フェイスブックやリンクトインなどを通じて、たくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございます! 改めて深く感謝をお伝えいたします。いただいたメッセージには、これから一つ一つお返事をお返ししたいと思います。
昔お世話になっていた職場に今もいたなら、管理職定年となる歳です。かつて、55歳の頃の父の威厳ある姿を思い出すとき、今の自分のあまりにも子どもみたいに無邪気で普通すぎる姿との対照に、我ながら思わずすくんでしまいます。
ある意味、「大人」にならないで歳を重ねてきたような気もします。自分で年齢を決められるならば、もうずっと28歳のまま、27年が過ぎてしまったような気もします。28歳の頃の気持ちと今の気持ちとがまだつながったまま、老後や寿命を全く意識できず、まだまだずっと走り続けていけるような気がしています。
この間、私よりも先に生を終えた友人や知人のことを思います。それぞれにいろんな事情があったことでしょうが、彼らの分まで一生懸命生きようと思って生きなければならないと自分に言い聞かせてきました。
自分という存在が、果たして世の中のために役に立っているのかどうかは、正直言って、よく分かりません。少し前までは、世の中の役に立ちたいと願い、それが果たされていないのではないか、自分などいてもいなくても同じなちっぽけな存在なのではないか、と悲観することもなかったとは言えません。
でも、生きている、生かされているということは、少なくともそれ自体に意味があり、これから何かすることが世の中にとって意味のあることなのでしょう。
生が長ければ長いほどいいとは思いません。生の中身をもっと濃くしたいと努めながらも、薄いように見える生の中身が実はものすごく濃いことに気がつくこと、そしてそれを大切なものとしてありのままに受け止めること、その繰り返しなのかもしれません。
私の生自体を客観的に誰かが価値判断することはできないはずです。その誰かにとって私の存在がプラスだったかマイナスだったか無関係だったかを判断するのは自由ですが。
今この瞬間にも、「生きたい」と懸命に生きている人々が世の中にはたくさん存在する、という当たり前のことを意識したいものです。
誰も一人では生きていけないし、自分のためだけに生きる訳でもない、直接的にせよ、間接的にせよ、自分以外の誰かのために生きている、それが生きるということの根本のような気がします。
今までよりももっと、自分以外の誰かと安心して一緒に過ごせる時間を大事に大切に丁寧に過ごしていきたいと思います。誰かを受け止め、誰かと信頼を分かち合える瞬間や時間を感じながら、これからも丁寧に真摯に前へ向かって生きていきたいです。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
55年前に産まれてすぐの頃の私。
私という存在の原点。
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