、ということをなんらかの形で示してあげること、それ以外にないと思います。

人様に迷惑をかけられない、といって面会を拒否する方には、いかにお節介を焼いたり、迷惑をかけてもらいたいと思っているかを他人が態度で示すことから始めるしかないでしょう。そして、その方の話を、一切否定せずに、ひたすら聞く。ずっとずっと聞く。一人でも心を開く相手がいるだけで、その他人に話を聞いてもらうことが生きがいのようになってくる、というのでもよいのではないでしょうか。

7日のNHKスペシャルの「ばっちゃん」も、そうやって若者たちに居場所を何十年も提供している方の話でした。

人の話を否定せずにじっくり聞いてあげる。そんなことを、自分の身の回りの人から始めてみてはどうでしょうか。

ツイッターでこの番組が話題になっていたのですが、それは福島の話として特別視したり、悪いのは東電・政府だ、だから原発再稼働反対と言ったり、どことなく、遠い他人の可哀想な話として受け止めているような印象を持ちました。

でも、状況背景や環境は違っても、自殺するのは、自分がこの世の中で必要のない、意味のない人間だと思うのが原因のような気がします。だとするならば、自分が苦しいときに話を聞いてくれる人間が存在し、また他人が苦しいときに自分が話を聞いてあげる存在になることから始めるしかないのではないかと思うのです。

福島の自殺者が増えているという現状は、もちろん重大です。たとえ他の地域よりも件数や率が低いからといって、「大したことはない」と軽視できるものではありません。自殺する人にとって、地域ごとに多いか少ないかは、関係ないからです。

自分の身の回りから話を聞く、聞いてもらう関係を作り始めること。それがたとえ昔のようなコミュニティの復活につながらなかったとしても、今よりはもう少し生きていてよかったと思えるような世の中へ近づいていくのではないかと思います。

色々と思うことはあるのですが、今はこの程度のことしか書けません。ご容赦のほど。

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