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2017年1月2日月曜日

今必要なのは「縮充」という考え方

人口が減少し始めた日本。老齢人口がますます増加する反面、若年人口がどんどん減っていきます。働ける人口の絶対数が減り続けていく日本で、今も、経済成長の必要性を強調する議論が強いように感じます。

今の日本の経済成長は、農林水産業や製造業のような、モノを作ることで果たせる状況ではありません。生産性を高め続け、技術上の工夫に工夫を重ねた末に、農業者や林業者や漁業者の後継者が少なくなり、中小企業者が子供に継がせられない状況が増えています。

一部の高付加価値製造業やソフト分野を中心としたサービス業が日本の経済成長を支えていくといいますが、その一方で、今後成長するアジアからのインプットなしに経済成長は難しいという側面も指摘されています。

そこまでして、我々は経済成長を必死で追い求めなければならないのでしょうか。経済成長しなければ、我々は生きていけないのでしょうか。経済成長しなければならない、という強迫観念のようなものさえ感じてしまいます。

今、我々に必要なのは、身の丈を知ること、かもしれません。


人口が減少する中で、我々が生きていくうえで必須なものとそうではないものとを峻別し、必須でないものを追い求めない生活を心がける必要があるのではないでしょうか。

たとえば、新しい携帯電話や自動車が販売されるたびに買い換える、新しいキャラクターが現れるたびにゲームを購入する、といった行為は、生存に必須とは必ずしも言えないでしょう。家電製品の人間の声でお知らせする機能は本当に必要なのでしょうか。

モノを売る側は、何とかして消費者の購買欲を喚起し、新しいものを買ってもらおうとします。それによって需要を作り、そのモノを生産することで企業としての存続と成長を図ろうとします。

3回着たらボロボロになるシャツしかなければ、人はそれを買わざるをえなくなります。一度買ったら10年もつようなシャツばかり作っていたのでは、生産設備の稼働率が上がらず、生産し続けられません。

また、最近の家電製品は、自前で修理することができないことが多いようです。肝心の制御部分がブラックボックスとなっており、修理屋が立ち入れなくなっていて、多くの場合、修理する費用も高いので、新しく製品を買わざるをえなくなります。製品もどんどん生産・販売終了となり、古い部品はすぐにない状態になります。

今の日本では、インドネシアに見られるような家電製品や機械の修理屋さんをあまり見かけないような気がします。頑丈で長持ちする良質の製品というのが日本製の特徴だったはずですが、そのような製品では、消費需要を喚起し続けられなくなったということなのでしょう。

そのような、生産者側からの需要喚起に踊らされているのが我々消費者で、政府からも、もっと物を買え、と促されています。でも、ほとんどの必需品は揃い、もうそんなに新しく物を買わなくてもいいような気がします。

人口が減少し、人々が物を買わなくなるのは、ある意味、自然なことであって、それを問題視するのではなく、そのような状況に合わせた経済のあり方を考えていかなければならないのではないでしょうか。

実際、東日本大震災のとき、これで日本が終わる、と思いました。いつ何時、自分たちの享受する反映した社会が終わるかもしれない、と思ったがゆえに、1日1日の生活を大事にし、物質的な豊かさよりも他者とのつながりや自分を含めたみんなの幸せを大切にしよう、と心に誓って、生き方を変えようとした人々が多数いたはずです。

でも、世の中は何も変わっていなかったように見えます。相変わらず、政府は「経済を成長させる」の一点張り。要らない需要を無理やり創って消費者を煽るよりも、今あるものの本質的な中身を充実させることに注力すべきではないでしょうか。

山崎亮氏の最新刊「縮充する日本:「参加」が創り出す人口減少社会の希望」を読みました。今、日本に必要なのは、この「縮充」という考え方ではないか、と思います。

我々も、自分の身の丈にあった形で、自分たちの生活をどう充実させていくか、他人ではなく、自分の足元を見ながら考えていく時が来ているのだと思います。

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